『メイド・莉子 9』  
 
 
金曜の夜、離れに帰ってくるとメイドの制服を着た莉子が飛び出してきた。  
「おかえりなさいませ、旦那さま」  
俺の手から弁当の袋を奪い取る。  
え、莉子、もう仕事してるのかよ。  
「はい、それはもう、すっかり元気になりましたし、お休みしてましたらお給料をいただけません」  
テキパキと俺の世話をしようとするけど、やっぱりぎこちない。  
「いいって、俺のことはしなくても!」  
メイド長が軽い仕事を回してくれるのでラクチンです、今日なんてずうっと座ってさやえんどうの筋をとったり、銀食器をみがいたりしてました、としゃべる莉子を、まじまじと見る。  
本当のことを、言っているか、どうか。  
実際は、執事やメイド長にお勤めを辞めろとか言われてるんじゃないだろうな。  
「旦那さま、お弁当はいついただきますか。今日は、ピアノも教えていただけますか」  
弁当は、食ってもいいけど。  
ピアノ、ねえ。  
莉子は、子供の頃にピアノを習いたくて、見学に行ったピアノ教室で俺にひとめぼれしたという。  
俺はさっぱり覚えてないけど。  
結局、ピアノを習えなかった莉子に、俺はピアノを教えてやると約束していた。  
半年以上のブランクを経て鍵盤を前にした天才少年ピアニストは、期待に目を輝かせたメイドを前にちょっと緊張さえしたもんだ。  
音符を飛ばしながら簡単な曲を弾いてやってから、莉子に席を譲った。  
初心者の不器用さに愕然とするのは、その直後だ。  
なんで、右手と左手が同じ動きしかできないんだ。  
指を動かしたら足が動かないのはなんでだ。  
楽譜をいつもドから数えないとわからないのは、どうしてだ。  
「やっぱり、わたくしが下手なので、もういやになってしまったのですか」  
うん、とは言えない。  
自分が習い始めのころのことは覚えていないけど、誰でもこんなもんかもしれないしな。  
莉子は、弁当の袋ではなく、端がボロボロになった楽譜を抱きかかえていた。  
俺が、最初の一曲に選んだ『チューリップ』。  
こんなの寝てても弾けるのに、莉子はまだ左手が動かない。  
「じゃあ、弁当食ってからちょっと弾くか」  
「はいっ」  
ケガのせいか、まだちょっとぎこちない動きで、莉子が楽譜を置いて弁当の紙袋を取り上げる。  
楽譜には、なにをこんなに書くことがあるんだというくらい、びっしりと書き込みがしてあった。  
莉子のヤツ、勉強してたのか。  
いそいそと弁当のフタを取って、莉子が歓喜の声を上げた。  
弁当を置くのはそうっとそうっとなのに、なんでとんでもない勢いで俺に飛びかかって来るんだよ。  
「旦那さま、旦那さま、これは間違ったご注文ではありませんよね?」  
あたりまえだ。莉子の大好物のトリプルハンバーグ弁当だぞ。  
ソファの背もたれにしたたか腰を打ち付けて涙目になりながら、俺は莉子の頭をゲンコでコツンとした。  
腕の中で莉子が目を丸くして俺を見上げながら、あごにひとさし指を当てた。  
「でもわたくし、旦那さまがどうしてもとおっしゃるならひとつしかないこのウサギさんのカマボコをお譲りしてもいいです」  
バーカ。  
ちくしょう、やっぱりかわいいじゃねえか。  
 
莉子の弾くあまりに個性的で芸術的な『チューリップ』に頭を抱え、出来の悪いピアノのお仕置きをベッドでみっちりやっていたら、寝坊をした。  
とっくに起きて母屋の仕事をしていた莉子に見送られて、車を出す。  
起こせよ、バカメイド。  
土曜の恒例行事。高速を飛ばして、陽子さんが入院する病院へ。  
こうして窓の横を流れていく景色を見てると、錯覚しそうだ。  
陽子さんが一度目を覚ましたことも、莉子に対してむき出しにした敵意も、全部なかったことなんじゃないかって。  
個室のドアを開けると、目の前に桜庭美月が立っていた。  
これは、陽子さんが一度目を覚ます前にはなかったことだな。  
「いらしてくださってたんですか」  
正直、もしかしているかなとは思っていたけれど。  
美月は小さいハンドバッグと、紙袋を提げていた。  
ひとつにまとめて細いリボンをつけた髪が、俺のあごの下で縦に振られる。  
「今日は那智さんはいらっしゃらないのかと思いました。失礼しようと思ってたので、どうぞ」  
ドアの前を譲るように、美月が体をかわす。  
莉子より頭半分、背が高い。  
肩はもっと華奢で、薄い緑色の洋服からは細い胴とウエストが想像できた。  
俺が動かないのでとまどっているのか、そっと自分の髪に触れた指は長い。  
手首の細さのわりに大きい、ピアノ向きの手だな。  
美月なら、チューリップくらい寝てても弾ける。  
それどころか、総譜を見ながら交響曲について語ることもできるだろうな。  
「もし時間があるんだったら、もうちょっといませんか」  
気がついたら、そう言っていた。  
美月の白い頬に、ぱっと朱が差した。  
いや、えっと、だって、陽子さんは眠っているわけで、話しかけても独り言だし、相手がいたほうが話題もあるし。  
俺のしどろもどろの言い訳に頷いた美月は、陽子さんの枕元、俺の隣りに腰を下ろした。  
「お忙しい、ですよね」  
しつこく俺が言うと、美月はくすっと笑う。  
むひょ、とかうにゃ、とかいう笑い方はしないんだな。  
当たり前だけど。  
「仕事も見つかりませんし、時間はたくさんあります」  
ピアノの先生というのも、再就職は厳しいのか。  
「……でも、桜庭エンターテイメントのお嬢さんなら、なにも」  
働かなくてもいいのに、という言葉は飲み込んだ。  
「兄が口を滑らせたんですね」  
あ、しまった。  
形のいい眉をひそめていた美月が、俺の慌てたのを見てころころと笑った。  
へえ、こういう笑い方もするのか。  
「冗談です。でも、働いた方がいいですよね。人間として、バランスがいいというか」  
……なるほどね。そんなもんかな。わかんないけど。  
「那智さんは、すごいですよね」  
陽子さんの顔を覗き込むようにしてちょっと微笑んで、美月は俺を見ないで言った。  
「すごい?」  
「タカシナの社長なんて、誰にでもできることじゃないですし」  
俺に出来ることでもないような気がするんだけど。  
「野球も」  
へ?  
「野球も、熱心にやってるって兄が。兄なんて、少年野球でちょっとやっただけで、今はただ運動不足解消にやってるんですって。お腹が出てしまうからって、ふふふ」  
俺だって、そんなに熱心じゃないけど。  
莉子にホームランを打って見せる約束があるから、やってるだけだ。  
「それにお義母さん思いだし、優しいし……」  
言われる言葉がくすぐったい。  
俺はそんなに立派じゃない。  
今、陽子さんが眠っているのだって、俺のせいかもしれないんだ。  
陽子さんは、前と同じように眠っている。  
まつ毛の長い目を伏せて、規則正しく息をしている。  
だけど体にはいくつもの管がつながれていて、その目も唇も開くことはない。  
それはたぶん、俺のせいで。  
俺が……。  
 
俺が黙り込むと、美月はそれ以上何も言わずに冷蔵庫からポットを出してグラスにお茶を注いだ。  
「どうぞ。……あ、温かいほうがよかったかしら」  
「あ、いや。ありがとう」  
グラスを受け取るときに、美月の手に触れた。  
俺は、思春期の少年みたいに手を引っ込めてしまった。  
美月の指先は、ピアニストの指先だった。  
あれ。  
美月は、俺のことを誉めようとする人なら十人が十人、必ず言うことを言わなかった。  
天才少年ピアニスト、高階那智のことを。  
冷たい紅茶が、喉に流れ込む。  
莉子の弾く、バラバラのチューリップ。  
俺がいくつもの舞台で弾いてきた、たくさんの曲。  
拍手をくれた、たくさんの観客。  
苦笑いの、オーケストラ。  
客を集められる子どもの機嫌を取る興行主。  
俺を見ない指揮者。  
そうだよな。  
ちょっと音楽が好きな、小さい子どもがかわいらしく指を回すのを見るのが好きなお客ならともかく。  
基礎からちゃんとクラシックをやった奴が、俺のピアノなんか評価したりしないよな。  
「那智さん?」  
呼ばれて、自分がちょっと笑ってるのに気がついた。  
「美月さんは、やっぱり音楽の仕事を探してるんだよね?」  
あ、残念ながら俺にどこか紹介してやる当てはないんだけど。  
「そうですねえ、でも今は少子化でピアノを習いたい子どもも少ないですし、教職の空きもなくって困ります」  
ふふふっと笑いながら、美月の長い指が空中で鍵盤を叩く。  
嬉しそうに、楽しそうに。  
鼻歌で曲を当てながら、指先と足の先が演奏をする。  
俺、ピアノ弾くのにこんな顔したことあったのかな。  
失業中の桜庭美月ほどに、ピアノが好きだったかな。  
「今度、なにか聴きたいですね。うちの離れにはまだピアノ置いてあるんで」  
空中で演奏する手をぴたりと止めて、美月が驚いた顔を上げた。  
いや、驚いたのは俺のほうなんだけど。  
俺って、お愛想とはいえ、こんなことすらっと言える人間じゃなかったはずだ。  
「ぜひ」  
にっこりされて、俺は心臓がバクバクした。  
 
お先に、と病院を出たはずの美月が駐車場で車の周りをうろうろしているのを見つけたのは、つまむものを探しに売店へいく途中の廊下から外を見たときだった。  
運転席のドアを開けて体を半分入れたり、車体の下を覗き込んだりしている。  
どうやら、車の調子が悪いらしい。  
俺はエレベーターで下へ降りた。  
「どうかしましたか。上から見えて」  
声をかけると、美月がほっとしたように笑った。  
「エンジンがかからなくなったんです。私、こういうのってさっぱりわからないの」  
俺だってさっぱりだ。  
機械に弱いだけじゃなくて、お坊ちゃん育ちだからこういうトラブルの対処にも弱い。  
どこか、修理屋みたいなところに連絡したらいいのか。それってどこだよ。  
すっかり安心したような美月の様子を見たら放り出すわけにもいかず、俺は屋敷に電話して執事に手配を頼んだ。  
「那智さんに気づいていただいてよかった。ほんとはかなり途方にくれてたんです、私」  
修理屋が来るまで病院のロビーで自販機のカップコーヒーを飲みながら、美月が何度も礼を言う。  
「地下駐車場に止めてたら見えなくて気づかないとこだった。それより、すぐ戻ってきてくれればよかったのに」  
「でも、ご迷惑ですから」  
「とんでもない、お世話になってるのはこっちなのに」  
遠慮しあって、それがおかしくて、俺も美月も笑った。  
もし今度なにかあったらすぐに、と携帯の番号を交換した。  
初めて、自分でゲットした女の子の番号だ。すげえ、俺。  
結局、美月のワーゲンはレッカーされて行き、俺は美月を乗せて帰ることになった。  
 
「ほんとに、ほんとに良かった。那智さんが来て下さる日で。……車も」  
初めて助手席に女の子が乗っている情況に緊張しながらハンドルを握り締めている俺に、美月はちょっとうつむいたまま話す。  
沈黙が重苦しくならないように、話がうるさくない程度に。  
ちょうどいい距離感と、ちょうどいい温度に、俺はほっとする。  
「……那智さんの車でドライブなんて、夢みたい」  
柔らかい声。  
「でも、彼女に怒られたりしません?私がここに座ったりして」  
冗談めかして、少し親しみをこめて。  
「嘘、那智さん今ほんとにお付き合いしてる方いないの?」  
喜んでるように聞こえるのは、俺のうぬぼれか。  
「お忙しいんですものね。陽子さんが心配してらしたの、気のせいだと思ってたけど」  
女の子といて、こんなに緊張しないのって珍しい。  
「陽子さん、元気になったら真っ先に那智さんのお相手を探しそう」  
耳に心地良く、美月が笑う。  
お相手なら、陽子さんはもう、探してるのかもしれないと思ってたけどな。  
冗談に冗談を返したつもりだったのに、美月は黙ってしまった。  
え、あ、あれ。  
……あれ?  
美月?  
 
なりゆきで、俺は美月を連れて帰ってきた。  
離れに車をつける。  
「こちらから来るの、初めてです。ちょっとロココ調かしら」  
庭や離れの造りを眺めて、美月がにこっと笑った。  
俺には洋風、としかわかんないけど。  
帰ると連絡しなかったから、莉子は母屋にいるかもしれない。  
今のうちにこっそり、いや、なんで自分の部屋に帰るのにこそこそしないとならないんだ。  
「おかえりなさいませ」  
ドアを開けるなり、声をかけられて俺はびくっとした。  
「いらっしゃいませ」  
業務用の微笑で、規則どおりに頭を下げた莉子が、俺の手から陽子さんの着替えの入った紙袋を受け取る。  
今日のお弁当はなんでございますか、わたくし当ててみせます、お弁当にしますかピアノにしますかそれともわたくし。  
莉子はいつもまくし立てるそんなセリフをひとつも言わず、美月の前にスリッパを整えた。  
いや、別に、これは深いわけもなくて、いつも陽子さんが世話になっている人をだな、その。  
俺が必死で目で語っているのに、莉子の奴は見向きもしない。  
莉子は、俺の部屋でいつも寝転がって弁当を食うソファに座った美月にお茶を出すと、そのまま頭を下げて出て行った。  
……怖え。  
なんかわかんないけど、この後めんどくさいことになる気がする。  
昨夜、あんなにわふわふと俺の体をむさぼっていた莉子が、拍子抜けするくらいきちんとメイドの仕事をしたのが不気味だ。  
でかすぎるテレビを前に、俺は美月と並んでお茶を飲んだ。  
「お茶ばっかりだね」  
病院からこっちで三杯目だ。  
美月がほんとに、と笑う。  
トイレは一番奥の寝室なんだけど、廊下のを案内したほうがいいだろうな。  
美月は俺にトイレなんて言い出しにくいだろうし、どうしよう。  
「あー、ピアノはこっちなんだけど」  
俺が言うと、美月はカップを置いてさっと立ち上がった。  
莉子がきちんと蔵書を隠しておいてくれてよかったと、つくづく思った。  
美月は恐る恐るグランドピアノの前に座り、フタをあけて布を取る。  
どうぞ、と勧めるとぽろん、と鳴らした。  
「いい音……。弾いてらっしゃるのね」  
まあ、最近はちょっとだけ。  
指を慣らすようにしてから、美月は短い曲を弾いた。  
明るくて優しくて、かわいらしい演奏だった。  
 
「ちょっとミスしちゃった」  
照れたように、美月が肩をすくめた。  
「うちにあるピアノとは全然音が違うわ……、こう、奥のほうから揺さぶられるみたいな」  
そうかな。俺はあんまりわからないけど。  
それなら、また弾きに来る?  
ああ、なに言ってるんだ俺。  
「そんなに優しいこと言ったら、私、ほんとに来ちゃいますよ?」  
どうぞどうぞ。俺もまたちょっとやりたいし。先生がいると助かるよ。  
それじゃ、先生もちょっと練習しておかないと、と美月はまた笑った。  
よく笑うんだな。  
そのきれいな横顔を見ていると、美月はまた一曲弾いた。  
今度は、せつないような悲しげな、でも優しい音だった。  
美月の譲った椅子で、俺はもっともっとやさしい簡単な練習曲を弾いた。  
緊張して、間違いだらけで、俺と美月はものすごく笑った。  
ピアノでミスしても叱られないなんて初めてで、楽しかった。  
 
小一時間ほどで、俺はまた美月を桜庭の家まで送っていった。  
帰りに、サザンクロスデリバリーの本店まで行って限定デラックス洋風弁当を買った。  
後ろめたさを隠すように、デザートのプリンアラモードも追加で。  
離れに戻ってから、莉子を探す。  
なにやってんだよ、弁当だぞ。  
匂いを嗅ぎつけて飛んでこないかと、廊下で紙袋をパフパフしてみた。  
「おかえりなさいませ、旦那さま」  
後ろから襲うんじゃねえよ、びっくりするじゃないか。  
襲う……、おそ、襲わないのかよ。  
莉子はただの荷物を受け取るように俺から弁当を受け取り、ちょっと後ろを歩く。  
なんか、拍子抜け。逆に不気味。  
部屋に入って、上着を脱いで、ソファに腰掛けても莉子は……、襲ってきやがった。  
俺に飛び込むな、痛いから。  
「旦那さま、旦那さま、おきれいなお嬢さまでしたよね」  
いきなり核心を突くんじゃねえよ。  
「おしとやかでお上品で、そりゃもう、奥さまが旦那さまのお嫁さんにと選んだだけのことはございます」  
え。  
なななななな、なに言ってんだよ。  
俺は全身の毛穴を全開にして、はあっ?と言い返すのが精一杯だった。  
「メイドたちは大騒ぎです、奥さまのご容態次第では、もうすぐにでもコトブキな行事があるのではないかと」  
ソファの上に押し倒されて、くっつきそうなくらい顔を近づけて、莉子はにこっとした。  
「プロポーズは、なさいましたか」  
ババババババババカメイド、なに言ってる。  
「わたくし、旦那さまにお嫁さまがいらしても、こんがりやきもち焼いたりいたしませんから」  
……え。  
莉子が俺の胸にぱふんと顔を伏せた。  
真下を向いて伏せてるから、鼻が潰れてるぞ。  
「高階さまくらいのおうちで、タカシナくらいの社長になりますと、奥さまの他に2号やら3号やらいても普通ですよね」  
……は?  
あの、莉子さん?  
「やっぱり、3号4号と増えていきますと、一人あたまの回数といいますか、そういうのが心配ですけど」  
は?は?は?  
「でも、できればわたくしのことを2番目にしてくださるといいんですけど」」  
おい、莉子。  
それ以上、なんか言うと俺、混乱してなにするかわからないぞ。  
ほっぺたを両側からつかんで、思いっきり横に引っ張った。  
「ほげ……、いはい、いはいれふ、らんらはら……」  
手を離すと、莉子はほっぺたを両手で押さえて目に涙をためた。  
「はあ、痛いです。旦那さま」  
うるさい。黙れ。  
なに考えてんだよ、さっぱりわかんねえよ。  
 
「だいじょうぶです。わたくし、もし3番目になったからって旦那さまのことヘチマで追いかけたりしませんから」  
そういうことじゃないだろ。  
なんで、俺が美月を本妻にして、莉子を妾に囲うことになってんだよ。  
お前、俺のこと大好きなんじゃなかったのかよ。  
「あ、わたくし、ちゃんとここでお勤めもしますから、あんまり費用はかかりません」  
メイドがバカすぎて、言葉も出ない。  
「いひゃ、いいひゃいいひゃいいひゃいれふっ」  
俺はまたおしゃべりなメイドの口の中に指をつっこんで、両側に目一杯ひっぱってやった。  
「い、痛いです、旦那さま、なにをなさるんですか、もう」  
なになさるんですかはこっちのセリフだ、バカメイド。  
俺に考える時間をよこせ。  
「俺はあの人……、桜庭さんにプロポーズなんかしてないし、全然そんなんじゃねえよ」  
疑わしい目で俺を見るな、近づくな、かわいいじゃねえか。  
莉子を膝の上に乗せて、子猫みたいになでまわしてやった。  
ふにゃん、と甘えてきたところで抱きしめて、キスしようとしたら恐竜が吠えた。  
「……腹、減ってるのかよ」  
「旦那さま、デリカシー……」  
ねえよ、そんなもん。  
俺はやっとほっとして、笑いながら莉子を膝から落とすと、弁当を持ってこさせた。  
サイコロステーキをメインに、野菜のグリル焼きや蒸しエビ、イカリングフライにキノコのマリネなんかを次々と莉子の口の中に落としてやった。  
おいしいです、と言いながら、莉子はあまり食が進まず、弁当を大分残しているのに俺の膝から下りた。  
「なんだよ、具合悪いのか。まだプリンが」  
うげ。  
急に抱きつかれる。  
「なんだよ、おい」  
「約束してください。わたくしのこと、2号さんにしてくださるって」  
バカメイド。  
なに考えてんだよ。  
メイドが主人の2号になりたいなんて、おかしいだろ。  
まあ、莉子はただのメイドじゃなくて俺の特別だけど。  
特別だったら、なんかこう、もっと、別のお願いがあるんじゃないのかよ。  
「ですけど、ですけど、わたくし、ふゃあん……」  
泣き出しやがった。  
ああもう。面倒くさいな。わけわかんねえ。  
莉子の背中に手を回して、ぽんぽんしてやった。  
俺がちょっと、桜庭美月だったら、高階のお嫁さんとしてうってつけだと思っていたことが莉子にバレてたんだろうか。  
美月だったら誰も反対しないし、家のこととか奥さま会のこととか、俺が面倒なことも全部引き受けて、きちんとやってくれるかなーって。  
桜庭がバックアップしてくれたら、俺が頼りない分もフォローになるんじゃないかなーって。  
俺が、ややこしいことを人に押し付けたいだけの甘ったれだって、莉子にわかってるんだろうか。  
莉子の顔を覗き込むと、泣いてぐしょぐしょになって鼻水が垂れていた。  
色気もかわいげもない。  
ティッシュを引き抜いて、顔中を拭いてやる。  
まっ赤な目をして、化粧が崩れて、ひどい顔だ。  
だけど、やっぱりかわいいよな。  
全然美人じゃないけど、俺には莉子がかわいく見える。  
それって、やっぱり好きってことなんだろうな。  
美月といるのは楽しいけど、美月のことかわいいとは思わない。  
ワガママで食いしん坊でバカで不器用なメイドだけど、どこがいいのかわからないけど、俺は莉子の事が好きなんだろうな。  
しょうがねえな、まったく。  
……初恋パワーって、俺にもあるのかな。  
もっと拭いてと言わんばかりに顔を向けていた莉子が、まつ毛をパタパタした。  
「なんでございますか」  
なんでもねえよ。  
たぶん、莉子が俺の初恋だってことなんか、一生誰にも言えない。  
24になるまで、誰のこともちゃんと好きになったことがなかったなんてさ。  
 
だから、なんでもない。  
なんでもねえけどさ、莉子。  
今日、ピアノ弾く?それとも。  
「昨日も、いたしました」  
したけど、できるよ、俺。  
くふ、きゅふきゅふ。  
お元気ですね、旦那さま。  
いいじゃねえか。いやなのかよ。  
とんでもございません。ただ。  
ただ?  
連続だからって、手抜きはいけません。それはもう、みっちりとねばっこくしつっこく。  
注文が多いな。  
でも、やるよ。  
莉子は俺の顔を見つめたまま、もう一度まつ毛をパタパタする。  
「旦那さま?」  
「……わかってるよ、みっちりとねばっこくだろ」  
くひゅくひゅ、と機嫌を直した莉子が笑う。  
「旦那さま、わたくしのことほんとに2号さんにしてください」  
……今やめろ、そういう話。  
せっかく、めんどくさい話をごまかそうとしてるのに。  
「でも、旦那さまがよくっても、奥さまになる方がいやだとおっしゃったら、どうしましょう」  
バスタブにお湯を溜めながら、風呂場に声を反響させて言う。  
後ろから蹴ったら、莉子はバスタブに落っこちかけてずぶぬれになった。  
「ひどいです、旦那さま」  
「そうだろうそうだろう、ほら風邪を引く前にさっさと脱げ」  
「やあん」  
やあんじゃねえよ、タカシナの社長の2号ともなればな、健康診断が必要なんだ。  
「でもでも、今までもいっぱいお調べになってますよね」  
俺は、びしょびしょになって体に張り付いたメイドの制服を引っぺがした。  
「まだ、足りないんだ。莉子のこと、なんにもわかってないんだ」  
くるんと剥かれて、莉子は嬉しそうに身をよじった。  
俺は莉子に服を脱がされて、バスタブに突き落とされて、目にも耳にも染みるくらい泡だらけにされて、嫌いなヘチマで背中と足の裏をこすられた。  
なんで莉子は、俺の奥さんになりたいって言わないんだろう。  
俺と結婚すれば高階の奥さんだし、今みたいなメイドの仕事なんかしなくていいし、小言を言うメイド長だって執事だって、今度は莉子の命令をきくんだし、今よりいいもの食べて、いいもの着て。  
「旦那さま、集中です」  
あ?  
ボンヤリしていると、莉子がぷくんとほっぺたを膨らませた。  
「気を散らさないで、ちゃんとしてください、ほら」  
バスタブの栓を引っこ抜いて、莉子が俺を立たせる。  
だけど、だけどもし莉子が俺に結婚してくれって言ったら、俺はどうするんだろう。  
莉子に、高階の奥さんが務まるのかな。  
親戚とか会社の重役とか、なんて言うだろう。  
「だーんーなーさーまっ」  
俺の頭からバスタオルをかぶせたまま、莉子が俺の手を引いた。  
前が見えねえよ、危ないって。  
うお。  
突き飛ばされて、俺はベッドに転がった。  
なにしやがるんだ、まったく。  
上から莉子がダイブしてくる。  
「旦那さま。難しいこと考えてますか。お仕事ですか、おきれいなお嬢さまですか」  
どっちでもない。  
「いけません、今はわたくしが独り占めです。……わたくしだけの、旦那だまでふ」」  
言葉の最後を、ちょっと噛んだ。  
莉子に首筋や肩先を甘噛みされながら、俺は何の根拠もなく莉子の耳もとで呟いた。  
「心配しなくて、いいよ。バカ」  
う。  
莉子の指が、俺の弱点を捕まえる。  
ピアノよりうまいじゃねえか。  
 
上に乗った莉子が、俺の上半身をくまなくなでたり舐めたり噛んだりする。  
だんだん下がってきて、ちょっと期待したのに脚のほうに移動した。  
バカメイドのくせに、いっちょまえに主人を焦らすつもりらしい。  
ちょっと膝を立ててやると、莉子のあごに当たる。  
「あうん、いけません旦那さま」  
ずりずりとよじのぼって来て、俺の顔を見下ろす。  
「あんまりわたくしの顔をひっぱったり、ゴツンってしたりしますと、顔が変になります」  
今は変じゃねえのかよ。  
「今より、です」  
そう言いながら俺のほっぺたに噛みつくなって。  
「もし、もしですよ?旦那さまがわたくしのこと2号さんにしてくれる気になったとして」  
また、その話かよ。  
「わたくしの顔がその時あんまり変になってたら、反対されるかもしれません」  
わけのわからないこと言いながら、莉子がせっせと俺の乳首をつまんでいる。  
「タカシナの社長ともなれば、2号さんにはもっときれいな人を選んだ方がいいとか言われます」  
あー、そういうもんか。  
「まあ、わたくしは3号でも4号でも、文句を言ったりはしませんけど」  
うん。気持ちいい。  
「でもあんまりお妾さんがいっぱいいると」  
莉子の手が下がってくる。  
「わたくしのところに回ってくるのが、何日にいっぺんくらいになるか心配ですし」  
あ、そこ。  
「今はまだお若くてお元気ですけど、お疲れになっちゃったりしてあんまり出来ないとか困ります」  
うん、すっげー元気。  
莉子、コツをつかんでるじゃねえか。  
「れふから、あんまり、わらくしの顔を変にしらいれくらはい……」  
うんうん。あー、咥えられた。食われる。  
おう。  
莉子の舌遣いが、たまらない。  
先っぽをぐりぐりしたり、下から舐め上げたり、全体を吸い上げたりする間に手で袋をそっと揉む。  
あー、あー。  
もちょっと強くしてくれ。  
そしたら、イク……。  
う。  
なんで止めるんだよ、バカ莉子。  
「気持ちいいですか、旦那さま」  
うん。だから、もちょっと。  
「落っこちちゃいますか」  
うんうん、落っこちたい。  
両手を交互に使いながら、莉子が本格的にしごき出した。  
う、うあ、あー。  
すげー、いい。  
こういうの、いいとこのお嬢さんにはしてもらえないんだろうな。あ。うう。  
「旦那さま、旦那さま」  
なんだよ、今いいとこ。  
「旦那さまが落っこちたら、わたくしのことも」  
うん、うん、してやる。  
「……あん」  
してもいないのに、人のをしごきながら艶かしい声だしてんじゃねえよ。  
色っぽいじゃねえか。  
「うん……」  
なんで莉子があえいでるんだ、それ、すっげえいいじゃねえか。  
あ。  
いい、それ、もちょっと。あ、そこ。  
思わず、腰が浮いた。  
 
背骨からしびれるような気持ちよさ。  
全身の感覚が、1ヵ所に集まって、俺は莉子の手の中に射精した。  
残らず搾り出すように莉子がしごいて、俺は気持ちよく落っこちた。  
あー、すんごい良かったです、莉子さん。  
ちょっとかったるくなったので、もちょっとなんかこう、アフターケアみたいのいいですか。  
「あん、ずるいです」  
言いながら、莉子は俺の隣りにぺったりとくっつくように横になって、耳たぶをはむはむした。  
うっとうしいような、けだるいような、気持ちいいような。  
しばらくそうしてから、俺は莉子の体に手を伸ばした。  
待っていたように、莉子がすり寄ってくる。  
ちょっと、あっち向け。  
いいから、ほら、後ろからおっぱい触りたいんだよ。  
背中から手を回して、胸を手のひらで包む。  
さっき莉子が俺にしたように、指先で乳首を弾く。  
「あん……」  
感じるの、早すぎるだろ。  
「だって、先ほどからずっと」  
俺にしてただけで、感じたのかよ。  
相性いいな、俺たち。  
乳首がぴんと固くなるのが、指先でわかる。  
背中を舐めたり、腋の柔らかいところを吸ったりしてるうちに、莉子の腰がもぞもぞする。  
なんだよ、もう欲しいのかよ。  
「あの、旦那さま……」  
うんしょっとこっち向きに転がった莉子が、赤い顔をしていた。  
「こっちにも、お願いします」  
ひとさし指が、ぷっくりした唇を押している。  
注文が多いな。  
ま、手抜きなしでみっちりの約束だからな。  
キスすると、唇が開いた。  
絡めた舌も、気持ち良かった。  
いつの間にか、舌も腕も脚も絡めて、俺は莉子とくんずほぐれつで転がっていた。  
「ふあ…、ん、あん、な…」  
お、のってきたな。  
「……あ、ん、那智さまあ……」  
うんうん。  
その声が、好きなんだ。  
莉子が俺に絡みついたところに手が触れた。  
なんだ、このちょっとぬめっとしたの。  
「ま、あの、やんっ」  
そんな大股広げて俺に巻きつくから、俺の脚が濡れちゃうんだろ。  
莉子の、気持ちいい水が付いちゃうんだろ、な。  
「やあん、那智さま、ヘンタイ……」  
俺の変態は、今に始まったことじゃない。  
俺は莉子をベッドに転がして、ぱかっと脚を広げた。  
「んきゃっ」  
ほら、ここんとこぐしょぐしょじゃねえか。  
こんなんで俺の脚を濡らしやがって。  
どれどれ、ちょっと調べるぞ。  
「んあっ、あん、いきなりですか、そんなの、んっ」  
いきなりって言ったって、いきなり突っ込むわけにもいかないだろ。  
ほらほら、ちょっと柔らかくなってるけど、まだ狭いだろ。  
指一本からいくぞ。  
お、ずっぽり。  
もう熱いじゃねえか、エロメイド。  
ぬめぬめだな、二本入るぞ。ほら。  
知ってるぞ、ここんとこが気持ちいいんだろ。  
「ふあ……、あ、んっ」  
うんうん、いっぱい擦ってやるからな。  
なんなら、落っこっちゃってもいいからな。  
 
あ、なんか俺もむずむずする、あー、挿れたくなってきた。  
指で中を擦っていると、莉子がどんどんうっとりした顔になってくる。  
そのうち、ちょっと苦しそうに表情がゆがんだり、腰が揺れたりし始める。  
あ、俺、莉子のことわかってる。  
莉子がどこをどうされたら気持ちいいか、ちゃんとわかってる。  
俺がどうされたら気持ちいいか、莉子がわかってるみたいに。  
「ん、ああん、那智さま、いや……」  
そうか、いやか。  
わかってるぞ、莉子はこのまま指で落っこちるのがいやなんだ。  
そういうことだよな?  
俺はそうっと指を抜き、涙を浮かべた莉子のほっぺたにキスをしてやった。  
ちょっとタイムな。  
俺がもそもそとゴムをつけてる間、莉子は俺の尻に頬ずりしていた。  
変な奴。  
もう一度、莉子を転がす。  
いいですか、莉子さん。  
ふやん、という鳴き声は了解の合図だろう。  
ゆっくり、ゆっくり。  
「んあ、ん……」  
あー。  
あ、やっぱ口でしてもらうより気持ちいい。  
してもらうのはラクだけど。  
莉子がひゅんひゅん鳴くので、わざと焦らして腰を揺らしてやった。  
「な……ち、さま、いじわる」  
莉子だってやったじゃねえか。  
俺はほら、莉子より人間が大きいからな、あんまり仕返しとかしないけど。  
入り口のところを浅く動かすと、くちゅくちゅと音がした。  
これ、何の音だよ。  
「やあん、あん……」  
も、俺もダメ。  
置くまでぬっぷりと挿し込む。  
おー、すげえ。  
「あん、あんっ」  
いきなり腰を振るなよ、折れたらどうする。  
待て待て、してやるから。  
莉子の脚を抱え込んで、挿れたり出したりする。  
擦りあげるのが、気持ちいい。  
莉子が、鳴く。  
抱えていた脚を片方下ろし、横向きにする。  
この角度もいいんだよなと思いつつしばらくその格好でしてから、仰向けに転がす。  
やっぱこれだよな。  
おっぱいの両脇に手をついて、莉子の鳴く顔を見ながら腰を振った。  
俺の動きと、莉子が揺らす腰の動きがぴったり合って、すごくいい。  
どんどん気持ちよさが上がってきて、思わず口をあけて息をしてしまう。  
ああ、いい。  
もう、止まんねえ。  
莉子が、ぎゅうっと目をつぶって喉を反らせた。  
あ、落っこちてる。  
ごめん、落っこちたときってちょっとそっとして欲しいんだよな。  
わかってるけどさ、俺、それ無理。  
ガマンして、つきあえ。  
「ん、あんっ、那智さま、やっ、あっ、あ!」  
もうちょっと。あ、いい。  
俺も、落っこちる。  
二日連続で、二回目なのに、落っこちる。  
俺、元気だな。  
挿れてるのが、莉子だからかな。  
俺、他の誰かをこんなふうに抱いて、落っこちたりするのかな……。  
自分の中から熱いなにかが出るのを感じながら、俺は莉子の上につっぷした。  
あー、落っこちる……。  
 
 
――その後も、桜庭美月は陽子さんの見舞いを続けてくれ、ちょくちょく屋敷へも来る。  
離れでピアノを弾いたり、ちょっとお茶とケーキでおしゃべりしたり、庭を歩いたり。  
この間は、柄にもなく映画に誘った。  
見たいのがあるんです、と言ってくれたのでほっとした。  
映画は意外なことに話題になっていたアクション物の洋画で、面白かった。  
相変わらず、会社の仕事は勉強することが次々出てきて忙しい。  
週末の草野球は楽しいけどヘタクソで、美月は時々見に来てくれる。  
草野球のメンバーである美月の兄も、話せば話すほどいい奴だ。  
莉子は、陽子さんのいない屋敷で、そこそこうまく働いているようだ。  
もちろん、俺担当のメイドで、特別なメイドなことにも変わりはない。  
草野球の後で、重役や講師には聞きにくい経営者としてのイロハを、こっそり長尾に聞いてみた。  
世界のタカシナの社長がなにを情けないことをと笑われそうだったのに、「ただの体験談でよければ」と言って、屋敷に来ていろいろ教えてくれた。  
俺は、人に恵まれてるな。  
……そんな風に考えてしまっていた俺は、やっぱり甘ちゃんなんだ。  
 
そして、そんな風に忙しく、俺の毎日は飛ぶように三ヶ月ばかり過ぎて行った。  
 
――――了――――  
 
 

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