「さて…それでは行くとするか。……準備はいいか?」
「待ってください…えっと……βεψαλμξχ…。……完成しました! 今は魔法は無力化していま
す!」
夜――学院の高い壁の傍らに数人の人影。そのうちの一人、リックがレイナに話しかけた。
レイナは、しばらく呪文を唱えていたかと思うと、顔をあげて答える。
同時にリュウが傍らの木と壁を利用してジグザグに飛んだかと思うと、あっという間に上からロープが
降りてきた。
「す…すごい……」
「お、おいおい、見とれてる場合じゃない、急ぐぞ」
「あ、は、はいっ!」
ぽかんと口を開けて見とれているポールを、リックが肩を叩きながらうながす。
ポールは気を取り直したように、ロープを木に括りつけた。
「な、何者だ、お前たち! ぐはあっ!」
「誰か、侵入……ぐうっ!」
壁を乗り越え、学院内に潜入したが、いきなり見張りに見つかってしまう。
だが、見張りが周りに警告の声をあげる前に、リュウがあっさりと倒していた。しかも素手で。
一同は今更ながら、リュウの踊るような戦いの動きに見とれ、目を丸くしていた。
「さ…急ぎましょう。のんびりしている余裕はない」
リュウの声に我に返った一同は、言葉を発することなく学院内を進んでいった――
「た、大変だ! 侵入者だ! μξλχ…… な、何だ!? ま、魔法が!? ぐぎゃあっ!」
「警報はどうしたんだ!? まったく鳴って…ぐぶっ!」
「こっちだ! こっちに侵入者がいるぞ!」
「気をつけろ! 魔法が使えなくなっているぞ!」
「ちっ、見つかってしまったか。仕方ない…ポール! 例の部屋ってのは、あとどのくらいなんだ!?」
「えっとね! この廊下の突き当たりの大きな扉を抜けて、長い長い階段を降りきったとこだよ!
「そのあとは扉があるか!?」
「うん! ひとつだけあるけれど、あのときは手で開けられたよ!」
何人かに出会うたび、リュウが瞬く間に相手を失神させてはいるが、とうとう警備の人間に見つかって
しまう。
舌打ちをしながらリックはポールに尋ね、ポールが答える。
「………そうか。じゃあレイナ! あの扉をぶち開けたら、結界を解除しろ!」
「…う、うん。分かった! …でも、ぶち開けるって? …きゃっ」
走りながらリックはレイナに叫ぶ。レイナは答えながら質問する。と、その横を駆け抜ける風――
「じゃあ、いきますよ! はあああぁぁぁっっ!! ……えいやあっ!」
バキッ! グシャッ!!
あっという間に、リュウが扉の前まで走りより、長く息を吐き出したかと思うと、扉に跳び蹴りを見舞
った。
その一撃で、あっさりと扉は砕けた。
「…はぁ…はぁ…はぁ…。Χξμλαψεβ………。…よしっ! 皆さん、私の後ろにきてください!
βχακρτ…………λιγ!!」
レイナが息を切らせながらも呪文を唱える。唱え終わるや否や、全員を自分の後ろに集める。
何をするのか一同が見守っている中、再び呪文を唱える。
すると、レイナの全身に青白い光がほとばしり、見る間に杖の先端に集中していく。
レイナは、杖を一旦後ろに振りかぶったかと思うと、前方に向かって振り下ろした。
同時に青白い光が球体となって飛んでいく。そう、彼らを追ってきた者たち目掛けて――
「皆さん、目と耳を塞いで!!」
ドカーーン!!
レイナが叫ぶと同時に、目もくらむようなまばゆい光と、耳をつんざく大音量が響き渡る。
目を開けた一行は、自分の目が信じられなかった。そこには、一列になって倒れている人間たちが転が
っている。
生きているのかどうかは……判断する余裕が無かった。一向はそのまま階段を駆け降りていった―――
「あら。あなたたち……どうやって、ここまで来たのかと思ったら…。
ポール、あなたが連れてきてくれたのね……嬉しいわ…愛してるよ…」
無限とも思える階段を降りきった最深部、そこに”彼女”はいた。
”彼女”はポールに向かって微笑みを浮かべながら言う。
一方で、一向は声も出せずに固まっていた。
目の前にレイナがいなければ、多分彼女をレイナと思ってしまっただろう。
それ位、その姿はレイナに瓜二つだった。上半身は。
そう、ポールの言うとおり、彼女の下半身は巨大なヘビだったのだ。
「うるせえな。別にポールがどうこうじゃない。俺たちは俺たちの意思でここに来たんだ。
オマエが俺たちのことを何か知っているか、話を聞きだすために、な」
「あら…リック……久しぶりね。忘れたの? あなたは”ここ”で第二の生を受けたのに……χψ…っ
と…」
リックが剣を抜き、彼女に向かって突きつける。その目は怒りに燃えている。
だが彼女は悠然とした顔で、まるで意に介するでもなく答えた。そして、最後に何事か呟いた瞬間、
「!? …!! ぐ…ぐわぎゃあああっっ!! ああああっっ!」
「リックさん!? どうしたの? リックさん! しっかりして!」
剣を床に落とし、両手で頭を抱えて叫び声をあげながら床を転がる。
レイナがリックの元に駆け寄るが、リックは叫び声をあげたまま転がり続けていた。その目は完全に常
軌を逸している。
「あなた…あなた、リックさんにいったい何をしたのよ!?」
「心配することないわよ。ただ単に”思い出した”だけよ。ここに来たときのことを、ね」
どうにかリックを抱えながら、レイナが彼女を見据えながら叫ぶ。その目には涙が光っていた。
相変わらず、彼女は悠然とした表情で、さらりと受け流した。
「ホムンクルスを作るときはね、人間の体を素体とするんだけれども、生きながら解体しなければなら
ないの。
それも難しいことに意識を残したままで。さすがに大の男でも泣き叫んでいたわ。
完成したら、そのときの記憶はさすがに封じるんだけど、わざわざ思い出したいっていうから、
そうしてあげたんだけど…いけなかったかな?」
「あ…あなたって…あなたって……αβχικρ…………λγτ!!」
けろりとした顔で言葉を続ける彼女。それもまったく悪気がなさそうに。
レイナは怒りをかみ殺すかのように呪文を唱える。
今度は青白い光の代わりに赤い光がレイナの体を包み、杖の先端に集中したときは紅蓮の炎と化してい
た。そのまま、杖を彼女に向かって振りかざした。一直線に飛ぶ炎が彼女を包もうとする瞬間――
パンッ
「へ〜え。結構魔法も上手く使いこなせるんだ。ま、私には効かないけれどね。
それにしても、ここまで魔法の力が増強されるなら、ホムンクルスを従えるようにして正解だったでし
ょ? ――姉さん」
何かが弾けたような音がして、炎は消え去っていた。呆然とするレイナに向かって彼女が言った。
その最後の単語を耳にしたとき、リック以外の全員が、その場で凍りついたように動かなくなった。
「え……?」
沈黙を破ったのは、レイナの声だった。だがその声も、乾いた引きつったような声に過ぎなかった。
「知らないのも無理はないでしょうね。何せ私の存在自体、闇に葬られたようなものだったのだから、
ね」
彼女は、皮肉に歪んだ笑みを浮かべながら、語り始めた。
当時、双子の存在とは不吉の象徴として、双子が生まれると秘密裏に片方の子供を殺していた。
だが彼女を取り上げた老婆は、その風習を良しとせず、こっそりと彼女を殺さずに、子供の恵まれない
夫婦に託した。
彼女はそこで幸せな生活を送っていた。十歳になったとき、二人の間に実の子供ができるまでは。
実の子供に愛情を注ぐあまり、段々彼女の存在が疎ましくなってきた彼女の養父母は、ことあるごとに
彼女に辛くあたった。
突然の養父母の変わりように、彼女は戸惑いを隠せなかった。だが、それでも彼女は養父母を愛してい
た。
にも関わらず養父母は、あろうことか彼女を人買いに売りに出した。
――もっとも、彼女自身が売られたと気がついたのは、ずっとあとになってから、だが。
売られた先では、筆舌しがたい生活が待っていた。
日々、見知らぬ男たちに次々と抱かれ、寝る間も惜しんで働かされた。――その中に、養父の姿もあっ
たのだが。
おかげで、父親が誰とも知れない子供も出来ていたかもしれない。もっとも、本当のところは分からな
い。その兆候が見られたとき、雇い主たちは、彼女に怪しい薬を無理やり飲ませ、さらに腹を何度も殴
りつけられたから。
そんな中、一人の男性に巡りあった。彼は、彼女を大金をはたいて買ってくれた。
愛している――彼に初めて抱かれたとき、耳元で囁かれた言葉。彼女はそれを信じていた。
彼の正体を知るまでは……。
「彼はね、合成魔獣の研究家だったのよ。そして、研究の成果が今の私の姿、なのよ」
淡々と語り続ける彼女。おそらく、流す涙はすでに涸れているのだろう。
――それとも、感情を無理やり抑え込めていたのか……。
「彼が私を買ったのは、出来るだけリスクの少ない方法で、人間という”材料”を調達するため。
まったく、馬鹿だったわ。愛なんて、しょせん言葉だけ。実際は、相手をどうこうするために口にする
言葉なのだから、ね」
魔獣と化した彼女は、時間という概念が消えた。眠ってさえしまえば老化は止まり、元の姿に戻ってし
まう。
ゆえに死ぬ為には睡魔を堪え続けながら、何十年も起き続けなければならない。
そのおかげで、実質彼女は不死の身体を手に入れたも同然だった。
何回か自殺も試みたが、いざとなると恐ろしくて出来なかった。
あれからどれくらい月日が経ったか、もはや覚えてはいない。自分を魔獣に変えた男も、すでにこの世
にいない。
彼女自身は朽ち果てた建物の奥に篭もり続け、どうにかして自らを元に戻す研究を続けていた。
もっとも、成果は芳しくなく、いつの間にやら研究のための研究と化していた感は否めなかったが。
そんなある日、彼女の元に数人の男女が現れた。彼らは彼女の姿を見るなり、攻撃を仕掛けてきた。
油断した彼女は気を失ってしまい、気がつくとこの部屋にいた。
ここでは、身の毛もよだつような実験を施される運命が、彼女を待っていた。
「でも結局、彼らは魔獣の仕組みを解明させることはできなかった。ま、当然ね。
所詮、蛮人に理解できるはずがないもの。そこで連中は考えを改めて、私を利用して魔獣を創造させた
のよ。
何せ私自身、長い間の研究で、魔獣生成のプロセスは掴んでいたからね。でも…勘違いしないでね。
別に連中と手を組もうと思ったりなんかしていない。私は研究を続けていただけ。
お互いがお互いを利用してただけなのよ。だから連中、私を信用などしていない。
上の扉で厳重に封印していたのが、何よりの証拠よね」
ちらりと顔を上にあげ、忌々しそうにつぶやく彼女。
罪の意識などまるで見えず、それどころか”別の子も同じことをしているのに何故自分だけ”という、
悪戯っ子が叱られるときに、親に見せるような反抗的な目をしていた。
「じゃ…じゃあ、私は…私はどうしてここに……?」
「ああ、それはまったくの偶然よ。あなたが石になっていた、なんて私が知るはずはないし……。
でも、ここにあなたが運び込まれたとき、すぐに分かったよ。あなたが私の姉だったって。
私には双子の姉がいる、ってあの二人から聞いていたからね。ほんと、運命って不思議よね。
同じ日に生を受けて、別れ別れになった二人が、何百年も経ってから、同じ場所で実験材料にされるの
だから」
震える声でつぶやくレイナに、彼女が皮肉った笑みを浮かべたまま答える。
その声には慰みの気配はなく、ただただ侮蔑と嘲笑がこもっていた。
バキ、グシャッ
「…………っ!」
「確かに、あなたの境遇には同情すべきところはありますが、だからと言ってすべてを許すわけにはい
きません、よ」
鈍い音がしたと思うと、彼女が顎を押さえ、怒りに燃えた目つきでリュウを見つめている。
一瞬の間にリュウは彼女の顎に肘打ちと回し蹴りを放っていたのだ。
リュウは臆することなく静かに、それでも力強く彼女に向かって言った。
「フン……利いた風な口を利いてくれるわね…私がどんな目に遭ったか、知りもしないくせに…」
「リュ…リュウ……」
ゆらりと蛇の身体をもたげ、リュウに向き直る彼女。キャスリーが、リュウの名を呼びながら近づこう
とする。
「……? く…くくっ、あははっ、あはははははっ!」
「な、何がおかしい!」
一瞬、キャスリーを見て目を丸くする彼女だが、何かに気づいたように大笑いしだす。
それを見て、リュウが叫んだ。
「これがおかしくなくって何なのさ? …あなたにも感謝するわ。
実験材料になってくれるのみならず、わざわざ彼女を連れてきてくれる、なんてね。
…ううん、これもすべてポールのおかげ。…愛してるよ、ポール……」
笑いをピタリと止め、リュウに向かって悠然と語りながら最後にポールのほうをじっと見つめる。
そのときの彼女の表情は、他の連中に見せるそれとはまったく違う、優しい微笑みだった。
「さて…と、ωδφμ…っと」
「!! …………。…なんなりとご命令を…」
キャスリーを見つめながら何事かつぶやく。と、同時にキャスリーの体がビクンと固まり、
瞳の色が見る見る真っ赤に染まったかと思うと、その場に跪いた。
「な…キャ、キャスリー! オマエ! キャスリーに何をした!?」
「あらあら。さっきまで冷静だったのに、いったいどうしちゃったのかな?
まさか、彼女が自分の大事な人、なんて言わないわよね?」
キャスリーを見て動揺しながら叫ぶリュウに、楽しそうに笑いかける彼女。リュウはくちびるを歯軋り
しながら叫んだ。
「そのまさか、だ! 僕は世界中の誰よりも、彼女を愛している! 彼女が…彼女が僕の中心になって
くれる人なんだ!」
「……へ〜え、そうなんだ。中心ねえ。愛している、ねえ。……まったく…馬鹿みたい」
リュウの宣言を小馬鹿にするように、笑い続ける彼女。と、急に顔色を変えて話し出した。
「私たちの文明の時代はね。今よりも魔道の力はずっと上だった。
それで、エルフ族の魔法の特性に着目した、ある一人の魔道士が彼らを魔道戦闘用に改造したことがあ
るのよ。
ダークエルフの伝説にちなんで肌が黒く、特定の呪文を唱えると目が赤くなって唱えた者の忠実な下僕
になる、ね。
まさか、今の時代に生き残っている、とは…ホント、興味深いサンプルだわ…さて…と」
彼女は、話し終えるとともに、ゆっくりと左手をかざした。
同時にキャスリーは手元からナイフを取り出し、祈るような姿勢で自らの咽喉元にナイフを当てる。
「な! キャ…キャスリー! やめろっ!」
「ムダよ。私の命令が無ければキャスリーは動かないわ。それよりあなた、彼女が大事なんでしょう?
だったら、これからどうしたらいいか、分かるわよ、ね?」
青ざめるリュウに向かって、悠然と微笑みながら語りかける彼女。
リュウは何も答えることが出来ずに両膝をついていた。
「も…もう、やめてよっ」
それまでじっと黙っていたポールが彼女に向かって言った。と、彼女は身体ごとポールに向き直る。
「ボクも…ボクも、両親に捨てられたから、ジェイミーの気持ち、よく分かるよ。
だから…だからこれから、これからずっと一緒にいるから、お願いだから、みんなを元に戻してあげて
っ」
「ポール…。やっと…やっと分かってくれたんだね。…大丈夫、私は何があってもあなたを愛し続けて
あげる。
あなたは、上の扉を壊して、私を解放してくれた…。どこまでも、いつまでも一緒だよ……」
ジェイミーと呼ばれた彼女は、慈愛の笑みを浮かべながらポールに答え、ゆっくりとポールに近づいて
いった――
ビュンッ ザクッ
そのとき、二つの音が広間に響き渡った。
ひとつは何かが空気を切り裂く音、もうひとつはその直後、柔らかい物に硬い物が突き刺さる音。
「…あ…あれ……?」
ジェイミーが怪訝そうな声をあげる。その左胸には、巨大な矢が突き刺さっている。
「ここまでだな、ジェイミー」
「カ…カーヴィ……。お、おまえ…裏切ったな……」
突然ジェイミーを呼ぶ声が聞こえる。彼女は声のほうを振り向き、正体に気がつくと忌々しげに口を開
いた。
そこには紫色の仮面を被った男が立っている。
「裏切るも何も無い、シナリオ通りだったよ。多少、計算違いな連中が混ざりはしたが、それも修正可
能な範囲だし…ね」
おっと、ほかの方々もあまり動かないでくださいよ。育ちのせいか、あまり血を見たくはないものでね」
カーヴィと言われた男はくちびるを歪ませ、皮肉っぽい笑みを浮かべながら、階段に向かって右手をか
ざした。
ジェイミーが階段を仰ぎ見ると、そこにはボウガンを構えた者たちが並んでいる。
「愚か者が……最高導師殿が…ナシルが…そんなことを…許すと思うか!?」
「最高導師様には許可をいただいている」
ジェイミーがカーヴィに向き直って叫ぶ。彼女が口を開くたびに、口から血が零れ落ちている。
一方、カーヴィはそんなジェイミーを見て、ゆっくりと仮面を外しながら勝ち誇るように言った。
その顔は、嬉しくてたまらないといった表情だった。
「な! う…嘘……だ…」
「嘘ではない」
うつろな目でつぶやくジェイミーの声に、カーヴィではなく別の方向から返事があがる。
その声を聞いたジェイミーは、思わず我が耳を疑っていた。
声の主は、学院の最高導師、ナシルその人だったからである。
「カー…ヴィ…、な……何故…」
「何故、と言われてもな…。そこのカーヴィの言うとおりだよ。
当初から、研究がある程度の段階にまで進むと、ジェイミー殿には引退していただく予定だったのだか
ら、な」
ナシルは事務的に淡々と語る。そこには、何ひとつ感情らしいものが読み取れなかった。
「そういうことだ。…安心することだなジェイミー、貴様の研究は私が引き継ぐ。学院として、何ら問
題はない。
…ああ、そうそう。レイナとリックには研究材料としての役割を続けててもらうよ。
それに聞いたところ、そこのダークエルフも研究材料としての価値があるとか…。
お二人は…残念ですが、この話をお聞きしてしまった以上、このままお引取りいただくわけには参りま
せんね。
リュウくん……と言ったかな? あなたにはまさにぴったりな、生活の場所を提供させていただきます
よ。
もう一人の…えっと失礼、私としたことが、うっかりと名前を失念してしまったよ。
君はここに潜入して、誤って研究中の蛇女を解放させ、殺された。蛇女はやむなく我々の手で処分させ
られた。
こういう結果になってしまうのは、誠に遺憾なのだがね……」
大袈裟に両手を広げながら、長々と語り続けるカーヴィ。ジェイミーはとうとう床に倒れこみ、息も絶
え絶えになっている。
リックとキャスリーはさっきまでと様子が変わることなく、残った3人は動くことができなかった。
レイナはジェイミーの境遇が哀れに思い始めていた。そもそも自分とは血を分けた姉妹なのだ。
ひとつ間違えれば、自分が同じ目に遭っていたのだから。今すぐにも、彼女の元に駆け寄りたかった。
だが、階段から睨むボウガンの群れが、彼女の動きを遮る。レイナはただ、リックをその胸に抱くこと
しかできなかった。
距離が…遠い。ポールは、自分とカーヴィのいる位置を計算して舌打ちし、背中に冷や汗が流れるのを
感じていた。
カーヴィの口ぶりでは、他のみんなは生き残る可能性がある。でも、ボクとジェイミーは…。
どうせ死ぬのなら、このまま死ぬよりもひと暴れしたかった。カーヴィを人質に取れば、この場を逆転
できるかもしれない。
だが下手に動くと、カーヴィを押さえ込む前に、自分がボウガンの餌食になってしまう。
何か、何か逆転の策はないものか……。そう思いながら、ポールは兄貴分の肩身のダガーを握り締めて
いた。
キャスリー……。リュウは心の中でつぶやいていた。僕の中心になってくれる人と、確かに彼女に言っ
た。
何があっても守り抜きたい。そう心に誓い、一夜をともにした。
だが今の状況はどうだ。むざむざと彼女を人質にとられ、今またボウガンの脅威にさらされている。
僕自身はどうなってもいい。だが、キャスリーは。彼女だけは連中の言うような目に遭わせるわけには
絶対にいかない。
一瞬、この場に来たことを後悔した。だが、次の瞬間には首を振りながら必死に否定した。
いやいや……彼らと出会ったのも”縁”なんだ。思わず、彼らと出会ったときのことが、鮮明に頭に浮
かびあがる。
人は死ぬとき、昔を思い出すというが…そんなことを考えながら、あるひとつの出来事を思い出してい
た。
『何でも、己の命が危うくなったとき、一度だけ持ち主の身を守ってくれるらしい。
まあ、本当かどうかは使ったことがないから知らないがな。それでもお守り代わりにはなるだろうよ』
そう。彼らと出会う直前に、同郷だと言う宿屋の御主人からもらったカード。
御主人が言うように、本当に効果があるかどうか、なんて分からない。だが、それでも……!
リュウは万が一の可能性に賭け、カードを天にかざした――
ゴゴゴゴゴゴゴゴ………
「な、何だ!?」
一瞬、ナシルが戸惑った声をあげる。突然、雷鳴とともに、地響きが起こりだした。
地下の部屋で雷鳴!? と、振り返るとリュウの体が金色に光り始めている。
「ええい! 撃て撃て! 殺しても構わん! あの男を撃て!」
カーヴィは嫌な予感を覚え、ボウガンを手にした男たちに命令した。男たちがボウガンを発射しようと
した刹那――
ビカッ バリバリバリバリバリッッ!!
天井を突き抜け、雷光がリュウの体に落ちる。
同時に凄まじい衝撃波が襲い掛かり、思わずその場にいたキャスリーとリック以外の全員が顔を伏せた。
シギャアアァァァ!!
「う…うわああ!!! ば、化け物!!」
最初に顔をあげた、ボウガンを構えている男が叫んだ。さっきまでリュウがいた場所には、見たことも
無い怪物がいた。
「何だ、あれは……」
叫び声を聞き、顔をあげたナシルは思わずつぶやいた。
目の前の怪物の姿は、全身が赤い鱗に覆われた、巨大なワニかトカゲのような、強いて言うならばドラ
ゴンに近い。
だが彼の生涯に蓄えた膨大な知識の中でも、このようなドラゴンがいるとは、見たことも聞いたことも
無かった。
「リュ…リュウ…あ、あれは……龍?」
レイナは怪物を見上げ、つぶやいていた。彼女は目の前の怪物に心当たりがあった。
初めてリュウたちと出会った日、リュウが宿屋の主人からお守りにもらったというカード。
そこには龍という名の怪物が描かれていた。目の前の怪物は、まさしくカードの龍そのままの姿だった
のだ。
「お、おまえたち! 何をしている! 撃て! 撃つんだ!」
ヒステリックにカーヴィが叫ぶが、男たちはボウガンを放り投げ、我先に逃げ出そうとする。
それでも、勇敢な――いや、無謀と言うべきか――何人かがボウガンを構えたそのとき、
グギャアアアアァァァァ!!!!
突然、龍が吼えた。途端に男たちの足が止まる。
同時に、龍の額の青い部分が光ったかと思うと、その口からまばゆい光がほとばしり、
階段の方向に向かって吐きだした。
ドカーーーン
凄まじい轟音と衝撃波が飛び交う。
それは、さっきレイナが出した稲妻の魔法に似ていたが、規模はまるで比較にならなかった。
「な…なな…な…な………」
レイナは上手く声が出せなかった。階段を――正確には階段があり、人がいた場所――を見ると、
そこにはぽっかりと大きな穴が開いている。その先は果てがまるで見えない。
「く…くそっ! ならば、我が実験の成果を見せてくれるわ! 出でよ! 我が下僕よ!」
カーヴィが叫ぶやいなや、その後方から黒い霧が集まり、何かの姿を形作っていく。
だが、しかし。
ジジジジジジ……グオオオオッッ
龍の口の上にある、もうひとつの口が開いたかと思うと、
そこからさっきと同じ光が黒い霧に向かって飛び、次の瞬間、黒い霧は跡形もなく消え去っていた。
「ジェ…ジェイミー…!」
レイナは妹の名を呼びながら、ゆっくりと近づく。
その目には憎しみの光は無く、ただ怪我をした相手をいたわる慈愛の光をたたえている。
「ええい! 逃げる時間稼ぎも出来ないか! 役立たずが! ………ひっ!?」
黒い霧のいた場所に向かって悪態をついたカーヴィだが、次の瞬間には思わず息を呑んでいた。
いつのまに回り込んだのか、背後に回ったポールが彼の首にダガーを当てていたからだ。
「この状況で、命乞いって出来る? あ、そうそう。ボクの名前……覚えてないんだっけか、ね」
ポールがカーヴィに向かって静かに言う。最後の言葉に皮肉を込めて。
「い、いや、ちゃ、ちゃちゃんとお、覚えているぞ、た、確か、ポ、ポールくん、だったよ、ね? た、
頼む、いの――」
どもりながら口を開き、自分にダガーを突きつけてる相手の名を語るカーヴィ。
だが、次に続けようとした命乞いの言葉を、最後まで言うことはできなかった。
ポールが無言で、ダガーを横に引いたからだ。
「別にそんなの聞きたくもないよ。あんただけは絶対に許せなかったからさ」
「そ…そそ…そん…な……! ………くあ…あっ……」
カーヴィに背を向け、ポールは冷たく言い放つ。
次の瞬間、カーヴィは首から鮮血がほとばしらせ、そのままゆっくりと床に崩れ落ちた。
ポールは彼のほうを振り向きもせずに、一目散にジェイミーのもとに駆け寄った。
「ポー……ル…。……愛してる…愛してるよ……」
「ダメ! 喋らないで! キャスリーが、キャスリーが魔法で…!」
ジェイミーはポールが目の前に来たのを見て、彼に向かって弱々しく手を伸ばした。
ポールはそれをしっかりと握り締め返した。それを見て満足そうに微笑みジェイミーに、レイナが叫ん
だ。
「もう…もう助からないよ…。それに…それに、やっと死ねるんだ、わたし…。ほんと……長…かった
……」
「そんな! そんな…せっかく、せっかく目の前に妹と会えたのに、もうさようならをしなければなら
ないの!?」
ジェイミーは首を振りながら答えるが、レイナは涙をボロボロ流しながら絶叫していた。
「ありがとう…こんな…わたしでも、妹って言ってくれる…んだ。…嬉しい。ゴホゴホッ……。
それより、聞いて……。この部屋の…奥に、私の研究資料がある……。ゴホッ。
そこに、リックの…記憶を……封じる…方…法が、載っている…から。」
泣き叫ぶレイナに、微笑みながら答えるジェイミー。その声は途切れ途切れになっている。
「ポール…愛して、る…愛してるよ、わたし……。ポールは…わたしを……愛して…くれてい…る?」
「あ…ああ、愛してる、…愛してるよ、ジェイミー!」
ジェイミーは虚ろな目でポールの手を握り締め問いかける。
ポールは涙を流し、声を詰まらせながら、最後はほぼ叫ぶように言った。
「よかった……私が…勝手に愛しているだけじゃ……なかった…んだ…。ポール…ありがとう……。
ね、レイナ……ポール…、私……、愛し合う人と、姉さんに看取られて、とても…幸せだ…よ。
こんな…生き方だったん…だもの、最期くらい……は…ね………。……でも…ちょっぴり…贅沢を言え
ば…生まれ、変われたらもうほんの…少し、幸せに…暮らしたい、な。…………」
「ジェイミー? ジェイミー!!」
ポールの返事を聞いて、満足そうに微笑みながらつぶやくジェイミー。そして、それっきり動かなくな
った。
レイナは、彼女の体にすがりつき号泣し、ポールはひたすら彼女の手を握り締め続けていた。
「リュウ…リュウ!?」
レイナたちは背後からの声を聞いて振り向き、息を呑んだ。そこには、キャスリーがリュウにすがる姿
がある。
それ自体は別に驚くことではない。二人が驚いたのは、キャスリーを見て、である。
何故なら彼女の肌の色は、いつも見ていたように浅黒くなく、その逆の輝くような真っ白だったからだ。
「う…ん……?」
「あ……。目、覚めた? 大丈夫? どこか体でおかしいところ、ない?」
リュウが目を覚ましたとき、そこは柔らかいベッドのうえだった。
傍らには、優しく微笑むキャスリーがいる。
目の下にはクマをこしらえ、多少やつれてはいるが、その美しさはまったく色あせてない。
むしろ、いつもと違う美しさを発見したようだった。…いつもと、違う?
そう思ったリュウは初めて気がついた。彼女の肌の色が今までと全然違うことに。
「……どうしたのかな? やっぱり、肌の色が気になるの?」
「う…うん…」
ぽかんと口を開けて固まるリュウを見て、肩をすくめながらキャスリーは言った。
反射的に頷いたリュウに、キャスリーはゆっくりと語り始めた。
その後、奥の部屋を調べた3人は色々な事実を確認した。
ジェイミーが言ったとおり、リックの記憶を封じる方法もあった。
さらに、魔道戦闘用に改造された、肌の黒いエルフについての文献も見つかった。
他の魔獣は1世代限り、もしくは親から子へとその特徴を受け継ぐのだが、エルフ族だけは実験時の相
性の問題か、理由は不明だが、数世代後に特徴を受け継いだものが産まれることがあるらしい。
また、その文献には数人のエルフ族が実験中に逃げ出した、との記述があった。
だがその文献のどこを読んでも、肌が黒くなったエルフを元に戻す方法は見つからなかった。
3人は文献だけを集め、具体的な実験の方法について記されている書類に関してはすべて火に投じた。
その後、意識を失ったままのリックとリュウを連れ、学院から抜け出した――
「…と、いうわけだったのよ」
「ふうん、そうだったんだ。不思議なこともあるものだね」
キャスリーの言葉にリュウは頷いた。ジェイミーと名乗る蛇女から、それは聞いた。
問題は、カードを天にかざしてからの記憶がないことだった。
「あ! そ、そういえば、みんなは?」
ガチャンッ
「ようリュウ、意識が戻ったか。快気祝いに宴会を始めるぞ!」
「ちょ、ちょっとリックさん! リュウさんは目が覚めたばかりなのですから、無茶を言わないでくだ
さいよ!」
「リュウさん、早く体を治して、僕に武術を教えてくださいね!」
リュウがキャスリーに聞くやいなや、3人が部屋になだれ込んでくる。
いつもとまったく変わらない、その光景に苦笑いしながら、リュウは服の中のポケットをさぐる。
はたして、例のカードはすぐに見つかった。だが、前と違う点がひとつだけある。
カードに描かれていたはずの、龍の絵がどこにも無かったのだ。
一年後――
オギャアオギャアオギャア
バタン
「産まれたよ! 可愛い女の子だったよ、おめでとう」
向こう側の部屋から赤ん坊の声が響く。同時に扉が開き、キャスリーがリックを呼ぶ。
その手には、泣き声の持ち主である赤ん坊がいた。
「お疲れ様、レイナ。よく頑張ったね」
「ありがとう…あなた」
部屋に入り、我が子を抱えながら、妻であるレイナの頬を優しく撫でるリック。
その手を握り返しながら、レイナが言った。
「っと、お二人の邪魔だから、私はこれで退散するね。…ところでさ、名前はもう決まっているの?」
「ああ、もう決まっているさ」
「そう…。1年前から、ね」
扉に手をかけながら、キャスリーは振り向きざまに二人に向かって問いかける。
レイナとリックはキャスリーに微笑みながら答えていた―――
おわり