四本比奈は俺、相川留衣の幼馴染みだ。  
 三つ下の少女は昔から俺の隣に当たり前のようにいて、俺はそれを嬉しく思っていた。  
 はっきり言って比奈は可愛い。  
 輝くような大きめの瞳は愛らしく、柔らかい笑顔は見る者を安心させるように優しい。  
小さな体はまるで『雛人形』のようで、肩口で揃えた黒髪がそれをさらに印象付ける。  
そう呼ぶと彼女はちょっとむっとした顔をするけど。  
 そんな様子さえ可愛く思ってしまうのは、多分に贔屓目があるのだろう。  
 俺にとって四本比奈は、現在進行形の想い人なのだ。  
 そんな彼女に対して、俺は二年以上に渡ってひどいことをしている。  
 レイプ。強姦。婦女暴行。  
 俺がやっているのは紛れもなくそういう行為だ。  
 やりたくてやっているわけじゃない。  
 やらなければならないからやっているだけだ。  
 そこには俺が抱いている想いを込める余地などない。  
 心底愛そうとしても、彼女にそれは届かない。  
 届けてはならない。  
 俺は比奈のために、嫌われ続けなければならないのだ。  
 
      ◇   ◇   ◇  
 
 中学二年の時、大事な話があると親父に呼ばれた。  
 居間のソファーに腰かける親父は、いつになく真剣な顔をしていた。  
「留衣。お前、比奈ちゃんのことをどう思ってる」  
 真面目な面持ちでいきなり尋ねられて、俺は答えに窮した。  
「な……い、いきなりなんだよ」  
「答えてくれ」  
「……」  
 最初は何の罰ゲームかと思った。  
 だが親父の表情にからかいの色は一切なく、俺は一つ息を呑んだ。  
「──言えるかよそんなこと」  
 精一杯強がった言葉に親父は少し笑った。  
 その時の俺は多分真っ赤な顔をしていたと思う。親父は俺の心中を察したのか苦笑した。  
「素直じゃないな。男ならはっきり好きと言えるようになれ」  
「う、うるさいな」  
「お前、あの子のためなら体を張れるか?」  
 笑いを収めた親父の顔は、たじろぎそうなくらいに鋭かった。  
「……なんだよ。何かあいつにあったのか?」  
 俺は心配になった。まさか比奈に何か、  
「何もない。まだ、な」  
「……まだ?」  
「これから何かあるかもしれない。その時お前はあの子を守れるか?」  
「……俺はあいつの『兄貴』だ。そんなの当たり前だろ」  
 別に兄じゃなくても守ってやりたいが。  
 好きな女の子くらい守れなくてどうするよ。  
「ま、そういうことにしといてやろう」  
「なんだよそれ」  
「……あの子は近い将来、ちょっとした病気にかかる恐れがある」  
 唐突に親父が言った。  
「…………は?」  
 一瞬聞き違いかと思った。  
 病気?  
「ちょっと待てよ。あいつはあんなに元気じゃないか。病気なんて」  
「可能性の話だ。まだわからん」  
「でも」  
 比奈は体は小さいが、虚弱でも病弱でもない。健康そのものだ。  
 それなのにいきなり病気にかかると言われても。  
 どうにも納得のいかない話に、俺は首を振った。  
「信じられるかよ、そんなの」  
「今からもっと信じられない話をするんだがな」  
「……何だよ」  
「比奈ちゃんのお母さん──渚は、昔からある病気を患っている」  
「……おばさんが?」  
 俺は驚いた。  
 渚おばさんは親父と同い年の幼馴染みだ。  
 昔から仲が良かったらしく、子供の俺たちが仲良くしているのもそんな関係があった  
からだろう。二代に渡って幼馴染みというのもなかなかに深い関係だ。  
 
 しかし──  
「おばさん元気じゃん。どこが病気なんだよ」  
 親父と同い年なら今年四十になるはずだが、まだまだ若々しい雰囲気をまとっている。  
おじさんが亡くなってしばらく元気を無くした時もあったが、今は立ち直っているし体調に  
不安はないはずだ。  
「ああ、彼女は基本的に健康体だ。病院に行く必要さえない」  
「なんだよ。なら問題ないじゃないか」  
「病院じゃ治せない類の病なんだ」  
 親父の声はどこか無機質だった。  
「病気と言ったが、これはどちらかと言うと体質に近い。生まれつき皮膚の弱い人や  
内臓系が未熟な人のように」  
「……体質?」  
 先天的な病ということか。  
 親父は真面目な顔で言った。  
「渚は生まれつき──生命がこぼれ落ちやすい体質なんだ」  
 真面目な顔だった。  
「……………………は?」  
 俺は理解できずに呆けた。  
「正確には肉体とアストラル体の接続系が薄弱で、エーテル体が漏れ出てしまうらしい。  
子供の頃は未熟なバランスでも均衡を保っていられるが、肉体・精神体が共に複雑に構築  
され始める二次成長期辺りになると徐々にバランスを保てなくなる」  
 突然意味不明な説明をされて俺はますます怪訝な顔付きになる。  
「生命?」  
「そうだ」  
「……親父って漫画とか読む方だっけ?」  
「三国志は全巻読んだ」  
「……」  
 うまく言葉を返せない。  
 意味不明な説明。  
 冗談のような内容。  
 親父は軽口を返せるくらいには冷静且つ正気のようで、つまりはそれらも本気で口に  
しているのだろう。  
 だからって、  
「ごめん、親父。ちょっと信じられない」  
「だろうな」  
「そもそも内容がよくわからない。アス……なんとか体ってなんだよ?」  
「人智学や神秘主義で唱えられている体の構成要素の一つだ。簡単に言うと魂みたいな  
もの──正確には少し違うんだが、まあそんな感じのやつだ。エーテル体は東洋で言う  
気やオーラのことで、これがないと人は生きられないらしい」  
「らしい、って」  
「そんな見えないもののことなど、はっきりわかるわけがないだろう。あくまで推定だ。  
憶測に過ぎん」  
「……」  
「だが、渚が原因不明の病気を持っていることは確かなんだ。彼女は13歳の時から生命の  
不安定な状態が続いている」  
「不安定……」  
 にわかには信じられない話だ。  
 ではおばさんはずっと死にかけている状態だというのか。  
 三十年近くも?  
「ちょっと待てよ親父。そんな状態でどうやって三十年も生きていられるんだよ?」  
「俺が渚の不安定な命を安定させてきたからだ」  
 親父はあっさり答えた。  
「……はあ?」  
「そういう力が先天的に備わっているんだ、俺には。なんでも、昔の先祖が仙人じみた力を  
持っていたらしく、代々受け継がれているんだそうだ」  
 他人事のように言う親父の顔を、俺は茫然と見つめる。  
 そこにはやっぱり嘘や冗談の色はなく、本気で言っているのがわかった。  
 
 俺は困惑するしかない。  
「無茶苦茶言われてるようにしか聞こえない」  
「ああ、俺もそう思う」  
「投げやりなこと言うなよ」  
「許せ。それより、今のでわかったか?」  
「……何が?」  
 何について言っているのだろう。理解できたか、という意味なら半分もできてない。  
「比奈ちゃんが近い将来病気になるかもしれない──そう言っただろう。つまりはそういう  
ことだ」  
「……」  
 そういうこと?  
 何を指して『そういうこと』と言っているのか。  
『病気と言ったが、これはどちらかと言うと体質に近い。生まれつき皮膚の弱い人や  
内臓系が未熟な人のように──』  
 さっき親父が言ったことを思い出す。  
「……まさか」  
 なぜ親父はおばさんのことを言ったのか。  
 それはおばさんが比奈の母親だからだ。血の繋がった二人きりの親子。  
 そして母親が先天的な体質を有しているのなら、それが子供に伝わっている可能性がある。  
「……比奈も、『それ』だと言うのか? 命が不安定な、そういう病気だと?」  
 親父は重々しく頷いた。  
「はっきりとはわからんが、可能性はある。あの子は母親似だしな」  
 頭が真っ白になった。  
 信じられない話であることは変わらない。しかしさっきまでとは全然違う思いが俺の中を  
駆け巡っていた。  
 信じるとか信じないとかそういう話ではない。比奈が危ないかもしれないのだ。どうにか  
しなくてはならない。  
 しかしどうやって、  
「親父ならなんとかできるのか? さっきの話が本当なら、比奈も助けられるのか?」  
「ああ……」  
「じゃあ助けてやってほしい。おばさんを助けたように、比奈も」  
「待て。落ち着け」  
 親父はお茶を一口飲むと、軽く息をついた。  
「簡単なことではないんだ」  
「何言ってんだ! 比奈の命がかかってるんだろ? ならなんとかしないと」  
「聞け」  
 親父はひどく低い声で言った。  
「俺が比奈ちゃんにするのは控えた方がいい」  
「どうして!」  
「お前は俺に小学生の女の子を犯せと言うのか?」  
 その言葉に、俺は固まった。  
「…………な?」  
 親父は肩をすくめる。  
「命を安定させるには、性的接触が必要なんだ」  
「……マジで?」  
「ああ」  
 俺は頭を抱えたくなった。  
 
 比奈を助けるにはそれしか方法がないのか。  
 そんなの嫌だ。  
「安心しろ。それであの子を救えるとしても、俺にはできない。できるわけがないだろう」  
「……じゃあどうすれば」  
「お前がやるんだ」  
 俺は口をぽかんと開けたまま放心してしまった。  
 その間親父は微動だにせず、ただ俺の顔をじっと見つめていた。俺が言葉の意味を理解  
できるのを待っているようだった。  
「俺……が?」  
「他に誰がいる」  
「い、いやいや、俺にそんな力ねえし!」  
「試したことあるのか?」  
「……」  
 俺は口をつぐんだ。  
「大丈夫だ。お前のじいさんも、ひいじいさんも同じような力を持っていた。お前にも  
きっとある。これは遺伝なんだ。日常生活の中でさして困ることもない、些細な能力だ」  
「そんなこと急に言われても……」  
 実感のない話に俺は戸惑う。  
 生命のバランスを安定させるというのがどういうことなのか、理解しようとしてもうまく  
いかない。漫画やアニメでは『ヒーリング能力』というと、手かざしや呪文で発動するので  
お手軽感があるが、性的接触となると童貞の俺には実感など湧くわけがなかった。まさか  
わかりやすく体が光に包まれたりするわけでもないだろう。そんな幻想的なものではなく、  
もっと直に体を触れ合わす必要がありそうだし、そもそも相手の体調が悪い時にしないと  
それに効果があるかどうかもわからない。  
 何より、比奈と『そういうこと』をするというのがどうしても想像できなかった。  
「他に方法はないのか?」  
「あれば教えている」  
「比奈はまだ小五だぞ」  
「安心しろ。今日明日の問題じゃない。彼女が初潮を迎えるまでは大丈夫だ。それまでに  
彼女に話して受け入れてもらう。お前は覚悟を決めるだけでいい」  
「……」  
 俺は口をつぐみ、親父を茫然と見返した。  
 多分この時の俺は、ひどく情けない顔をしていたと思う。  
「……なあ」  
「ん?」  
「さっきの話だと、親父はその……おばさんと……」  
 親父は微かに眉を寄せた。  
「ああ、俺は渚をずっと抱いてきた。今でもな」  
「そのこと、母さんは?」  
「知っている」  
 ちょっとだけ親父に怒りを覚えた。  
「正しいことだとは思っていない。だが正しさだけでは人は救えない」  
「……」  
「お前は軽蔑するかもしれないが、渚のことは悪く思わないでくれ」  
「……わかってるよ」  
 別に親父が間違っているとは思わない。  
 
 他に方法がなかったからそうしたに過ぎないのだろう。俺だって同じ立場ならそうする  
かもしれない。  
 命を第一に考えるなら、親父のやっていることは圧倒的に正しいのだ。  
 それでも複雑な気持ちを抱いてしまうのは、俺が親父の、そして母さんの息子だからだ。  
 自分の親が他の異性と関係を持っていることをすんなり受け入れるのは難しかった。  
「……親父は、母さんのこと……」  
「愛している。当然だ」  
「でも、おばさんとは13の頃から……なんだろ? おばさんと結婚する気はなかったのか?」  
 親父は小さく鼻を鳴らした。  
「まったく考えなかったと言えば嘘になる。だが、母さんと会ってからはまるでその気には  
なれなかったな」  
 それから親父は、それは渚も同じだ、と付け加えた。  
「……おばさんも、おじさんのことを愛していたんだな」  
「お互いにな」  
 親父は虚空を見上げるように溜め息をついた。  
「俺も渚もそれぞれ違う相手に出会い、愛してしまった。しかし俺たちは関係を続けて  
いかなければならなかった。不義理を働きたくなかったので、それぞれの相手に事情を  
話した。ふざけた話と呆れられても仕方なかったし、それで離れていってもしょうがないと  
覚悟していた」  
「……」  
「だがな、母さんは──留美はそれを信じてくれた。そして受け入れてくれたんだ」  
「……」  
「同じように敏雄さんも渚を受け入れた。もちろん心中穏やかではいられなかっただろうが、  
とにかく信じて、愛してくれた。二人とも」  
「……」  
 四人の間には、きっといろいろなことがあったのだろう。  
 もちろん詳しいことまではわからない。  
 親父は厳しい顔を見せている。でも俺にはその表情はどこか弱々しく映った。  
 その弱々しさは決して情けなくはなかったけど。  
「俺、やっぱりよくわからない」  
「そうか」  
「でも、もし俺にやれることがあるのなら、ちゃんとしようと思う」  
「……」  
「その手段が……『そういうこと』っていうのは、ちょっと納得いかないけどな。とにかく  
話はわかったから」  
「……悪いな」  
「なんで謝るんだよ。親父は何も悪くないだろ」  
 俺の言葉に親父は微笑を浮かべた。  
「言うべき言葉が見つからなかっただけだ。気にするな」  
「そういう時は頑張れの一言でいいんじゃないかな」  
「……お前も随分生意気に育ったなあ」  
「なんでだよ!」  
 子供扱いする意地悪な笑みに俺は憤慨する。生意気に見えるならそれは間違いなく  
あんたの血だ。  
「比奈ちゃんのこと、任せたぞ」  
「言われなくても守るさ。比奈は大事な妹だ」  
「本当は何もないのが一番なんだがな」  
「……ああ」  
 
 本当に、何もなければよかったのに。  
 
      ◇   ◇   ◇  
 
 おばさんが入院したのは俺が中三の秋の頃だった。  
 本当に病気だったのかと驚くと同時に、なぜ倒れたのか不思議に思った。  
 親父が対処しているなら、特に心配はないはずなのに。  
 やはりでたらめだったのか?  
 親父は苦い顔で答えた。  
「癌だ」  
「は?」  
 唐突に言われて俺は口を開けたまま呆然となった。  
 それはまったく予想してなかった病気で、あまりに『普通』のありふれた事態だった。  
 ありふれた絶望。  
 おじさんと同じ病気というのがまた皮肉な話だ。  
「……どうにかならないのか?」  
 親父は首を振った。  
「かなり進行しているみたいで、手術は難しいらしい。手遅れと決まったわけじゃないが  
渚は……」  
 そこで口をつぐむ。俺はその振る舞いに眉を寄せた。  
「おばさんがなんだよ」  
「渚はもう諦めている。これ以上生きることを」  
「な……」  
 思わず絶句した。  
 諦める? まだおばさんは四十だぞ。第一おばさんには比奈がいる。諦めるなんて  
おかしいだろ。  
「そんな」  
「しばらく前にあいつのところに行ったら、あいつは俺を拒絶した」  
「どうして!」  
「俺との関係を続けることに意味を見出せなくなったんだろう」  
「……だからって諦めるのかよ!」  
 納得がいかなかった。人間いつかは死ぬ。でも諦めることだけはしてほしくなかった。  
 自分のためだけじゃなく、比奈のためにも。  
「もちろん説得はするさ。だが生きる意志は本人にしか起こせない。そうだろ?」  
「比奈はどうなるんだよ」  
「俺たちが支えていく必要があるな。いや、もっと端的に言えば、お前がだ」  
「……」  
 何があっても比奈を守る。  
 その思いは少しも変わらないし揺るがない。  
 しかし、不安があるのも確かだった。  
 俺がどれほど比奈を想っても、俺はあいつの幼馴染みでしかない。  
 俺はあいつの家族になれるだろうか。  
 おじさんやおばさんの代わりになれるような。  
「とりあえず比奈ちゃんはうちでしばらく預かる。お前、迎えに行ってやれ」  
「……わかった」  
 俺には重すぎる難題だった。  
 
 しばらくうちで暮らすことになって、比奈は嬉しそうだった。  
 留衣くん留衣くん、と可愛い声で呼び掛けられると俺は安心した。おじさんやおばさんと  
同等とまではいかないだろうが、ちゃんと慕われていることに安堵した。  
「比奈、おばさんの見舞いに行ってきたんだろ。どうだった?」  
「元気そうだったよ。でもお母さんずっと無理してたから、しばらく休んだ方がいいかも」  
 特に無理するでもなく話す比奈。  
 おばさんは──何も話していないのだろうか。  
 俺は迷った。比奈がまだ何も聞いていないのなら、俺が教えてやるべきじゃないのか。  
「どうしたの、留衣くん?」  
 心配そうに尋ねてくる比奈に、俺は、  
「なんでもない。ちょっと受験のことを考えてただけ」  
 誤魔化した。  
 言えるわけがない。お前のお母さんはもう長くないかもしれないなどと、誰が言える?  
 おばさん本人でも言うのは難しいだろうに。  
「留衣くんなら大丈夫だよ。本当はもっと上狙えるっておばさん言ってた」  
「どこ受けようと、不安になるのはみんな同じだ。ランクは関係ないって」  
 比奈のために俺は地元の高校を選んだ。  
 何かあった時、彼女の側にいてやれるように。  
 『病気』云々のことがなくても側にいるべきだと思った。比奈を一人にはしたくなかった。  
 比奈はにっこり笑って言った。  
「大丈夫。留衣くんはちゃんと合格できるよ。そしたら晴れて高校生だね」  
「晴れてって……そんな特別なことじゃないだろ」  
「私から見れば高校生ってすっごく大人に見えるもん。あ、でも私ももうすぐ中学生だよ」  
「そうなんだよなあ……あんなにちっこかった比奈が中学生になるんだよな」  
 しみじみ呟くと、比奈は頬をぷうっと膨らませた。  
「ちっちゃくないよ! 結構背も伸びてるんだから」  
「今何センチ?」  
「140センチ」  
「ちっさ!」  
「う、うるさいなー!」  
 小学生なんだし別に珍しくもない背丈だと思うが、比奈は俺とやたら比べたがる。こっちは  
男で、歳だって三つも上なのに。  
「絶対追い付いてみせるからね。覚えててよ」  
「お前、170センチ以上の大女になりたいのか?」  
「……留衣くんのバカ!」  
「俺が悪いのか!?」  
 まあ小さい小さいとからかった俺が悪いんだけど。  
 こんな他愛もないやり取りをかわしながら、俺は自分の気持ちを整理していた。  
 ──この可愛い『お雛様』を守るためなら俺は何でもする。  
 それだけは確信できた。  
 
      ◇   ◇   ◇  
 
 『その日』が来たのはおばさんが入院してから三ヶ月が経った頃だった。  
 その日、俺は比奈といっしょにおばさんの見舞いのため病院を訪れていた。  
 比奈はおばさんの体調が一向に戻らないことに不安を感じているようで、元気のない  
顔で俺の後ろをついてくる。俺は比奈の小さな手を優しく掴むと、隣に並ぶようにその手を  
引き寄せた。比奈は少し驚いて、しかしすぐに笑顔を返してくれた。力ない笑みだったが。  
 病室に入るとおばさんがベッドの上から迎えてくれた。  
「いらっしゃい、二人とも」  
 おばさんは綺麗な人だ。比奈の人形のような容姿はこの人の遺伝なのだと思う。  
 ただ、今はやつれていて、美しさに陰りが見えた。  
「お久しぶりです、おばさん。なかなか見舞いに来れなくてすいません」  
「他人行儀はいいわよ。会えて嬉しいわ」  
「桃を持ってきたんですけど……食事制限とかあったりします?」  
「いただくわ。……比奈、どうしたの?」  
 元気のない比奈におばさんが声をかける。  
「……ううん、何でもない。お母さん体は大丈夫?」  
 おばさんはにっこり笑った。  
「ええ。最近の病院食っておいしいのね。昔はおいしくないって言われてたんだけど。  
おかげですっかり食事が楽しみになってしまったわ」  
「……」  
 比奈は押し黙る。おばさんの話はどうにも説得力に欠けた。  
 するとおばさんは棚の引き出しから財布を取り出した。  
「比奈、飲み物を買ってきてくれないかしら? あと花瓶の水も換えてきて」  
「……うん」  
 比奈は納得いかなそうな表情を浮かべたが、頷いて財布を受け取った。  
 比奈が病室を出ていくのを確認すると、おばさんは俺に向き直った。  
「留衣君、あなたはもう私の体のことは聞いてる?」  
「はい」  
「なら細かい説明はいらないわね。私は多分もう長くない」  
 おばさんは案外あっさりした調子で言った。  
 
「……そんなこと言わないでください」  
「ごめんね。でも本当のことだから」  
「手術でなんとかならないんですか?」  
「駄目みたい。末期なんだって」  
「……」  
 おばさんのあっけらかんとした口調に俺は目を細めた。  
「でも比奈は……」  
「うん、それだけが心残り。だからあなたと二人っきりで話がしたかったの」  
「え?」  
「ねえ留衣君。あなたは比奈のこと、好き?」  
 急な問いかけに俺は口ごもった。  
 しかし黙っているわけにもいかない。小さく頷くとおばさんは笑った。  
「あなたは昔のお父さんにそっくりね」  
「……そうですか?」  
「ええ。あなたのお母さんに告白する時なんか、顔を真っ赤にしてた。今のあなたと同じ  
ように」  
「……」  
 親の青春時代と比べられるのはなんというか、かなり恥ずかしい。  
「そんなあなたが比奈を好いてくれるのは、すごく嬉しい。比奈のことよろしくね」  
「……はい」  
「今日あの子に全部話すつもり。本当はもっと早く言うべきだったんだけど、駄目ね。  
なかなか踏ん切りがつかなかった」  
「あなたが言わなかったら俺が言うつもりでした」  
「私が言うわよ。私の義務だし」  
「……あいつは受け入れられるでしょうか?」  
「受け入れられなくても、受け止められればそれでいいと思ってる」  
「? どういう意味ですか?」  
「今すぐ受け入れるのは難しいと思う。でも今じゃなくていい。ゆっくり、少しずつ心の  
整理をつけてくれれば、きっと受け入れられる日が来るから」  
 ただ受け止めて、知ってほしい。そうおばさんは言った。  
「それを留衣君が支えてくれるなら、もう言うことはないわ」  
「支えます。必ず」  
「ええ。ありがとう」  
 そろそろ比奈が戻ってくるから、とおばさんは唇の前で人差し指を立てた。  
 俺は頷きながらその愛情に満ちた顔を見つめていた。  
 
 比奈が戻ってくるのと入れ替わるように俺は病室を出た。  
 しばらく時間を潰そうと思い、とりあえず用を足しに行く。同じ階のトイレは清掃中  
だったので下の階へと向かった。  
 トイレを出るとそのまま一階のロビーに下りる。端の長椅子に座り、病室を出る際に  
比奈から受け取った缶ジュースを開けた。温かいストレートティーだ。  
 一口飲む。控え目な甘さと冷たい手にしみる温かさが心地よく、俺は一息ついた。  
 おばさんは比奈にすべてを話すだろう。比奈はそれを受け止められるだろうか。  
 優しい比奈は自分の事よりおばさんの方を気にするかもしれない。だがもうおばさんは  
諦めている。  
 いや、覚悟を決めていると言った方が正しいか。  
 俺には何も言えない。  
 死を目前にした人間に対して、中学生にできることなど何もない。  
 くそ、と俺は紅茶を一気に飲み干した。空になった缶をごみ箱に捨てると、エレベーターに  
乗って元の階に上がった。  
 病室前に戻ると、部屋から声が聞こえた。  
 まだ話しているのかと思ったが、それにしては声が大きい。しかもなんだか必死な風に  
聞こえる。  
 嫌な予感に駆られて俺は室内に飛び込んだ。  
 ドアを開けると、おばさんが必死に比奈に呼び掛けていた。  
「比奈!」  
 そして比奈は頭を抱えてうつ向いている。  
「どうした比奈!」  
 すぐに駆け寄って名前を呼ぶ。  
 耳元で怒鳴るように呼び掛けたが、比奈は答えない。  
 体が微かに震えている。うつ向いた顔を覗き込むとその表情は──  
「おばさん、これは」  
「留衣君……急いで比奈を連れて帰って」  
「え?」  
 おばさんの昂った声に俺は目を丸くした。  
 ここは病院だ。医者に見せた方が、  
「医者に見せても意味がないわ……これを治すには、あなたの力がいるの」  
 その言葉に俺は固まった。  
「……俺の、って」  
「私と同じ病気よ」  
 瞬時に事態を理解する。  
 来てほしくなかった日が遂に訪れたのだ。  
 だが、  
「早すぎる!」  
 比奈の成長具合から考えると、もっと後だと思っていた。初潮も訪れていなければ  
成長期にも入っていない。なのになんで今。  
 いや、違う。初潮が『まだ』来てないだけで、もうすぐ来るのではないか。症状が早く  
表れただけで比奈はもう女になりつつあるのだろう。ならば早くなんとかしないと、  
 ぱっ、と手を取られた。  
 思考を中断して顔を上げると、おばさんが祈るように俺の手を両手で握りしめていた。  
「留衣君……比奈をお願い」  
 悲痛にさえ聞こえるおばさんの頼み。  
 細く衰えた手にこめられた力はあまりに弱く、俺は辛くなった。  
 俺にできることがあるなら。  
 手をしっかり握り返して頷くと、おばさんはありがとうと力なく笑んだ。  
 
      ◇   ◇   ◇  
 
 迎えに来た親父の車で比奈を家に連れ帰ると、すぐにベッドに寝かせた。  
 比奈はぼう、と虚ろな目をしたまま固まっている。  
 呼吸しているので死んではいない。だが人形のように生気のない顔は一目で異常を感じ  
させた。  
 これが、生命がこぼれ落ちるということなのか。  
 死ぬというより生きられなくなるという言い方の方がしっくりくる気がした。  
 親父は俺に比奈を任せると、病院へとまた引き返した。向こうに一人残った母さんから  
電話で呼ばれたらしく、親父は慌てた様子だった。  
 家を出る前に親父が言った。  
「留衣。比奈ちゃんを任せたぞ。……言ってる意味わかるな?」  
 俺は一瞬躊躇ったが、ちゃんと頷いた。  
「……やるよ、やってやるさ」  
「目が恐いぞ」  
「恐くもなるよ。俺が今からすることってのは、そういうものなんだから」  
「……無茶するなよ」  
「無茶しないと駄目だろ」  
 俺ははっきり言ってこの時緊張していた。  
 比奈を助けるということは、比奈を抱くということなのだ。  
 そんな力が俺にあるかどうか、この期に及んでもまだ確信できていないが、それしか  
ないと言うのならやるしかない。  
 親父が家を出た後、俺は比奈のいる寝室に入った。  
 比奈はぼんやり天井を見上げていたが、俺が入ってきたことに気付いたのか目だけを  
だるそうにこちらに向けた。  
「比奈、気が付いたのか?」  
 微かに息が荒い。苦しそうだ。  
「……、……ぇ、……っ」  
 比奈が何かを言った。唇をやっとの思いで動かしているが、声がまともに出ていない。  
 俺は比奈の口に耳を近付けてもう一度訊いた。  
「なんだって?」  
 乱れたか細い呼気の音に交じりながら、それは聞こえた。  
 
 
 
「…………たすけて……」  
 
 
 
 俺は息を呑んだ。  
 小さな体に溜め込むには、あまりに苦しい『病気』なのか。  
 代わってやりたいがそんなこと俺にはできない。  
 俺にできるのは──  
「比奈、治してやる。お前の苦しみを俺が拭い去ってやる」  
 俺は布団を剥ぎ取ると、比奈の小さな体に覆い被さった。  
 そして勢いのままに有無を言わさずキスをした。  
 体が強張るのがわかった。  
 俺は彼女を押さえ付けたままキスを続ける。  
 柔らかい唇。華奢な体。比奈はまだ『女の子』で、とても男を受け入れられるような  
余裕はない。彼女は『女』としてあまりに未発達だ。  
 それでもやるしかない。  
 
 唇を離すと比奈は戸惑った顔で俺を見つめてきた。  
 俺はその小さな体を抱き締める。抱き締めて、いたわるように背中を撫でた。  
 胸が当たる。膨らみは僅かで、興奮よりも痛々しさの方が勝る。  
 背中から前の方に手を持ってくると、俺は彼女のパジャマのボタンに手をかけた。  
 くっ、と比奈の体に力がこもった。  
 怯みそうになる心を抑えて、俺は耳元で囁く。  
「比奈、力を抜いてくれ」  
 俺の言葉は届いているだろうか。届いてないかもしれない。構わない。無理やりにでも  
事を進めるだけだ。  
 つい力が入り、ボタンを外す手つきが荒々しくなってしまう。それでもなんとか前立てを  
開くことに成功した。  
 意外にも比奈はブラジャーを着けていた。胸は膨らみ始めたばかりといったところで、  
必要ないと言えば必要ないのだろうが、そこは彼女もやはり女の子なのだろう。俺は妙に  
気恥ずかしさを覚えた。  
 もっとも、恥ずかしいのは比奈も一緒だろう。ただ不安は遥かにこいつの方が強いに  
違いない。  
 そんな不安すら拭えない自分が情けない。しかし今はただ彼女を抱くことだけに集中する。  
 再び背中に手を回す。ホックを外すのに手間取りながらもなんとかブラジャーを取り去る。  
 比奈の顔はずっと羞恥と不安に覆われている。体が重いのかろくな抵抗も見られない。  
それがいっそうこちらの罪悪感を煽る。  
 服と下着をベッドの下に落とすと、俺は露わになった比奈の裸を改めて見つめた。  
 平たい胸。その先に見える二つの突起物。胴は肋骨が微かに浮いていて、真っ白な肌は  
仄かに上気して汗ばんでいる。  
 好きな女の子の裸をこんな形で見ることになるとは、しばらく前までは思いもしなかった。  
 正直、嬉しくない。  
 もっとお互い自然な関係でこうなりたかった。少なくとも辛くない程度には。  
 俺は葛藤を内に押し込めて、また彼女にキスをした。  
 少しでも安心してほしい。声が届かないならせめて温もりを分け与えたい。  
 細い首筋に舌を這わせる。しょっぱい汗の味が口に広がる。  
「……っ」  
 比奈が何かを言った。  
 抵抗か、喘ぎか。弱々しくて判別がつかない。  
 腕に力がこもる。動かない体が強張る。  
 抵抗しているんだろう。俺はやめない。やめるわけにはいかない。  
 喉からうなじにかけて味わうと、今度は胸に吸い付く。ピンク色の小さな乳首を舌先で  
転がすと比奈の体がますます強張った。  
 右手を脚に。太股を撫でながら徐々に股間へと手を移動させていく。胸と違って肉の  
柔らかい感触がはっきり感じられた。  
 俺の心の中に興奮が生まれる。訂正。まだ完全じゃないけど、比奈はちゃんと『女』だ。  
 パンツとショーツの中に右手を突っ込む。比奈の熱が伝わってくる。  
 そのまま目当ての中心部分にまで指を伸ばす。微かな身じろぎを押し退けて、俺は比奈の  
大事なところに触れた。  
「!」  
 比奈の動揺がはっきり伝わってきた。俺は初めて触る異性の感触に唾を呑む。ごめん、  
比奈。俺はケダモノのようだ。  
 邪魔な衣服を脱がす。パンツとショーツを一緒に膝まで下ろすと、明かりの下に比奈の  
股間が晒された。  
 
 比奈が泣きそうな程に顔を歪めている。  
 俺はそれを見ないように、秘所への愛撫を始めた。  
 陰唇という程腫れぼったくもない割れ目。申し訳程度に生えている陰毛。指でなぞると  
びくっ、と体が反応を見せる。  
 果たして濡れるのだろうか。男を受け入れるにはまだまだ早いように見えるそこは、  
少しも湿り気を帯びていない。  
 俺は試しにそこを舐めてみた。  
 嫌な感じはまるでしなかった。割れ目に沿って舌でなぞると徐々に液が染み出してくる。  
 じわりと漏れる愛液が舌にまとわりつく。粘性のある液と唾液が混じり合い、口の中で  
弾ける。決して美味しくはないが、不味くもない。言うならば、愛しい味といったところか。  
 丹念に舐め回すと比奈の股間はしっかりと濡れていった。声は出ないが体だけは微かに  
反応している。小さな体がぴく、ぴく、と震えている。  
 人差し指を中に入れてみる。抵抗するようなきつい締め付けに負けないよう、思い切って  
中に進入させると体がさっきよりも激しく震えた。  
 比奈の中はとても狭く、熱かった。  
 俺はしばらく秘壷をいじり続けた。  
 指で、舌で、なぶるように丁寧に感触を味わうと、次第に心が熱くなっていく。  
 興奮が止まらない。  
 入れたい。  
 さっきまでの罪悪感が隅に追いやられていく中、俺は立ち上がって服を脱いだ。  
 焦りとともに全裸になると、比奈の白い両脚を捕まえる。  
 比奈の顔にはっきり怯えの色が浮いた。  
 俺は見なかったふりをする。  
 脚を開く。濡れすぼった中心目がけてぐっ、と腰を落とす。  
 貫いた瞬間、俺の頭の中は快楽と背徳でぐちゃぐちゃになっていた。  
 肉体的というよりは精神的な快感が強かった。こんな形の初体験でも、哀しいことに  
俺はたまらなく興奮している。  
 好きな女の子を抱くのはこんなにも……  
 比奈の体が痙攣するように揺れている。苦痛の表情が痛々しい。  
 奥まで到達すると、膣内がぎゅうっと収縮した。  
 比奈の呼吸が短く、荒い。  
 できるだけ早めに終わらせよう。俺には比奈を気持ちよくさせるだけのテクニックはない。  
 狭い穴をひたすら往復する。張り付くように閉じていた中を、まるで引き裂くように  
俺は蹂躙した。  
 生温かくぬめる液体は血か、愛液か。  
 俺の逸物から漏れ出る先走り液が、比奈の液と混じり潤滑油となる。  
 僅かではあるが内壁が滑らかになった。苦痛は変わらないだろうが、行為は早く終わらせ  
られるだろう。  
 ──終わらせたくない。  
 抜き挿しを繰り返しながら俺は非道いことを考えている。  
 まだ出したくない。比奈の中をもっとずっと、長く味わっていたい。  
 そんなのは俺の、男の一方的な我儘だ。  
 でも確かに俺はそれを望んでいる。相反する嫌悪感とともに、快楽に溺れたい、と。  
「…………っ、ひ……っ、う……」  
 それを止めてくれたのは比奈の痛々しい泣き顔だった。  
 泣いていた。どんな時でも笑顔を浮かべていた比奈が泣いていた。  
 俺の中の残虐な感情が一瞬で飛散した。  
 ごめん、比奈。ごめん。  
 俺は罪悪感に襲われながら比奈の中に射精した。  
 外に出すと効果は薄いという。妊娠の恐れはあるが迷っている暇はなかった。  
 欲望が白濁液となって比奈の中を犯していく。  
 涙にまみれた瞳を閉じると、あっという間に比奈は眠りに落ちていった。  
 目をつぶる寸前、俺から顔を逸らしたのがショックだった。  
 だが受け入れなければならない。無理やり事に及んだのは俺なのだから。  
 これで果たして彼女を救えたのだろうか。  
 はっきりした確信を得られないまま、俺は比奈の小さな体に布団をかけ直した。  
 
      ◇   ◇   ◇  
 
 一晩経つと比奈の体調は元に戻っていた。  
 俺はほっとしたが、素直に喜ぶことはできなかった。  
 比奈を無理やり押し倒して犯したのだ。まだ12歳の女の子を、理由はどうあれ傷付けた。  
それは許されないことだと思う。  
 それと、俺には腑に落ちないことがあった。  
 比奈はおばさんに何も聞かされなかったのだろうか。  
 行為に及んだ時、比奈は戸惑っていた。つまり彼女は俺がやろうとしていることを  
わかっていなかったということになる。  
 『病気』のことも知らず、ただ俺に犯された比奈。  
 気まずすぎて比奈に直接は訊けなかったので、俺はおばさんに会いに行った。  
 おばさんはさらにやつれたようだった。この前より頬が痩けている。  
 事情を話すとおばさんはうつ向いた。  
「ごめんなさい……私が悪いの」  
「……え?」  
 急に謝られて俺は驚いた。  
「比奈にはちゃんと話したわ。でも、あの子はそれを受け止められなかったの」  
「……」  
「でもそれは比奈のせいじゃないわ。あの子は私がもうすぐ死ぬということを、ちゃんと  
聞いてくれた。だけど……」  
「だけど?」  
「……私があなたのお父さん──雄二さんと関係を持っていたことを話したら、あの子は  
すごくショックを受けた顔になった」  
「……」  
 それは──  
「理屈じゃないのよ、きっと。生きるためとかそんなのは理由にならなくて……敏雄さんに  
対する裏切りみたいに感じてしまったのかもしれない」  
 悲しげに言うおばさん。  
 それが今の比奈とどう繋がるのか。  
 話を聞かせたにも関わらず、比奈はその話を認識していなかった。それはつまり、  
「……つまり比奈はその話を受け入れられなくて、自分の中で『なかったこと』にした  
ってことですか?」  
 ショックのあまり記憶から抜け落ちているというのか。  
「はっきりとはわからないけど、多分ね……」  
 おばさんは悲しげな表情を浮かべながら、窓の外を見た。  
 雪が降っている。白く舞い落ちる粉雪は、はらりはらりと溶け消えていく。  
 しばらくおばさんは外を眺めていた。  
 その時おばさんが何を思っていたのか、はっきりとはわからない。  
 ただ一つだけわかるのは、おばさんが自分の死以外にも覚悟を決めたということ。  
 おばさんはこちらに視線を戻すと、妙に据わった目で口を開いた。  
 
「留衣君、私、もう一度比奈に、」  
「話さなくていいです」  
 俺は先回りして答えた。  
「え?」  
 おばさんは目を丸くしている。  
「比奈はまだ12歳なんです。そんな複雑な事情を冷静に受け止められるほど屈折してないし、  
記憶をなくすほどのショックならなおさらです」  
「でも……」  
「だから、これ以上覚悟を決める必要なんかありません」  
「──」  
「おばさんは……自分のことで精一杯の覚悟を決めているじゃないですか。これ以上は  
必要ないですよ」  
 死を覚悟しながら、さらに娘を傷付ける覚悟までしようとしている。比奈のために。  
 だがそこまで背負わせる気はなかった。  
 覚悟は、これから比奈を守っていかなければならない俺が決めるべきなのだ。  
「しばらく俺があいつに憎まれておきますよ。あいつがすべての事情を受け止められるまで」  
 受け止められないなら、無理に聞かせる必要はない。何も話さず、俺は彼女を犯す。  
 どちらがマシなのかはわからない。だが、どうせしなくてはならないことなら。  
「それは……」  
「俺はあいつを無理やり犯しました。それはこれからも続けていかなくちゃならない。  
あいつが受け止められないなら、悪役を演じるだけです」  
 俺にできるのは嫌われることくらいだけど、それであいつを救えるなら、  
「……留衣君、どうしてそこまでできるの? あなたは比奈のことが好きなんでしょう?」  
「好きだからできるんです。あいつを守れるなら、嫌われるくらい平気です」  
 馬鹿みたいだと自分でも思う。  
 これであいつは多分俺を二度と好いてはくれないだろう。  
 それでもいい。  
 馬鹿みたいに一途な想いをこめて、俺はあいつに憎まれてやる。  
 あいつが、四本比奈が好きだから。  
「ごめんなさい……でも、ありがとう。あなたが比奈の側にいてくれて本当によかった」  
 おばさんはそう言って笑った。  
 少し、涙ぐみながら。  
 
 
 
 ……おばさんが亡くなったのは、俺が高校に合格した翌週のことだった。  
 
      ◇   ◇   ◇  
 
 高校生になった。  
 何かが変わるわけでもなく、比奈が憧れると言った高校生の身分はあまりに普通だった。  
 朝早く起きて、学校に行って、帰ってくる。勉強をして、息抜きに時々遊んだりして、  
その繰り返し。  
 そして二、三ヶ月に一回、幼馴染みを犯す。  
 それが俺の日常になった。  
 比奈はあれから少し変わった。  
 中学生になり、背も伸びた。体の発育も進み、女らしくなった。  
 そして、あまり笑わなくなった。  
 日常的に接する機会がなくなったからだろうか。俺は最近比奈の笑顔を見ていない。  
 俺たちが交わるのは二、三ヶ月に一回だけ。  
 比奈はどこにも逃げなかった。そして誰にも訴えなかった。  
 俺を恐れているのか、それとも……  
 抵抗といえば家に鍵をかけて閉じ籠るくらいだ。  
 それさえ合鍵によって無意味になってしまう。  
 やめて、と何度言われたことか。  
 俺は何度か事情を説明しようとしたが、比奈は受け止められなかった。  
 説明しても次の日には忘れているのだ。  
 どうしてそんなに拒絶するのか、俺にはわからない。比奈にとっておばさんと親父の  
関係はそこまで許せないことだったのか。  
 不毛な関係はまだ続いている。  
 あと一年で比奈は中学を卒業する。  
 一体いつまでこんな関係を続けていかなければならないのか、終わりは見えない。  
 それでも俺はやめない。  
 独善的で、一方的で、どれだけ相手を傷付けようと、俺は比奈に生きていてほしい。  
 これは俺の我儘だ。  
 だから比奈は何も悪くない。  
 これは俺の偏愛だから。  
 おばさんも親父も比奈も関係ない。比奈が笑わなくなったのは俺のせいだから。  
 
      *   *   *  
 
「……それでも」  
 相川留衣は部屋で一人呟く。  
「もう一度、笑ってほしいな……」  
 誰にも見せられない涙をひっそりと流しながら、ささやかな願いに想いをはせていた。  
 

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