「お、おのれ狼藉者! 許さぬぞ!」  
ミルファーシアは樫の古木に蔦で縛り付けられながら、高く澄んだ声で叫んだ。  
 
ここはエルフたちの住まう、深く暗き森。  
古から変わることなく続く日々も、まだ数百年を閲することもない、  
若いエルフたちにとっては、それなりに変化に富んだ刺激的な日々と映る。  
とある一日、彼女らの居留地に一人の侵入者が迷い込んだときも、  
ミルファーシアにとっては、そうした些細な刺激以外の何者でもないように思われた。  
 
恐れ知らずにも森の主たるエルフの領域に足を踏み入れたのは、  
近隣の貪欲な領主が派遣した、金属鎧に身を包んだ厳めしい騎士たちでもなければ、、  
地の底から現れ、古木を何の敬意も払わずに切り倒すドワーフの群れでもなかった。  
彼女の服装とやや似たところのある、暗緑色の軽装のみを纏った、  
小さな荷物袋一つしかもたない、一人のただの人間。  
若干110歳にして、この方面の守備隊を預かる俊英のミルファーシアにとって、  
ごく簡単に脅して退散させられる相手と見えた。  
 
ただ、この森の深くまで、何の武器も手にせず、疲れた様子すら見せぬ男の姿に、  
警戒を抱くべきであったとは、若い彼女には酷な注文であったろうか。  
そしてまた、男がエルフたちすら及ばぬほどの、およそ人間にはありえない長身痩躯で、  
その足取りが、草の一本すら踏み折らぬ宙を舞うような軽い足取りであったことにも。  
 
彼女が最初に警告のつもりで足元に放った矢を見て、男は恐れる様子どころか、  
木々に隠れて射たはずの彼女を迷いなく見つけ、あまつさえ、軽く微笑みさえした。  
まるで児戯をあざ笑うかのように。  
次に警告もなしに放った束縛の魔法は、森の守備隊の中でも魔力の高さでは指折りである  
彼女の得意中の得意の術であり、手練れの先輩たち以外でこの術を逃れえた者はいなかった。  
その万全の自信を持って放ったはずの術が、男が手を一振りしただけで、  
術者であるミルファーシア自身に跳ね返り、逆にいともたやすく、彼女の自由を奪った。  
 
信じられなかった。  
対抗魔法を唱えるでもなく、わずかな動作だけで魔法を操るなど、彼女の知るどんな魔法体系にも  
存在しえない技であった。  
弓も魔法も、人間なぞ歯牙にもかけぬとの自負を持つ彼女にとって、  
それだけでも恥辱のきわみであった。  
その上、、男の端正な表情に浮かぶ穏やかな笑みが、これがまったくの戯れに過ぎないと  
宣告しているようで、いっそう彼女の自尊心を傷つけた。  
 
「早く術を解け! この下種!」  
必死に身をよじりながら痛罵する彼女に、男の相貌の中でも、強い印象を残す切れ長の瞳に、  
一瞬面白がるような色が浮かぶ。  
「やれやれ。まさかこの身が下種と呼ばれる日がこようとは。  
母なる女神もご照覧あれ。今、私は運命の神すら予言しえぬような、とんでもない事態に  
立ち会っておるようです」  
おどけて独り呟く男。その言葉は、完璧な発音のエルフの言葉だった。  
いや、歌うように言葉をつむぐ、と言われるエルフの耳にも、  
それは古い詩歌のごとき荘厳な抑揚をもって響く。  
ここまでエルフの言葉を完璧に、流麗に唇にのぼらせることができる者を、彼女は初めて知った。  
 
「この距離まで近づいても人との区別がつかぬところからみるに、  
この地の幼子たちは、我らのたぐいと遭遇したことが、未だないと見ゆる。  
まあ仕方あるまい。我らもその数をずいぶんと減じた。  
上古の時は遠く過ぎ去っていったのだ」  
ミルファーシアをやわらかく見つめながら、しかしどこか独り言めいて男は呟いた。  
「五月蝿い、闖入者如きが大層な戯言を」  
「ところで幼子よ。私はこれでも、招かれてそなたらの集落まで出向いたきたのだよ。  
 賓客としてもてなせとまでは言わずとも、弓矢と術もて出迎える法はあるまい」  
「招かれた、だと! 莫迦な事を言うな。ここ十数年、人間たちとは一切交流を断っている。  
 そのような虚言を弄すな」  
「そう言われてもな。そなたらの領主のフォリィに呼ばれたのだから仕方あるまい」  
 
「……な!!」  
今度こそミルファーシアは怒りと驚愕に絶句した。  
この森の領主の名は、フォルディシア。フォリィとは確かに彼女の愛称である。  
ただし、そのような呼びかけは、非常に親しい恋人、それも目下の幼いものに  
対してかける、寝所での睦言に近い類のものであった。  
「ご、ご領主をそのように呼ぶとは、失礼にもほどがるぞ貴様!!」  
「やれやれ、問答にもならぬなあ。そろそろ飽いてきたぞ、幼子よ」  
赤面して怒鳴る彼女の姿に、男はやや呆れたような視線を送っていたが、  
やがて悪戯を思いついた子供のような、邪悪な笑みをにんまりと浮かべた。  
彼女の背筋に嫌な予感が走る。  
 
「幼子よ。こうしてこちらが穏便にすませようと言葉を連ねているのに、  
無知なそなたは一切聞き入れようとせず、眼の前に在るのが如何なる存在か、  
推し量ることもできない。  
それではいくら幼子とは言え、森の守り手の一翼として、あまりに不甲斐ない。  
幼子よ。ならばその身をもって、我が何者であるか、体感するがよいのではないかな」  
軽い口調で不吉な言葉を呟くと、男は右手を差し上げ、ゆっくりと彼女へと伸ばす。  
 
その細く長い指先に、しなやかな二の腕に、月光を映したような銀光が浮かび、  
そっとまとわりつく。  
「な、何だその魔法は」  
「魔法ではない。我の存在の、まあさわりのようなものだ。  
 上古の法悦。少々味見してみるとよい」  
銀光を纏った指先を、ミルファーシアの胸元近くで、いらうように軽くゆらめかせる。  
「ひうっ!!」  
その瞬間、彼女は大きくのけぞった。  
男の指先は彼女の身を覆う皮鎧にすら触れていないのに、その下に秘められた、  
若く、エルフにしては豊かな胸に、確かに彼女は男の指先を感じたのだ。  
じらすような、掌で宝石を転がすような、何気ない最小限の指の動きは、  
しかし確実に彼女の性感を探りあてていた。  
「んあっ、や、やめろ! やめろぉ」  
わずかに数度胸の上で指が行き来しただけで、彼女の白い肌はうっすらと赤みを帯び、  
まだ誰にも触れさせたことのない薄桃色の乳首は、痛いほどにしこり立ってしまっている。  
 
「ふむ、初物かな幼子よ。の割りには敏感であるな。うむ。結構、結構。  
 そなたらは性の営みにちと奥手になりすぎるきらいがあるから、  
 それくらいの方がよい。あれでは子が増えぬ。」  
男が、妙に温かみのある声で論評を加える。それがさらに彼女の羞恥心をあおり、  
先ほどとは別の理由で、尖った耳の先まで、ほの赤く染めてゆく。  
「ば、莫迦なことを言うな! 経験くらい、あんっ!」  
彼女の精一杯の強がりに小さく笑うと、最後まで言わせることなく、  
男は指先を、触れれば折れそうな危うさの鎖骨、白く長い首筋の上へと移す。  
その柔らかな感触すら、たまらなく甘美な刺激を彼女に与えてゆく。  
「敏感そうなのでな。初物であまり強い刺激は酷であろうから。  
もうちょっと無難な所から開発してしんぜよう」  
「か、開発するなぁ! ひゃうっ!」  
 
彼女の抗議は当然のように無視され、繊細なおとがい、そして鋭く天をさす左耳に、  
ゆっくりとした銀光の愛撫は加えられ続けてゆく。  
「み、耳はダメ! ダメだったらぁ!」  
腰が砕けそうになるような甘い刺激に、拒絶のはずの言葉に甘い響きが混じる。  
しかし、彼女は必死に耳への刺激だけは拒もうとしていた。  
眼差しも鋭さというより、年齢相応の幼さと怯えを秘めて、濃青の瞳の端に、  
涙が滲んでくる。  
「耳が感じるというのは、別段恥じいることでもあるまい?  
 成熟した女性であれば、ここは喜ばれる部位だぞ。我の経験からすれば」  
男は不思議そうに、まったく的の外れた返事を返すと、執拗に耳の先の近くで  
指をゆらめかせ、彼女にたまらない快感を送り込んでくる。  
もう、限界だった。  
 
「だ、ダメダメダメぇ! 耳弄っていいのは旦那様になる人だけなのぉ!  
 もうダメ、ダメなのぉ! やああぁぁぁぁ!!!!」  
蓄積された快感が限界を突破した。脳が銀白色の光に塗りつぶされる。  
「ひゃぅぅぅ……」  
股間から温かい飛沫が流れ出すのを感じながら、  
ミルファーシアは初めての絶頂に意識を手放した。  
 
「……そういえば、このあたりの子らの習俗では、  
 耳への愛撫は、身も心も捧げた相手にしか許さなかったのだったか。  
 ……いや、あまりに久しかったもので失念していた。  
 失敗失敗」  
まだ銀色の光が残る指先で頬をかく男。  
戯れに身にまとった変化の術が、自らの神威を帯びた光に触れて解けてゆく。  
ミルファーシアと似た、鋭い耳と、美しく鋭角的な容貌が露になる。  
上古の銀のエルフの上級王を父とし、  
秋の植物を司る女神を母とする、  
いまや地上に残された数少ない半神、上のエルフの上級王の最後の係累は、  
未だ呪縛の呪文のために、木にもたれかかったまま、倒れることもできずに  
失禁して喪神したままのエルフの娘を前に、困った顔で立ち尽くしていた。  
 
 
この森の領主フォルディシアが、森に新たな血を加えるため、  
彼女の娘であるミルファーシアを始めとする若い娘たちに、  
かつて彼女に子種を授けた彼を娶せようと招いたのだということは、  
ミルファーシアも、そして神の血を引く彼ですら、  
それを知るのはもう少しだけ後のこと。  
 
『銀の手のベヴァーレルと弓手のミルファーシアの物語』  
 
 

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