『想い一途に・後編(二人の場合)』
「あっ、あっ、あん……」
口から漏れる喘ぎ声をどこか他人事のように聞きながら、私は彼に抱かれていました。
十回以上重ねた彼との行為は、まるで私の生活の一部のようで、最近はもうあまり抵抗も
しなくなっていました。抵抗しても体の大きな彼に敵うはずもなく、結局は無意味だった
からです。
それでも涙は出ます。彼に犯されている間、私は悲しい気持ちでいっぱいで、器から水が
溢れるように涙が止まらないのです。
私は、彼が好き。
留衣くんが大好き。
想いが通じあっていればこの行為もきっと素晴らしいものになるのでしょう。私の想いが
彼に届けば、彼がそれを受け入れてくれれば、私は満たされるに違いありません。
でも、実際はそうじゃなくて、
そんなこと現実にはありえなくて、
彼は私をただ犯すだけでした。
六月十二日。
学校から帰ってくると私はすぐに勉強を始めます。私の志望校は合格ラインが高めなので、
あまり気を抜くことはできません。
その日も私は帰宅するや自室にこもっていました。
苦手な数学を重点的に解いていると、唐突に玄関のチャイムが鳴りました。
私はびくりと震えました。また彼が来たのかと思ったからです。
ここで居留守を使っても彼は合鍵を使って入ってきます。私はのろのろと重い足取りで
玄関に向かいました。
これではまるで彼の行為を受け入れているみたいで、私はまた悲しくなります。
私はもう、妹でも、幼馴染みでもなく、ただ体だけの繋がりしか持たない一人の女でしか
ありませんでした。
ただ──妹扱いされないことにだけは、なぜか安堵している自分がいました。
やっぱり私は──
眩暈がしそうなくらいに激しい心臓の鼓動を聞きながら、私は玄関のドアを開けました。
◇ ◇ ◇
六月十三日。
雨が降りそうで降らない空模様の下、俺は市立図書館への道を歩いていた。
受験生である。三年経って再び俺、相川留衣は受験生という立場に戻ってきたのだ。
目指す大学は地元──それは三年前と変わらない。難易度は遥かに高くなっているが、
別段気にしていない。今の時点でもそう悪くない判定が出ているし、順調に行けば十分
合格は可能だろう。
図書館に行くのは、考えすぎないようにするためだ。
勉強するなら家でも構わない。だが、家にいると隣家に住む幼馴染みのことを気にして
しまう。
俺が幼馴染みの四本比奈を初めて犯した日から、二年以上の月日が過ぎていた。
回数で言うなら十四回。
それは俺にとって罪の回数でもある。
必要な事だとは思っている。比奈は生まれつき生命が零れ落ちやすい体質で、魂の状態が
不安定なのだ。それを防ぐには彼女を抱かなければならない。
性交によって互いの体を深く繋ぎ合わせ、俺の魂の波長を比奈の魂に送り込む。それに
よって不安定な魂を安定させるのだ。俺はその力のことを『調律』と呼んでいる。
比奈はこのことを知らない。だから彼女は俺のことを、好き勝手する暴行魔みたいに
思っているのかもしれない。昔は実の兄のように慕ってくれていたが。
そんな関係にはもう戻れないかもしれない。
事情を話しても比奈は受け止めない。受け止められない。
互いの関係も親同士の関係もその他様々な事情も、全部比奈には重荷なのかもしれない。
俺はそのうちなんとかなると思っていた。今は受け入れられなくても、いずれ必ずわかって
もらえると信じていた。
そう思い続けて二年が過ぎた。
比奈は中学生になっていて、あと一年もしないうちに高校生になる。
進路はどうするのだろう。
比奈の成績はどの程度なのだろう。優秀ならあるいはよその進学校に進むこともある
かもしれない。
その時俺はどうすればいいのだろう。
彼女を繋ぎ止める手段を俺は持っていない。
言葉は届かない。想いも伝えられない。かつての気安さもとっくに無くなっていて、
本当に俺は何もできない。
命に関わることだ。無理矢理にでも側にいさせなければならないのかもしれない。だが
俺は比奈を束縛することに疲れを感じていた。
今でも無理を強いている。それだけでも罪悪感でいっぱいなのに、その上進路まで縛り
付けるなんて。
しなければならないことだとしても、終わりの見えない束縛はきついものだ。
ましてや好きな女の子を犯し続けるなんて。
罪悪感や背徳感が入り混じってぐちゃぐちゃになる俺の精神は、正直限界だった。
逃げ出したいと思ったこともある。
だがそれは許されない。逃げるということは見捨てるということ。比奈を見捨てるなど
俺にはできない。信念などではなく、単に逃げる覚悟がないというだけの話だ。
結局俺は比奈と一緒にいたいのだ。
それがどんなに俺の心を傷付けることでも、傍らにいられなくなることの方が恐ろしい。
俺は弱い人間だった。
道を歩きながら考えるのは比奈のことばかりで、俺はそれに気付いて頭を軽く振った。
受験のことなどまるで頭にないことに苦笑する。何のために図書館に向かっているのやら。
無意識のうちにうつむいていた顔を上げ、前を見る。このまま道なりに行けば図書館が
左手に見えて、
比奈がいた。
図書館に通じる一本道。その傍らに幼馴染みの姿があった。
ほっそりとした体に流れるような黒髪。薄手のブラウスとプリーツスカートが涼しげな
印象を与える。二年間で背は10p以上伸びていて、女の子から女への変化がはっきりわかる
程だ。
俺は茫然としていた。どうして比奈がここにいる?
俺は普段比奈と極力顔を合わせないようにしている。もちろん気まずさがそうさせている
のだが、比奈の方もそれは同じだったようで、こうしてまともに外で会うのは久しぶり
だった。
多少の嬉しさと多大な気まずさに襲われながら、しかし歩みを止めることもできず、
俺は一歩一歩彼女に近付いていく。
距離5メートル。
4メートル。
3。
2
い
「留衣くん」
そう呼ばれたのは1メートル一歩手前という距離まで近付いた時だった。
通りすぎるつもりでいたのに、呼び掛けを無視できなかった。
比奈に「留衣くん」と呼ばれたのは本当に久しぶりだったから。
手を伸ばせば簡単に触れられる距離に比奈がいる。
俺は気まずく思いながら、比奈を見やった。
「おはよう、留衣くん」
反対に、比奈は少しの気後れもない様子で言った。
「お……はよう」
変な緊張に縛られながら、俺は辛うじて返す。
比奈はそんな俺の様子にかまわず訊いてきた。
「図書館行くの?」
「あ、ああ」
「受験生だもんね。私もだけど」
「……」
「今日の予定、他に何かある?」
「……いや」
すると、比奈は少し口元を緩めた。
それを見て俺ははっとなった。
(……笑った?)
が、その表情は目に焼き付けることもできないうちに消えてしまう。
「留衣くん」
再び名を呼ばれた。
「もしよかったら……今日一日付き合って」
図書館行きをやめて、俺は比奈に付き添った。
比奈は来た道を戻るとそのまま駅へと向かった。どこへ行くのか尋ねると、「わからない」
と言われた。
比奈以上に何もわからないまま、俺は彼女についていく。
駅に着くと電車に乗って郊外に向けて移動した。どこまで行くのか見当もつかなかったが、
四つ先の駅で「降りよっか」と言われたので黙って従った。
来たことのある場所だった。
市街地の中心から離れて二十分。そこにはよく恋人や子供連れの家族が訪れる。
「遊園地か?」
先を歩いていた比奈がゆっくり振り返った。
「思い出その一」
「……思い出?」
「憶えてない? ほら、小さい頃に初めて一緒に出掛けた場所。私は三歳か四歳だった」
言われて思い出す。お互い家族同士で連れ合ってここに来たことがあった。
だが、
「初めてじゃないぞ」
「え?」
「お前と一緒に初めて行った場所は動物園だった」
比奈はきょとんとした顔をする。
「え、本当? 私憶えてない」
「お前まだ二歳だったからな。憶えてなくてもおかしくない」
俺はそのとき五歳だったから憶えている。全部ではないが、まあ大体のことは。
この遊園地に来たことは確かにあった。俺が小学一年の時だから比奈は幼稚園児か。
まだ、恋愛感情はなかったと思う。
「ちょっといろいろ、回ってみたくなったの……」
比奈の呟く顔は少し寂しげだった。
どういうつもりなのか、よくわからない。
今日会ったのは偶然じゃないだろう。比奈は俺が図書館に行くのをなぜか知っていて、
先回りしていたに違いない。そうでなければあんな一本道で佇んでいる理由がない。
比奈は今日何かをしたくて、そしてそれには多分俺の存在が必要なのだろう。
とはいえ具体的に何をするつもりなのか、皆目見当がつかないのだが。
比奈は言った。
「思い出巡りをしたいの」
「……は?」
唐突な一言に俺は目を丸くした。
「思い出巡り……って、なんで」
「ちょっと、確認したいことがあって」
「……?」
何を確認するというのだろう。
思い出。
まだ彼女の両親が健在だった頃の、幸せな思い出。
それを振り返るということは──
「それが必要なんだな」
比奈ははっきり頷いた。
比奈のこんな、意志の固い毅然とした態度を久々に見た気がする。
比奈が何を考えているのか、何を求めているのか、はっきりとはわからない。
ただ、それはおそらくとても大事なことなのだろう。
俺に声をかけてまで必要な、何か。
「……わかった。必要だというなら付き合うよ。説明したくないならしなくても構わないし」
比奈は小さく息を吐くと、微かに笑んだ。
その笑みを見て、さっきの微笑はやはり錯覚ではなかったのだと確信した。比奈は今、
確かに笑っている。
「ありがとう」
その言葉も久しぶりだと俺は思った。
曇り空が鬱陶しい湿気とともに辺りを覆い、遊園地の中もそれにあてられてしまったかの
ようにどんよりとしているような気がする。
いや、錯覚かもしれない。単に俺の戸惑う心がこの場にそぐわないだけの話かもしれない。
遊びに来たわけじゃないから。
遊園地に入場すると、比奈は適当に散策を始めた。
ジェットコースターもメリーゴーラウンドも観覧車も眺めるだけで、乗るつもりはない
らしい。観覧車に二人きりなんて気まずいにも程があるので、俺にとっては都合がよかった。
奥に進んでいくと、ここの乗り物の目玉の一つ『オクトパスグラス』が見えた。シートが
固定された八つの円形台が中央の支柱からシャンデリアのように吊り下げられていて、
支柱と台それぞれが回転するという安全性に疑念を抱きたくなる代物だ。
比奈は少しだけ興味を示したが、そこも素通りした。そのまま近くの軽食コーナーに
足を向ける。
フランクフルトやたこ焼きの匂いが漂ってくる。特に食べたいとは思わないが、比奈は
どうだろうか。
「……ソフトクリームを落としたの」
ぽつりと比奈が呟いた。
俺は一瞬意味を掴みかねた。
「そう、私はそれで泣き出して……そんな私を、お父さんが抱き上げてくれて」
昔の思い出。
「でも……はっきりとは憶えてないの。お母さんが何か言ったかもしれないし、留衣くんが
何かしてくれたかもしれない。でも、それは憶えてない」
俺は憶えている。あの時は確かソフトクリームを買い直して、比奈は鼻をすすりながら、
でも少しずつ舐めていた。帰る頃にはすっかり泣きやんでいて、楽しげに笑っていた。
「お前は笑っていたよ」
比奈のどこか寂しげな様子に、俺は思わず言っていた。
「だから、きっと楽しかったんだと思う」
思い出というものは比較的美化されがちだが、だからといって悪い思い出というわけでも
ないはずだ。
もう少し気の利いた言い方ができればいいのだが、気まずい思いが依然としてある以上
仕方がない。
比奈は何かに思いを馳せるように目を瞑り、小さく頷いた。
「憶えてないけど……でもお父さんが優しく抱き上げてくれたことは憶えてる。お父さんは、
ちゃんと私のお父さんだったよ……」
奇妙な言い回しだと思った。ちゃんと、とはどういう意味だろう。
だが比奈はそれきり何も言わず、しばらく佇んでいた。
俺は黙ってその寂しげな姿を見つめていた。
結局乗り物には一つも乗らず、俺たちは遊園地を後にした。中にいた時間は一時間も
なかった。
次に向かったのは海だった。
遊園地からは駅を跨いで反対方向だったが、俺は特に口出しはしない。比奈には比奈の
考えがあるのだ。思い出巡りとやらをどういう基準で進めているのかはわからないが、
行きあたりばったりというわけでもないだろう。よっぽど変な場所に行かない限りは問題
ない。
堤防の向こうに広がる砂浜。その先にどこまでも続く水平線が見える。
曇り空の下で海は心なしか荒れているように見えた。
「雨降ってきたら危ないぞ」
「……」
比奈は答えずに砂浜へと下りていく。
無視されたというより聞こえてなかったみたいで、比奈はそのまま薄灰色の砂地を
歩いていく。服が汚れるんじゃないかと思ったが、比奈は特に気にしていないようだ。
枯れた小枝や貝殻がばら蒔かれたかのように散っていて、天気とあいまって少し淋しい。
もうすぐ満ち潮に変わる。俺は心配になって比奈の後を追った。
「おい、あんまり波に近付くな」
潮の匂いを波風の中に感じる。佇む幼馴染みの姿はそれは絵になったが、やっぱり服が
汚れてしまうのはよくない。綺麗な髪も傷んでしまうだろうし。
比奈は顔を上げてこちらを見つめた。
「お母さんみたいなこと言うんだね」
俺は小さく眉を跳ね上げた。
「なんだそれ」
「小さい頃に勝手に泳ごうとしてお母さんにすごく怒られたことがあるの」
俺は怒ってないぞ。
「そのせいかあまり海にいい思い出ってないんだよね」
「それは怒ったんじゃなくて、叱ったんだろ」
「あの時はただお母さんが恐かった思いしかなかったよ。でも今は、心配かけたんだな
って反省してる」
「……」
「小さい頃ってさ、そういうものじゃない? 振り返ってみて初めて相手の気持ちがわかるの」
なんとなく掴めてきた。
なぜ比奈が思い出を振り返っているのか。
おそらく両親のことを思い返すためだ。
両親の何を知りたいのかはわからないが、比奈は何かと向き合おうとしている。
そしてそれは楽しいことばかりではないはずだ。
比奈は好きじゃないという海にわざわざ来た。遊園地でもソフトクリームのことを振り
返っている。
それは全部家族の思い出だ。
四本比奈が家族とどう過ごしたかという大切な思い出。
それを振り返るということは──
(まさか、全部思い出したのか?)
自分の体質のことも、互いの親の関係も、俺が比奈にやっていることの理由も、すべて
思い出したのだろうか。
もし思い出したのだとしたら──俺はどうすべきだろう?
比奈とどういう距離を保てばいいのかわからない。
今日の態度を見る限り、決して嫌われているわけではないと思う。だが今までやってきた
ことをなかったことにできるわけではないし、比奈の体質が改善されたわけでもないから、
これからも比奈を犯し続けることに変わりはないのだ。
比奈が変わっても、俺のやることは変わらない。
他に、俺が比奈にできることはないのだろうか。
いや、
ある。
俺が比奈にできること。
というより、俺が比奈にやらなくてはならないこと。
(そんなの、最初から決まっている)
彼女を傷つけているという負い目を意識しすぎて、すっかり諦めていた。
俺は、比奈が好きだ。
ならその想いをきちんと言葉にして伝えなければならないのだ。
ずっと怖かった。告白するということが。
彼女が小さい頃は歳の差に遠慮して妹のように扱ってしまったし、異性を感じさせる
程に成長する頃には俺はもう彼女を傷つけていた。
告白なんてできるわけがなかった。
でも、言いたいことがあるなら言うべきなのだ。
俺の望み。
資格はないと思う。彼女を苦しめている俺が彼女に愛を囁くなんて、図々しいにも程が
ある。
でも、もし。もし、許されるなら。
「次はどこだ?」
気持ちを切り換えて俺は訊ねる。
「あ、うん」
振り返る少女を見つめながら、俺は決心する。
伝えよう。自分の想いを。
昼食は近くのファミレスでとった。
楽しく食事をするという気分ではなかったが、比奈に気負った様子は見受けられなくて、
合わせるように俺も平静を装った。
午後からもまたせわしなく移動した。
公園に行き、学校に訪れ、神社に参った。
縁日の、運動会の、初詣の記憶を辿りながら、比奈は懐かしさに浸るようにかつての
思い出を呼び起こしていく。
比奈の目にはその時の光景が映っているのだろうか。
そこにいるのはきっと彼女自身と、彼女の両親。
比奈が両親のことを思い返しているのなら、それはきっといいことのはずだ。
俺は切に願った。思い出せ。そして両親のことを受け入れろ。
俺は嫌われてもいい。俺は嫌われることをずっとしてきた。
でもあの人たちは違う。
あの人たちは本当にお前を愛していたんだ。
決して不実なことなどない。お前が愛さないでどうする。
あの人たちのことだけはちゃんと理解してほしい。
家族が愛し合えないなんて、あまりに哀しいじゃないか。
「留衣くん」
比奈の声に俺は思いに沈んでいた頭を上げた。
今いる場所はバス亭だった。郊外の神社から戻る途中で、既に夕方だ。西の雲が暗く朱い。
比奈は隣に佇みながら呟くように言った。
「今日は……ありがとう」
俺は曖昧な声を出す。とりあえず頷いたが、比奈にありがとうと言われるのは複雑な気持ちだ。
「断られるかもしれないって本当は思ってたの。でも留衣くんは昔みたいに優しくて、
私、そのことにすごく感謝してる」
比奈は、その顔はとても穏やかで、それ故に俺は彼女の心中を測れなかった。
「……俺は感謝されるようなことなんて何も……してない」
憎まれることはあっても感謝なんてありえない。
俺はお前を死なせないようにしているが、死にたいくらい辛い思いをさせているのだから。
「感謝、してるよ」
比奈は淡々と繰り返す。俺は二の句が継げない。
「今日いろんな所を回ったのはね、お父さんとお母さんのことを思い返すためだったの。
私にとって二人がどういう存在か、そして二人にとって私がどういう存在だったか、私は
どうしても知る必要があった」
やはりそうだったのか。ということは、封じ込めていた記憶も、
「私が本当に二人の子供なのか、ずっと不安だったから」
……何?
俺は予想外の言葉に一瞬頭の中が真っ白になった。
本当の子供かどうか、だって?
なんで、そんな考えが出てくる?
俺の困惑をよそに、比奈は続ける。
「ずっと怖かった。もしも私が二人の子供じゃなかったら、それはとても恐ろしいことに
繋がるから」
もし比奈が二人の子供じゃなかったら。
その場合、比奈の親は誰になるのか。
俺は考え──そして、怖くなった。
(まさか)
ありえない。
しかしありえないわけではない。
感情が真っ先に否定しながら、可能性としてはありうるその考え。
それは俺にとっても恐ろしいことだった。
(ああ……)
そして俺は同時にひどく納得していた。
比奈がお互いの親同士の関係を『なかったこと』にした理由。
その可能性を見たくなかったのだ、彼女は。
「そうか……お前はそれで」
比奈は寂しげに微笑む。
「そう。私はそれが怖かった。留衣くんが私の『本当のお兄さん』だなんて、そんな可能性が
あることを認めたくなかったの」
彼女の理由だった。
◇ ◇ ◇
玄関のドアを開けると、留衣くんのお母さん──留美さんが立っていました。
てっきり留衣くんだと思っていた私は拍子抜けしました。
とりあえず上がってもらって、リビングに通します。
「ごめんね、急に訪ねたりして」
お茶を出しながら私は留美さんを見やります。
留美さんはとても綺麗な人です。容姿もですけど、佇まいが凛としていてかっこよく
映ります。
私はこの人に密かに憧れています。体も小さく気弱な私とは違い、留美さんはいつだって
堂々としているからです。なんというか、すごく「オトコマエ」な人だと思います。
「最近どう? 中学に入ってからあまりうちに来なくなったじゃない」
「……ちょっと、いろいろありましたから」
そう、いろいろ、ありました。
「あなたは家族みたいなものじゃない。遠慮しなくてもいいのに」
「そういうわけじゃないんですけど……いつかは一人で生きていくわけですから、今の
うちに慣れておいた方がいいかな、って」
「でも学校のことくらいは教えてほしいな。進路はどうするの? 行きたい高校ある?」
私は前もって用意していた回答を言いました。
「地元の高校にします。近いし、私立は厳しいけど公立もあるから」
そう、嘘をつきました。
私の本当の希望は県外です。それも全寮制の女子校を考えています。
留衣くんから離れるには、恐らくそれが最善の方法だから。
留美さんはふむふむ、と小さく頷きました。
「本当にそうしてくれるんなら、こっちとしては楽だけどね」
「……え?」
「でもそれは嘘なんでしょ?」
「──」
私は呆然と固まってしまいました。咄嗟に言葉を返すことができません。
留美さんは当たり前のことを言ったに過ぎないような、何でもない顔をしていました。
「なんですか、嘘って、」
「本当は別の高校に行きたがっている。正確には県外の……」そこで少し考え、「違うな。
正確には『留衣の側から離れたがっている』、かな」
何も、言えません。
あまりにも正解を捉えすぎていて、私は何も言えません。
「まあ、しょうがないよね。留衣があなたにしていることを考えたら、そうしたくなるのも
当たり前だと思うし」
その言葉に私はさらに驚きました。
留衣くんが私に何をしているか、この人は知っているのです。
私はそのことを『嫌だ』と思いました。
なぜでしょうか。私は留衣くんとのことを知られたくないと思いました。
それは留美さん個人にではなく──『誰に対しても』そういう思いを持っていたのです。
なぜかはわかりませんが、確かに私はそのことを知られたくなかったのです。
「……何のことですか」
声が震えなかったのは幸いでした。
おばさんは答えず、別のことを話し出しました。
「本当はね、留衣に任せるつもりでいたの。これから比奈ちゃんを守っていくのは留衣な
わけだし、不安定なあなたに私が何を言っても届かないと思っていたから」
でも、と嘆息。
「……もうすぐあなたは高校生になる。留衣も大学生になる。少しずつ大人になっていく。
行動範囲が広がって、可能性が増えていって、いつまでも一緒にはいられなくなる。だけど
あなたは留衣と一緒にいなければならない。そうじゃないとあなたは生きていけないから」
左胸の音が体中に響き、私は気分が悪くなりそうでした。
聞きたくない、そんな思いに駆られました。
意識が遠のきます。足元がふらつき、体に力が入らなくなって、
頬を叩かれたのはその瞬間でした。
左頬に痺れるような痛みが走り、ぼんやりしていた意識が元に戻りました。
呆然とおばさんを見やると、彼女は目を細めてこちらを見据えていました。
「逃げちゃダメ。ちゃんと聞きなさい」
「に……逃げる?」
「これ以上聞かないように気絶しようとしたでしょう。そんなの許さない」
気絶するなんて、そんなわけ、
「あなたが不安に思っているようなことは絶対にありえないから、覚悟を決めなさい!」
鋭い声が私を打ちました。
『絶対にありえない?』
何を言っているのだろう、この人は。
絶対なんかどこにもない。
私はずっと幸せな生活が続くと思っていました。
平凡でも温かくて、優しい家族がいて、隣に留衣くんがいる。そんな毎日が続くと思って
いました。
でも父も母も今はいなくて、
その時から留衣くんは私のお兄さんではなくなって、
私は一人になって、
…………。
変です。
『留衣くんは私のお兄さんではなくなって』
おかしいです。
留衣くんに乱暴されることはとても辛いことなのに、
『お兄さんではなくなって』
どうして私はそのことに『安堵』しているのでしょうか。
留衣くんは私のお兄さんのような人ですが、本当の兄ではありません。
だからこそ私は彼を好きでいられるのです。
もし、本当の兄妹だったら、私は──
「……う」
そのことに思い到った瞬間、私は急激な吐き気を覚えました。
気持ち悪さが胸の上まで迫り上がってきて、喉の奥から苦しさが沸き上がり。
私は、その場で吐いてしまいました。
前のめりになって膝から足元にかけて嘔吐し、吐瀉物が服と床を汚します。
苦しさに涙が溢れ、全身に気だるさが広がります。
涙と鼻水にまみれながら切れ切れの呼吸をしていると、背中を撫でられました。
いつの間にか傍らに寄り添っていた留美さんが、優しく背中をさすってくれました。
「大丈夫。落ち着いて呼吸を戻しなさい。無理に我慢しないで」
私は二、三度嘔吐を繰り返しましたが、言われたとおり変にこらえようとせずに、ゆっくり
呼吸を整えました。
五分くらいかけてなんとか状態を整えると、留美さんに向き直ります。
「ごめんなさい、急に……」
「もう苦しくない?」
「はい……多分」
「お風呂沸かすから入ってきなさい。服も着替えないといけないし」
「い、いえ、シャワーでいいです」
「そう? まあ体調悪いなら長風呂はよくないけど」
「話も……ありますから」
私は小さな声で呟きました。
留美さんは目を細めます。
「何の話?」
「……私が恐れていることの話を」
すると留美さんは微かに笑みを浮かべました。
「それは私の想像通りの話かしら」
「……わかりません」
「一つだけ確認。すべて思い出したの?」
頷きました。はっきり頷きました。
私が忘れていたこと。
いえ、忘れていたわけではありません。忘れたふりをしていたのです。
私は些細な可能性を見なかったことにしたくて、目の前の現実から目を逸らし続けて
いたのです。
あまりに身勝手な私の『恐れ』。
そんなことあるわけないと、理性は言いました。でも可能性はゼロじゃなくて。
そう考えると留衣くんが私を妹扱いしていたことも納得できてしまうのです。
私と留衣くんは兄妹みたいな関係ではなくて。
ひょっとしたら、『本当の兄妹』なのではないかと──。
熱いお湯を全身に浴びながら私は頭の中を整理していました。
私のお母さんと留衣くんのお父さんが、その、『そういう関係』だったことをお母さん
から聞かされた時、一つの可能性が頭をよぎりました。
『私の本当の父親は、ひょっとして留衣くんのお父さんなのではないか?』
何を馬鹿なことを、と思われるかもしれませんが、可能性はゼロではありませんでした。
お母さんとおじさんの深く複雑な関係、お母さんが感じていた負い目、留衣くんの私に
対する兄のような態度、様々な要素が私に疑念を抱かせたのです。
確かめれば済むことでした。でももしその想像が間違いではなかったら、私の留衣くん
への想いは行き場を失ってしまいます。
腹違いでも兄妹になってしまったら、私は──
そして私が選んだ道は、『すべてを忘れる』というものでした。
自分の体質のことも、留衣くんの力のことも、親同士の関係のことも全部なかったことに
して、私は知らないふりをしたのです。
それも、無意識のレベルで。
留衣くんに対する想いだけが私の支えだったから。
……いえ、言い訳です。これは私の我が儘です。
二年以上も留衣くんに責任を押し付けて、私はのうのうと生きてきたのです。
留衣くんは私をずっと守り、助けてくれていたのに。
留衣くんに筋違いの罪をなすりつけて。
心のどこかで自分がめちゃくちゃなことを言っているのはわかっていました。矛盾して
いるのは明らかだったのですから。
留衣くんへの想いを守るために知らないふりをして、そのふりを続けるために留衣くんを
悪者にしてしまって。
挙げ句の果てに留衣くんから離れようとするなんて。
留衣くんから離れたら生きてはいけない。そんなことはわかっていたのに、向き合う
勇気を持てないばかりに自分の都合を押し通して。
自分の愚かさに涙が出そうでした。
でも私はこらえます。
泣いている場合じゃないのです。留衣くんに言わなければなりません。私がずっと騙して
きたことを。
私の嘘を。
これで嫌われても仕方ないでしょう。それよりも私は留衣くんを解放してあげなければ
なりません。
もう自分を責める必要なんかないのだと。
苦しむ必要などありはしないのだと。
お風呂場から上がり、服を着替えてリビングに戻ると、留美さんがグラスにお茶を入れて
くれました。家の中にあったものではなく、新しく買ってきたもののようです。
激しく嘔吐した割にはあっさり飲めました。むしろ冷たさが心地好く感じられました。
「兄妹、か」
不意に留美さんがぽつりと呟きました。
「そんなことあるわけないのにね……。でも、あなたがそういうことを考えてしまった
気持ちは、わからなくもないのよね……」
梅雨空のように、留美さんの表情が陰ります。
「……あの、それってどういう、」
「私もあなたのお母さんによく疑いの目を向けていたからね」
寂しげな顔。
「私は渚さんより歳下で、あの人と比べたら自分に魅力があるとは思えなかった。だから
いつも不安だったの。うちの人がいつか渚さんの方を向くかもしれない、ってね」
「……」
「いやー、実際『そーいう関係』だったわけで、私もそのことを知らされているわけじゃ
ない? 口では納得してるようなことを言っても、やっぱり内心面白くなかったのよ。
自分の旦那が自分以外の女を抱いているんだから当たり前といえば当たり前だけど」
「……」
「で、悔しいことに渚さんは物凄くイイ女なわけ。嫉妬も羨望も昔は普通にあって、結婚
してもしばらくはめちゃくちゃ悩んでいたわ」
「……」
「留衣を産んでからはもうそういう感情は小さくなっていったけどね。でも、一回だけ
嫉妬というか、疑いが再燃したことがあった。わかる?」
私は少し考えて、頷きました。
「そう、あなたが生まれた時。本当に渚さんと敏雄さんの子供なのかって、みっともない
けどまた不安になっちゃって。敏雄さんから検査結果の書類を渡されてようやく安心したの」
留美さんは自嘲気味に笑いました。
「こんなものよ。大人とか子供とか関係なく、不安になるときはなるの。嫉妬もするし、
変な疑いも抱く。だからってわけじゃないけど、あなたのしたことも特別罪深いものでは
ないと私は思う。思春期の女の子がちょっとだけ自分のことに悩んで、ちょっとだけ周りに
迷惑を掛けただけ。ただそれだけのことよ」
優しい言葉でした。
私は、それだけで罪悪感が払拭されるわけじゃないけれど、少しだけ安心しました。
留美さんは私にとってやっぱりかっこいいと思える人でした。
「本当に、私と留衣くんは兄妹じゃないんですか?」
「今言ったじゃない。ちゃんと検査で判明してるわ。だから安心してあなたはあなたの
なすべきことをなさい」
なすべきこと。
「……はい。ちゃんと留衣くんに謝らないといけませんね」
許してもらえるとは思いません。でも二年以上も彼を苦しめた私にできることはきっと
それだけです。
嫌われても構いません。きちんと彼を解放して、この歪な関係に決着をつけるのです。
私が一人決心していると、留美さんは怪訝そうに私の顔を覗き込んできました。
「……いやいやいや、そうじゃないでしょ比奈ちゃん」
「え?」
「まあ謝りたいなら謝ればいいけど、あなたがしなければならないことは他にあるじゃない」
「……え?」
私は一瞬頭が真っ白になりました。
しなければならないこと?
慌てて考えますが、見当がつきません。
「比奈ちゃん。あなたは恋する女の子なの。なら、やることは一つでしょ」
…………。
…………はい?
まさか、と思ったと同時に留美さんは言いました。
「告白するのよ。相川留衣くん、あなたのことがずっと好きでした、って想いを全部ぶち
まけなさい」
いとも簡単に言いました。言ってくれました。
私は呆然となりかけた意識を揺り動かして、勢いよく首を振ります。
「な……何言ってるんですかっ。そんなことできません」
「どうして? 留衣のこと好きなんじゃないの?」
「……っ、そ、それは、好き、ですけど、でも」
「なら言いなさい。告げなさい。宣言しなさい」
「だ、だからどうしてそんなことを」
「あなたがこれからも生きていくためよ」
存外真剣な顔で言われて、私は口をつぐみました。
「あなたが生きていくには、留衣と共にこれからの人生を歩んでいくしかない。想いを
伝えるのはそのための義務。隠し事禁止とまでは言わないけど、一緒にいたいならそれは
絶対に必要よ」
「……義務」
「あなたたちはパートナーになるの。お互いに好き合っているのだから、何の問題もない
じゃない」
留美さんの言葉に私はまた驚きました。
「好き合って……?」
「……あなたたち、本当にわかってなかったの?」
溜め息をつかれました。
それはとても呆れたような、疲れたような、深い深い溜め息でした。
昨日のことを説明した後、私は深呼吸をして形だけでも気を落ち着かせようとしました。
「……まず謝らせて。その……ごめん、なさい」
私は、やっぱり最初にそうすべきだと思って、深々と頭を下げました。
もっと他に言い方とかあるんじゃないかとも思いましたが、今の私には思いつきません。
大人だったらもう少しいい謝り方があるのでしょうか。
頭を下げていた時間は十秒もありませんでした。
その間留衣くんがどんな表情をしていたのか、私にはわかりません。
顔を上げると、留衣くんはこちらから視線を逸らすように下を向いていました。
それはなんだか考え事をしているようでもあり、怒っているようでもあり、私は急速に
不安に駆られました。
そして改めて思ったのです。この人にだけは嫌われたくないと。
彼は何も言いません。
口も開かず、ただじっと顔を伏せています。
沈黙に耐え切れず、私は呼び掛けました。
「る、留衣く──」
「いいんだな?」
ぼそりと、そんな言葉が洩れました。
留衣くんが顔を上げます。
その表情はひどく穏やかでした。でもどこか疲れたようにも見えました。
私は何のことかわからず、答えられません。
まごついていると、留衣くんがゆっくり近付いてきました。
そして。
留衣くんは優しく微笑みました。
その微笑みは私がこれまでに何度も見てきた顔でした。
その表情を見せた時の留衣くんはとても優しくて、私がどんなに間違ったことをしても、
すべてを留衣くんは許すのです。
でも、今回ばかりはその優しさに甘えるわけにはいきません。
私がうつむくと、留衣くんの手が頬を撫でました。
「辛そうな顔するなよ」
「……やめて」
「何を」
「優しくしないで」
「優しいか? 俺」
とぼけたような言い草に、私は思わずカッとなって声を荒げました。
「私はっ、ずっと留衣くんを騙してたんだよ!? 留衣くんに嫌われても、恨まれても、
どんな酷い仕返しをされても仕方ないと私は思ってる。なのに……なのにどうして少しも
変わらないの?」
留衣くんは優しいから、きっと私に対して罪悪感を抱いていると思います。でもそれは
私が問題にきちんと向き合えば済む話でした。
この人を苦しめたのは間違いなく私。なのに、この人は、
「お前は、どうしたいんだ?」
そう、問い掛けられました。
私?
私は、留衣くんにただ謝りたくて、
「難しく考える必要はないんだ。ただしたいことを思い、すればいい」
私は、
「お前は俺から離れたいのか?」
「……」
「違うんだな? じゃあお前は俺から何か罰を受けたいのか?」
「……それで、留衣くんの気が済むなら」
「俺の気が済めばいいのか?」
「……」
それはその通りです。その通りですが、
「俺がお前を許せば、それでいいんだな?」
「ち、違うの。そうじゃなくて、」
「お前は、俺とどうなりたいんだ?」
一番肝心なことを訊かれました。
そうです。私は、今後留衣くんとどうなりたいのでしょう?
友達? 恋人? 兄妹?
私はどれも選びません。選べません。
そんな明確な間柄になれるほど私たちの関係は単純じゃないから。
でも、だからこそ単純化したい気持ちもあります。
恋人になれたら、きっと私は死んでしまいます。嬉しさと切なさ、二つの刃に貫かれて、
私の心は砕けてしまうかもしれません。
単純に、私は、
「元に戻りたい……」
それだけを願いました。
「昔みたいに留衣くんと、笑ったり、泣いたり、怒ったり、そういう関係に戻りたい」
「……」
「幼馴染みとして、留衣くんの側にいたい……」
それが一番の願いです。
恋なんて実らなくていい。私は、ただあなたの側にいられたら、それで満足だから。
「留衣くんと、仲直りしたい……」
素直に自分の想いを吐露しました。
それを受けて、留衣くんはどう思ったでしょうか。
図々しいとか厚かましいとか、そう思われたでしょうか。
「じゃあ話は簡単だ」
留衣くんは実にあっさりした口調で言いました。
「仲直りしよう」
「……え?」
「え? じゃないだろ。仲直りしようって言ってるんだよ」
「…………」
私は頭がうまく働かず、ぼんやりとした気分に陥りました。
そんなに簡単に?
「どうした?」
「……だ、だって、そんなにあっさり言われたから」
「簡単なことなんだから当たり前だろ」
「……簡単なことなの?」
「お前は仲直りしたがってる。俺もお前と仲直りしたい。なら仲直りしよう。ほら、簡単
だろ?」
「……」
「本当に、それだけのことなんだ」
留衣くんはまた微笑みました。
「聞いてくれ、比奈。お前は自分のことを責めているんだろうが、それは俺だって同じ
なんだ。俺はお前をずっと、その、辱めてきた。二年もだ。そのことだけは確かで、俺は
それに関して俺自身を許せない」
「で、でもそれは私のせいで、」
「最後まで聞いてくれ。お前がどう思っていようと、俺がやったことは変わらない。その
ことについて俺は多分一生抱えていくと思う。なかったことにはできないからな」
「……」
「でもそれは別に後ろ向きな意味で言ってるんじゃない。それをきちんと認めた上で、
俺はお前と仲直りしたい。お前を傷つけた分以上に大事にするために。お前がそれを認めて
くれると、嬉しいな」
「……」
「で、お前も俺と仲直りしたいと思ってくれてるんだろ。お互いがそれを願っているなら
何の遠慮もいらない」
「……」
「もちろんすぐにはできないかもしれない。わかっていても後悔や罪悪感はなかなか拭え
ないし、ギクシャクしてしまうかもしれない。でもそのうち必ず払拭できると思う。二年は
長かったけど、これからの時間の方がずっと長いんだから」
留衣くんの言葉の一つ一つが私の中に染み込んでいきます。
「騙されたなんて俺は思っていないが、お前が気にするならこう答える。気にするな。俺は
少しも気にしていない」
「……許して、くれるの?」
「当たり前だろ。それより、俺の方こそ気にしてることがある」
「え?」
留衣くんは小さく息を吐き出すと、頭を軽く掻きながら言いました。
「その……俺はさ、お前をずっと、犯していたわけで……」
歯切れが悪いです。
「でさ、やっぱりちゃんと謝りたいんだ。だから、……ごめん。本当に、ごめん」
留衣くんは深く頭を下げてきました。
私は、別にもうそのことをなんとも思っていません。私が原因だったわけですし、留衣
くんは私のためにやっていたわけですし。
確かにまあ痛かったり悲しかったりしましたけど、留衣くんにされていたことだから、
私は気にしません。
それに、自分に嘘をついてまで留衣くんの行為を受け入れていたのは、多分心底では
決して拒絶していなかったということなのかもしれません。
いろいろ考えましたが、私は結局シンプルに答えました。
「私は気にしてないよ。だから留衣くんも気にしないで」
「許して、くれるのか?」
「うん」
留衣くんは目に見えて安堵しました。
「……ようやく、だ」
「そんなに気にしなくてもいいのに」
「それはさっき俺が言っていたことなんだけどな」
私は返事に困りました。慌てて言い繕います。
「う……で、でも、私の体なんか抱いたって、少しもよくないだろうし……」
「はああっ!?」
私の言葉に留衣くんが急に大声を上げました。
「え? な、何?」
「……お前……俺がどれだけ悩んでいたか、全然わかってないな」
「え? え?」
留衣くんの声はどこか低く、溜め息混じりです。
「……よすぎるから困るんだろうが。溺れないように俺は結構必死だったんだぞ」
「……」
思わず赤面しました。
「でも、体も小さいし、胸とかもちょっと前まで全然なかったのに」
「好きな相手を抱いているんだぞ。どれだけ興奮すると思ってるんだ」
「す……!?」
好きな相手。
もしかして、いえもしかしなくてもそれは私のことでしょうか。
顔が熱くなってきました。体温が2℃は上がったような気がします。
留美さんに留衣くんの想いは聞いてはいたのですが、正直半信半疑だったので、改めて
本人から言われると気恥ずかしくなってしまいます。
私が真っ赤になっていると、留衣くんがじっとこちらを見つめてきました。私はますます
恥ずかしくなり、顔を背けました。
「……こっち見てくれよ」
「そ、そんなこと言われても……」
「ちゃんと言いたいからさ」
真面目な口調にごまかすことができず、私は顔を戻します。
留衣くんは落ち着いた様子で、静かに告げました。
「好きだ、比奈。ずっと前から好きだった」
「──」
「これからもずっと好きだと思う。もしよければ、俺と付き合ってくれ」
とてもまっすぐな言葉でした。
目の前にいるこの人は、この想いをどんな気持ちで封じ込めていたのでしょうか。
もう想いを抑える必要はないのです。何も我慢することはなく、本心をさらけ出しても
いいのです。
留衣くんの言葉にはそんな積み重なった想いが詰まっているようで、私は泣きたくなり
ました。
こんな私を、そんなにも想ってくれていたことが嬉しくて、切なくて、申し訳なくて、
そして有り難く思いました。
私は波打つ気持ちを落ち着かせて、彼の目を見据えます。もう目は逸らしません。想いに
応えるためにも逸らしません。
「私も……あなたが好き」
小声にならないように胸を張ります。
「大好き。留衣くんが大好き。ずっと一緒にいたい。留衣くんと一緒に歩いていきたい。
パートナーとして、幼馴染みとして、……恋人として」
「じゃあ」
「うん。よろしくお願いします」
積年の想いを胸に、私は一番の笑顔で応えました。
瞬間。
私は留衣くんに抱き締められていました。
「あっ……!」
厚みのある胸板が私の頭を受け止めます。背中に回された腕は痛いくらいに体を絞め付け、
私を拘束します。
留衣くんの腕の中は初めてじゃないけど、こんなに力強く私を求めてくれたことは記憶に
なくて、私はどうすればいいのかわからず固まってしまいました。
留衣くんは力を緩めることなく、私を抱き締め続けます。
「いいんだな。もう、我慢しなくて」
「留衣くん……」
「夢なら覚めないでくれって、本気で思う日が来るとは思わなかった」
私は未だに夢心地です。
でも、体を縛る腕の力が、頬に伝わる胸の鼓動が、確かにこれが現実であることを明確に
示していて。
泣いたら駄目だと何度も自分に言い聞かせて、それでも視界が霞むのを止められなくて。
私はそれをごまかすように留衣くんにしがみつきました。
「うん。もう我慢しなくていいの。信じられないかもしれないけど、信じていいの」
「……信じてるよ」
「私も、信じてる。だってこんなに幸せなんだもの」
もう、父も母もいないけど。
今日一日、いろんな場所を回って振り返った思い出の中で、私はすごく愛されていて、
そして今の私を愛してくれる人が、目の前にいる。
私は目を瞑り、陶酔するように今の気持ちを噛み締めました。
◇ ◇ ◇
家を出た時とは比べ物にならないほど上機嫌で、俺はかなり浮かれた気分だった。
比奈と手を繋ぎながら道を歩く。たったそれだけのことにこんなにも幸せを感じる。
今の俺は端から見たらちょっと引かれてしまうかもわからない風なのではないだろうか。
「気持ち悪い」
とはいえそんなにストレートに言い切られるとかなり傷つく。
帰宅後の俺たちを迎えたのはお袋の毒舌だった。
「はて、おかしいわね。図書館に勉強に行ったはずなのに、どうしてかわいい女の子を
連れ帰ってきたのかしら」
「いや、事情知ってるだろお袋は」
焚きつけた本人が今日の比奈の行動を知らないわけがない。
「仲直りはできた?」
俺の言葉を無視してお袋は比奈に尋ねる。
「はい。ご迷惑おかけしました」
「あんまりよそよそしいのも失礼よ。あなたは私の娘になるんだから、もっと世話を焼か
せてほしいわ」
「え……あ、あの」
比奈が慌てている。俺はとりあえず突っ込んだ。
「なんだよ、娘になるって」
「あら、比奈ちゃんはうちの娘みたいなものじゃない。別に他意はないわよ」
「娘に『なる』って言っただろ。意味が違ってくる」
「そう言ったかしら」
「言った。間違いなく言った」
「なら言い直すわ。比奈ちゃん、うちの娘にならない?」
「どこを言い直してるんだよ!」
なんだこの親は。
「ま、仲直りしたならいいわ。改めてよろしくね、比奈ちゃん」
「は、はい」
「早く戸籍上もうちの娘になることを祈ってるわ」
「お袋!」
比奈は目に見えて真っ赤になっている。ちらちらこちらに目を向けてくるが、俺だって
恥ずかしいんだ。そんな風に見られても、その、困る。
「おなか空いたでしょ。ごはんできてるわよ。比奈ちゃんも一緒に食べていきなさい」
比奈は遠慮がちに頷くと、手伝いますとお袋に申し出た。先に手を洗ってきなさいと
促されて、洗面所の方へと向かう。
その様子を尻目にダイニングルームに入ると、親父が一人席に着いて夕刊を読んでいた。
今日は仕事は早く終わったのだろうか。いつもなら八時以降にならないとまず帰って来ない。
今はまだ六時過ぎだ。
「ただいま」
「ああ」
「いつもより早いけど」
「母さんから、今日は早く帰って来いと連絡があったんだ」
「そんなので早く帰って来れるのか」
それならいつもそうしてもらいたいが。
「今日は特別だ」
「特別?」
「せっかく比奈ちゃんと仲直りできたんだ。一緒に食事くらいいいだろう」
「……お袋に聞いたのか?」
「ああ。安心したよ。ようやく『家族』になれる気がする」
親父は新聞を畳むと、俺の顔を見つめた。
「よかったな」
たったそれだけの言葉だったけど。
「……ああ」
十分に親父の思いやりは伝わってきて、たまらなく嬉しかった。
「手、洗ってくる」
これ以上向き合っていると泣いてしまうかもしれない。そう思って俺は部屋から出る
ことにした。今日の俺は涙腺が緩くなってる。
「ちゃんとうがいもしろよ」
「わかってる」
返事がぶっきらぼうになってしまったのは仕方ないことだと思う。
後から思えば、親父のその呼び掛けもちょっとらしくなかった気がして、俺は密かに
笑った。
照れ臭かったのは、きっと俺だけじゃなかったのだろう。
夕食はすき焼きで、普段は見ることもできない高級な肉が並ぶのに、俺は目を丸くした。
比奈は成長したとはいえ体が小さいことに変わりはなく、食も細かった。お袋がやたら
肉を勧めて、その度に発育がどうだのスタイルがどうだのためにもならんアドバイスを
送るので、比奈はずっと恥ずかしそうにうつむいていた。もうただのセクハラだった。
親父は親父でいつもより酒量が多く、表情には出さないが言葉数が増えてる辺り明らかに
酔っていた。いい大人がハメを外すな。まあ今日くらいは仕方ないかもしれないが。
久しぶりに比奈と一緒にとる食事はうまかった。昼食の時は気まずさしか感じられ
なかったが、今は温かさに包まれているようで、本当に落ち着く。
家族の団欒だ。
俺が彼女となりたかった関係。
おじさんやおばさんの代わりにはなれないが、同じくらい大事な存在になりたかった。
ほんの少し前まで、それは途方もなく彼方にある、遠く果てしない夢だった。でも、
こんな時間を共有できるなら、もうそれは夢じゃない。
ふと比奈と目が合う。
比奈はくすぐったそうに笑った。
俺も応えるように微笑む。
俺と比奈は幼馴染みで、生きるためのパートナーで、ついさっき恋人同士になって、
今日、大切な家族になった。
「おじゃまします」
俺は比奈に連れられて、四本の家に上がった。
てっきりうちに泊まると思っていたのだが、比奈は拒否した。帰ってやりたいことが
あるという。留衣くんも一緒に来て、と言われたので俺もついていった。
玄関から広いリビングを抜けて階段を上がり、二階の比奈の部屋に向かう。
部屋に入ると、扉を閉めるなり比奈は俺に抱きついてきた。
「うわっ」
受け止めながらもいきなりの行動に戸惑う。
「ひ、比奈?」
比奈は俺の顔を見上げながら、至近で囁いた。
「留衣くん……私を抱いてほしいの」
「……は?」
唐突な申し出に俺は一瞬思考停止に陥った。
抱いてほしい。
……今から?
改めて状況を見直す。
誰もいない家に二人きり。しかも夜で、明日は日曜で、
比奈についていった時点でなぜその可能性に到らなかったのか、俺は己の鈍さを呪った。
断ろうとして、しかし比奈の顔が存外に真剣なのを見てとる。
理由を訊かなければならないだろう。
「急に、どうしたんだ?」
比奈は顔を赤くしながらも答えた。
「私は留衣くんに抱かれないと生きていけないんだよね?」
「……ああ」
「それはいいの。ちゃんと心の整理はついてる。でも、そういう『やらなきゃいけない』
っていう義務感だけでしたくはないの」
比奈の腕に力がこもる。
「私たち、恋人同士になったんだよね? なら、その最初の一回目くらいは、そういう
理由抜きで、純粋に……あ、愛し合いたい……」
「比奈……」
比奈の言葉には俺へのまっすぐな想いが込められていて、ドキッとした。
こんなことを言われて、断れる男がいるだろうか。
俺は比奈を抱き締め返すと、耳元で囁いた。
「俺も、比奈を抱きたい」
「うん……」
シャワーを浴びたいと言い、比奈はそそくさと部屋を出ていく。
手持ち無沙汰になった俺はベッドに腰を下ろした。
ドキドキしていた。何のわだかまりもなく比奈を抱ける。そのことが嬉しく、そして
緊張する。
唾を一つ呑み込むと、俺は気を紛らすように部屋の中を見回した。
比奈を犯すために何度か入っているが、こうして落ち着いて室内を見るのは随分久しぶり
かもしれない。
白い壁に白く輝く照明。薄蒲色を基調とした絨毯。木製の机はコンパクトな大きさで、
部屋を狭くはさせない。隣の本棚には教科書やノート、漫画や小説が並び、さらにその
横には反対側のクローゼットと相対するように姿見が佇んでいた。
ここで、今から俺たちは。
想像するだけで胸が高鳴る。
自分の心臓の音に倒れそうな思いだった。
戻ってきた比奈を見て、俺は放心した。
ピンクの薄いパジャマを着た彼女は妙に色っぽかった。体のラインがはっきり浮き出て
いるためだろうか。それとも服の隙間から覗く肌が仄かに上気しているためだろうか。
それとも──
「……」
比奈の顔がうっすら紅潮していて可愛らしく見えるためだろうか。
俺はその姿に目を奪われて身じろぎもできない。
比奈がゆっくり近付いてくる。
近付いて、隣に腰を下ろして、小さく息を吐く。
「……お待たせ」
俺はうまく言葉を返せず、必死で頭を動かした。
そうしてようやく見つけた言葉を、取り繕うように口にする。
「俺も、入ってくるよ。家で入ってないし、汚れてると思うから」
立ち上がろうとして、しかし腕を掴まれた。
僅かに浮いた腰は重力に引かれて再びベッドに着地する。
「いいよ、入らなくて」
「いや、そういうわけには」
「……」
「……」
比奈の熱っぽい目が俺を捉えて離さない。
しばしの沈黙の後、折れたのは結局俺だった。
「……比奈」
比奈の頬に手を添える。小さな体が微かに震えて固くなった。
そっと顔を近付けた。
比奈は動かない。ただ、静かに目を閉じた。
唇が触れ合った瞬間、俺は心臓がドラムのように激しく鳴るのを感じていた。
深くは繋がらず、五秒程で唇を離す。
「……」
比奈が薄く笑みを浮かべた。
一方俺は盛大に息を吐いていた。
「……留衣くん?」
「いや、なんていうか……深呼吸でもしないと身が持たない気がする」
「……ドキドキしてる、とか?」
「……」
素直に頷くことができない。
言葉を濁していると、比奈は急に俺の手を取った。
そして自らの左胸に掌を当てがった。
「お、おい」
声が上擦る。
比奈は何も言わずに俺の手を押し当てている。
その柔らかい感触は服の上からでも十分伝わってきた。最近になってはっきり膨らみが
表れてきていて、余計に困る。もうその全てを俺は知っているのだけど、困るものは困る。
柔らかさとともに熱も感じられる。体の僅かな強張りも、内側の鼓動も。
「私も……ドキドキしてるよ」
「……っ」
「続き、お願い」
比奈の顔がまた近付く。
再びキスを交わす。今度は先程よりも、強く。
比奈の背中に腕を回し、しっかりと抱き締めながらキスを続ける。比奈の細い腕が応える
ようにしがみついてきて、体全体が密着した。
何度も体を重ねているのに、いつも一方的で、こういう風に抱き合うことすらなかった。
俺は今比奈に受け入れてもらっている。
そのことが死ぬ程嬉しい。
体の力が抜けてきたのを感じ取ると、俺は舌を挿し入れてみた。
案の定というか、びくりと反応する比奈。が、それも一瞬のことで、こちらの意図を
察して侵入を許してくれた。
唇から歯茎を舌先でちろちろと探る。舐めとるように丁寧に這わせていくと、唾液が
分泌されてぬめりが強くなる。
比奈の舌がこちらの動きに合わせるようにくっついてきた。
舌同士が触れた瞬間、そのざらつきながらも柔らかい感触に、堪らない気持ちになった。
脳天から爪先までゾクゾクと駆け抜ける快感。
俺は夢中になって比奈の舌を、口中を味わった。
まるで舌が一つの生き物として求愛行為に励んでいるようだ。こんなにいやらしく繋がり
合っているのに、比奈は少しも嫌がらず、むしろ積極的に応えてくれる。
高まっていく熱は際限がないようで、俺の全身はもう興奮でいっぱいだった。
どれだけキスをしていただろう。気分的には永遠にも思える長さだったが、実際はほんの
一分程度だったかもしれない。
腕の拘束を緩めて口を離すと、比奈はぷはっ、と荒い息をこぼした。
「はっ、はっ、はあっ、は……」
互いの口元にかかる細い唾液の糸が、吊り橋が崩れるようにベッドのシーツに落ちた。
比奈はまだ激しく呼吸を重ねている。
「……大丈夫か?」
「はっ……んっ……だっ、て……いき、できな、くて、……はあっ……」
顔を真っ赤にして、苦しげに答える。
「鼻で息をすればいいだろ」
しかし比奈はぶんぶんと首を振る。
「息、当たっちゃうの、恥ずかしい……」
「……変なこと気にするなあ」
睨まれた。
「変なことじゃないもん」
すねる様子は、本人には悪いが、かわいい。
「気にするなよ。息できなくなるくらい夢中になってた、ってことで」
「む、夢中になんて」
「俺はお前に夢中だぞ」
「──」
絶句した比奈を、隙を突いてそのまま押し倒した。
「あ……」
とさり、とベッドに仰向けに倒れる比奈。
上にのしかかって軽くキスをする。そのまま唇を下の方に移動させていく。
顎から喉仏に。
「んん……あっ」
首筋に口付けを落とすと、比奈が小さく声を洩らした。
動物にとっては急所となる場所だ。普通なら絶対に許さない部分で、こういう時にしか
こんなことはできない。
有り得ない行為だからこそ、興奮がより強くなっていく。
手を胸に這わせた。
「!」
膨らみを撫でられて比奈の体がまた反応を見せる。
パジャマの上からゆっくり揉み込んでいくと、比奈ははっきり身じろぎ始めた。
「やあ……ん」
逃れるように体をくねらせるが、当然逃げられない。むしろ反応があった方がこちらの
情欲も増すというものだ。
しかしこの感触は……
ボタンを外すと、やはりというか何も着けていなかった。
「あ、ダメ!」
比奈が慌てて隠そうとするが、両手を捕まえてそれをさせない。見たいんだ。
「み、見ないで」
「無理言うな」
「無理ってことはないと思うけど……」
「じゃあ無茶言うな」
「……」
諦めたようにぷい、と横を向く。
現れた乳房は、もちろん何度も見てはいるのだが、見惚れる程に綺麗で、俺は思わず
生唾を飲んだ。
掌にちょうどよく収まる程の大きさのそれは、まるで俺のために存在するかのようだ。
両の乳首を指先でこねる。
「あン──」
小さな喘ぎ声が色っぽく耳に響いた。
人差し指と親指でつまみ、徐々に力を込めていく。爪を立てないように腹の部分を使い
ながら刺激を与えていくと、少し固くなってきた。
比奈は顔を背けてはいたが、呼吸の間隔が短くなっていて、何度も唾を飲み込んでいた。
ちゃんと気持ちよくなっているようで、嬉しくなる。
はだけた胸に唇を寄せた。
「ひゃ!?」
不意打ちだったせいか、比奈は驚きの声を上げた。
まずは右の胸。勢いよく吸い付いてわざと音を立てた。じゅぱ、じゅぷ、と卑猥な音が
生じ、それを聞いた比奈が顔を歪めた。
「だ、だめ、留衣くん! そんなに吸わないで!」
俺は構わず吸い続ける。
「だめって、言ってるのに……やっ!」
左の乳首にもしゃぶりつく。指でこね続けていたからもうすっかり先端は固くなって
いたが、口でさらに刺激を加えてやる。
「留衣くん、そんなにおっぱい好きなの……?」
「お前の体が好きなの」
「……っ。こんな、子供っぽい体でも……?」
「どこが子供だ。しっかり胸はあるし、肉も柔らかい。魅力的な体だよ」
「でも……」
「言っとくけどな、二年間ずっとお前の体の成長を間近で見てきたんだぞ。どんどん女に
なっていくからこっちは気が狂いそうだった。こんなにいやらしくなりやがって」
左手で股間をまさぐると、比奈は「きゃあ!」と悲鳴を上げた。
……反応が敏感すぎる。
「まさかもう濡れてたりするのか?」
「なっ!? ち、違っ、」
俺は左手をそのままパジャマの中に突っ込んで確かめてみた。
「や、やだ」
ショーツの中、正中線の一番下の部分を触ると、こもった熱とともにぬるぬるとした感触が、
「……嘘つきだな」
「留衣くんのバカぁ!」
「もう脱がせるぞ」
有無を言わさず、下の服をずり下ろした。下着も一緒に下ろしたために比奈はあられも
ない姿となる。
「留衣くんのヘンタイ! 痴漢! 犯罪者!」
「全部その通りなのが困りどころだな」
こういう反応の一つ一つがまた俺を喜ばせるということに、そろそろ気付いてもよさ
そうなものだが。
怖がってくれるよりずっといい。
俺はお前を怖がらせてきた。ひょっとしたらこういう行為に関してトラウマを植え付けて
いるのではないかと心配だった。
今の比奈は羞恥を抱いてはいるものの、拒んではいない。それは俺をとても安心させる。
からかいながらも、内心で俺はひどく安堵していた。
「比奈」
名前を呼ぶと、比奈はじっと俺を見つめてきた。
「もう……その目は反則」
「何?」
「何でもない。……いいよ、続けて」
「その前に、ちゃんと服を脱がせたいんだけど」
「じ、自分で脱ぎますっ。留衣くんは自分のを脱ぎなさい」
言われて気付いた。己を省みると一枚も脱いでいない。
「早くしないと私が無理矢理脱がせるよ」
それもいいかもしれないと、俺は一瞬馬鹿なことを考えた。
互いに裸になって改めて抱き合う。
温もりがくっついた肌からじわりと浸透してくる。
横抱きにしながら俺は比奈の体を撫で回す。比奈はこちらの下腹部が気になるのか、
おとなしくしながらもしきりに視線を下に寄越してくる。
いや、確かにこちらはとっくに元気イッパイなのだが、あまり見ないでほしい。
まあ今からこれが自分の中に入るのだから、気になるのは当たり前かもしれない。
入念に準備をしておこう。
「ふえ!?」
右手を太股の内側へ滑らせると、比奈は妙な声を上げた。
「あ、あ、あの、ああ」
中心部にあっさり到達。割れ目を軽くなぞってみる。
「きゃあっ!」
またも驚声を上げる。俺が無理矢理していたときはじっと耐えるばかりだったので、
今の姿は新鮮だ。
秘裂を上下に撫でる。既にそこは蜜で溢れていて、指先に糸のようにまとわりつく。
中指を奥に向けて挿し込んだ。
「ひっ……」
充分に濡れているためだろうか、すんなり指は入っていった。とはいえ緩いわけでもなく、
周りの肉がぎゅうっと締め付けてくる。
中をほぐすように指を動かす。
「あぁっ!」
敏感に比奈の体が震えた。
「あ、んっ、うごかさ……ないで、だめ、くぅ、はぁんっ」
指の動きに合わせて腰が浮く。言葉に反して体は愛撫を受け入れている。
指の根本まで愛液が伝ってきた。温かくぬめる液は潤滑油となってますます指の動きを
スムーズにさせる。
「んっ、んっ、んっ、んんっ、あっ、いじりすぎ……だよ……、んぅっ、イク……」
比奈は切れ切れの喘ぎ声を洩らしながら、俺の戯れに懸命に耐えていた。
「今、イクって言わなかったか?」
「っっっ!? いいい、言ってないそんなこと!」
「そっか、まだイってないのか」
指の動きを速めた。ちゅく、ぐちゅ、とよりはっきり秘部が音を立てる。
「ち、違う、そういう意味じゃなくて、」
「じゃあどういう意味だ?」
「ひあっ、あぁんっ!」
奥の内襞を一際強く擦り上げると、甲高い声で鳴いた。
断っておくが、俺は別にSではない。
むしろ人を傷つけたり嫌がることをしたりするのに抵抗を感じる辺り、極々真っ当な
人間だと思っている。
だからこれも比奈をいじめて楽しんでいるわけではない。反応を見るかぎり、比奈は
恥ずかしがっているだけで本気で嫌がっているわけではないと思う。だったらおもいきって
気持ちよくさせてやるのが男の責任ではないだろうか。せっかく愛を紡ぎ合おうとして
いるのだから。
……と、実に都合のいい理屈で己を正当化しながら、俺は比奈をひたすら弄り倒した。
「んっ、あ、ああ……」
右手で秘所を混ぜるようにかき回し、左手で優しく頭を撫でる。黒髪に顔を埋めると
シャンプーのいい匂いがした。
すっかり俺のモノはいきり立っているが、比奈はそれに気付くどころではないらしい。
俺の愛撫を受け止めながら快感の波に耐え続けている。
髪の間から覗く小さな耳がぴくぴく動く。普段は白いうなじがうっすら赤く上気している。
比奈は中学生で、まだ十四歳で、それでもこんなにも女で、そのことに俺はひどく興奮
する。
嗜虐心とまではいかないが、軽い悪戯心と背徳感が内側からこみ上がってきて、行為が
どんどんエスカレートしていく。
左手を頭から肩に滑らせ、そのまま胸へと持っていく。右の乳房に触れると柔らかい
弾力で軽く押し返された。
たまらなくなった俺は膨らみを揉みながらその頂点に吸い付いた。
「痛ッ!」
しかし乱暴すぎたのか比奈は顔を苦痛に歪めた。
「あ、ご、ごめんっ」
「……」
慌てて顔を離す。手の動きもつい止めてしまう。
比奈は息を整えるように一回だけ深呼吸した。
それから俺を見つめ、
「……歯が当たったの。それでびっくりしただけだから」
「……ちょっと落ち着いた方がいいかもな、俺」
「私は落ち着けないよ……」
「どうして?」
「……気持ち、いいから」
小さな声でぽつりと答えた。
そんなこと、今まで何度も抱いてきたのに一度だって言われたことはなかった。
こんなこと言われて嬉しくない男なんているのか?
「きゃっ」
だから──思わず相手を抱き締めても、それは不可抗力ってものじゃないか。
「あ、あの、留衣くん?」
「……ヤバい。もう俺無理。我慢できない」
「あ、あの……あ、あた、当たってる、あの」
「したい。比奈の中に入りたい。いいか?」
比奈は密着する俺の体に(主に下腹部に)慌てていたが、俺の要求を聞くと目を見開いて、
しばしの間の後、こくりと頷いた。
両脚の間に体を入れて秘裂に先端を当てがう。
この瞬間だけは何度繰り返しても緊張する。
「ん……」
比奈は感触に耐えるように瞳を閉じている。その姿は精巧な西洋人形のように整って
いたが、赤らんだ頬や微かに早まっている息遣いは作り物とはかけ離れている。
俺だけの『雛』だ。
膝を使って這うように腰を押し進めると、意外なほどあっさり奥まで入った。
「あ──」
短い呼気が比奈の小さな唇から洩れ出た。
膣内がぎゅうっと収縮して絡み付いてくる。
「くうっ……」
中の反応に俺は驚いていた。これまでと違い、抵抗は少ない。しかし容易な進入の割りに
締め付けは強烈で、今まで味わってきた感触とは明らかに質が違っていた。
まるで俺を捕まえて離さないような……。
「留衣、くん」
比奈が潤んだ目でこちらを見つめてくる。
俺は頷き、ゆっくり動き始めた。
膣襞がまとわりつくように俺の逸物を刺激する。喩えようもない快楽が下半身から毒の
ように全身に回り、気が狂いそうになった。
奥に突き入れると亀頭全体が擦れて痺れるような錯覚に陥る。腰を引くと今度は襞々が
くびれに引っ掛かり、また違った快感に包まれた。
「ん、あっ、留衣、くんっ」
比奈の押し殺したような声が俺の性欲をさらに煽った。
「比奈……比奈っ……」
ゆっくりとした動きが次第に速まっていく。性器同士の絡みが激しくなるにつれて繋がった
部分からいやらしい音が聞こえ始めた。
ぱちゅん、ぷちゅ、ぐちゅぅ、と淫らな水音が響き、それに重なるようにぱん、ぱん、と
肉のぶつかる乾いた音が鳴った。
「ああぁ……んん、ん、んっ、あんっ、あっあっあっ、ああっ」
「う……く、う……」
違う。
今までしてきた行為とは全然違う。
過去の交わりも、はっきり言って気持ちよかった。溺れないように必死だったというのは
嘘じゃないし誇張でもない。
それでも俺は溺れはしなかった。やろうと思えばいくらでもその機会はあったのに、
必要最低限の回数しかこなしてこなかった。
だが、今日のこれに対しては、自分を抑える自信がない。
こんなにも気持ちのいい繋がりは初めてだった。
「留衣くん……」
切なげに比奈が俺の名前を呼んだ。
「好き……留衣くん……大好き……」
そのストレートな想いの吐露は脳天にがつんと響いた。
気持ちいいのは当たり前だ。
今の俺たちは体だけでなく心も繋がっている。
俺がただ一方的に抱いていた時とは違うのだ。
それに今は、今ならもう、溺れてもいい。
比奈に溺れて夢中になってもいい。
自分を抑えなくてもいいのだから、気持ちいいのは当然だった。
腰の動きが止まらない。激しく膣肉を貪り、内側を蹂躙する。
「俺も……好きだ」
覆い被さるように比奈の体を抱き締め、耳元で囁いた。
「あうっ、あんっ……」
「もう……全部俺のものだからな」
揺れる頭を押さえて、開きっぱなしの唇にキスをした。
一瞬驚きに肩を震わせて、しかしすぐに応えてくれた。荒い息を抑えて懸命に受け止めて
くれる恋人に、俺は深く深くキスを送り込む。
舌が絡み合い、唾液が唇の端から垂れ落ちる程激しい接吻を交わしながら、腰の動きは
まるで落ちることがない。
比奈もすっかり慣れたのか、自分から腰を動かして俺を求めてくる。
激しい動きに汗が吹き出てきて、呼吸の間隔も短くなってきた。
動きを速めれば速める程、膣内が強くうごめき、陰茎全体を締め付けてくる。その刺激に
もう俺はいつ射精してもおかしくなかった。
突き入れる度にぬかるんだ感触が俺を迎える。その濡れすぼった秘壺に欲望の塊を早く
ぶちまけたかった。
「比奈っ、もう俺……っ」
「うん……いいよ、私ももう、あっ、いっしょに、」
細い腕を背中に回して比奈も俺を抱き締めてきた。『締める』というには弱い力だが、
こうして抱き合っているだけで俺の胸は満たされるように温かくなった。
きっと、比奈も。
遠慮の一切ない往復に、逸物が擦り切れるようにじんじん痛んだ。
それは苦痛ではなく快楽の痛みで、それに引きずられるように睾丸から熱いものが迫り
上がってくる。
「あっあっ、やぁっ、ああぁ、ああっ」
「比奈、うっ……」
閃光のような光が頭に走るのと同時に、俺は比奈の膣内に大量の精液を吐き出した。
瞼の裏で明滅を繰り返す光に合わせるように、びゅく、びゅく、と白濁液が何度も放出
される。
陰嚢が絞られるような快感に襲われ、俺は眩暈がする思いだった。
「んんぅっ──、ん……」
比奈は精の奔流を受け止めながら、微かに呻いた。
その様子はどこか陶酔しているような色っぽさがあり、俺は思わず見とれた。
断続的に起こった射精がようやく止まると、急に倦怠感に包まれた。
うまく力が入らず、俺は体を比奈の横に投げ出す。中から抜いた性器が力なく萎れていた。
比奈の手が俺の手に触れた。
ぼんやりする意識の中で軽く握ってやると、向こうも握り返してきた。
天井がやけに高く見える。
すぐ横で比奈が嬉しげに微笑んでいるのが見えた。
◇ ◇ ◇
しばらく私は留衣くんの傍らで余韻に浸っていました。
留衣くんにくっつきながら目を閉じて、心地好さに身を委ねます。
幸せでした。
今日一日いろんなことがあったなあ、とぼんやり考えて、しかし気だるさが邪魔をして
思考がまとまりません。
留衣くんの体は温かくて安心できます。
私は留衣くんの腕を枕代わりに抱き締めました。留衣くんも多少疲れた様子でしたが、
優しく頭を撫でてくれました。
穏やかな空気に溶け込むように、私はそのまま眠ろうとして、
ふと、私がそのことを思い出したのは、自分の脚の間に残る感触に気付いた時でした。
私の大事なところから生温い液が漏れ出てきます。
中に出された異性の液。
普通なら慌てるところですけど、私と留衣くんの場合は少し事情が違います。
「ねえ、留衣くん」
顔を上げて呼び掛けると、留衣くんは億劫そうに首を動かしました。
「ん?」
「前言ってたよね。本当に留衣くんは、その……子供を作れないの?」
彼はぼんやりしたまま、表情を変えません。
「ああ、そうみたいだ。医者に検査してもらった時に、無精子症だとはっきり言われた」
「……」
私は、複雑な気持ちになりました。
子を生せないというのは、とても哀しいことではないでしょうか。
「治せないの?」
「どうかな。精子自体はちゃんと作れるみたいだから、手術すればひょっとしたら治せる
かもな」
「本当に?」
「可能性はある。まあ、治す気はないけどな」
「どうして!?」
私が声を上げると留衣くんはきょとんとしました。
「いや、『調律』……俺の力をお前に使うためには、その、中に出さなきゃいけないわけ
だし」
「私のため?」
「まあ、そうなるか」
「だったらやめて。ちゃんと治してもらった方が私は嬉しいから」
「……なんで」
「なんでって……だって、その……」
私は答えに詰まります。
だって、私は留衣くんが好きなのです。
だから、いつとははっきり言えませんし、先のことなんてわかりませんが──それを
望むのは当たり前だと私は思うのです。
「留衣くんは、子供ほしくないの……?」
留衣くんは目を見開きました。
「……な、なんだよいきなり」
「私はまだ中学生だけど……大人になったら、きっとほしいと思う」
今はまだ私自身が子供だけど。
「その時その相手が留衣くんだったら……ううん、絶対に留衣くんだと思うけど、今の
ままだとほしくても作れないから、だから……」
私にはもう留衣くん無しの人生なんて有り得ません。
留衣くんとの間に子供ができたら、きっとそれは素晴らしいことです。
先のことなんてわかりませんけど、今の私にはそう思えました。
「……難しいんだよな」
「え?」
留衣くんは困り顔になりました。
「お前がそう言ってくれるのは嬉しいよ。でも、生まれてくる子供がお前と同じ体質だったら
……俺は後悔するかもしれない」
頭の中が真っ白になりました。
私の『魂が零れやすい』体質というのは、母からの遺伝です。
必ずしも遺伝するとは限りませんが、もし私の子供にもそれが受け継がれてしまったら──
「そういうことだ。子供のことを考えると、どうしても躊躇ってしまう。お前と新しい
家族を作れたら嬉しいけど、でも気軽に結論を出せる問題じゃないから」
「……」
「それに俺は、比奈と一緒にいられるだけで満足なんだ。子供は作れないかもしれない
けど、その分お前を大事にしたい」
留衣くんはちゃんと考えています。私より三つ歳上ということもありますが、先のことを
しっかり見据えようとしています。
子供のことは多分ずっと前から考えていたのではないでしょうか。
その結論が、作らない。
それが最善なのかもしれません。
しかし、
「それでも、ほしいって言ったら?」
留衣くんはまた目を見開きました。
「そんなにほしいのか?」
私は首を振ります。
「わからない……。正直自分が母親になるなんて、うまく想像できない。よく、わからない」
「……」
「でも、でもね、多分そういういろんな問題とか、そういうことを全部含めて今の私は
いると思うの」
「……どういう意味だ」
「だって──お母さんは私を産んだよ?」
留衣くんが微かに息を呑みました。
「お母さんは自分の体質をわかっていて、それが私に遺伝する可能性があることも承知
していたはずだもの。それでもお母さんは私を産んだ」
「……」
「それはひょっとしたらすごくひどいことなのかもしれない。でも私は少しもお母さんを
恨んだりしてない。むしろ感謝してる。生まれてこなかったら、こうして留衣くんの隣に
いることもできなかったんだから」
なんとなく思うのです。きっと母はたくさん悩んだに違いありません。それでも母は私を
産んでくれて。
父の、愛する人の子を産みたいという気持ちもあったでしょう。でもそれ以上に、もっと
単純な理由で私を産んだのではないでしょうか。
母は、私に会いたかったのではないかと。
自分の子に会いたくて、そのために私を産んだのではないかと。
それは本当にただそれだけのことです。でも、多分とても大切なことです。
果たして私は生まれ、父に、そして母に会いました。
それから十年余りの時間、二人は私を愛してくれました。
もちろん自分の体質を疎ましく思いはします。でも、決して生まれてきたことを嘆いたりは
しません。
だって、私は愛されていたのですから。
そして、愛されているのですから。
だから、かつて母に言ったように、私はずっと好きでいます。
父も母も、いつまでも好きでい続けます。
「やっぱり治した方がいいよ」
「そうか?」
「うん。それで、うまくいって子供ができたら……私はいっぱいその子を愛したい」
「……」
「私が受けた愛情を、同じようにその子に注ぎたい。留衣くんと私の子供ならなおさら、ね」
「……」
「もしその子供が私と同じ体質だったとしても、治せる方法があるかもしれないし、私は
簡単に諦めたりしないよ」
留衣くんは軽く溜め息をつきました。
「……お前はすごいな」
呆れ半分感心半分といった様子で、留衣くんはやれやれと首を振りました。
「でもな、そういう話はもっと違う時にすべきだと思うんだ」
「え?」
留衣くんがおもむろに体を起こしました。私は茫然とそれを眺めていましたが、
「お仕置きだっ」
突然組み伏せられて、めちゃくちゃ慌てました。
「な、何!? 留衣くん?」
留衣くんはニヤリと意地悪な笑みを浮かべます。
「愛を交わし合ってゆったり余韻に浸っていたのに、空気読まないで小難しい話をする
お前には、いろいろ教えなきゃならないようだ」
「な……」
「まずはもう一回改めてやり直すぞ。今度は余力も残せないくらいいっぱい気持ちよく
してやる」
「……っ」
無茶苦茶なことを言う留衣くんは、とても楽しそうでした。
「それに、子供ほしいんだろ? 今から予行演習しとかなきゃな」
「る、留衣くんのヘンタイ! 痴漢! 強姦魔!」
「全部否定できないのが実に辛いところだな」
全然辛そうに見えない顔で、留衣くんが迫ってきます。
私はむー、と唸りましたが、結局諦めて体の力を抜きました。
抱き締めながら、留衣くんが小声で囁きました。
「比奈──愛してる」
赤面しながらなんとか返事を返し、私はそのままゆっくりと留衣くんに溺れていきました。
お母さんがずっとお父さんを愛していたように、
私も、ずっとあなたを愛したい。
あなたが私にくれる幸せを、
ずっとずっと大切にして、これからもあなたの側で生きていくよ。
変わらない心で、想い一途に──。