あれは、俺が大体10歳、陽華が5、6歳位の時だったろうか。
リビングで二人して、ただぼーっとテレビを眺めていた。
両親と上の兄がたまたま出かけていて、テレビを何時間見ようと咎める人が居ない。
それを良いことに、20時過ぎても、俺たちはテレビにかじり付いたままだった。
とは言っても特に見たい番組がある訳でもなく、チャンネルを適当に替えること数十回、結局は何かの連続ドラマに落ち着く。
ストーリーはよく憶えていないが、メロドラマであったことは確かだ。
当然のことながら、唐突にラブシーンが始まる。
「にーさんにーさん」
チャンネルを替えようとリモコンに手を伸ばした手が、くいくいと引っ張られる。
「あれ、なに」
陽華は熱い口づけを交わす主人公らを指差して、純真な眼差しで俺に問いかけてきた。
「あれはキスだよ」
「キス?」
「好きな人同士は、あんなことをするんだって」
「ふうん」
生返事を返しながら、熱心に画面に食い入る陽華。
俺はと言えば、今さら番組を変えるのも気がひけて、気まずい思いを抱えたまま彼女とテレビを交互に見ていた。
「じゃあ」
突然、振り返り身を乗り出す陽華。
彼女の顔がぐっと接近してきた。
「わたし、にーさんとキス、するね」
「ええと……」
俺は顔を逸らしながら、彼女を押し止める。
「陽華、それはまずいと思うよ」
「どうして?
わたしはにーさんのことが好きで、にーさんもわたしが好き。
問題はないと思うわ」
「うーん」
俺自身、何が問題なのか良く判っていなかったが、それでも近親相姦への忌避感は、多少身についてはいた。
貧困な知識の中から、彼女を納得させられる良い言葉を考える。
「この"好き"って意味は、僕たちが互いを"好き"って言うのとは、ちょっと違う。
長い人生で、一番大切に思える人に対してしか、キスはしちゃいけないんだよ」
「わたし、にーさんのこと、とーさんやかーさんや大にーさんよりも大切で、世界でいちばん大切だと思ってるけど」
ちなみに"大にーさん"とは、俺の7歳年上の兄のことだ。
「うん、僕も陽華のことは、世界で一番好きだよ。
でも、僕も陽華も、将来それよりずっと好きな人が出来ると思う。
本当の"一番好き"は、その時の為にとっておくべきなんじゃないかな」
「にーさんより好きなひとができるなんて、想像できないわ」
けど、と言いながら陽華はすっと身を引いた。
「にーさんに、わたしよりキスしたいひとがいるなら、仕方がないね」
陽華は憮然として俺から身を離すと、チャンネルを替えてしまった。
どうやら姫の機嫌を損ねてしまったらしい。
俺は苦笑しつつ、離れた陽華の方に近付くと、そっと彼女の頭を抱き寄せた。
繊細な髪を掻き分け、真っ白な額に口を寄せる。
「……あ」
「唇同士は無理だけどね」
それだけでたちまちむくれ顔が緩み、頬を赤く染める彼女が愛しい。
俺は彼女を抱き寄せたまま、羽根のようなその身を抱えて、膝の間に座らせた。
「今は、僕にも陽華より好きな人なんて考えられない。
僕は陽華が好きで、陽華も僕が好き、それで問題ないように思える。
けど、家族って、あらかじめ与えられたものでしかないから、いつかは自分で選ばないといけないんだよ。
与えられたものに縋ったままだと、それは幸せなことなのかもしれないけど、成長もないし、新しいものも始まらない。
自分から選ぶ"大切な人"は、きっと新しい世界に繋がっている。
僕は前に進みたい。大切な人を見付けて、新しい自分になりたい。
陽華にも、幸せになるだけじゃなくて、素敵な女性になって欲しいんだ」
「……うん」
陽華は頬を赤く染めたまま、じっとして俺に頭を撫でられていた。
「にーさん」
「なに?」
膝の上で、少女はポツリと呟いた。
「私にもいつかできるかな。いちばん大切なひと」
「きっと、できるさ」
そんなこんなで大体10年が経って。
俺たちは、リビングでキスを交わしていた。
「……ん」
唇と唇を合わせ、時折歯茎が当たる程度の、軽くて長いキス。
どちらともなく唇が離れ、陽華ははあと息を継いだ。
「えへへ」
「何か可笑しい?」
へらりと笑う陽華の髪を撫でる。
「可笑しくはないわ。嬉しいの」
陽華は小さな頭を俺の胸に預けた。
「一緒にいられることが、にーさんとキスできることが」
「俺は一概に嬉しくないかな」
「どうして?」
「父さん達が生きてたら、こんなことはそうそう出来ない」
罪悪感はまだある。きっと一生ついてまわる。
何より、もう陽華との関係で許しを請うことすら出来ないのが、哀しかった。
陽華も寂しそうな顔で俯く。
「けど、とーさんやかーさんが生きてても、私はにーさんを選んだと思うわ」
「俺はちょっと、陽華を選んでたかどうか、自信ないな」
「そうなの?」
陽華、若干不満げな顔。
「世間体ってのも、あるけどね」
あの地震が起きた日。
胸の中にいる少女の存在がなければ、他の家族を置いて、潰れた車から脱出しようなどとは考えなかっただろう。
二人だけ生き残り、状況が飲み込めず呆然とする陽華を抱きしめて、俺は泣き叫ぶことしか出来なかった。
あの時、腕の中の温もりだけが、この世でたった一つ、確かで、揺ぎ無く、もっとも尊いものだと思えて。
その想い出があったから、俺は世間にどう見られようと、この少女と人生を共にする覚悟が出来たのだ。
「にーさん」
「ん?」
「にーさんは、誰か他の人を好きになった方が、幸せになれたのかしら」
「俺は今、幸せだよ」
俺は陽華のさらりと流れる黒い髪に、顔を埋めた。
シャンプーの良い香りがする。
「私は結局、にーさん以外を好きになれなかった。
好きな人を選び取って、新しい家族を作って、別の世界と繋がることが出来なかった。
素敵な女性に、なれなかった……」
「そんなことない」
俺は、泣き出しそうにしている小さな少女を、強く抱きしめた。
「陽華は変わったよ。
友達を作って、色々なものを体験して、自分の夢を見付けた。
陽華といるから、毎日が輝いて見える。生きてて良かったって、思える」
「……うん」
「それに」
俺はそっと陽華の後ろに回りこむと、小さな二つの膨らみに触れた。
小さく声を漏らしながら反応する陽華。
「こことかは、少し変わったね」
「ん……。お、大きさは、あんまり、変わってないよ」
「感度はよくなった」
両の胸を弄りながら、長い髪を掻き分けてうなじに吸い付く。
陽華は真っ赤になりながら、俺の頭を抑える。
「に、にーさん。こういうことは、ベッドの上でするものよ」
「それもそうか」
顔と手を離す。
少し名残惜しい気もしたが、本格的に始めるとなると、避妊具だけは取ってくる必要がある。
「それじゃ……する?」
陽華は上目遣いで訊ねた。
俺は頬に軽くキスして、身を離す。
「先に部屋で待ってて。シャワー浴びてくるから」
シャワーを浴び、若干緊張しながら自室に入る。
待っていたのは微かな寝息と、幸せそうな寝言だった。
「やれやれ……」
時を経ても、変わらないものもある。
どんな状況でも寝れる特技というべきか悪癖は、いつまで経っても直らない。
性欲より睡眠欲を優先するのは、生物として自然な姿だろうが。
「にーさんのにおい……」
顔を枕に埋めてにへらと笑う彼女の頭をそっと撫でる。
眠りは深く、起きる気配はない。
たぎっていた部分が、下着の中で急速に萎んで行くのを感じる。
寝込みを襲うような趣味はなかった。
「おやすみ、陽華」
俺は温かな少女を抱きしめて、眠りに落ちた。