放課後、雄人は紗里奈にアウトレットで服を一着贈った。久々のデートで二人ははしゃ 
ぎ、腹筋が痛くなるほど笑い続けた。 
 ウィンドウショッピングがしたいという紗里奈に、奢らないけど見に行くことにして、 
中心街にやってきた雄人。学園からここまでバスなど使って一時間かかる。大都市ほど栄 
えてないが、ここでしか販売されない服があった。気鋭デザイナーの作った新作が店に並 
べられ、その壮観さは宝の山のようなものだった。 
「紗里奈ね〜、セーターが欲ちいんでしゅ〜」 
 中には小学生の知能をひけらかす者もいる。 
「そー。よかたでしゅね〜」 
 紗里奈はめげずに何度となくスポンサーにお金をねだり、スポンサーは微笑んでかわし 
た。 
「この服私にぴったりだと思うでしょ?」 
「ま、眩しい。こんな服じゃ紗里奈が可愛そすぎるよッ!」 
 スポンサーは色々な言い訳をこしらえて紗里奈に合う服を切り捨てていった。しかしス 
ポンサーも人の子。ビビッと来てしまう事もある。丁度目の前にピンクのセーターがあっ 
た時だ。 
 雄人は数秒見て「マズイ」と思った。背中から胸元を通って交差する三つ編みのような 
柄、朝日のようにきらめく桃色のセーター。デザイン、色。共に完璧だった。しかも紗里 
奈はピンクを探していた。隠さなくては。 
 雄人は足早にラックに駆け寄り、服を手に取った。途端、ぞわっと身体に震えが走った。 
縮れ毛のセーターの柔らかい感触を、手のひらで確かめてしまったのだ。 
「やっべー!」雄人は感動すると普段より更に大声になる。 
「何がやばいの? 雄人! でかした」 
 紗里奈が俺の右手に注目し、近寄ってきた。 
 マジで。よりによって、紗里奈に見つかるとは。あぁ、や、柔らかい。この毛が。 
 ハンガーごとセーターを右手で掴んでいると、右手がぽかぽかしてくる。手触りがとて 
も良かった。値札は二万九千円。 
 (殺す気か。) 
「雄人、感動した。私のためにこの服見つけてくれたんだね」 
 紗里奈が目をうるうるさせて俺を見上げてくる。その目禁止。  
 
「試着するー」 
 紗里奈が俺の右手を掴もうとする。 
「やだー」 
 俺は右足を一歩下げて避ける。 
「しちゃくするー」 
「むしろ俺が」 
「貴方着れないから。あ、雄人が選んで買ってくれる予定のピンクのセーターが」 
「買いませんあげません」 
「いけずー」 
「黙らっしゃい紗里奈。いい、この服が貴方に似合うわけないじゃない!」 
 そう言って紗里奈の胸元にピンクのセーターをあてがう。にこにこと微笑む紗里奈。超 
可愛い。 
「はぁ〜」 
 似合う。似合い過ぎる。もう駄目だ。 
「ぜんっぜん似合わねー。しかも高ぇ」 
「雄人、ありがとう。大切にするね」 
「まだ買ってねえ!」 
「鏡見たいな。行こう?」 
 紗里奈が俺の手を引っ張り、目を輝かせて鏡の前で立ち止まる。俺はしぶしぶピンクの 
セーターを渡し、紗里奈は上着と帽子を脱いで、セーターを頭から被って着衣した。紗里 
奈の今日の服は黒のパンツと白のシャツ、ベレー帽だった。上着がピンクに変わるだけで 
華やかに感じられる。この服以上に合うのはきっと、見つからないだろうと思うぐらい合 
っていた。 
「誰だ〜、似合わんぶっこいた少年はぁ?」 
 もはやお気に入りとなってしまった桃色のセーターを着込んだ少女が俺を脅す。どんな 
怖い顔作ってもお前の可愛らしさはきっと一生変わらない。 
「合ってるじゃん」 
 反論できない自分が悔しい。一旦目を閉じて、冷静になっといて語り始める。  
 
「お前は、こんな服で満足してちゃいけない」 
「むむっ、この服馬鹿にする気?」 
「当然だ。お前は最高に可愛いんだ。こんな服じゃ甘い、甘すぎる」 
 結論から言うと、店主が更に値引きしてくれて一万五千円で買った。誕生日プレゼント 
と言って渡すと紗里奈は頬を染めて喜んだ。夕食はファーストフードで済ませた。最初は 
もう少しまともな店を想定していたが、思わぬ出費でお金が吹っ飛んだからだ。紗里奈は 
快くバーガーを頬張り、俺はそこで裏山に登ろうと提案した。 
 俺達が出会った場所に行こうというと、紗里奈は頷いた。 
 
 
 夕闇が森を覆い、夜空にアンドロメダ、カシオペヤ、白鳥座など幾重にも星が煌いてい 
る。都市部から離れた学園近くの森では、プラネタリウムのように星を見る事が出来た。 
 時々立ち止まっては澄み切った夜空を眺め、雄人の星座講義を拝聴した。雄人と手を繋 
いで、時に歌った。互いに分かってた。来年になれば私は東京に行くから、雄人とも会え 
なくなると。今でさえ会えないのだ。もう二度と会えなくなりそうな、そんな気さえして 
いた。それが怖かった。雄人の手を強く握ると、彼は握り返してくれた。雄人はここにい 
る。なのに不安で仕方なかった。 
 以前大学を変えようと言ってみたら、雄人に本気で怒られた。馬鹿だった。自分の弱さ 
を思い知らされ、雄人を更に好きになった。雄人のために料理を勉強しはじめた。受験生 
なのに息抜きで料理本片手にキッチンに立った。徐々にレパートリーは増えていったが、 
料理のセンスは彼には敵わなかった。二人して音楽が好きで、彼は歌が下手だった。音痴 
という言葉は地雷だった。でも彼は楽しそうに歌う時、音程は合っていた。最近スーパー 
銭湯に出かけた。雄人の鼻の下が伸びてて、少し嬉しかった。雄人と下らない事を言いあ 
っている時が一番楽しくて、一週間会わないなんて考えられなかった。 
 付き合いだして、「好きだよ」というと照れる彼が可愛かった。逆にそういわれると気 
恥ずかしくて、互いに「好きだよ」と言い合っていた時もある。周囲から苦笑され顔を赤 
面させても言い続けて、自然とキスができるようになった。 
 映画のエンディングで喧嘩したこともある。互いに譲らず、最後は「あれはフィクショ 
ンだから」といって休戦協定を結んだ気がする。今なら違って見えるだろうか。彼は違っ 
た感想を抱くだろうか。  
 
 二人で森を歩いている。雄人の顔が月明かりに映えている。喋らなければ好青年だ。何 
度かモデルに誘われた事もあるらしい。部活や勉強、デートを理由に断ってきたらしい。 
喋ると下ネタ発言が堰を切ったように飛び出すが、彼なりに自制しているらしい。 
 雄人の歩みが止まり、こちらを見た。 
「紗里奈、きょ、今日は誕生日おめでとう」 
 いつになく雄人はギクシャクしている。頷いて微笑んだ。 
「ありがと。服、今度着てくるよ」 
「あ、あのさ、誕生日プレゼント。実はそれじゃないんだ」 
 雄人は自分の上着のポケットをまさぐり出し、手の動きを止め、パンツのポケットに手 
を突っ込んでまた止まった。上着をぱんぱんと叩き、ズボンのお尻まで叩いてもう一度上 
から何かを探し始めた。布の擦れる音がするが、雄人の探し物は見つからないらしい。 
 一通り探してから雄人は顎に手をやって悩み出し、悪態をついて地面に倒れた。 
「うおぉぉぉ〜〜〜〜!! 紗里奈、すまん」 
 歯医者で聞こえそうな情けない声を出して雄人は立ち上がる。 
「え、何が?」 
「本当はお前に、指輪をあげるつもりだった。多分家だ」 
 言い終わると頭をガクリと下げて、沈黙した。 
「え?」 
「そんなに高いもんじゃない。っぐあぁ〜」 
 ピンと来た。一週間も会えなかったのは、今日のためだったのだ。 
「もしかして、この一週間って超ハードスケジュールだった?」 
「馬鹿だぁ……はぁ。バイト一杯入れてた」 
 一週間会わないので、大量の宿題を課していた。雄人は今日、全て提出してくれた。そ 
れにバイト、学校とこなしきったというのか。呆れた。 
「雄人」 
「何だよ」 
 落ち込んで下を向いていた雄人にキスした。雄人は目を見開いて驚き、強く抱きしめて 
くれた。 
「馬鹿でしょ実は」 
 微笑んでからかう。  
 
「それでいいんだよ」 
 雄人。雄人はたまに生意気になる。雄人はたまに格好よくなる。雄人は。 
 キスされた。 
 胸が苦しくて、時が止まる。喋りたいけどキスしたい。キスすると言葉が消えてしまう。 
まるで全て、意味がないかのように。 
 頭が止まる。雄人もちゃんと見えない。でもキスしてる。それは分かる。雄人が好き。 
それは確かだ。 
「俺、お前が好きだから。これからも付き合ってほしい」 
 雄人は穏やかな、澄んだ目をしてた。目が潤んでゆく。口が歪み、言葉が詰まってしま 
う。 
 頷いた。目尻を寄せて、声も出せず顔を雄人の胸に寄せた。せっかくのオニューの上着 
に鼻をつけて、両手を雄人の背中に回す。大きくて広い背の、腰の辺りに手の平で抱きつ 
く。胸が苦しくて仕方ない。しょうがない、恋だから。 
「ゆうと」 
 かすれ声を出す。「ん?」 
「ごめん。言ってみただけ」そういうと、口を閉じ鼻を震わせて雄人は笑う。 
「紗里奈」 
 雄人が声の調子を変えて聞いてくる。顔を胸から上げて、凛々しい顔の雄人を見つめる。 
「なに?」 
「言ってみただけ」 
 眉を寄せて微笑む雄人の顔が目と鼻の先にある。息を鼻でたくさん吸って口をすぼませ 
て、強く吹いて雄人の前髪を揺らす。次第に眉毛、瞳、鼻、唇まで降ろしていく。雄人の 
唇が私の口を堰き止めた。雄人の舌が歯の中まで入り込んで、舌をなぞってきた。 
 鼻で息をする。けど胸が苦しくてちゃんと呼吸してる気がしない。雄人は私を抱きしめ 
たまま、舌を口腔に挿入し絡ませる。私も雄人の背中にしがみついて舌で雄人を撫でた。 
 繊毛がこすれあい、唾液とからみあう。雄人の舌が止まったと思ったら、暴風雨のよう 
に息を吹き込まれて口がぱんぱんになってしまう。驚いて睨むと、雄人はにやにや笑って 
る。私も息を思いっきり吸って、頬を膨らませて雄人に吹き込もうとしたら雄人も同じこ 
とをしてきた。丸い頬の尖った唇がせめぎ合い、オナラみたいな音が漏れる。 
 ぷぅぅ〜。ぷぅ?  
 
 ひどく滑稽だが負けたくない。 
 ぶっ、べっ、びっ、ぶっ、べっ、びっ♪ 
 雄人が私の頬に唇当てて、ドレミの歌を奏で始めた。私も雄人の頬でドレミの歌を出そ 
うとするが、雄人のように上手くはいかない。頬に唾液を塗りたくって息吸いこんで頬を 
膨らませても、吐き出す音はオナラだった。雄人が眉寄せて苦悶する。 
「汚いメロディです、スぁリナ〜」 
 むかつく。 
 やや上向きで鼻をひくつかせて笑う雄人の口に唇押し当てて、息目一杯吸って神風の如 
く吹きつけてやる。だが雄人は逆に台風のような息を吹き返してきた。風圧が喉まで届き、 
一瞬で負けた。口腔で吹き荒れる勝者の息吹。耐えられない。 
 再び頬を紅潮させて息を吸いこもうとすると、雄人の舌が入ってきた。この舌のせいで 
うまく呼吸ができなくなるので、舌で押し返すが、雄人の舌は床にへばりついたチューイ 
ンガムのように微動だにしなくて、私の口に居続けている。鼻と顔を震わせて笑う雄人は、 
無邪気な笑みを浮かべている。押し付けあう舌は次第に絡まり、吸い合うようになった。 
 少し落ち着いてきた。まだ胸は苦しいけど、雄人が抱きしめてくれるから温かくて気持 
ち良い。 
「ゆうと」口を離し話す。 
「ん? どうした」 
「大っ嫌い」 
 雄人が片目つむって笑う。「嘘は良くない。君の価値が下がる」 
「嘘じゃないですモン」 
「かわいこぶるなって」 
「大好き」 
 互いの鼓動が伝わる距離だから、小声でも雄人に届く。雄人がにやりと笑う。 
「本心だな。間違いない!」 
「嘘を嘘と見抜けない人は以下略」 
「本当に嬉しい時、人は笑みを隠せないもんさ」 
「そんなこーとありませんモン」 
「ほぅ。にらめっこします?」 
「いいわよ。ゼッタイ笑わないから」 
「ゼッテー笑かす。レディー!」  
 
 二人して両手を自身の顔に被せて顔を整える。どちらもニヤニヤ笑いが取れないのだ。 
自分が取れてないくせに「遅いっ!」と言うと雄人がせっかく落ち着けた表情を壊して笑 
いながら抗議する。「お前だって取れてないじゃんか!」 
「はいはいっ、レディー!」 
 雄人を軽くあしらい、今度は私が音頭を取る。 
 一生懸命下がった目尻を元に戻して冷静にして、ゆっくりと顔に当てた手を下におろし 
てゆく。雄人も手を下ろしてゆく。雄人は右下を眺めていた。やけにキリリとした表情を 
作っている。モデルのように愁いのある美男子ヅラだ。危険だ。こいつきっと、何かやっ 
てくる。胸をいいようのない不安が襲う。 
 雄人の目線が右下から徐々に私の顔まで上がってくる。同時に目が、眉毛が、鼻が、口 
元が蠢き出す。雄人は笑みを浮かべていった。とてもゆっくりだったから本当に笑ってい 
るわけではないだろう。が、私を馬鹿にして哀れんでいるような、ダリでピカソのような 
笑顔は何だ。分からない。唇の裂け方がおかしい。眉毛が繋がって額の皺が川を描いてい 
る。目が輝いて、顎が徐々に前に行って「さりなぁ」と地の底から響いてくるような低い 
声で囁かれた。 
 私は笑った。「汚い! 誰が喋っていい言った!?」 
 雄人も爆笑した。「恋の魔法、気のせいさ。それだけ俺を好きなんだよ紗里奈は」 
「貴方ゼッタイ喋りました。私この耳で聞いたもん」 
「僕喋ってないモン」 
「真似しないでくださいモン」 
「分かった、モン言わないモン」 
「ゆってるゆってる、モン」 
「あ!」 
 互いに口を開き、手で口を押さえてわざとらしく眉を寄せる。 
「しゃ、しゃべれない〜」 
 
 腹が痛くなるほど笑い、唾を飛ばしあった。今日は二人しておかしかった。 
「俺、今お前しか見えない。ヤバイよ。樹とかあるじゃん? 全部もやがかかってよくわ 
かんねえ。雑草が目に入らねえ。虫の音なんて聞こえないし。紗里奈、今日寝れないよ多  
分。ヤバイ」 
 雄人がいつも以上に動揺と高揚感に苛まれているのが面白い。 
「大丈夫だよ。私もそうだし」 
「またまた〜、合わせるのが上手くなっちゃって」 
「このまま寝たいよ」 
「ね、ね、ね……あの。コンドーム持ってないんで……無理です」 
 急に声がしぼむ雄人。笑い出してしまった。「眠りたいって意味です。身体がぽかぽか 
して、眠くなっちゃった。雄人さんぎんぎん?」 
「ビンビン」 
 なんか馬鹿にされてるっぽい。  
 

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