「生中一つと梅酒ロック一つ下さい」  
 店員はオーダーを復唱してすぐに消えて行った。ここは人席ごとに簾で仕切られ、あえて少し薄暗くした照明が落ち着いた居酒屋。その一室。  
 向かいに座っているのは、私の勤め先に去年の春から入ってきた女の子。愛嬌のある小さな幼い顔には、仕事用の薄化粧すら不釣り合いだ。  
 居酒屋などにいるのもイメージと違う。昼間の公園か野原で、犬でも連れてフリスビーなど投げているのがちょうどいい。そんなイメージの外見だ。  
「はぁー、生き返りますねえ。やっぱり夏は冷房ですよ。涼しい部屋でビールとキムチ。それが最高の幸せなんです」  
 ……中身はともあれ、だ。外見は少女的なかわいらしさにまとまっているのだ。軽く日焼けした、張りのある肌。きらきらと輝く二つの大きな眼。  
 ショートボブの黒髪はさらさらで、笑った時に見える不揃いな八重歯すら魅力の一つになる。  
「ああー、私はクーラーに魂を売った女さあー」  
 第二ボタンまで開けたシャツの胸元にばふばふと外気を送り込むこいつは、冬に社員旅行で温泉に浸かった時と同じ顔をしている。  
 学生時代に五十メートル平泳ぎで県七位までいった話を始めたので、先手を打って泳がないように言い聞かせた覚えがある。  
 
「しかし暑すぎるんじゃないの? まだ六月なのに。去年も困難だったっけ?」  
「え、すいません。わたしは今が涼しいので満足なんでちょっと過去のこととかは分かんないっす」  
「あー、まだ体の中が熱い」  
 ぐったりしながら後輩の声を聞いていると、注文したお酒が届く。チヂミとたこわさと唐揚げを追加注文し、下がってもらう。  
「じゃ、お疲れさまっす先輩!」  
「ん、お疲れ」  
 左手でグラスを持ち上げ、ジョッキに軽く当て、口元に運ぶ。あますいず、それでいて舌の上に余韻が残る味わい。  
 ちょっとだけ手首を返し、琥珀色の氷をカラ、と鳴らすテーブルの上にはくっきりした黒い影と、梅酒を通した光の湖。実際の水面の波に合わせて机上の湖も揺らめく。  
 どん  
「プハァーッ! 先輩、いつものようにお通しもらっていいですかっ? もうここのキムチ好きで好きで」  
「はいはい、食欲魔人」  
「んなっ! 食欲魔人っ? 酒だって飲んでますともっ! ただちに謝罪と訂正を要求するっ!」  
 このやり取りももう何度めだろうか。私たちはことあるごとにこの店に二人で来る。今回はこいつが「恋人にふられましたっ! だから飲みましょう!」と誘ってきたのだ。  
 そして今、私には辛すぎるキムチを猛スピードで頬張りながら、よくわからない主張を続けている。顔は普通にかわいいのに、言動がかみ合わない。  
 
 そのギャップすら愛らしく見えてしまうから困る。  
「大体ですねっ、あ、ビールもうひとつ下さい! 大体テンションが低いんですよ先輩はっ! 逆に盛り上げていきましょうよわっしょい!」  
「いつも通りよ。これで楽しんでるの」  
 心からの言葉だ。好き勝手に騒ぎまくる彼女を眺めるのは、それこそ最高の幸せだ。  
「それにしたってですねっ、ふつーはわたしが落ち込んでる所に先輩がやさしくビールをドーンと置いてくれて慰めてくれるべきなんじゃないんですかっ! なんなんですかもう、さっきからわたしばっかり!」  
「そりゃあんたが悪いよ」  
「……」  
 え?  
「そうやって! 先輩もそうやってわたしのこと見てくれないんだっ! 私が考えてることなんか全部無視して」  
 ビールとたこわさと唐揚げが届いた。チヂミはもう少しかかるらしい。  
「……すいません、急に」  
「ちょっと、びっくりした」  
「あいつも「何も言ってくれないあんたが悪いのよ」とか言ってきて喧嘩になったんですよ。あはは、意味分かんないですよね。こんなに思ったこと全部言ってるのに」  
 ああ、さっきのは本当に不満だったのか。私に盛り上げたり慰めたりして欲しかったのか。だから今日私をここに誘ったんだ。  
「ごめんね、ちゃんと話聞いてなかったわ、今回に限らず。イメージで何があっても常に元気な子だと思い込んでた。そんな人間、いるわけないのにね」  
「そうですよお。私だって弱る時ありますから」  
 手を握ってきた。私だって常に落ち着いてるわけじゃない。急にこんなことされたら思考停止してしまう。  
 
「これからはちゃんとわたしのこと、見てくれます?」  
「うん……ん?」  
 さっきの喧嘩の台詞、おかしくないか?  
「ねえ、富士ちゃん?」  
 名前を呼ぶと、後輩は興亜日は手を離さずに、上目遣いで「はあい?」と答える。  
「富士ちゃんは、女だよね?」  
 後輩は「さっそくちゃんと話聞いてくれた」と、目尻をこする。手が解放されて少し物足りない。体温が気持ちよかったのに。  
「そういえばその人の話する時、いつも「私の恋人が」って言ってたような気がする」  
「言ってましたよお。だって「彼氏」じゃないんですもん!」  
 後輩は、こぼれそうな満面の笑顔でジョッキをあおる。細い喉が三、四回上下してジョッキが空になる。いつもよりペースが速い。故意に酔っ払おうとしてるみたいだ。  
「わたし、本当は先輩が好きだったんです」  
「そうかな、って思ったことはある」  
「そうかな? そうだったらいいな、じゃないんですか?」  
 じっと見られる。「んー?」と身を乗り出してくる。目線が胸元にくぎ付けになってしまう。  
「先輩もお、ノーマルじゃないっすよね?」  
「……どうして分かった?」  
 今まで誰にも言ったことはないのに。  
「わたしのこと、好きですよね?」  
「ん……」  
「あーっ、目えそらしたあ! わたしは先輩に嘘ついたことないんですよっ! ちゃんと言ってくださいっ!」  
 さっきまでの会話に縛られるわけじゃないけど、座りなおしてうるんだ瞳と向き合う。こうしてほしいんだろう? ちゃんとまっすぐ見て、最初から最後まで話を聞いて、応えてほしいんだろう?  
 
「私は、富士ちゃんが好き」  
「やたーっ!」  
 絶叫して、手を握ってぶんぶん振ってくる。握手か? 触りたいだけか? どっちでもいい。どっちも嬉しい。  
「どのくらいっ! どのくらい好きですかわたしのことっ?」  
「えっ……すごく?」  
「えー、分かりづらいですよお。じゃ、いつからっ? いつからなんですかっ?」  
「えー……去年の今頃かな?」  
「わーっ、長い長い! どこがいいんですかっ! わたしの何がそんなに好き」  
「調子に乗るなあっ!」  
 
「へっ? ちょっ!」  
靴を脱いで左足を伸ばし、富士ちゃんの股間を踏みつけて足の裏で軽く揉む。びっくりして太ももを閉じてくる。一緒に過ごした時間はかなりあるけど、下半身に触ったのは初めてだ。  
「な、何してるんですか先輩? 回りの人にバレたら……」  
 慌ててる。回りを見て慌てるってことは、余裕があるんだ。私だってちゃんと見てほしいのは同じなのに。  
 親指の付け根でなんとなく上の方を押しつぶす。力を抜いてメトロノームのようにその辺りをこする。  
「駄目っ、先輩にされたら気持ちよくなっちゃう……」  
「前の彼女にもそうやって甘えたんでしょ」  
「えっ」  
 思ったより低い声が出た。見つめあう。悲しいような困ったような、犬っぽい顔。中身まで犬みたいになってくれるだろうか。  
 足首を回すたびにパンツスーツの中が柔らかくなっていく。指が富士ちゃんの体にめり込んでいく。足が触っている表面はすべすべしていて、中でもきっと表面をなで続けているような感覚になっているだろう。  
「ずっと好きだったなんて言って、別に彼女作ってたくせに。そいつのことで簡単に涙流したくせに。別に私じゃなくてもいいんでしょ」  
「……ちがいます」  
「構ってくれたら友達で、気持ち良くしてくれたら恋人なんでしょ。誰だっていいんだ」  
 足に力が入る。言い返せないようで、歯を食いしばって下を向いてる。おかしい。飲み始めた時は楽しかったのに、どうしてこんなこと言ってるんだろう。  
 
 険悪な気分になるけど、富士ちゃんの体が気持ち良くて心が痛くなってるのが顔から分かる。言葉で足先一つで変にさせてる。私も、体だけ気持ちいい。私の方は足の裏しか接触してないのにお腹の中がきゅうきゅうする。  
 足首が締め付けられる。足の裏が富士ちゃんに吸いつく。やめたくない。もっとするする動かして、富士ちゃんの恥ずかしい液を  
「せ、せんぱい……」  
 小さな声が、私の耳に届く。  
「あの……あのっ、わたしもう……」  
 言葉を濁しながら体を震わせている。唇の端によだれがたまっている。私の顔の方を見ているけど、焦点があってない。  
「……淫乱」  
 怒りたいんだか、気持ち良くさせたいんだか、自分が楽しみたいのか分からない。言葉に出てくるのは怒りだけだけど本当は楽しんでる。富士ちゃんの吐き出した熱い息が美味しい。  
「だって、本当に好きなんですもん! 一番触ってほしかった人がこんなことしてくれてるんですもん! おかしくもなりますっ!」  
「……ごめん」  
 指を突き立て、小刻みに思い切り震わす。足先がすんなりとパンツスーツに食い込んだ。足の指が水音を聴き取る。私たちの間にある何枚かの布を越えて、女の子の一番柔らかい感触が伝わってくる。  
 富士ちゃんは口元を両手で押さえて完全に身を任せてくれている。呼吸している鼻が膨らんでいる。とろけた瞳が私の目の中に溶けてくる。  
「んっ、先輩っ!」  
 何かに身構えるように体を縮こまませる。目が閉じる。  
「まだ待って。私も追い付くから」  
 足の振動は緩めない。  
 
「う、やだ、むり……っ!」  
 がくがくと断続的に腰が揺れ、急に力が抜ける。勝手にイッた。まだまだ全力で震わせ続ける。  
「あっ、いや……っ!」  
「もう少しだから」  
 足がつぶれそうな勢いで、本気の上の本気を出す。テーブルの向こうから高く断続的な呼吸音が聞こえる。テーブルの下では私の足が富士ちゃんの下半身にぴったりと包み込まれている。また、太ももが強張ってきた。可愛い。  
「やだやだむりです先輩ゆるしてっ」  
「私のこと、イヤ?」  
 足を動かすのを中断して、私の方から富士ちゃんの瞳を覗き込む。足の指でファスナーを探りながら。  
「好きです……からっ、分かりましたっ! でも、もう一回だけでお願いします……」  
 朱に染まった頬の左側は汗に輝き、右側は陰に濡れている。胸元も透けかけて、よく似合う水色のブラが見える。口は開きっぱなしで、上と下で人を光らせている。愛しい人はそんな自分の姿を意に介さず、私の目か額のあたりを眺めている。  
 ファスナーが開き、足を侵入させる。生温かい水溜りができている。  
「声は出さないで」  
 何回も首を上下し、腰を少し前に押し出して誘ってくる。ついさっきダメダメって言ってたのに、もうしてほしくて仕方ないみたいだ。それとも、私のために頑張ってくれてるのかな?  
 
 どちらにしても、こんなに濡らしてるようじゃ頭の中はえっちなことでいっぱいなはず。たった一枚の布越しにどんどんあふれてくる新しい蜜を感じる。親指の付け根を突き立て、膝を程よく曲げ、絶妙に震わせやすい形を作る。  
「……っ! ……!」  
 力いっぱい快楽を送り込むと富士ちゃんは前屈みになって私の足を押さえ、テーブルに乗せた顔で熱っぽく見上げてくる。大きな眼から涙が何滴かこぼれ、顔は私に屈服した情けないゆるみ方をしている。  
 気持ちいいんだ。声も出さないようにしてくれてる。  
 顔を眺めているとたくさん伝わってくるけど、それ以上に足先に新しく染み出してくる体液が富士ちゃんの興奮を示してくれる。  
「はぁ、はっ……!」  
 断続的に背中をそりかえらせて時々眼をぎゅっと閉じる。顎の先から落ちそうになっていた涙を指ですくってなめる。「え?」って顔と一瞬目が合う。責めているだけなのにすごく気持ち良くなってきた。  
 空いている左手を自分の足の間に挟む。  
「うっ」  
 ちょっと声を漏らしてしまった。今度はもっと強くはさんで、思い切り足を震わ……せ、て  
「せんぱい……」  
「いいよ、一緒にイこ」  
 ささやき合ったらすぐ、どちらが先ともなく果てた。  
 
 
 一息ついて、お互いに残っていたお酒を飲み干した。  
「ごめんね」  
「いいんですよぉ、何でもしてくれて! あ、でも今すぐはちょっともうきついっす」  
「ううん、そこじゃない。疑って、ひどいこと言った」  
「……それも、いいんです」  
 富士ちゃんがそそくさとトイレに立った。ちょっと歩きづらそうだ。変な所に力入れてたからか、酔いが回ってきたのか。  
 チヂミが運ばれてきた。ラストオーダーだというので、二人分のお酒を注文した。唐揚げが残っていたので一つつまんでみたが、すっかり冷たくなっている。  
 最後のいっぱいはすぐに運ばれてきて、次いで富士ちゃんが手を拭きながら戻って来た。  
「お待たせしましたっ……わーっ、チヂミだっ! なんで今更っ? でも食べるー、美味いっ! ビールも美味いっ! 先輩、チヂミおいしいですっ!」  
 二時間前の調子でビールを傾ける富士ちゃん。ここのチヂミは辛いので、私は手を付けられない。唐揚げを食べるしかない。でも唐揚げは冷めてしまった。  
「この後、もう一軒行こうか?」  
「もちろんですともっ!」  
 たこわさをお茶漬けのようにすすりこみ、小声で  
「次はわたしが先輩にシてあげますっ!」  
 と、赤い顔でウインクしてきた。その赤みはお酒によるものか、それとも?  
 
 

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