「弱ったなぁ。こんな森の中で道に迷ってしまうなんて」  
 青年は呟く。  
 陽は落ち、辺りは月明かりだけが僅かに差し込む――そんな状態で歩き回るのも危険。  
 運良く川を見つけたので、今日はこの畔で休もうと火を焚き、体を温めているのだ。  
 
「ここは一体何処なんだろう?」  
 青年の心に、不安からある噂が頭を過ぎった。  
「そういえば昔から、森の奥には人食いエルフがいて、迷い込んだ人間を丸齧りにしてしまう、って……」  
 と突然、強風が吹き木々が激しくざわめく。  
 それに思わずビクっと反応してしまう青年を、まるで嘲笑っているかのようだ。  
「――うわぁだめだめ、そんなこと考えたってどうしようもないってば」  
 自分に言い聞かすようにして、青年は横になった。  
 
 静まり返る森。  
 聞こえるのは川のせせらぎと、焚き火の粉が弾ける音だけ。  
 青年はウトウトとし始めていた。  
「……」  
 ガサッ。  
「ビクッ!」  
 突然の物音に目を開けた青年が、慌てて起き上がると……。  
「フゥゥウウウウ――」  
「あ……お、お、狼だ……!」  
 
 驚きのあまり尻餅を付く青年。  
 ――囲まれている。数十匹に。それもどう考えても、自分を食べようとしている 。  
 動こうとしても動けない。  
「も、もう……だめだ」  
 青年は首を項垂れた。体はガクガクしているが、心は既に諦めと覚悟を決めてしまったようだ。  
 ジリジリと近寄ってくる、その影が地面に映る。  
 
「お前たち、お止し」  
 女性の声。  
「?」  
 辺り一面から生温い息遣いが一斉に退いて行くのを、青年は感じた。  
 相変わらず顔を上げることは出来なかったが。  
「ふふ――一斉に匂いを嗅ぎ付けるから何事かと思えば、人間がいるとは」  
 その声は重みはあったが美しく澄んでおり、こういう状況でなければ誰しも聞き惚れるほどだった。  
「――それも若い男。女衆にみすみす渡すには惜しいな」  
 
 青年は恐る恐る、顔を上げる。  
 そこに立っていたのは、若さを残しつつも洗練された美しさを持つ女性。思わず見惚れてし まう。  
 顔だけではない。アマゾネスのような軽装かつ露出度の高い纏いからは、誰の目も釘付けにするほどのプロポーションが窺える。  
 癖のある金髪が開いた胸の谷間を強調し、括れた腰を大胆に見せつけ、短い腰布のスリットから覗く太腿は、長い足を美しく映す。  
「少し、話でもしようじゃないか」  
 そういって、正体不明の女性は青年へと歩み寄る。  
 
「あ……あ、あなたは、僕を、食べようと?」  
「安心しろ、大人しくしていれば危害は与えない――尤もあの子らを見れば、そんな気は起きんだろうが」  
 青年はその気配を再認識した。少し距離を取ってはいるが、先刻の狼が周囲を取り囲んでいる。  
 ――逃げ出すのは無理だ。大人しく従うしか……。  
「しかし、人間など焼いて食っても美味くはないぞ。まぁ人を近付けないようにするには都合が良いか」  
「え……? そうなんですか?」  
「ああ。ただこの辺りには野生の狼も多い。人間が生きたまま、こんな所にまで入り込んでくるのは珍しいのさ」  
「じゃあ、あなたはエルフ――?」  
「お前たちの認識からすれば、そうなるだろうね」  
 
 話を重ねるごとに青年の緊張は解れてきたが、腑に落ちない点はあった。  
 ――何が目的でこんなことを……?  
「ん? 何だい?」  
 ハッとして女エルフを見ると、彼女は狼の一匹と話をしていた。長い耳が、ぴくぴくと動いている。  
 不覚にも、可愛いと一瞬思ってしまう青年。  
「……なるほど、分かった。行きな」  
「どうしたんですか?」  
「残念だけど、早くもマーシィに嗅ぎ付けられたようだ。お前には悪いが、事を済ませてしまう」  
 
 女エルフは徐に立ち上がると、間髪置かずに目の前の相手に近寄り、唇を奪った。  
 突然のことに何が何だか分からない青年。しかし、あまりにも中毒性が強いそのキスに、抵抗など出来ない。  
「ぷは……ぁ」  
「は、はぁ、はぁ……な、な――何するんですか!?」  
 声が上ずった青年に、女エルフは涼しい顔で答える。  
「さっきは半分嘘をついていたね。私たちは人間を――別の意味で食うことはある」  
 女エルフはそう言ってもう一度キスをすると、ゆっくりと青年の上へ体を預けていった。  
 
「ん……あっ」  
 青年の理性は既に飛び、残るは男である本能のみ。  
 それはまるで先刻までの弱々しさが嘘であるかのように、積極的かつ情熱的である。  
 そして艶かしい肢体は彼が今までに会ったどんな女性よりも美しく、白い。  
「いや……ぁ」  
 女エルフが体を捩る様が、より一層の性欲を掻き立てる。  
 淫靡でありながら背徳感をも感じる――それは二律背反とでも言うべきか。  
 青年の手を自らの胸へと導き、舌を絡ませ、進んで彼の理性を奪った彼女のリードは、いつの間にか奪い返されていた。  
「は……ぁんっ……」  
 時々覗かせる成熟しきれていない幼さが、また青年を熱くする。  
 そうして胸、背、腰と這わす指は、若干のこそばゆさと共に尽きぬ快感の燃料となり、耳や首へと甘く噛みを入れれば、その息遣いと触れる髪のやはりこそばゆさが、何とも言えず感情を湧き上がらせていく。  
 
 二人は激しく絡み合い、その都度一枚、また一枚と纏う物を取り去り、その肌を近付けていった。  
「い……きます」  
「くぅっ……!」  
 お互いに生まれたままの姿で、二人は完全に密着した。  
 そしてこれ以上ない、というほどに強く抱き締める。  
「ふぅ……、はぁ……」  
 何のやり方を学ぶでもなく、人間とエルフは本能的に繋がり、そして体を動かす。  
「あっ……あ、はぁっ……」  
 そして二人の結びは絶頂という形で完成を迎える。  
「で、出る……!」  
「――あぁぁあっ!!」  
 
「……一足遅かったか。まさかもう手ェ付けたなんて」  
 狼の群れと共にやってきた黒髪の女性――その目の前にはぐったりと横たわる青年と、彼女と同じ長い耳を持つ金髪の女エルフ。  
「採集は美味しそうな野菜・果物を見つけたら、独り占めはダメだがつまみ食いは許されているだろ?」  
「ちょっと前までは食わず嫌いの処女だった癖に、あーあつまんないの」  
 そう言うと、踵を返して駆けて行く女性。  
 その姿が見えなくなってから、女エルフはそっと言った。  
「マーシィは見ての通り、獲物には見境がない。お前だって元気そうにしてたら搾り取られるところさ」  
 青年は横になったまま、苦笑いを浮かべる。  
「さて……と」  
 女エルフは立ち上がり、裸のまま川へと入って行った。  
 
「あのー」  
「何だい?」  
「どうして、こんなことを?」  
 青年は疑問を口にした。  
「……これが私たちの決まりごとなんだよ。発見した者は共有物だけど、最初に手を付ける権利があるのは私さ」  
「共有物って……」  
「ああ。私はこれからお前を連れて行かないといけない」  
 禊をしながら、女エルフは淡々と言った。  
「そ、そんな……!」  
 
 どうにかならないのか、青年は哀願した。しかし、女エルフは首を横に振った。  
「お前を逃がすかどうかは、リーダーが決めること。ただ捕まった人間は、大半は性家畜だね」  
 冷たい宣言だった。  
「私たちは生涯に一度しか子を得ることが出来ないし、それ以降に性交を行っただけでも死ぬ。ただ、人間は例外なんだ」  
「あなたも……?」  
「別に好きでやってる訳じゃないよ。マーシィなんかに後れを取りたくないだけさ」  
 あっさりと言い捨てられて、青年は肩を落とす。  
 ――何だよそれ……。  
 
 二人は禊を済ませ、衣服を着直した。  
「……」  
「……」  
 両者とも、無言になっていた。青年は絶望の淵に立たされ、女エルフは……。  
「……じゃあ、行こうか」  
「……」  
 狼に囲まれるようにして、歩き出す。  
 まだ夜も深く、道はほぼ暗闇だったが、狼はともかく女エルフも目が利くらしく、進む足に戸惑いは一切ない。  
 青年は松明を持って、その後をとぼとぼと追いかけていく。  
 
 随分と歩いてきたところで、狼たちの様子がおかしいことに気付く。  
 一匹が女エルフの元へと駆け寄る。  
「……」  
 何と言っているのか、青年には聞こえない。  
「……分かっているね?」  
 その言葉を聞くと、狼はワン、と小さく返事をしてその場を離れた。  
 そして間もなくして、一行の足が止まる。  
 
「さあ、ここを真っ直ぐ抜ければ、森から出られるはずだよ」  
「!?」  
 青年は突然何を言い出したのかと思った。連れて行かれるのではなかったのか。  
「どうした? 早く行きな。心配しなくてもこいつらは私を慕っている。口を割ったりはしないさ」  
「でも、連れて行かないとあなたが……」  
「なぁに、調子に乗ってヤリ殺してしまいました――とでも言っとけば良い。それに、元々女衆なんて性欲塗れの連中さ。あんな奴らの為に、お前が犠牲になることはないよ」  
「……あ、ありがとうございます!」  
 青年は思わずそんな言葉を口にしていた。  
 
「あ、あの……最後に、名前だけでも」  
「ああ、そういえば言っていなかったね。でも、また会いにでも来るつもりかい? 次こそ庇ってやれなくなる――やめておきな」  
 そう言って、女エルフはぷいと背を向けた。  
「……」  
「……正直なところ、情が移ってしまったのかもしれないな。まぁ、良いさ――私の名は、リコリス」  
「僕はピートです。本当に、ありがとう」  
 ピートはそう言って、その場を後にした。  
 最後に一度だけ振り返ってみたが、そこにもうリコリスの姿はなかった。  
 
終わり  
 

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