「川崎ぃ!遅いよぉ、何やってんの!」  
文化祭の片づけが終わった後。潰れかけた文芸部の部室に入ると、部活仲間の大船和枝が俺に怒号を飛ばした。  
顔は赤く染まり、呂律が回っていない。右手には、果物の絵が書いてある缶がにぎられている。そして、妙に酒臭かった。  
何か嫌な予感がしたので、俺…川崎喜一朗は、人間なら誰もが思うであろう当然の疑問を口に出す。  
「大船…何飲んだ?」  
「お酒。ほら、あんたも飲め飲め!」  
大船はすまし顔で答え、あまつさえ俺に酒まで勧めてくる。缶の模様も、よく見ると最近CMで放送されている缶チューハイのものだった。  
「酒ってお前、僕らはまだ未成年だろ!?」  
「川崎!あたしの酒がぁ!飲めねぇってのかぁ!」  
「いや、そうじゃなくて!」  
会話がまるで成立していない。全く、これじゃあ飲んだくれたオヤジじゃないか。  
僕がそっと溜め息をつくと、ちょうど携帯電話が鳴った。  
美人で評判の鶴見先輩からのメールだ。「打ち上げやるんだけど、どう?」って内容の。  
「あれぇ?それ、鶴見さん?」  
「ああもう、酒臭い!寄るな!鶴見先輩のだよ!それがどうした!」  
「…鶴見さんの酒は飲めて!私のは飲めないっていうの!?」  
「いや、だから大船、落ち着いて…」  
「あたしより鶴見先輩の方が好きなの?」  
じっと俺の瞳を覗きこんでくる大船。もう慣れっこだ。普段の彼女も、こんなことをしてくる。  
というより彼女は、俺に平気で抱き付いたりするような女だ。  
女友達にはよく抱き付いているのを見掛けるが、俺以外の男には男として認識されていないのだろうか、と疑わしくなる。  
まぁ女なんてそんなものだと俺は割り切っていたけれど。  
「ねぇ、誰が好きなのよ!」  
「誰だっていいだろ…大船、お前酔い過ぎ」  
「誰が好きなの」  
真剣なまなざしで俺を見据える大船。酒で赤く染まった顔は、どこかはかなげに見える。  
「ああ、芸能人の水橋…」  
「誤魔化さないでちゃんと答えてよ!」  
普段おちゃらけている彼女の、いつになく真面目な表情に、俺は気圧されてしまう。こんな表情をしている彼女を見るのは初めてのことだった。  
「わかったよ…俺が好きなのは…」  
もう、いいや。どうなろうと、知ったことか。後は野となれ山となれである。  
「大船和枝、ただ一人だ」  
「へっ?もう一回!」  
「大船和枝だよ!ああもう、いいだろそんなこと!こんな羞恥プレイさせるためにここに呼んだのか!?」  
恥ずかしさに耐え切れなくなり、俺は叫んだ。まったく、こんなことをわざわざ聴き返す奴があるか。  
 
彼女を好いているのは、紛れもない事実だ。大船和枝という女が好きじゃなければ、俺は文芸部なんか続けていない。  
俺は文芸部と映研の掛け持ちをしている。映研は文芸部とちがい、かなり本格的な部活だった。  
そんな俺にとって、文芸部なんていう小規模でお遊びレベルの部活なんて、邪魔なものでしかなかった。  
今日だって映研の打ち上げをすっぽかしてまで、この小さな文芸部にやってきたわけだし。先輩、多分残念がっているだろうな。  
だが大船和枝という女がいるから、やめることができなかったのだ。その大船はふぅ、と息を吐き、姿勢を直して座る。そして…  
「…大船和枝、ただ一人だ。だーってさぁー!ああ、おかしい!」  
机をバンバンとたたきながらげらげら笑いはじめた。さすがに腹が立ってきた。  
「おい、そろそろ怒るぞ!」  
「怒るのはぁ、あたしの話聞いてからでもいいんじゃあない?」  
酒臭い息を吐きながら、大船は俺にその顔を近付ける。どれだけ飲んだんだ、こいつ。  
仕方ない、この酔っ払いの戯言を聞いてやるとするか。確かに怒るのは、その後でも遅くないだろう。  
「なんだよ」  
「あたしも、好き」  
「酒がか」  
「んなわけないでしょ。あんたが大好きなのよ、川崎」  
大船は途端にしおらしい表情になって、俺の顔をじっと見つめてきた。  
顔に朱がさしているのは、俺から視線を逸らしているように見えるのは、本当に酒だけのせいなのだろうか。  
「会ったときからずっと、ってわけじゃないけど。いつの間にか好きになってた」  
「…そうか。まぁ俺もそんなもんだよ」  
「ありがと…好きって言ってくれて。私も大好きだから」  
「まぁそう言ってもらえるとありがたいが…お前もう酒飲むなよ。『だーってさぁー!ああおかしい!』とか叫ばれたら不愉快だからな」  
「お酒飲まなきゃ…言えないわよ、こんなこと…」  
「あのなぁ…そもそも未成年の飲酒はよくないだろ?常識的に考えて」  
意外としおらしいところもあるのだな、と思いながら、俯く大船の頭を撫でる。  
酒を飲んだ勢いで、言ってしまおうとしたのだろうか。だとしたら…まぁなんとも、彼女らしい考えである。  
すると突然、大船が顔をあげた。  
「ねぇ、キスしてよ」  
「酒臭いから嫌」  
「じゃああんたもお酒飲もうよ」  
「断る!ああもう酒臭い!」  
酒臭い息を吹きかけてくる我が部活仲間の頭を押さえながら、俺は何度目になるか分からないため息をついた。  
まったく、俺も不思議な男だ。ガサツで自分勝手で周囲を振り回すだけの女なのに、どうして好きになっちまったんだろうなぁ。  
どう考えたって、鶴見先輩の方がいい女なのに。100人に聞けばおそらく99人がそう答えるはずだ。  
でもなぁ…こいつは放っておけないというか…まぁ、そんな魅力があるのだから仕方がない。  
「ほら、立てるか。家まで送るぞ」  
「酔いが醒めるまで川崎と一緒にここにいる!」  
「…わかったよ。酒は飲まないが付き合ってやるよ」  
校舎に染みている文化祭の余熱が、じんわりと体に感じられる。そんな中、俺は大船和枝という女の肩を抱いて、嘆息した。  
このまま…このマイペースな女を抱きしめながら、時間が、止まってしまえばいいのになぁと。  
 

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