あるところに幼馴染みの若い男女がおりました。
男は何をやらせても完璧で、容姿も誰もが羨む格好です。
女は何をやらせても不器用で、容姿だって人並みです。
二人は気持ちこそ伝えていませんが、互いに愛し合っていました。
そんなある日の夜。女は窓を開けて月を見上げ、「私がもっと可愛かったら、男と釣り合うのに……」と呟きました。
するとどうでしょう。女が翌日に目を覚まして鏡を見ると、猫っ毛だった髪はサラサラのストレートに、一重だった瞳はパッチリ二重に変わっていました。その顔は間違いなく美しいのです。
女は嬉しくなり、男に変わった顔を店に行きました。
男は女の喜ぶ姿を見て、「良かったね」と笑いました。
ですがその時、男の髪から艶は失われ、メラニン色素が抜けて色褪せていたのです。
それから数日後、女は月を見上げて、「私の胸が大きかったら、男君にもっと見て貰えるのに……」と呟きました。
するとまたしても、翌日に女の身体が変化していました。
申しわけ程度だったAカップはEカップの巨乳に、くびれの少ないウエストは余分を無くして引き締まっていたのです。
女はすぐに男へ見せに行きました。男は「良かったね」と微笑みました。
ですがこの時、男の視力は極端に低下し、眼鏡やコンタクトを付けねば物を見る事ができない程になっていました。
ですから女のセクシーな身体も、男には見えていなかったのです。
更にそれから数日すると、女は街でスカウトされて、人気アイドルになりました。
写真集は売れ、テレビ番組にも引っ張りだこです。あまりの急がしさに、男への想いも僅かに薄れて行きました。
ついにはCDデビューする事も決まったのですが、ここで致命的な事が起こります。
女は歌が下手でした。プロデューサーから何度も駄目だしを喰らい、次にスタジオインする時まで音痴のままなら、CDデビューは白紙に戻すと言われました。
女はショックを受け、久し振りに男と会いたくなって、男へ会いに行きました。
ですが男は会う事を拒み、電話越しに「大丈夫だよ」と励ましました。
すると翌日には、女の歌は見違える様に上達し、CDもミリオンヒットを記録するのでした。
女が男へと電話で感謝を伝えると、「良かったね」と明るい声が返って来ました。
ですが低く凛々しかった声は枯れ、ガラガラの醜い音でした。
この時期になると、流石に女も気付きます。男は、女の願いを叶える力を持っていると。
女はそれに気付くと、つまづく度に男へと連絡し、その度に乗り越えて行きました。
しかし数年もすると、男に会いたいと言う思いが日に日に強くなり、ついに我慢できなくなって引退してしまいました。
そして女は男に会おうとしたのですが、男は「こんな姿では会えない」と断ります。
それでも女は会いたいと言います。女にはもう男しか居ないからです。抑え切れなくなり、「ずっと前から好き」と告白してしまいました。
男は「何もできなくなった」と言います。
女は「それでも好きだ」と言います。
男は「格好悪くなった」と言います。
女は「それでも好きだ」と言います。
結局男が折れて、会う事を承諾します。
数日後、女は男にきちんと告白しようと決めて、男の家に行きました。
男の家の玄関に鍵は掛かっていません。女は不思議に思いながらも、男の部屋へ微かな記憶を辿って向かいます。
そしてドアを開け、男の姿を見ると、女は驚いてしまいます。
男は最後に会った日から、別人のように変わっていたからです。
ベッドの上に仰向けで横たわり、髪の色素は完璧に抜けて白く透明に、
右目の視力は失われて閉じられ、残った左目も僅かに細く開かれているだけです。
呼吸も遅く小さく、身体は痩せこけて骨張っています。
男は、自分を犠牲にする事で願いを叶える事ができるのでした。
女は全てを悟り、泣きながら男に抱き着きます。何度も謝り、何度も「好きだ」と伝えました。
しかし、男は限界でした。女の「会いたい」と言う願いを叶える為に、入院していた病院から退院して来たのです。
医師も手の施しようが無かったので、死期を早める事になると分かっていても、男の意志を尊重して退院を許可しました。
女は「男と一緒になりたい」と言います。
男は「明日には死ぬから無理だ」と言います。
女は「私も一緒に死ぬ」と言います。
男は「生きて幸せになれ」と言います。
男は女の幸せの為に身を削って来たので、女には人生を全うして欲しかったのです。
こんな男一人の為に、残りの長い人生を捨てて欲しく無かったのです。
ですが、女は「それなら……」と、「男との子供が欲しい」と言いました。
男は勿論ことわりましたが、女に「お願い」と言われて、叶える事にしました。
この願いを叶えた瞬間、自分は死んでしまうと感じ取れます。
女の顔は美しく、女の身体は官能的でした。
処女でしたが、必死に男の上へ跨がり、挿入して、腰を振りました。
そして男の精が中へと注がれた瞬間、女は気絶して男の上に倒れてしまいました。
翌日、女が目を覚ますと、男の姿は有りませんでした。
それどころか、男の私物さえ有りません。部屋にはベッドだけでした。
不安になり女は、学生の頃の知り合いに男の事を聞いて回ります。
ですがみんな、「そんな男は知らない」と言います。
女は気付きました。この世界から、男の存在そのものが消えていたのです。
男が存在するのは、女の思い出と、日々重さを増してゆくお腹の中。
女は静かな田舎に庭付きの一軒家を買い、そこで、産んだ三つ子を一人で育てる事に決めました。
沢山の男からプロポーズされても全て断り、大変でも子供達の世話を一人で行います。
そして子供達に、男の事を自慢気に語って聞かせるのでした。
やがて子供も大きくなって子供を産み、家から出て行きます。
たまにやって来る孫達へ会うのを楽しみに、男の自慢話しするのを楽しみに、静かに一人で暮らします。
そして数十年後。女にも寿命が来ました。
暖かな春の夜、庭には桜の木が綺麗に咲いています。
女は座敷で布団に横たわり、三人の子供と、十人の孫と、二十人の曾孫に囲まれて、天命を終わらせようとしていたのでした。
家族みんなに好かれ、みんな涙を流して泣いています。明日までもたないとみんな分かっているのです。
女も自らの最後を感じ、最後に全員の顔を見ようと視線を周りに向けました。
そして、開かれた障子の奥、桜の木の前を見た時、ビクリと身体は固まってしまいます。
心臓は高鳴って熱を持ち、無意識に声を絞り出させるのです。
庭に居たのは男でした。若い昔の姿で、微笑みながら女へと近付きます。
女の家族達は突然現れた男に驚いて動けません。
ただ一人、小さな男の子だけは男の前に立ちはだかり、「連れて行くな」と睨みます。
しかし、その男の子の頭に手が置かれ、「ゴメンね」と声が掛けられました。
男以外、みんな驚いています。
なぜなら、歳老い死ぬのを待つばかりだった女が、立ち上がって手を置いたからです。
女はそのまま男へと歩んで行きます。家族達は「行かないで」と叫ぶのですが、女は「ゴメンね」と言いながら歩みを止めません。
一歩進む度に若返り、男と触れる距離まで近付いた頃には、最初の願いを叶えて貰う前、学生の時まで身体が戻っていました。
男は「今なら、幸せに死ねるよ?」と女に言います。
女は「一緒になりたいって願いを叶えてくれるんでしょ?」と言います。
そして女は家族の方を向くと、「この人が私の好きな男の人なの」と頭を下げました。
死ぬ直前まで他に男を作らなかった、操を貫き通した、それまでに愛した男。女は家族より男を選んだのです。
家族はみんな止めましたが、なぜか追い付く事ができず、男と女は桜が舞い散る夜の闇に消えて行きました。
そして次の日には、男と同様に、女の存在もこの世から消えていたのでした。
男の事も、女の事も、この世で覚えている人は誰もいません。
唯一お互いだけが、お互いを知るのです。
おわり