夜の帳が下りた暗闇の中で、少女は青年を見上げてねだった。  
『ねぇ、わたくしが大人になればお嫁さんにしてくださいますか?』  
 少女はしきりに気を引こうと服の裾を引っ張り声をかけたが、蒼白い肌の青年は茫洋と  
した表情のまま、その様子を見つめるだけで何も答えない。  
 その青年が右の薬指に嵌めたくすんだ金色の指輪に気づいた少女はこう望んだ。  
   
『その時は、あなたのその指輪をわたくしにください』  
 
 ◆ ◇ ◆  
 
 ロッテンベルグ家の三女、リヨンヌは婚礼の儀を明日に控え、緊張した面持ちで両親の  
前を辞し自室へと戻った。この国の貴族の間では、結婚する男女それぞれの実家で  
婚礼の式典を行うことが慣習である。  
 この屋敷で過ごすのは今日が最後、と思うと否が応にも彼女の心は重くなった。夫となる  
人間は遠く離れたどこぞの領主の次男とリヨンヌは聞いている。話したことも見たこともない  
男性との縁組──貴族の女の宿命とは言え、リヨンヌはやり切れないものを感じていた。  
──人生で一度くらい自分の選んだ男性と……恋に落ちてみたかったわ。  
 今となっては叶わぬ願いと知りながらも”恋する”ことを知ってみたいと、若く美しい娘は  
望んでいた。  
 昼間は結い上げている蜂蜜色の見事な髪も、湯浴び後の今は腰に絡みつくように  
垂らされている。リヨンヌが薄い夜着に着替えると男を悩ませずにはいられない身体のラインが  
くっきりと現れ、美しさに加え艶めかしさすら漂う。窓辺に佇みボンヤリと月を眺める彼女の  
エメラルド色の大きな瞳は”ロッテンベルグの宝石”と呼ばれていた。  
 もし誰かと恋に落ちることができるなら、と彼女は円らな瞳を閉じ思いに馳せた。  
──あのハンサムなアルベルグ卿かしら。それともわたくしでは身分不相応ですが、ノイマン様や  
ホランズ子爵かしら……。  
 舞踏会や幾つかのパーティーで出会った男性の顔や声を思い浮かべるが、どの人物に  
対して抱く感情も恋と呼ぶには少し違って感じられた。  
「……やっぱり、わたくしには縁遠いものでしたのね」  
 己の運命を甘受したかのような苦笑いを浮かべた彼女は、窓を閉め鍵を下ろす。  
 やがて、唯一の光源である月が雲間に隠れ部屋が暗闇に包まれた時、彼女の脳裏に突如、  
囁き声が木霊した。  
 
『……こんなもので良いのか?』   
 
──えっ?こ、この声は……。  
  それは、リヨンヌが幼い頃から何度も繰り返し見る夢に現れる男の声だった。  
 決まって登場する男は背が高く黒いコートを纏っている。夢の中のリヨンヌは子供であり  
長身の男の顔を見上げても、靄がかかったかのようにハッキリと目鼻立ちを見て取ることが  
できない。  
 
 しかし、その声だけで彼女は心が掻き立てられ、身体が熱くなる。  
 
「な、何かしら?この感じ」  
   
 ◆ ◇ ◆  
 
 開いた窓から差し込む月明かりに、撫で付けた漆黒の総髪と蒼白い肌が浮かび上がる。  
リヨンヌが月を愛でていた頃、彼女の屋敷から遠く離れた古い洋館で長身痩躯の男は  
目覚めた。寝所から立ち上がった男の身を包んだ黒いケープコートが、開いた窓から吹き込む  
生暖かい風で翻る。頬に当たる温い風に心地良さそうに笑った男の名をシュナイデンといった。  
月光を恍惚と見つめるその双眸は赤々と輝き、紅を引いたような唇の端からと突き出た  
乱杭歯が、彼が人ならざる存在であることを如実に語っている。  
 吸血鬼──彼と彼の同族はそう呼ばれている。人間の生き血を吸うことで、永遠とも  
言える時間を生きることができる闇の眷属。彼らに備わった数々の特殊な能力は、この  
地上で太刀打ちできるものがいないほどに秀でている。選ばれた高貴なる存在──多くの  
吸血鬼は自分たちをそう捉えている。   
 眠りから覚めたシュナイデンは、雲が月を覆い隠そうとする様を眺めている。  
「……明日か」  
 おもむろに口を開いた彼は誰に聞かせるともなく呟いた。瞑想する行者の如くシュナイデンは  
爛々と輝く赤い瞳に瞼を下ろし、暫し黙考に耽ける。  
 二日前、街へ”食事”に出かけた時のこと、腐臭の溢れる酒場から聞こえてきた粗野な  
人間どもの話に立ち止まり耳を傾けた。普段は人間の会話などには気にも留めない。しかし、  
彼らの話題──領主の娘であるリヨンヌの婚礼が三日後の正午に盛大に執り行なわれる  
ということ──がシュナイデンの興味を引いた。  
 彼は片時も忘れたことのない記憶をそっとなぞる。もう決して新しくはないが、今も色褪せる  
ことなく鮮明に思い起こすことができる。その記憶を思い返す度に、シュナイデンの心は  
締め付けられるように痛む。その痛みが一体何を意味するのかはシュナイデン自身には  
分からないものの、やるべきことはハッキリとしていた。  
 灯り一つともらないひっそりとした洋館の一室で、見開いたシュナイデンの紅玉の瞳には  
決意の光が宿っていた。  
──約束……か。吸血鬼が人間と約束を交わすなど聞いたことがないが……。  
 苦笑を浮かべた彼がコートの裾をはためかせた瞬間、長身痩躯の青白い姿はその場から  
消え去った。代わりに真っ黒な霧が突如として現れ、窓から吹き込む風に流されることもなく  
その場に漂う。やがて、中空に不自然に浮かんだその霧は意志を有するが如く寄り集まり、  
巨大な飛膜を持った漆黒の蝙蝠を形作る。  
 そして、それは開いた窓から音もなく夜の闇へと飛び出していった。  
 
 ◆ ◇ ◆  
 
 カタカタ……カタカタ  
 寝つきに入る前のまどろみの中で、リヨンヌはその音を聞いた。  
 
 彼女の部屋は屋敷の最上階に位置し外部から侵入することは不可能であり、保安面の  
心配はない。それゆえ、その物音を風で窓枠が揺れているせいだと思い、彼女は特に  
気にも留めることなく布団に包まったまま夢の中に落ちようとしていた。  
 
 バタン!  
 
 突如、室内に響いた窓の開く音にリヨンヌの眠気は一気に覚め、美しいエメラルド色の  
瞳が見開かれる。施錠したはずの両開きの窓が勢いよく開け放たれ、生暖かい風が一気に  
室内に吹き込む。それに煽られ、レースのカーテンが音を立てて勢いよく舞い上がる。思わぬ  
事態に気が動転したリヨンヌは掛け布団を手繰り寄せ覆い被る。  
──嘘!か、鍵は掛けたはずよ!?  
「鍵?……鍵如きが何だというのだ?」  
 凛とした低い声がリヨンヌの耳に突き刺さった。  
「ど、どなたですか!」  
 恐る恐る被っていた布団を下げ、暗闇の中で目を凝らすが人の気配はない。  
 気丈にも寝台から立ち上がったリヨンヌが窓辺に一、二歩と歩み寄った瞬間、突如として  
そこに闇色に塗り込められた人影が現れた。  
「…!?きゃ………」  
 悲鳴を上げようとして口を大きく開けた瞬間、彼女は言葉を忘れたかのように押し黙って  
しまった──いや、正しくは黙らされてしまったのだ。   
 目の前の黒い人影の頭部に光る二つの真紅の輝きが、リヨンヌの身体から自由を奪う。  
「リヨンヌ=ロッテンベルグだな?」  
 問い掛けられたリヨンヌはただ頷くことしかできなかった。  
「ふむ。美しい娘になったものだ……あの幼子がな」  
 漆黒の影がクスクスと小声で笑う様に、リヨンヌの背筋を今まで感じたことのない激しい  
悪寒が走り抜けた。  
──ば、化け物!?  
 屋敷の四階にあるリヨンヌの私室に窓から入り込むことは建物の構造上、人間には  
不可能だ。必然的に目の前の影は人外のものとしか考えられない。人外のもの、つまり  
化け物と言えば人を喰らう、と昔から相場は決まっている。  
 頭を駆け巡る思考の帰結のあまりの恐ろしさに腰が抜けそうになる。しかし、影の瞳から  
放たれる赤い光の束縛は、リヨンヌが倒れることすら許さない。  
「シュナイデン……余の名前をよもや忘れておるまいな?」  
「……シュナイデン?」  
 唯一自由に動く顔の筋肉で怪訝な表情を作る。  
「たかだか十年前のことだぞ……覚えておらぬと申すか?」  
──十年……わたくしが生きてきた年数の三分の二近くではありませんか?  
 リヨンヌの思いとは裏腹に、シュナイデン達──吸血鬼が生きる永遠の刻の中では十年  
などほんの数秒前と大差ないのである。  
 
「まあ、よかろう。あの日のお前の望み、叶えてやることにしよう」  
 シュナイデンの言葉にリヨンヌは困惑した。  
──望み?望みとは何?わたくしがこの化け物に何を望んだというの?  
 立ち竦んだリヨンヌの瞳に、雲の切れ間から気紛れに顔を覗かせる月に照らし出された  
黒衣の美丈夫が映った。  
 撫でつけられた闇よりも深い黒髪、細く吊り上った眉、先程からリヨンヌを見つめる紅玉  
の瞳、高く尖った鼻と赤く濡れた唇──まるで絵画の中から抜け出してきたような男が  
そこに立っている。難を言えば、こけた頬と蒼白の肌が病的な印象を見るものに与えるが、  
それを差し引いてあまりある端正な相貌だった。  
 その美しい鬼がリヨンヌに歩み寄る。  
「……ひっ!」  
 喉から搾り出したその声は情けないほどに弱々しくか細かった。反射的にこの場から  
逃げ出そうとしたが、脚や手は意志に反して固まり、もがくことすらできない。  
 ガタガタと震えの止まらないリヨンヌの身体がシュナイデンに抱きすくめられる。  
 声はもう出なかった──代わりに目の端から、涙の雫が零れ白い頬を伝った。  
──あ、ああ……。  
 短い人生が走馬灯のようにリヨンヌの頭を駆け巡る。婚礼の儀の前日に、化け物に  
喰われた花嫁としてきっと自分の名前は残るに違いない──そんなことを思いながら  
彼女は瞼を閉ざした。  
 しかし、彼女が感じたのは肌と肉を食い破る痛みではなく、額に掛かった髪を払う  
シュナイデンの指先のヒンヤリとした冷たさであった。彼はリヨンヌの洗い立ての髪を  
冷たい指先で梳きおろす。  
──な、何?ど、どうしたというのです!?  
 戸惑う彼女が次に味わったのは、唇に落とされた冷たく柔らかい奇妙な感触だった。  
何が何だか分からないリヨンヌは固く閉じた瞳を開き呆然とシュナイデンの顔を見つめる。  
 だが、彼の表情に感情の色は伺えない。それがリヨンヌの恐怖を助長した。リヨンヌは  
自分の理性を──意識を──手放してしまいたかった。発狂して、このままこの訳の  
分からない恐怖から逃れることができればどれだけ楽か、彼女は幾度もそう思った。  
 数度シュナイデンの唇がリヨンヌと重なり、やがて吸血鬼の舌がリヨンヌの口内へと  
侵入してくる。シュナイデンは蛇のように舌を這い回らせ思う存分、相手の口腔を蹂躙した。  
 その間にリヨンヌの寝着は剥ぎ取られ、浮き出た鎖骨と白磁のような滑らかな肌、  
そして今宵の月のように丸くたわわな乳房が露わになっていた。  
 ここに到って、リヨンヌは自分の感じていた恐怖が誤りであったことに気づく。  
──この化け物はわたくしを食べるよりも先に純潔を奪うつもり……だわ。  
 シュナイデンの唇が離れ、彼女の首筋に軽く吸い付くと呪縛は微かに緩んだ。吸血鬼の  
瞳術は直視している間がもっとも効力が強く、視線が外れると徐々に自由は回復する。  
その微かな自由にリヨンヌは喜んで飛びつき、吸血鬼の腕の中から逃げ出そうと身を捩らせた。  
 瞬間、凄まじい激痛が彼女の身体を駆け巡る。背中に回されたシュナインデンの細腕が  
組み合わされ、リヨンヌの華奢な肢体を押さえつけるかのように抱きしめたのだ。それに  
よって生み出された全身の骨という骨を粉々に砕かれるかのような痛苦が、彼女から  
抵抗の意志を奪う。  
 
 吸血鬼狩人たちが最も畏怖する吸血鬼の能力──それは不死身の肉体でも、  
瞳術でも数々の魔術でもない。それらには得てして対抗策があるものだ。しかし、  
人間や魔獣を遥かに凌ぐ吸血鬼達の腕力に対抗策は存在しない。単純にして  
圧倒的な物理的能力こそが、吸血鬼を知るもの達の最も怖れる能力なのである。  
 あまりの痛みにリヨンヌの全身から力が抜け、そのままシュナイデンにしな垂れかかる  
しかなかった。  
「痛めつける趣味はない……大人しくしろ」  
 吸血鬼の腕の中という最も危険な檻に囚われた人間の女はただ頷くことしか  
できなかった。リヨンヌを抱きかかえたまま寝台に倒れ込み、その上に覆いかぶさった  
シュナイデンが着衣を脱ぎ捨てる。無駄な贅肉は一切なく引き締められた針金の  
ような肉体は、生まれてこの方一度も陽の光を浴びたことがない。  
 男が衣服を脱ぎ捨てたことで、リヨンヌは”犯される”ということが逃れ得ない  
事実であることを悟り、悲痛のあまり顔を歪める。  
「お前が望んだのだぞ、何故、余を嫌悪する?」  
──何を言っているのかしら、この化け物は?  
 冷笑を浮かべる目の前の男の言葉に、リヨンヌは言い知れぬ奇妙さを感じた。  
それが何か、彼女には分からない。しかし、少なくとも目の前の化け物はリヨンヌを  
乱暴に扱うつもりはないらしいことだけは分かった。その証拠に、シュナイデンと名乗った  
化け物はリヨンヌの全身を優しく愛撫し続けた。まるで彼女が悦び出すのを待つかのように。  
 その全身を這う掌のもたらす心地よい感触に溺れまいと唇を噛み締めながら、  
リヨンヌは自分を襲う化け物のことをボンヤリと考えた。  
──この男……ではなくこの化け物は、さっきからわたくしのことを知っているような  
口ぶりですが、化け物特有の巧妙な嘘なのでしょうか、それとも本当にどこかで  
会ったことがあるのかしら?それに一体、何の目的でこんなことを……。  
「……シュ、シュナイデン?」  
 寝台に横たわったリヨンヌの固く閉じた両脚の僅かな隙間に手を滑り込ませ、  
下腹部を丹念に撫で上げていたシュナイデンが突然の呼びかけに顔を上げる。  
「どうした?」  
「わたくしはあなたにどこかでお目にかかっていますか?」  
 か細い声で必死に絞り出したその言葉を聞いたシュナイデンは柳眉を顰める。  
「覚えておらんとは軽んじられたものだな。つくづく人間というヤツは」  
 彼の呆れ声にリヨンヌは奇妙にも親しみを感じた。  
 しかし、冷たい指先がリヨンヌの熱を帯び潤み切った秘所を撫ぜた瞬間、そんな思いは  
どこかへ押し流されてしまう。指が彼女の花弁を擦るたびに、痺れに似た不思議な甘い  
感覚が全身へと広がる。  
 閉ざした脚も快楽を求めて、知らず知らずのうちに緩んでいってしまう。リヨンヌが自分で  
慰める時の稚拙で性急な指の動きとは違い、シュナイデンのそれは巧みに彼女を昂ぶらせる。  
与えられる刺激は彼女の全身を震わせるほどの快感へと変化していく。  
 
 しかし、リヨンヌは口を堅く引き締め、零れそうになる言葉にならない吐息を噛み殺す.。  
声を漏らせば自分の内側で必死に解放を求めてもがく何かに溺れてしまいそうだったからだ。  
そんな彼女の頑なな意志を突き崩すかのようなシュナイデンの指使いに、堪えきれなく  
なった花芯からは蜜が次々に溢れ出る。  
「ふむ。これだけ濡れておれば充分か」  
 シュナイデンが呟いたその言葉が何を意味するのか、リヨンヌには分からない。ボンヤリと  
波立つ心と体の疼きに思考能力を奪われていたのだ。吸血鬼の両手がリヨンヌの脚にかかり、  
秘所が晒され初めて、本能的に危機を察した彼女は、喉の奥から悲鳴を上げる。  
「きゃぁ……い、イヤ……イヤぁぁあ」  
 だが、その叫びを耳にしてもシュナイデンは躊躇いを見せることもなく、己の硬直した  
一部をリヨンヌの花芯に宛がい一気に埋めた。次の瞬間、リヨンヌは体を引き裂くが如き  
激しい痛みに悶える。  
「……ぁあぁ…いた、痛い……ぁぁうぅ」  
 激痛に眉を顰め、顔を歪めた彼女は吸血鬼によって貫かれていた。  
「あ…ぅぅぅくっ…い、痛い……痛い…ぁぁ」  
 異物を受け入れたことのないリヨンヌの内側は固く引き締まり、シュナイデンの冷たい  
性器を拒絶していた。それを察してか、一端、シュナイデンはペニスをゆっくりと引き抜き、  
リヨンヌの蜜と喪失の血が混ざり合った己の性器を無言で見つめる。やがて彼は寝台に  
伏せると、リヨンヌの内腿を伝う紅い純潔の証である血を舌先で舐め取った。  
「中々に美味だが、惜しむらく量が少ない……」  
 極上のワインを味わうソムリエの如き表情でシュナイデンはリヨンヌの純潔の証である血を  
味わった。新鮮なその味わいにシュナイデンは満足したが喉を潤せる量ではなく、賞味する  
程度でしかないことを惜しんだ。  
「しかし、これでなくては生きていけぬということもないからな」  
 リヨンヌは恐怖と痛みに苛まれながら、シュナイデンの奇妙な行為をぼんやりと見つめて  
いた。だが、再び吸血鬼の硬い先端が自分のとば口に押し当てられると、先程の  
激痛を思い起したのか、半狂乱の態で暴れた。  
「いや、いや、いやぁぁ!!!」  
 嫌がるリヨンヌに呆れ顔のシュナイデンは再びあの瞳術を使い、彼女の自由を奪った。  
「い……い、いやぁ……ぁぁ……い……や……ぁぁ」  
「おかしな奴だ。これがお前の望んだ人間の契りであろう?」  
 小さな声でシュナイデンは呟いたが、慄くリヨンヌには届かない。  
 彼女の抵抗も虚しく、再びリヨンヌはシュナイデンの侵入を許した。  
──いや、いや、もう痛いのは嫌!!  
 彼女は動かぬ身体に歯噛みしながら、襲ってくるはずの痛みに備えた。  
 だが、結果は拍子抜けするものだった。痛みというよりも痺れに近い刺激がシュナイデンの  
緩慢な速度の挿入に合わせて、入り口から奥へと走る。  
「……ぁぁ…い……やぁ…んっっ」  
 口からは拒絶の言葉に入り混じって断続的に甘い吐息を零したものの、リヨンヌは眉を  
顰め必死に湧き上がってくる感情を押し殺した。  
──わたくしは汚されている……だから、悦びなど………あ、あるはずがないわ。  
 
 打ち付けられた楔によってリヨンヌの内側は割開かれ、突かれ、抉られた。その度に  
喪失の血と彼女自身から溢れ出した愛液が混ざり合い淫靡な音を立てる。その音と半開きの  
唇から洩れる微かな嬌声に流されそうになりながらもリヨンヌはありったけの理性を動員して、  
首を振り続け嫌がる素振りを示す。  
 シュナイデンは困ったように溜め息を吐くと組み敷いたリヨンヌに問い掛けた。  
「お前が望んだことだぞ?」  
「…んぁあっ…ち、違い……ま……す」  
 微かに残った彼女の理性が言葉を紡ぎ出す。  
「……やはり、所詮は人間……いや、余が所詮は吸血鬼というところか」  
 やがて、自嘲により口元を歪めたシュナイデンの表情が強張り、リヨンヌの内側に埋まった  
ものが大きく膨張する。  
「そろそろ、終わりにする」  
 最後に深く深くリヨンヌの膣の奥へ突き込むと、そこでシュナイデンは吸血鬼の精を吐き  
出した。冷たい性器とは対照的にリヨンヌの内側へ注ぎ込まれた精液は熱を帯びていた。  
全てを注ぎ込んだシュナイデンは寝台の脇に立ち、横たわるリヨンヌを見下ろす。あまりの  
ショックで彼女はうわ言を呟き、身体は瘧にかかったように震えていた。   
──婚礼を控え、純潔を化け物に奪われた……。  
 恐怖、痛み、怒り、悲しみ、ありとあらゆるものがリヨンヌの内側で綯い交ぜになり、  
悲嘆に暮れた彼女は正気をどこかへ放り出した。それを物語っていたのが”ロッテンベルグの  
宝石”と称されたあのエメラルドの生き生きとした瞳が、死んだ魚のそれのように変わり  
果てていたことだ。  
 その彼女から視線を外したシュナイデンが指を鳴らすと、どこからともなく黒い霧が現れ  
彼の蒼白い裸身を覆う。やがて、それは彼が部屋に侵入した時に纏っていた闇色の  
ケープコートへと変貌した。  
 
 ◆ ◇ ◆  
 
「これも今となっては無用の長物だとは思うが、一応は約束だ」  
 シュナイデンは右の薬指に嵌めた指輪を外し、虚ろな眼差しのリヨンヌの鼻先にそれを  
置いた。  
「人間の戯言を真に受けるなど…………余も愚かしいことをしたものだ」  
 溜め息とともに吐き捨てたシュナイデンの表情には、自らに対する嘲りが如実に  
浮かんでいた。そして、その視線の先には月明かりに照らし出されたリヨンヌの白い裸身が  
あった。幼子と取り交わした約束を守ろうなど──今、考えてみれば吸血鬼にあるまじき  
浅はかな行為だ、とシュナイデンは後悔した。  
「……そう云えば、嫁入りの身だったな」  
 黒いコートを再び纏ったシュナイデンは、思案顔で寝台に音もなく歩み寄った。  
 犯されたショックで未だに茫然自失のリヨンヌはボンヤリと定まらぬ視線で白いシーツの  
上に置かれた指輪を見つめていた。  
 
「純潔でなければ、お前も何かと困ろう」  
 そう告げると彼は自分の右腕に牙を立て、小さな傷をつけた。そこから、真紅の液体が手を  
伝い指先からシーツの上にポタリポタリと滴った。  
「再びお前を生娘に戻すことなど、余にとっては造作もないことだ。安心するが良い」  
 自分の血を飲ませるために、背を向けて横たわったリヨンヌの肩を掴み、仰向けに引き  
起こす。その時、彼女は初めて目の端を流れる光景の中で、簡素な細工を施したくすんだ  
金色の指輪に気がついた。  
──こ、これは!?  
 自らの意思でリヨンヌは震える手を伸ばし、その指輪を掴んだ。  
「……ゆ、夢で見る……指輪?」  
 途端に記憶の扉が開かれたかのように、何度も夢に見た光景が一気に湧き上がってくる。  
夢の中の自分が見上げる茫洋とした男の顔──その顔に掛かっていた靄が晴れ、蒼白い  
ながら凛とした面立ちは神々しいまでに美しい、それはまさに先程まで自分を犯していたシ  
ュナイデンそのものであった。夢の最後には決まって、幼いリヨンヌがシュナイデンに『お嫁に  
なる証として身につけている指輪が欲しい』と我が儘を言うのだ。  
 その指輪が今、目の前にある。  
「夢?夢だと?……お前はあれを夢だと思っていたのか?」  
 その瞬間、シュナイデンが血濡れた指先で顔を覆い、くぐもった笑いを漏らす。  
「フハハハ……俺は何という道化だ……ククク、とんだ道化だ」  
 その声は笑いとは裏腹にどこか哀愁さえ感じられる。  
「……あなたは、夢では……わたくしの夢の中の御方ではないのですか……」  
 正気に戻りコートの裾に縋りつくリヨンヌを見下ろしたシュナイデンはゆっくりと首を振った。  
「……余は十年前、幼子のお前と約束を交わした……お前が大きくなったら我が妻として  
迎え、その指輪を与えると。それを果たしに来た」  
「あ……そ、そんな……あぁぁ」  
 込み上げてくる想いのあまりの多さに、なかなか言葉がみつからない。それでも、彼女は  
シーツをキュッと握り締め、想いの丈を呻くように搾り出した。  
「あれは一夜の夢ではなく……現実なのですね。あなたは……わたくしを本当に迎えに……」  
 その言葉にシュナイデンは小さく頷く。その姿にリヨンヌは心苦しくなり俯いてしまう。そして、  
彼女の瞳の端から熱い涙が頬を滑り落ちていく。  
「それでは……わたくしは何といたらないことを……」  
 罪悪感に打ち震えるリヨンヌの姿を暫し無表情に見つめていたシュナイデンがおもむろに  
口を開く。  
「……夢であろうと、記憶であろうと大した差はあるまい。いずれにしろ、お前もあの約束を  
忘れてはいなかったのだ」  
 その瞬間、リヨンヌの目にはシュナイデンが微笑んだように映った。  
 
 そして、その時、彼女は分かった。  
 
──この人だ……この人こそ……わたくしの恋焦がれていた御方……。  
 
 上体を起こし前屈みに座り込んだリヨンヌの体が震え、豊かな白い乳房が揺れた。  
純潔の血とシュナイデンの傷口から染み出た血の跡が残るシーツに感極まったリヨンヌの  
頬を伝う涙が落ちると同時に、彼女の口から言葉が溢れ出る。  
「先程までの失礼をお許しください。あなたにお会いできる日を……待ち望んでおりました……」  
 嘘ではない。彼女は誰とも知らぬ青年に恋に落ちていた。その相手を夢の産物だと  
思い込んでいたために、リヨンヌは自分の抱いた感情が──幼子の自分が抱いていた  
感情が──恋であるとは気づかなかっただけなのだ。現実に目の前にその男が現れたことで  
心はどうしようもなく熱くなり、鼓動は早鐘を打ち鳴らすかのように高まり、自分が遠い昔から  
恋焦がれることを知っていたのだ、とリヨンヌは初めて気がついた。  
 そんな彼女の熱い視線に見つめられた漆黒の吸血鬼は、雲の合間から煌々と照る月明りを  
背に自身が流した血で朱に染まった右手を裸の美女へ差し伸べた。  
 
「余はお前を迎えに来た。お前は余と共に行くか、それとも人の世に留まるか……さあ、選べ」  
 
 ◆ ◇ ◆  
 
「お嬢様!リヨンヌお嬢様!」  
 古参の召使のハンナはもう何度も部屋の主を呼んでいる。  
 普段は呼び起こさずとも、いち早く目を覚ましているのが常である主が婚礼の日の今日に  
限っては違った。  
──婚礼を控えて、緊張でおやすみになれなかったのかも知れないわね。  
 婚礼の儀に備えた準備のためには、そろそろ起きてもらわなければならない。ハンナは  
無理にでも起きてもらおうと決心し、ドアノブに手を掛けた。  
「失礼致します、お嬢様」  
 ドアを開けると眩い陽光が部屋全体を白く覆っていた。  
 開け放たれた窓から吹き込む風で薄いレース地のカーテンがうねりながら、宙を舞って  
いる。ハンナが寝台に視線を移すとそこには彼女の主人の姿は無く、何かが暴れまわった  
かの如くシーツが乱れていた。  
 見る見るハンアの顔が蒼褪めていく。  
 目を凝らしてみると、そのシーツの上には無数の血痕が残っている。  
「あ、あ、あ、あ……だ、旦那様ぁ!!!」  
 慌てて飛び出したハンナが去ると、無人の部屋は静けさを取り戻した。  
 
(了)  
 

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