一緒に旅行なんて何年振りだろうか。  
 とは言ってもいわゆる家族同伴の社員旅行だ。  
 バスの通路を挟んだ反対側の席で子供をあやす友人夫婦を見て、夫のイチ――八神伊知朗(やがみ いちろう)  
は妻の香子(かこ)に話し掛ける。  
「大変そうだなぁ」  
「そうだね。でも……」  
「でも?」  
「……早川さんが笑ってる……」  
「おいおい」  
 香子が驚くのも無理はない。  
 夫婦喧嘩して家を飛び出した後迷子になり、ナンパされて絡まれてる所を彼に助けられた事がある。  
 特に何をするでなく『俺の知人に何か用か』と軽く一睨みしただけなんだが――切れ長につり上がった  
涼しげな目元と180センチの背丈はかなり迫力がある。  
 昨年の秋に生まれた愛娘にぐずられ、あやし疲れた妻の愛永(まなえ)に替わって相手をしている  
のだが、困った困ったと言いながらもその強面は見事に崩れていた。  
 
 
 一行が宿泊先のホテルに着いたときには、早川家はぐっすり眠ってしまっていた。  
「大丈夫ですか?」  
「あ……うん。うるさかったでしょ?ごめんね」  
 声を掛けて起こした香子に恥ずかしそうに言う愛永に  
「大丈夫だろ?子供なんかみんなそこらではしゃいでたじゃん。カラオケやら何やらでそんなの気に  
 なんかならなかったよ」  
とイチも笑いながら声を掛ける。  
「マナ、鍵貰ってきたから部屋で休もう」  
 夫の早川が荷物を持つと、娘を抱いた妻を促した。  
「うん。夕飯まで時間あるしそうしろよ。しかし美月(みつき)ちゃんもおっきくなったな」  
「ああ、離乳食もよく食うんだよ。重くて適わん」  
 とか言いつつ目尻の下がる早川をからかうイチを見て  
「伊知朗君も大概でかいから、あの二人が並ぶと迫力あるよねぇ」  
「はあ、確かに……」  
と妻達は半ば笑いながらそのやり取りを見ていた。  
 
「疲れたろう?」  
「ううん。観光なんて久しぶりだもん。明日も楽しみ!」  
「そっかー元気だなぁお前。この辺が若いって所だよな」  
 二つ並んだベッドの片方にどすんと倒れ込む。  
「何よおじんくさ〜!まだ30前じゃん」  
 夫のイチは春に高校を出たばかりの香子よりも10歳上である。  
「でもさー“もう30”って言い方も出来るんだぞ?40なんてあっという間じゃん。今はいいけど  
 その内腹も出るしハゲるかもしんないし……そしたらお前どうするよ?」  
 ちょっと想像してみる。  
「うーん……どうでもいい」  
「あ?」  
「っていうかわかんないよ。想像つかないもん。いいじゃない。お腹が出ても、ハゲたとしても、私は  
 イチ君が大事な旦那さんなのは変わりないよ?」  
「えっ……そ、そうなの?」  
「うん」  
 香子が自分を見上げて枕を抱くイチの側に座って微笑むと、彼はその頬にニヤニヤしながら手を伸ばして触れる。  
「そっかー。お前俺に惚れてんな?」  
「なっ!何を今更……」  
「はいはい」  
 頬にあった手を腕に回してぐい、と引き寄せると、簡単に香子の体はイチの上に倒れ込んだ。  
「嬉しい事言ってくれるよな、お前。だから好き」  
「な……?ば、バッカじゃな」  
「バカで結構」  
 ん、と耳まで真っ赤にして唇を突き出して顎をしゃくる。そんなイチのやる事を毎回  
「子供かっ!?」  
と言いながらもそれをはね退ける事が出来ず、ついそれを聞き入れてしまう。  
 腕を伸ばして見下ろす体制になると、そのまま彼の顔に自分の顔を重ねる。  
 軽く唇が触れた所でそれを離そうとすると、イチの舌が伸びてきてそれを追いかける。  
「!」  
 片腕で頭、もう片腕でがっちりと腰を抱かれ捕らえられると、イチからの深いキスからは逃れられなくなる。  
 跨った形になった香子の体の下腹には、互いのジーンズ越しにも盛り上がってきたイチのそれがわかり、  
それが慣れない場所での行為に余計に戸惑いを掻き立てて、震える腕で必死に体を支えて堪えていた。  
 
 頭の手が背中へ下りて腰の手はお尻を撫でる。その間に背中の手は今度は香子のTシャツを捲り、  
ブラの線を指で伝った。  
「も……もーだめっ!それ以上はだめっ!!」  
 慌てて体を離して飛び跳ねイチの横へ転がる。  
「おっと!……危ねえ、落ちるぞ?」  
「イチ君のせいじゃん!」  
 香子の腕を掴んで引き寄せると、今度は横向に抱き締めて寝転がる。  
「やっぱりちょい狭いなー。ベッド慣れないからなぁ……寝れるかな?くっつきゃいいか」  
「え?一緒に寝んのっ」  
「嫌なのかよ」  
 ぶんぶんと真っ赤な顔を振る香子の頭を撫でて、イチは嬉しそうに笑った。  
「早川んとこはどうかな?あっちは普段ベッドなのに今日は和室だからな」  
「そうだね。後でご飯は一緒に食べられるんだよね?」  
 イチ達のように夫婦二人や独身者は洋室だが、早川夫妻のように小さい子供のいる家族連れは和室  
のある館に部屋を取ってあったので、食事までは別行動になりそうだ。  
「大分疲れてそうだったから休んでるんだろうな。風呂誘うつもりだったんだけどなー。香子も行くだろ?  
 大浴場楽しみにしてたんだもんな」  
「うん。でも愛永さん一応誘ってみる」  
 携帯を掛けてみるとすぐ繋がったが  
『あたしも行きたいんだけど美月まだ寝てんのよ。コージだけ行かせるから……』  
との返事だった。  
「下の売店で待ってて、だって」  
「お、わかった。んじゃ行くか」  
 一緒に着替えを持ち部屋を出て廊下を歩く。  
「子連れ組は忙しいなぁ」  
 そう言いながら周りの同僚達家族を眺め、時折小さく微笑むイチの横顔を香子は同じ様に微笑みながら眺める。  
「イチ君も……早く赤ちゃん、欲しい?」  
「ん?……うん。まあ、そのうちな」  
 照れ臭そうに頭を掻いて顔を赤くする。  
「そのうち、そういう時期がきたら……そしたら」  
「……うん」  
 
 賑やかな声がこだまするホールを後に、二人はエレベーターに乗り込んだ。  
 
「早川まだみたいだな。お前先に行けよ。女の風呂は長いからなー」  
「悪かったですね!……じゃ、また後でね」  
 香子は待ち合わせするイチを残し先にある大浴場へ向かう。  
 
 社の人間以外の利用客も当然ながらいる筈なので、まだ早い時間だが割合脱衣所は混雑していた。  
 適当に空いた箇所を見つけて荷物を置くと服を脱ぎかける。が、どこからか  
「……でね、設計部の早川さんてさぁ……」  
との声が耳に届いたのが気にかかり、その手を止め思わず振り返った。  
 背後に位置したロッカー前に若い女子社員と思われる数人がたむろしていた。観光や昼食時に見掛けた  
覚えのある面々だ。  
 香子に背を向けた格好でいるが目の前には鏡がある。だが、何度か人が行き来しているせいで香子の  
姿は途切れ途切れにしか映らないので向こうは全く気付いていない様子だった。  
 立ち聞きなんて、と思いながらも気にせず居られるわけもなく、つい気付かれないように顔を背けて  
その会話の内容を拾っていた。  
「見た?あの無愛想な早川さんが目尻下げて子供あやしてんの」  
「ねー。奥さんの前だとああも変わるのね。かなりの愛妻家だったんだー……意外!」  
 付き合いの長い香子でさえそう思うのだから、彼女達が驚くのも当然だと言えるだろう。  
 正直、人の噂話の類は苦手な質なので内心はハラハラしていたのだが、悪口ではなさそうなのでほっと  
して服に手を掛けた。  
 が、  
「……でも愛妻家っちゃー八神さんもさあ……」  
「あー、だよねー」  
続いてきたその話題にまた手が止まる。  
「早川さんもだけど、あの人も普段を知ってると何かさぁ……アレだよね」  
「そうそう。彼女の前だとマジ人格違うくない?」  
「っていうかユカリさんってそういうとこ知ってんのかな?だめだ笑っちゃう」  
 
 震える手で荷物をかき集めると、後ろを一切振り向かずその場を後にする。  
「あら、こんにち……」  
 出口で見知った顔に挨拶されても会釈するだけで精一杯で、言葉を返す余裕も無く逃げるように立ち去った。  
 
「あれ?香……」  
 遅れてやって来たイチと早川に廊下でばったり出くわした。  
「お前忘れ物でもしたのか?」  
「……」  
 にこやかに覗き込んで来る顔はいつものイチの顔だ。だが、今はその目を逸らさず見返す事が出来ず  
香子は黙って俯いた。  
「気分でも悪くなったんじゃないのか?八神、部屋で寝かせてやった方が……」  
「あ、大丈夫です!ち、ちょっと疲れただけみたい」  
 早川が心配して掛けてきた声に慌てて応えると、  
「そうなのか?じゃ、俺も部屋に戻……」  
「いい!一人で!イチ君は入ってきて、ねっ」  
とその場から逃げるように去ってしまった。  
 一人になりたかったのだ。とにかく今は。  
 
「なんだあいつ……?」  
 香子が去った後首を傾げながら歩いていると、今度は前から  
「あ、八神さん!」  
と駆け寄って声を掛ける者がいた。  
「ああ、島田さん。旦那さんは?」  
 イチ達と同い年の同僚の女性である。彼女は夫と参加してきていた。  
「うちのは先にお風呂に……って私の事はいいのよ!それより八神さんの奥さん大丈夫?」  
「へ?」  
「ああ、今部屋に戻ったんだが……何か言ってたのか?あのコ」  
「んー、さっき見かけたんだけど何か様子が変ていうか……顔色悪かったから」  
「そうか?……やっぱり疲れてんのかなー。寝かせといてやった方がいいかもな……。悪いね島田さん  
 心配掛けて」  
「ううん。まあ、それ位なら大丈夫だと思うけど……。ほら、普通の旅行じゃないから気疲れでもしたの  
 かと思ったから。私も旦那の社の人って気遣っちゃうもの」  
「……あんたでもそうなのか」  
「ちょっ!失礼ねー。八神さん何とか言ってよ」  
「いやーマナちゃんじゃなきゃこいつの手綱は捌けないわ」  
「そうか。奥さんに言いつけてやる」  
「好きにしてくれ」  
 親友と同僚のやり取りを半笑いで眺めながらも香子の事が気にかかる。  
 やはりいくらしっかりしているとはいっても、まだ二十歳にも満たない娘なのだ。  
 妻の立場というのは自分の想像以上に重いのかもしれない、とその心中を想おうとしていた。  
 
 イチが部屋に戻ると、香子は置いてあった浴衣に着替えて横になっていた。  
「……もっとゆっくりしてきて良かったのに」  
「男なんてみんなこんなもんだよ。シャワー浴びたのか?」  
 本当は早川が呆れる位カラスの行水並みの速さだったのだが。  
「うん」  
「そうか」  
 濡れた髪に触れようと手を伸ばす。が、それを反射的に香子の手がはねのけた。  
「!」  
「……あ、ごめ……ほら、髪濡れたまんまだから、その」  
 驚いて戸惑った顔のイチに、香子も自分のした事に戸惑いながら謝る。  
「嫌なの?」  
「そうじゃない」  
「じゃあ何だよ。俺何かした?」  
「……ううん」  
 なんでもないの、とベッドに起き上がりながら首を振る。  
「ほんとに、何か疲れちゃったから。それだけ」  
 香子はそう言うものの、どこかよそよそしい態度にイチは何となく釈然としないままでいた。  
 
 
「香子ちゃんそんなに具合悪いの?」  
 食欲が無い、と言う香子を部屋に残し、イチは夕食を宴会場で早川家族と一緒に食べていた。  
「うん。気疲れしたのかもな、やっぱ」  
「そっかー……まあ気持ちはわかるわ」  
 美月にベビーフードを食べさせる愛永の言葉に、イチより先に早川が反応する。  
「やっぱりお前にも、無理させちまったか?」  
「んー、そうでもないよ。あたしは美月を言い訳に勝手にやらせて貰ってるから。けど、まあ元々  
 集団て苦手でしょ?あのコなんて周りに気遣うタイプだから、違う意味でこういうのきついかもなって」  
「あー……マナちゃんもそう思う?やっぱり島田さんの言うとおりなのかなぁ?」  
 香子が世間的に幼い事で、夫である自分に恥ずかしい思いや負担を掛けさせたりしまいと頑張っていた。  
それは妻になる前からそういう所はあったのだけれども、本当によくやってくれているとイチは思っている。  
 それがここにきて一気に出てしまったのかもしれない。妻としてのプレッシャーに押し潰されて  
しまっているのではないか……。  
「ま、今はそっとしといてあげなさいよ」  
 愛永の言葉に頷いてビールを呷った。  
 
 イチが部屋を出てから、しばらくの間香子はぼうっと横になったまま薄明るい夜の空が映る窓を眺めていた。  
 
「――イチ君は……」  
 彼はなぜ自分を選んだのだろう。  
 一目惚れした女性の遺した娘だからだろうか?  
 そして自分を大事にすると約束したから?  
 例えそうだとしてもそれは自分が成人するまでの話で、生涯懸けて愛する義理はない筈だ。  
 だからきっと、一緒になろうと言った時の気持ちは本物だったのだろう。  
 だが、それが一生必ずしも続くものだとは限らない。  
 
『人の気持ちは変わる』  
 
 そう言ったのは他でもない彼自身なのだから。  
 結婚まで考える程真剣に付き合いたいと想い焦がれた女性。そんな相手への気持ちがいつしか思い出に  
なり、その人の死後遺された娘の香子を一途に愛するようになってしまった。  
 それと同じ様に、他の誰かに愛情は移り変わってしまう事も有り得ない事ではないのかもしれない……。  
 
 香子は声を殺しながら涙を流し、そのまま静かに悲しみから逃れるように眠りに落ちていった。  
 
 
 コンコン、とノックの音がして、ハッと目を覚ました。2時間程寝てしまっていたらしい。  
「ロリコン攻撃にあった〜」  
とかでやけになって飲んだらしく、赤い顔したイチが早川に抱えられて帰ってきた。  
「ロリコン……」  
「酔った喪男独身社員の僻みだ。気にするな、俺もやられた」  
 愛永は目立つタイプとは言えないまでも結構美人だ。それに子供もいて幸せそのものという早川なら  
妬まれても不思議はないと思う。  
 が、“ロリコン”の一言が今の香子には強く突き刺さっていた。  
 
 先程の脱衣所の者を含め見掛けた女子社員達は、若いと言っても皆自分よりは年上だろう。  
 綺麗に塗られた爪や栗色に巻かれた髪、洗練されたメイクや服装、均等の取れた体のラインなど、  
“大人の女”と言われるに相応しい。  
 染めたことのない黒い肩までの髪やそのままの爪、どちらかと言えば地味目な顔立ち、服装、控えめな  
胸にぽこんとしたお腹というまさに幼児体型の自分……。  
 それら一つ一つを比べては、香子は自らの魅力に疑いを深め落ち込んでゆく。  
 
 空いた方のベッドに寝かせたイチに背を向ける形で、もう一方の自分のベッドにまた横になる。  
 先程は疲れもありすぐ眠ってしまったからなのか、大して気にならなかった浴衣の裾がはだけるのが  
妙に気になって、バッグからTシャツとスウェットを取り出した。  
 着替えようとベッドに腰掛けて帯を解くと、旅行用におろした新しい白レースの下着が目に映る。  
「こんなの着けたって不相応だよ……」  
 はあ、と溜め息をつきながら肩まで袖を抜いたところで  
「そっかぁ?」  
と間の抜けた声が掛けられ、慌てて前を合わせて振り向いた。  
「お、起きてたのっ!?」  
「俺最初から寝てないもん」  
 枕に頭をつけたままぽーっとした顔で眺めてくるのを見て、慌てて照明を落とそうと伸ばした手を  
素早く起き上がってきたイチに掴まれ、あっという間に背中から抱き抱えられるようにしてベッドに  
倒れ込んだ。  
「ちょ、着替えるからっ……」  
「だからって消さなくていいじゃん。見せてよ、新しいパンツ?」  
「やだ。だって、私のカラダなんか見たって……」  
「見たって何?襲いたくなるだけだと思うけど」  
 ぐい、と香子の体を反転させてその上に跨ると、彼女が押さえるより早く浴衣の合わせを開き見下ろした。  
「お、いいね」  
「嘘」  
「何で?綺麗だよ」  
「だって貧乳だしー、くびれも少ないし、色気ないしー」  
「そんな事ないって!……ほら」  
 香子の手を取って自分の下半身に導く。浴衣の上からそっと触れてみてもそこは堅くなっているであろう  
事は充分伝わったはずだ。  
「う、でも、私なんかよりもっと大人っぽいヒトの方が……」  
「誰がそんな事言った?」  
 むっ、と額に皺を寄せて低い声で囁く。  
 怒っているのだ、と香子が思った時には両方の腕を押さえつけられて身動きが取れなくなっていた。  
 
「誰が言ったんだ?」  
「え、だ、って……ロリ」  
「んなの早川の言うとおりほっときゃいいんだよ」  
「……気にしてたじゃない」  
「だって変態扱いだぜー。冗談じゃねえっつの!別に俺は香子が幾つだって関係ないの。そいつ自分が  
 ロリコンだから僻んでんだよ」  
「……私、イチ君の負担になってるの?」  
 世間ではまだ未熟な身であるから、だからそのような事を言われなくてはならないのだろうか。  
 イチに恥をかかせてしまったのではないかと、香子は夕餉の集まりに顔を出さなかった事を今更後悔していた。  
「我が儘言って……行かなくてごめんなさい。だからそんな」  
「大丈夫。誰も咎めたリなんかしてないから。俺も怒ってないから」  
 今にも泣き出しそうな香子の顔にちょっとした怒りは忘れてしまった。  
 イチは押さえていた両腕から力を抜いた。  
「俺こそごめんな。気疲れさせて。普通にしてればいいんだから」  
「でも」  
「あーもういいって!それ以上俺にまで気を遣うような事言ってると……こうだ!!」  
「えっ!?ちょ」  
 脱ぎ捨ててあった浴衣の帯で香子の両腕を縛る真似をした。  
「お仕置きだぞー……なんてな。冗談だよ、冗談!俺マジ変態じゃん。ごめん酔ってんな」  
 はは、と笑って帯を取った。  
 その様子を眺めていた香子は、黙って起き上がると浴衣を脱ぎ捨てて床に落とし、続いて自らブラを外した。  
「んっ?何おま……」  
 いきなり何をやらかすのかと目を丸くするイチの前に、両腕を差し出して手首をくっつけて見せた。  
「いいよ。そういうの好きなら、私の事縛っても」  
「は?いや、あの……お前何言ってるか解ってんの!?」  
「うん。イチ君の好きにしていい。私で満足させられるかどうか、わかんないけど、でも頑張るから。  
 言うこと聞くから」  
 イチを見つめながら精一杯の言葉をかける。  
 
「だから、嫌いにならないで。離れていかないで……」  
 
 涙を堪えて愛を乞う香子に驚き戸惑いながら、目の前の裸体に目を奪われたままイチは生唾を飲んでいた。  
 
「……だめだ」  
 脱ぎ捨てられた浴衣を拾うと香子の肩に掛けた。  
「なんで?」  
「あーのなー」  
「私ならいいってば!」  
 ぎゅうっと目の前のイチの胸元へしがみつくと、ベッドがぎしりと揺れた。その勢いで肩からはらりと  
浴衣が滑り落ち、再び晒された滑らかな肌にイチの欲望はまたふつふつと湧き上がる。  
 思わず背中に腕を廻して抱き締めると、香子の手がイチのそれに触れた。  
「ほら、こんななってる」  
「いや、そりゃ」  
「ね、だから」  
 縋るような瞳に胸が締め付けられる。だが、  
「だめだよ。出来ない」  
そう言って触れてきた手を離し躰を押し戻した。  
「……だめなの?」  
「うん」  
「私が……嫌いなの?」  
 自らの躰を抱くように腕を縮めてポロポロと涙をこぼし始める香子の頭を、諭すようにイチはそっと撫でた。  
「何でお前を嫌いになるの?」  
 黙ったままただ俯き泣き続ける彼女を、ただただイチは愛おしく見つめる。  
「どうした?何かあったんならちゃんと言いなさい。大体何かあるんだよ、お前がこういう事する時は」  
 やはり彼には解ってしまうのか。  
「……嫌?」  
「ううん。でもこのままじゃ抱きたくても抱けないよ。だから言ってくれよ。俺はそんなに頼りにならない?」  
 日頃からヘタレだのなんだのと自らの気弱な部分を気にしているからか、香子が不安事を口に出来ない  
のではないかとイチ自身も不安を感じていたのだ。  
 香子にもそれは充分伝わっていた。なし崩しに抱いてしまわず、ちゃんと年上の男として妻である  
自分を押し止める事の出来るイチの、ある意味気弱さ故の慎重さが逆に頼もしくもあるのだ。  
「……イチ君嘘つかない?」  
「ん?ああ」  
「絶対?」  
「つかないよ。話す気になったか?」  
 暫くの沈黙の後頷くと、いいから話してみろと言うイチの言葉にようやく口を開く。  
 
「……ユカリさんてどんなひと?」  
 
 恐る恐る見上げたイチは、疑問符だらけを浮かべた表情で香子を見下ろしていた。  
 
 
「続く」  
 

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