「なあ、清志郎・・・お前、もし・・・もしの話だが、妹なんか出来ちゃったら、どうする?」
ある日の朝、全日本アニメ空手連合評議会に属するダメ萌え人間、吉田清志郎(二十歳)は、
父、照正から妙な質問をされ、戸惑っていた。
「どうするったって・・・」
清志郎はトーストにバターを塗る手を止め、口ごもる。吉田家は父と子の二人暮し。母親は
度重なる照正の浮気に愛想を尽かし、何年も前に家を出て行っていた。それだけに、父親の
問いかけには嫌な凄みがある。
「まさか、よそに子供を作ってるんじゃあなかろうね」
頼むから違うといってくれ──清志郎はそう願いながら、問い返した。放蕩親父が腹違いの
姉妹を作っていましたでは、あまりにもありきたりすぎる。しかし、
「ウム。まさにそれだ」
照正は別段、悪びれもせずに言った。それも、新聞に載っている四コマ漫画を切り抜きつつ。
「やっぱりな・・・」
気が重くなる清志郎。この父は、資産家の祖父から事業と財産を相続し、今日まで何ひとつ
不自由をした事が無い。だから、自制心というものが無かった。齢五十を越えてはいたが、精力
が旺盛で、今なお方々に女性を囲ってもいる。その事を、アニメ空手で培った清廉さを持つ清志
郎は、いつも苦々しく思っていた。
「いつか話そうとは思っていたのだが」
「言い訳はいいよ、父さん。それで、その子はどこにいるんだい?」
清志郎は聡明な青年であった。腹違いとはいえ、妹であれば気にかかることもある。それ以前に、
父親がこうやって話すという事は、何らかのアクシデントがあったと考えていい。そこまで考えを
まとめ、清志郎はさめかけたコーヒーを口に運ぶ。すると、
「すでにお前の後ろに居るよ、ホラ」
照正は息子の背後を指差し、事も無げに言った。本当に、事も無げに。
「この子はロゼッタ。その昔、某国へビジネスで行った時に、秘書代わりにやとった現地の女性
との間に出来た子供で、正真正銘、お前の妹になる。実は、その女性が先ごろ事故でお亡くなり
になってな。わしがこの子を引き取ることにしたんだよ。年は十五歳。どうだ?可愛いだろ」
照正に紹介されている腹違いの妹は、金髪で碧眼。その上、褐色の肌を持った美しい少女で
あった。細身だが引き締まった体と、見る物を射抜くような鋭い視線が、特徴である。ただ、少し
ばかり気になるのは、彼女が迷彩服を着ている事だ。十五歳の少女が着るものとしては、いさ
さかそれは物々しい感じがする。
「・・・予想外だったよ。まさか、外国人とは」
不意打ちだった、と清志郎は頭を抱えている。隠し子発覚という微妙な問題の上に、異国で拵
えられた腹違いの妹。二十歳の青年にとっては、過重ともいえる状況だった。
「・・・あなたが、お兄さん?」
意外な事に、ロゼッタは美しい日本語を話した。そして、清志郎の前へそっと進み出ると、
「あたし、ロゼッタです。どうぞ、よろしく」
そう言って、軽く会釈をしたのである。ここでも清志郎は驚かされた。まさか、異国で生まれた妹
が、流暢に日本語を話すとは思わなかったからだ。
「こちらこそ、よろしく。俺は君のお兄さん、吉田清志郎。ロゼッタ、よく顔を見せてごらん」
「はい」
奇妙な出会いだったが、これも何かの縁。清志郎はそっと我が妹を招き寄せ、しっかりと抱擁
した。すると、意外な事にロゼッタの体は、鍛えられた硬質な量感を持っているではないか。
(ずいぶんと筋肉質だな)
細い体はしなやかで、乳房もそれなりに膨らんでいる。だが、四肢は強靭なバネに支えられた
アスリートのようだった。清志郎自身、アニメ空手を学んでいるので、それがよく分かる。
「あたしの体、硬いでしょ」
ロゼッタは清志郎の心を見透かすように呟いた。そして、
「裸を見たら、きっと驚くわ」
泣くようで笑うような複雑極まる顔を見せた後、妹は兄の抱擁から逃れるように、身を翻した
のである。
「じゃあ、わしは仕事に行ってくる。しばらく家には帰れないが、あの子の事をよろしく頼むぞ」
異母兄妹の紹介が終わると、照正はそう言って仕事へ出かけてしまった。ロゼッタの生い立ち
については、何も言わずに。いや、むしろその話題を避けようとしていたフシがある。もっとも、
ロゼッタが居ては話しにくい事もあろうと、清志郎もあえて問いただす気はなかった。
「ねえ、お兄さん。お父さん、いつ帰ってくるの?」
「分からない」
「そう・・・」
照正が家を出ると、ロゼッタは急に落ち着かなくなった。父を頼って日本へ来たはいいが、
早々に自分の前から姿を消した事が、彼女を不安にさせているらしい。
「俺が居る。安心しなよ、ロゼッタ」
清志郎はロゼッタの肩を抱き、なるたけ明るく振舞った。この異国の地で生まれた異母妹を、
不安にさせぬよう手を取って、まっすぐに目を見つめる。すると、ロゼッタは兄の目を見つめ返し、
「あたし、お兄さんの傍にいてもいいのね」
そう言って、口元を緩めたのであった。
「ところでロゼッタ、荷物は無いのかい?見たところ、手ぶらみたいだけど」
清志郎は辺りを見回しながら問う。異国から来たという割には、ロゼッタは手荷物ひとつ持って
いない。まるで、着の身着のままで来日したような雰囲気なのだ。
「荷物は・・・これだけ」
ちょっぴり照れくさそうにロゼッタは手を背へ回し、ベルト付近からすらりと何かを取り出した。見
れば、それは物々しい白刃が光るアーミーナイフである。刃渡りは二十センチ強もあり、屈強な
軍人が持つような、禍々しい代物であった。
「・・・それは、何のために使うんだい?」
清志郎が恐る恐る聞く。すると、
「狩りをしたり、戦ったり。すごく便利なの。もう、手放せないって感じで」
ロゼッタは嬉々として答えた。それを見て、兄は妹を諌める気を失くしてしまう。彼女の顔があま
りにも素直で、眩しい微笑みを湛えていたからであった。
「・・・まずは、服を買いにいこうか」
くじけないと自らに言い聞かせて、清志郎はロゼッタに微笑みかける。ナイフの事はまた後で言
い含めればいい、なんて思いつつ。
「服?服はあるわ。ホラ、これ」
迷彩服の胸元をついっと摘むロゼッタ。この口ぶりから言って、彼女は本当に着の身着のまま
で来日したらしい。
「着替えが居るだろう?まさか、ずっと同じものを着ているわけにもいかないから」
「え・・・?日本ではそうなの?」
「日本ではって・・・故郷では、ずっと同じ服を着てたのかい?」
「・・・はい」
兄と妹の間に、微妙な空気が流れ始める。ここで、清志郎はロゼッタの故郷について、自分は
何も知らないことを思い出した。もしかしたら、彼女の生まれ育った地では、同じ服を着る事が
当たり前なのかもしれない。そう思って、話を変える事にする。
「ロゼッタは、学校の成績は良い方かい?」
「学校行ってない。無かったの」
「そ、そうか・・・」
気まずい。清志郎は、尋ねた事を後悔した。すると、ロゼッタが気を利かせたように、
「あたしの国・・・戦争でめちゃくちゃだったから・・・何も無かったの」
と、悲しそうにうなだれながら、呟いたのである。
「そうだったのか・・・」
迷彩服にアーミーナイフという妹の珍奇な出で立ちは、戦禍に原因があったのだと清志郎はよう
やく理解する。この平和な日本で、ぬくぬくと育ってきた自分とは違い、異国の地で育った妹は厳
しい環境下で生きてきたのだ。戦争で学校すら行けない──日本では、まったく考えられない事
である。
「でも、あたしが小さいときは、すごく静かで優しい国だったんだよ」
こう言った時、ロゼッタは目を輝かせた。懐かしい昔日を想い、心が逸っているらしい。
「そのころ、ママがよく話してくれたの。あなたのお父さんは日本にいるって。それで、お兄さんも
いるのよって。あたし、それを聞いてうれしかったわ。あたし、一人っ子だったから」
胸に手を当て、心中をすべて曝け出さんとばかりに、まくしたてるロゼッタ。碧眼が美しく輝き、褐色
の肌が上気している。かなりの興奮状態にあるようだった。しかし、ひとしきりしゃべり終えると、ロゼ
ッタは急に語気を衰えさせ、愚図るような表情を見せる。少し、泣いているような感じだった。
「正直に聞かせて・・・お兄さん、あたしがここにいると、迷惑・・・?」
うつむき加減で兄へ問うロゼッタ。いきなりここへ来訪した事を、清志郎がどう思っているのかが
知りたいらしい。すると──
「これが答えだよ、ロゼッタ」
清志郎は妹の体を引き寄せ、きつく抱擁したのである。
「あらためて、挨拶しよう。俺は清志郎。君の兄さんだ。会えて嬉しいよ、ロゼッタ。俺の妹」
「・・・あたし、ここにいていいのね?お兄さん」
「もちろんだ。今日からここが、君と俺の家さ。おっと、父さんを忘れてた」
「ひどい」
「それだけ、ロゼッタの事を考えてるんだよ」
「だったら、いいわ」
妹の問いかけに、兄は力強い抱擁で答えた。もちろんこれは、ロゼッタと共に暮らしていく
事を許しているのだ。吉田清志郎二十歳。全日本アニメ空手連合評議会に属するダメ萌え
青年が見せた、はちきれんばかりの男気である。
「・・・・・お兄さん」
「なんだい、ロゼッタ?」
「なんでもないわ」
清志郎の胸で抱かれながら、ロゼッタは顔をうずめている。更には、ぐずぐずと甘えん坊の
ようにむずがり、ぴたりと体を密着させた。
「お兄さんは、男の人の匂いがする。ちょっと、ドキドキするよ」
「ハハハ、ばれちゃったか。実は俺、ビネガーってあだ名がつくくらいのワキガなんだ。アニメ
空手界では、スッパイダーマンとか呼ばれてるんだよ。その匂いじゃないの?」
「そういうのじゃなくて──」
恥ずかしい秘密を打ち明けた清志郎の顔を、ロゼッタはぐっとにらみつけた。そして──
「女として言ってるの・・・あたし、お兄さんの事・・・好きみたい」
「へ?」
兄は妹の告白を受け、頭が真っ白になる。全日本アニメ空手連合評議会内で、グレイト・オブ・
ビネガーの名を冠する、吉田清志郎の大ピンチであった。