『メイド・カンナ』  
 
お屋敷にお戻りになった優介さまは、自分のお部屋に入ったとたん、それまでしゃっきりなさっていたのに急にヘロヘロになった。  
「いやー、今日はたいへんだったよ。なんせ社長のお屋敷にお招きだろ。緊張したぁ」  
それなのにジーンズにポロシャツというラフな格好なのは、朝のうちに草野球の練習をしてそのメンバーでお招きされたからだ。  
なんでも、優介さまが趣味で作った草野球チームには最近、親会社の社長が加わったのだとか。  
その親会社は、去年社長が英才教育を受けた跡取りと一緒に事故死して、急遽社長に据えられた弟っていうのがまだ二十代の若造。  
で、なにがどうなったのか、優介さまがうまくその若社長に取り入ったのか気が合ったのか、一緒に貴重な休日に早起きして球遊びをしているというわけだ。  
野球チームの皆で、練習の後で新入りの社長のお宅へ行ってお食事なんて、考えただけで肩が凝る。  
優介さまは、足元がおぼつかない歩き方でソファに崩れおち、足を伸ばして靴下を脱がせとせがむ。  
私はその足元にかがみ込んで、靴下を脱がせた。  
「ピアニスト崩れの社長、ご機嫌でしたか」  
裸足になった優介さまは、ぷっと吹き出してから笑いをひっこめた。  
「こらこら、カンナ。誰が聞いているかわからないよ」  
「聞いてませんよ。お風呂、入りますか」  
「壁に耳ありジョージにメアリー。お風呂はあとでいいや」  
くだらないことを言って、優介さまはスポーツバッグの中から飲みかけのスポーツ飲料のボトルを引っ張り出す。  
「あ、それでね。やっぱり社長のお屋敷はなにもかもすごいんだけど、一番すごかったのはなんだと思う?」  
「さあ、なんでしょう」  
ボトルからドリンクを飲んで、それを私に渡してからソファにひっくり返る。  
だらしないったらありゃしない。  
「興味を持って人の話を聞きなさいって。使用人の数がうちなんかとはケタ違いでね。メイドがいっぱいいたこと」  
やっぱり。  
偉い人の家に昼ごはんに呼ばれたからってだけで、緊張したり珍しがったりするわけないと思った。  
私は優介さまのスポーツバッグをひっくり返して、汚れ物を分ける。  
長尾家のメイドは私ひとりきりで、すみませんね。  
使ったタオルやジャージが汚れたまま丸めて押し込んである。  
優介さまは寝転んだまま手を伸ばして、私の背中をつついた。  
「そのメイドの中に、すっごい僕好みのかわいい子がいたんだよね」  
 
私の働くここ、長尾家のご主人は、タカシナグループの系列会社社長だ。  
明治のころ、先々代だか先々々代だかの高階社長が起業したときに、五奉行だか七武将だか呼ばれた部下たちがいて、その一人が今のご主人の先代だか先々代だかなんだそうだ。  
もっとも、その5人か7人の腹心の中ではうちの旦那さまは下のほうで、タカシナグループでもあまりパッとしない食品部門を担当している。  
私の母は、若いころから長尾家で働いていて、ずっと台所を任されていた。  
学校を卒業してすぐ、見た目だけの男に騙されて私を孕んで捨てられて、そのあげく親にも勘当されて、そんな母を住み込みで雇ってくれたのが先代の奥さま、つまり優介さまのお祖母さま。  
このお屋敷で、私はお坊ちゃま、優介さまと一緒に大きくなったのだ。  
大人びている子どもだと思われていた優介さまは、時々ひどく自分勝手で子どもっぽく、齢の離れた私とおやつの取り合いもしたし、取っ組み合いのけんかもした。  
旦那さまは、優介さまが私にひっかかれてほっぺたにミミズバレを作っても笑っているような方だったし、使用人の子どもとお坊ちゃまではあるけど、高階社長の家ほど大きくて格式のある家でもない。  
母は隠居して別荘に行った大奥さまについて行ったし、今いる使用人だって、ほんの何人かだ。  
私だって、学校を出たらアパートでも借りて普通に会社勤めでもするつもりだった。  
優介さまが、勝手さえ言わなければ。  
「カンナは、うちにいてよ」  
その一言で、私は長尾家に主に優介さまのお世話をするメイドとして雇用されることになったのだ。  
大学卒業後は、タカシナフーズの片隅で仕事をしている優介さまは、そこそこ評判がいいらしいが、私の前では昔と変わらないわがままなお坊ちゃまだ。  
ひたすら世話が焼ける。  
 
「そうですか。で、どうなんです、そのピアニスト…あがりの社長っていうのは」  
言い直すと、優介さまはニヤッとした。  
「まあ、ハンサムの部類に入ると思うよ。背も高いし、ステージ映えしたんじゃないかな」  
私はスポーツバッグに入っていたグローブで優介さんの頭を軽く小突いた。  
練習のたびに、手入れを欠かさない大切なグローブ。  
「なにするの、カンナちゃん」  
ソファにくたっと寝そべったまま、優介さまが苦情を言う。  
「誰も社長の見てくれのことなんか聞いてないですよ。中身でしょ、中身。タカシナグループを率いて、まとめて、でっかくすることができる人なのかってことです」  
ニヤニヤ笑いながらソファでごろごろしていた優介さまが、ほんの一瞬真顔になる。  
私が見つめると、すぐにまたニヤニヤ顔に戻って、うーんと手足を伸ばす。  
「まだ、シロウトだね」  
なるほど、見込みはあるってことか。  
優介さまが、ダメだね、とおっしゃったら、私はさっさとタカシナを見限るように勧めるところだった。  
「人が良すぎるのが心配だけど、そこは周りがきっちりすればいいことだからな。タカシナさえ背負ってなければほんとに気持ちのいい青年なんだけど」  
ぶつぶつ言いながら、大きなあくびをする。  
野球の後に社長のお宅訪問で、疲れているんだろう。  
「ちょっとお昼寝したらいいですよ。私、洗濯してきますから」  
「やだ、カンナがいてくれないとやだ」  
でかい図体をして、長い手足をジタバタしながら言う。  
「あまえんぼちゃんでしゅねー、いけましぇんよー」  
「カンナがいてくれたら、お昼寝するう」  
「はいはい、子守唄でも歌いましょうね」  
旦那さまか奥さまかお屋敷の誰か、会社関係の誰かが見たら腰を抜かすだろう。  
タカシナフーズ社長の息子が、将来頼もしいとウワサのサザンクロスデリバリーの若き社長が、自宅のソファでメイドに添い寝を求めて駄々をこねているのだ。  
私はソファに寝そべって両手を差し出す優介さまに近づき、そのまま胸の上に腰を下ろした。  
「うげっ、ばか、カンナ、重い!」  
「ふふん」  
私は鼻で笑って立ち上がった。  
赤ちゃんごっこはおしまいになった。  
お部屋を一歩出れば旦那さまの自慢の息子で、お屋敷を一歩出れば期待の若手社長で、それなりに疲労とストレスが溜まるんだろうと思う。  
だから、私はわかっていてわがままを聞いてやるし、ごっこ遊びにも付き合ってやる。  
「ほんとに、お昼寝しませんか。30分したらコーヒーを持ってきますから」  
「……うん」  
優介さまは素直に目を閉じ、私は薄い毛布をかけてから洗濯物を抱えて部屋を出た。  
優介さまが私のことを幼馴染だと思っているのか妹だと思っているのかメイドだと思っているのか、時々よくわからなくなる。  
……少なくとも、女の子だとは思っていない。  
見てくれに恵まれた優介さまは、小さい時からそりゃあもてた。  
いい家の子女ばかりが集まる幼稚園や小学校に行ってたくせに、女の子たちは競って優介さまの隣の席になりたがり、ハンカチを貸したがり、お弁当のおかずを分けたりしたがった、と母から聞いた事がある。  
勉強もできたし、スポーツもできた。  
バレンタインや誕生日はチョコやプレゼントが机に山積みになり、恋の鞘当は日常茶飯事だった。  
最初に優介さまのガールフレンドの地位を射止めたのは、どこぞのお嬢さまだったそうだ。  
何度かデートらしきものをしたようだが、長く続かなかったらしい。  
ファーストキスは中学二年生、初体験は高校一年生。  
野球部に入ってレギュラー取り合戦の合間に、ちゃっかり校内一の美少女と付き合っていたのだ。  
ぐりぐりの坊主頭で汗と泥にまみれてボールを追いながら、朝と放課後に彼女とイチャつくのが楽しかったらしい。  
アタシを甲子園に連れて行って、というやつかもしれない。  
なぜ私がそんなことまで知っているかと言うと、優介さまがいちいち細かに報告するからだ。  
まだ小学生の私は、男の子の初体験について報告されても意味もわからず、わかってからの気まずさったらなかった。  
もちろん、私が最初のボーイフレンドと学校の裏でキスしたことや、彼の家の六畳の和室で初めてエッチしたことなんかは、優介さまには話していないけど。  
きっちり30分たってから、コーヒーを入れて優介さまの部屋に戻る。  
あんまりお昼寝しすぎると、夜に眠れなくなる。  
 
そっとドアを開けてみると、ソファには丸まった毛布があるだけで、優介さまは机に向かってなにか読んでいた。  
お仕事かお勉強だろうと、私はそのままドアを閉めようとした。  
「カンナ」  
顔を上げてこちらを向いた優介さまが、ちょっと笑った。  
「入っておいで」  
さっきまで、駄々をこねる子どもごっこをしていたというのに、今はもうすっかり28歳の青年社長の顔になっている。  
ちょっとドキッとしてしまった。  
「お邪魔ですか」  
「僕がカンナを邪魔にしたことなんかないだろう」  
そんなふうに言われるとドキドキする。  
カンナがいてくれないとお昼寝しない、と甘える子どもを演じて遊ぶ優介さまも嫌いじゃないけど、こういう優介さまも嫌いじゃない。  
たぶん、私以外のみんなが見ている優介さまは、こっちなんだろうな。  
「コーヒーですけど」  
「うん、そこ置いて」  
優介さまは読んでいた本に栞を挟んで閉じ、机の奥に置いた。  
「さっきの話だけど」  
コーヒーを一口飲んで、優介さまは手で私に座るように示す。  
私は小さな椅子を持ってきて、優介さまの隣りに腰を下ろす。  
「なんですか」  
「だから、社長のとこにいた、かわいいメイド」  
がっくりだ。  
青年社長、撤回。  
「やっぱり、社長のお気に入りかな」  
「知りませんよ、そんなこと。社長に聞けばいいじゃないですか」  
「聞いたんだけど、嫌がられた。うん、あれは絶対嫌がってる」  
どういうこと?  
「僕が思うに、高階社長はあのメイドが好きなんじゃないかな」  
コーヒーカップを持ったまま椅子を回してこちらを向いた優介さまは、私に膝をくっつけるようにして身を乗り出す。  
「へー。で、優介さまは高階グループの社長を敵に回してでも、そのメイドに手を出したいんですか」  
「そこなんだよ」  
どこですか。  
「それはさすがにヤバイだろう。でもさ、気になるんだよ」  
胸がチリっとした。  
「だって、世界のタカシナの社長が、自分ちのメイドに気があるんだよ、しかもマジで」  
マジかどうかわかんないじゃないですか、というのはガマンした。  
「……気になるだろ?」  
「いいえ、べつに」  
「そうかなあ」  
優介さまは、社長のメイドが本当に気に入ってどうこうしたいというより、お気に入りのメイドに他人が目をつけていると知ったタカシナ社長がどうするかを、見たいんじゃないだろうか。  
「本気なんですか、その……、高階社長が」  
「社長が、メイドに?」  
私の目の前で、優介さまは手を振った。  
「ないない、それはない。タカシナともなれば、社長がメイドを相手にするなんて絶対ない」  
絶対。  
また、胸がチリチリした。  
「ま、そうでしょうけど」  
「かわいい子だったんだよ、こう、目がきゅっとしてあごがつんとして、足とかちょんっとして」  
全然わかんない。  
どうせ私は、きゅっとかつんとかちょんっとかしてないし。  
「わかんないです。優介さまは、高階社長が嫌いなんですか」  
「んなこたない。社長でなくても友だちになりたいくらいだよ」  
女の子は絶えずはべらせていたけど、男友だちの少なかった優介さまにしては、珍しい。  
「だったら、嫌われるようなことしなきゃいいのに」  
社長のお気に入りのメイドなんかに手を出さなくっても、他に女の子はいっぱいいる。  
「なんていうの、先見の明で心配してんの」  
「は?」  
 
優介さまが、コーヒーカップを渡してくれたので、一口もらう。  
ひとつしかないおやつを取り合う子ども時代が終わると、優介さまは、ごく自然に自分の分を分けてくれるようになった。  
例えそれが、飲みかけのコーヒーでも。  
どうしても欲しければ、私も自分の分のコーヒーを用意すればいいんだけど。  
気が回るんだか回らないんだか、こういうところが優介さまはお坊ちゃんなんだろう。  
「だからさ、いくらメイドが気に入られたって、所詮はメイドだろ。あの子にその気があってもなくても、結局は」  
優介さまの手が、首の辺りをすっと横に動いた。  
チリ、チリ。  
「……いいじゃないですか、よそん家のメイドがどうなっても」  
「でも、かわいい子だったんだよね。……カンナ?」  
未練たっぷりな顔をしていた優介さまが、急に真顔になった。  
コーヒーを返せと言ってるのかと思って差し出したのに、優介さまは受け取らなかった。  
「なに、機嫌悪いね」  
「べつに」  
「あ、そうだ」  
机の上にカップを置くと、優介さまはニヤッとする。  
「どう、今日」  
チリ。  
「なんですか」  
「もしかして、ダメな日?」  
チリチリを通り越して、腹が立ってきた。  
「そうじゃないですけど」  
「いいだろ、最近ご無沙汰なんだよ」  
優介さまがしばらく前に、お付き合いしていた女の子と別れたのは知ってる。  
なぜ知ってるかといえば、優介さまが言ったからだ。  
別れただけじゃなく、初めて会った日のことも、付き合うようになったことも、いつどこへデートに行って、どこで寝たかも。  
その気になれば私は優介さまの日記を代筆できるぐらい、何でも知っている。  
だから、優介さまがどのくらいご無沙汰なのかも、私は知っている。  
「そうだ、新しいiPodを買ってあげるよ。カンナ、欲しがってたろ」  
欲しいものを買ってあげるから、おにいさんとエッチなことしよう。  
優介さまは、バカみたいだ。  
「それとも」  
私が、いいですよと言わないので優介さまは首をひねった。  
「もしかして、新しいオトコでもできた?」  
だったらいいけど、と言わんばかりにニヤッとする。  
いつも会社へ行く時にはピシッと上げている前髪がほつれて、その隙間から切れ長の目が私を見ていた。  
腹が立って、胸がチリチリ痛くて、私は床を蹴るように立ち上がった。  
「ヘッドホンも欲しいんです。音質のいいのが」  
優介さまは広い肩をちょっとすくめた。  
「足元見てくるね、カンナちゃん」  
手を伸ばして、読みかけの本を取り上げる。  
「じゃあ、晩メシのあとね」  
優介さまにとって、私はなんなんだろう。  
 
旦那さまたちのお夕食の後、私は浦沢さんが作ってくれたご飯を食べた。  
浦沢さんは子持ちの未亡人で、通いの料理係。この後、朝食の仕込をして帰っていく。  
夜になると、お屋敷には住み込みの私と交代で夜勤の男の使用人が一人いるだけになる。  
母は大奥さまについて別宅で働いているし、数人いるメイドもみんなパートで通いだ。  
朝食は私が仕度をし、掃除や洗濯以外のことは奥さまもご自分でなさる。  
長尾家は、その程度のお金持ちだった。  
後片付けを済ませ、ご家族の方がみんな入った後のお風呂に向かう。  
私は毎日、最後にお湯をいただくから、冷めている。  
沸かしなおすのが面倒で、いつものようにシャワーで済ませて、静まり返ったお屋敷の台所から階段を上がって優介さまの部屋へ行った。  
「ご飯、食べたかい」  
ノックもせずにドアを開けたのに、優介さまは振り返りもせずに言う。  
お風呂上りでダボッとしたスウェットのハーフパンツにTシャツだ。  
「いただきました」  
 
ポットに入れてきたジンジャーティーをカップに注いで、優介さまの机に置いた。  
「カンナ、僕に精をつけさせて、どうする気?」  
「そんなものつきません」  
軽口の応酬。  
「つけたいな。たっぷりしたい気分なんだけど」  
ニヤニヤしながら、言う。  
「じゃあ、バッグも買ってもらわないと」  
「高いよ、カンナ」  
「私、安い女じゃないんですよ」  
「わかってるさ、町でウワサのいい女、誰もが一度は寝たいと思う、だろ」  
歌うように言って、優介さまはジンジャーティーのカップを取り上げる。  
そんな歌、ない。  
「欲しいのは、どこのバッグ?」  
私は、優介さまの横にぴったりと立って、腕に腰を押し付けた。  
若い女の子の間で人気のブランドの名前と、新作の値段を言う。  
優介さまは、少しも困った顔をせずに困ったねと言って笑った。  
「明日にでも買っておいで。僕の名前でね」  
また、チリッとした。  
それは、優しさなんかじゃない。  
代価を払うことで、私と優介さまは貸し借りをなくす。  
さあ、とジンジャーティーのカップを空にして優介さまが立ち上がる。  
iPodとヘッドフォンと新作バッグで買われた私は、しぶしぶ優介さまについてベッドのほうへ行く。  
「カンナとするの、久しぶりだね」  
チリ、チリ。  
「前のオトコ、なんていったっけ。コンビニでナンパされたんだよね」  
優介さまは、私の嘘を簡単に信じる。  
「そいつとファーストフードを食べて、家に帰るのが遅くなってお母さんに叱られたんだろ。安い油で揚げたジャガイモでニキビができた」  
季節の変わり目にできたニキビを、優介さまが見つけてからかったから、そう言った。  
「銀行に就職したばかりの新社会人で、次のデートで一緒に映画を見たんだよね」  
優介さまは留守が多いから、私がお屋敷にいようがいまいがわからない。  
「そいつのワンルームマンションに行ったのは、何回目だっけ」  
お休みなので出かけてましたデートでしたと言いながら、一日中お屋敷で窓拭きをしていても、わからない。  
「で、良かったの、そいつ」  
架空のカレシを作って物語を語っても、優介さまにはわからない。  
「なんで別れたんだっけ。ああ、たしか」  
優介さまは、私の服を脱がせる。  
「……鼻をかんだティッシュで、テーブルにこぼした水を拭いたから」  
ベッドに腰掛けて、優介さまは私の胸に下から顔を寄せた。  
「カンナ」  
優介さまは、私の嘘に気づかない。  
背中に腕が回されて、引き寄せられる。  
優介さまの脚に膝を乗せて、私は優介さまの首を抱く。  
「……カンナ?」  
優介さまが、下着の隙間から指を入れて弾いた。  
「あ」  
思わず声が出て、優介さまは私の腕を引っ張ってベッドに座らせた。  
立ち上がって、Tシャツを脱ぎ、ハーフパンツと下着を一緒に脱ぐ。  
甲子園の土を踏んだ高校球児は、今も鍛え上げられた身体をしている。  
ベッドに片膝をついて私に乗りかかる。  
「なに?気が進まない?」  
「優介さまが、iPodとヘッドフォンとバッグだと思えば平気です」  
そんなひどいことを言われても、優介さまはちっとも怒らない。  
ニヤッと笑って、私を仰向けに押し倒した。  
「エンコーには、ちょっと女の子が齢くってる」  
エンコーを、援交と漢字変換するのにちょっとかかった。  
「そういうことするオジサンになりそう」  
「僕が?」  
私の身体をまさぐりながら、優介さまはニヤニヤする。  
脂ぎってハゲ頭でお腹の出た優介さまが、スカートの短い女子高生にお金をちらつかせてホテルに連れ込む姿を想像した。  
 
「でも、女子高生は、ロミオとジュリエットごっこはしてくれないだろうな」  
私だってしない。してあげてもいいけど。  
優介さまの腕に手を添えると、筋肉の動くのがわかる。  
二の腕から肩に、胸に、筋肉をなぞる。  
休みの日の朝に走っていることもあるし、野球の練習やジムにも行っているせいか余分な脂肪はどこにもない。  
割れた腹筋が上下している。  
私が筋肉に触るのを愛撫だと思ったのか、優介さまは顔を両手で挟んでキスしてきた。  
体中でここだけかと思うくらい柔らかな感触。  
「カンナ。どっちがいい?」  
「……なんですか」  
自分の口の中に、優介さまの声が反響するみたいだ。  
「コンビニでナンパしてきたカレシと、僕。どっちのキスがいい?」  
状況と相手によれば、ものすごく今の場面が燃え上がる挑発的なセリフ。  
「ばかみたい」  
優介さまは気分を害して行為を止めてしまったり、怒ったり、ましてや私を殴ったりはしなかった。  
ニヤッと笑うと、私の胸をつかんだ。  
「開発中の季節の弁当。デザートにブランマンジェを入れたいんだ」  
そのまま、優しく揉みしだく。  
「持ち運んでも壊れない、口溶けのいいぎりぎりの柔らかさが欲しいんだよね」  
私の胸は、ブランマンジェではない。  
ていうか、人の胸を揉みながらテイクアウトのデザートについて考えるってひどくない?  
「真ん中に、ブルーベリーかラズベリーとミントの葉。もしくは、フルーツソース」  
目をつぶって、新しいバッグのことを考えた。  
「ねえ、カンナ。ストロベリーとオレンジとどっちのソースがいいかな」  
カチンときた。  
「どっちでもいいです」  
このままバッグのことを考えていれば、終わる。  
優介さまが私の身体を気の済むまで撫で回して、勝手に興奮して、勝手に入ってきて、勝手に動いて、終わる。  
バッグ。新しいバッグ。  
そんなもの、いくつあったって持って出かけるところもないのに。  
メイドの制服以外、優介さまがいくら流行の高い洋服を買っていいよって言ってくれたって、ネックレスもイヤリングも化粧品も、使い道がない。  
そりゃ、部屋の中ででも新しい服を着てみるのは楽しくて嬉しいんだけど。  
優介さまが、動かなくなった。  
そっと目を開けると、触れそうなほど近くに優介さまの顔がある。  
「カンナ」  
「はい」  
「ちょっと、中断ね」  
中断って、なんだろう。  
優介さまは枕を積んで壁を作り、そこに足を投げ出して寄りかかる。  
両手を伸ばして私を抱き寄せた。  
優介さまの脚の上で、私は硬い胸に顔を押し付ける。  
優しく髪を撫でてくれながら、寒くないかいとささやいた優介さまの声が、私をチリチリさせた。  
「なんですか」  
「うん。いや、あんまり乗り気じゃなさそうだから」  
「……そんなことないですけど」  
優介さまが、私を撫でる。  
「カレシとか……、好きな男とかできたら、断ってもいいんだよ」  
「できません」  
「ふうん。なんでだろ。カンナ、かわいいのに」  
私は、優介さまの腕を力いっぱいつねった。  
「いて。誉められて怒るのはおかしいだろ」  
「自分がかっこいいから女の子にもてるって言いたいんですか」  
「なーんで、そうなるかな」  
私は、お仕事中の優介さまを見たことがある。  
子どもっぽく笑ったり、私に甘えたり、自分勝手な理屈を並べたりしているいつもの優介さまとは別人で、髪も服もパリッとして、偉そうにいろんな人に命令していた。  
反対意見を言う人をきちんと説得したり、その意見を受け入れて新しい考えを話したり、ものすごくデキる青年社長っぽかった。  
まだ若くって、背が高くって、スポーツマンで、頭も良くて、仕事ができて、そこそこお金も持っているし、ちょっと顔もいいんだから、女の人が放っておかないだろうなって思った。  
今の優介さまは、ただのニヤけたお坊ちゃんだけど。  
 
「学生のころは、周りにいっぱい女の子がいたけどね。今はみんなほら、僕を社長だとしか思ってないから」  
「ふうん」  
「あ、なにその興味なさそうな言い方」  
優介さまが、ずうっと私を撫でてくださる。  
うなじとか耳の後ろとか、頭にもキスをする。  
すごく、優しく。  
肩から腕を少し強くマッサージするように撫でてくださるのが気持ちいい。  
胸は、そっとさするように、動かす。  
他愛のない話をささやきながら、体中を愛撫されて、私はうっとりと目を閉じた。  
「カンナ」  
「……ん」  
「して、いい?」  
あ、そっか。  
「いいですよ……」  
あったかくってとろんとしている心地良さが冷めないように、私は目を閉じたまま小さく言った。  
「ありがとう」  
なんで、お礼なんか言うんだろうと思いながら、私は優介さまに抱きかかえられたままベッドに横になる。  
お互い、たまたま今はカレシとかカノジョとかいなくて、だからちょっとこういうことするだけ。  
優介さまは、そう思ってる。  
唇で、優介さまを受ける。  
でも、きゅっと力を入れて唇を閉じる。  
優介さまは閉じたままの私の唇の上と下を挟むようにしたり、舌先でつついたりする。  
こういうの、キライじゃない。  
気持ちいい。  
優介さまは優しくしてくれるし、私がしてほしくない時に強くしたりしない。  
壊れやすい薄いガラス細工か、ふわふわの羽毛に触れるように、そっと扱ってくれる。  
だから、私は優介さまとこういうふうにするのが好き。  
優介さまの指が、私の輪郭をなぞる。  
頬とあごを温かい指先がすべり、唇に触れる。  
あごをつまむようにして、下唇を開かせられる。  
優介さまのあったかくって湿った舌が、唇を割る。  
私は歯を食いしばる。  
意地っ張りな私の口がこじ開けられる。  
「……噛む?」  
笑いながら、優介さまがささやいた。  
噛んでやろうか。  
差し込まれた舌を舌で受けながら、考える。  
もう、他の女の子にキスなんかできないように、舌も唇も、血が出るくらい噛んでやりたい。  
「……ん、んっ」  
頭と反対に、私の口からは嬉しくてたまらないような声が漏れてしまう。  
優介さまのしてくれるキスが好き。  
優しくて、とろけそうになるまで続く愛撫が好き。  
時々ささやかれる、照れ隠しのような冗談が好き。  
優介さまが好き。  
首筋にも胸にもお腹にもキスされて、私は綿菓子に包まれたような気分になる。  
もう、優介さまったら胸が好きなんだから。  
あんまり大きくないというか、どっちかというか、いや、はっきり言って小さいから恥ずかしい。  
私はガリガリなのがコンプレックスだから、優介さまが物足りなくないか心配になる。  
服を着ればモデルみたいでかっこいいって女の子同士なら誉めてくれるけど、男の子はもう少しぽっちゃりしてる方が好みらしい。  
あとちょっとだけ、女の子らしい丸みとか柔らかさとかがあればいいのに。  
それなのに、優介さまは私のちっさい胸を寄せ集めるようにして吸っている。  
筋肉質な自分の胸のほうが盛り上がってるなんて言われたら、ほんとに舌を噛みちぎってやる。  
私は優介さまの首に腕を回して抱きついた。  
そのまま転がって、上になる。  
 
いいなあ、優介さまの胸は仰向けになっても流れたりしないから。  
私が見てるので、わざと胸の筋肉を動かしてみせる。  
硬い胸だけど、先端の乳首はちょっと柔らかい。  
唇で挟んでちゅっと音を立てる。  
んふ、と優介さまの息が漏れた。  
あ、気持ちいいんだ。  
優介さまが、私の頭の後ろを撫でてくれる。  
「サービスいいね、カンナちゃん」  
こんな時にふざけるなんて腹立たしいけど、照れ隠しだってわかってるから許す。  
私がしばらくサービスに徹していると、優介さまのアレが天に向かって立ち上がってきた。  
いつ見てもグロイなあと思う。  
怖いもの見たさでちょんちょんとつついて揺らしてみる。  
「うお」  
あ、おもしろい。  
つついたり、握ったりしてみると優介さまが痙攣する。  
へえ、こうなるんだ。  
気持ち悪いなー、これが入るのかー、けっこう大きいよね、痛いはず。  
「……カンナ」  
ぽん、と優介さまが私の腰を叩く。  
「チェンジ」  
え、なに、と聞き返す間もなく、優介さまが私に乗りかかってきた。  
あ、入れられる、と思った。  
なのに優介さまは私の脚の間に身体を入れて、顔をつっこんだ。  
「ご開帳」  
なに言ってんだかわかんない。  
あそこを、触られる。  
恥ずかしくって、私は枕を顔に乗せて隠した。  
触られる感覚だけが研ぎ澄まされるみたいで、変な気分。  
お尻のあたりがムズムズして、頭がぼうっとして、ふわっと浮き上がるような気持ち。  
なんか、変な音がする。  
枕の隙間から見ると、優介さまが舐めてる。  
「や、なに、なにしてるんですか優介さま」  
目だけ上げて、優介さまがくぐもった声で答える。  
「気持ちよくなるかなと思って」  
それは、まあ、悪くないけど、だけどそんなことしてるって思わなかったから。  
「やめてください、そんなとこ」  
「だってねえ」  
舐める舌が話すために使われているせいで、今度は指先でいじっている。  
「カンナ、痛いんだろ?」  
ドキッとした。  
気づかれていると思わなかった。  
学校の先輩に告白されて付き合って、誘われるままにエッチしたのが初体験。  
それは本当だけど、その後たくさんいたはずのカレシの話はほとんど嘘で、エッチだって最初のカレシと2回しかしてない。  
そのカレシだって、そんなに好きだったわけじゃないから、付き合ったのもほとんどモテモテの優介さまへの当て付けだった。  
遊びなれたオンナノコのふりをして、彼女がいない時期の優介さまに抱いてもらった。  
経験豊富だから、軽いオンナだから、気軽に誰とでもそういうことをするんだと思われてもよかった。  
どうせ、優介さまは私のことメイドで幼馴染で妹みたいなものだとしか思ってないんだから。  
そうでなきゃ、相手にしてもらえないと思ったから。  
その度に、なにか買ってもらうのだって、優介さまが私のことを面倒に思ったりしないように、エッチと買い物でチャラくらいの関係の方がいいんだって自分に言い聞かせた。  
慣れてるフリをしなきゃいけないから、アレが気持ち悪いとか言わないし、入れたときに痛いとか言わないようにいていた。  
でも、優介さまにはわかってたんだ。  
「女の子はデリケートだからね」  
器用に片目をつぶって、優介さまはまたぺろっと舐めた。  
ピリッとしびれたような感じがした。  
「んあっ」  
優介さんはそこばっかりする。  
ピリピリが大きくなって、気がついたらお尻を跳ね上げて、優介さまの顔を太ももでぎゅーっと挟んでた。  
「……あ、すみませ、あんっ」  
 
優介さまが私の中にアレを入れて、すごーくゆっくり動いてくれた時にこんな気持ちになる。  
入れた時と、早く動いた時はちょっと痛いんだけど、ゆっくりの時はすごく気持ちいい。  
今は入ってないのに、ちょうどそんな感じでうっとりする。  
「……うん、んっ」  
そんなつもりないのに、声が出る。  
「カンナ」  
顔を隠してた枕が取られて、いつの間にか優介さまの顔が近くにあった。  
「痛かったら、言うんだよ?」  
もぞもぞと下の方に行って、ごそごそやっている。  
それから私の腰の下に枕を入れて高くする。  
「なんですか、優介さま、それ」  
丸見えになってしまうんですけど。  
「この方がラクだと思って」  
また勝手なこと言ってると思ったけど、すぐに違うとわかった。  
押し広げられるような感覚はあったけど、痛くない。  
なんかこう、角度が合ってるというか、正しい方向を向いてる感じ。  
あ、こうすればよかったんだ。  
力を抜いて、優介さまを受け入れる。  
あ、この感じ。  
入っただけで、心地のいい気分。  
「あ……」  
「大丈夫?」  
「…は、はい」  
優介さまが、良かった、と言って私の手に唇をつけた。  
唇にキスしてくれないのは、やっぱり気にしてるのかもしれない。  
私だって、あそこをあんなに舐めた口でキスされるのはちょっとためらうけど。  
でも。  
言いたいことがわかってくれたのか、優介さまは窮屈そうに身体を丸めてキスをしてくれた。  
目をつぶっていると、優介さまの舌や唇の感触が気持ちよくて、背筋にまでしびれがくる。  
「カンナ…、動いていい?」  
頷いてから、あ、また痛くなるかなと思った。  
でも、優介さまは私の脚を回して、後ろから抱いてきた。  
両手が胸を触って、お尻に押し付けるようにされて、ゆっくり、ゆっくり動く。  
あ、気持ちいい。  
胸を触っていた手が下がって、お腹の下に行く。  
あ、と思う間もなく前から触られた。  
「きゃ、あ、や、あん、それっ、あ」  
脚をじたばたしたけど、なんといっても後ろから前に腕を回されて抱きしめられているし、身体の中心には、その、そんなものを差し込まれて固定されてるしで逃げようもない。  
「もう、抵抗してもかわいいな、カンナ」  
またそんなこと言ってからかって。  
「あんまりかわいいから、興奮してきた……」  
なに言ってるんだかちっともわかんない、あん。  
いろんな女の子に、こういうこと言ってるんだろうなって思ったら、またチリチリッとしてきた。  
「うんっ、……あ」  
やだ、お尻が動いちゃう。  
優介さまが、私の後ろで息を乱している。  
ジョギングの後でも、筋トレの後でもへっちゃらな顔してるのに、私を抱いて息が荒くなってる。  
そう思ったら、漏れる声が大きくなってしまって恥ずかしかった。  
「カンナ、顔見せて」  
そう言って、私の肩をつかんで上を向かせた。  
片脚が優介さまをまたいで、あそこでつながったまま私は仰向けにされる。  
中でねじれたりしてなきゃいいんだけど。  
「……ん」  
動いたのが、また変な感じ。  
 
「ね」  
目を閉じてたから、優介さまが私のほっぺたに自分の顔をくっつけそうになってるのに気づかなかった。  
息がかかるくらい顔が近くて、その顔がちょっと紅潮していて、すごくカッコよく見えた。  
「気持ちいい?」  
そ、そんなこと言えるわけない。  
「ねえ、カンナ」  
私が顔を背けて横目で見ると、優介さまがニヤニヤしている。  
「気持ちよくなってほしいんだけどな。もっと触らないとだめ?」  
「あんっ」  
前から手を入れて、ピリッとするところに触られた。  
小刻みにいじられると、ピリピリする。  
「やん、あ、……っ、ゆ、優介さま、あんっ」  
そこに触ったまま腰を動かすものだから、私は悲鳴みたいな声をだしてしまった。  
「……ん、僕も気持ちいい……」  
あ、そうか。  
ピリピリするとかムズムズするとか、変な心地だと思ってたけど、気持ちいいんだ。  
うん、私も気持ちいい。  
すごい、気持ちいい。  
くちゃくちゃって音がするけど、これはなんだろう。  
あ、すごい、いい。  
当たるところとか、こすってる感じとか、すごい。  
「あ、ん、うんっ……」  
「ん、カンナ、かわいい……」  
嘘ばっかり、そんなこと言って私を喜ばせようとして。  
どんなに嬉しくたって気持ちよくたって、ちゃんとバッグは買ってもらうんだから、あん。  
今までも感じたことのある感覚がどんどん強くなってくる。  
飲み込まれる。  
「あ、あ、っ、やん、あ、ああっ、ああ、あんっ」  
もう声が止まらない、お尻が上がっちゃう。  
優介さまの息遣いが聞こえる。  
自分の声が自分で聞こえなくなって、ふうっと意識が遠のいた。  
 
カンナ、カンナ。大丈夫、カンナ。  
優介さまの声に目を開けると、目の前に優介さまの顔があった。  
「……あ」  
「気分はどう?」  
あれ、私、どうしたんだっけ。  
「気を失っちゃんだよ」  
一気にいろんなことを思い出して、それから優介さまに抱きしめられて一枚の毛布に包まっている現状を把握して、顔から火が出そうになった。  
「ちょっとやりすぎちゃったかな。あんまりカンナがかわいくてね」  
「……嘘ばっかり」  
私の呟きは、聞こえなかったらしい。  
「大丈夫?くたびれちゃった?」  
首を横に振ると、頭の上にキスされた。  
「カンナが喜んでくれて、嬉しい」  
そういうこと言われると、ものすごい恥ずかしいのに、どうして言うんだろう。  
優介さまは、それからも私が恥ずかしくなるようなことをいっぱい言った。  
何が良かったとか、なにがかわいいとか。  
それから、だんだん言葉が少なくなって、そして寝息を立て始めた。  
そのままじっとしていて、優介さまが熟睡した頃に私はそっとベッドをぬけ出した。  
制服を着て、部屋を出る。  
自分の部屋に戻って、ベッドに潜り込む。  
暖かくって柔らかくて、優介さまの匂いがいっぱいついたベッドから、自分の冷たいベッドに入るとちょっと悲しくなった。  
優介さまが朝帰りをしたときなんか、どこかの女の子が朝まであの腕の中で眠ってたんだろうなと思ってチリチリする。  
それでも、目を閉じてうつぶせになると、ついさっきまでの優介さまの感触が蘇るようで、恥ずかしさでジタバタしたくなった。  
かわいいよカンナ、と言ってくれた声が耳元で聞こえるみたい。  
恥ずかしくて嬉しくて、私はすごく幸せな気持ちで眠りにつく。  
優介さまの夢を見たかったのに、気がついたら朝だった。  
 
午後になってから、優介さまがお仕事に言っている間にブランドショップに行って、欲しいと言ったのよりもっと高いバッグを選んで、優介さまの名前でツケにしてきた。  
夜になって、これ買いましたよと見せたら、優介さまは、かわいいね似合うよと言ってくれた。  
本心なのか上っ面なのかわからないけど、これで貸し借りなしだと思ったのかもしれなくて、私はまたチリチリする。  
二週間後、優介さまは私に、届いたばかりの新型のiPodとヘッドフォンを渡してくれた。  
ちょっと期待したのに、裏の刻印はふざけた愛のメッセージですらなく、ただ片仮名でそっけなく“カンナ”と彫ってあった。  
部屋にある、これも前に優介さまに買ってもらったパソコンでCDを取り込みながら、私はひとりでチリチリする胸を持て余して悶々とした夜を過ごした。  
 
 
――――了――――  
 

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