またちゃんとできなかった。  
学校帰り、舞子と歩いていたらユウさんにばったり会った。  
手にエコバッグを下げていたから、近くのスーパーでお買い物をした帰りなのだろう。  
先月からずっと気まずかったから、ちゃんと挨拶したかったのに。  
声が引っくり返ったりしないかとか、上手く笑顔になる事が出来なくて焦ったりとか、  
日暮れ前の時間の挨拶はこんにちはで良いのか、こんばんはにするべきだろうかとか、  
なにか気の聞いた世間話の話題は何かないのかとか、そもそも先月の事を問いただされたらどうしようとか。  
そんな事が頭の中をぐるぐる駆け回ってるうちに、酷く愛想の無い声と表情しか出てこなくなってしまう。  
私はいつもこんなのばっかりだ。  
自分でも本当に嫌になってしまう。  
いくらユウさんが苦手だからって、こんな風にならなくてもいいのに。  
 
私はユウさんが苦手だ。  
世話焼きな所も、家事が万能な所も、私を舞ちゃんと同じように扱う所も全部苦手だ。  
――先月バレンタインにチョコを持っていったときも、私が作ったものより遥かに美味しい  
チョコクッキーを逆にご馳走になってしまった。  
本人はクラスメートに馬鹿な事をいうヤツがいて困るんだって言ってたけど、頼られる事そのものは嬉しそうだった。  
そういう所も、私は苦手だ。  
私が作ったチョコなんて、ユウさんのクッキーに比べたら酷いものだったし、渡さずに捨てようと思ったのに。  
……送ってもらう事になった帰り道で、つい渡してしまった。  
あんまり自分がみっともなくて恥ずかしくて、つい「食べずに捨ててください!」なんて言ってしまったし。  
……そんなゴミを渡すみたいな言われ方したら、怒って当然だと思うのに。実際、私のチョコなんてゴミみたいなものだったし。  
びっくりしてたみたいだけど、それでも『ありがとう』なんて言ってそんな物を受け取ってしまう、そんなお人よしな所も私は苦手だ。  
…………本当に、苦手なんだ。  
 
「――じゃーねー、なぎこー。また明日ー」  
うん。と肯いて舞子と別れて部屋に戻る。  
駅前から少し歩いた所にある、よくある一人暮らし向けの賃貸マンション。  
そこが、半年ほど前からの私の帰る場所だ。  
制服のセーラー服を脱いで部屋着に着替える。  
まずはお風呂を洗って、夕飯の支度をしなくてはいけない。  
父が仕事の為、義母を伴って海外に行く事になった為、はじめた一人暮らしだったが未だに慣れない。  
「……いたた」  
冷蔵庫を開けたところでくらりと軽い目眩を覚える。  
そういえば、夕方から少し頭痛がしていた。  
今日の小テストの勉強のため、昨日少し夜更かししたのがいけなかったのだろうか。  
私は元々頭痛もちなのだが、今日はいつもよりも酷い気がする。  
「……きもちわるい……」  
食欲などどこかに行ってしまった。いつも飲んでいる痛み止めと胃薬だけを飲んでソファーに横になる。  
少し寒いが、まだ入浴していない身体でベッドに潜り込む気分にはなれなかった。  
頭痛は嫌いだ。  
痛みそのものもだが、こんなふうに痛み止めを飲んで横になると昔の嫌な夢をいつも見る。  
 
 
ママが家を出て行ったときのこと。  
親戚や周りの大人のヒソヒソ話。  
冷たい眼。  
『あの女にそっくりだ』  
『この子もロクなもんにならん』  
『見てみろこの生意気そうな顔』  
『綺麗な顔だが人形みたいに陰気だな』  
 
ぜったいにみんな見返してやる。見ていろ絶対にゆるさない。絶対にだ。  
 
 
「―――――ッ!」  
自分の悲鳴で目が覚めた。  
寒い。  
酷い寒気がする。震えが止まらない。  
……風邪、だろうか。  
体温計は……、ああ、そんなもの無かった。  
時計を見ると朝の7時だった。あのままソファーで眠り込んでしまったらしい。  
寒気に震えながら寝室のベッドに潜り込む。  
携帯電話でどうにか学校に休む事だけを連絡する。  
……寒い。寒い。  
なにか胃に物をいれて薬を飲んで眠る。  
風邪を引いた時にはそれが一番だとわかっているけれど、とてもじゃないけど出来そうに無い。  
凄く眠いけど眠りたくない、またあんな夢をみるのは嫌、嫌だ……。  
 
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆  
 
夢を見る。  
――ああ、ママがいなくなってすぐの頃だ。  
一人で泣いている小さな私が見える。  
頬を赤くして、声も出せずにしゃくりあげている小さな私。  
――イライラする。泣いたってどうにもならないのに。  
自分でどうにかするしかないのよ、そうするしかないの。  
そう怒鳴ってやりたくなる。昔の私に聞こえるはずなんて無いのに。  
泣き続ける小さな私の隣に座っているうちに、私まで子供のように泣きたくなってくる。  
――もう泣かないって決めたのに、誰にも頼らない私でいたいのに。  
気がつけば、夢の中の小さな私と同じようにうずくまって泣いていた。  
ふ。と影が差す。  
「……えっと、凪子ちゃん? どうしたんだこんなとこで」  
隣にいた小さな私がくしゃくしゃの泣き顔になってしがみつきに行く。  
――ちいさなわたしにとっての、誰より頼りになる割烹着姿のヒーローがそこにいた。  
 
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆  
 
 
……携帯電話の電子音で眼が覚める。  
部屋の中はもうすでに薄暗い。いつのまにか、夢現のまま1日がすぎていたらしい。  
まだ覚醒しきれない頭で誰からなのかも確認せずに電話を取った。  
『――あ、凪子ちゃん? 伊庭です、舞子の兄の。祐助です。舞から凪子ちゃん風邪だから差し入れ持って行けって言われて。  
 ごめん、自分でも非常識だと思うんだけど、いま凪子ちゃんの部屋の前にいるんだ』  
夢の中の声よりも低いけど、変わらない優しい声。  
ユウさんの言葉をきちんと頭の中で咀嚼する前に。勝手に身体が動いていた。  
『――果物とかヨーグルトとかレトルトのおかゆとか色々持ってきたから。ドアノブにかけておくから後で――って」  
玄関ドアを開けると、びっくりした顔のユウさんがそこにいた。  
やっぱり私はユウさんの事が苦手だ。  
頼りたくないのに、誰にも甘えない女でいたいのに。  
どうしていつもこの人はこんなに私を甘やかすタイミングで登場するんだろう。  
そのままの勢いでユウさんにしがみつく。  
珍しく、ものすごく焦った顔をするのを見て、ざまあみろ。と思った。  
 
 

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