結局、あの後作戦会議は終わり、俺達はお開きとなった。
青山が例の彼女とデートの約束があるらしく、帰らなくてはいけなくなったからだ。
青山が去った後、真紀が、人って見かけによらないのね、と言ったのが、なぜか印象的だった。
続けてあの女狐は、こともあろうか、俺をデートに誘ったが、丁重にお断りしておいた。
いくら恋人が欲しいと言っても、俺にだって多少は選ぶ権利があるというものだ。
ともあれ、今探るべきことは、カメラに付着していた指紋の持ち主である、
蒲生という人物の人間関係や、仕事、とにかくあらゆる情報だ。
すでにストーカー野郎が、俺達の周りをうろつかなくなって丸一週間以上。
そろそろ何かしてきても、おかしくないはずだ。
一刻も早く、何かしら奴に繋がりそうな情報が欲しい。
今にして思えば、一度奴と対峙したときに、是が非でも追いかけておくべきだったかもしれない。
何もかも手遅れになってしまっては、何の意味もないのだ。
手札が何もない今、焦っても仕方ないとは言え、どうしても焦りが出てしまう。
とにかく今は、青山に任せるしかない。
俺は俺で、自分が今できることをするべきだと、自分に言い聞かせた。
『………!』
『さや………待ってろ、いま……!』
なんだ?
今俺は夢を見ている。
それは自分でも、はっきりと分かる。
『……いちゃん……ごめ……』
よく聞き取れない。
なんだ、何と言っている?
『お兄………私…………ゃんのこと……』
なんだ? 今なんと言った?
―――直後に轟音が鳴り響いた。
「………ってぇ……」
俺は、いつもと違う目覚めの感覚に、目を醒ました。
体を起こし、周りを見回す。
「……おれの部屋……だよな」
目を醒ますと、自分が今ベッドではなく、床にいることに気がついた。
ベッドから落ちて、どうも体をぶつけたらしい。
頭はどこも痛みを感じなかったので、頭はぶつけなかったようだ。
のそっとベッドに潜り込み、枕元にある時計を見ると、まだ6時半を過ぎたところだった。
「後10分か15分もしたら沙弥佳が起こしにくるな……」
まだ覚醒しきっていない頭で、ぼんやりと天井を見ながら呟いた。
(沙弥佳か……)
俺は、さっき見た夢を思い出だしていた。
さっきの夢はなんだったのだろう。
まるで、壊れかけたテープのように、音が途切れ途切れになっていた。
そもそも夢の中で音があったこと自体、珍しいことではあるが。
ただ俺と沙弥佳が何かに巻き込まれて、危険な状況であったということしか、分からない。
そして、沙弥佳が最後に言おうとした言葉……。
カチャ
突然、部屋のドアが控えめに開かれると、沙弥佳が入ってきた。
「お兄ちゃ〜ん……って、まだ寝てるよね」
なぜかその時俺は、寝たふりをしてしまった。
(何をしているんだ、俺は)
「えへへ〜お兄ちゃんの寝顔だぁ……やっぱり可愛いな」
沙弥佳は俺の頬を、指で軽く撫でる。
「お兄ちゃんのこんな顔見れるのも、私だけの特権だもん………」
何か、いつもと違う感じがした。
そもそも、この時間に自分から目が覚めるということ自体ないのだから、
妹が朝俺の部屋に来て起こす前のことなど、知る由もなかったのだが。
「お兄ちゃんは知らないと思うけど……今、学校でお兄ちゃんって女の子の間じゃ有名なんだよ?」
女の子に限らず、そりゃぁそうだろうな。
学校まで、両手に花なのだ。
おまけにその二人は美少女で、俺は高校生だ、目立たぬはずはない。
「いつもクラスの女の子達から紹介してって言われてるんだよ………お兄ちゃんのこと何も知らない癖に……
お兄ちゃんの外見だけで、中身なんて全然見てないような薄汚い子達になんか、紹介できるわけないのに」
本当、馬鹿だよねと付け加える。
……なんだろう、この感じは。
「あやちゃんは本当に私の友達だったから紹介しただけなのに、調子に乗って私にも私にもだなんて……」
沙弥佳は、寝ている俺の体にしな垂れかかってくる。
正直、今ここで起きた方が良いような気がしたが、タイミングを逃してしまった。
「でも最近………お兄ちゃん、私のこと見てくれる時間、すごく減った」
今起きてすぐにでも、そんなことはないと言いたかったが、理性がそれを拒んだ。
「………お兄ちゃん、最近あやちゃんのことばかり見てるよね………ねぇ、なんで?
それに………私が話しかけてもどこか上の空で、何かいつも考えてる……それがすごくつらいよぅ……」
まるで俺が起きていることを、悟っているかのように話す沙弥佳に、一瞬バレたかと思った。
「ねぇ……もっと私のことも見てよ……あやちゃんばかりじゃイヤだよ………それにお兄ちゃん、
他にも別の女の子の匂いがするよ………学校でお兄ちゃんに近づく泥棒猫がいるの?」
その独白であるはずの問い掛けに、俺はドキリとしてしまった。
「お兄ちゃん……?」
いかん、起きていることがバレたか?
仕方ない、起きたふりをしてやり過ごすしかないか……。
「ん………重いぞ」
「あ……」
沙弥佳は目に少し涙を滲ませていた。
急いで、それを拭う。
「えへへっおはよ、お兄ちゃん」
「ん……おはよ、沙弥佳。……目、どした?」
白々しい嘘だ。
だが、気付いたと思わせてはいけない。
「え! あ……な、なんでもないよ! ちょっと目にゴミが入っちゃって!」
「ん……そうか。とりあえず出てってくれ、着替えるから」
しかし、いつもならこの台詞の後は哀しい顔をするはずが、今日は笑顔だった。
それが余計に痛々しく見える。
「うん、先に下行ってるから」
沙弥佳は、笑顔のまま部屋を出ていった。
俺はなんともやりきれない思いになったまま、制服に着替えた。
「面白いことが分かったよ、九鬼くん」
放課後、青山が珍しく興奮気味に話しかけてきた。
俺達は、また例によって技術棟の屋上に来ている。
藤原真紀は、待ってましたと言わんばかりに扉の前にいた。
聞けば、なんとなくよと短く、愛想もなく答えた。
この女に愛想があったとしても、それはそれであまりいい気持ちにならないだろうが。
「まず、蒲生義則についてだけど、製薬会社の営業マンだったみたい」
「営業マン……サラリーマンか」
「それもかなりやり手だったみたいだよ。しかも、その蒲生義則の勤めてた会社がK県のY市にあるんだ」
「Y市? 確か例の事故があった場所だな」「そう。それで蒲生義則は、やり手だった分、周りと良い人間関係を築けてなかったみたい」
「まぁ、よくある話だな」
俺は頷きながら、先を促す。
「いや……ちょっと違うかな? 蒲生義則はむしろ、その仕事ぶりが嫌われる要因だった感じかな」
「グレーゾーン商法ってやつか……でも、人によっちゃぁ稼げてるんなら、それでいいって奴もいたんじゃないか?」
「うん………いなかったことはなかったと思うよ」
「いなかったことはなかった? 何か含みのある言い方だな」
「……蒲生義則に肯定的だった人は、何人も死んでるみたいだから」
「死んでる……?」
こいつはいよいよきな臭くなってきた。
指紋の人物は死に、それに関わり(しかも肯定的な人間)を持った連中も仲良くあの世行きとなれば、
さすがの俺でも怪しいと思うし、興味もわくというものだ。
「それもかなり不自然なね。ある人は列車との事故で、またある人は車との正面衝突で……他にも水難事故だとか。
とにかく事故が起こりそうもない状態で起こってるんだ。水難事故に至っては、別に嵐でもなかったのに転覆してる」
俺は言葉も発さずに、青山の説明を聞いていた。
「最も不審だったのは、今川という人なんだけど……殺されてる……みたい」
「殺人……?」
「それも首をこう、たった一かきで………」
青山は、自分の首を切ったようなジェスチャーをしてみせる。
「……それでお前は、他の人間がどうなったかも調べたというわけか」
「うん。詳しい話は長くなるからやめるけど、皆事故に見せかけて殺されたんじゃないかと思ってる。
証拠がありありであるにも関わらず、事故として発表されたって感じだからね」
青山はかなり興奮していたようで、一旦深呼吸して気持ちを鎮めている。
「しかも、それらの事件は全て、蒲生義則の死亡後にあったってこと。まるで蒲生義則の亡霊がやったみたいにね」
「製薬会社の営業マンが、何故カメラを持ってたか……ってこともだな」
「きっと蒲生義則も死んだ……いや、多分殺された理由はあのカメラにあるんじゃないかと思う。それで……」
青山がまたも珍しく、こちらを上目使いに伺ってくる。
多分、こいつのこんな仕草は、そういう趣味の女にはたまらなく感じさせそうだ。
「なんだ?」
「……そのさ、行ってみない?」
「どこにだ?」
肝心の主語が抜けていてさっぱりだ。
「だから……蒲生義則の家にだよ」
きっとこの時、俺の目は点になっていたはずだ。
さて、青山の提案で来ることになったわけだが。
「紹介するよ、九鬼くん。僕の友達の徳川さんと織田さん」
駅で待っていると、青山が二人の男を連れてきた。
徳川と呼ばれた男は、俺よりも10cmは高く、190近くあるだろうか。
けれども、ひょろひょろでまさに骨と皮だけと言った感じだ。
もう一方の織田と呼ばれた方は、身長こそ俺が勝るが、かなりがっちりとした体格をしており、
短髪モヒカンの頭とどこか聡明さを佇ませた顔は、爽やか好青年といった印象だ。
実際に、織田は紹介された後、自ら握手をもとめ手を差し出してきたほどだ。
「で、こっちが今回の依頼主の九鬼くんです」
青山が二人に俺を紹介する。
「九鬼です。今日はよろしく」
「話は聞いてる。何やら危なげなことに首突っ込んでるみたいだね」
織田は印象通り、爽やかとした口調で話しかけてきた。
「いや、突っ込んだというより、巻き込まれたが正しい、かな?」
「九鬼くん。この二人が今回の主な情報提供者なんだ。二人ともこういうヤバ気な話は好きだから、
今日は一緒に行動することになったけど、構わないよね?」
「構わないも何も、もう連れて来てるだろ。それに、助かりますよ」
俺は二人を見て、軽く礼をした。
「いや〜気にしなくていいよ。僕らも片足半分突っ込んでるしねぇ」
片足ではなく、さらにその半分というのは、突っ込んだ方がいいのだろうか。
徳川の話し方は、所謂オタクっぽい話し方だ。
それに青山を加えたトリオは、なるほど、なかなか世の中うまい具合に出来ているようだ。
「君からの話を聞いたとき、またただのストーカー事件だと思ったんだけどね」
織田が、初対面の時以上の爽やかさと、興奮気味な口調で喋る。
見た目だけではやはり人は判断できない。
この男もやはり、青山と同じ人種なのだと痛感した。
「何やらきな臭い方向に行ってるし、俺のジャーナリストとしての魂がこう、なんかね!」
俺は、愛想笑いを浮かべながら、この男の話に聞いていた。
まぁ……言わずもながら、いつものごとく右から左だが。
今俺達は、K県K市にあるという、蒲生が生前住んでいた家に向かっているところだ。
その間、織田という男のどうでも良い話を延々と聞かされた。
ぱっと見は女の子受けしそうなものだが、これでは駄目だろう。
見れば、青山も少し引いてしまっていた。
ただ、一つだけ彼の言っていたことで、頭の片隅に残っていることがある。
それは俺の名前のことだった。
「へぇ、九に鬼で九鬼かぁ。カッコイイじゃないか。知ってる? 九というのは、すごく強いとか、
最上といった意味が含まれていることがある。空想上の生き物で、九尾の狐というのがいるんだが、
これも非常に強いといった意味があると言われてたりするんだ。古今東西なぜか九というのには、
同じような意味で表されることが多い。南米アンデスの神話にも、ビラコチャと呼ばれる創造神が、
やはり屈強な戦士の神を九人引き連れていたっていう話もあるんだよ。同じ神話でエジプトの神話でも、
やっぱり初期の九柱神が最も偉大な神であるとされているしね」
このくだりだけは覚えていた。
それ以外は、全く覚えていない。
そんな話を聞いているうちに、目的の場所である蒲生の家に着いた。
蒲生の家は一軒家だった。
聞けば、家族がいたわけでもないのに、一人こんな家に住んでいたのか。
俺は、この家になぜか漠然とした違和感を感じた。
家主であった蒲生が死に、すでに1年は経っているはずなのに、この家はまだどこか活気を感じたのだ。
この家は、もういない主人を未だ待ち続けているような、不思議な佇まいを感じさせた。
織田が、門に手をかけ、敷地へと入っていく。
俺達もそれにならって、敷地内へと足を運ばせる。
「ここからは、なるべく話さないようにしよう。静かにしないと近所に声なんかあっという間だ」
俺達は頷いた。
ここは清閑な住宅街だ。
場合によっては足音だって響く。
「まずどうします?」
徳川が、織田に問いかける。
「ま、ここはまずは普通に正面からいきましょう」
織田が、呼び鈴を鳴らす。
電気を使わない、古いタイプの呼び鈴だったため、家の中で音はあまり反響しない。
もう一度鳴らしたが、反応はなかった
「こういう古いタイプの家なら、裏に勝手口があるはずだが……」
織田は、俺達にそこにいろとジェスチャーし、足音を偲ばせながら裏へと廻っていった。
青山と徳川は、そわそわと落ち着かなさそうだ。
人に見つからないかと、周りをキョロキョロと何度も伺っている。
はっきり言って、まんま挙動不審者そのものだ。
そう、1年は空き家のはずなのだが、とてもそんな風には感じられない。
そもそも、ここは蒲生の親の代から住んでいたらしく、蒲生が死んでからもう誰も住んでいないはずなのだ。
俺より一足早く入った織田も、その違和感に感づき、話しかけてきた。
「なぁ……この家、なんか変だよな」
「……ええ、まだ生活感を感じますね」
遅れて入ってきた、青山と徳川もやはり同じことを思ったようだ。
「い、一応靴脱いだ方がいいかな……?」
徳川が馬鹿みたいなことを言うが、無視した。
「とりあえず、一階と二階とに二手に分かれようか」
「その方がいいでしょうね。あまり時間があるとも限らないですし」
「良し。じゃあ僕と徳川君、君と青山君に別れようか」
「俺達は二階を見てきます」
俺の言葉に、織田と徳川は首をふった。
台所を出て、階段を上り二階へと上がる。
階段はギシギシと音を軋ませ、実はかなり老朽化しており、崩れたりしないだろうかと心配になる。
二階はわずか6疂程の部屋が、二部屋とドアが閉まっているため、広さは分からないが、計三部屋あった。
「じゃぁ、お前はこの部屋な。俺は隣を調べる」
青山は頷くものの、どこか頼りなさげだ。
もしかしたら、不法侵入で捕まったりしないか等と考えているのかも知れない。
「そうビクビクするなってな。簡単に調べるだけでいいんだ、時間はかからんさ」
「う、うん」
そう言って青山は、目の前の部屋へと入っていく。
俺もその隣の部屋へと移動する。
この部屋には、古ぼけた箪笥とさらに年季の入った、小さな机が置いてあった。
蒲生はずっとこの家で育ち、両親が死に、さらに自分が死ぬまでこの家で暮らしていたという。
この古ぼけた家具はもしかしたら、両親、それも父親が使っていたのかもしれない。
俺は箪笥を開き、何か入っていないか見てみたが、何も入っていなかった。
次に机も見たが、同様だった。
押し入れの中も覗いては見たが、やはり何もなかった。
(もしかしたら、ここはガキどものたまり場かなんかだったりしてな)
俺はそんなことを考えて、一人苦笑する。
「この様子じゃぁ何かあるとも思えないが……」
ドアの閉まった部屋を調べるため、ドアの前まできた時、なぜか俺は強烈な何かを感じた。
(なんだ……? ……何か変だ)
なるべく音を立てずにゆっくりと、ドアのノブへと手をかけ、やはりゆっくりとした動作でノブを回していく。
俺の本能が、何か危険だと警鐘をならす。
ゆっくり、ゆっくりとドアを開けた、その向こうに―――奴がいた。
戦慄した。
俺はこのうえなく戦慄した。
なぜ奴がここに? どうして? 鍵は? どうやって中に?
俺は混乱していた。
奴はあの時と全く同じ格好をして、俺の目の前に立っているのだ。
そんな俺を前に、奴は一歩踏み出す。
俺は全く動けない。
この時にはすでに、次にすべき行動は決まっていたが、体はそれに反し、全く動けなかったのだ。
人は目前の恐怖に対峙した時、動けなくなると聞いたことがあったが、まさにその通りであった。
蛇を目の前にした蛙と言ってもいい。
とにかく、逃げなければならないのに体が動いてくれない。
それは、死への恐怖だ。
奴は俺を殺そうとしたのだ、今回だってきっと……いや、間違いなく殺そうとするだろう。
(こ、殺されるのか? 俺は今ここで死んでしまうのか?)
俺の何mか後ろでは、青山がまだ部屋を調べている。
声を出せば、助けてくれるかもしれないし、声を聞いて下の連中だって来てくれるかもしれない。
だが、たとえそうだとしても、助けが間に合うか?
俺は、また一歩ゆっくりと近づいてくる奴の黒の手袋をはめた左手に、ナイフを持っているのに気付く。
まずい…。
まずい……!
奴は冗談抜きで俺を殺そうとしている。
奴の持つギラつくナイフが、俺の理解を超え、直感としてその殺意を感じとる。
一歩一歩、スローモーションのような動きで俺に近づいてくる。
逃げなければ!逃げなければ!逃げなければ!逃げなければ!逃げなければ!
逃げなければ!逃げなければ!逃げなければ!逃げなければ!逃げなければ!
頭の中で何度も反芻するも、この体は動いてくれない。
「あ…」
その時になってようやく、声を出せた。
しかし奴はもう俺の前に来ており、そのナイフを高々と振り上げた。
「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
その瞬間、俺の中の何かが解放された。