「なあ、カケル」  
 ダイニングテーブルに向き合って座っているヒカルが普段の柔和な表情を珍しく引き  
締めている。滅多に見ない二歳年上の兄の真剣な姿にカケルも居住まいを正す。  
 彼は紅茶を一口含んだ後、弟のカケルに問い掛ける。  
「……お前、操(みさお)のことどう思っている?」  
 操は兄弟の隣に住む幼馴染の女の子で、年はカケルと同い年で今年高校一年生だ。幼い  
頃からヒカルとカケルの兄弟とともに遊びまわっていたせいか性格は男勝りだったが、  
誰にでも優しく平等に接し、明るい笑顔の似合う愛らしい容姿から男女問わず人気があった。  
「……どうって?…何が?」  
 
「お前にはハッキリ言っておく、俺は操のことが好きだ」  
 
 いたって真面目な顔で言い放った兄をカケルはまじまじと見つめる。  
 同じ両親から生まれてきたとは思えないほどに端正な顔立ちのヒカルは、時々アルバイトで  
雑誌のモデルをしていたりもする。成績もカケルなど遠く及ばないほどに優秀で学年  
十位内は高校入学以来譲ったことがない。おまけにスポーツをやらせれば何であれ人並み  
以上にこなし、加えて人望も厚いとくればこれで女の子にモテないはずがなかった。  
 事実、ヒカルの携帯には山のように女性からの着信があったし、毎日三通以上は  
ラブレターを持ち帰ってきた。そんな兄だが、特定の女の子と付き合っているという話を未だ  
かつて聞いたことがなかった。不思議だとカケルは事あるごとに思っていたが、その疑問が  
今氷解した。  
 
──ヒカル兄(にぃ)は、操のことを……狙っていたのか……  
 
「……それで?」  
 カケルは極力、平静を装って素っ気なく問い返す。  
「いや。それだけだ」  
「操は知っているのかよ、ヒカル兄の気持ちをさ」  
 静かにヒカルが首を振る。  
「まだ伝えてない。でも、近いうちには言うさ」  
「そう。うまくいくと良いね」  
 そう言って笑えた自分にカケルは少し戸惑いつつも、唇を噛んで溢れ出ようとする言葉を  
押し留め席を立つ。  
 
──俺も……好き…なんだよな、操のこと。  
 
 ◆ ◇ ◆  
 
 それが一週間前のこと。  
 
 それからカケルはヒカルと顔を合わすたびに何となく気まずい。  
 
 ヒカルの告白を聞いても自分の本当の気持ちを、結局隠したままにしていることが  
カケルの心をずっと苛んでいた。と言って、ヒカルに自分の操への想いを正直に話した  
としてもどうにかなるものでもない。仮にヒカルと操を取り合ったとしても、勝負の行く末は  
初めから明らかだ。  
 それでもヒカルの顔を見ると、もう操に告白したのだろうか、操はどう応えたのだろうか、  
とそればかりが気になって心が千切れそうなぐらいに痛んだ。  
 全てが決まってしまえばシコリは残らない、と彼は思っていた。そうなれば全てを整理して  
諦めがつく、とそう思っていた。しかし、それでもそれを望まない自分がいることにカケルは  
戸惑っていた。  
 
 ヒカルが「今日はバンドの練習で帰らない」と告げて家を出て行ったのが三時間前、  
それからカケルは部屋でゆったりくつろいでいた。読んでいた本をページを開いたまま伏せて  
階下に降りコーヒーを淹れる。今日はヒカルだけでなく両親も祖父母の家に所用で泊り  
込んでおり、自宅にいるのはカケル一人だけだ。  
──楽で良い。一人ってさ。  
 偶然巡ってきた気儘な時間をエンジョイしている十七歳はマグカップに注いだコーヒーを  
持って部屋に戻り、机の上に置いた読みかけの本を開く。  
 隣に住む幼馴染に借りたその本の表紙には「Before New Beginning」とある。  
 物語は歳の離れた幼馴染の男女が高校の生徒と教師として再会することから始まる。  
男子生徒は将来有望なサッカー選手であり既に海外行きが決まっており、日本を発つ前日に  
想いを寄せていた女教師を襲ってしまうが互いの想いはスレ違い、後味の悪い別れとなる。  
海外に渡った男は不調のどん底に喘いだあげくに試合中に怪我をしてしまう。自暴自棄に  
なりかけた時に女が現れ、男は彼女の本心を聞くという展開だ。  
 ページを捲ると丁度、男が女を押し倒すシーンのラストだった。  
 
 ◆ ◇ ◆  
 
 彼女の中に強引にペニスを割り入れると、姉ちゃんの顔に苦悶の表情と苦しげな呻き声が  
毀れた。  
 濡れている…とは思う。しかし、身体が濡れるのと心が求めるのは別だ、と何かで読んだ  
記憶がある。姉ちゃんの心はきっと俺なんかを求めてはいないはず。  
 初めのうちは馴染むのを待っていたが、彼女の中に自分が収まっていると考えただけで、  
俺は極度の興奮に陥った。例え拒絶されていても、この世界でもっとも愛しい人と  
重なっているのだ。昂ぶらないはずがなかった。  
──待ってなどいられない!  
 ふと視線を落とすと姉ちゃんの目尻から、透明な液体が一筋零れ落ちた。それを指の  
側面で掬う。  
 
 姉ちゃんは泣いていた。  
 
 その涙が狂気の淵から、俺を一瞬だけ連れ戻した。  
 
「ゴメン……ゴメン。泣かせるつもりなんて無かったんだ。でも、忘れられない。忘れた  
くない、 離したくないんだ!」  
 何を考えているのか読み取れない不思議な色の双眸で俺を見つめながら、彼女は鷹揚に  
首を振った。  
 溜め込んでいた感情を吐露すると、喉元から嗚咽が毀れ出るのを止められなかった。  
繋がったまま倒れこむようにして、姉ちゃんの柔らかな胸に顔を埋め声を押し殺して泣く。  
 どれだけの時間、姉ちゃんの胸の中で泣いただろう。その間、彼女は身動ぎもせず、  
静かに俺を待っていた。きっと、暴れれば簡単に振りほどけたであろうに逃げようとは  
しなかった。それどころか、少し困った、それでいて優しげな表情で姉ちゃんは俺を見つめ  
ていた。  
 ゆっくりと指先で目を二、三度擦ると俺は意を決した。  
──もう一度だけ……それで…もう二度と会えないのだから…  
 上半身を起こすと、ゆっくりと姉ちゃんの括れた腰を掴み、自分を彼女の中に打ち付けた。  
 
 結局、姉ちゃんは唇を噛み締めたまま、呻くような喘ぎしか漏らさなかった。  
 「好き」…その一言はやはり、最後まで聞けなかった。  
 それで全てに諦めがついた。結局、あれは間違い──いや、俺の空耳だったのだ。  
──姉ちゃんが、そんなことを言うはずなど…………なかった。  
 もう姉ちゃんに顔を合わせることはできない。後は、罰を待ち罪を償うことを待つだけ  
の身になった。とは言うものの、俺は次の日クラブからの急なスケジュール変更により、  
チーム合流日を早められてしまい逃げるように日本を発つことになってしまった。  
   
 ◆ ◇ ◆  
 
 普段は滅多に活字を読まないカケルも恋愛もののクセにやけにサッカーシーンの描写が  
細かい点と、女教師が襲われるシーンと互いの愛を知った二人の絡みというエッチな  
シーンが含まれている点に引き込まれた。  
──普通にエロいな、これ…。  
 こんな小説を操も読むんだ、と思うと一瞬カケルは胸がザワつくのを覚えた。  
 気持ちを落ち着かせようとマグカップに注いだコーヒーを口に含み、本から一端顔を  
上げて時計を見る。既に針は十一時を回っている。  
──そろそろ風呂でも入るか。  
 背もたれにもたれ掛かって伸びをした瞬間、彼の部屋のドアが勢いよく開けられる。  
 自分以外誰もいない筈の家で自室のドアが開く──驚いた彼は後方に倒れこみそうに  
なった。もし、開いたドアの向こうに立っていた人物が彼女でなかったら頭を強かに  
フローリングの床に打ちつけていただろう。  
「み、操!」  
「…こんばんは、カケル。お邪魔するね」   
 頬を赤らめた操が部屋に覚束ない足取りで入ってきて、カケルに歩み寄ってくる。  
 
 昔からの付き合いでカケルの両親から娘にも似た扱いを受けている操は、カケル宅に  
出入り自由──つまり、合鍵を渡されている。  
──ったく、驚かすなよ。んっ……?  
「……なあ、操。お前、何だか臭くないか?」  
「何よ、レディに向かって臭いって失礼よ!」  
 カケルは千鳥足で近づいてくる操に顔を近づけてクンクンと鼻を鳴らす。  
「うっ…さ、酒か!?どこで酒なんて飲んだだよ、操?」  
「細かいことを気にしない!モテないぞ!」  
 操とは昔から歯に衣着せぬ仲だ。普段は自己主張など滅多にせず周囲に流されるままの  
カケルも幼馴染の操には言いたいことが遠慮なく言えた。だから、口喧嘩は絶えたことは  
無いものの、二人とも互いのことをよく理解していたから、好き放題言い合っても最後は  
いつも仲直りできる。  
──友情……俺と操の仲はそう呼んでもいいのかもしれない。  
 自分と操が男女の仲を超えた関係ならば、兄のヒカルは慎ましく今の今まで一線を守り  
男女の仲に踏みとどまろうとしている。それがカケルには羨ましかった。  
──こんなことなら、俺ももうちょっと操を女の子として扱ってあげるべきだったな。  
 後悔を噛み締めながら、カケルは幼馴染の少女を見つめた。  
 顔を赤らめ上機嫌な操が黒髪を軽やかに揺らしながら、フラフラと部屋の中を歩き回る姿は  
今にも何かにぶつかりそうで、カケルは気が気でない。  
「あ、危ない!」  
「大丈夫だって。心配性だな、カケルは」  
 どれだけ飲んだのかは分からないが操の目は蕩け、やけにテンションが高い。  
 レイヤーの入ったショートカットの髪をかき上げて操はベッドに腰掛ける。仕方なく、カケルは  
デスクチェアから立ち上がって彼女の目の前に立って話し相手になってやる。  
「こっちに来れば」  
 操のほっそりとした指がカケルの手首に絡み、一瞬ドキリとさせられる。そして、華奢な  
身体のどこにそんな力があるのかと思うほど強く引っ張られ、カケルはベッドへ引き摺り  
倒される。  
「アハハ。カケルこそ酔っ払っているみたいにヘナヘナだよ」  
 何が可笑しいのか腹を抱えて、操は止め処なくケラケラと声を上げて笑っている。  
「笑うな!この酔っ払い!!」  
 不貞腐れ顔でカケルは言い放つ。かなりアルコールが回っているのかタチが悪そうだ。  
「ああ、可笑しい……で、どうしてあんた一人な訳?ヒカル兄や、おじさんや、おばさんは?」  
「みんな、用事で今日は帰ってこない」  
「ふぅん」  
 操がトロンとした焦点の定まらない目つきで、ベッドに寝転がるカケルを見つめる。  
「だから、飲み物も食い物も何にも出てこなし面白いこともないから、さっさと自分の家に  
帰れ、酔っ払い」  
 手で虫を追い払うような仕草をして見せる。  
 
 だが、操を邪魔者扱いする態度とは裏腹にカケルの心臓は早鐘を打ち鳴らしたみたいに、  
無茶苦茶なビートを刻んでいた。それはそうだ、自分が昔から恋焦がれてきた女の子と  
家人のいない自宅のベッドの上で二人っきりなのだ。これでドキドキしなければ男ではない。  
勿論、幼い頃はこんなことぐ  
らい日常茶飯事だったが、さすがにこの歳でこのシチュエーションである。  
 平静を装うのに必死だったことと、一週間前に聞いたヒカルのあの言葉が脳裏を何度も  
過ぎりカケルの心は収拾がつかないぐらいに波立っていた。  
「冷たいねぇ……こんなに可愛い女の子がいるのに」  
「どこがだよ?」  
 寝転がったカケルが目を閉じて気持ちを落ち着かせようとした瞬間、操がカケルの腹の  
上に突如、馬乗りに跨ってくる。  
「な、何すんだよ!」  
 慌てて半身を起こそうとすると、無言のまま操が両手で胸の辺りを押さえつけたため、  
カケルの試みは失敗に終わる。  
「……操!?」  
 慌てたカケルに操の少し火照った顔が近づいてくる。  
 夜の猫のような真ん丸い操の瞳が放つ熱を帯びた視線にカケルの心臓は鷲掴みされる。  
半開きになった桜色の唇からはアルコール混じりの呼気が微かに漏れていた。互いの鼻先が  
今にも当たりそうな近さに、どうしていいものやらカケルは視線が定まらず目のやり場  
に困る。  
 寝転がったカケルに操の身体が覆いかぶさる格好になったせいで、彼女の胸の膨らみの  
柔らかな感触が嫌と言うほど伝わり、思わず目を背けたくなる。  
──近い、近すぎる。  
 幼い頃はプロレスごっこでよくじゃれ合っていたが、小学校四年生頃になると男女で  
あることを意識し始め、どちらともなく肉体的なふれ合いは避けるようになった。だから、  
こんなにも密着した状態にカケルは興奮よりも困惑を先に覚えた。  
「よ、酔っ払いはさっさと家に帰って寝ろって!」  
 緊張でカラカラに乾いた喉の奥から、何とか声を搾り出す。  
 だが、そんな声を余所に操は一段と深くカケルの瞳を覗き込む。  
「……あのね、カケル!あんたに訊きたいんだけど」  
「な、何だよ!?」  
「C組の留美ちゃんに告白されたでしょ?」  
──ど、どうしてお前がそれを知っているんだ。  
 確かに三日前、カケルは同じ学年の留美という女の子から告白された。校舎裏に  
呼び出された時は、いつもの如くヒカル宛のラブレターを託されるものだと彼は思っていた。  
今までの人生経験上、ウンザリするほど兄への恋文運送人に指名されてきた経験を持つ  
カケルにとって女の子からの校舎裏への呼び出しなど日常茶飯事。昔はあらぬ期待をもって  
出かけたものだが、異口同音に唱えられる「お兄さんにこれ、渡してください」という言葉が、  
次第にカケルから期待と緊張感を奪っていき、終いには何の感慨も起きなくなってしまった。  
 だから、留美という女の子から告白された時、カケルはこれが何かのドッキリか、それとも  
目の前の小柄な女の子に課せられた罰ゲームなのか、はたまた新手のヒカルへ近づく  
戦術なのかと勘ぐり、答えを保留していた。  
 
「……ああ。されたよ」  
「で、どうする気?」  
──どうするって?……俺は本当はお前が好き………  
「だけど、ライバルがヒカル兄じゃな」  
 ボソリと小声ながら、想いが口に出てしまった。  
「えっ?聞こえないよ、カケル」  
──ああ、聞こえなくていいの。  
 僅かな時間、目を伏せ考えを巡らせるカケル。  
「……からかわれているのでなければ、あんな可愛い女の子だったら願ったり適ったり  
だけど」  
 確かにカケルの目から見ても留美は可愛い女の子だ。評判を聞いても少し内気な性格を  
別にすれば、問題のなさそうな良い娘だった。別に付き合ってみても悪くない、自分にも  
やっと春が巡ってきたか、と思うとカケルは純粋に嬉しかった。  
 何より本気で誰かと男女の仲になれば自分の内側で燻る操への想いも断ち切れるのでは  
ないか、と彼は考えていた。  
「…………付き合うんだ?」  
「悪いかよ?」  
 相変わらず、操の顔は近いがその表情から彼女が何を考えているか、カケルには  
分らなかった。  
──コイツ、今酔っ払っているからな。  
 ギュッ。  
 胸に置かれた指先がカケルの服を引き裂かんばかりに、強く布地を握り締める。  
   
「ダメ………悪いよ」  
 
 操の口から漏れたのは意外な言葉だった。  
「な、何がダメなんだよ!?そんなの俺の勝手だろうが!」  
 照明の影になった操の顔が一瞬歪み、そして唇に落ちた柔らかな感触とともに視界が  
黒く覆われる。  
──お、おい!?  
 慌てて、両手で操の肩の当たりを掴んで引き剥がす。  
「酔っ払っているからって何してんだよ、操!」  
 小さい頃にふざけてキスしたことは何度かあったが、この歳になってのキスとは意味が  
違う。おまけに相手は酔っ払っている。こんなのを自分は望んでいない。  
 無意識にカケルが掴んだ操の肩は小刻みに震えていた。  
 
「…………誰にもカケルは渡さない!」  
   
 毅然とした口調で告げられた衝撃の発言に思わずカケルは目を丸くする。  
 操の言葉ははっきりと聞き取れた。だが、それが頭の中で意味を成さない。  
 
──何を言われたんだ?「渡さない」ってどういうことだよ?  
 混乱しているカケルの両腕から力が抜け、操の撫で肩を抑えるものはなくなった。彼女の  
身体がカケルの上に倒れこみ二人は抱き合うような格好になる。  
 豊満とは言えないが、程よく膨らんだ操の胸がカケルの胸板に押しつけられ潰れる。  
 その感触に気取られた瞬間、再び操はカケルの唇を奪う。  
「んっ!?」  
 今度は唇を重ねるだけでなく、舌を差し入れてきているではないか。カケルは思わず身を  
硬くする。ぬらぬらとした柔らかな舌先はカケルの唇の隙間から入り込んで、歯列に怖々と  
触れた。やがてそれは大胆な動きへと変わり口腔を蹂躙し、カケルの舌を絡め取って  
満足ゆくまで縺れ合わせる。  
 夢にも思わなかった甘い刺激にカケルの理性は焼き焦げるが、それが冷めたのは操が  
注ぎ込んできたアルコールの味が残る唾液だった。  
 酔った勢いで正気を失くして──よく聞く話。だが、そんなことで長い間、男女の仲を  
超えた信頼関係で結ばれた彼女、そして兄であるヒカルが愛する女の子を汚して良い筈が  
なかった。  
 正気に戻ったカケルは両手で操の頬を挟むと強引に彼女の唇を引き剥がす。二人の間を  
互いの唾液が混じりあった銀色の糸がツッと伸びる。  
「プハァッ!ゴ、ゴホゴホ。操、バカな真似はやめろ。酔っ払ったその頭冷やして、さっさと  
帰れって!」  
 カケルの両手を繊手で撥ね退け、操は再び唇を貪り合うように重ねる。  
──やめろ!それ以上、やると俺も抑えが……効かなくなる…  
 息が続く限りキスを止めようとしない操のもたらす刺激でカケルは自分の下半身に熱が  
集まっていくのが分った。  
「……留美ちゃんと付き合わないで」  
「お前には関係ない話だろうが!」  
 ドン!  
 勢い良くカケルの胸に操の両手が掌打の要領で突き落ろされる。  
「……グッ?」  
「関係なく…………ないよ」  
 俯いた操の表情は柔らかな黒髪に隠されて伺いしれなくなる。  
 一方、彼女の掌底で息が詰まり目の前を星がちらつくカケルは呼吸を取り戻すのに  
精一杯で、馬乗りになった彼女の表情を伺う余裕はない。  
「はっ…はっ…はっ…」  
 ようやく息ができるようになったカケルが見たものは、腰を上げて淡いピンク色の  
ショーツを脱ぎ捨てた操の姿だった。  
「な、な、お前、何してんだよ!!」  
「繋ぎたい……カケルがどこにも行かないように」  
 再びカケルの上に馬乗りになると、操はカケルの股間をジャージの上から摩る。  
「……カケルのも大きくなってる」  
「止めろって!これ以上は!」  
 
 さっきまで、ですら暴発しそうなぐらいに膨らんでいたペニスが想いを寄せる人の愛撫を受け、  
今にも張り裂けんばかりに怒張している。  
「もう、良いよね?」  
 問いかけ──というには、あまりに一方的だった。  
 カケルの穿いていたジャージのゴムに操の細っそりとした白い指が掛かると下着ごと一気に  
ズリ降ろされ、屹立した太い血管の浮き出た剛直が露になる。  
「やめろ!!!」  
 絶叫が部屋の空気を震わせて、操の身体を一瞬固まらせる。  
「もう、やめろ。操、これ以上は冗談じゃすまないんだぞ!」  
「冗談のつもりなんてない……」  
「もし、お前が留美って娘と俺が付き合うのが気に食わないのなら俺は付き合わない。  
これで満足したか?」  
──そうだ、諍いの始まりはこの話題だった筈だ。ここさえ……  
 だが、操はゆっくりと首を振る。焦燥感に駆られたカケルはふと一週間前の兄の告白を  
思い起こす。  
「あのなぁ、操!……そうだ、聞け、操!」  
 言いたくはなかった。だが、この状況を打開するには、話題を切り替えて操の意識を  
別のところに持っていくしかない。  
「……ヒカル兄が…………お前のことを好きだってさ……だから酔っ払って早まった真似を  
するのはやめろ!!」  
──敵に塩を送っちまった。とは言え、酔っ払った勢いでヤラれてはこっちも堪らない。  
後で、ヒカル兄に何言われるか分かったものじゃないしな。それに、俺はヒカル兄のことを  
敵と言えるほど大層な身分じゃないし。操だって、俺なんかよりヒカル兄の方が……。  
 これでこの馬鹿げたことは終わる──そう、カケルは期待した。  
 しかし、操は滅多に見せない感情の籠もらない冷たい視線でカケルを見下ろしていた。  
 
「……カケル…分ってない」  
 
 ボソリと告げると彼女はカケルの剛直を鷲掴みにし、その上に自分の秘所を宛がう。  
「…んっ…んぁ」  
「や、止めろ!操、聞こえなかったのかよ!お前、俺の話聞いていたのかよ!?ヒカル兄は  
お前のことが好きなんだぞ!」  
「そんな大声出さなくても聞こえているよ、カケル」  
 少し低い悲しげな声が操の白い喉から絞り出された。  
「だったら、何で!?」  
「そっちこそ、どうして分らないの?」  
 秘所のとば口にカケルの先端が埋まる。  
「お、おい!」  
 そこから先は、操が強引に腰を落としたせいで一気に入り込んだ。途中、何かに突き  
当たったが、自分の意思ではどうしようもないままに突き破ってしまった。  
 
「……っ痛ぅぅぅ…」  
 操が瞳を閉じ、唇を噛み締め、痛みに顔を歪めている。  
「み、操!?」  
 慌てて上半身を起こそうとしたカケルの胸を操が突き飛ばす。  
「動かないで!!……お、お願い…」  
 弱弱しく痛々しい声に、カケルは頷くことしかできなかった。  
「…は、初めてか?」  
 カラカラに乾いた喉から出てきたのは不躾な質問だった。  
 痛みを堪えて俯いた操の頭が小さく縦に動く。  
「なら、どうして、こんなバカなことを!?」  
 
「好き……」  
 
「へっ!?」  
「好きなの、カケルの事が。だから……留美ちゃんが告白したって聞いた時、居ても立っても  
いられなくなって……確かめないと…って…」  
──う、嘘だろ!?操が俺のことを好き?これってあれか、酒の力なのか?  
「お酒……関係ないから。勢いが欲しくて飲んじゃったけど……ずっと正気だから勘違い  
しないで……酔っ払ったフリしてただけ」  
 初めて操が頬を緩め微笑んでいた。  
 ふと、二人の結合部をカケルが見ると、経血が操の白い太腿を筋上に辿ってカケルの  
身体にも付着していた。その様子は痛々しい。  
「勇気……なかったのよね、私。ずっと、側に居て誰よりもカケルのこと知っていて誰よりも  
カケルのことが好きだったのに…………」  
 途中で言葉に詰り、操は噛み殺した嗚咽を漏らす。それをカケルは呆然と聞くことしか  
できなかった。  
 
「だから……カケルがどこにも行かないように繋ぐの。いいえ、それだけじゃない……  
刻み込みたい…………私の身体にカケルを」  
 
 眉根を寄せて決意を固めた操がゆっくりと腰を前後に動かし始める。熱しきった膣の中で  
シェイキングされる感触は自慰ではとても得られないほどに甘美な刺激をカケルは感じていた。  
「…っ……くっ…き、気持ちいい…カケル?」  
 やはり痛みが残っているのだろう──痛苦に表情を歪めながらも操は慈愛に満ちた声で  
カケルに問い掛ける。もう既に理性が焼ききれる寸前のカケルは欲望の赴くままに頷くしかなかった。  
「フフ。そう、嬉しい…っう…ぅぅ」  
 操の中は痛いほどにきつく締まり、カケルの剛直を締め上げる。絡みつく襞は初めて  
受け入れる異物に戸惑いながらもサワサワと愛する男のモノを撫で上げる。  
 
「……くっ…操…」  
 あまりの刺激で快楽の波に溺れたカケルの口から思わず漏れた自分の名前を耳にした  
操は嬉しそうに笑うが、すぐにその表情が翳る。  
「ゴメン……ゴメンね…カケル」  
 その言葉にカケルはハッと正気に返る。  
「カケル……カケル……嫌いにならないで……嫌いにならないで……」  
 前後していた腰の動きは、今は上下に変わりその動きに合わせ操のショートヘアが  
軽やかに揺れる。時折、彼女の目の端からキラキラと輝く飛沫が舞い散る。  
──泣いているのか!?  
 自分の昂ぶりもそろそろ限界に近い中、操の様子にカケルは戸惑いを覚えた。  
「な、何でお前が泣くんだよ!?」  
「…んっ…ぁぁ…お願い……嫌わないで…許して…」  
 うわ言のように鼻声で繰り返す操がとても愛おしくなって、カケルは半身を起こし  
彼女の細い腰に手を回し抱き締める。   
「カケル?」  
 
「操、俺もお前のことが好きだ。好きだから、そんな悲しい声出すなよ」  
 
 円らな瞳をこれ以上ないぐらいに見開いた操に唇を重ね、カケルは自分から腰を使ってみる。  
重ねた唇の端から、操の心地よさそうな甘い吐息が漏れる。  
「…んっ…うぅん……あっ…」  
 操は目を細め、安堵と歓喜が入り混じった幸せそうな表情でカケルが与える熱い刺激に  
身も心も委ねた。  
 二人の動きが昂ぶりに合わせて徐々にに激しいものとなり、それが最高潮に達した時、  
カケルが迸るものを操の体内に解き放ち、二人は抱き合ったままベッドに倒れこんだ。  
 
 ◆ ◇ ◆  
 
「いつから?」  
「えっ?」「私のこと好きになったの、いつから?」  
 改めて問われるとカケルは思い出せない。  
「……思い出せないぐらい昔から」  
 タオルケットを捲って身を乗り出してきた操の白い裸身にカケルは目を奪われる。あれから  
二度も愛し合いあったと言うのにカケルは自分の下半身が熱くなるのを覚える。  
「ふうん。どうして言ってくれなかったの?」  
「いや、その恥ずかしかったのと…………お前がずっとヒカル兄のことが好きだと思っていた。  
それこそ、今日の今日まで」  
 カケルは熱っぽくこちらを見つめる操から視線を外す。こうやって間近で見られると、  
見慣れているはずなのに心臓が勝手にバクバクと唸り出す。  
「……そっか」  
 
「だって、考えても見ろよ。ヒカル兄は目茶苦茶モテるし、成績だって俺と比べ物に  
ならないぐらい優秀だし、スポーツだって……」  
「でも、カケルの方が良い所もあるよ」  
「……俺の方が?」  
 真剣に考えてみるがまるで思いつかない。兄のヒカルと比べること自体がおこがましい  
ほどに、自分はちっぽけな人間だと思う。それこそ月とスッポンという言葉が相応しい  
兄弟だ。  
「うん……カケルは優しいのよ。優しすぎるぐらい」  
「優しい?お前と喧嘩ばかりしている俺が優しいって、何か間違ってないか?」  
 操は静かに首を振って、カケルの言葉を否定する。  
「違うよ。カケルはいつも自分のことは後回しにして、周りの人の都合に付き合ってきた  
でしょ。例え相手がヒカル兄でも変わってなかった。だから、周りの人は気づかないかも  
しれないけど、カケルがいるお陰で色々なことがうまく行っているのよ」  
──よく分らないけど、そうかも知れない。どちらかという俺は自己主張の激しい人間で  
はない。逆に言えば周りに流されやすいのかも知れない。いずれにせよ、自分がどうしても  
ダメなこと以外は他人の意見を尊重しているのは事実だ。そちらの方が面倒が少なくて  
済む。  
「だけど、カケルって、私の前だけでは色んなこと正直に話してくれる。多分、ヒカル兄  
より、私の方が本当のカケルを分っていると思う。それって、何だか私だけ特別扱いして  
もらっているみたいで嬉しかった。大体、カケルの喧嘩相手なんて私ぐらいでしょ?」  
 言われてみればその通りだと思いカケルは同意の証に頷く。ヒカルとは差があり過ぎて、  
喧嘩する気も起きない。でも、操となら気兼ねなく遣り合える。  
「だから、私好きになったの。何か特別って扱われると女の子はキュンとなるのよ、フフフ」  
 嬉しそうに顔を綻ばせる操。  
「ところで、あの貸した本読んだ?」  
 唐突に話題が変わって付いていけなかったカケルは一瞬固まる。机の上の本のことを  
思い出して慌てて答える。  
「ああ、あれか。もうすぐ読み終わるから」  
「そっか……やっぱりあんな本くらいで、襲ってもらおうなんて甘い考えだったわね」  
 何だかブツブツと恐ろしいことを操は呟いている。  
 カケルは聞かないフリを決め込み、操の白くてほっそりとした二の腕に指を滑らせながら  
ボンヤリとこの事実をどうヒカルに説明しようかと考えていた。  
   
(了)  
 

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