どんどん幅が狭くなる石畳の小道を少年は進む。  
いくつもの角を曲がり、方向感覚がおかしくなりそうな頃に彼は突然ぽっかりと空いた小さな広場に出た。  
建物の石の壁に囲まれたそこは街中とは思えない静けさに覆われていた。  
その広場の一角に面して小さな教会がある。  
いつものように彼は広場をかけて横切り、教会の扉を静かに開けた。  
 
 静寂に満ちた教会、街には他に大きな教会がいくつもあり神父が常駐していないこの教会を訪れる人はほとんどいない。  
今日も礼拝堂の祭壇に向かって並ぶ椅子に腰掛けている人物は一人しかいなかった。  
「シスター・ルテリア、こんにちは。」  
「こんにちは、トラスくん。」  
少年が挨拶の言葉をかけると振り向いて応じる彼女。  
彼より頭一つ高い肢体を紺色の修道着で包み、気品高い美しさを放つ金色の長髪も同じように紺色のベールで覆っている。  
彼女はルテリア、22才と年若いがこの教会の管理を務める修道女である。  
それとともに少年の教師の一人でもあった。  
 
 少年の名はトラス・フィデアラス、この街の政治をつかさどる貴族の一つ、フィデアラス家の次男である。  
跡取りではない彼は甘やかされて育ったこともあり、かつては勉学に身を入れず悪友と町に繰り出すことが多かった。  
素行が悪いといってもまだ12才の少年であるからたわいもない戯れであったが、将来を心配した両親は毎日屋敷を訪れる  
家庭教師の他に、週に二度教会を彼自身に訪れさせ神学と礼儀作法を学ばせることにしたのだ。  
そしてトラスの教師となったのが、若くして小さいといえども教会の管理を独りで任せられる才をもったルテリアだった。  
 
 2人はそのまま歩みを進め、祭壇の前に並んで跪き両手を組む。  
そして祈りの言葉を口から発し始める。  
勉学の前の神に対する祈りもいつもの習慣だった。  
そしてこの瞬間はトラスにとって楽しみなひと時でもあった。  
 
 閉じられた瞼を開き、こっそりと横を窺う。  
その瞳に映るのは瞼を閉じ祈りを唱えるルテリアの横顔だった。  
 きめ細かい白肌の頬に麗しく整った鼻梁。朱色の口唇は小さく動いて祈りの言葉を紡ぎ出している。  
閉じられた瞼、その左目の下に縦に二つ並んだ小さな黒子が整った顔立ちに色気を醸し出していた。  
視線を下に移すと、ゆったりとした修道着の上からでもくっきりと形が見える双乳が目に飛び込む。  
思わず喉を鳴らしてしまうトラス。  
 
「こらっ!ちゃんとお祈りをなさい。」  
ルテリアはその音を聞きつけると、瞼を開き切れ長の瞳を彼に向けて窘める。  
「ご、ごめんなさい。」  
トラスは顔を真っ赤にさせて謝る。その表情に笑いを漏らすルテリア。  
彼らのとっての変わりもない日常の一コマだった。  
 
そう、この日までは……  
 
 
「シスター・ルテリア、ありがとうございました!」  
「気をつけてね。宿題もキチンとするのよ。それではまた明後日ね!」  
そうしてルテリアに別れを告げたトラスはすっかり暗くなった路地を駆ける。  
雲に遮られた僅かな月光しか届かないとはいえ通い慣れた道だ。彼は全く恐怖など持たずに家路を急ぐ。  
 
 大通りへ抜ける路地を走るトラス。  
「はぁ……ふぅ……」  
その時彼の耳に妙な声が聞こえた。  
足の動きを止め、辺りを見回す少年。  
「ひぅ…あ……」  
声は前方から発せられているようだ。  
トラスは恐る恐る歩みを進める。  
「あふぅ……おぉ……」  
しばらくすると、暗がりに立つ人影が声を発しているのがわかった。  
音色は女性のもの、それも苦しそうな声だ。  
そう感じた彼は人影に近づき声をかける。  
「どうしたんですか?……具合でも悪いんですか?」  
「おおおぉぉぉっっっ!」  
返答は雄叫びのような声だった。  
 
 驚いて後ずさるトラス。  
その時、雲が晴れ月光が辺りを照らした。  
「うあっ!」  
トラスは明らかにされた人影の姿を目にし、思わず驚きの声を上げてしまった。  
 背の高い女だ。トラスの背丈は彼女の胸ほどだろう。  
そしてその胸、いや胸のみならずその肢体の全ては一糸纏わぬ姿で月光に照らされていたのだ。  
南の地方から町を訪れ興行を行う踊り子のような褐色の肌。桃色の乳輪、そしてツンと尖った乳首が目立つ大きな双乳。  
隠されるべき股間も曝け出されており、その黒色の繁みがクッキリとトラスの目に焼きつく。  
その股間に彼女は片手を当てており、よく見ると秘所とその指の間に粘っこい液体がアーチを作っている。  
 
「フフ、いけない子ね。お姉さんのイクところを見るなんて。」  
 笑みを浮かべてトラスに語り掛ける女。  
背まで届く長い黒髪。まるで猫のように黄色く光る瞳に全体として鋭さを放つ顔立ちは、褐色の肌と合わせて  
野生的な美しさをトラスに感じさせた。  
(こ、この女の人は何者なんだろう?なんでこんなところでこんなことを?)  
戸惑うトラス。  
 彼は悪友に連れられ街のいかがわしい一角に足を踏み入れたこともあり、娼婦の姿を目にしたこともある。  
路地裏でそういう行為に及ぶ光景も覗き見たこともあるが、この女のように全裸で見せ付けるように自慰を行う者は  
無論目撃したことはない。  
考えもしない光景を目撃した衝撃、そして未熟な彼でも興奮させられるような目の前の女の姿に目は釘づけとなっている。  
 
 そんな彼に近づき、女は片手で彼の顔に触れた。  
粘っこい液体がトラスの鼻筋につく。  
(うあああぁぁっっ、出ちゃうよ!)  
濃厚な女の香りを嗅がされ、興奮に耐え切れなくなった彼はいきり立ったペニスから精液をほとばしらせる。  
「あらあら、もう出ちゃったの?」  
鼻をくんくんと鳴らし、トラスの下着を汚した精液の匂いに気がついた女が笑う。  
「ねえ、ぼく?シスター・ルテリアのこんな姿を見てみたくはない?」  
 自らの手で胸を揉みながら女は驚くべきことを口にする。何故女はルテリアのことを知っているのだろう。  
だが、女の姿、そしてその甘美な誘いに心を奪われたトラスは疑問を持つことは出来ない。  
彼はゆっくりと頷いた。  
「やっぱそうよね、それなら優しいお姉さんが協力してあげる。この小瓶に入った私の愛液を彼女に飲ませなさい。  
そうすればシスター・ルテリアはあっという間に聖なる女から淫らな女になってしまうわ。」  
すると彼女は右手を秘所に差し込み、クチュクチュと音を立てながら掻き乱す。  
それにつられて繁みから垂れた雫を数滴、左手に持った小瓶で受け止めた。  
「さあ、手を出して。」  
そう言って差し出された女の左手に握られた小瓶を、トラスは受け取ってしまった。  
 
 
トラスが謎の女から淫靡な誘惑を受けている頃  
 
 教え子を送り出したルテリアは一人、教会の地下に足を踏み入れていた。  
暗闇に包まれた足元を手にしたランプで照らしながら歩みを進めていく修道女。  
しばらくすると錆付いた鉄の大扉に突き当たった。  
ルテリアの身の丈の倍以上はある大扉、彼女が掲げたランプの光に照らし出されたその表面には  
教会での儀式や祈りの際に用いられる神聖文字がびっしりと刻まれていた。  
 
「聖なる神、女神イシュテハスに申し上げます――」  
 
彼女はランプを足元に置くと、瞳を閉じて朗々と声を響かせる。  
 
「――神の御力で封じ賜いし魔人、その封印を――」  
 
魔人―  
遥かな昔、この大陸を支配した『帝国』が滅んだ後のことである。  
終わりのない戦乱、そしてそれに誘われるかのように『魔界』と呼ばれる次元の異なる異世界より襲来した  
『魔人』によってこの世界は混沌と暴虐に満ちていた。  
だが心ある者たちがやがて力を得て、後に英雄と呼ばれることになった彼らの長きに渡る戦いの末  
大陸に平穏が取り戻されたのである。  
 その後、彼らは大陸を幾つかの国々に分けて彼ら自身の手で民の為の政を行っていった。  
英雄の一人、『女神イシュテハス』を信仰していた女僧侶は戦乱で荒れ果てた人心の復興、親や子を失って悲しみに  
暮れ果てる人々の慰め、そして『魔人』の残党を屠るための宗教組織『イシュテハス教団』を設立した。  
 
「――封印の任を継ぐ四十と六番目の女――」  
 
それから幾百年  
 英雄達の子孫が王となっている、また国によっては民衆自身が政を行うようになった諸国家は  
多少の諍いはあるものの大体においては平穏な関係を保っていた。  
 そして『イシュテハス教団』も全ての国々に教会を持ち、数多の信徒を得ている。  
それと共に、未だ異世界より少数ながらも来襲する『魔人』の迎撃、さらにかつての戦いで討ち倒すことが出来ず  
封印するに留まった強力な『魔人』の封印の継続、もしくは消滅させる儀式の実行を図っていた。  
 
「――神の寵愛を賜い、その教えを修ずる女――」  
 
 真剣な面持ちで詠唱を続けるルテリア。  
彼女は『イシュテハス教団』で『魔人』を封ずる役目を担う特別な修道女、『封魔修道女』だったのである。  
この教会の地下に古より封じられている魔人の封印の継続が彼女の任務だった。  
若いものの学識豊かと人々に敬意を抱かれている彼女だが、その真実の姿はこの街の誰も知らない。  
また、教会の地下に『魔人』が封じられていることも長い年月の末、街の人々は忘れ去っていた。  
 
「――汝の夫であり妻であるルテリア・ザントロクスの身体より湧き起こりし聖力に応じて――」  
 
 ルテリアの首元に下げた十字架、そして青い修道着に包まれた下腹部、ちょうど臍の辺りから淡い光が生じる。  
彼女たちは『封魔修道女』は同性である女神『イシュテハス』との間に擬似的な婚姻の契りを交わすことで  
身体に魔を退ける聖なる力を宿すことが出来るのだ。  
『イシュテハス教団』が表立っては禁忌とし、また人々の常識でも受け入れることは出来ないであろう同性婚。  
それを神との間で交わされることが力の源である『封魔修道女』が人知れぬ存在であるのも当然であった。  
 
「――固め、年月により緩みし魔人の頚木を締め上げんとすることを我は望みます!」  
 
 ルテリアは叫び、首にかけた十字架を高く掲げる。  
すると彼女の身体を覆うほどになった淡い光が十字架に集まり、鉄扉目掛けて照射される。  
光を受けた扉に刻まれた神聖文字が燦然と輝き、闇を打ち払うような眩しさに辺りは包まれた。  
 
 
「シスター・ルテリア、こんにちは!」  
「っ!?……と、トラスくん……こんにちは。」  
 
 定期的に行わなければいけない封印をかけ直す儀式、それはルテリアの心身に大きな負担をかけるものである。  
明くる日は一日中床に就き体力と身体の中に宿される聖力の回復に専念していた彼女。  
だが、二日後トラスが再び教会を訪れたときにはすっかり元気な姿を取り戻していた。  
 その彼女は礼拝堂の扉を開けて姿を見せた教え子に対し訝しげな視線を送る。  
魔人を封印する結界の他に、教会の周りには魔を寄せつけぬ様に彼女が張った結界が存在している。  
封じている魔人を解放しようと他の魔人が襲来する可能性もあるために張っているものだ。  
彼女の疑念の理由。それはトラスが通り抜けた瞬間、その結界に僅かに震えが走った事だった。  
 
(……気のせいよね?)  
傍らに近づくトラスを見つめるルテリア。  
その肉体からは僅かに邪な気配は感じるものの、特に魔の気配は感じられない。  
(お酒でも飲んだのかしら?……それとも……肉の交わりを?)  
 強固に張られた結界には身を清めた聖職者しか通れないものもある。  
この教会にルテリアが張ったものはそこまで強固なものではないが、それでも酒池肉林というような  
乱れきった生活を送っている者は通ることは出来ない。  
(トラスくんもやんちゃな男の子だもんね。良くない事に興味を持ってしまうことがあっても仕方ないかしら。  
あとでそれとなく聞きだして窘めないと。)  
 
そう納得したルテリアが違和感の本当の原因、トラスの肩下げ鞄にしまわれている小瓶に気づくことはなかった。  
 
 
 
『教会を訪れる前の晩、グラス半杯でいいから蒸留酒を飲みなさい。』  
『理由はいいの、それと愛液はお茶に混ぜてシスター・ルテリアに飲ませない。そうすれば気づかれにくいでしょうから。』  
『この南方の茶、これをうんと濃く淹れて愛液を混ぜたものを彼女に飲ませるのよ。』  
 
 
「こらっ!トラスくん聞いてるの!?」  
頭の上から響く怒声に慌てて顔を上げるトラス。  
仁王立ちして怒りに顔を赤く染めた修道女の視線と真正面にぶつかる。  
「シスターがお説教しているのよっ!ぼぉーとしないで真剣に聞きなさい!」  
 
 ここはいつも修道女にトラスが学びを受ける教会内の書庫だ。  
机についた少年はあっという間にルテリアの誘導尋問に引っかかり、昨晩飲酒をしたことを白状してしまった。  
ということで勉学の前に、活発で明るいもののやはり倫理観は謹厳律直なシスター・ルテリアによる  
お説教が始まって既に長い時間が経っていた。  
 
(お酒を飲んだことは言っちゃったけど、あの女の人のことは言わなくてよかったぁ。)  
膝の上に載せた鞄、その中の小瓶を守りきったことで安心するトラス。  
「まだ酔いが残っているからぼぉーとしてるの!?そんな状態で神の家である教会に入るなんて  
女神イシュテハスに対してとても無礼なことよ!」  
頬を膨らまして声を張り上げるルテリア。  
その瞳がトラスがただ俯いているのではなく、鞄に視線の焦点を合わしていることに気づく。  
 
「うん?鞄に何か入っているの?……もしかして、良からぬ物かしら?」  
 
 ルテリアの冷たさを感じさせるような静かな声に心の中を跳ね上げるトラス。  
修道女の追求から逃れるため、そして淫らな欲望を成し遂げるために少年の口唇から  
嘘が混じった弁解が吐き出される。  
「い、いや、かばんの中にお茶が入っているんです!」  
「お茶?」  
「は、はい!お茶です。父から貰った……父が行商人から買った珍しいお茶です!な、南方のお茶です!」  
「はあ、南方のお茶ね。」  
「し、シスター・ルテリアに日頃のお礼として差し上げなさいって言われて、持ってきました!  
それを言ったのは父さんですよ!もちろん!」  
「うん、それで?」  
「で、だから、お、お詫びとしてぼくがお茶を淹れます!お、お湯はどこにありますか!?」  
「廊下に出て右に行った突き当たり、その右の扉が厨房よ。炉にやかんが掛かったままになってるわ。  
熾きが残っているはずだからまだ温かいと思うわよ。」  
「は、はい!すぐに淹れて来ます!」  
すぐに部屋を飛び出していったトラス。  
その慌てた様子に怒り顔だったルテリアは思わず笑みを零す。  
(ちょっときつく叱り過ぎたかな?でもトラスくんがお茶を淹れてくれるなんて面白い罪滅ぼしね。)  
 
 
 
「あれ?トラスくんのぶんは?」  
「あ、こぼしちゃったんです。」  
 椅子に座って待っていたルテリアの前の机に差し出されたカップ。カップとソーサーは別々の柄だ。  
カップには茶色の液体が入っているが、その底にはかなりの量の茶葉が沈んでいる。  
「……トラスくん、棚のカップの横に茶漉しがあったはずよ。」  
「えっ!?……網みたいなものですか?」  
「そう、お茶を淹れるときはそれを使うの。茶葉がこんなに入るなんておかしいでしょう?」  
「は、はい、メイドや母さんが淹れるお茶とは何か違うなって思ったんですけど、わからなくて。」  
 
 トラスの答えに苦笑しながらカップを手に取ったルテリアはその口唇に近づけていく。  
固唾を呑んで見つめるトラス。  
そして白磁と朱色の口唇が触れ合った。  
口唇の隙間から修道女の内部に注がれていく茶色の液体。  
 
 ふと彼女はカップを離し口唇を開く。  
「けっこう苦いね、このお茶。トラスくん、ちょっと濃く淹れ過ぎだと思うよ。」  
僅かに眉を顰めながら苦言を述べるルテリア。  
「ご、ごめんなさい。あの、お口に会いませんでしたか?」  
「そんなことないよ。今まで嗅いだことがない甘い香りがするし、もう少し薄ければおいしいお茶だと思うよ。」  
「そうですか、良かったです。」  
安心した顔つきのトラスが見つめる前で、お茶が再び口につけられたカップからルテリアの喉に流し込まれていく。  
 
――身体と心を侵す淫毒が、封魔修道女の喉に流し込まれていく。  
 
 
 

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