「若様のお相手は何とかの宝石、と称されているお美しい御方らしいわよ」  
「きっと、お似合いのお嬢様でしょうね」  
「結婚式はこちらでおやりになるのでしょう?忙しくなるわね」  
 仲間のメイド達が楽しそうにお喋りに興じる中、わたくしは胸に重く圧し掛かる  
思いを振り払おうと、明日のお食事の材料を準備するため、離れにある貯蔵庫へと  
一人向かいました。  
 お屋敷はとても広く、離れと申しましても歩いて五分以上かかります。その上、夜も  
更けてまいりましたので辺りは暗く、頼りになるのは回廊の柱に灯された蝋燭の明りと  
手に持ったランプだけです。  
 厚い雲が空に立ち込めた今宵は、蒼白い月の明かりも差し込んではくれません。  
廊下には蝋燭の炎に照らし出された柱の影が不気味に伸びておりました。わたくしは  
小心者でございます。普段からこの食材を取りに行く役目は苦手でございましたが、  
今日は生きた心地がしないぐらい恐ろしく感じます。しかし、お勤めはお勤めです。  
震える足を一歩ずつ進ませ、何とか離れまでやってくることができました。  
 離れに辿りついたことで、わたくしは油断してしまっていたのでしょう。  
 安堵の溜息を吐いた瞬間、後方の柱の影から忍び出てきた"何か"に抱きすくめられ、  
叫び声を上げる前に口元を素早く抑えられてしまいました。身の毛もよだつ様な恐怖に  
震えながらも、わたくしは助けを求めようと必死に身を捩り抵抗を試みました。しかし、  
拘束は緩まるどころか、ますます強くなっていきます。泣きそうになる心を奮い立たせ、  
尚も身悶えを繰り返しましたが、声を上げたところでここは普段、人の立ち入らない  
場所です。きっと誰にも気づいてもらえないでしょう。  
 自分の人生はここで終わってしまうのだろう、と覚悟を決めたその時でした──  
「頼むから落ち着いておくれ。万が一、誰かに見つかると厄介だ」  
 耳元で密やかに囁かれた声は、あの御方のもの。  
「わ、若様!?」  
「そう、僕だ。だから落ち着いて」  
 そっと口元から手が離れ、動きを束縛していた手が緩まったので振り向くとそこには  
夜着の上にコートを羽織られた凛々しい若様が立っておられました。  
「……何をなさるのですか!」  
「お前が悪い。ここ最近、全然顔を見せない。僕を避けている」  
 確かに”あんなこと”があって以来、わたくしは若様のお側仕えを意図的に避けるように  
なりました。特に日が暮れてからは、若様の前に参上することはしておりませんでした。  
「僕の気持は分っているのに……僕を避けるお前が悪い」  
「あ、あんなことを二度としないとお約束頂けるならば、いつでも……」  
 次の瞬間、強引に唇を奪われ、柔らかな若様の舌で口内をねっとりと舐られます。  
「悪いけど、それは無理な相談だ。お前は僕のものだ」  
 強い眩暈を覚え、立ち眩んでしまいます。この御方は聡明ではあらせられるけれども、  
まるで事の重大さにお気づきでない。  
「若様は、名家の子女を伴侶としてお迎えになられるのでありましょう?」  
「僕が興味ある女は、お前だけだ。お前以外の誰かなど僕にとってはどうでもいい存在だ」  
 信じられないような台詞を真摯な眼差しで仰られたため、わたくしは言葉を失って  
しまいました。  
 
「信じて欲しい。僕はお前が欲しい」  
「……わたくしは、若様のものでございましょう?」  
 皮肉を込めてそうお返しすると、若様は眉間に皺を寄せて深刻な表情をなさる。  
「お前の心は僕に向いていない」  
「わたくしのお仕え申し上げようという気持ちに二心はございません」  
「違う!……僕は忠誠など望んでいない」  
 若様がメイドとしての忠誠でなく、一人の女としての愛情を捧げよ、とわたくしに仰っている  
ことは重々承知しております。しかし、主人と最下層のメイドの立場は勿論のこと、若様は  
御婚約を控えられた身であり、本来であればこのような場で二人きりでお話することすら、  
罪深いことでございます。  
「無茶を仰らないでください。わたくしは卑しい女です。若様のお相手は……!?」  
 次の瞬間、若様に手首を掴まれそのまま何かを巻き付けられると、空き部屋に強引に  
連れ込まれてしまいました。  
「わ、若様。な、何をなさるおつもりですか!?」  
 
 ◇ ◆ ◇ ◆  
 
「んっ……やぁ……おやめ……ぁぁ、く、ください」  
 部屋に引き込まれると、縛られた両手を壁面のホックに掛けられ、壁に向き合って  
立つような姿勢を取らされました。若様の眼前に、わたくしの臀部が無防備に晒されて  
しまっております。  
 若様は無言のままわたくしの身体に掌を這わされました。しかし、、早々に下着を  
剥ぎ取られ後ろからこの御方の熱いもので貫かれてしまいました。わたくしの嫌がる  
素振りなどまるで気にする様子もなく、若様は強引にことをお進めになられています。  
腰を掴まれ乱暴にお尻に若様の身体が叩きつけられる度に、全身に熱を持ったピリピリ  
とした刺激が走ります。  
「どうして……どうして!」  
 首をどう動かしても、後ろに立たれた若様のお顔が見えないことは分かっています。  
ですから、薄暗い壁に向かってありったけの声で叫びました。  
「こんなの……こんなの、ふっ、んぁ……いけま……せん」  
 わたくしは買われたメイドという卑しい人間ですが、娼婦ではありません。しかし、  
これでは娼婦以下の、まるで肉欲だけを満たす玩具です。自由を奪われ、相手の顔も  
見えず、無言のまま突き入れられるなど──相手が若様でなければ、恥辱のあまり舌を  
噛んで死んでいてもおかしくありません。  
「いや、いや……お願いです……ぁぁ」  
 身を捩って抵抗を試みますが、腰に回された若様の手に抑え込まれ無駄な試みに  
終わってしまいます。  
「僕は……」  
 この部屋に入って、初めて若様のお声を開きました。  
「僕はお前に僕の子供を産んで欲しいんだ」  
「!?」  
──な、何を仰っているのでしょうか、この御方は!  
 
「そ、それは若様の奥様のお役目……」  
「僕はお前に子供を産ませる」  
 わたくしの言葉を遮った若様の声には興奮する様子もなく醒めた淡々としたものでした。  
「子供はその子一人だ。僕はお前以外の女を閨には連れ込まない。例え、それが  
妻だとしてもだ。そうなれば、いずれ父さんも母さんもお前と子供を認めてくれるはずだ」  
 無茶苦茶なお話です。そんなこと許されるはずありません。しかし、その甘美な幻想を  
告げる若様の声が残響となって、わたくしをかどわかそうといたします。  
「ぁぁあん……無理、無理ですぅ、ぁあっ」  
「無理ではないさ。僕がやってみせるというのだ」  
 若様の性器は熱く猛っておいででしたが、その口調は落ち着き払った理路整然とした  
ものでした。  
「だから、僕に任せてお前の全てを預けてくれないか」  
 そう仰って若様は上体を折り曲げ、わたくしの背中に覆い被さりました。武術の訓練で  
鍛え上げられた逞しいお身体が衣服越しながらハッキリと感じられます。  
「嬉しいのか?お前の内側がキュウキュウと締めつけてくる」  
「なっ!?」  
 返す言葉に詰まってしまったのは、若様の指摘が正鵠を射ていたからです。  
 後ろから密着され耳元にその吐息を感じ、初めてわたくしは若様と交わっているのだ、  
と実感することができました。相手が若様であれば牢獄のような薄暗く埃っぽい部屋で  
自由を奪われ後ろから犯されていようが、不思議と充たされた気持ちになってしまうのです。  
 しかし、そんなことを素直に言えるはずはありません。ですから、わたくしは唇を噛み、  
押し黙ることで、メイドとしての矜持を守ろうとしたのです。  
「……すまない。つまらないことを言った」  
 無言を貫くわたくしに若様は申し訳なさそうに告げられ、圧し掛かる姿勢のまま再び腰を  
動かし始められました。  
「こんなことをされて、悦ぶものなど誰もいない……分かっているんだ」  
 若様の沈痛なお声はわたくしの胸を締め付けました。若様は何も間違ってはいないの  
です。わたくしはどんな形であれ、若様に抱かれて悦んでいるのです。しかし、それは口が  
裂けても申し上げることはできません。  
「……どうして、僕は僕なんだろうな?どうして、お前と愛し合える人間に生まれなかったの  
だろうか」  
 ゆっくりとした口調ながら若様の一言一言が、わたくしの心を抉りました。それは  
"あの時"以来、何度わたくしが夢見たことでしょう。もし──もしも、わたくしがもう少し良い  
血筋の人間であれば人目を憚ることなく──。   
「若様」  
「いいんだ。気にするな」  
 その言葉とともに、若様のお身体が離れていきます。ぬくもりが急速に冷め、わたくしは  
喪失感に包み込まれました。それを思わず口にしようとした瞬間、息がつまるほどの  
刺激が全身を駆け抜けます。若様が腰を掴み深く、深く突き入れられたのです。  
「んっ!?ぁぁああ」  
 身体の深い部分に届いた若様の先端は電流にも近い快感を巻き起こします。あまりに強い  
その刺激が歓喜に変わり、全身の震えを止めることができませんでした。  
 
 そのまま、若様は少し乱暴ではありましたが、激しく出し入れを繰り返されます。痺れに  
似た凄まじい甘美な熱が押し寄せ、次第にわたくしはそれに溺れていきました。  
「はぁぁ、っんぁぁ……ぁあんぅ」  
 喉の奥から迸る声はまるで自分のものに聞こません。  
 はしたないという理性の咎めは、まるで効果を持たず止め処なく喘ぎが溢れ出てしまい  
ます。  
──若様はこれでわたくしが悦んでいることを分かってくださるかしら。  
──愛おしい殿方に狂おしいほどに求められて悦ばない女などいないのに……。  
 そんな想いを言葉にしたい、何度もそうしようと試みましたが、結局それを紡ぐことは  
できず若様がお与えくださる悦楽に押し流されて荒い呼吸を繰り返しているだけでした。  
でした。  
 一体、若様はどんなお顔でわたくしを貫かれているのでしょう。  
──もし若様に悦んで頂けるならば、わたくしも嬉しいのに……。  
 
 ◇ ◆ ◇ ◆  
 
 行為の余韻が醒めても二人して床にしゃがみ込み、後ろから若様に抱き締められた  
まま、まどろんでおりました。  
 若様はわたくしの肩に顎を乗せ、目を瞑り押し黙られていました。  
 折り重なった長い睫毛は微動だにせず、その表情から感情を推し量ることはできません。  
重い沈黙に押し潰されそうになりながら、わたくしは行為のせいで力の入らない身体を  
若様に預けておりました。  
「……お前は」  
 薄暗い照明の空き部屋に若様のおもむろな言葉が響きました。  
「あの時、嬉しいと言ってくれたよな」  
 "あの時"とは、若様のお部屋で身体を重ねた時のことを仰られているのでしょう。  
「……今も変わらないか?」  
 もし行為の最中にそう訊ねられていたならば、一も二もなく頷いてしまっていたでしょう。  
しかし、ほとぼりも醒め、理性が本能を完全に制御下に置いてしまった今は違います。  
「お忘れください、と申しました」  
 わたくしがポツリと呟いた言葉を聞いた若様の身体が小さく震え、胸の前で組まれていた  
腕に込められた力が一層強くなりました。  
「そうか……そうだったな」  
 それっきり二人の間に会話はなく、ただ息苦しい沈黙の中で身動き一つせず身体を  
寄せ合い、ぬくもりを分け合っておりました。  
 
(了)  
 

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