「――うーむ……」  
散らかった部屋の真ん中で、俺はひとり唸っていた。  
時刻は深夜。そろそろ寝ないと明日起きられそうになく、  
またお袋にどやされて朝から最悪の気分で出かけることになってしまう。  
しかし俺が今考え込んでいるのは、なかなかに深刻な問題なのだ。  
健康的な男子高校生が夜遅くまで悩むことと言えば、そう多くはない。  
そう、女だ。  
自慢じゃないが、俺は昔から明るいキャラクターで人気を集めてきた。  
女の子にキャアキャア言われたことなんて数え切れない。  
俺の方も女子、特に可愛い子には熱烈な愛情を注ぎ、機知に溢れたトークと  
アグレッシブなパフォーマンスを駆使して彼女らを笑顔にしてきた。  
人に笑われるのは馬鹿でもできるが、人を笑わせるのは本当に難しい。  
だが気さくで教養に富んだ俺に不可能はなく、どこに行っても人気者で  
幸せに満ちた充実した毎日を送っていたのだった。  
 
そんな俺が夜遅くまでこうして悩んでいるのは、  
突如として俺の前にイレギュラーな存在が現れたからだ。  
数多の女を虜にしてきた百戦錬磨の俺でも手に余る変な女。  
正直言って、何を考えているのかさっぱりわからん。  
ここ数日俺なりにあいつを分析してはいるが、これがまた困難な作業だ。  
乱暴で、惚れっぽくて、だが本人曰く俺は好みじゃないらしい。  
俺の方もあんながさつな奴は、生物学的には女と認めても  
淑女たるレディーの範疇にはとても入れてやる気になれない。  
互いに興味がないはずの俺たちは、そのまま距離を取って  
ただの顔見知りでいるのが当たり前のはずだった。中学生のときのように。  
なのに現実はそうはいかず、俺はあいつとしょっちゅう顔を合わせては  
馬鹿だのアホだのとののしられて痛い目に合わされている。  
なぜだろう。俺が何かしたんだろうか。  
ひょっとしてイジメですか。そのうち顔の青アザを親に見つかって  
「ああ、ちょっと転んじゃって」とか言い訳しないといけなくなるんですか。  
黄金の上り坂を駆け上っていたはずの俺が、地獄の餓鬼に引きずり下ろされるんですか。  
そんなのは御免だ。何とか対策を練らなくては。  
それをこうして考えている訳だが……非情にも現実は厳しく、  
力尽きた俺がぐーぐーいびきをかいている間にまた朝が来てしまった。  
もちろん寝坊してお袋にどやされた。マジ最悪。  
 
うちの高校はごく普通の学校で、徒歩や自転車で来ている生徒が大半を占める。  
俺は今日も晴れ晴れした空に見送られつつ、寝不足の頭をかかえて通学路を歩いていた。  
遠くに校舎が見えてきた頃、視界の隅に見慣れた人物を二人ほど発見したので  
俺は疲れた体を引きずってそいつらに近づいていった。  
「よう啓一」  
「あ、栄太」  
友人の肩をポンと叩き、一瞬でもう一人に向き直る。  
「おはようございます。恵さん」  
俺は疲労を体の奥深くに押し込んで、我ながら明るく爽快な笑顔でその女性に挨拶した。  
「おはよう、佐藤君」  
微笑んだ拍子に長いストレートの黒髪がふわりと揺れ、朝の陽光に舞う。  
普段からきっちり手入れされているのは明白だった。  
水野恵。2年A組が誇る才媛にして、学校でも指折りの美少女だ。  
勉強ができてスポーツも万能で顔が良くて、おまけに優しいとくれば  
そりゃあんたどこの完璧超人かと言いたくもなる。  
ただ顔のいい女の子ならC組の加藤みたいに他にもいるが、  
ここまでパーフェクトな女性は探してもなかなかいそうにない。  
しかもなぜか彼女には彼氏がいないという。絶対ありえん。まさに意味不明。  
 
俺たちは恵さんを挟むように並び、学校に向かって歩いていた。  
何とか恵さんと会話しようと話しかける俺だが、もっぱらそれに答えるのは  
彼女の双子の兄貴の啓一の方だった。  
お前、仮にも友人だったら空気読め! すみやかに彼女を俺に提供しろ!  
激しい俺の心の声も虚しく、そのまま俺たち三人は校門をくぐってしまった。  
と、そこに後ろから飛んでくる影が一つ。  
「――恵ぃぃっ !!」  
疾風のようなその女は、俺の横にいた恵さんに思い切り飛びかかった。  
かなりの勢いのはずだったが、彼女は絶妙なバランス感覚で踏みとどまる。  
恵さんは自分に抱きつくそいつを見て、少し呆れたような声を出した。  
「由紀、朝から元気ね……」  
「何よ恵。友達に向かっておはようのひと言もないの?」  
「うん……おはよう」  
恵さん、そんなやつに挨拶しないで下さい。もったいない。  
俺はまたとてつもない疲労感に襲われながら、そのトラブル製造機を見つめていた。  
 
そいつは短いショートヘアを茶色に染め、細い体を制服に包んでいる。  
つり目だが顔の造作は悪くない。しかし性格は極めて悪い。  
しかも手癖足癖はそれ以上に悪く、学校一の凶暴娘。  
すぐ物を壊すわ人を殴るわで、たしか破壊王だか格闘王だかの異名を持つ。  
坂本由紀。それがその生物の名前だった。  
そいつは似合いもしない笑顔で、俺の友人の啓一に明るく話しかけた。  
「啓一クンもおはよ♪」  
「あ、ああ、うん……おはよう」  
どう反応すればいいかわからないという顔で啓一が返す。  
やはり双子だからか、その表情は恵さんにそっくりだった。  
そこに俺が割り込み、坂本を非難する。  
「ほら離れろよ。恵さんが迷惑してるだろ」  
「……なんだ、あんたもいたの。佐藤」  
啓一相手のときとは打って変わって冷たい口調の坂本に、俺は言い返した。  
「あんたもいたの、じゃねーよ。朝からうぜーことするんじゃねー」  
「だって、ここに恵がいたんだもん」  
こいつ、あの恵さんに抱きつくとはなんてうらやましいことを……。  
俺は震える怒りを露にして坂本を怒鳴りつけた。  
「馬鹿かお前は! 自分のやってることがわかってんのか !?」  
「何よ、何か文句あるの !?」  
目を吊り上げてこちらをにらみつけてくる坂本に見せつけるように、  
俺はそばにいた啓一の体にぎゅうっと抱きついた。  
 
「…………」  
「…………」  
「…………」  
時が止まる。  
無関係だった周りの連中もそこに立ち止まり、呆然としてこちらを見ていた。  
「どうだ! うらやましいだろう!」  
勝ち誇って言う俺に呆気に取られ、坂本もぽかんと口を開けている。  
「お前が恵さんにやってることはこういうことなんだぞ、馬鹿め!  
 わかったら以後気をつけ――」  
「馬鹿はお前だあああぁぁっ !!」  
渾身の力を込めた坂本の右ストレートが俺の顔面に炸裂した。  
派手に吹っ飛ばされ、背中から地面に落ちる俺。  
残念ながら、かろうじて覚えていたのはそこまでだった。  
 
保健室にかつぎ込まれた俺が意識を取り戻して教室に戻ってきたのは  
ちょうど一時間目が終わった直後の休み時間だった。  
「――訴えたら勝てますよね」  
「……はあ?」  
不思議そうに聞き返してくる啓一の席の前に座って俺は続けた。  
「だから暴行容疑で、あの坂本とかいうキラーマシンを立件できませんかね」  
「いや……お前は何を言ってるんだ。むしろ被害者は俺じゃないのか」  
悲しいことに親友は冷たく俺を突き放し、自分のノートに目を落としている。  
ちょっと男にハグされたからって怒るとは器の小さいやつめ。  
第一、休み時間にまで勉強するとかあり得ないだろお前は。  
周りじゃ女子が何人かチラチラ優等生のお前の方を見てるじゃねーか。  
恵さんが完璧超人なのは素晴らしいが、兄までそうだと腹が立つ。  
俺はお前の何百倍かは女性に優しいはずなのに、その俺がなぜあんな  
見た目は女・中身はターミネーターの殺人兵器に殴られなきゃならんのか。  
理不尽という言葉をびっしりノートに書き込んでも今の俺の気分は晴れないぞ。  
 
何となく疲れた気分になって天井を見やるが、あいにく輝きの衰えた蛍光灯と  
シミのついた灰色の板しか目に入らなかった。  
ため息と共にぽつりと、思っていたセリフが口から漏れる。  
「……なあ啓一」  
「どうした?」  
「お前、この間あいつを……坂本をフッたんだってな」  
「ん……ああ、まあな」  
「そうか。俺は恵さんにフラれたよ」  
「…………」  
「まぁわかってたことだけど、それにしても妙なフラれ方だったなぁ……」  
級友たちの喧騒が、どこか遠いところから聞こえてくる。  
俺と坂本の接点はこの双子の兄妹だった。  
俺と啓一、坂本と恵さんが親しい友達同士なのだ。  
そこで俺は何とか恵さんをゲットしようと、  
この前の休日に坂本に合同デートを持ちかけたのだった。  
綿密に計画を練って四人で行った水族館で、俺は恵さんに、あいつは啓一に告白した。  
結果は共に、あえなく玉砕。  
よくわからん断られ方をされて疲れ果てた俺は、同じような状態の坂本と  
ふらふら帰宅の途についたのだった。  
 
それからだ。俺と坂本の関わりが増えたのは。  
清楚で可憐な恵さんのような女性が好みの俺はあんなやつ眼中になく、  
それは向こうも同じはずだった。  
なのに今日のように、気がつけば顔を合わせて痛い目に合っている俺がいる。  
なぜだ。俺はあいつに何も悪いことしてないぞ。  
ひょっとして啓一にフラれた八つ当たりですかね。  
でも八つ当たりで人を蹴飛ばしたり殴り倒したりするのはどうかと思うんです。  
何とかして下さいよ、無敵の水野啓一さん。  
俺は心の中で親友に語りかけたが、啓一は何も言わずノートを広げている。  
そのときチャイムがなり、俺は思考を中断しておもむろにカバンの中身を出し始めた。  
 
 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇   
 
やっと放課後になり、俺はひとり帰り道を歩いている。  
啓一は部活だ。サッカー部のレギュラーは大変だな。  
俺も野球部員のはずなんだが、いつの間にか幽霊になってしまった。  
まぁうちはどこのクラブも地区の底辺で、大会とかでもろくに勝ったことがない。  
そのためあまり熱心に部活に励む者も少なく、俺のような帰宅部員が大量発生していた。  
「うーむ……どーすっかな」  
湿布の貼られた頬をさすると、まだ少し痛む。  
このまま家に帰るのも何となくためらわれて、俺はちょっと寄り道をすることにした。  
夕方前で混み始めてきた駅前にはゲーセンやカラオケが多く、こんなときに丁度いい。  
とりあえず馴染みのゲーセンにでも入ろうかと、俺がドアを開いたときだった。  
 
突き出された拳が男の左頬を射抜く。  
「――がっ !? てめえぇっ!」  
怒りの声をあげたそいつの横を通り抜け、女は二人目の男に飛びかかった。  
男は何とかその膝をかわしたものの、まともにバランスをくずしてその場に転んでしまう。  
その間に女は既に体勢を立て直し、三人目に向き直っていた。  
 
「…………」  
他の客の注目を浴びながらゲーセンの中で大立ち回りをやらかすそいつの姿を、  
俺は呆然と眺めている。  
なぜだろう。うん、なぜだろう。  
なんでこんなとこにあの戦闘民族の女がいて、他校の生徒と喧嘩してるんだろう。  
なんかカウンターの後ろで店員が電話してるし。もちろん百十番ですよね先生。  
まさかあいつが本当に暴行容疑で捕まる日がくるとは思わなかったが、  
俺には所詮関係のない話でしかない。  
それなのに、なぜだろう。  
気がつけば俺は後ろからそっと忍び寄り、坂本の腕をつかんでいた。  
「ちょっと何すんのよ――って佐藤 !?」  
「来い! 逃げるぞ!」  
俺はもう片方の手で落ちていたあいつのカバンを拾い、  
大急ぎで坂本を裏口に引っ張っていった。  
やつらの一人が追いかけてきたが、坂本が蹴りを入れひるませて店から脱出する。  
その勢いで人通りを一区画ほど走りぬけ、そこでやっと俺たちは立ち止まった。  
 
「――ハァ、ハァハァ……あーしんど」  
「ふぅ……」  
息を切らした俺とは違い、坂本はすぐに呼吸を整えて落ち着いた。  
さすがはアマゾネス。スタミナも人一倍あるらしい。  
あいつは安全を確認すると、俺に向かって口を開いた。  
「……なんであんたがここにいんのよ」  
「なんでって……寄り道してゲーセンに入ろうとしただけだぞ……。  
 お前こそ、なんであんなとこで暴れてたんだよ」  
不審そうに自分に向けられた視線も気にせず、坂本が返す。  
「プリクラの新作が入ったって聞いたから見に行ったのよ。  
 それなのにあいつら、女の子専用のコーナーにずかずか入ってきて――」  
「そんなの店員に言えよ……」  
疲れた声の俺に、あいつは当然のように言い放った。  
「だって気に入らなかったんだもん。体が勝手に動いちゃって」  
「やっぱ放っといた方が良かった……何このバーサーカー」  
「あ! 何よその態度 !?」  
怒ってにらみつけてくる女にうんうんうなずく俺。  
「……とにかく疲れたから俺もう帰るわ。じゃあな坂本」  
俺はそう言ってあいつに背を向け、歩き出した。  
 
……が、今度は俺が腕をつかまれる。  
「――ちょい待って」  
何すか。また俺、お前に殴られるようなことしましたか。  
左の頬を殴られれば右の頬も差し出せとか、そんな愛の溢れること言うんですか。  
疲労と不安の入り混じった俺の顔をじろりと見て坂本は言った。  
「あそこのお店に入ろ。奢ったげるから」  
「はい?」  
とうとう来たよ。事務所に連れ込んでボコにするアレ。  
原形を留めないほど顔殴られて、怪しい契約書にハンコさせられるやつですよね。  
ついにこの歳で俺の人生終わってしまうんですか。  
俺は生きる希望を絶たれ、げっそりとして坂本に引っ張られていった。  
 
レジの前でこちらを振り返るあいつ。  
「コーヒーと紅茶どっちがいい? あと何か食べる?」  
「じゃあ……アイスコーヒーで」  
俺はそう言って坂本を残し、先に手近な席に座った。  
逃げようと思えば逃げ出せるはずだが、間違いなく捕まってしまうだろう。  
坂本の脚力とスタミナは明らかに俺より上だ。  
俺は蜘蛛の巣に捕まった獲物の気分で、どっかりと椅子に倒れこんだ。  
「――お待たせ。……どうしたのあんた、目が死んでるわよ」  
ぐったりした俺を不思議そうに見つめつつ、坂本は湯気のたつコーヒーをすすった。  
「ほっぺたどう? あたしが思い切り殴ったから、骨ヤバいかもしれないけど」  
「幸いにも、折れてないみたいです……」  
「そう、よかったわね」  
怒りもせず、自然な様子でそう口にする坂本。  
落ち着いて俺と二人きりで話すこいつは、意外にもまともなやつに見えた。  
はっ、いかんいかん。騙されるな俺。こいつは混沌の破壊神だぞ。  
“よくもあたしの邪魔をしてくれたわね”とか言ってまた殴りかかってくるかもしれん。  
俺は静かに椅子に座り直し、アイスコーヒーのストローをくわえた。  
 
「…………」  
賑わう喫茶店の中、二人の静寂が続く。  
坂本は時折ちらりとこちらを見ては、様子をうかがっているようだった。  
半殺しにするべか、それとも皆殺しにするべか。そんなことを考えているのだろうか。  
なんかもうどうでもよくなって、俺はコーヒーの底にたまっていたシロップを飲み干した。  
蚊の鳴くような声が聞こえてきたのはそのときだ。  
「…………ね」  
「あん?」  
あいつはテーブルの上に視線を落とし、少し落ち着かない様子でもう一度言った。  
「――ありがとね」  
「え? 何がだよ」  
想像もしなかった礼の言葉を聞いて驚く俺。  
信じられないことに坂本は、言いにくそうにもじもじと言葉を続けた。  
「一応あんた、あたしを助けてくれたでしょ?  
 だからこれはそのお礼。別に変な顔しなくていいから……」  
「…………」  
何だろう。これは夢? 俺は幻覚を見せられているのかっ !?  
首を振った拍子に茶色の短い髪がふわりと揺れ、一筋が坂本の目にかかった。  
……こいつ見た目は悪くないんだよな。恵さんには全然及ばんけど。  
 
まさか相手も同じことを考えていたとはつゆも思わず、  
俺は自分のペースを取り戻そうと、冗談めいた口調で言った。  
「礼だって言うなら、何か別のサービスしてくれよ。ちゅーとか」  
「な、なななななっ !? 調子に乗るな、この馬鹿!」  
顔を真っ赤にして俺をののしる坂本。  
聞いたところによるとこいつは面食いでかなり惚れやすいらしく、  
あちこちの男にアタックしては啓一みたいにスルーされているそうだ。  
ひょっとして男と付き合ったことがないのかもしれないな、と思った俺は  
もうちょっとこいつをからかってみたくなった。  
「そんなに赤くなっちゃって……お前、ひょっとしてちゅーしたことないのか?」  
「ば、馬鹿にしないで! ちゃんとセックスだってしたことあるわよっ !!」  
突然大声をあげて立ち上がった坂本に、俺のみならず周りの客も動きを止めた。  
「…………」  
そこであいつは自分の発言に気づき、旬のりんごのようになって座り直した。  
「あ、どうもすいませーん。ごめんなさーい」  
そんな坂本を尻目に、へらへらと笑顔で周りに愛想を振りまく俺。  
うん、なんか調子が出てきたぞ。やっぱり俺はこうあるべきだよな。  
その後も会話は完全に俺が主導権を握り、俺は坂本を散々からかって遊んだのだった。  
 
赤い太陽が西に傾く中、俺と坂本は肩を並べて家路についている。  
聞いてみれば、こいつの家は意外とうちの近所らしい。  
よく考えたら同じ中学なんだから不思議ではないのだが、  
あの頃のこいつとはまるで接点がなかったから知らなかった。  
「尾崎って覚えてる? あの子、まだ安井と付き合ってるんだって」  
「へえ、まぁ仲良かったからな。健太郎のやつには気の毒だけど」  
「それがね、あの二人ったら――」  
共通の知人の話題で話が弾む。  
こちらを向いて喋る坂本の笑顔が、夕日を受けてほんのり赤く染まっている。  
やべ、ちょっと可愛いとか思ってしまった。  
落ち着け俺。今日もこいつに気絶するほど殴られたばかりじゃないか。  
君は被害者だ、このまま犯罪者に泣き寝入りしていいのか?  
 
「――んでさ、坂本は今付き合ってるやつとかいないの?」  
 
気がつくと、俺はそんな言葉を口走っていた。  
「…………」  
ジトーっという暗い目つきが俺に向けられ、慌てて身構える。  
やっぱり俺地雷踏んじゃいましたかね。今度こそ右頬ですか。  
だがそんな俺に、あいつは疲れた声を返しただけだった。  
「……あたしが啓一クンにフラれたの知ってるでしょ?  
 彼氏なんている訳ないじゃん……」  
普段のこいつからは考えられないような、弱々しい返事。  
俺はその言葉に促されるように立ち止まった。  
「佐藤……?」  
つられてあいつも立ち止まり、じっとこちらを見つめてくる。  
互いの距離はわずか一メートルほど。周囲に人影はない。  
俺たちを見ているのは沈みかけの赤い陽の光だけだった。  
 
吸い寄せられるように俺の腕が坂本の細い肩をつかみ、そのまま抱き寄せる。  
「さ……佐藤、何すんのよ…… !?」  
驚いた声をあげる坂本に構わず、俺は彼女を強く抱き締めた。  
「――俺たち、付き合わないか?」  
耳元に口を寄せ、自分でも思いもしなかったセリフを言う。  
おかしいな、俺おかしくなっちまったんだろうか。  
ずっと人外の化け物と思っていたプレデター相手に、まさかこんなことを言うなんて。  
しかし彼女は抵抗せず、それどころか両手を俺の背中に回して抱き返してきた。  
ぶつかりそうなほどすぐ目の前に坂本の顔がある。  
なぜか彼女の目はうるんで、普段とはまるで別の人間のように見えた。  
小さなつぶやきが、俺の耳にはっきり届く。  
「うん……いいよ……」  
俺がおかしくなったのと同じように、こいつも変になってしまったようだ。  
不意に笑いを漏らして俺が言う。  
「フラれたやつ同士、か……よく似てんじゃね? 俺たち」  
「うん、空回りしてるとこなんて特にね」  
「なんだ、自覚してんのかよ……」  
「何よ……何か言いたいわけ?」  
軽く目を吊り上げた坂本の唇を、俺の口が塞ぐ。  
「んっ……!」  
初めて触れたこいつの唇は思ったより柔らかく、やっぱり女の子だった。  
いきなりちゅーして怒るかとも思ったが、向こうも満更ではないらしく俺を離そうとしない。  
そのまま俺たちは、息が苦しくなるまでキスを続けた。  
 
やっと顔を離したのは三十秒後か一分後か、よくわからない。  
至近で互いの目を合わせると、何となくこいつの気持ちがわかる気がしてきた。  
「ふふふふ……」  
また笑いがこみあげ、我慢できなくなる。  
坂本もそんな俺を見つめ、可愛らしい顔で笑い始めた。  
「あはははは……」  
「ははは、俺たち何やってんだろうな? はははは……!」  
「ホントねー、何やってんのかしら……あははははは……!」  
おかしくてたまらないといった感じで、似た者同士は笑い続けた。  
 
こうして、俺に色々と大変な彼女ができました。  
 

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