『メイド・莉子 3』  
 
ベッドサイドに置いた携帯のめざましアラームが鳴ると、莉子が飛びついて止めた。  
「だめです、いけません」  
起き上がろうとした俺に飛び掛って、頭を枕に押し付ける。  
「いて、なにすんだよ」  
「今日は土曜日でございます、お仕事はお休みでございましょう」  
昨夜、俺は莉子と三度目をした。  
一週間前にたどたどしくお互いの初体験を済ませ、痛い痛いと言っていた莉子を気遣って、二日おいてからまたした。  
最初ほどではないがまだ痛いらしく、少し血も出た。  
それで、また三日おいて、昨夜添い寝してくる莉子を抱き寄せたのだ。  
泣きはしなかったが、痛いのはまだ痛いらしい。  
女って、大変なんだな。  
一度目のあと、俺は背中にびっしょり汗をかきながらコンビニで一番高いコンドームを買った。  
指を折って日付けを数えた莉子が、たぶんだいじょうぶとは言ったけれど。  
二度目は俺がコンドームをつけるのに苦労して、三度目の昨夜はようやくスムーズにことが運び、莉子も俺に触られてちょっといい感じでございますと吐息を漏らした。  
後から一緒にシャワーを浴びて、莉子は裸のまま俺の隣に滑り込みんだ。  
俺に腕と脚を絡みつかせて、小さなイビキまでかいて眠りやがった。  
その莉子が、Tシャツ一枚の俺が動けないように覆いかぶさって抱きしめている。  
「お出かけなさっては、いやでございます」  
先週、莉子がメイドとしてやってきて最初の土曜に俺は出かけた。  
出かけた先を教えなかったが、莉子はこの一週間ひどくそれを根に持っていた。  
それ、メイドの行動としてはおかしい。  
こいつはバカだから仕方ないが。  
だが、今日は出かける。  
こればかりは、莉子なんかの言うことを聞くつもりはない。  
莉子を振り切ってベッドを降りて顔を洗ってくる。  
形のいい手ごろな乳房を隠しもせずにベッドに座り込んでいた莉子が、ひとさし指を顎に当てた。  
「なぜでございましょう」  
「……んだよ」  
新しいボクサーパンツに履き替えて、Tシャツを脱ぐ。  
「だって、旦那さまは昨夜、それはもう、ねちっこくってねばっこくって」  
……おい。  
「わたくしのうなじから腋からお尻から、脚の先までさすったり舐めたり噛んだり」  
……悪いか。  
「果ては、あんなところまでぐちぐちぐちぐち」  
いいかげんにしろ、バカメイド。  
「わたくし、最後の方はさすがにうっとりいたしました」  
顔をぽっと赤くして言うことか。  
「でも、あの、いざとなるとやっぱりまだ痛くて」  
俺はクローゼットからプレスしたてのシャツを出した。  
「前の時のがまだ治ってないのか、新しく裂けちゃったのかはわかりませんけど」  
さ、裂けた?  
さすがに手を止めて莉子を見た。  
「でもあの、手で触ってくださったところは、ちょっと別の感じでむずむずじんじんと」  
俺のだってむずむずじんじん……、とか言うと思ってるのか。  
へくちょ、と莉子がくしゃみをした。  
「なんか着ろ」  
「ふぁい。……それで」  
まだなんか言うのか。  
「あれほど、甘くて濃い夜を過ごしましたのですから、今日も一日その余韻を引きずって」  
パチンと腕時計をはめると、莉子は毛布に包まってうらめしそうに俺を見上げた。  
「……ずっと、いちゃいちゃしてくださると、思っておりました」  
そういう目で俺を見るな。  
俺は手を伸ばして、莉子にデコピンをした。  
「……弁当、買ってきてやるから。夕方までに腹をぎゅるぎゅるにしとけ」  
 
リビングに向かうと、急いで着替えたらしい莉子が追いかけてきた。  
「旦那さま、旦那さま」  
テレビをつけて天気予報を探す。  
莉子が廊下へのドアを開け、置いてあったワゴンを引っ張り込む。  
ソファの前のテーブルにカップを出して、慌しくコーヒーを注ぐ。  
「ミルクと、お砂糖を二個」  
確認してから俺の前に置き、ウォーマーから温かいホットサンドの皿を出す。  
「それででございます」  
「あ?」  
適温まで下がったカフェオレを一口飲む。  
莉子がひとさし指を顎に当てる。  
「あの、先ほどのお約束でございますけれど」  
また約束か。  
「あ?」  
「もちろん、ぎゅるぎゅるにしてお待ちしておりますけれど」  
ああ、そうか。  
「弁当か」  
「はい、そうでございます」  
胸の前で手を組んで、莉子が大きく頷いた。  
「もちろん、旦那さまがお出かけなさらないで、ずっとわたくしといてくださるのが一番でございますけれど」  
ホットサンドの中身はハムチーズだ。  
母屋で作って運んできたくらいの冷め具合がちょうどいい。  
熱々のチーズなんかが舌の上に流れ出たりしたら、俺はのた打ち回る。  
「どうしてもお出かけになるとおっしゃるのなら、仕方がございませんし、それにお弁当をいただけるのでしたら、でもそれはやっぱり」  
付け合せはフルーツマト。  
「あの、先週のと同じ、三段の」  
俺はよく動く莉子の口にトマトを突っ込んでやった。  
「んぎょ、んま、あ、甘い……」  
「あの三段弁当が食べたいんだったら、そう言え」  
「いえ、メイドが主人にお土産をねだることなどいたしません」  
ねだってるじゃないか。  
腕時計を見て、俺は莉子の頭に手を置いた。  
「わかったから、おとなしく待ってろ」  
そう言ったところで、誰かがドアをノックした。  
莉子がぴょこんと立ち上がった。  
「どなたでしょう、主人とメイドの甘い時間を邪魔するなんて」  
なんか、逐一間違ってるぞ、莉子。  
「那智坊ちゃ……、社長」  
莉子がドアを開けると、半ハゲ半白髪の執事が入ってきた。  
朝っぱらから何の用だ。  
俺が生まれる前からこの家にいる執事は、若い頃にイギリス留学をしたとかいうのが自慢で、本当はバトラーだのスチュワートだのと呼ばれたいらしい。  
執事は俺の服装を上から下まで素早くチェックし、ナプキンで口元を拭くまで二呼吸分待った。  
「本日の、陽子さまのところへのお出かけですが」  
俺は内心でちっと舌打ちをした。  
クイーンズイングリッシュだか銀食器だか知らないが、こいつにはデリカシーがない。  
莉子がちらっと俺を見た。  
「お取りやめ下さいませ」  
「……なんでだよ」  
この半年、俺は毎週土曜の予定を変えたことはない。  
執事はわざとらしく手を差し出して窓の方に向けた。  
「テレビ局が来ております」  
なんだと?  
「今、お出かけになると追いかけられます」  
「……取材なら断れよ。だいたい、なんで今頃」  
マスコミも一時は騒ぎ立てたが、今はすっかりどっかの芸能人の結婚や離婚に話題がころっと移っている。  
「ドラマでございます」  
俺はナプキンをテーブルに投げ出した。  
「ちゃんと話せ」  
「テレビをご覧になりませんでしたか」  
いらっとして睨みつけると、執事はこほんと咳払いをした。  
 
「先月放送されたドラマの中で、那智ぼっちゃ、社長が去年発表したCDに入っていた曲が使われました。それが話題になりまして、高階那智は今どうしているのか、と。ワイドショーのちょっとしたコーナーで、数十秒のVTRを流したいそうで」  
「……いやだ」  
どんな顔でカメラの前に立つっていうんだ。  
その数十秒で、なぜピアノをやめたか、会社経営はうまくやれているか、付き合っていたと噂のアメリカ人モデルとはどうなっているか、全部聞き出すつもりに違いない。  
「そうおっしゃると思いましたので、断ったのですが、どうやら屋敷の外観を撮りに来たようですね」  
「連中が帰ったら教えろよ。時間を遅らせて出るから」  
執事が大げさなくらい気難しい顔で首を横に振る。  
「ですが、ああいった輩は一筋縄では参りません。帰ったと見せかけて、お出かけになる社長のお姿なりと撮るつもりかもしれません」  
だが、出かけられるのは今日しかないんだ。  
一週間に一度、土曜の午前11時から午後3時まで。  
「追い返せよ。俺は出かける」  
「……かしこまりました。確認できるまでは、お待ちくださいませ」  
仕方ない。  
執事が頭ひとつ下げて出て行く。  
だから、マスコミは嫌いなんだ。  
話題性のあるときは散々持ち上げておいて、状況が変わったら手の平を返す。  
俺が不機嫌になったのがわかるのか、莉子が黙ったまま俺の足元に座り込んだ。  
かちゃんかちゃんと音を立てて皿を重ねる。  
うるさい。  
最後に、割れたんじゃないかというくらいの音で皿をワゴンに置いて、じろっと俺を下から見上げてくる。  
やめろ、怖いじゃないか。  
俺は人に怒られるのに慣れてないんだって。  
「……なんだよ」  
莉子が黙っているのに耐えられず、自分から言ってしまった。  
高階那智、惜敗。  
「……いーえ、べっつに」  
なんだ、その言い方。  
外出が延期になったので、俺は落ち着かずにソファに腰を下ろしたまま足の先で莉子の腰辺りを突っついた。  
「蹴らないでください」  
蹴ってるわけじゃないだろ。  
俺以上に不機嫌な顔をするんじゃねえよ。  
食器を片付けて、莉子は俺のほうを向いて床に正座しなおした。  
「旦那さま」  
だから、怖い顔をするなって。  
「お出になればよろしいではありませんか」  
「あ?」  
「テレビです」  
なに言ってるんだ。  
「テレビに出て、今は会社社長として一生懸命やってるって、立派な経営者になってるっておっしゃればいいんです」  
「なに言ってるんだ、いきなり。なにもわかってないな」  
「旦那さまぁ!」  
莉子が膝に取りすがる。  
やっぱりこいつはバカだ。  
俺は社長業なんか全然一生懸命やってないし、立派に経営もしてない。  
仕事は全部、重役や社員がやっているんだ。  
それに、連中が取り上げたいのはそんなことじゃない。  
お坊ちゃんピアニストが用意された社長の椅子にポンと座らされて、周りに振り回されてオタオタしたり、ヤケになって遊びまわってたりしてるのを見たいんだ。  
その上でスキャンダラスなゴシップでもつかめたら大喜びだろう。  
俺はテレビのリモコンを取り上げた。  
莉子はぶすっとふくれっつらをしたまま、食器を片付けたワゴンを廊下に出す。  
部屋の中にふたりっきりなのに、そのうち一人がぶーたれていては居心地が悪い。  
莉子は不機嫌さをアピールするように、ドアの横に立って唇を尖らせていた。  
最近は、俺の足元に座って猫みたいにくっついていることが多かったのに。  
莉子が離れていたほうが、脚が自由でいい。  
俺は座ったまま何度も脚を組み替えて、テレビを見ながら時計ばかりを気にしていた。  
さっさと出かけたい。  
どんどん時間が減っていく。  
 
「……莉子」  
メイドの癖に、主人に名前を呼ばれてぷいっとそっぽを向くっていうのはどうなんだ。  
「りーこ!」  
「……はい」  
俺は片脚で床を蹴った。  
「ここ、スカスカする」  
まったく、なんで俺がメイドの機嫌を取らなきゃならないんだよ。  
莉子はぴょこんぴょこんと俺の足元まで跳ねてきた。  
ぺたんと床に座って、俺の脚に腕を絡めた。  
「これでよろしいですか」  
そんなにくっつかなくたっていいんだが。  
しばらく莉子を足元に絡ませながら、頭に入らないテレビを見ていると、ハゲ白髪執事がやってきた。  
裏玄関から脱出させてやる、ときた。  
俺は家族中から反対された身分違いの恋人に会いに行く御曹司か。  
……そのシチュエーションの方が面白いかもしれないが。  
 
結局、執事の手配で俺はワゴンを引き下げる使用人のフリで母屋へ行き、マスコミが離れを張っている横から車で脱出した。  
ちらっと見ると、俺にコンタクトを取るのをあきらめたカメラマンが、屋敷を背にしてしゃべるレポーターを撮っていた。  
混雑していない道路はわかっている。  
車はすんなり高速に乗った。  
そういえば、執事が急かして慌しく出発したせいで、莉子には何も言わずに出てきた。  
なんか、むくれた顔をしていたような気がする。  
俺が出かけるのを寂しがっていたのに、かわいそうなことをしたな。  
帰りに、どこかで先週の弁当より美味いものを探して買って行ってやろうか。  
行き慣れてないところに行くのは好きじゃないし、いろいろな場所を知っているわけじゃない。  
カバンにミニノートが入っているから、ネットで探せばなにかあるだろう。  
……ん?  
ハンドルを握ったまま、首をひねる。  
なんで、俺はこんなに莉子のことを気にしてるんだ?  
普通メイドなんか、主人の留守を寂しがるどころか羽を伸ばしているものじゃないか。  
たかが使用人に土産を買っていくのもおかしいし、そのために自分の苦手なことをするのもおかしい。  
ばからしい、先週は車を走らせた途端に、莉子のことなんか忘れたはずだ。  
今は、目的のことだけを考えよう。  
それなのに、俺は見慣れた風景の流れていく中で、ぼんやりと膝の上で嬉しそうに弁当を食った莉子や、痛いと泣きながら抱きついてきた莉子、ぴったりと体を寄せてうふうふっと笑う莉子を思い出していた。  
 
 
 
「おかえりなさいませ」  
離れに帰りつくやいなや、莉子が飛び出してきた。  
「先週より、お帰りが一時間も遅いです」  
俺が持っていた紙袋を受け取って、執事に聞こえないように不平を言う。  
じろっと睨みつけるとわずかに肩をすくめて黙る。  
部屋に入ると、莉子は珍しくいそいそと俺の着替えに手を貸した。  
「そんなに慌てなくても飯は逃げねえよ」  
緩めていたタイを引っ張って締め上げられ、俺はメイド服を来た子猫を振り払う。  
「やっぱり、あれはお弁当でございますか」  
莉子がテーブルに置いた紙袋を指差す。  
「買って来いと言っただろうが」  
「お店が違います」  
確かに、先週の弁当が入っていた紙袋は、サービスエリアのテナントのものだった。  
「別の店だからな」  
莉子はこの店を知らないらしい。  
少し遠かったが、ネットで調べて若い女の子に人気のイタリアンのレストランを見つけた。  
初めての店なのに、電話してテイクアウトを注文した。  
ミニノートの画面でメニューを見ながらの注文をしただけなのに声が震えた。  
いい年して、どんだけ人見知りなんだと自分が情けなくなる。  
回り道はカーナビが案内してくれたし、店の中と外の赤いベンチに並んだ女の子たちとは別の受付でテイクアウトの食事を受け取ることができた。  
 
「旦那さま。今日は、先週とは違うところへお出かけだったのですか」  
うらめしそうに見上げるな。  
脱いだ上着の匂いを嗅ぐな。  
「うまそうな弁当を探しに行ってやったんじゃねえか」  
軽くデコピンしてやると、莉子は顎にひとさし指を当てて首を傾けた。  
「わたくしが、おねだりをしたからですか?」  
「……いいから出せよ。腹減ったんだ」  
急に機嫌を直した莉子が、いそいそと紙の箱を並べた。  
「旦那さま、旦那さま」  
なんだよ。  
「たくさんございます!」  
一番高いのを買ってきたからな。  
正直、値段くらいでしか俺には物の良し悪しの判断が付かない。  
まだ暖かい箱のフタを開けて、目を輝かせる。  
「旦那さま!」  
うるさいって。  
ソファに腰を下ろすと、莉子が床に膝を付いた。  
添付されていたパックメニューの写真と食事を見比べて、莉子が弾んだ声を上げる。  
「なにから召し上がりますか、旦那さま。オードブルは、小エビと旬の野菜のゼリー寄せ、イワシのシチリア風香草パン粉焼き……」  
うふっ、と笑って俺を見る。  
「オードブルだけで6種類もあります。わたくし、これだけでお腹いっぱいになってしまいそうです」  
「ふうん。じゃあ、腹いっぱいオードブルを食えよ。生ハムとルッコラのピザも、インゲンとジャガイモのパスタも、チキンのソテーホワイトソース添えも、えーと、デザートのフロマージュケーキとフルーツブリュレも、俺がひとりで、いてっ」  
「んご、いけませんっ」  
主人の脚に噛み付くんじゃねえよっ。  
俺は莉子の頭に手を置いてぽんぽんと叩いた。  
「少しずつ、全種類食べればいいだろうが。……食わせてやるから」  
今、俺の口はなんて言ったんだ?  
んふ、うふ、うふっと莉子が変な笑い方をする。  
「でしたら、先にわたくしが旦那さまにあーんってしてあげますね」  
まったく、こいつはバカだ。  
「あ、この仕切りの器がかわいいです。ほら、旦那さま、お花の形になってる中に、お魚が」  
折詰の形なんかどうでもいいじゃないか、バカだな。  
俺は付属のフォークで水牛のチーズ・カプリ風とやらを突き刺した。  
莉子がごくりと喉を鳴らす。  
「どんだけ食い意地の張ったメイドなんだよ」  
チーズを自分の口に入れる。  
うまい。  
莉子は皿に6種類のオードブルを見栄えよく盛り付けた。  
「はい、旦那さま。あーん」  
バカ。  
開けた口に野菜のトマト炒めが入ってきた。  
ズッキーニの火の通り具合がいい。  
俺はビニール袋を破ってスプーンを取り、野菜炒めをすくって、床に座り込んだ莉子の顔の前に持っていった。  
「うまいぞ」  
莉子が口を閉じたまま俺を見上げている。  
なんだよ、食べさせてやるっていうのに。  
「あーんって言ってください」  
スプーンを持ったまま肩が落ちる。  
「あのな、わがままにもほどがあるだろ」  
「だって」  
主人の膝を、指先でぐりぐりするな。  
「いちゃいちゃ、したいんです」  
間違っている。  
それは、間違っているぞ、莉子。  
「……あーん」  
俺の口は、最近俺の意思に反した言葉を発する。  
ぱくっと開いた莉子の口に、スプーンを入れた。  
「んーっ、おいしいですっ」  
そうだろうそうだろう。味が染みこんでいるのにシャキシャキだぞ。  
 
……なんで俺が先に毒見してからメイドに食わせてるんだろう。  
それでも、顔中でおいしいと表現する莉子を見れば、悪い気はしない。  
苦手な電話をかけて予約してまで、買いに行って良かったと思う。  
俺は自分の口と莉子の口に交互に食事を運んだ。  
俺はイタリア風生春巻きが気に入ったが、莉子はハムのピザをもう一切れ下さいとねだった。  
確かにうまいことはうまいが、隣でそんなにはしゃがれると変な気分になる。  
気の置けない人間と一緒に飯を食うのは、嬉しいものなんだな。  
「あっ」  
次々と口に入れられる料理をご機嫌で食べていた莉子が、俺の膝に両腕を投げ出して取りすがった。  
「旦那さま、今、にこってなさってます」  
「……あ?」  
慌てて、頬の筋肉に力を入れる。  
「あん、戻さないで下さい。わたくしもっと見ていたいです」  
笑ってなんか、いねえ。  
飯を食うたびにニヤニヤする奴なんか、いないだろ。  
……目の前にいるけど。  
俺の腰に手を回して上半身を太ももに預けた莉子が、じっと見上げてくる。  
「にこって、なさってください……」  
なに言ってるんだ。  
俺は膝を揺すって莉子を仰向けにした。  
背中が海老反りになって苦しそうなので、脚を抱え上げてソファに乗せてやる。  
俺の膝枕で寝転ぶ形になった莉子の顔の上に、オリーブのフリッターを刺したフォークをかざす。  
「莉子」  
「んぐ、ひゃい」  
もぐもぐしながら返事をする。  
「前に、俺と添い寝する約束があるって言ってなかったか」  
「はい」  
「あと、なにか俺が忘れているって」  
「はい」  
「それ、なんだ」  
莉子が黙ってオリーブを噛む。  
「いつ、俺と会った」  
莉子の口が開き、俺はその中にチキンの塊を落としてやった。  
「ん、ん、んぐ」  
大きな塊に目を白黒させる。  
それを噛み砕いて飲み込むまでが、シンキングタイムだ。  
莉子がわざとゆっくりチキンを飲み込んだ気がした。  
「…わたくし、うんと小さい頃、ピアノを習いたかったのです」  
「あん?」  
ピアノなんか、お稽古事でやるにはポピュラーなもんだ。  
中古のアップライトでも買って、年に一度か二度の発表会。  
中流家庭にだってさほどの負担じゃないし、たいていの子どもはその程度で満足する。  
趣味で簡単なポピュラーソングの伴奏ができるくらいになら、誰でもなれる。  
「習わなかったのか」  
「ピアノ教室に、連れて行ってもらいました」  
莉子の手が伸びて、俺の顔に触れる。  
「その教室で、前に習っていたっていうお兄さんが遊びに来ていていて、教室の子達がきゃあきゃあ騒いでました」  
「……」  
「先生が、なにか弾いてもらおうかっておっしゃって」  
莉子がうふっと笑った。  
「わたくし、お兄さんに近づいてお礼を言いました。自分もこんなふうに弾けるようになれますかって、聞きました」  
「……うん」  
「お兄さんが、にこってなさって、そうなったら一緒にやろうっておっしゃいました」  
俺の膝の上で、莉子が嬉しそうに笑う。  
「それ……、どこの」  
「でも、すぐにうちの事情が変わってしまって、結局わたくしはピアノを習うことが出来なくて」  
「莉子。見学に行ったピアノ教室は、なんて先生のとこだったんだ」  
もうわかっていたけど、確認の意味で聞いてみる。  
俺が最初にドレミを習った、俺のイトコだかハトコだかが開いたばかりの、小さなピアノ教室。  
 
当時そこでバイトしていた音大生が、習い始めた俺を抱きかかえるようにして屋敷に飛び込んできたっけ。  
那智くんは、天才です、って。  
「ずっと、那智さまの載っている雑誌や新聞を切り抜いて、スクラップしてました。ピアノは弾けないから、一緒に演奏するなんてムリですけど、でも」  
莉子の髪をなでてみた。  
俺とよく似た、柔らかい猫っ毛で、くせっ毛。  
俺は、海外で演奏会が増えてきた中学生くらいまで、ちょくちょくあのピアノ教室に遊びに行っていた。  
気が向けば、生徒たちにせがまれるままに何か弾くこともあった。  
いつ、莉子がそこに来ていたのか、俺は全く覚えていなかった。  
「一緒に、って約束してくださったって、思うことにしました」  
背中を丸めて、莉子のつるんとした額に唇を押し付けた。  
「それで、俺が出かけるとぶんむくれてんのか。一緒にいないから」  
莉子だって、俺の言ったことが子供だましのお愛想だってことぐらいわかってる。  
それを自分の都合のいい様に解釈してるってことも。  
「祖母のところでは、那智さまの載っている全部の雑誌は買えなくて、図書館でコピーしたり、友だちにテレビを録画してもらったり……CDは買わずに借りてしまいました」  
莉子が、なにかの理由で祖父母に引き取られて、その悲しい環境を俺の言葉を張り合いにして生きていけたのだとしたら。  
俺が忘れてしまっていると、知っていても。  
「でも、那智さまはピアノを弾くのをやめてしまって」  
莉子はひとさし指で顎に凹みを作った。  
「学校を卒業するときに、高階さまのお屋敷で求人があると聞いて、わたくし」  
「……うん」  
「那智さまが、わたくしを見つけて、約束を守ってくださるんだと思いました」  
「……」  
莉子が最初にうちに来た日、俺に言った。  
お忘れですか。  
それが、誰かの忘れ物のことだと俺は思ったんだ。  
「……そんなの違うって、わかっておりましたけど、でも」  
脚に重みがかかり、莉子が起き上がって俺の隣に正座した。  
真剣な顔で、俺を見つめている。  
「今は、少しはわたくしのことを気にかけてくださっているって、思ってもいいのでしょうか」  
ああ、もう、しょうがねえな。  
「気にかけてなかったら、こんなもん買ってきたりしないだろ」  
乱暴に肩を抱いて引き寄せる。  
俺には記憶の隅にも引っかからなかった出来事を、何年も何年もこいつは大事にしてきたんだな。  
ぱんつの見えそうなミニスカートで嬉しそうにピアノに向かう幼い莉子を覚えていないのが、残念だ。  
「でも、那智さまは、わたくしのこと忘れてしまっておいででした」  
しょうがないじゃねえか。  
「莉子の初めてを貰うからと約束してくださいましたのに」  
思わず、俺は激しくむせこんだ。  
俺が、そんなガキに変な約束するわけない。と、思う。  
うふうふ、と莉子が笑った。  
「嘘でございます」  
タチの悪い嘘をつくな。  
俺は莉子の頭をこつんと拳で叩いた。  
莉子が、むひゅむひゅ、と変な笑い方をした。  
本当に嬉しくて嬉しくて仕方ないとき、こいつは変な笑い方をする。  
みっともないから、俺の前だけにしとけ。  
「でもぉ、那智さまはわたくしに、難しい名字とかわいい名前だねっておっしゃいました」  
笑った後で、莉子が顎にひとさし指を当てて言った。  
それで、あんなに名前を言ったのか。  
お前とか君とかではなく、名前で呼べば、俺が莉子を思い出すかと思って。  
「……もう忘れねえよ」  
うぐいしゅはら、なんていう言いにくい名前。  
「ほんとうに?」  
メイドのくせに、甘ったれた声でなに言ってんだよ。  
ぐふ、という変な音は、莉子が笑ったらしかった。  
なにがそんなに楽しいんだ。  
「……莉子、最初の頃やたらツンケンしてたような気がするんだが」  
今度はにゅふふ、と笑う。  
バリエーション多いな。  
 
「だって、旦那さまがお忘れでしたから。わたくしすっかりいじけておりました」  
こいつ、ほんとにバカだ。  
バカだろうと言う代わりに、莉子の唇にキスをした。  
俺のヘタクソなキスに、さらにぎこちないキスが返ってきた。  
うふ、うふうふ、と莉子が笑い、起き上がると残った料理に紙のフタをかぶせた。  
「あの、旦那さま」  
「ん」  
「あの時弾いてくださったのは、なんという曲でしょう」  
覚えていない。  
その頃、俺が子ども相手に得意になって弾いてやったような、短い曲は、なんだろう。  
「さあ……」  
莉子がちょっとしょげた。  
「探してみれば、いいんじゃないか。……一緒に」  
半年もゲームのコントローラーしか触っていない指で、なにができるかわからないけれど。  
ちょっと調律の狂ったようなピアノがちょうどいいんじゃないか。  
もう、ピアノを弾いて聴かせる人なんかいなくなったと思っていたのにな。  
暖かな重みと、甘い匂い。  
俺に抱きついた莉子がまた、ふぇ、ふぇ、と変な笑い方をした。  
「ちょっと、聞かないで下さい」  
なんだよ。  
莉子が床に膝を付いたまま、両手を伸ばして俺の耳をふさいだ。  
ふさいだのに、耳もとに口を寄せる。  
そして、言った。  
ふさがれているのに、かすかに莉子の声が聞こえた。  
 
――――那智さま、大好き……。  
 
 
 
昔、欲しくて欲しくてたまらなかった楽譜を手に入れたときのように、そうっと莉子を抱き寄せた。  
それから、莉子の耳を両手でふさいだ。  
ふさいでおいて、そのすぐそばで俺は呟く。  
莉子、俺は、莉子が思っているほどのピアニストじゃなかったんだよ。  
いいうちのお坊ちゃんで、そこそこ見た目が良くて、話題性があっただけでさ。  
その証拠に、誰も俺にコンクールに出るようにとは言わなかった。  
勝てないのがわかってたからな。  
コンサートを見に来る客だって、俺の演奏を聞きに来るんじゃない、俺を見に来てたんだ。  
小さい子が、小さいタキシードを着て、器用に指を回すのが面白かったんだ。  
大人になったら価値がなかった。  
だから引き際を探してたんだよ、俺も、周りも。  
事故は、ちょうど良かったんだ。  
ものすごく悲しくて辛かったけど、社長になれって言われたとき、俺はほっとしたんだ。  
これで、ピアノがやめられる。  
――――がっかりしただろ、こんな奴で。  
手を離すと、莉子も俺の耳をふさいでいた手を首に回してきた。  
自分の血が流れる音と、頭に直接響く自分の声だけが聞こえていたのに、急にいろんな音が耳に飛び込んでくる。  
莉子のメイド服がたてる衣擦れの音や、息遣い、窓の外の風。  
莉子が睫毛をぱたぱたさせた。  
そんな顔するなよ。  
俺は急にどきどきしてきた。  
これは、いいんだよな。  
そういうことだよな。  
ちくしょう、もっとスマートにかっこよく誘うにはどうしたらいいんだ。  
うふ。  
莉子がわざとらしくもじもじして、俺を見上げてきた。  
急におかしくなった。  
俺だって莉子だって、まだまだ不慣れで不器用で、ヘタクソだ。  
お互いにそれがわかってるんだから、何を気にしてカッコつける必要があるんだ。  
俺は、高階那智を知っているどんな人が見ても驚くくらい野暮ったく言った。  
「あー、莉子。するだろ?」  
 
ぎこちなくて、ヘタクソで、不慣れで不器用なセックスをした。  
ベッドの上で向かい合ってキスをするとき、膝と膝がぶつかってしまう。  
脚を交互にすると、膝頭が莉子の足の間の奥に触れてしまってこそばゆい。  
舌を入れようとすると歯にぶつかってしまうし、唇を挟んで吸うのは正しいんだろうか。  
ベッドに倒したとき、最初は仰向けでいいんだろうか。  
うつぶせにして背中を撫でたり舐めたりしているとき、莉子は俺に乗られて苦しくないんだろうか。  
莉子のヘソの凹みの下からあそこまでの下腹のとこにキスするのが好きだと言ったら、変態っぽいだろうか。  
背中から抱いて、手の中におっぱいを二つ包んで揉みながら自分の胸を背中に擦りつけたら気持ちいいのは、普通だろうか。  
ふいに莉子が俺にしがみついてきて、乳首を舐めてきた。  
思わず、ひゅっと喉が鳴るくらい、電気が走った。  
「うわ、こら、莉子、やめ」  
「ふぁ、ひもちよくなひですか」  
「……いや」  
舐める方も楽しいが、舐められるのはまた、すごいもんだな。  
莉子が乗りかかってきたので、下から胸を揉んだりあそこに手を入れたりして弄った。  
胸だけじゃなく、あちこちを舐めたり噛んだりしながら、莉子は俺の腰のほうへ下がっていく。  
「……あ」  
ソレに手が触れて、莉子が呟いた。  
あんまりまじまじと見られると俺も恥ずかしくなる。  
莉子のあそこはじっくり見たけれど。  
「旦那……さま」  
莉子が小声で言った。  
「触っても、よろしいですか」  
「あ……う、うん」  
間抜けた返事だ。  
うわあっ、と叫びたくなるくらいだった。  
自分で擦ったり、きつくてこっちも痛いくらい狭い莉子のアノ穴にねじ込んだりするのとはまた違う、手の平で包まれる感覚。  
「ちょ、待て、もちょっと、そっと。うん、そう……、う」  
ああ、俺は今、莉子に手コキの指導をしている。  
背中に枕を入れて上体を起こした格好で、一生懸命しごく莉子を見た。  
俺の反応を気にしながら、あちこちをそっと揉んだり擦ったりする。  
恐る恐る、先っぽを指先でつっつく。  
ああ、ぞくぞくする。  
このままガマンせずに出してしまったらどんなに気持ちいいだろう。  
「ん、あの、旦那さま」  
「……ん?」  
「旦那さまの、これ……、を、こんなふうに、するのは……わたくしだけ、でございますか」  
そりゃそうだ。  
俺は、莉子としかしたことがないんだから。  
「ああ……、そうだな」  
莉子が恥ずかしそうににこっとした。  
「……嬉しい…」  
莉子の頭に手を乗せて、軽く誘導する。  
ゆっくりと両手で包み込んで動かしている。  
俺はどきどきして、呼吸が大きくなった。  
はぁ、はぁ、という息遣いは、莉子にも聞こえているだろう。  
できれば、口でしてくれないだろうか。  
これだけでも十分気持ちいいけど、できれば……。  
緩やかな刺激がずっと続けられ、俺はガマンできなくなってきた。  
 
きゅっと強く握られて、俺はのけぞった。  
「うわ、ちょ、も、……出るっ」  
快感と、開放感。  
全部出るまで、しごき続けてくれた莉子の手や胸が汚れた。  
悪いな、と思ったけど、ぐったりベッドに倒れてしまった。  
「旦那さま……?」  
心配そうに、莉子が覗き込む。  
すげえ、気持ちいい。  
すげえ、かわいい。  
莉子が、かわいい。  
白い腕に飛んだ精液を指先ですくってじっと見ている。  
「おもしろい?」  
聞いてみると、ぽっと頬を染めた。  
「不思議でございます……」  
ベッドサイドからティッシュを取って、拭いてやる。  
ティッシュ越しに、莉子の腕や胸の柔らかい弾力が伝わってきた。  
仰向けになったまま、手でおっぱいを包み込み、下から揉む。  
ちくしょう、おっぱいまでかわいいじゃねえか。  
「莉子。莉子のこのむにゅむにゅしたのをこんなふうにするの、俺だけか」  
はふん、と息が漏れる。  
「……あん、ど、どうでございましょうか」  
なんだと。  
手が止まった。  
だって、俺が莉子とは間違いなく初めて同士だったじゃないか。  
それから二週間足らずで、俺のいない間になにがあったっていうんだ。  
俺は、莉子としかしてないのに。  
なんでだ、いつだ、誰とだ。  
ぱふん、と莉子が俺の上に伏せた。  
「嘘でございます」  
「……ばか、おどかすなっ」  
背中を軽く叩くと、莉子がうひゅ、と笑った。  
「今、やきもちをお焼きになりましたでしょう。こんがりと」  
焼かねえよ。  
「わたくしの気持ちが、わかっていただけましたか」  
……ちょっとはな。  
それから莉子はちょっと真顔になる。  
「ほんとに、嘘でございます。わたくしは、旦那さまだけ」  
「……わかったよ」  
覆いかぶさっている莉子を、腕に力を入れて抱いた。  
「よかったです……。旦那さまが真っ黒焦げになってしまわれなくて」  
ちくしょう、メイドのくせに主人をからかいやがって。  
この、バカで嘘つきが。  
莉子の尻の肉をぎゅっとつかんでやった。  
「んひゃっ、な、なん」  
むぎゅむぎゅ。  
「莉子。俺に幾つ嘘ついてるんだよ」  
「いえ、わたくしは、なにも、ひぁっ」  
むぎゅ。  
「まだあるだろ。添い寝する約束したっていうのも、嘘だろ」  
「それは、信じるほうがおかし、いたたたた」  
「俺がバカだっていうのかよ」  
ついに莉子が俺の上から転がり落ちた。  
「もう、わたくしのお尻がお猿さんみたいにまっ赤っかになってしまったらどうしますっ」  
人の肩や胸をゲンコで殴るな。  
「いいじゃないか、俺は莉子のケツがまっ赤っかだって気にしねえよ」  
俺をボカボカ殴っていた莉子が、急に喉でも詰まらせたかのように動きを止めた。  
なんだよ、他に莉子のまっ赤っかな尻を気にするヤツでもいるのか。  
「そういうことではございません」  
丸い目を細めて、真顔で怖い声を出すな。  
俺はビビリなんだ、人に怒られるのは怖いんだ。  
 
「うわっ、いてっ」  
莉子が手を入れて俺の尻をつねり上げた。  
「いて、いてて、なにすんだよっ、アザになるじゃないか」  
「まあ、旦那さまのお尻が赤くなりましたら、どなたが気になさるのですか。わたくしは、平気でございますけど」  
「い、いや、誰も気にしない、けど、痛いじゃねえか」  
慌てて言うと、莉子はひとさし指をあごに当ててにっこりした。  
「はい。そういうことでございます」  
バカか、ホントに。  
俺はもう一度莉子の尻に手を回して、今度はさするように撫でた。  
「力が強すぎたんなら、そう言え。俺はほら、よくわかってないから」  
莉子が俺の鎖骨の辺りを吸い上げてわざと跡を付けている。  
「……よくしてやりたいんだから」  
前のほうから手を入れると、莉子の腰がぴくっと上がった。  
なんだよ、もうぐしょぐしょにしてるじゃないか。  
そう言うと莉子は、にょあん、と変な声を出した。  
「嘘つきメイドにお仕置きだ」  
莉子の上になって、手首をシーツに押さえつける。  
うきゅっ、と莉子が笑った。  
「それ、旦那さまのご本に書いてありました」  
人の蔵書のエロ本を勝手に読むな。  
「ちょっと変態っぽいですけど」  
莉子の脚が俺の腰を挟み込む。  
「わたくし、嫌いではございません」  
お仕置きのムチならぬ、こん棒の準備はできている。  
俺は莉子の脚をほどいて、ヘッドボードの小さい引き出しからゴムを出す。  
覗き込んでくる莉子を押し返して横を向いて袋を開ける。  
付けるのには、まだもたもたしてしまう。  
その間も莉子は俺の腰や背中を撫でてくる。  
装着して、えいっと莉子を突き飛ばすと笑いながらベッドに転がった。  
この辺だったな、というあたりに押し付けると、莉子はまだ笑ってやがる。  
こいつめ。  
俺も笑ってやりたかったが、笑えなくなった。  
莉子の中が、気持ち良すぎたからだ。  
痛いほどキツキツで、それでいて全体を包み込んで柔らかくて、きゅっと収縮する。  
なんか、毎回よくなってきてないか。  
さっき一度出してなければ、ヤバかった。  
「んあっ」  
ぐっと押し込むと、莉子が笑いを引っ込めて小さな声を上げた。  
「あ、悪い。痛いか」  
莉子の額にこぼれかかる髪を指先で払って顔を見る。  
「いえ、だいじょうぶです」  
「なんか、痛かったりとかしたらちゃんと言えよ。俺、すぐ自分だけになるから」  
なんせ、まだ初心者だし。  
莉子が俺の首に腕を回した。  
「でも……、わたくしのこと、…よく、してくださいますのでしょう」  
ああ、ちくしょう。  
ちくしょう、ちくしょう。  
世界のタカシナの社長が、天才ピアニスト高階那智が。  
なんでこんなメイドふぜいに。  
こんな、めちゃくちゃかわいいヤツなんかに。  
うぐいしゅはら、りこなんかに。  
いつの間に、夢中になってるんだろう。  
「莉子、おまえ」  
おまえと呼ばれるのが嫌いな莉子が、訂正した。  
「うぐいしゅ…」  
自分で名前を噛んでやがる。  
俺は嘘つきで食いしん坊で甘えん坊のメイドを力いっぱい抱きしめた。  
そのまま腰を揺らす。  
「ああん…、旦那さまぁ」  
 
「……うん、そうじゃなくて。ほら、あれがあるだろ」  
「ん、あん……、なんですか」  
「おま、莉子がたまに、言うヤツ。こういうときは、あれにしろよ、う」  
莉子の腕がパタッとベッドに落ち、俺は細い腰を抱え込んだ。  
「うん……あ……、あっ…」  
甘えるような声で、莉子が喉を反らせた。  
片脚を折って、莉子を横向きにしてまた動いた。  
ほんとうはバックもやってみたいのだが、莉子が恥ずかしがるからまだやったことがない。  
早くしたり遅くしたりしながら、莉子の中に自分を擦り付ける。  
ああ、気持ちいい。  
莉子に、呼んでほしい。  
俺は莉子にキスした。  
唇を挟んで吸って、舌を押し込んで絡ませて、莉子の顔中に唇を押し付けた。  
どんなにしてもしたりないくらい、キスしたかった。  
腰を揺らすと、莉子がきゅっと目を閉じる。  
「莉子……」  
あんまり乱暴にして、痛かったらかわいそうだ。  
今まで人のことなんか気にしたことないし、自分のことだけ考えてきたけど。  
なんだって、自分が一番だったけど。  
俺は、莉子と一緒に気持ちいいセックスがしたい。  
「あん……旦那さま…、むずむずします…」  
違うだろ。  
そうじゃないだろ。  
うわあ、すげえ気持ちいい……。  
莉子が俺の腕に手をかけて力をこめた。  
「ん、あ……」  
あ、もうこらえきれないかも。  
「……なち、さまぁ……」  
莉子が吐息まじりに喘いで、俺はその声でイった。  
すげえ、いい声だった。  
 
 
二人で一緒に、バスタブに張ったお湯に浸かった。  
今度は泡風呂にいたしましょうねと言って、莉子はうひゅっと笑う。  
ま、いいんじゃねえの。  
旦那さまは柔らかいタオルでお体を洗いますけれど、わたくしはもっと固いスポンジでゴシゴシするのが好きです。  
俺はお坊ちゃんだから柔肌なんだ。  
一度、ヘチマでお背中をお流しします、気持ちいいですよ。  
やだ、背中の皮がむける。  
まあ、旦那さまのお背中は完熟の桃ですか。  
ああそうだ、俺は桃だ、だから触れるな、こら、よせ、くすぐったい、莉子っ。  
うふ、うふうふうふふ、むひゅひゅっ。  
だからそういう笑い方は気味が悪いからよせ。  
ねえねえ、旦那さま。  
……旦那さま、かよ。まあいいけど。なんだよ。  
わたくしに、その、あの、あれ、少し、すこぉし、教えてくださるというのは、いかがでしょう。  
あ?なんだよ。  
子どもの頃に、ほら、わたくし、いけませんでしたでしょう、ですから。  
……ピアノか。  
はい。  
うん……まあ、でも俺もずっと触ってないからな。  
いけませんか。  
いけなくはないが……、うん、まあ考えておく。  
ほんとですね。ちゃんと、しっかり、考えてくださいね。約束ですよ。  
……うん。  
うふ、うひゅ、むにゅふふふ。  
 
いつも通り過ぎるだけの寝室とリビングの間のピアノ部屋、スタインウェイのリビングルームタイプのグランドピアノ。  
親父の事故があってから、一度も手を触れてない。  
運指もできないような超初心者が練習するようなピアノじゃねえよ。  
そう言いながら、俺は莉子を柔らかいタオルで洗ってやった。  
本格的な譜読みやソルフェージュなんかより、流行のポピュラーなんかを練習した方が、楽しめていいんじゃないかなと考えてる自分に気づいた。  
莉子は、俺に知らない店で弁当を買わせるだけじゃなくて、ピアノの蓋まで開けさせようとしてる。  
「ふにっ?!」  
頭からざっぷりと桶のお湯をかけられて、莉子が変な声を出した。  
「な、なんですか、旦那さまぁ」  
ぷるぷると頭を振った莉子が目を丸くして俺を見上げた。  
俺はなんだかおもしろくなって、うひゅっと笑った。  
 
ヤバイ、感染してる。  
 
――――了――――  
 

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