その後、私と彼は裏山を歩き続けた。  
 放課後まで財布はあった。帰りに購買でシャーペンの芯を買ったから間違い  
ない。帰り道から今までの間で落としたようだが、どう帰ってきたのか訊かれ  
て困った。直なら一分しかかからない距離を遠回りし、何十分もかけて裏山の  
洞穴に辿り着いたのだ。  
「百二十円ぽっちしか入ってないんだろ? いいじゃん別に、諦めろよ」  
「絶対に嫌。死んでも探す」  
 私の断固とした口調に彼はため息をついた。  
 百二十円は十歩譲ってどうでもいいとして、財布と、なにより小銭入れの中  
に入っていた金の指輪が痛手だった。  
 母から貰った金の指輪は、王冠とハートと両手でできている。リング状の両  
手がハートマークを形作り、その中に王冠を被ったハートが収まっていた。寮  
ではいつもつけていたが、学校に行く前に財布の中にしまっていた。それが裏目に出た。  
 私が「大切なものなの」というと、彼は不平も言わず一緒に探してくれた。  
 
 一時間以上歩き回っても見つからなかった。夕陽が地平線に落ちて、夜の帳  
が森を覆う。時刻は七時過ぎ。辺りは暗くなり、月の光だけでは見つけようが  
なくなっていた。  
「もういいよ。後は私が探すから」  
「いや、付き合うよ。絶対に見つけるんだろ?」  
 汗だくになっても歩く私たち。彼は疲れの色を見せなかった。  
「でも悪いよ。家の人が心配するよ?」  
 彼は目を丸くして、私のおでこを左手の親指で軽く突いた。彼に押されて足  
元をふらつかせてしまう私。「ちょ、ちょっと。何よ!」  
 両足でふんばって、彼を睨みつける。  
「お前の方が心配するだろ。一応良家のお嬢様なんだろ? ケータイで連絡しろよ」  
 寮の門限は九時だった。事前に連絡しないとペナルティーが発生するが、私  
は携帯を持っていなかった。  
「……ないよ、ケータイ」  
 普段なくても生きていけると言い張ってきたが、コンプレックスも感じてき  
 
た。ケータイがあったらとても便利だろうし、ぴこぴこゲームを楽しみたい時もある。  
 途端に彼は「ダサッ!」と言ってにやりと笑う。  
「くっ、うるさいわね。他人の経済状況に文句言わないでよ」  
「悪い。実は俺もケータイ持ってないんだ。だから仲間だな」  
 人を馬鹿にしておいて自分も持っていないとはどういうことだろう。私は  
「ダサッ!!」と大声で言い返した。彼は笑った。  
「ま、持ってたってここ電波悪いし繋がらないけどな」  
 彼はくっくと笑った。私も笑ってしまった。  
「同士よ」  
 彼が高らかに声をあげ、両手を宙にオペラ歌手のように滑らかに広げた。  
「何よ」  
「ケータイレス友達なんて初めてだ。よろしくな」  
 彼が白い歯を見せつつ右手を差し出してきた。握手したいようだ。私はその  
手をバチッとはたいて「よろしく」と半目開きでいった。  
 彼がぎゃっはっはと爆笑した。小馬鹿にしたはずが彼を喜ばせたようだ。悔しい。  
 彼が急に笑うのをやめ、物思いにふけった。  
「お前さ……鞄、調べたか?」  
「ん? 調べた、と思うけど」  
「もう一度調べてみろよ。念のためな」  
「う、うん」  
 私はその場にお尻をついて両膝を曲げて女の子座りをした。  
 鞄の留め金を外し、中に手を突っ込んで教科書、ノートを取り出してゆく。  
鞄の左側に積みあがってゆく教科書たち。逆に鞄の中は空いてゆく。暗闇の中、  
右手が柔らかい皮に触れた。手に納まる皮製の財布が鞄から出てきた。月の光  
で財布が茶色と判別できる。間違いなく私の財布だった。  
「あった」  
 隣で忍び笑いが聞こえてくる。私は脱力して背中から大地に倒れた。背中に  
掛かる軽い衝撃と、草の湿った匂い。沢山の虫があちこちで鳴いている。  
「はぁ〜〜」  
 腹に力を入れて上体を起こし、右手の財布を広げる。三つ折りの財布の、小  
銭入れをぱちんと開ける。五十円玉二枚と十円玉二枚、そして金の指輪が入っていた。  
「どぉ〜〜」  
 雑草生い茂る大地に、再び倒れこむ。彼は隣で爆笑している。月が煌々と光  
る裏山で私が吐くため息は、彼の笑い声でかき消えた。  
「そこの少年、黙りなさい」  
 彼の「ひぃ〜、ひぃ〜」と苦しそうに呼吸する様が実に哀れだ。下らない人  
間は瑣末な事で笑う。汗びっしょりの制服を着たまま、私は月を見上げる。  
 綺麗だ。空を漂う幾層の雲が、ゆっくりと風に吹かれて流れていく。雲さえ  
なければ満点の星空が見えたが、これはこれで美しい。  
「ねえ少年」  
 隣の彼は「はひぃ、はひぃ」と相変わらずのたうち回っているが、気にせず  
問いかけた。  
「君は実に下らない事におかしさを感じてるようだけど、空を御覧なさい。月  
が綺麗でしょう?」  
「駄目駄目だよなぁお前」  
「人間がどんなに下らない抗争を続けようと、太陽は沈み、月は輝くものよ。  
だからあなたもその馬鹿笑いはとっととやめて、落ち着きなさい」  
 つとめて冷静に語りかける。やっと彼も笑うのをやめてくれた。  
「お前さ、実は馬鹿なのな」  
 ぐさりと来る事を平然という。  
「うるさいわねぇ」  
「間抜けでお茶目だよ」  
「……」  
「ま、見つかってよかったな」  
「うん」  
 彼が立ち上がり、私の元まで歩いてきて左手を差し出してくれる。私はその  
手を掴み、彼の腕の力で一気に立ち上がった。  
「ありがとう」  
 感謝の言葉が簡単に出た。彼は「おうっ」と小さな声で返事をした。  
「ごめん。悪かったわ」  
 
「そんな事もあるさ。よかったじゃんか」  
「うん……あ」  
 私はその時になって、彼の名前を聞いてない事に気がついた。  
「貴方、なんて名前?」  
「言ってなかったっけか。広島雄人。広島県の広島に雄のゆう、人のひと」  
「広島君ね」  
「ばっ、やめろよッ! 広島とか、雄人でいいよ」  
 『広島くん』がやけに取り乱していたので、今後は広島君及び雄人くんと呼ぶ事にする。  
「ゆーとくんは、何年生なの?」  
「ぐっ」彼は絶句し、低い声で「高一だよ。お前も高一だろ?」といった。  
 私は膝を折ってよろける。「違います。高三です」こちらも低い声を出した。  
 彼は目をしばたたかせて「マジで? 二個上? ……紗里奈。お前優位に立  
ちたいからってサバ読むなよ。見苦しいぜ」  
 そういって私の肩をぽんぽんと叩く広島。こいつ何歳か知らないが非常にむかつく。  
「広島」  
 私が憤怒の形相で彼の手を払った。  
「はい」彼が一見おびえてみせる。演技だ。こいつ間違いなく私をナメてる。  
「なめんなよ。私は高三だ」  
「……」  
 彼の頬がぷうっと膨らむ。笑いを堪えている。  
 むかつく。  
 
 
 
次回へ続く。  

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