始まりは、高校二年の夏休み・・・の、直前。学期末考査で授業が午前中で終わる期間。俺が停学処分を受ける辺りから。
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七月も半ばになると、通学路には陽炎が立ち昇る。黒のスラックスが太陽の熱を、これでもかこれでもかっ、ええいこれでもかっ、と言わんばかりに吸い込み、汗ばんだ下半身がとても熱い(変な意味に非ず)。
ちくしょうどうしてスラックスに短パンは無いのだろう。最初にこのスタイル考えた奴を誰かここに呼んで来い。
「あぢいー」
「・・・(こくり)」
手の甲で汗を拭いながら呟くと、傍らの少女がぼんやりと頷く。無表情ではあるが、その額にも珠の汗が浮かんでいるのを見ると、ミニスカート着用の彼女でも相当辛いようだ。
うだる様な暑さに、着ていたシャツの襟元をばさばさと広げて風を取り入れる。が、取り込んだ風も熱くて外側から身体を冷やせない場合はどうすれば良いんだろう。
答えは至って簡単、冷たい食べ物を食べて内側から冷やせば良い。そう思って、傍らでおかっぱの黒髪をふらふらと揺らしていた少女に声を掛ける。
「咲耶(さくや)、辛くないか?」
「・・・(ふるふる)」
首を振るが、額には汗が浮かんでいるし、瞳もいつもより三割り増しでぼんやりとしている。
「無理するなって。帰りにアイスでも食っていこうぜ」
「・・・(こくこく)」
心の底から賛成らしく、いつもよりも多めに首を振る彼女。
「よし、俺の奢りだ」
「・・・!(ぶんぶんぶんっ)」
む、そうだった。咲耶はあまり人から奢られるのを良しとしない性格だった。だが、高校生の男女が連れ立って買い物をするのだから、ここは男が払いを持つべきだろう。それ以前に俺から誘ったのだし。
「気にするなよ。少しは格好付けさせろって」
「・・・(もじもじ)」
うーん、敵も手強い。ならば。
「だったら、今日は俺の奢りだ。そんで、明日は咲耶の奢りな。これで良いだろう?」
それでもまだ咲耶は、眉毛を八の字に曲げて悩んだり、ちらちらと俺の顔を窺ったりしていたけど。
「・・・・・・・・・・・・(こくり)」
「よし決まり」
やがて、ぎこちなく頷くと、俺にしか分からない程度に微笑んでくれた。
それから二人並んで、通学路にある喫茶店に入る。俺も咲耶も入ったことの無い店だったけど、落ち着いたジャズと共に店内にゆったりと流れる雰囲気は、好きになれそうだった。
「いらっしゃい」
カウンターの奥に居た人影が、俺を見て声を掛ける。エプロンをつけていたその女性が店主なのかと思ったが、俺達が座ったテーブルにメニューを置いてから厨房の奥で誰かを呼んでいたから、多分店主の奥さんとかなのだろう。
「咲耶、どれ食べる?」
「・・・・・・(じーっ)」
俺が声を掛けたときにはもう、咲耶は季節限定のメニューに釘付けだった。
「あん?どれどれ・・・おお、うまそ」
「・・・・・・(きらきら)」
俺が向かいからメニューを覗き込んでも、目を輝かせて食い入るようにパフェの写真を見詰めるだけで、互いの息遣いが分かるような位置に居る俺はガン無視。ふつう女の子って、あんまり男と近づくと緊張したりするんじゃないの?
「咲耶、少し顔除けてもらえる?俺も見たいから」
「・・・・・・(きらきらきら)」
・・・気にしないケドサ、ふんっ。
「へー、白玉団子と抹茶アイスのパフェか・・・黒蜜とチョコレートのソースが乗っかって・・・うわ、甘そー」
「・・・・・・(きらきらきら)」
「『夏季限定クイーンパフェ』・・・これだけ和風なのに何処がクイーン・・・?」
「・・・・・・(きらきらきらきら)」
「んっと、お値段は・・・ぶふうっ!?く、クイーンってお値段のレベルだったのか!?」
「・・・・・・(きらきらきらきら)」
相も変わらず目をきらきら輝かせている咲耶だったが、俺はそれどころではない。こんなものを注文された日には、財布の中から虎の子の樋口先生が旅立ってしまう。
奢るとか言っておいて咲耶には申し訳ないが、どうにかしてそれだけは阻止しなければっ!
「さ、咲耶・・・ほ、ほら、こんなに甘そうなの食べると、太っちゃうぞ?それに、いっぱいありそうだから食べきれないんじゃ・・・」
「・・・・・・(きらきらきらきら)」
「っていうか聞いてる?咲耶?さーくーやー、おーい。咲耶ちゃーん?」
「・・・・・・(きらきらきらきら)」
「・・・・・・」
「・・・・・・(きらきらきらきら)」
「・・・すんません、このクイーンパフェってのとアイスコーヒーのセットで」
樋口先生、どうかお達者で。
高橋咲耶(たかはしさくや)と俺・・・山口和宏(やまぐちかずひろ)は、小さい頃からの友達だ。親同士が親友だった事もあり、ちょくちょく互いの家に遊びに行っては遅くまで遊んでいた。
今は、彼女の家の都合で、俺達は一緒に暮らしている。といっても、どっかの下手なラブコメみたいに二人っきりで暮らしてマース、という訳ではない。ちゃんと、俺の両親が一緒である。
咲耶はあまり人と話をしない。というか、あまり人と話すことが出来ない。幼馴染である俺や、小さい頃から面倒を見てきた俺の両親ともせいぜい小声でぼそぼそと話す程度だ。
昔は活発な少女だったのだが・・・まあ、その理由を話すには今の雰囲気はゆったりし過ぎている。それをかき乱すのは、どうか今だけはご勘弁願いたい。
で、しばらく経って。咲耶のパフェと、俺のコーヒーが一緒に運ばれてくる。セットにした分いくらか安くなったのは不幸中の幸いだった。
「・・・ふ、んく・・・ん」
「美味いか?」
やたらめったら色っぽい声を出しながら抹茶アイスを頬張る咲耶だが、口元に緑色のクリームが付きまくっている辺り全然全くこれっぽっちも色気が無い。
「・・・んふぅ(こくこくこく)」
「そっかーよかったなーあははははは」
もうこの場で死んでも言いやという笑みを浮かべる咲耶とは対照的に、俺の笑顔はどこか薄っぺらで、乾いたものだった・・・その前に財布が薄くなっちゃったからね。ぐすん。
「・・・かずくん」
「ん?どうした」
ふと名前を呼ばれて彼女の方を見てみると、咲耶はスプーンを口に咥えたまま小首を傾げて、上目遣いに俺を見ていた。
あどけない仕草に胸がどきりとするが、平静を装って笑顔を保つ。
「・・・コーヒーだけでいいの?」
お前がお値段四ケタのパフェなんか頼むからだろうが。危うく喉下までせり上がったその言葉を、何とか飲み込む。
(奢るって言ったのは俺だしな・・・それに咲耶に悪気は無いんだろうし)
「ん、あー・・・ちょっとな。そんなに甘そうだと気後れしちまってさ」
「・・・・・・そんなに、甘くないよ?・・・おいしいけど・・・」
嘘だ。ぜってー嘘だ。そんなゲロ甘そうなものを、どうしてお前はぱくぱくと食えるんだ。
「咲耶は甘党だからだろ。ほら、前にも桃缶の桃に練乳と蜂蜜かけて食ってたし。俺だったら絶対に食えないぞ、あんなの」
「・・・・・おいしいのに」
眉を八の字に曲げて可愛らしく肩を落とすが、スプーンを口から離さない辺りはいい根性していると思う。
「ま、もうちょっと暖かい時にな」
冗談めかして言った俺の言葉に、咲耶がまたも首を傾げる。
「・・・こんなに暑いのに?」
「いや、懐が寒い」
「・・・え」
「あ」
しまった本音が。このままでは咲耶が責任感じて落ち込む・・・って。
「・・・わたしの・・・せい?(ふるふる)」
や、やばい!早くも目に涙が溜まっているっ!?
「い、いやあの咲耶っ・・・今のちょっとしたジョークだぞ、ジョーク!はい、ここ、笑うところーっ!わっはっはーっ!」
「・・・・・・ごめ・・・なさ・・・(ふるふるふる)」
ああああ効果ゼロだああっ!?
(えーっとえーっとこういう場合に俺はどうすれば・・・ち、ちくしょう年齢イコール彼女いない歴の俺には難しすぎる課題だぞ・・・)
「・・・じゃあ、はい・・・」
俺がテンパっていると、彼女は俺に向けておずおずと手を差し出してくる。よくよく見るとその手の先には、スプーンで掬われた緑色のアイスクリーム。
「え?・・・あの、咲耶?一体何を」
「は・・・はい・・・あーん・・・」
・・・・・・・・・・は?
「おい?咲耶、何してんの?」
「・・・だって・・・かずくんも、食べなきゃ・・・なんか・・・わたしだけ、ずるい、から・・・」
「む、むう・・・いや、そりゃ言われてみればそうなんだが・・・」
「・・・だから、かずくんも、たべて・・・」
・・・いや、だからって。何故に『はい、あーん』?っていうか、店主の奥さん(と思しき人)や他のお客さん(大抵はジジババ
)の生暖かい視線が何故かスゲエ痛いんだけど。生暖かいはずなのにスゲエ痛いんだけど。『いやあ、若いって良いわねえ、見せ付けてくれちゃって。おほほほほ』とか聞こえてきそうな感じなんだけど。
「・・・ちっちゃな頃はよくこうしてたよね?」
「何年前の話だよっ・・・」
「・・・はやく・・・とけちゃうよ?」
「・・・っ、わ、わかったよ」
不承不承、俺は伸ばされたスプーンに顔を近づけて、その先端にかじり付く。爽やかな冷たさと、予想よりも甘さが控えられた上品な甘さが口の中に広がった。
「ん、ほんとだ。結構美味いなコレ」
「・・・・・・(こくこく)」
やっぱり高校生にもなって『はいあーん』は恥ずかしかったのだろう。咲耶も少しばかり頬を赤らめている。・・・だったら最初からするなよ。
それから、再びもぐもぐとアイスを頬張り始める咲耶。俺は何とはなしにそれを眺めていたが、咲耶の持つスプーンに目が行った時、ふと、頭に浮かんだ単語があった。
(つか、さっきのアレ・・・間接キス、だよな・・・)
その事実が脳裏を掠めたとき、一気に熱が上がる。
(う、うわあああ。な、なんかやばい。なんかやばい。何がって、なにかがっ)
「・・・・・・(じーっ)」
「ぬぁ!?さ、咲耶、どうした?」
「・・・かお、あかい・・・」
「っ!?べべべ別に赤くなんてないぞ!?」
それからも心配そうに俺の顔を覗き込んでくる咲耶を前にして、間がもたなかった俺は、ちびちびとアイスコーヒーを啜る事しかできなかった。