――1――  
 それは、むかしむかしの話。  
 人の世界は今よりもだいぶ狭く、神様と魔物がずいぶん人と近しかった頃の話。  
 あるところに一組の親子が住んでいた。  
 既に母は亡く、父一人子一人で山奥にひっそりと暮らしていた。  
 親子は猟を生業としており、父親は近隣の村々では並ぶ者のない凄腕として知られていた。  
 その子である娘も、父に習ったお陰か、はたまた血の所為か。これまた、かなりの腕を持った猟師だった。  
 娘は猟師として泥と埃に塗れて、日が昇る前から日がとっぷりと暮れた後まで山塊を駆け回る日々だったが、しだいに美しく育っていった。  
 娘が女となるよりもずっと前から、母親譲りの美しさは彼女の面にその片鱗を覗かせていた。  
「お前の娘は弓の腕も大したものだが、そのうちどこぞの若旦那でも射止めるんじゃないか」  
 しばしばそう言っては、里の者は父と娘を囃し立てたりした。  
 無論、互いによく知った仲である。本気の訳が無い。酒宴の席に無理やり同席させられた娘を肴にしての、ほんのちょっとした冗談に過ぎない。  
 しかし、その度に娘は顔を真っ赤にして怒った。  
「あたしは誰の嫁にもならない!ずっと父さんのそばにいる!」と。  
 それがさらに村人達の茶目っ気を煽ると知るには、娘はまだ幼すぎたし、なによりも血の気が多すぎた。  
 そんな娘の態度を面白がって、里の者達はさらに囃し立てる。父は杯を傾けながら、そんな他愛の無い会話ににこやかに笑っていた。  
 母を早くに失っていた所為だろう。  
 父は娘を、また娘は父を、互いに深く深く愛していた。  
 他に累の無い親子としてだけでなく、時には命を預ける事もある猟師の師弟としての様々な想いが二人の絆をより一層固いものとしていた。  
 月日は経ち、いつしか娘は立派な大人になっていった。  
 弓の腕はついには父と並び称されるまでになり、白粉も紅もついぞ指した事の無い、およそ化粧っ気のない荒削りなものであったが弾けるような美貌となっていた。  
 楚々とした如何にも女性らしい雰囲気には欠けていたが、しなやかな肢体に引き寄せられて不用意に近寄る雄に、後ろ足で一蹴りをくれるはねっかえりの雌鹿の風情。  
 反面、娘の成長は、父には老いだった。  
 あれほど険しい山肌を苦も無く駆け巡っていた足は弱くなり、弓弦も弱いものへと変えざるを得なくなっていた。  
 いくら凄腕二人とは言っても、猟師の暮らしは厳しいものだ。  
 質素ではなく、貧しい、と言える部分も多々ある。  
 老いたとは言え父親は、娘に猟を任せて安穏と隠居を決め込む訳にもいかなかった。  
 男として老いを認めたくないのと、父として子に心配をかけさせまいと、ことさら気丈に振る舞っては自分の老いを隠そうとする。  
 だが、ずっとすぐそばで父の狩りを見てきた娘には、どんなに隠そうとしても父の腕前が衰えてきているのはどうしても分かってしまう。父も子も、認めたく無い事だったが、時の翁は誰にでも平等であった。  
 娘は、父を支えねばと思った。  
 どうやって支えるか。娘には一つしか思いつかなかったし、実際、支える手段も一つしかなかった。  
 既に娘は一人前に、いや、並みの一人前が束になっても敵わないくらいの狩りをするまでになっていた。なまなかな男では付いていく事すら難しい俊足で山を駆け、里の者達から鷹の如しと褒めそやされる耳目で獲物を探し、狙う。  
 器量は良いのだが、きつい娘の性格と目鼻立ちを皮肉っての言葉もそこには含まれていた。幸いな事に、娘はそうと知らなかったが。  
 兎、狐、鹿、猪。驚くべき事に時には熊まで。  
 愛用の短弓と罠を駆使して、娘は見事にさまざまな獣を狩った。それは時に、父が眉をひそめるほどの数を仕留める事もあるほどだった。  
 しかし、どんなに獲物の数を増やしても、財布の中で増える金は僅かに過ぎなかった。  
 所詮、山に住む猟師は、村や町に住む者からしてみれば下なのである。下層の者から、わざわざ高値で買い取ってやろうと言う奇特な人間は多くない。それが金勘定に全てを捧げる商人ともなれば、なおさらであった。  
 
――2――  
 
 ある日、親子は二人して猟に出かけた。  
 が、どうした事か。  
 鹿一頭見かけない。ほうぼうに仕掛けた罠にも、兎一匹すらかかっていない。  
 運が悪かったか、と猟場を移してみるが、どこを巡っても変わらない。  
 山中に寝起きしながら狩りを続け、数日、同じような状況が続いた。二人の中に焦りばかりが募っていくが、状況はどうにも変わらなかった。  
「手持ちの食いモンも尽きた。いったん家に帰ろう」  
 そう父親が言った時。  
 親子は今までに感じたことのない、異様な気配を感じた。  
 その気配の方向を見やれば、遥か断崖の上、その切り立った頂きの張り出した岩棚の上。  
 そこに"そいつ"がいた。  
 いや、正しくは"そいつら"、だろう。  
 獣は二頭いたからだ。  
 おそらくは番いなのだろう。ぴったりと寄り添いながら、"そいつら"は親子を見つめていた。  
 離れている為にどれほどかはよく分からないのだが、彼らの体躯は見たことも無いほどに大きいという事くらいは分かった。四肢は太く、流れるような立派な尾をした狼の番いである。  
 目に入っているであろう、人の姿に臆すことなく頭をずいと掲げ、胸を張って頂きの高みから睥睨している。  
 頸の後ろに生えた立派な鬣を、崖下から吹き上げる風に靡かせている姿には、獣ながらに恐ろしいほどの風格を備えていた。  
「ありゃあ、カミサンだ…カミサンいたら獲れるモンも獲れん」  
 心ここにあらず、と言った様子で父が呟く。  
 父親の言う通りだった。  
 二頭の狼は、山神だった。  
 山神は、山の事物その一切を司る神だ。山の物は、すべて山神の物であると言ってよい。勿論、親子の獲物も山の物だ。山神の目の届く所で、山神の物を勝手に獲ろうとしたとして、人の身で獲れる訳がない。  
 しかたなしに、親子は山を降りる事にした。他に何か良い手立ても思いつかなかった。  
 かといって手ぶらで降りれば、自分達が食べる物にも事欠く事態が待っている。  
 親子は猟師である。ごくささやかな畑を除いて、田畑の類いを持ってはいなかった。米に味噌、野菜と言った作物は、里の者と狩った獲物と交換するか、あるいは商人に売って金に替え、それから改めて買っているのだ。  
 蓄えもそう多くはなかった。  
 親子は二手に分かれ、なんとか自分達の食い扶持だけでも狩ろうとした。  
 それも全て、徒労に終わった。  
 それだけでなかった。  
 なんと、父親が猟の最中に足を滑らして、沢筋に転げ落ちてしまったのだ。  
 焦りと老いが、彼から猟師としての腕前を奪っていた。  
 なんとか命は繋ぎとめたものの、滑落する途中であちらこちらにひどく体を打ちつけた所為か、そう長くないのは誰の目にも明らかだった。  
 最愛の、唯一の肉親であり師でもある人間の弱々しく伏せった姿に、娘は深く嘆き悲しんだ。  
 山の様子は相変わらずで、いっこうに弓にも罠にも獲物はかからなかったが、幸いにも草木の恵みなどは採る事が出来た。しかし、いくら採れたと言っても山の幸から取れる薬効ではおのずと限界がある。  
 
 かと言って、医者にかかるにはとてつもない金がかかる。そんな金のあてなど、どこをどうしたってあろう筈が無い。本気で用立てようとすれば、娘が女衒にでも身を売るしかないだろう。  
 娘は一人で狩りをし、必死で獲物を求めた。  
 狩りの合間に焼く炭の量も増やしたが、娘一人が頑張って増やせる量などたかが知れている。  
 床で寝たきりの父に、少しばかり上等な粥を食わせてやるのが、せいぜいだった。  
「どっちか一人で三国一、親子揃えば六国一と二の猟師だ、なんぞとおだてられて、調子にのっとった罰かもなぁ」  
 実際には父親はそんな調子に乗った事など一度もなかったのだが、弱った体は彼の心までも弱くしていた。萎えた心は急速に生きようとする力を吸い込んでいく。  
 父の言葉には、ある覚悟をした者につきものの雰囲気があった。  
「そんな事ない!猟師が猟をしちゃならんって掟なんてないもの!」  
 しかし言葉で否定したとしても、父の傷が治るでも、獲物が狩れるようになるでもない。  
 娘の憔悴ぶりに、里の者達も心を痛めた。  
 しかし、猟師の父娘の為に懐まで痛めようとする者はいなかった。皆、それほど豊かではないのだ。山裾に広がる畑は実りに乏しく、不作が続いた時には口減らしすら出さなくてはいけないような村ばかりなのだ。  
 運命の悪戯、とも言うのだろうか。  
 それが起こったのは、娘が焼いた炭を背負って里まで降りてきた時の事だった。  
 炭を商人に売って、その金で米やらを買おうと、娘は村の市場を訪れた。  
 ここの村の者とは旧知の仲だ。幾人もの村人が、娘を案じる言葉をかけてくれる。  
 疲れた微笑みと共に彼らに礼を返しながらも、一向に役に立ちそうな話が無いと困り果てているところ、ある村人の呟きが娘の耳に入った。  
「山神の生き胆には、どんな傷でも病でもたちどころに癒す力があるそうだ」  
 娘は掴みかかるような勢いで尋ねた。  
「ねぇ!今の話!それは……そいつは本当なの?」  
 娘は必死だった。  
 必死になりすぎて、我知らず、本当に村人の胸座を掴んでしまい、揺さぶるようにして尋ねている自分にも気付けない有り様だ。  
 娘のあまりの勢いにたじろぐ村人だが、彼にしても本当の事は知らなかった。遠くからやってくる商人や芸人から聞いた話なので、確かめたくたって確かめようもない。そもそも座を開こうとする行商人の前口上に過ぎないのかもしれないのだ。  
「い、いや、俺だって噂に聞いたことがあるってだけだし……本当のところ、どうなんかは」  
 知らない。  
 尻すぼみに、そう返すのが精一杯。  
 娘にとっては、村人の話が噂であろうが、それでも十分だった。  
 少なくとも彼女にとって山神はまったく見知らぬ相手ではなく、相手は雲の上にいるのではないのだから。  
 いちばん良い弓、いっとう鋭い矢、父譲りの短刀、編んだ縄をたくさん、自分で食べる分の食料、それと何故か一杯に膨らんだ竹魚篭を二つほど腰に携えて山に入った。  
 目指すのは、以前に山神が居た所。  
 あの断崖の上にある岩棚。  
 あの日、二頭の狼がいた場所は、近隣の山々を自由に駆け巡る親子でさえもめったに近づかぬ場所だった。それは同時に、簡単には近づけない場所でもある事を意味していた。  
 まるで人を拒むかのように切り立った崖を、娘は登っていく。すっぱりと鉈で断ち落としたような断崖のところどころに楔を打ち込み、縄を掛ける。  
 そうして血を吐くような苦労の末に、とうとう崖の上まで登り切った娘は、眼前に広がる光景に息を呑んだ。  
 彼女の前には、神の御座めいた岩棚が広がっていた。  
 
 まるでそこの座する誰かの為に磨き上げられたかのような、滑らかで巨大な一枚岩。  
 その周りを半円を描くように、潅木が生い茂っている。  
 峰を渡る風が低い梢を揺らし、ざざざざ、と波のような音を立て、厳粛とも言えそうな雰囲気に飲まれかけた娘を引き戻す。  
 こくり、と娘の喉が動く。  
 次の瞬間、娘はとんでもない行動に出た。もし誰かが見ていたら、娘の気が触れたと思ったに違いない。  
 おもむろに娘は服を脱ぎ始めたのだ。  
 脱ぐ端から崖の下に放り投げては、捨てていく。  
 ただの獣ですら人の匂いに聡いのだ。山神の前では、衣服についた匂いなど闇夜に焚いた篝火も同然だろう。  
 年頃の娘にとって全裸はさすがに気恥ずかしいものがあったが、どうせ数里四方にいる人間は娘だけだ。  
 見ていても獣だけ。そういう考えと、なんとしても山神の狩りを成功させたいという想いが娘にとっぴも無い行動を取らせていた。  
 熊の毛皮で作った外套から下着まで。全ての服を脱ぎ捨てると、娘は地面に転がった。  
 それは猪の行動を真似たものだった。彼らがそうやって自分の匂いを消すのを、猟師である彼女は知っていたのだ。  
 瑞々しい裸身はあっという間に土埃で赤茶けていく。  
 それから娘は二個ぶら下げてきたうちの一つの竹魚篭の中身を取り出した。  
 中を見れば、そこにはたっぷりと水気を含んだ泥が詰まっている。娘は魚篭に手を突っ込んで中身を掻き出すと、なんの躊躇も見せずに自分の肌に塗り始めた。  
 里の者が見れば、絶対に気が触れたと思うに違いなかったろう。  
 体と言わず顔と言わず、髪の毛にまで刷り込んで、娘はすっかり泥まみれになると、中身が無くなり軽くなった竹魚篭をさっきの服と同じように崖下に放り捨てた。  
 そして一つ残った魚篭を手に、娘は一枚岩で出来た岩棚の真ん中にまで歩み寄った。  
 ひょいと魚篭を逆さにすると、中からはどさどさと何かがこぼれ落ちる。よく見れば、それらは魚や貝などだった。それも渓流や河で獲れる魚ではなく、どれも海の幸ばかりで、こんな山の中では珍味と言える。  
「山神をおびき出すのに、獣相手のような手は使えないわよね……」  
 山の物全てが山神の物とも言えるのだ。山で獲れる肉を置いたところで、それが山神を引き寄せるとは思えない。なにせ、相手は欲しいと思えば、いくらでも新鮮なのを自分で獲れるのだから。  
 だから、娘は海産の珍味で山神を誘う事にしたのだ。  
 果たして喰い付くかどうか怪しいものだったが、それを言ったら、この狩り自体がとんだ大穴狙いの博打に過ぎない。そもそも、神を狩るなど普通だったら世迷い言の類だ。  
 魚篭の中身を岩棚の上に出し終えると、これもほいと放り捨てた。  
 岩棚の上に餌をおき、自分は少し離れた、しかしそこからは岩棚と周囲がしっかり見通せる潅木の陰に身を潜り込ませた。  
 地面は苔や下草に覆われているとは言え、こんもりとした木の根元に潜り込んだ形になる。枝が肌を引っかき、蚯蚓腫れをあちこちに作ったが、これも全ては山神を狩り、父の怪我を癒すため。娘は我慢した。  
 時間は飛ぶように過ぎていく。  
 山神が現れる気配はない。  
 それでも、じっと娘は仕掛けた餌を見張り、体全身が耳になってしまうのではないかと思うくらいに耳を澄まして辺りを油断なく伺い続ける。  
 どれくらいたったのだろうか。  
 不眠不休で岩棚を見張り続けて疲労困憊し、身体は動かせない為に強張り、半ば意識の混濁した娘が、はっと我に返った。  
 見れば、岩棚の上、一頭の狼がいた。  
 
 真白い毛皮も美しく、黒く艶やかな鼻先から尾の先まで流れるような姿は艶かしいとすら言えるほどの、神々しい狼。  
 体躯も並外れて大きい。控えめに見積もっても子牛ほどはあるのは間違いないだろう。  
 あの時見た、山神の片割れに違いなかった。  
 白狼が纏う、神気とも言うべき気配に飲まれるように見惚れてしまった娘が、再び我に返る。  
 そっと、今まで生きてきた中でももっとも注意深く動き、弓を水平に構え、矢をつがえる。  
 きり……。  
 僅かに弦が音を立ててしまい娘を青ざめさせたが、娘の撒いた餌を不思議がっている白狼に気づく様子はない。身体中に泥まですり込んだお陰で匂いの消えた、ごく間近にいる娘に気づく様子もなかった。  
 しばらく遠巻きに眺めていた白狼だったが、危険な物ではないと思ったのだろう、近づいて餌の匂いを嗅ごうとした。自然、頭が下がった。もっとも矢が刺さりやすく、かつ撃ちこみ辛い場所が位置を下げ、射やすくなる。動きも止まった。  
 びん、と娘の弓弦が、空気を打ち鳴らす。  
 狙い過たず、矢は白狼の左目に突き刺さった。  
 こうなっては隠れている意味はもう無い。  
 娘は木陰から飛び出すと、露わになった裸身を隠そうともせず、弓を構え、矢を放つ。  
 一矢。  
 雄叫びと共に、続けざまにもう二矢。  
 至近距離だ。しかも標的の寸法が寸法である。一発だって外れっこなかった。  
 白狼は顔から首筋から矢を食らい、血を飛沫かせてよろよろとふら付いたが、それでも倒れない。  
 神の意地だろうか。  
 それを、娘の短刀がねじ伏せた。  
 熊にトドメをさす時などに使う短刀だ。鉄の匂いが辺りにせぬように、あらかじめ隠れ場所に埋めておいたのである。  
 心の臓めがけて飛び込むように突き込み、ぐいっと力の限り、捻る。  
 震える四肢で踏ん張っていた白狼の口吻から、ごぷっと真っ赤な血が溢れた。  
 神と言えど、血は流れ、その血は赤かった。  
 金の瞳から光が失せ、うずくまるようにして巨体が大地に倒れた。  
 ついに娘は、片割れとは言え、神と呼ばれた獣を一人で倒したのだった。  
 娘の全身には泥のようなねっとりとした疲れが溜まっていたが、自身を叱咤し、ぐっと気合を入れ直した。  
 肝心要の事は片付いたけれど、これで全て終わったのではないし、なにせ急がなくてはいけなかった。これからこの狼の生き肝を取り出し、新鮮なうちに父の元まで届けなければいけないのだ。  
 娘は全身が血で濡れるのにも構わず、山神の腹を割き、真っ赤な血の滴る肝を短刀を器用に使って切り出していった。  
 そして少しだけ剥ぎ取った白狼の毛皮で肝をくるみ、手近な蔓草で簡単な背負い籠を編むと、娘は籠の中に取り出したばかりの肝を入れて背に負い、来た道を引き返し始めた。  
 
――3――  
 
「ね、父さん、喜んで。ほら、今日は獲物が獲れたのよ」  
 娘が持つ肉に、父は臥せったままで相好を崩した。  
 父は、娘が普段どおりの、いつもと同じ、ただの狩りに行ったのだとばかり思っていた。  
「これさえ食べれば、父さんの怪我なんて、あっという間に治っちゃうわ」  
 なので、久しぶりの収穫と獲物を娘と共に喜び、狩った獲物に対する最大の礼儀として山の幸を頂く事にした。  
 娘の持ってきた肝は父一人では食べきれないほどの大きさだったので、娘も山神の生き肝を口にして、そうして二人で食べきってしまった。  
 それからの父の回復ぶりには、目を見張るものがあった。  
「いやぁ、お前が獲って来てくれた肉を食べたら、傷の具合がだいぶ良くなってきたよ。  
 ははっ、体の底から力が沸いてくるってのはこういうモンかな。いったい、お前は何の肉を獲って来てくれたんだい?」  
「なにって…いつものよ。別に特別なのじゃないわ。  
 たぶん獲物がずっと獲れなかったから、父さんにはお肉が足らなかったのよ」  
 屈託の無い父の笑顔に、娘は居心地悪げな微笑みを返す。  
 確かに父の言う通りだった。山神の肝は、傷を負った本人でさえ思わずいぶかしむほどの効能を発揮していた。  
 それは娘も身に染みて実感していた。  
 山神の生き肝を口にして以来、娘は身体の調子がおかしかったからだ。  
 あくまで、調子がおかしい、のだ。調子が悪い、のではない。むしろその真逆と言えた。異様なまでに、体の調子が良さ過ぎるのだ。  
 目も耳も鼻も鋭くなっていた。  
 目は恐ろしく遠くまで物が見えるようになり、夜に松明無しでも山を歩けるほどに夜目が効くようになった。耳も、谷をいくつか越えた先にいる筈の獣の鳴き声が聞こえるようになり、どこにいるかまでピタリと当てられるようになった。  
 体の方も同様である。  
 まるで鹿か山羊そのもののように難なく岩場を跳ね超え、どれだけ山中を駆けようがまるで疲れを感じなくなった。鹿のような娘、とは里の者によく言われたものだったが、娘は自分が本当に鹿にでもなったような気分だった。  
 手足が空気になったかのように軽く、その癖、ぶんと振り回せば今までに無い力を生んで、娘の肢体を躍動させる。  
 
 娘はちらりと恐怖を覚えたが、父が快方に向かってくれるのが嬉しく、それで気分が高揚している所為だと思うようにした。  
 そうして何事もなく、数日が過ぎた頃。  
 遂に、と言うべきか。それとも、やはり、と言うべきだろうか。  
 やがて、時が来た。  
 娘の体に働いている不可思議な力の源の所以と、どうしてそうなったのかを知る時が。  
 それは、娘が一人で狩りに出かけている時だった。  
 娘は道に迷ってしまっていた。  
 ほんの幼い時から父について巡ってきた山なのに、だ。  
 どんな場所だって知っている。その筈だった。その筈なのに、道が分からない。  
 それどころか、今、自分がどの辺りにいるかさえ見当すらつけられない。娘は自分の周りに広がるのが、まるで初めて訪れる土地のように思えた。  
 父の待つ家に帰ろうとしても、まるで水の中でもがいているようでどうにも侭ならず、さっぱり帰り道が見つからない。  
 折悪しく、山肌を舐めるように吹いた風が霧を引き連れてきた。あっという間に、数歩先すら見えないほどの粥のような濃霧が立ち込める。  
 と、遠くから娘を呼ぶ声がした。  
「父さん!もう山に入れるようになったのね!」  
 声は馴れ親しんだ父のものだった。  
 父が迎えに来てくれた。  
 乳白色をした闇の中に、ぽつんと人影らしきものが浮かんでいるのが目に入る。娘はそちらへ駆け出した。  
 内臓を締め付けるような恐怖が、娘から冷静さを奪っていた。父親がこんな所へ来れる筈がないのだ。傷が治りつつあるとは言っても、なにせ、まだ彼は歩くのが精一杯なのだから。  
 ふっ、と娘の足の下から大地が消え失せた。  
「え?!うそっ…!」  
 その悲鳴も、足元に大地を呼び戻したりはしない。  
 ふわりと浮く感触に続いて、風が足元から吹き上げてくる。最初は緩やかに、すぐさま強烈に。足先から風を切って真っ逆さまに落ちていた。  
 長い髪が吹き付けてくる暴風に弄ばれ、娘の体は濃霧の中をどこまでも落ちていく。  
 いつしか霧に飲み込まれるようにして、娘は気を失った。  
 
――4――  
 
 清けき月光が倒れた娘を照らし出していた。  
 死んだように微動だにしなかった娘の頬がぴくりとかすかに動いた。それを切っ掛けに、紙のように白かった肌に徐々に赤みが増していく。娘の口から呻き声が漏れ、体を起こせるようになるまでにさほど時間はかからなかった。  
 誰しも気絶から醒めると言うのは、決して良い気分にはなれないものだ。それは娘も同様だった。鉛でも流し込まれたように頭が重い。  
 ぼんやりとした頭をはっきりとさせようと何度か頭を振り、そしてようやくシャッキリとした瞳に飛び込んできた風景に唖然とした。  
「ここは……あの?」  
 見覚えがあるどころの話ではない。  
 白く青く熱の無い光に照らされたそこは、娘が山神の片割れを殺した、あの頂きにある岩棚だった。  
 信じられないと、その表情が物語っている。  
 当然だ。彼女はあの鋭く切り立った崖に近づいてすらいなかったのだから。どうして、どうやってここまで来たのか、推測する事すら難しい。驚く事しか娘には出来なかった。  
 静寂が娘の言葉を呑みこむ。  
 辺りはシンと静まりかえり、虫の音、獣の鳴き声、風が木立を揺らすざわめきすらしない。  
 まるで誰かに頭を垂れ、無礼とならないためにそっと脇に控えているよう。  
 猟師として山に慣れ親しんだ娘だったが、困惑と驚愕のただ中にいる彼女はただならぬ山の様子に気づけないでいた。  
 と、娘の背後で、わだかまる闇がもぞりと蠢いた。  
 今の今までまったく存在を感じさせなかった、巨大な気配に娘がバッと振り返る。  
 あらゆる気配を殺されると、たとえ眼球が映していても、人はそこにいる実体を捕らえられず認識出来なくなる。娘は最高の猟師だったが、それも所詮は人の中で、と言うだけだ。山に棲むモノ達の中で最高の狩人とは比べるべくもない。  
 そして、その狩人が獲物に気づかれないように気配を絶つなど造作も無い事だった。  
 遮る物の無い開けた場所、全てを月明かりが照らし出していると言うのに、闇などありえない。  
 "そいつ"はずっとそこにいたのだ。  
 "そいつ"は一頭の狼だった。  
 それも尋常ではない。  
 まず、その体躯が並ではなかった。里で一番立派な雄牛に勝るとも劣らぬ大きさだろう。月光を吸い込んでいるような黒い毛皮、威厳に満ちた鬣も美しい獣であった。  
 何よりも狼の黒々とした瞳には、獣の本能ではなく、はっきりと理性の光が宿っているのが窺い知れた。  
 娘の顔ほどもありそうな大きな四つの足先が岩を踏む。  
 狼は王者の風格を漂わせてゆっくりと歩み寄り、二十歩にやや足らないくらいのところで足を止めた。  
 離れている筈なのに、生暖かい息が鼻っ面にかかるような錯覚を覚えるほどの存在感と迫力。  
「娘。お前に会うのはこれで二度目になるな」  
 なんと、狼が口をきいた。  
 人はここまで驚く事が出来るのだと、娘は狼に教えられる事となった。  
 ようやく娘がまともに話せるようになったのは、心臓が優に十回は脈を打ち終えてからだった。  
「……まさか、あの山神?」  
「そうだ、我はお前らが言うところの山神だ」  
 娘の前にいるのは、あの日、父と一緒に見た二柱の山神のうち一柱だった。  
 
 さあっと彼女の顔から血の気が失せる。目の前にいる山神の口調と声が人と同様なら、自分が殺した山神の片割れがどのような者なのか、簡単に想像が付くと言うもの。  
「その通りだ。お前が殺したのはな、あれは我が妻だ。悲しくはあるが、死をもって償え、とは言わん。  
 人の命一つで山神の命が贖えようもなし。死に死をもって復讐するなどくだらん話だ。お前を黄泉路の供に送ったとて、あやつも喜ぶまい。  
 しかし大地に縛られた一介の山神と言えども、人が神を殺した責は受けてもらわねばならん」  
 黒い山神は、厳かとさえ言えそうな口調で、ことさらにゆっくりと言った。  
「娘よ、我が新しき妻となれ」  
「ふざけるなっ!」  
 語気も鋭く、娘が叫ぶ。  
「誰が獣ごときの嫁になどなるものか!」  
 手品の如く、娘の両手の中には短弓と矢が現れていた。既に弦はキリリと引き絞られ、矢はぴたりと山神の眉間に狙いを定めている。  
 一瞬で得物を構える、驚くべき早業と言えた。  
「ほう」  
 自分に向けられる殺意を柳に風とばかりに受け流し、山神は鷹揚に頷く。  
「獣ごとき、とな。ならばお前も、お前の言う獣ごとき者らの仲間入りだな」  
 愉快そうに言う。  
「それ、そのように」  
 くっと僅かに山神の顔が下がった。山神が目線で指し示した先。それは娘の手元だった。  
 油断無く弓の狙いをつけたまま、不審そうに娘が自分の手を見やる。  
 途端、娘の目が、空に浮かぶ満月もかくやと思えるほど見開かれた。無理もない。  
「ひっ?!い、いやぁ!なによ、これぇ!」  
 山暮らしで荒れてはいが、つるりとした自分の指と言わず掌と言わず、あちこちから真っ白い獣の毛が生えてきたのだから。  
 あまりにも驚いたせいで、娘は山神に向けて構えた弓を、手の中から取り落としてしまった。  
 びん。  
 手を離した拍子に、弦が鳴り、矢が飛び出す。矢は山神を掠めるように、彼の耳先からほんの少しだけ離れた宙を貫いて、どこかへ飛び去っていった。  
 危ないな、とまったく危なげの無い口調で山神が呟く。まるで、矢がどこに飛ぶのか予め分かっていたかのような態度だ。  
 娘の方はそれどころではなかった。  
 自分の体の、皮膚一枚の下でたくさんの百足が這いずり回っているような感触が娘を襲う。最初は指先だけに巣食っていたおぞましい感触は、次第に広がっていき、ついには全身を蝕むようになっていた。  
 そして、百足どもは皮膚を食い破り、外へ外へと這いずりだそうとしていた。  
 驚愕する娘の眼前で、自分の手がどんどんと変わっていく。  
 指が太く、長くなっていく。爪がぐんぐんと伸び、凶悪に尖り、先端は大きく曲がりながら指先よりも先に伸びていく。獣毛は既に手のほとんどを覆ってしまっていて、娘の肌は見えなくなってしまった。  
 指先に吸いついた蛭でも飛ばそうとするように腕を振り回すのだが、それでどうなるものでもなし。  
 狂でも発したような悲鳴を上げている娘とは裏腹に、彼女の体は静かに、しかし確実に変わっていく。  
 
「娘よ。生は生、死は死としてそこに在るからこそ森羅万象全てがつつがなく回るのだ。  
 お前のした行いは、生と死の理を乱すもの。それは現世(うつしよ)の掟を犯す大きな罪だ」  
 神の肉を喰わせ、死ぬべき命を引き戻した事。  
 それが娘の罪。  
「ひぃ…や、あぁ、だ、だったら、父さんにあのまま死ねっていうの?」  
「容易には受け入れ難き事ではあろうが、それが生命の理だ。  
 とは言え、お前の父親への想いは分かっているし、我もその感情は知っている。お前がそれと知らせずに山神の肉を与えたのもな。  
 故に彼の者に罪は無く、お前の父を案じる心に免じて命だけは助けてやろう」  
 変貌しながらも気丈に応じる娘に、山神は言った。  
「だが、咎を免れ得るのはお前の父のみ。  
 娘よ。お前は人として生を受けた。だが人としての死は、もうお前には訪れん。それがお前の罰だ」  
 す、と山神が右前脚を振り上げて、  
「さあ、我らが新しき同胞(はらから)となり」  
 ぶん、と振り下ろした。  
「そして、我の妻となれ」  
 触れてもいないのに、たったのそれだけで娘の着ている服は微塵に裂け、細切れになって吹き飛んだ。  
 布と皮で押さえつけられていたものが、月光の元に曝け出される。  
 異形であった。  
 娘の手と同じように、いまや彼女の全身が毛に覆われていた。顔も手も胸も腹も尻も腿も足も、どこもかしこも毛足の短い獣皮で覆われ、人であった頃の肌は見えなくなっている。雪のように真っ白い毛皮は、あの時、娘が殺した山神の妻にそっくりだった。  
 後頭部から背中に掛けては、背筋に沿って一際長い毛が生えて、綺麗な鬣を形作っている。  
 野山で鍛えられ引き締まった腕や太腿にはぐっと筋肉がつき、かと言って柔らかさと緩やかな曲線美は損なわずに、しなやかな逞しさを増している。  
 きゅっと形の良い尻の谷間の少し上には、尻尾が生えていた。ふさふさと柔らかそうで、長い尾に顔を埋めればさぞや良い感触に包まれる事だろう。  
 黒かった娘の髪は、白銀に変わっていた。静かに照る月の光を跳ね返し、流れ落ちる白銀が煌びやかに光る。四肢を装おう真白い毛皮に、白銀の髪はとてもよく映えた。  
 鼻は上唇とくっつき、ぐぅっと前にせり出して犬の口吻を形作る。犬と違うのは、犬よりももっと凛々しく流麗で、裂けた口元からちらりと覗く長い牙だ。  
 流れるような銀髪を貫いて、綺麗な三角形をした両の耳がぴょこんと姿を現している。  
 狼の野生溢れる力と強靭な躍動感。人の娘のしなやかさと、彼女が生来備えていた荒削りの美貌。  
 それらを兼ね備え、人の姿を半ば捨て、狼の姿を半ば得た、半人半獣となった娘がそこにいた。  
「お前は山神の生き肝を喰らった。その時に、山神の力をその小さい身体の内に宿した。  
 元々は我が妻の力であるからな、それが我の力と共鳴してお前の中で芽吹いているのだ。  
 しかし神の力は人の器には納まらん。かと言って芽吹きも止められん。故に、今、お前は神へと変貌しつつあるのだ」  
 貴重な体験をしておるな、と山神は続ける。  
「お前は新たな山神と成り、我の新たな妻となるのだ」  
 山神が厳かに宣言した。  
 
「我の新たな妻よ、此処を今宵の閨とし、今宵を我らの初夜としよう。  
 お前に足らぬ神の力を我が注ぎ、お前の中に残る人を我が押し流してやろう」  
 山神の後ろ足の間、彼の股間でなにやらブルンと動くものがあった。尻尾ではない。尻尾は尻の上に生えるもの、股の下からはけして生えたりしないだろう。  
 それは一見して肉塊だった。  
 娘の片腕ほどもある大きな男根である。傘と言わず竿と言わず、一面に網のような細かい血管が這い回っている赤黒い肉の杭だ。  
 山神の股間では、彼の雄が誇らしげに隆々と勃ち上がっていた  
「契ろうではないか」  
 にぃ、と狼が器用に唇を歪めて笑う様はとても珍しい光景だった。当の山神にしてみれば、これから妻になる雌に対して頑張って人のように笑ってみたのだが、生来の顔つきが険しいので何事かを企む悪人面にしか見えなかった。  
 娘の眼が、恐怖に見開かれる。  
 恐怖は一つだけではなかった。  
 一つは、獣に陵辱される恐怖。  
 もう一つは、目の前の素晴らしい雄に服従したい犯されたい、と心のどこかで思っている自分がいる恐怖だった。  
「や…ぁ、ぃ、い、いやあぁぁぁぁっ!!」  
 恐怖に駆られ、娘は身を翻し、脱兎のごとく逃げ出そうとした。  
 山神の神性を得て数倍かそれ以上に力の増した体ならば、黒い山神からも逃げ切れる。筈だった。  
 娘の体が、心に反抗しさえしなければ。  
 かくん、と膝から力が抜ける。その拍子に、上半身はつんのめり、地面に膝をつく形で転がってしまった。  
「ふむ、よい格好だな」  
 からかうような、楽しむような口調で山神が言った。  
 実際、楽しんでいるのだろう。確かに、今の娘の格好は、男性からすればその目を楽しませるものだった。  
 獣同様に手足を地面につけた四つん這いで、これまた獣同様に一糸まとわぬ姿で、秘すべき部分を包み隠さず見せつけているのだから。  
 山暮らしで贅肉がついていないのでいささか熟れ足らない面はあったが、形の良い尻はツンと突き上げられている。  
 そうして、嬉しそうにふさっふさっと揺れる尻尾から、不浄の穴、一筋の切れ込みのような秘裂まで。  
 娘は、何から何まで全てを山神に見せつける格好をしていた。  
「や、やぁっ!やめて……見ないで、よぉ…」  
「恥ずかしがる事は無い。お前は美しいぞ。  
 お前があまりに美しいものだから、ほれ、我のモノがこんなになってしまっている」  
 山神も神とは言うものの、やはり一匹の雄だった。  
 はしたなくも素晴らしい娘の姿をとっくりと眺めているうちに昂ぶって来てしまい、時折、山神の股間で獣の肉棒がしゃっくりでもするようにビクンビクンと震える。  
 山神の言葉に思わず振り返り、彼の股間のそんな様子を目にしてしまった娘を、見なければ良かったと言う後悔の念が襲った。  
 あの醜悪な男根から目を反らしたい、あのおぞましいモノから一目散に逃げ出したい。  
 と同時に、たくましい雄の象徴に舌を這わせたい、男根とそこから迸る子種の熱を胎に感じたい。  
 そんな想いがむくむくと湧きあがってくるのだ。  
 
 相反する感情が、娘の中でぐるぐる渦を巻く。  
 感情が渦巻く様子は、娘の肉体にまで顔を出していた。  
 ぴったりと閉じ合わさって一筋の線のようにしか見えない娘の秘裂が、わずかに綻ぶ。  
 寒さの中、咲く瞬間を今か今かと待ち望んでいた蕾が、春の訪れを知ったかのようであった。そっと咲いた花は蜜を出し、しっとりと雌しべを濡らしていく。  
 山神が、すん、と鼻を鳴らす。  
 犬すら凌ぐ狼の嗅覚は、娘の蜜と、曝け出された秘裂から立ち上る匂いに、敏感にある事実を嗅ぎ取っていた。  
「娘。お前、生娘か」  
 山神の言葉に、娘は顔を真っ赤に染め、黙ったまま恥辱に肩を戦慄かせている。それは山神の問いに諾と応えているのと同じだった。  
 その間にも、雌しべからじくじくと漏れ出す蜜は娘の内腿を濡らし、濡れた毛を肌にぺっとりと張り付けていく。四つん這いの娘は、我知らず、自身の痴態をつぶさに山神に見せつけていた。  
 乙女の純潔を奪える事ほど男を昂らせ、雄を奮い立たせる事もないだろう。  
 山神もその例に漏れなかった。山神の張り詰めた男根の先、小さな鈴口の切れ込みから透明な粘液が一滴、つーっと細い糸を引いて滴り落ちる。  
「安心せい。手荒にはせん」  
 山神が娘に近寄り、這いつくばった彼女の体に覆い被さった。山神の四肢の間、腹の下にすっぽり収まってしまうくらいに、娘と山神の寸法には差があった。  
 器用に体を曲げて、巨躯の下に納めた娘の背を真っ赤な舌を出して舐める。  
「ふ、あぁ…ん!や、やめっ…!ん、んふぅ……ふ、ぁ、くぅん」  
 いやらしく唾を塗りつけ、己の臭いを染み込ませようと言うのではない。山神の大きな舌は、生え揃ったばかりの娘の鬣を毛繕いしていた。  
 山神は長い舌を器用に操っては、娘の白銀の髪から、短い鬣までを丹念に梳っていく。  
 山神の舌が上から下へと一舐めするごとに、娘の心の中から、恐怖と抵抗感が少しずつ拭い取られていく。まるで山神がそれらを舐め取ってくれているかのようだった。  
 獣の唾液に塗れた舌で舐めたくられていると言うのに、何故だかそれが心地よく、甘えるように娘は鼻を鳴らせてしまう。  
 その鼻にかかった声に、山神も満足そうな鼻息を漏らす。  
 すっと娘に腰を寄り添わせた。  
「ひぃっ?!」  
 つん、と尻に熱くて硬く、その癖どこか柔らかい棒を押し当てられ、娘が悲鳴を上げた。  
 しかし、そこには先ほどのような絶対の恐怖と拒絶はもう無い。  
 山神が背中を舐めてくれるその度に、なぜか娘の心は安らいで、ふわりと温かくなっていく。その温かさは、心を凍らせる恐怖という氷まで溶かしてくれるようだった。  
 はっ。はっ。  
 毛繕いの音に混じって、浅く荒い呼気が聞こえてくる。山神のではない。それは娘のだった。  
 山神が背を一舐めする毎に、彼女の心同様、娘の体の一番奥が熱を帯びていく。  
 いまだに肩を震わせる恐怖が、別の何かにどんどん変わっていくのが娘にはとても怖かった。怖いのだが、それすらもじわりと発する熱の前に溶け消えようとしていた。  
 体の内に溜まり始めた熱を逃がすように、狼のそれへと変じた口から舌を突き出しては、熱く発情し始めた息を吐く。  
 いつしか、娘の尻はゆっくりと泳いで、自ら誘うように妖しく動いていた。  
 
 やはり同族相手ではないので勝手が違うのだろう。  
 山神の肉棒は、何度も娘の尻肉を突つくのだが、肝心の入り口になかなか触れない。その度に、山神の先走りが娘の尻に濡れ光る点を付けていく。  
 くち。  
「くあぁぁんっ!」  
 ようやく触れ合った時、なんとも言えずいやらしい、粘っこい音が響いた。  
 くち。  
 くち。  
 男根の先端と、秘裂の入り口が触れ合うたび、お互いに纏った粘液が音を立てる。  
 潤い始めたとは言え、娘は未通女だ。綻びかけのそこはまだまだ硬い。少しでも挿入の痛みを和らげてやろうと、山神は先端を擦りつけては、秘裂の内側から肉襞を掻きだすようにしてやる。  
 そうして慣らしてやるうち、徐々に水音は大きくなり、粘っこさを増してゆく。  
 とても満開とまではいかないものの、娘の花弁もくつろげられて、楚々とした綺麗な花を咲かせていた。  
 娘と山神の口から漏れる吐息も、甘ったるい熱を孕み始めている。  
 男根と秘裂の間には、細かったり太かったり何本もの透明な吊り橋が架かっていた。男根と秘裂が触れ合うたびに吊り橋の数は増し、時折、自らの重みに負けてぷつりと切れては、地面を濡らす。  
「そろそろ我も我慢が効かなくなってきた。ゆくぞ、力を抜けよ」  
「え、え?!う、うそ、でしょ、いやいや!いやぁ!そんなの…まだ無理よっ。  
 そんな大きなの入らな、ぁ、い…いぃぃぃっ!!か!……あっ……つっ!!」  
 娘の目が大きく見開かれた。  
 口からは声にならない悲鳴が上がる。それは声というよりも、下から突き上げる男根に押し出されて、肺に詰まった空気が吐き出されただけに聞こえた。  
 彼女の体からも悲鳴が上がる。男根が進むごとにいっぱいに広げられた秘裂はみちっみちっと鳴り、骨が嫌な軋みを上げ、押し退けられそうになる内臓が文句を垂れる。  
 反面、山神は満足そうだった。  
 初めて雄を迎え入れる娘の膣肉はきつく、彼の男根をきついほどに締めつける。  
 ぴったりと閉じ合わさった肉の合わせ目を、二人分の滑りの助けを借りて抉じ開けるようにして、奥へ奥へと進んでいく。  
 娘の負担にならぬように少々速度を落としてやらねばとも思うのだが、ぴっちりと触れ合う肉襞が男根を擦り上げ、ぴりぴりと脳を痺れさせる快感を生む。野獣であった時分の本能が刺激され、どうしても腰が止まらなかった。  
 と、肉棒の先端に抵抗を覚えた。  
 僅かに逡巡したが、ここまで来ておいて退くと言うのは無理な相談というもの。ぐ、と力を込めてそのまま押し進む。  
 山神は一息に娘の純潔を奪い去った。  
「――――ッ!!」  
 娘の首が折れそうなほどに反り返り、天を――山神に伸し掛かられているので彼の黒い毛皮に覆われた腹しか見えなかったが――仰ぐ。  
 まさしく言葉も無いほどの激痛だった。  
 まるで焼けた鉄串が股から下腹部にかけて突き刺さっているかのよう。  
 一人と一頭の結合部から一筋垂れた鮮血が、まるで溶けて流れる鉄のようにも見えた。  
「ああ……良いな、お前の女陰(ほと)はとても良い」  
 眼を細めて快感に浸っている山神に何か言ってやる余裕は、娘にはなかった。  
 雌しべの肉の広がり具合といったら、すごい事になっていた。秘裂は限界まで開ききって、その様子といったら、既に裂け目ではなく穴と言うべきだった。  
 左右の淫唇は開ききり、空に浮かぶ満月さながらに円を描いて、山神の太い肉棒をぱっくりと咥えこんでいる。  
 神性を得て肉体が人を超えていなければ、本当に裂けてしまっていたところだろう。  
 
「どれ、動くぞ」  
 言い終わる前に山神は動いていた。  
 ゆっくり腰を引くと、抉じ開けられた肉壁が再び合わさろうとして、彼の亀頭を四方からむっちりと包みこむ。まるで、出ていかないで、と娘の体が言葉無く語っているようだった。  
 男根は、入り口間際まで引き抜かれると、前進に転じた。  
 じゅぷじゅぷっと先走りと愛液の混ざった粘液が押し出され、淫らな音と泡を無数に作る。  
 山神の腰がゆっくりと動けば、娘の愛液に塗れた襞の一つ一つが亀頭を強烈に撫で上げ、娘の鼓動に合わせてきゅ、きゅ、と竿を締め付けては扱く。  
 しかし、山神が奥まで突こうとする度、娘の軽い体が跳ね上がる。  
 互いの体格が違いすぎるので山神の突き込みに抗えず、どうしても娘の体が重みに負けて動いてしまうのだ。  
「ふむ、このままではどうにも具合が悪いな」  
 山神がもぞもぞと姿勢を変えた。その拍子に刺さったままの男根が動いて、娘を刺激する。  
「ひん!ふ、は……っつ!ぅ、い…ったぁ、い」  
 岩棚の表面についた娘の両手を、黒い狼の前脚が押さえつけた。  
 娘のそれの優に倍はあろうかという、大きな掌。  
 無理やり押さえつけているようでいて、その実、地面に付いた娘の手には少しも余計な力がかかっていない。  
 それはまるで、愛しい人に掌を重ね合わせて貰っているようだった。  
 体が遊ばなくなった途端、今までよりもずっと胎の深くまで男根が侵入するようになる。山神の太く長い男根が、半ば以上も娘に飲み込まれていく。  
 挿しこまれた男根が秘裂からずるずると引き出されてくる。赤黒い肉棒には、ねっとりと濃い蜜が絡み付いていた。もしも誰かがその光景を見ていたならば、十人が十人、その淫猥さに唾を飲んだ事だろう。  
 一拍置いて、ず、と入り込む。  
「くふうぅぅぅ……」  
「ひぃやぁっ!ん…ふ、ふぁ、あ……ああぁぁぁっ!」  
 同時に二つの口から異口同音に呻き声が上がった。  
 粘液を纏った肉が絡み合い、擦れ合うたび、二つの狼の口が高低二つの音で歌う。  
 男根の熱を女体の芯に染み込ませるように、ゆっくりと山神は娘の秘裂に自身を埋めていく。  
「痛いか?」  
 言わずもがなの事を尋ねる山神の鈍感ぶりに、さすがに娘も腹が立った。  
 ついさっき処女をくれてやったばかりだと言うのに、そう簡単に破瓜の痛みが引く訳がない。  
「やん…く、あ、ひぃんっ!い、痛いわ、ぁん、よぉっ!」  
「そうか、ならば我慢せずに声に出してよいのだぞ。どうせ周りには誰もおらん」  
 だったら女が落ち着くまで待ちなさいよ。  
 そう言いたいのだが、緩やかとは言え山神が動き続けているお陰で言葉がまともに紡げない。  
 あとで、頓珍漢な答えをよこす山神の髭を数本引っこ抜いて、たっぷりと乙女心を教えてやる。  
 そんな事を考えられるくらいまでには、胎の奥底でずくずくと脈動するような痛みは引いており、我慢し切れないほどでは無くなってきていた。  
 そして、そんな事を考えられるくらいまでに山神を受け入れている自分に、娘はそうと気づいていなかった。  
 
 痛みも快感も、山神が与えてくれる物ならば、全てを受け入れたい。山神の熱と鼓動を直に感じていたい。  
 娘は痛みで快楽を覚える性質ではなかったので、それが快感であれば、言う事はない。  
 いつしか娘は本心から、そう思うようになっていた。  
 山神も、胴体の下から聞こえてくるのが悲鳴から艶を帯びたものに変わっているのに気づいていた。  
 頃合い良しと見たのだろう。慎重に腰に体重をかけて、肉棒を根元まで、秘裂の一番奥底の更に奥まで届けとばかりに挿し入れる。  
 狼の男根は雁首の段差が少なく、先は槍の穂先のように尖っているので、経験の無い娘の秘裂でも楽に掻き分けられる。みりみりと媚肉を押し広げ、ずぶずぶと穴を穿っていく。  
 とん、と鈴口がぬめった壁に触れた。  
 かは、と娘の口が大きく開き、だらしなく舌先と吐息が押し出された。  
 同時に、今までに感じた事のない快感が娘を襲った。  
 肉の杭が奥まで届いて、子袋の入り口を突かれているのだ。  
 一際強烈なのだが脳を焼くような痛烈さはない。それは誰かにしっかりと抱き締められているような、温かさに包み込まれるような快感。  
 膣肉を男根で擦られていた時のように、ぴりぴりと痺れるような快感とはまったく異なっていた。  
 山神の亀頭に子袋の入り口をコツンとされると、秘裂の一番奥深い場所がじわりと温かくなって、そこから深い幸福感が全身と心の全てに広がっていく。  
 子宮全体が揺さぶられて、それが快感の波ともいうべきものを起こしては全身に響き渡っていく。  
「あ?!ああ!ああぁぁ!!あ……はっ、ひっ?!イイ、い、あ……ら、によ、コレぇ?!  
 ひあっ!いくっ?!いく!いっひゃうぅぅぅんんっ!」  
 水面に石を投げ入れたように、身体の中に同心円を描いて快感が広がっていき、快感の輪が通過したところはふるふると震えて止まらない。  
 その快感の波が頭に達した時。  
 ついぞ体験した事の無い強烈な快感に、娘は声すら上げられなかった。  
「ほう、達したか」  
 意識という水面を甘く掻き乱す波紋が穏やかになって、ようやく娘は喋れるようになった。とは言っても、呂律の回り具合は大酒かっ喰らった酔っ払いといい勝負だ。  
「うん、うん!いぃ、いったのぉ……イくのぉぉぉ……んひぃ、これ、すごく、イイのぉ!」  
「そんなに良いか。ならば、もっとくれてやるのが雄の勤めというものだな」  
 その方が我もお前を味わっていられるしな、と山神は続けた。娘にそんな言葉を聞いている余裕は、これっぽっちもありはしなかったけれど。  
 調子に乗った山神が、腰を前後させる速度を速める。  
 自身も快感を貪るべく娘の肉襞を掻き分けては、  
「ひぃいん!ん!ん!くぅ、きゅぅぅんっ…!あ、ぁは、あたしの、一番奥にコンッて!コンッてしてるのぉ…」  
 舌を垂らしながら悶える娘にも、もっと快感を与えてやる。  
「んふぅ…な、んで、嫌だったのにぃ。嫌だったのに……もぉ嫌じゃないのぉ。  
 くぅん、もっとぉ…んふぅん、もっとコツンって、してよぉ」  
 男根が進めば押し出され、退けば雁首に肉襞もろとも掻き出される。  
 雄雌の体液が混ざった淫らな汁が溢れては、娘の内腿を伝い流れ、膝まで濡らし、毛皮で吸いきれなかった分が地面に垂れて黒く濡れ染めていく。  
 一人と一頭が交わる岩の上は、むせ返るような熱と匂いが篭もった、まさしく番いの為の褥だった。  
 
 山神は単に突いたり引いたりする動きから、技巧を凝らし始め、さらに娘の体を玩ぼうとする。  
 ぐんっと一気に突いて一息に引き抜く。それを数回繰り返し、また一息に引き抜くかと見せかけて、膣の半ばまでも折り返さないうちに再び突き入れる。  
 コン、と奥を刺激して少しだけ下がっては連続してコン、コンと突いてやったりする。  
 山神がちょっと娘を愉しませてやろうとするだけで、彼女は嵐の中の小船も同じだった。体も心も快楽と言う波と風に翻弄されて、何も考えられない。  
 娘の目は焦点が合わないほどに蕩け、全身を痺れさす快感に弓形に身を反らせて、悦びを肉体で表現する。そうして体の上に伸し掛かる山神の腹に、甘えるように頭をぐりぐりと擦りつける。  
 そこにいるのは、すっかり交尾の虜となった雌が一匹。  
「お前が殺して喰らった我の妻、そろそろ元妻となるか、あやつの影響がお前の肉体だけでなく心にも出ているのだ。  
 肉体が神の力に合わせて変わるなら、心も神の力に合わせて変わるのが道理というものであろう」  
 人が、人の器に人の心のみを容れるのと同じ事だ。神の身体に神の心を持つのが、正しく神の在り方である。  
 人の器に人以外の心を容れれば狂うのと同様。神の身体に人の心を持つのでは、狂い果て、挙句には力を御せずにただの異形の化け物と成り果てる。  
「お前の内で芽吹いた力は我の妻のものだ。あやつが抱いていた我への想いも、同じようにしてお前の内で芽吹いた。  
 そして二つの想いが一つに解け合い、お前を変えつつあるのだ」  
「きゅふぅ…な、うそ…ぁ…んぁ、で、もぉ嫌じゃな、い…んんっ!…嬉しい、のぉ」  
 語りかける間にも、山神は腰を休めない。  
 じゅぷっじゅぷっと粘っこい水音。  
 むせび泣くような娘の喘ぎ声。  
 白く濁った蜜が雌しべから湧き出し、滴り落ちては、パタパタと小雨が地面を打つような音。  
 夜のしじまの中、雄と雌が共に奏でるあらゆる淫らな音が響きわたる。  
 山神の肉棒が奥まで突いて子宮口を叩くと、そのたびに絶頂に打ち上げられた娘の口からは甘く甲高い悲鳴が上がる。山神がずんずんと連続して小突くものだから、娘の意識は磔られたように快楽の高みを漂いつづけ、嬌声が途切れる気配はこれっぽっちもなかった。  
 その絶頂の痙攣が、山神を優しく責めたてる。奥まで突くと、亀頭を半ば飲み込んだ子袋の口が収縮しては、真っ赤に熟れた肉塊をきゅむ、きゅむと揉む。  
 赤ん坊がきゅっと手を窄めて、それで亀頭を柔らかく掴んでいるような感触といえば適当だろうか。  
 粘液をたっぷりと絡みつかせた肉の輪で敏感な先を幾度も幾度も撫ぜられては、もう堪らなかった。  
 山神も限界を迎えていた。  
「くふぅん、いいのぉ……え?やっ、な、根元が、膨らんで、え?!ええぇぇぇ!」  
 蕩けたようになっていた娘の顔が、ぎょっと強張る。驚くな、と言うのも無理な話だ。  
 秘裂の入り口辺りの膣壁が、内側からぐぐっと押される。膣内に埋め込まれた男根の根元が、木のコブの様に膨らんでいくのだ。  
 娘は山育ちだとは言え、これでも年頃の乙女だ。その手の事に興味はあっても、恥じらいが邪魔をして男の子のように露骨な好奇心を持って喰い付いたりはしなかった。動物の交尾を最初から最後までじっくりと見た事はない。なので、犬の交尾についても詳しくは知らなかった。  
 犬は射精の時に、男根の根元が膨らんで、交尾している雌を放さないようにするのだ。肉体的には狼である山神もそれは同様らしい。  
 コブが膨らみきると山神は娘を跨いで体勢を変え、互いの尻同士をつき合わせる格好になった。  
 山神の男根を受け入れた時以上の、下腹部が本当に破裂するのではないかと思えるほどの強烈な圧迫感が娘を苛む。  
 人相手ではありえない現象と、人にはいないほどの剛直に、娘の恥骨がごりごりと悲鳴を上げる。娘に自分の身を確認する余裕があれば、淫核の少し上辺りがぽっこりと円く大きく膨らんでいるのが見えた事だろう。  
 が、その痛みも苦しみも、彼のくれる快感同様に娘には愛しくあった。  
「お前の女陰があまりにも心地よいものでな。我はもう射精してしまいそうだ。  
 我らの肉や血潮には神としての力が宿っているのは既に知っているな。もう一つ、教えてやろう。精もまた然りなのだ」  
 
 娘の胎の中、奥深くで山神の射精が始まった。  
「くふぅぅ……たっぷりとくれてやるぞ。人を捨て、新しき山の神と成れ」  
 熱い噴水が胎で弾けた。  
「ぁ、あ!あつっ――――!!」  
 とうに獣のそれへと変わっている娘の金の双眸から、涙が溢れる。まるで月光を集めたような銀の雫が、頬を伝い落ちては消えていく。  
 それはいかなる感情によるものなのだろうか。  
 身を震わせる獣の歓喜か。それとも抗いきれぬと知った人の諦念か。  
 あるいは人であった部分が涙と化して流れ、零れ落ちたのだろうか。それは誰にも、娘自身にも分からなかった。  
「く、ぅうん!は、ぁ、あついの、でてる…いっぱい、きてるぅ……」  
 悦びの言葉に山神は声無く笑って答え、言葉無く愛を伝える為、さらなる精液を送って膣と子宮の中を掻き回してやる。  
 娘が身を捩ってよがるが、秘裂の中にがっちりとかかった閂は、ちょっとやそっとでは外れない。むしろ、予想外の動きで肉棒を自身の肉壁に擦りつける結果となり、さらに啼く羽目になった。  
 どぷっどぷっと断続的な、しかし途切れる気配の無い射精。  
 子種汁はどんどんと膣を満たしていく。  
 雌しべは開ききっていたが、その内側で栓をされている状態だ。自然、精液は打ち続く絶頂ですっかり弛緩した子宮口から、空いた子宮へと流れ込んでいく。  
 だが普通の犬でさえ、射精する量は人の比ではない。巨躯を誇る山神ともなればなおさらで、彼の吐き出す精は犬ごときを優に上回る。  
 当然、山神の精液は子宮の狭間もすぐさま満たしてしまう。それでも山神の射精は止まる事を知らず、どんどんと娘の膣と子宮へ精液を送り込む。  
「ぅうん!あ、は……まら、でてるぅ。くう…んふぅ!おなか、いっぱぁいに、なっひゃぅ…」  
 逃げどころのない液体は溜まり続け、娘の腹を仔でも孕んだように膨らましていく。  
 いっそ、暴虐と言ってもいいくらいの有り様。  
 しかし娘にはその行為すら愛おしく、自分の腹を孕み女さながらにしているのは掛け替えの無い物だった。  
 まるで自分が、半人半獣の形をした一個の皮袋にでもなってしまったかのよう。その皮袋に詰められるのは水ではなく、山神の精液。そして詰められているのはもう一つ、とうとう一つに混ざり合った二体の雌の心。  
「ひぁん、な、なりまふぅ…かみ、はま、に。あらし、の…ら、旦那…さまぁ」  
 体は想いに応じ、きゅうっと女陰全体が絞まって中で咆え猛る物を優しく抱きしめ、肉筒から精液を搾り出そうとする。  
 山神が吠える。  
「オォォ……アオォォォォォォォォォン!!!」  
 一際勢い良く射ち出された子種が、娘の子袋を打つ。  
 娘も吠える。  
「んひ…!ひ、くぅん…くああぁぁぁぁぁんっ!!」  
 二対の瞳が、同じ月を映しだす。  
 雄は放ち。  
 雌は求め。  
 いまだ煌々と照らす月を振り仰いで、番いは仲睦まじく、絶頂と遠吠えを繰り返した。  
 
――5――  
 
 二つの遠吠えは風に乗って、麓の村々まで届いていた。  
 高く低く響き、切れ切れに聞こえてくる、恐ろしくもどこか艶を帯びた妖しい遠吠え。  
 姿を目にする機会はそうそうはなかったが、音は風次第で案外遠くまで届くもの。里とは言え、野生の獣の遠吠えなどそう珍しいものでもない。  
 だと言うのに、今までにも聞いた事のある狼の遠吠えである筈なのに、とてもただの獣の吠え声とは思えなかった。  
 どこか体の奥底の部分を揺り動かし、風が水面をざわめかすように心が掻き乱されて恐ろしい。  
 里の者は皆、訳も無く畏れ、理屈では説明しがたい事に怯えた。  
 そして夜が明け、日が昇り、山に住む猟師の娘が姿を消したのを知った。  
 彼女は忽然と、なんの痕跡すら残さずに消えていたのだ。幾人か山に慣れたのが娘を探しに山へ分け入ったものの、とうとう手掛かり一つ見つからず、全て徒労に終わった。  
 まさに神隠しと言う他なかった。  
 が、誰も表立ってそうだと言う者はいない。  
 娘の消えた日、夜通し響いていた恐ろしくも妖しい遠吠え。誰もがそれらを結びつけるのを嫌がったのだ。自分達の住む背後にどんな存在が居るのかを、自分で自分の眼前に突きつけるのを恐れたのだ。  
 娘の父親は誰もが驚くほどの回復ぶりを見せたが、深く愛する一人娘を失った所為なのだろう。己の正気まで失った末に、山に入って沢に落ち、今度こそ頸を折って死んでしまった。  
 確かに山神の言葉は正しかったと言える。命だけは助けてくれたのだから。助かった後で彼がどうなろうが、それは山神の知った事ではなかった。  
 父は山で狂死し、娘は山に消えた。  
 親子の後を継いで猟師になる者もおらず、そうして山深くまで入る者の姿もほとんど絶えた。  
 それからしばらくして、満月の晩が訪れる度に、あの妖しい遠吠えが風に乗って聞こえてくるようになった。  
 そんな時、里では誰も彼もがそっと息を潜めるのだ。  
 堅く戸を閉ざし、あらゆる窓を隙間無く締め切り、人の棲家である家に閉じこもる。  
 すべての戸にも窓にも、誰も入って来られないようにしっかりと心張り棒や閂をかけて、それこそ遠く遠くから聞こえてくるおよそ獣のものとは思えない妖しい遠吠えすら締め出すように。  
 故に、満月の晩、表を出歩く者はいなかった。  
 あの切り立った崖の上、神の御座めいた岩棚の上で睦みあう山神の番いの姿を人が見かける事は、終ぞありえなかった。  
 
『猟師と狼』了  
 

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