森を歩いていると、思い出すことがある。  
 それは国境近くの小さな村から依頼を受け、最近住み着いたという魔物を退治に、村の  
側にある小さな森に向かったときの出来事。  
 幸いにして魔物はたいした強さではなく、さほど時間を掛けずに依頼は済ませることが  
できた。  
 それから少し後、森に魔物が残っていないか調べていたときのことだ。  
 その少女と出会ったのは。  
 
*  
 
 誰かにつけられている……その事に気付いたのは、森に入ってすぐだった。  
『まだ生き残りの魔物がいたのか?』  
 最初はそう考え、気配を探ってみた。  
 だが跡をつけるその存在からは、こちらを観察してる気配が感じられるだけで、敵意や  
悪意のようなものは感じられなかった。  
 だから、最初は気にせずにいた。  
 ……いたのだが。  
「ん〜、どうしたものかな……」  
 こちらが無視しているうちに、その気配の行動はどんどん大胆になっていった。  
 最初は遠巻きにこちらの様子を伺っているだけだったのに、次第に視界の端に小さな人  
影がうつるようになり、いまや数歩くらいの距離まで気配は近づいていた。  
 そのくせ、そちらに視線を向ければあっという間に気配は消えうせ、どれだけ目を凝ら  
しても影も形も見当たらない  
 試しに一度、あからさまな隙を見せてみたりしたのだが、仕掛けてくるようなこともな  
く、敵意が無いのは確かなのだが、その視線はどうにも気になって仕方がない。  
「仕方がない……少し手を出してみるか」  
 呟いて、呪文を唱える。  
 幻術と転移術。  
 今いる場所に自分と同じ幻像を残し、先ほど気配が消えた位置から少し外れた場所に転  
移する。  
 
 幻像があるおかげで転移したことに気付かれにくく、幻像自体も自分自身の姿だからそ  
う簡単に見破られることもないだろう。  
 その状態で、先ほど気配が消えた辺りを観察する。どう対処するにしても、まずは相手  
の正体を確かめなければ始まらない。  
「…………」  
 程なくして、木のなかから緑色の髪をした少女がひょっこりと顔を出した。  
 少女は僕の姿を探しているのかきょろきょろと周りを見回し、先ほどと同じ位置に僕の  
姿を見つけると、じーっと観察し始めた。どうやら幻術とは気付かれていないようだ。  
 うまく行ったことに安堵しつつ、少し離れた場所から少女のことを観察する。  
 少しとがった耳と長い緑色のまっすぐな髪の毛、ほっそりとした身体つきとエルフに似  
たその面差し。  
 なるほど、跡をつけていたのはドライアドだったのか。確かに木の中に隠れられたので  
は、どれだけ目を凝らしても見えるはずがない。  
 そうしてドライアドの少女をしばらく観察しているうちに、  
「あ、あれ? どうしたんだろ、なにしてるのかな?」  
 動かない僕の姿をいぶかしく思ったのか、少女は木の中から全身を現すと、幻像に向か  
って近寄り始めた。  
 ちょうど良い頃合だろう、そう思い後ろから声を掛ける。  
「こんにちは。なにか御用かな?」  
「きゃっ!?」  
 予想外の方向からいきなり声を掛けられて驚いたのか、少女がびくっと硬直する。  
「なるほど、ドライアドだったとはね。木の中に隠れられたんじゃ、どれだけ目を凝らし  
ても気付かないわけだ」  
「あ、あれあれ? だって、あれ?」  
 緑の髪の少女は混乱した様子で、目の前の僕と立ち止まったままの僕の幻像とを交互に  
指差している。  
「ああ、あれはね。幻術。ほら、見てごらん」  
 ぱちんっ、と指を鳴らすと、立ち止まっていた僕の幻像が光に溶けて消えていく。  
 たれ目がちの瞳を丸くして、ドライアドの少女はそれを呆然と見つめていた。  
 
「それで? 何の御用かな?」  
 できるかぎり友好的に聞こえるように話しかける。ここで逃げられては元の木阿弥だ。  
 そうして声を掛けられて、少女は初めて今の状況を理解したようだ。  
 びくっと身体を震わせると、真っ赤な顔で謝り始めた。  
「あああああのあのっ! ごっ、ごめんなさいっ!」  
「ああ、良いよ。つけられたことは気にして無いから」  
 往々にして妖精は臆病で恥ずかしがり屋なものだ。  
 大方話しかけようとしながらタイミングを見出せず、ずるずると跡をつける形になって  
しまったのだろう。  
「ほほほほんとはっ! ちゃんと声を掛けて! おおお、お話しようって思ってたんです  
けどっ!」  
 それにしても……この少女のうろたえっぷりは、妖精の臆病さを考えに入れても度を越  
しているような気がしないでもない。  
 果たしてこれは、この少女が極度に臆病で恥ずかしがり屋だからか、……それとも僕が  
怖いせいなのか?  
「落ち着いて、えーと……そうだ、名前を聞いてなかったね。僕はシモン、旅の魔法使い  
だ。君の名前を教えてもらえるかな?」  
「わっ、わたし、シルヴィアって言いますっ。こっ、この森のドライアドですっ!」  
 少女を宥めるようにできる限り優しい声で話しかけてみたが、あまり効果は無いようだ。  
 まあ仕方がない、直に慣れてくれるだろう……そう思いながら話を続ける。  
「よろしくね、シルヴィア。それで、話って?」  
「ははは話ですかっ!? ああああのあのっ、はっ、話なんですけどっ!」  
 真っ赤になってうつむくシルヴィア。  
 それと同時に、ざわざわと周りの木々がざわめき、下生えの草がうねうねと蠢き始める。  
「なっ、なんだ……森が!?」  
 森全体が揺れている。  
 地震とも違う、まるで森そのものが姿を変えようとするかのように、木が、草が、ざわ  
めいている。  
 
 何かの天変地異の前触れか、そう思ったのもつかの間、  
「えっ? あっ、ごごごごめんなさいっ!?」  
 シルヴィアが謝った瞬間、ざわざわとざわめいていた草木がぴたりと動きを止めた。  
 あとには、何事も無かったかのような穏やかな森があるだけだった。  
「あのあのっ、わっ、わたし、時々無意識のうちに森を操ってる時があって……もう大丈  
夫ですっ、気をつけますからっ!」  
「いや、大丈夫、気にしなくて良いよ。それでなんだっけ?」  
 実際、少々、いやかなり驚いたのだが、その事に触れるとややこしいことになりそうだ  
し、このままだといつまでたっても話が進みそうも無い。  
 そう思ってシルヴィアに話を促すと、わずかな沈黙のあと、彼女は勢い良く話し始めた。  
「あのあのっ! わわっ、わたし、その……まだ、花をつけたこともなくてっ!」  
 花をつけたことがない、とはなんだろう?  
 シルヴィアの髪には一輪の花が挿されている。彼女にお似合いの、白くて可憐な花。お  
そらく、そのこととは関係ないのだろうが……  
 そんな僕の疑問を置き去りに、壊れたオルゴールみたいな感じで、シルヴィアの言葉は  
続く。  
「ほんとはほんとは! もうこのくらいの齢になったら、ちゃんと花を咲かせて、実をつ  
けないといけないんですっ! でもでも、まだ花もつけたことなくてっ!」  
「…………」  
 聞き返さなくて良かった。  
 思わずほっと胸をなでおろす。  
 実をつけるとは繁殖行為の結果であって、花をつけるとはつまり……なんというか、こ  
れが種族の違いなんだなぁ、と実感する。  
 そんな僕の内心は置き去りに、シルヴィアの話は止まらない。  
「そそそそのですね! あのあの、わ、わたっ、わたしとっ!」  
「お、落ち着いて、シルヴィア!」  
 わたわたとシルヴィアがうろたえていくのにあわせて、周りの草木が再びざわざわと蠢  
き始めたのに、思わず焦った声が出る。  
「あっ! ごっ、ごめんなさい、わたしったらつい……」  
 再びぴたりと止まる木々のざわめき。……なんというか見事すぎる。  
 
 同じ失敗をしてしまい落ち込んだのか、しょんぼりとうつむくシルヴィア。本当に感情  
の振幅が激しい娘だ。  
「大丈夫、逃げたりしないから。だからシルヴィア、もっと落ち着いて話して」  
「そっ、そうですね……はい、もう大丈夫ですっ! おっ、落ち着きましたっ!」  
 あまり落ち着いたようには聞こえなかったが、木々のざわめきが収まったことで良しと  
しよう。  
「そう、良かった……それで?」  
 そうして先を促すと、少しためらった後、意を決するような様子でシルヴィアが口を開  
いた。  
「わっ、わたしにっ! 魅了の魔法を教えてくれませんかっ!?」  
「は?」  
 一瞬、何を言われたのか分からなかった。  
 魅了の魔法を……教えて欲しい?  
「えっと……どうして?」  
 わけが分からずに聞き返す。  
 そもそもドライアドは生来魅了の魔法が使えるはずで、その魔法は人間の使う魔法なん  
かよりもずっと自然で洗練されている。むしろ、人間の使う魅了の魔法が、ドライアドの  
魔法を模倣したものではないかと言われているくらいだ。  
 にもかかわらず、何故僕に教えて欲しいなどと言うのだろうか?  
 だが聞き返した瞬間、ただでさえ赤くなっていたシルヴィアの顔が、火が出るんじゃ無  
いかってくらいの勢いで真っ赤に染まった。  
「ごっ、ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」  
 あっけに取られる僕の目の前で、シルヴィアが泣き出しそうな声で謝り始める。  
 それと同時に、彼女の周囲の草木がものすごい速さで伸び始め、あっという間に彼女の  
姿を覆い隠してしまった。  
「ごめんなさい、ごめんなさいっ!」  
 もはやシェルターと化した草木の中から、シルヴィアがひたすら謝り続けてくる。  
「やっぱりダメですよね!? 魅了の魔法を教えてもらって、それでシモンさんを魅了し  
て……なんて、そんなのダメですよね!?」  
 ……なるほど。シルヴィアはそれがばれたと思って隠れたのか。  
 
 魔法を教わって、教えてもらった相手にその魔法を使ったら、すぐにばれると気付きそ  
うなものだが……そのことに、怒るよりも呆れるよりも、むしろ微笑ましい気持ちになる。  
「ああ、大丈夫。気にしなくて良いよ、怒って無いから。だから、そこから出てきてくれ  
ないかな?」  
「ダメです……会わせる顔がありません……」  
 木を通してしょんぼりとした声が返ってくる。  
 その声には先ほどまでのうろたえた様子は無い。  
 どうやらシルヴィアは、極度の対面恐怖症のようだ。  
 それならむしろ好都合、落ち着いて話をするならこちらの方が良さそうだ。  
「それじゃあ、そのまま話を聞いて。さっきどうしてって聞いたのは、ドライアドなら生  
まれたときから魅了の魔法が使えるのに、って思ったからなんだ。別に何に使うかを聞き  
たかったわけじゃ無いんだよ」  
「あ……そうだったんですか。そうですよね。それなのにわたし……」  
 消え入りそうなシルヴィアの声。  
 これ以上つつくのも悪いし、先ほどのことは聞かなかったことにしておこう。  
「それで、もう一度聞いて良いかな? どうして魅了の魔法を教えて欲しいなんて?」  
「…………」  
 沈黙。  
 おそらくは、シルヴィアのデリケートな部分に触れる質問なんだろう。  
 僕は問い直すことはせず、彼女の答えを待つことにする。  
 程なくして。  
「あの……実はわたし、魅了の魔法が使えないんです。何度も試したんですけど、うまく  
行かなくて……」  
 ぽつぽつと、彼女が話す。  
 魅了の魔法が使えないドライアド。  
 先ほどから草木を動かしたりしているのを見るに、魔法自体が使えないというわけでは  
無さそうだ。  
 では何故?  
 そしてまた、それとは別の疑問が沸いてくる。  
 
「シモンさんは魔法使いですよね? どうすればシモンさんみたいに、魅了の魔法が使え  
るようになりますか?」  
 その疑問に重なるような、シルヴィアの言葉。  
「確かに僕は魔法使いだけど……なんで僕に頼むのかな? 僕は……」  
 そう、なぜそれを僕に頼むのかという問い。  
 だが、僕のその言葉を遮って、シルヴィアが声をあげる。  
「だって! シモンさん、わたしに魅了の魔法を掛けたじゃないですか!」  
「え?」  
 ちょっと待った、今、なんて?  
「森でシモンさんを見かけてっ! 魔物から森を護ってくれてるのを見たときから、ずっ  
とお兄さんのことが忘れられなくてっ!」  
 だがこちらの疑問に気付くことも無く、叫ぶような声でシルヴィアは続ける。  
「気になって、どきどきして……これって魅了の魔法そのものじゃないですか!」  
 それが魅了の魔法の効果だと告げるシルヴィア。  
 彼女のその様子に、僕は言いかけていた言葉を続けるべきかどうか迷う。  
「だからすぐに魅了の魔法を掛けられたって分かったけど、それに気付いてもちっともい  
やな気持ちにならなくて……」  
 そもそも。僕は魅了の魔法を使えない。  
 だからつまり、彼女のそれは魅了によるものではなく。  
「こんな風に魅了の魔法が使えたら素敵だな、って……。やっぱり……ダメですか?」  
 おそるおそる聞いてくるシルヴィア。  
 だが、答える言葉が出てこない。  
 参った。こんなことは想定外だ。  
 魅了の魔法を掛けて、それを恋だと騙しているというのなら分かる。  
 実際、そういった使い方をする下衆な魔法使いを、僕は何度か懲らしめたことがある。  
 だが、魅了の魔法を掛けてもいないのに、掛けられたと信じているこの状況は、果たし  
て騙していることになるのだろうか?  
 
「ダメですよね……わたしなんかには教えられませんよね……」  
 驚きのあまり黙り込んでしまった僕を、拒絶と受け取ってしまったシルヴィアが泣き出  
しそうに呟く。  
 あまりにもしょんぼりとしたその声に、彼女のことを放っておくこともできず、  
「ああ、ごめん。分かった、そういうことなら……良いよシルヴィア、教えてあげる」  
 気付いたときにはそう答えてしまっていた。  
「ほんとですか! あのあの、よろしくお願いしますっ!」  
 彼女を覆い隠していた草木が解け、先ほどまでのしょんぼりとした様子が嘘のように、  
シルヴィアが勢い込んで話す。  
「あ、ああ……うん、よ、よろしく、シルヴィア……」  
 そんなシルヴィアの様子に、やっぱりダメと言い出せるだけの強さは僕には無かった。  
 だが、と考え直す。  
 先ほどシルヴィアは、僕に魅了の魔法を掛けるつもりだったようだ。  
 魅了の魔法を教えたら、おそらくは僕に最初に使うだろうし、それなら僕が掛けられた  
振りをすれば済む。そして頃合をみて、本当のことを伝えてやれば良い。  
 案外シルヴィアもそれで自信をつけて、普通に魅了の魔法が使えるようになるかもしれ  
ない。そうでなくとも、彼女が魅了の魔法を使えない理由が分かるかもしれない。  
「うん、そうだね、きっとそうだ。よろしく、シルヴィア。大丈夫、君ならすぐ使えるよ  
うになるよ」  
 気を取り直し、シルヴィアに、そして自分に言い聞かせるように、力強くそう伝える。  
 大丈夫、きっとうまく行く。  
「そそそそそ、そうですねっ、ががががんばりまふっ!」  
 真っ赤になってあわあわとうろたえながら答えるシルヴィアに、やっぱり少し前途多難  
かなと思いながら。  
 でもそれすらも楽しい時間になりそうだと、彼女の姿を見つめながらそう思うのだった。  
 

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!