持て余し気味の財力を振りかざし、己の血統に『由緒』だの『階級』だの『身分』だのを自分自身で  
付与する企みを、渋々諦めた成り上がり者が“次世代に丸投げ”なんて、割とよく聞く話だったが。  
 そんな愚考を画策するような恥知らずの周囲には結局、同類しか群がってきませんでした……な  
泥沼状態を、生暖かい目で見守ってやれるのも、ソレが他人事ならばこそで。  
 第一、てめーの“一人息子”の通り名は『トーキング・フィスト』だぞ?  
   
 
  いい加減、現実を直視しやがれ、糞親父っ!!!  
   
 
本当、ありふれ過ぎてる莫迦話。だけど、俺にとっては、心底気の滅入る“苦行”でしかなかった。  
 ……あの日までは。  
 
 
 
 
 
 
誰かに呼ばれた様な気がして、目が醒めた。  
 薄紫の小さな花がほろほろと散り急ぐ潅木の茂みには、聞こえよがしのひそひそ話とか、あけすけな  
目配せとか、露骨な無視とは全く無縁の微風が穏やかに吹き抜けていくだけだったので、何時の間にか  
眠り込んでしまっていたらしい。  
 なんだかえらく長ったらしい名前の侯爵夫人主催の茶話会とやらが、とっくの昔に終っている事を  
心の底から祈りつつ上体を起こしてみたら、視線の先になんか変なモノがいた。  
 
遅い午後の光を受けて、さらさら輝く金の髪と、淡い薄荷色の清楚なドレスを纏った小柄な女の子。  
 夏の名残の水草の薄い葉だけが寂しげに揺れている池だか沼だかの畔で、此方に背を向けてふらふら  
よろけながらなんとか、かかとの高い華奢な靴を両方とも脱ぎ捨てる。  
 流石にその後は、暫く躊躇していたらしいのだが、又『にぃ、にぃ』と言うかなり哀れっぽい声が   
辺りに響き始めると、大慌てて靴下を脱ごうとして……、ど派手にすっ転んだ。   
 それを横目に靴のまま、柳の枝から滑り落ちて池の真ん中辺りで溺れかけていた仔猫へざぶざぶと  
歩み寄り、首筋を引っつかんで胸元に押し込みながら、踵を返す。  
 尻餅をついた姿勢のまま、綺麗な翠色の瞳をまん丸に見開いて、此方をきょとんと見つめている  
少女の足元で、くしゃみしていた濡れ雑巾は物陰からかっ飛んで来た母親と思しき大人猫が、速攻で  
拉致していった。  
   
差し出した手へ半分縋り付くようにしながらも、なんとか自力で立ち上がろうと骨折っていた少女が  
小さな悲鳴を上げて、又座り込む。やはり、足首を捻ってしまっていたらしい。  
 
「……ごめん。かなり、痛むかもしれんが」  
「っ! ……いっ、いえ、平……気っ」  
 
足元に跪き、赤く腫れてしまっている細い右足首にそおっと触れた瞬間、又漏れかけた短い吐息こそは  
必死で飲み込まれたものの、気丈な返事は、か細い涙声で。  
 出来るだけ手早く、丁度濡れたハンカチで患部を少し強めに巻き締めながらしっかりと固定してやる。  
 やがて、俺の手がそこから離れていくのとほぼ同時に、微かなため息を漏らした少女の頭をニ・三回  
撫でてやってから、ひょいと片手で抱き上げた。  
 
「あ……っ、あのっ!!」  
「ん? ……あぁ、ごめん。靴、忘れかけてた」  
「……あ、いえ、そうじゃな……っ」  
 
なにやらもごもご呟かれている言葉をはっきり聞き取ろうと、彼女の顔を真っ直ぐ覗きこんだ瞬間  
ものの見事に固まられてしまった。  
 毎朝、鏡を見るたびに自分自身でもうんざりするような仏頂面なのだから、まぁ仕方あるまいと  
それからは、彼女の方へなるべく顔を向けない様、最大限努力した。  
 
何故かその後、真っ赤な顔をして黙り込んでしまった少女の付添い人への伝言を頼んでから、糞親父  
御自慢の小型蒸気自動車で一旦、掛かり付けの医者の所に寄って、ちゃんとした治療をして貰った後  
自宅までまっすぐ送り届ける。  
 案の定、山の手の少しうら寂しい感じがしているものの、それなりに立派なお屋敷のお嬢様だった。  
 一応彼女が、なんとか侯爵夫人の立派な庭園を散策している時に、木陰で寝ていた俺の脚に蹴躓いて  
足を挫いた……と言った趣旨の説明をしてみたけれど。  
 当然、物凄く胡散臭い目で見られてしまった。これも、もう慣れっこな事だが。  
 それよりも、ずーっと俯きっぱなしだった少女が、別れ際に蚊の鳴く様な声でだけれど、きちんと  
お礼を言いながら、小さく手を振ってくれたので、正直ほっとした。  
 
そして、その時からずっと、只一つの事をぼんやりと考えて続けている。  
 
   
  ……なんだか、とても大切な事を忘れている様な気がするのは何故なんだろうと……。  
 
 
つい先程までの、涙まじりの哀願は容易く切れ切れの悲鳴と化し、終いには単なる嗚咽へ成り果てた  
あたりで、完全に興が殺がれてしまった。  
 
『歴史』と『威厳』とやらを鼻に掛けまくった特権階級様が夜毎やらかしてるパーティのいやらしさも  
大概だが、糞親父と同じ穴の狢殿が主催者の夜会は、それに輪をかけてえげつない。  
 比較的まともと思われる招待客以上に“高級肉体労働者”たちが大威張りで闊歩しまくってた会場で  
運悪くとっ捕まって、いそいそ連れ込まれた小部屋へ饐えた臭いと共に、押し入ってきた無粋な闖入者  
とその連れの、聞くに堪えない痴話喧嘩。  
 しかし、到底“合意の上での行為”だとは思えない幼い涙声が、場の空気を恐ろしく煮詰めすぎて  
完璧に、萎え果てた。  
 
と言う訳で、俺の足元へ座り込み、熱心且つ濃厚な御奉仕とやらに励んでる顔馴染みのコーティザンの  
こめかみあたりを軽く突っついてやる。  
 経験の浅い若造なら、それだけで果ててしまいそうなほど色っぽい表情を装っている流し目に一瞬  
得意げな笑みが浮かんだのを醒めた気分で見下ろしながら、熱い口内から俺自身を引き抜いた。  
 
「……なぁにぃ? 『下』で犯って欲しいのなら、追加料……」  
 
そう言いながら、もぞもぞ最新流行のドレスの裾を持ち上げ始めたソイツの口に、ソブリン金貨を一枚  
押し込んでやってから、手早く最低限の身繕いをする。  
 しかし、窮屈な背広を脱ぎ捨て、ホワイト・バタフライを引き千切り、カフリンクスを外し投げて  
ワイシャツの腕を捲り上げるだけで、早くもわくわくしてる自分の単純さには、苦笑するしかない。  
 
 
  ゆったりとした大股で、一歩、二歩、三歩。  
 
 
態々、足音を潜めて忍び寄るなんて小洒落た真似なんぞしてやる気もなかったのだが、ドア脇のごつい  
棚へ無理矢理押し付けた小さな体に覆いかぶさって、陳腐な脅し文句をわめき続けてる下種の愚行は  
その程度では当然止りもしない。  
 挙句の果てに、見たくもない貧相な尻を堂々と晒して、中途半端に擦り降ろしたズボンごと盛りの  
ついた野良犬宜しく無闇矢鱈と腰を振り始めやがったので、嫌々大莫迦野郎の肩を叩いてやる。  
 案の定、酒精と肉欲で目の焦点すら合ってない胡乱な間抜け顔が振り返ってきた瞬間、全体重を  
掛けた拳をその鼻っ柱に叩き込んだ。  
 何度も感じたことがある手応えと何度も聞きなれてる破壊音を撒き散らしながら、速やかに床へと  
崩れ落ちていく愚か者の下敷きにならぬ様に、柔らかな肢体を素早く引っ張り上げる。  
 
が、腕の中の心地よい重みやら香りやら温もりやらを堪能するより早く、酒精の所為で中途半端に  
痛覚が鈍っていたらしいロクデナシが、唸り声と共に上体を起こしかけてるのが見えた。  
 
「腕立て伏せ、五十回追加」  
 
全然、ペナルティにすらならない誓いを口走りつつ、往生際の悪い痴れ者の下顎を力一杯蹴り上げる。  
 で、のた打ち回りながら、白い小粒の固形物混じりの吐瀉物をニ・三度床にぶちまけてた潰れ蛙が  
やーっと静かになったと思ったら。  
   
「い……っ、やーーーぁ!!! ごめんなさい、ごめんなさい、許して……下さ……、殺さないでーっ!!!」  
 
微妙な角度で当たってる胸が結構でかい事に、いろんな意味でテンション急上昇中な自分にとことん  
正直な俺の腕の力が、少し強すぎたらしい。  
 
だけど、必死で俺の頬を掻き毟っている指先の薄い爪の触感さえも、心地よい愛撫としか感じられず  
覗き込んだ翠色の瞳が溺れているように潤んで、部屋に連れ込まれた時には綺麗に結い上げられていた  
長い髪も、今は豊かな黄金の滝と流れ落ちていくばかり。  
 
(……ん? この子、何処かで?)  
 
決して多くはない“知っている女性”の記憶を、貧しい脳味噌の中からなんとか搾り出すよりも早く  
少々デザインが旧い感じの、簡素な夜会服の襟元から覗いている白く滑らかな首筋へたった今、点々と  
付けられてしまった赤い痕を見た途端、箍が外れた。  
   
 
  甘い甘い、唇。  
 
 
軽くついばむ様な口付けは、瞬く間に深く貪る動きへと変わる。  
 くぐもった悲鳴と共にいやいやと首を振り続ける懸命な抵抗さえも、むしろ俺の更なる愛撫を強請る  
おねだりだとしか思えなくなっていた。  
 一度、唇を離してやって少女が大きく喘いだ時、小さな口内へ強引に侵入して逃げ惑う柔らかな舌を  
無理矢理絡めとって、存分に舐りまわす。  
 溢れ出る唾液を全部流し込んでやって激しく掻き回し、彼女のと混じり合ったそれを総て吸い上げる。  
 何時の間にか、背中へ回されていた細い腕がずるずると滑り落ちていき、がくがく震え続ける華奢な  
体も、柔らかな重みを増して溶け崩れたのを確認してから、渋々唇を開放した瞬間。  
 
「“狩人”が“人喰い狼”に変身してどーすんのよっ。この、慮外者っ!!!」  
 
裂帛の気合と共に、俺の後ろ頭へピンヒールの踵が深くめり込んだ。  
 
下半身丸出し状態な阿呆の手足を、カーテンの紐できっつく縛り上げて、そのまま物陰に放置後  
『首筋のソレ、隠さないと色々不味いんじゃない?』のアドバイスに従って“高級肉体労働者”用  
控え室にいまだ朦朧としている少女をこっそり連れ込む。  
 やがて、色々と慰められながら適切な処置を受けて、濃い目のホット・バタード・ラム・カウを  
少しずつ啜っていた少女が幾分落ち着いた頃を見計らい、忘れ物を回収する為に彼女の前に跪く。  
   
「……えーっと、ごめん。俺……じゃなくて、私の名前は、ガウェイン=ガーナーと言います。  
 貴方のお名前を、正式にお伺いする事をお許しくださいますか? ラグネル公爵のお嬢様」  
「……ヴィクトリア・エタルド=ラグネルと申します。どうぞ、トリアと呼んでください」  
 
 
  純白の薔薇が、硬い蕾をふわりとほころばせ、柔らかな薄紅色に染まっていくような微笑み。  
   
 
何故かそれが、胸の奥底にすとんと収まって、唐突に『捕まってしまった』と自覚した。  
 
   
確か、幼い頃に乳母から『見つめられると息が止り、声をかけられると姿が消え、触られると石になる』  
そんな呪いを受けた亡霊騎士が、たった一人の乙女の真心で永遠の救いを得る……ってな寝物語を聞いた  
ような覚えが有るけれど。  
 それが“本当のお話”なんだとはこれまで、全然気付きもしなかったし、それ以上に思い知ったのは  
いかに自分が“諦めの悪いヘタレ”なのかと言う事。  
   
『北の国境近くの港湾都市に、ガーナー商会の支店を立ち上げる』  
 そんな、糞親父の提案に乗っかる様に一目散で逃げ出して、胸の痛みを誤魔化しながらなんとか  
諦めようと努力していたつもりだったのに。  
 恐る恐る参加した、ユール祭の舞踏会場で『淑女にダンスを申し込む権利』とやらに、有り金全部  
注ぎ込んで、なんだか随分痩せてしまった様に見える永遠の乙女を、堂々と掻っ攫ってしまっていた。  
 でも、優雅なリードなんか出来る訳も無いし、ましてや気の利いた会話を交すなんて絶対、無理だと  
最初っから解っていたから。  
 結局、自分が知っている中でも一番小洒落たパブの片隅で、ふわふわ舞い落ち続ける牡丹雪を窓越しに  
見上げながら、一皿のユール・ログを二人で分け合って食べた。  
 そして『とても楽しかった今宵の思い出にしたいです』と彼女に乞われて、お互いの胸元を飾っていた  
金と銀のミスルトゥの小枝を交換した時の本当に嬉しそうな笑顔から、目が離せなくなっていた。  
 
 
  だから、それを、ずっと守ってやりたいなんて、一人で勝手に思い込んでしまった。  
 
 
彼女の父親が、代替わりした時の莫大な相続税や、体面とか気位を保ち続ける為の維持費を捻出しようと  
起こした事業にあっさり失敗して破産寸前である事を聞き及び、深く考えもせずに資金援助を申し出た。  
 
その程度の事しか思いつけなかった俺が、やっと決定的な間違いに気がついたのは、なにもかも総てが  
終ってしまった後。  
   
身に纏った最高級の花嫁衣装よりもなお蒼白い顔をした少女は、長い式の間もずっと固く唇を引き結び  
ついぞ笑いも泣きもせずに、悲しい瞳でぼんやりと自分の手元を見つめ続けるだけで。  
 糞親父とその取り巻きたちだけが異様に盛り上がっているのをばっさり見捨てて、閨に赴く頃には  
ひょっとしたら彼女の方こそが亡霊で、偽りの愛を無理矢理誓わされてしまった為に、このまま儚く  
消えてしまうのではないのかと、空怖ろしくさえなっていた。  
 そんな俺が、必要以上に力を込めて華奢な肢体を手荒く押し倒しても、少女はそのまま大人しく  
屠殺台に据えられる子羊の従順さで寝台に貼り付けられて、覆い被さりながら深く口付けてみても  
その視線は永遠を彷徨ったまま。  
 それでも、半分引き毟る様に胸元のボタンを外して、柔らかく張り詰めた乳房を乱暴に鷲掴んだ時  
やっと彼女はその虚ろな瞳を俺に向け、薄く紅の引かれた唇を微かに動かしてくれた。  
 
「……ごめんなさい……」  
「……え?」  
「私が、貴方に、して差し上げられる事は、もう、これ位しかないんです。……だから」  
   
ぶるぶる震え続けている白い手が俺の下半身へと伸ばされて、これ以上はないほど不器用な仕草で  
躊躇いがちに秘所へと潜り込む。  
 やがて、おずおずと導き出された半立ち状態の欲望は、少女のひんやりと冷たく細い指でゆるゆると  
弄ばれて、滑稽なくらいに容易く角度と硬度を増していった。  
 そしてそれにゆっくりと小さな頭が近づいていく様は、夜毎訪れる淫夢の中で捏造していたものよりも  
遥かに悲壮感に満ち溢れ、同時に凄まじく劣情を煽り立ててくれたのだけれども。   
   
何故か『やめてくれ』という叫びは、喉の奥底にべったり張り付いて、代わりに吐き出してしまったのは  
鋭い舌打ち。  
 薄い肩がびくりと大きく震えて、恐る恐る振り仰いできた泣き出しそうな表情を、只見たくない一心で  
小柄な体をうつ伏せにしてきつく押さえつけたまま、僅かに潤んでいたのを良い事にろくな前戯すらせず  
無理矢理貫いた。  
 狭く熱い秘所から溢れ出てくるのは、ほとんど愛液で薄まった気配が無いぐらい鮮やかな、純潔の証。  
それだけを潤滑油として、更に最奥へ強く捻じ込んでいく度に戦慄く滑らかな背中を、噛み付くような  
口付けで激しく愛撫しながら、所有印を散りばめた。  
 
    
  もう、愛されたいなんて、望まない。むしろ、殺してやりたいと、憎んで欲しい。  
 
 
そんな身勝手な気狂いの慟哭さえ、拒絶も否定もしないまま、か細い謝罪の言葉と共に果ててしまった  
少女の行き止まりへ猛り狂う灼熱の楔をきつく押し付けて、自分の総てを注ぎ込んだ。  
 
 

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