突然、心臓をつかまれたような気がした。  
 嫉妬で胸が掻きむしられるというのはこういう感覚なんだろうか。  
「うん、先輩からのメール。……だから何? 男の人だから怒ってるの?」  
居間のソファに座った詩帆は、携帯を持ったまま眉をひそめ頬をふくらましている。  
 風呂上りの濡れた髪。色白の肌が普段より桃色がかってなんだか色っぽい。ツンと尖らせた、濡れた唇。  
 俺が思わず目をそむけると、詩帆の声が追いかけてきた。  
「お兄ちゃんはどうしていつも私を見ないの。ちゃんと見て、私はもう子供じゃないよ!」  
「……高校生なら十分子供だ。だいたい、まだ十七歳じゃないか」  
そうだ詩帆はまだ子供なんだ、と俺は自分に言い聞かせた。  
 それは二年前……自分はこの十一歳年下の血の繋がらない妹を愛してしまったと気づいた時から、  
ずっと肝に銘じていること。  
 
 親父が再婚したのは、俺が大学を卒業し会社の寮で一人暮らしをしていた頃だった。  
 双方子連れの再婚ということで挙式はせず、特にした事といえば新しい家族の紹介を兼ねた食事会ぐらいだったと思う。  
 当時は仕事が忙しくなった時期で……それに高校、大学とも学生寮暮らしでお互い好き勝手やってる気楽な(あるいは冷めた)  
父子家庭だったこともあり、その後も俺は数えるほどしか新しい母にも妹にもあわなかった。  
 それなりに彼女もいてそこそこ自分の人生を楽しんでいた矢先。突然、両親が交通事故で亡くなった。  
 俺に残されたのは幾ばくかの遺産と持ち家と、当時中学生の詩帆だった……。  
 
「彼氏ぐらいみんないるよ」  
すねた声が俺のもの思いを打ち破る。  
「そんな下らん動機でつきあうならやめるんだな」  
少女らしい答えに気持ちが少し軽くなった。おそらく詩帆はあのバイト先の先輩とやらを愛しているわけじゃない。  
それなりの感情があったとしても、今はまだ恋に恋している段階に過ぎないだろう。  
 なんだかんだ言ってもやっぱり詩帆はまだ子供なんだ……俺は両親の収容された病院で、たった一人震えていた  
狭い肩を思い出した。  
 あれはそれまで好き勝手に生きてきた自分が、初めてこの手で守ろうと決めたもの……。  
 
 両親の葬式の後。  
 もともと地元に帰る条件での本社勤めだったこともあり、俺はさっそく上司に支社勤務を申し出、  
そういう理由ならばとすんなり受理された。  
 当時の恋人とはやがて自然消滅になったが、別に結婚前提というわけでもなかったので少々残念に思うぐらいだった。  
 俺の帰郷が決まった時、詩帆はとても喜んだ。  
 きっと心細かったからだろうと思うが、彼女は以前から一緒に暮らしたかったのだと言ってくれた。  
いつも親父が俺の話をしていたので、いつか地元に帰ってくる日を心待ちにしていたと。  
 そんな詩帆に、自分のことを兄と呼べと言ったのは俺自身だった。  
 正直あの時は何も考えてなくて……きょうだいなんだから兄と呼ばれるのが当然ぐらいにしか思っていなかった。  
『修平さんじゃ駄目ですか。どうしてもお兄さんと呼ばなければいけないの?』  
詩帆はあの時、いったい何を考えていたんだろう……。  
 
 コトッと音がしたので目をやると、細い指先がテーブルに置かれた携帯から離れるところだった。  
 一瞬手にとって着信履歴を調べたい衝動に駆られたが、視線を逸らして自重する。  
「じゃあ動機が愛ならいいんだね」  
「そんなもん……子供のクセにお前にわかるもんか」  
今日の詩帆はなんだかいつもと違うような気がする。やけにしつこいというか……普段ならこんな時は可愛らしく  
頬を膨らませたまま自分の部屋へ行ってしまい、翌朝はすっかり忘れたような顔をしているのに。  
「お兄ちゃんは知ってるんだ」うつむいたまま詩帆がぽつりと言った。「最近、帰りが遅いのはそのせい?」  
 
 ……中学生の少女と二十代後半のサラリーマンの二人きりの生活は、当初ぎこちないものだった。  
 物心ついた時から両親が不仲で家族バラバラな中で育った俺は、詩帆のかもし出すあたたかい雰囲気に馴染めず、  
ぶつかることのほうが多かった。  
 でもだんだんと……仕事が終わって帰宅すれば美味しい食事が待っていて(母子家庭の母親にみっちり仕込まれていた  
詩帆は料理が上手だった)、朝はいってらっしゃいと送り出してくれて、体調の悪い時には寄り添ってくれる  
誰かのいる生活に慣れてきて……。  
 こんな生活が永遠に続けばと願うようになり、『お兄ちゃん』と呼ばれるのに違和感が出てきたが、  
それと平行に中学校からは受験生の保護者として呼ばれることが増えてきて、俺は混乱した。  
 あの七夕の花火大会はちょうどそんな頃だった。  
 たまたま仕事が早く終わったので、受験勉強の息抜きにと詩帆を連れて出かけた。  
 前もって言ってくれれば浴衣を用意したのに、と怒りながらもあの子はとてもはしゃいでいて。  
 俺たちは暗い川べりの人いきれの中で、周りから押し付けられるように二人並んでいた。  
 夜空に舞い上がる華々を見上げながら、何か願い事をしたかと尋ねた時。  
 詩帆はうなづくと、そっと俺のシャツの裾を握って恥かしそうにささやいた。  
『いつか、お兄ちゃんのお嫁さんになれますようにって』  
ひときわ大きな打ち上げ花火が、俺の動揺を隠した。  
 轟音が鳴りやんだ後にやっと搾り出せたのは、  
『受験生がつまらんことを考えるな』  
という一言だけだった……。  
 
「な……何言ってんだよ、会社の付き合いだっ」  
俺は言葉に詰まった。確かに最近、ほとんど毎日午前様だ。  
 でもその理由がこのところすっかり大人っぽくなった妹と二人きりの夜を過ごすのが辛いから、などと言えるわけがない。  
 あの七夕の夜。詩帆の願いを拒絶したことを俺はすぐに後悔した。帰り道、彼女は涙ぐんでいる様子だった……  
もっと大人らしく余裕を持って適当なことを言っておけばよかったのに。  
 だが拒絶しなければ。このまま一つ屋根の下で彼女の想いを感じながら一緒に暮らすうちに、  
自分を抑えられなくなる気がして恐ろしかった。  
 詩帆が大好きだから大切にしたかった。  
 大人の男として無邪気な少女の好意につけこむような卑劣な真似もしたくなかったし。だから彼女が大人に  
なるまで待とうと決めた。  
 しかし受験が終わり、詩帆が問いかけるような眼差しを向けてくるようになっても俺は  
『大人になるまで待ちたい』  
の一言がどうしてもいえなかった。  
 保護者としては妹のせっかくの高校生活を邪魔したくなかったし、何よりもうその頃には俺の詩帆への想いは  
狂おしいほどのものになっていて、ほんの少しでも今まで以上に親密になったりしたら『待つ』なんて  
到底不可能だとわかっていたから……。  
 
「アニキが朝帰りなんかしてたら妹も影響されるんじゃないかなぁ」  
今まで聞いたこともない妙に投げやりで蓮っ葉な調子の声。  
 ソファの詩帆が姿勢を変え、膝を抱えて座った。ショートパンツから伸びるスラリとした脚。  
胸のラインの目立つぴったりめのタンクトップ。  
 なんだか挑発されているような気分になって俺は慌てて床に視線を落とした。去年の夏は湯上りといえばジャージか  
パジャマだったのに。  
 突然、怯えに似た感情が脳裏を走った。子供だと思っていた少女が知らないうちに大人になっているのではないか  
という獏とした不安。  
「兄ちゃん、お前を信じてるから」  
芝居がかった口調でおどけつつそんな不安を押し殺す。  
 詩帆は真面目で大人しい子だし、自ら危険を招くようなことをする愚かな少女でもない。  
「お兄ちゃんの知らないうちに私が外泊したかも、って言っても?」  
「もちろん。どうせ理沙ちゃんちだろ、同級生の。この間嬉しそうに話してたじゃないか。そうか、あれからも  
泊まりにいったのか」  
一番の友人の名前を出すと彼女は唇を尖らせた。  
 図星のようだと俺がホッとしかけた時、紅い唇がうっすら微笑む。  
「……て、ずっとあの子に口裏を合わせてもらっていたとしたらどうする?」  
 
 一瞬、時間が止まったように感じた。そんなこと、ありえない。  
 俺はうろたえながら記憶を掘り起こした。  
 高校になってから何度か詩帆は泊りがけで友人の家に行くことがあったが、相手はみんな女の子だったし、  
親御さんにあったこともある。  
 だいたい詩帆に男の影はない。中学の時に一回コクられたらしいけど受験だから断ったと  
俺に報告してきたし……今はあのバイト先の先輩ぐらいだ。  
 確かにメールは繁盛にやりとりしている。しかしデートの話なんか聞いたことがない。  
 一度店が休みの時にバイトのみんなで遊びに行ったと言っていたが、あれは二人きりじゃ  
なかったはず……。  
「何だよ口裏って、や、やましいこと、」  
心臓がバクバクして上手く言葉がでない。頭に血が上って体が熱くなる。  
 冷静になれ、きっとからかってるんだ、と顔を上げた時。  
 不意に、テーブルの上の携帯が呼び出し音を立てた。  
思わず手を伸ばしかけた俺からひったくるようにそれを取ると詩帆は耳に当てる。  
「はい……あっ」  
彼女は顔を隠すように横を向いた。  
「えっ今から? ……でも」  
困ったようにこっそりと俺を盗み見る。  
「……今日は駄目……だってお兄ちゃん……はい先輩」  
先輩ってあのバイト先のヤツのことか?!  
 詩帆が男と話している。こっそり隠れるように。  
 これまでもこんなふうに? 今からってなんだ? 今日は駄目って?   
 バツの悪そうな笑顔。秘密のにおい。急に大人っぽくなった物腰、服装。  
「そう、だから前もってメールしたのに……ふふ今晩は無理なの、我慢し・て・ね……うん……うふふ  
……さよなら……あはは、バイバイ先輩」  
通話が切れて携帯を折り畳んでも、まだ詩帆は微笑んでいる。あの男のための笑顔。  
 俺が黙ったまま見つめているのに気づくと、笑顔がいたずらっぽいものに変わった。  
「誰からか知りたい?」  
「……どうでもいい」  
俺は立ち上がった。これ以上ここに詩帆といたら、嫉妬と怒りでとんでもないことをしてしまいそうだ。  
 聞きたいことは山ほどあるが一晩頭を冷やしてからにしよう。  
 ソファをなるべく見ないようにしてドアの方へ向くと、詩帆の声が追いかけてきた。  
「お兄ちゃんは私のことなんかどうでもいいんだ! ……それじゃ先輩からメールが来ても  
二人きり遊んでも、……外泊しても怒らないでよね。愛が動機ならいいんでしょう!」  
何か言おうとしたが口の中がカラカラで声がで出なかった。  
 最初に兄と呼べと言ったのも俺ならば、詩帆の願いを拒絶したのも俺だ。自分勝手な理由で  
放って置いたのも。  
 だから彼女の心が他の誰かに移っても……寝取られても、それは当然の結果……。   
 悲しみとも怒りともつかない感情に揺り動かされ俺は奥歯を噛み締めた。独占欲なのか性欲なのか、  
わけのわからないものがごっちゃになって身体を突き上げてくる。  
 
 振り向くと詩帆は携帯を持ったまま、さっきと同じ姿勢でソファに座ってた。  
 手のひらの中で光っているあれが俺とは違う男の着信履歴で埋まっていると思うと、心の中に  
どす黒い炎が燃え上がるのをとめることが出来ない。  
 
 身を乗り出す。  
 華奢な手首をつかむ。  
 顔を上げた詩帆の見開らいた目。  
 手のひらから携帯が滑り落ちる。  
 ソファににじり寄り金属の塊を蹴飛ばした。あの男に関わるものは見たくない。  
 硬いものがどこかにぶつかる鈍い音を聞きながら、茫然としているやわらかな体をクッションに押し倒す。  
 
 風呂上りの詩帆の体は甘い花の匂いがした。  
 お兄ちゃん、とびっくりしたような声が聞こえる。しかし俺は構わずタンクトップの胸元に顔を埋め、  
甘いにおいを鼻腔いっぱいに吸い込んだ。  
 小さな拳が俺の頭を叩いたが、抵抗にもならない。そのまま下着ごと服を引き剥がす。  
 小振りのまあるいふくらみを彩るピンク色の小さな蕾。そっと唇に含み舌先を転がすとやわらかだった  
乳首はすぐに尖り始め、細い指先が俺の頭髪を掻きむしる。  
 自分が取り返しのつかないことをしようとしているのはわかっていた。こんなことをしても時間を  
巻き戻せるはずがないことも。  
 全て俺が悪い。もう何もかもが遅すぎる。だけど、だけど……愛してるんだ、詩帆!!  
 空いた手でショートパンツのボタンを手早く外し、隙間から指を入れ下着ごと引きずり下ろす。  
 乳房から唇を離し、隠そうとする手を払いのけ股間に顔を埋めた。  
 かぼそい声が何か言っていたが俺は無視した。薄皮に包まれた小さな突起を口に含みしばらく弄んだ後、  
潤いを帯びだした桃色の裂け目に舌先を沿わせる。  
 詩帆の手が頭を押しのけようと頑張っているが、拒絶なのか恥ずかしがっているだけなのか、よくわからない。  
 それは抵抗というにはあまりにも弱々しく、狭い亀裂に指先を差し入れ、舌で突起を撫で回す行為の  
妨げにはならなかった。  
「……あっ」  
しなやかな体がのけぞる。  
 声が取り乱した調子に変わり、閉じようとしていた腿の力が緩み、指先を潤った肉がヒクッと締め付け始めた。  
 詩帆が欲しくてたまらない。これまでずっと自分を抑えていたんだ。汚したくないから。大切にしたいから。  
大事に大事にしていたのに……だのに、俺の知らないうちに。  
 凶暴な衝動に駆られ、俺は素早く自分のものを取り出すと詩帆にのしかかった。かなり濡らしたつもりだったのに  
 思ったよりも抵抗があって、まだあまりアイツと寝ていないらしいと残酷な満足感が沸き起こる。  
 
 小さな悲鳴が上がったが構わず体を沈めた。思わず俺も声を漏らしてしまうほどキツい。  
 まさかひょっとしたらという思いが脳裏をかすめたが、欲情が消し去っていった。  
 狭さとキツさを感じながら、ゆっくりと腰を進める。やっと全部収まって、  
倒れこむようにやわらかな体に覆いかぶさった。  
「詩帆……」  
好きだ。大好きだ。誰にも渡さない。俺だけの。  
 愛してる、詩帆。このまま永遠に。俺と一緒に。  
 ずっとこうしたかったんだ。この腕に抱きしめて、一つに繋がって。  
 人の温もりを教えてくれた詩帆。……俺はもう昔みたいに一人きりでは生きていけないから。  
 そのままむさぼるように唇を重ねたが彼女の舌の動きはぎこちなかった。  
経験が少ないせいか、嫌がっているせいかわからない。  
 唇を味わいつつ、しばらくじっと動かずにキツさとしっとりとした温かさを愉しんだ後、舌の動きにあわせるように  
腰を動かす。やがて腰から生じる快感が堪らなくなり、唇を離した。  
 今まであまりにも長く待ちすぎたから……しかしすぐに爆ぜそうになるのを必死にこらえる。  
もっともっと詩帆を感じていたい。  
「んっ……お兄ちゃ……ひぁ……ァン……」  
彼女が甲高い声を上げはじめた。  
 感じてるんだろうか。それとも拒絶の声なのか。  
 迷ったが腰を止めることが出来ない。俺は目を閉じ、しっとり包まれるやわらかな感触に夢中になった。  
「詩帆……詩帆……ッ……っ……ッ」  
「お兄ちゃ……」  
まだ終わりたくなかったけど、もう限界だった。俺は短い吐息を漏らしながら、狂ったように腰を遣った。  
「詩帆……もう逝……ッ」  
「お、お兄ちゃん?」戸惑ったような声が上がる。「駄目、赤ちゃん……」  
俺はぼんやりと薄目を開けた。  
 なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。  
 子供ができればいいんだ。そうすれば結婚しないわけにはいかない。ずっと一緒にいられる。  
 俺はあんな不安定なバイト野郎と違うから、詩帆は何も心配しなくていい……。  
「……中でっ」  
「だ、駄目」  
「なんで」  
動きを止め歪んだ笑みを浮かべながら俺は詩帆を見下ろした。  
「だって赤ちゃん」  
大丈夫、俺はずっとお前を守り続けるから。愛してる。  
 再び腰を揺すりはじめた。早く一つになりたい……詩帆を完全に俺のものに。  
「大丈夫……大丈夫だよ」  
「で、でも」  
怯えた声を無視して小さな尻に手をまわし、指が肉に食い込むほど腰を引きつけた。感じやすい先端が  
トロトロに潤った内部のどこかに当たる。ついばまれているような感触にもう我慢なんてできない  
……俺は肉の快楽に溺れた。  
 
「詩帆、ぅ」  
「あ……ン……はぅ……ンン……」  
「ハァッ……ぉぁぁ……し…ほ……もう逝く……ッく」  
「あ……だめぇ…だ…め…………だめ、駄目赤ちゃんできちゃう! やめてっ、いやっ、  
お兄ちゃんやめてよ、嫌だぁ!!!」  
 小さな手のひらが思いっきり胸を押しのけてくる。  
 ギリギリのところで俺は腰を引いた。白いものが控えめな恥毛や小さなヘソの窪みのあちこちに飛び散る。  
 息を弾ませながら顔を上げた。詩帆と視線が合う。非難の眼差し。  
「ごめん……」  
思わずうつむくと、萎え始めた自分のものが眼に止まる。白っぽい汁にまみれていたがどことなく  
……赤い色が混じってる?!  
「そんな……血って……し、詩帆、だって、」  
「バカ」  
身体を清める間も厭わしいのか床に落ちた服をかき集めると、詩帆は逃げるように俺から離れた。  
服を着もせず身体に押し当てたままの姿でドアに飛びつく。  
「お兄ちゃんのバカ!」  
ドアの前で辛そうに腿の付け根を押さえ顔をしかめてから、詩帆は行ってしまった。ほどなくしてシャワーを  
浴びる音が聞こえてくる。  
 俺はソファから下り……そのまま崩れるように床にしゃがみこんだ。  
 取り返しのつかないことをしてしまった。  
 勝手に一人で疑心暗鬼になって、一番大切なものを自分自身の手で傷つけた。  
 愛してるって言いながら、信じもしないで。あの子の俺への信頼をこんな汚いやり方で踏みにじった。  
 謝れば許してもらえるだろうか。だがいったいどのツラ下げて?   
 非難の眼差しや厭うように離れていった白い身体を思い出した。  
 こんなことして嫌われないわけがない。  
 俺はこれから、一体どうすればいいんだ……。  
 
 溢れてきた涙をソファに押し当てて隠す。  
 いつの間にかシャワーの音が止んでいたが、俺は祈るように床に跪いたままソファに顔を押し当て続けた。  
 
 
 
 日差しが高くなってきた。  
 外が騒がしくなり土曜の遅い朝がはじまろうとしている。  
 俺はソファから顔を上げた。  
 一晩中硬い床にしゃがみこんでいたので身体の節々が痛い。見ればズボンのファスナーが開いたままだ。  
 床には後始末のティッシュが落ちてるし……なんて情けない。本当に俺はバカだ。  
 血の跡の残るゴワゴワの丸まった紙くずに罪悪感を覚えながら拾い集めていると、昨夜蹴飛ばした携帯を見つけた。  
 拾い上げてテーブルに置く。履歴はもちろん見ない。彼氏とは清い関係だったのに、それを俺は。いったいどうやって償えば。  
 詩帆はどうしているんだろう……辛そうにしかめていた顔を思い出して俺の胸はまた痛んだ。  
 このまま彼女に会わず自室に引きこもりたいという衝動に駆られる。  
 いや。きちんと謝らないと。あんな『ごめん』じゃすまない。  
 俺は立ち上がり、詩帆の部屋へ行く決心を再度固めてから居間を出た。  
 死刑台に向かっている気分で廊下を歩く。顔も見たくないかもしれない。でも……何にも言わずに放っておくのが一番悪いって、  
昨日学習したばっかだろ。  
 そっと部屋の前に立った。深呼吸をしてドアをノックする。  
 返事はない。  
 もう一度ノックして聞き耳を立ててから、勇気を出して声をかけた。  
「おはよう詩帆」  
沈黙。起きているのかどうかもわからない。  
「昨日は……ごめんな」  
まだ眠っているのだろうか。昨夜はあんなことがあったんだもんな……。  
 出直してこよう、と俺がきびすを返しかけた時、部屋の中で確かに人の動く気配がした。  
 ちょっと間を置いてから声をかける。  
「身体、大丈夫か? その……少し話をしたい……。ドア、開けてもいいかな。あ、誓って何もしないから。  
……嫌なら外で聞いてくれ。謝りたいんだ」  
再び沈黙。俺がもう一度口を開きかけた時、ドアの向こうで声が小さな声がした。  
「鍵、開いてるよ」   
ドアを開けると詩帆はパジャマ姿でベッドに身を起こしていた。  
 泣きはらしたような目に俺はうつむく。部屋に入ろうとして躊躇していると、かすれた声が聞こえた。  
「入って」  
おずおずと中へ進む。詩帆のベッドの側まできて……俺は土下座した。「ごめん」  
落ち着かなければと思ったが、床に頭をすりつけ一気に自分の気持ちをまくし立ててしまう。  
「ごめん。本当にごめん。許してくれなんて言わない。一生憎んでくれてかまわない、警察に突き出されてもいい。  
とにかくごめん。俺が何もかも悪いんだ、詩帆は何にも悪くない。本当にごめんなさい……」  
「待って、お兄ちゃん」  
詩帆が話に割って入った。  
「あのね、違うの私……。あ、でもちょっと怒ってる、というかショックだった……だってあんな……無責任だよ」  
「無責任?」  
俺は顔を上げた。  
「そういうの、ぜんぜん気を使ってくれない男の人もいるって聞いてたけど……でも、お兄ちゃんは違うと思ってたの。  
気分に流される人じゃないって。だのに……」  
「レイプなんて最低だ。わかってる」  
「違うの、それとは違うの。えっとそうじゃなくて……赤ちゃんができたら、どうするつもりだったの?」  
 
「……結婚すればいいって思ってた。子供ができてしまえば詩帆を失わなくても済むと。  
以前、あんなひどい言い方で断ったくせして身勝手だよな」  
彼女がぽかんと口を開けた。そのまま何も言わないので俺は続けた。  
「俺、詩帆のこと好きだ……大好きだ。でも認めるのが怖かったんだ。そうしたらもうアニキじゃ  
……保護者でいられなくなるのがわかってたから、まだお前は未成年なのに。  
だから詩帆の気持ちをないがしろにするようなことばかり言ってしまったんだ、本当はすごく嬉しかったのにな。  
それで彼氏がいるって知った時……ごめん。今更なに言ったってただの言い訳だ。本当にごめん。ごめんなさい」  
「もうやめて、お兄ちゃん。私びっくりしちゃって……何がなんだかわからないよ……」  
詩帆は恥かしそうに頬を染めている。どういうわけか嬉しそうに見えた。……嬉しそう?   
俺のほうこそわけがわからない。  
 深く息を吸い込む音が聞え、少女らしい微笑が消えて真面目な顔になる。  
「私のほうこそお兄ちゃんに謝らないといけない。私すごく悪い……ずるい女でした!」  
「え?」  
詩帆は真っ赤になると横を向いた。  
「だってあのね、私から誘ったんだもの……仕組んだの。やきもち妬いてくれたらいいなって。  
いきなりあんなことになるなんて思ってなかったけど……でもホンネはちょっと、期待してた」  
「……………」  
「私の気持ちはあの七夕の夜から何にも変わってないよ。だから最近お兄ちゃんの帰りが遅かったり  
朝帰りしたりするのがすごく嫌で……きっと恋人が出来たんだよって近所の人まで噂してるんだもん。  
それでお兄ちゃんにどうしても振り向いて欲しくて友達に相談したら、もっと大人っぽくふるまって男の影でも  
ちらつかせてやればいいって。だからわざと肌の出る服を着たり……先輩とのことも、全部嘘」  
「嘘って……で、でも、あの電話」  
「あ、あれはね! 先輩の家、U局映らないんだって。それで毎週アニメの録画頼まれてたんだけど、  
お兄ちゃん昨日、映画の留守録していたでしょ。それで今日は無理だよって話。……えっと、  
男の人向けのアニメらしいからお兄ちゃんには内緒にしたかったの。あれは本当に偶然」  
「……俺ってバカだ」  
思わずがっくりこうべを垂れると、温かい小さな両手が俺の頬を覆った。細い指先で撫でられて初めて、  
無精ひげが伸びているのに気づいた。  
「そんなところも大好き。昨日の夜もお兄ちゃんが素っ気なかったら私、立ち直れなかったと思う」  
「でも……あんなことをしたのは変わらないよ。アニキなのに」  
詩帆が俺の耳元でささやいた。  
「お兄ちゃんなんて今まで思ったことないよ。それに私も誘ったって言ったでしょう。だからもう気にしないで」  
「……許してくれるのか」  
「うん。だってお兄ちゃん、私のユーワクに負けただけだもん。うーん、まんざらでもないぞ、私」  
詩帆は雰囲気を変えたいのか顔を離すと明るく言ったが、俺が黙っていたからだろう、悲しそうな調子になった。  
「お願いだからそんなに辛そうな顔をしないで。本当に嫌じゃなかったの。嬉しかった……とっても、幸せだった」  
顔を上げると笑顔が待っていた。つられて自分も微笑返す。  
「詩帆……。ありがとう」  
 
 俺は起き上がると小さな背中に腕を回し、思い切り抱きしめた。  
 
 
 

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