これは、鈴音さんと暮らし始めてまだ一週間くらいのお話。
「♪〜♪〜〜♪」
「……」
ご機嫌に朝食の後片付けをしている鈴音さんを、僕はぼんやり見つめている。
今日は、僕が大学に進学して新しい生活を始めて、
そして、鈴音さんという猫の妖怪さんと一緒にくらすようになって最初の休日だった。
今日まで、大学の入学式だったりガイダンスだったり、
あと、新しい生活に必要なものを鈴音さんと二人で買い足したりと結構どたばたした日々だったから、
朝からこうして、二人っきりでゆっくり過ごすのはたぶん今日が初めてじゃないかな……。
「……」
うわ……何か緊張してきた……。
恥ずかしいというか、身体がむずがゆい。
鈴音さんのような美人と二人っきりだなんて初めての経験である。
初めてといったら、僕の初めても鈴音さんに……ってそうじゃなくてっ!!
いや、まあ……昨夜鈴音さんと2回目をイタシてしまったものだから……
昨夜の鈴音さん……すごかったなぁ……えへへ……
ああ……考え事がどんどんあさっての方向にいっちゃう……
脳みそを程よく蕩けさせて、僕は馬鹿みたいに呆けていた。
やがて、洗い物を終えた鈴音さんが、僕の隣にちょこんと正座する。
ちなみに言うと、洗濯その他、全て終わってたりする。
もともと一人暮らし用の部屋だし、鈴音さんほどの家事上手だとあっという間に終わってしまう。
で、和服に割烹着の鈴音さんが、僕の横でニコニコしながら僕を見つめている次第でして。
「……」
うう……無償に罪悪感が沸いてくる……。
鈴音さんに何かをしてもらってばっかで、僕は何もしてないじゃないか。
そもそも僕は自立の修行を志して一人暮らしをするつもりだったのに、
このままじゃ、依存するだけの情けない男になってしまうっ。
やっぱり、その……鈴音さんにはっきりと……
「陽一さま?」
「うわぁ!?」
いつのまにか、ほんの目と鼻の先に鈴音さんの顔があった。
「す、鈴音さんっ!?」
こう間近に顔を寄せるのはちょっと勘弁して欲しい。
すごく、その……恥ずかしい……。
「な、な、何?」
「あの……何かお悩みのようですけど、どうかされましたか?」
あうぅ……そ、そんな顔されると、僕としてはいたたまれないんですけど……
罪悪感というか、申し訳なさがチクチク、チクチクと……
「あ、あのね、鈴音さん」
「はい、何でしょう?」
嬉しそうに答える鈴音さん。
その表情がとても綺麗で、その瞳はとても澄んでいて、
僕は、口ごもってしまう。
「えっと……その……」
言うんだ、長野陽一。
こういうのははっきり言わなくちゃダメだ。
「あ……あのね……」
「……」
「もう……僕のこと構わないでもいいよ」
「……え?」
「あ、あのね、やっぱりね……どう考えても鈴音さんに
ここまで色々してもらうのはちょっとおかしいって言うか……」
「……」
「べ、別に迷惑とかそんなんじゃ、なくて……むしろすごく感謝してるけど……
いくらネコ……お祖父さんの遺言だからって……やっぱりその……」
鈴音さんには鈴音さんの人生(猫生?)があるわけだし
初めて会う男に、何もあんな……え、エッチなことまで……
「あ、あの……もちろん、これでお別れとか、そんなんじゃなくて……。
あ……あんな事までしちゃった以上、責任を取るのは男として当然なわけで……」
しどろもどろに言い募るんだけど……
「ええっと……とにかく……ああもう、なんて言えば……って鈴音さん?」
「……」
「鈴音さん? 鈴音さんっ!?」
鈴音さんが後ろを向いて背中を小さく丸めて、悲しげに震えている。
「あの、鈴音さん? もしもし?」
「……ですね……」
「な、なに?」
「……私は……いらない娘なんですね……」
「そんなんじゃないですってっ!!」
なんか、何時の間にか部屋が暗くなってるし
鈴音さんのとこだけスポットライトみたいに照らされてるし!
どこからともなく悲しげな音楽が流れてくるし!!
「あのですね、勘違いしないで欲しいんですけど……」
「……道の片隅の段ボール箱に捨てられて、冷たい雨に打たれて、寂しく泣き続ける運命なのですね……」
「しませんしません、そんなこと!!」
その姿を想像してみる……。
「そんな鈴音さん見たら、0.5秒でお持ち帰りしますよっ!!」
「……」
鈴音さんが、僕を潤んだ瞳で見つめてくる。
……うはぁ……
やばい……ヤバイです……
こんなすがるようなひたむきな瞳で見つめられて何も感じなかったら、
哺乳類の雄を止めるべきだと思います。
「す、鈴音さんっ!!」
たまらず鈴音さんを抱きしめる僕。
「あ、あのね、鈴音さん。僕は、その……鈴音さんを嫌いになったとか、そんなんじゃなくて……
鈴音さんに助けてもらってばかりの情けない男になりたくない、というか……」
「……」
「ああ、もう、そんな顔しないでっ!
分かったからっ。もう、鈴音さんの好きにして良いですからっ!!」
「……本当ですか?」
「ええ、もう、鈴音さんに全てお任せいたしますっ」
「はいっ、ではそうさせて頂きますね♪」
むぎゅぅっと嬉しそうに僕を抱きしめる鈴音さん。
「す、鈴音さん!?」
鈴音さんの着物越しでも分かるたゆたゆな胸が、
思いっきり僕の顔に押し付けられる次第で……
あうあうぁぁ〜〜〜……
………………………………
前略、母上様
僕は大学進学一週間にして、堕落の坂を転がり落ちそうでございます……
その夜、僕は精神的にかなり疲れてしまったので、早く寝入っていた。
ちなみに、鈴音さんもすぐ横で寝ている。
……いや、本当は鈴音さんの分の寝具も買うつもりだったんだけど
「私は……構いませんけど……」
なんて艶めいた視線で言われてしまっては、ねえ……
でも、えっちぃ事はしてません。まだ2回だけです。
ゲフンゲフン
「……陽一さま?」
「な、何でもないよ。おやすみ、鈴音さん」
「……はい」
目を閉じても鈴音さんの匂いとか温もりとか、息遣いが伝わってくる。
えっちぃ気分にもなるけど、それ以上に落ち着くというか、安堵感の方が強く感じる。
「……鈴音さん」
「……ん」
鈴音さんの胸に顔を埋める。
「……」
そういえば……
本当は今日、鈴音さんにいろいろ訊きたかったのに……
いくら遺言だからってどうしてここまで僕に尽くしてくれるのかな、とか
鈴音さんは、本当に僕なんかと一緒にいても良いの、とか
そのつもりだったのに、何だか分からないうちに有耶無耶になってしまった……
ま、いいか……いずれちゃんと……訊くと、して……
「……」
僕は鈴音さんに抱かれながら、あっという間に深い眠りに落ちていった……。
そんなだから
「……」
鈴音さんが静かに身体を起こして
「……」
猫の瞳で、一晩中僕の顔をじっと覗き込んでいるなんて
夢にも思わないのであった……。