笑顔で迎えてもらえるとは思っていなかった。  
けど、あいつの通夜が済み、葬式が終わって、その他諸々の儀式を含みながら  
2ヶ月以上過ぎても、まだ目も合わせてもらえないなんて。会うたび痩せていく彼女を、  
気遣おうと近づいても、当然のように避けられた。黒いリボンに縁取られた写真の中で、  
のんきに笑う幼馴染に呟いた。  
―――なぁ、やっぱり、俺が死ねばよかったよ、柊也。  
 
玄関を開けて、俺の顔を見ると、瑞希は幽霊でも見るような表情で硬直した。  
それから、いつものように目を逸らす。それでも、一瞬でも視線が合ったことに、俺は  
小さく喜んでいた。  
「入っていいか?」  
瑞希は数秒の逡巡ののち、こくりと頷いた。その横顔は、最後にあった日より更に肉が  
削げ落ちて見えた。柊也が死んでからほとんど食べていないという、瑞希の母親の言葉は  
本当らしい。  
瑞希の部屋は、よく片付いていて、普段の彼女らしい明るい色調も変わっていなかった。  
だが、一人暮らし用の決して広くない部屋に、立派な仏壇が構えられている様は、一種異様だった。  
玄関先で立ち尽くしていると、瑞希が傍らで囁いた。  
「伯母さんがね、辛そうだったから、私が引き取ったの。毎日毎日仏壇見て、柊ちゃんがいないこと  
 思い知らされるなんて、可哀想だもの」  
お前はどうなんだよ。辛くないわけないだろ、そんなやつれて。  
言おうとして、言えなかった。俺にその資格がないことを、知っていた。気付くと、俺はふらふらと  
仏壇に近づき、懺悔のようにその場に座り込んでいた。  
 
俺と柊也と瑞希は、母親同士が3人姉妹の、従兄弟だった。長女の息子の俺と、次女の息子の柊也は同い年、  
三女の娘の瑞希だけが、3つ年下で、物心付く前からの幼馴染だ。子どもではなくなってからも気が合って、  
何かとよく遊んだ。特に、夏場に連れ立って海に行くのは、毎年恒例になっていた。だからあの車には、  
本当は瑞希も乗っているはずだった。当日になって、夏風邪にかかることがなければ。  
元気印の瑞希には珍しいことで、今思えば、虫が知らせたのかもしれない。  
『なぁ、やっぱ帰ろうぜ。野郎二人で海行ったってしょうがねぇだろ』  
『俺もそう思うけどさ、もうレンタカーも借りちゃったし、勿体ないじゃん?色々』  
助手席の柊也はそう言って、後部座席に積み込んだ諸々の機材を振り返った。バーベキューセットに花火にスイカ、  
几帳面で準備の良い柊也らしく、鬱陶しいぐらい何もかも揃えていた。信号が赤く灯っている間、俺も後ろを  
振り返って、げんなりした。  
『確かにな……ま、いっか。どうせ瑞希なんて、女のうち入んねぇしな』  
信号が変わって、俺は思い切るようにアクセルを踏んだ。はねっ返りの瑞希が、『何よ』と膨れる顔を想像して、  
自然と笑けた。  
『そうかな?瑞希ちゃん、もう18だよ。さばさばして可愛くて、割ともてるんじゃない?』  
『ねーよ。口は減らねぇわ料理は下手だわ、あんなのが好きなんて男がいたら会ってみてぇわ』  
否定して、笑い飛ばした。瑞希と、『もてる』という単語を並べられたことが、不快だった。  
『哲也、もう会ってるよ』  
『はぁ?』  
海水浴場の駐車場間近、焦っているのか、やたらに煽ってくる後続車に舌打ちしてから、柊也の言葉に  
応じた。意味が分からなかった。  
『俺、瑞希ちゃんが好き』  
あっさりと、柊也は言った。思わず、助手席の柊也を振り返った。眼鏡の奥の柊也の目は、笑っていたが、冗談を  
言っているふうには見えなかった。  
『言えないけどね』  
『え……あ、何で?』  
間の抜けた返事しか返せない。後続車のクラクションが、頭の中でわんわんと響く。  
『哲也が一番よく知ってるだろ?ほんと、厄介だよね、幼馴染なんて。壊れようがなくて、温かくて、十分に  
 満たされて、もう一歩踏み出すことが、恐くて仕方ない。そのくせ、あの子が他の誰かを好きになることも、同じくらい  
 恐いんだから』  
『俺が……何て?』  
後続車の打ち鳴らす音は、ますます激しくなっている。少し静かにしてくれないか。ただでさえ頭真っ白なのに、  
何も考えられなくなる。  
『今更隠すの?もういいよ、よそう。哲也が今まで瑞希ちゃんに何も言わなかったの、半分は俺のためだって、  
 知ってるよ。だけど限界だろ?俺も哲也も瑞希ちゃんが好きで、何年も何年も……3人のままでなんて、いられないよ』  
いつから、柊也は知っていたのだろう。俺と同じ痛みを抱えて、一体何年の間?  
『俺はさ、哲也……もし瑞希ちゃんが、お前を好きなら』  
一瞬の静寂。それが永遠に続けばいいと、俺が願ったせいなのだろうか。柊也がその言葉を、最後まで言い終えることはなかった。  
降って沸いたような轟音が唐突に俺たちを巻き込み、前も後ろも、上も下も分からなくなって、それきり、俺達は  
意識を失った。  
 
後から聞いた話だが、海水浴場の混雑に備え、急遽設置された信号機が誤作動を起こしたのだそうだ。信号は赤のまま  
いつまで経っても変わらず、後続車のクラクションは、もういいから発進しろという合図だったらしい。  
俺はそうとは気づかず、結果的に律儀に信号を守っていたことになるが、そこへ右折してきた観光バスが突っ込んできた。  
信号が正確なら誰もいないはずの道路だ、どれだけ勢いよく突っ込んできたところで、運転手を責める筋合いはない。  
借りた車が左ハンドルだったこと、信号が壊れていたこと、そして何より、俺がぼさっとしていたこと。  
数々の不運と過失が重なって、衝突されたのは柊也の乗っていた助手席だった。俺はというと、奇跡的に打撲と捻挫で  
済んでしまった。  
逆ならよかったと思い知らされたのは、何もかもが終わった後だった。  
 
仏壇に飾られていたのは、去年3人で海に行ったときの写真だった。引っ込み思案で、写真に写りたがらない柊也を、  
俺が羽交い絞めにして、瑞希は柊也と腕を組み、Vサインをしている。柊也は苦笑していたが、どこか嬉しそうでもあった。  
「これは、千葉だっけ」  
瑞希は写真立てを手に取り、大事そうに指で縁を撫でた。  
「一昨年は湘南で、その前は伊豆で……いつも、3人で行ったよね」  
瑞希の目は、写真の中央の柊也しか映していないように見えた。  
「何で私、今年に限って風邪なんかひいちゃったのかな」  
かすかに声が掠れて、瑞希が泣いているのだと分かった。泣きながら、彼女が何を言いたいかが分かって、耳を塞ぎたくなった。  
車で海へ行くとき、助手席に座っていたのは、いつも瑞希だったのだ。  
「私が、死ねばよかっ―――」  
言葉の最後は、嗚咽で声になっていなかった。啜り泣く瑞希の声は、俺の胸に刃物のように突き立てられて、何度も何度も、  
心臓を抉り取っていった。  
葬式で、母と叔母が話しているのを聞いた。瑞希の大学受験中、柊也は何度となく電車を乗り継いで、瑞希の家庭教師を  
してやっていたらしい。抜け駆けしやがって、と怒ることさえ、もうできない。何が、もし俺のことを好きなら、だ。  
本当はとっくに知ってたんだろ?瑞希がこんなに、自分を失くすほどお前を好きだったって。知ってて、何で死ぬんだよ。  
俺が起こした事故ならなおさら、何で俺じゃなく、お前が。  
返事が返らないことに、理不尽な怒りを覚えていた。それは、柊也が死んだ日から、瑞希に目を逸らされる度、  
避けられる度に鬱積する思いを、弥増していった。  
 
「死ねばよかったのは、俺だろう?」  
気が付くと、俺は黒々と降り積もった嫉妬心の赴くまま、そんなことを口にしていた。呆気に取られたような  
瑞希の表情が、余計に俺を苛立たせた。図星を指されて、そんなに驚いたか?  
「死んだのが俺なら、お前は柊也と幸せになれてたのにな」  
言いながら、気付いたことがあった。見る影もなく痩せ細って、柊也の写真を抱く手首。それはきっと、柊也を  
追うための、ゆるやかな自殺なのだ。  
「言えよ。柊也を殺した俺が憎いって、俺が死ねばよかったって。その方がずっと楽だ」  
「何言ってるの、哲ちゃん」  
瑞希は泣き腫らした顔で、まだとぼけていた。俺は糾弾するのも嫌になって、瑞希の腕を掴み、そのまま  
床に押し倒した。すっかり痩せた瑞希の身体は、紙みたいに軽くて、それこそ消えてなくなってしまいそうだった。  
「お前がこうやってどんどん痩せて、そのうち柊也の後を追っていなくなるより、ずっと楽なんだよ」  
「哲、ちゃ……」  
言いかけた瑞希の唇を、掌で塞いでやった。覚悟はしていたが、瑞希の口から確信的なことを聞くのは耐えられなかった。  
そうして、くぐもった声をあげ、俺の手を逃れようとする瑞希を見るうち、急に思い知らせてやりたくなった。  
生きているのが、柊也ではなく、俺と瑞希だということを。  
 
「っ……!」  
シャツを引き裂くと、瑞希は声もなく硬直した。晒された身体は、やつれて下着を持て余し、  
あばらがうっすらと浮き出ている。性欲よりも、痛々しさが先に立って、俺は思わず顔を歪めた。  
瑞希は、身体を見られているというのに、俺から顔を背けたまま、抵抗もしなかった。  
不安定な呼吸で、たった一言、「見ないで」と呟いたきり。そんな、自分の身体に執着しない瑞希の態度は、  
俺の焦燥を尚更駆り立てた。  
「馬鹿だな、お前、こんなんなって。死ねると思ってんのか?」  
「……ちが…う」  
否定する瑞希に構わず、易々と下着をまくりあげた。痩せはしたが、まだ十分に丸みを帯びた乳房に、  
唇を寄せる。先端を舐られ、瑞希は身体を震わせた。初めて見せる、反応らしい反応に、俺は少しだけ  
安心していた。  
「嫌っ……ぁ…」  
逃れようと、瑞希が身体を捩るのを、難なく押さえ込んだ。弱りきった瑞希の抵抗は、こちらが戸惑うほど  
脆弱だった。両手で肩を押されるのさえ、手を添えられているようにしか感じない。  
「ほら、もっと暴れろよ」  
「んっ……はぁっ……」  
「柊也の見てる前で、犯されちまうぞ。いいのか?」  
「……!!」  
瑞希は息を飲み、初めて俺を見た。横っ面をひっぱたいてくれればいい、と思った。いつもの瑞希なら  
そうするだろう。もう、この際憎しみでもいいのだ。瑞希が柊也ではない、まだこの世にある何かに  
―――できれば俺に、何か感情を向けてくれれば、瑞希を生に引き止めておける。  
そう思ったのに、瑞希はらしくもなく、焦点の合わない目で泣くばかりだった。  
「哲ちゃん……どうして?」  
その顔は、子どもの頃の瑞希のままだった。まだずっと幼い頃、瑞希はよく、こんな風に泣いて俺や柊也に  
縋ってきた。信じきった、子犬みたいな泣き顔。  
不意に、嘘がつけなくなった。  
「俺は、柊也じゃない」  
「……」  
「だから、俺がお前に何を言っても、お前は聞かねぇだろ?まして俺のせいで、あいつは死んだのに」  
「……哲ちゃんのせいじゃ、ないよ」  
瑞希の手が、髪に触れようとするのを、俺はその手をとって拒んだ。欲しいのは、赦しではない。  
「お前が好きだって、必要だって、どこにも行かないでくれって……俺が言葉で言っても、お前は聞かないだろ?」  
瞬間、瑞希は目を見開き、ゆっくりと両手で顔を覆った。その端から、涙がこめかみをつたっていく。  
何年も抱いていた想いだった。こんな風に投げ槍に伝えたくはなかったし、泣かれるのだって惨めでたまらない。  
けど、それがほんの少しでも、瑞希を引き止める理由になれるなら、そんなことはどうでもよかった。  
 
「あ……!」  
されるがままになっていた瑞希が、そのときだけ身を強張らせ、侵入を拒んだ。  
「力抜けよ」  
「やっ……嫌!」  
弱々しく暴れる両脚の付け根をつかみ、無理にでもこじ開ける。押し当てると、瑞希のそれは意外なほど濡れていて、  
瑞希の抵抗にもかかわらず、俺の先端を受け入れた。  
「ひぁっ……!」  
堅く閉ざされたそこは、侵入を拒むように、ぐいぐいと肉壁を押し付けてくる。ほとんど力ずくで瑞希を犯しながら、  
俺はひたすら、無駄と分かっている言葉を口にしていた。  
「瑞希、好きだ」  
「やだっ……!哲ちゃん、やあぁっ!」  
瑞希の拒絶を相手にせず、まるで壊れた機械みたいに、価値のない言葉を繰り返す。  
そのたび瑞希の中で、俺の醜い自身は膨れ上がっていった。  
「おねが、い……やめて、や、め……っ!」  
「……っ!!」  
達しようとする、ほんの刹那、写真の中の柊也と目が合った。  
―――悔しいか?柊也。  
「あ……あ…」  
瑞希の腰を抱え、最後の一滴まで精を注ぐ。  
―――なら、代ってくれよ。お前なら、こんなことしなくて済むだろう?  
好きだとか、必要だとか、どこにも行くなとか。お前なら、たった一言で済むんだ。  
気付けば俺は、瑞希と同じ顔をして泣いていた。  
 
―――ごめんね、柊ちゃん。  
玄関の扉が閉じる音を背中で聞きながら、私は何度目になるか分からない懺悔を口にした。  
そうして、服を着るより先にしたことは、床に放られていた3人の写真を、仏壇の中に伏せることだった。  
今更遅いと分かっていても、そうせずにいられなかった。  
謝っても、謝っても足りない。そう思って仏壇を引き取ったのに、また罪を重ねてしまうなんて。  
覚束ない足取りで小さくなっていく哲ちゃんの背中を、窓辺から茫然と見送る。  
―――私が好きなのは、あなただよ。ずっと好きだったんだよ、哲ちゃん。  
伝えられる日は、きっと永遠に来ないだろう。  
それはあの事故の日から、定められたことだった。  
 
あの日、2人が事故にあった日、1人が助かり、1人が死んだと聞いて、私は熱も構わず家を飛び出していた。  
哲ちゃん、哲ちゃん、どうか生きていてと、そればかり祈りながら、病院へと急いだ。  
霊安室で、その身体が柊ちゃんのものだと分かって、安心して……そのとき初めて気付いた。  
自分が、平気で柊ちゃんの死を願っていたことに。いつだって、柊ちゃんはあんなに優しくしてくれたのに。  
哲ちゃんやみんなが柊ちゃんの死を嘆くなか、まだどこかで『哲ちゃんでなくて良かった』と思っている自分が、  
醜悪すぎてたまらなかった。そのことを、哲ちゃんにだけは気づかれたくなくて、自然と避けていた。  
 
私は悲しんでいる、柊ちゃんの死を悲しんでいる。そう思おうとして、私はこれ見よがしに大袈裟に振舞った。  
あれが演技だなんて、思いもしないのだろう、単純な哲ちゃん。私が柊ちゃんを好きだなんて誤解、きっと柊ちゃんも  
迷惑がっている。私は恥知らずの、人でなしだ。贖罪のために引き取った祭壇の前で、抱かれて、愛されて、  
ただ喜びに満たされていた。自分の想いを口にしないことで、精一杯だった。哲ちゃんに身体を揺さぶられる度、  
応えてしまいそうになるのを、堪えて、堪えて……哲ちゃん、私も好き、あなたが好き。口の端に上る言葉を、  
必死でかみ殺していた。  
忘れよう。葬ってしまおう、想いが叶ったこの喜びごと。生きていたのが私の好きな人でよかったと、思い続ける  
穢れた心ごと。死んだ人間のことと切り捨ててしまうには、私達3人はあまりにも近すぎる。  
往きかけた夏の西日が、幸福そうに笑う私達の写真を儚く照らしていた。  
 

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