サーリア、という名の小さな町がある。  
 
 鬱蒼と茂る森を背面に、さほど大きな面積を有するでもなく、そこにちょこんと存在する町だ。大規模な町や城  
からはかなり離れた場所にあり、関所などのそういった建造物からも遠い場所にある。当然、行商が来る頻度は非  
常に低く、のみならず、その町の存在自体、覚えている者がさほどいない、という状態である。  
 町、というよりかは、規模で言うのならば村に近しいだろう。レンガ造りの家屋が密集し、道を形成し、とりあ  
えずの形を成している点、村よりかは何とか大きな面積を有している点、それらがサーリアを、町にカテゴライズ  
する要因だった。  
 
 過疎化は、日に日に進んでいる。漁業をやるでもなく、目だった交流をするでもなく、特産物をつくるでもなく。  
ただ単に、計画的な都市づくりをしなかったゆえの弊害で生まれた町。ある意味では、うたかたのように希薄なる  
存在感を有する町ともいえる。  
 それでも、人がいるかぎり、町として機能はする。日が昇れば仕事をする大人たちが交叉し、日が沈めばランプ  
の小さな光が町のそこここを照らす。  
 
 いつ消えるとも知れない、風前へとさらされた小さな焔。それが、サーリアの町。  
 
 
 その場所を注視する者は、ほぼゼロに近しい。大陸でも有数の軍事力を誇る王都などと比べれば、それこそ豆粒  
と山脈である。注目するしないの問題ではなく、はじめから目に入らない。  
 
 だから、誰もその場所を調査しようなどとは思わなかったし、そこの住民を調べようなどとは思わなかった。  
 
 
 一体、誰が想像できるだろうか? その町に『悪魔』がいるという事実に。  
 
 『悪魔』の正体を知りながらも、人間のように接している青年がいるということに。  
 
 
「あ、ニンピニンソウ、注文しすぎました。おお、失態失態」  
「おいおい、平気なのか? それ、結構高級な薬草だと……」  
「はい。五日ほど、豆と塩のスープで我慢すればどうにかなる程度です」  
「程度じゃないよそれ! なんか分けてやるからうちに来い! 隣人が栄養失調なんてシャレにならん!」  
「すみません。いつか面白おかしいかたちで、仕返しします」  
「仕返し!? お返しじゃないの!?」  
 
 
 『悪魔』の家計簿は、常に火の車だということに。  
 
 
 陽射しの強い日だった。  
 吹きぬける風は冷たく、そこここを闊歩する人々の肩は、自然と縮こまる。小さな鳥の鳴き声が、青い空を震わ  
せ、透徹した印象を壊す。勝手に競走を続ける雲の数は、あまり多くない。空気が乾燥しているせいだろうか、そ  
れとも別の要因があるのか。  
 日に照らされ、淡い光に彩られたレンガ造りの家屋。赤と茶色の組み合わせが、どこか鈍重な雰囲気を醸し出す。  
遠くには緑の数々。空の景色を切り裂きながら、ただそこに直立不動のままでいる。  
 
 どこにでもあるような、平凡も平凡といった、さして美しくもない景色。そんななかに、ひとりたたずむ、小柄  
な女性。  
 プラチナブロンドの髪を伸ばし、人形のように整った美貌を、人形めいた鉄の表情でそこにさらす。まとう衣服  
は、ナイトブルーとホワイトのコントラストがまぶしいエプロンドレス。くるぶしまで隠すほどに伸びたスカート  
部からは、茶塗りの革靴がぴょこりと顔をのぞかせている。  
 その姿だけならば、まさしく絵本の中から出てきた妖精のごとき容色ではあったろう。  
 
 が、その可憐な姿を見せる時間はわずかのこと。彼女はやにわに、ふところからワニのぬいぐるみを取り出し、  
それをすぽりと左手にはめる。見る者の心に微妙な嫌悪感を抱かせるような、絶妙な不細工加減のぬいぐるみ。可  
憐きわまりない少女の、ガラス細工じみた五指に、不細工なワニが覆いかぶさる。  
 そうして、妖精のごときイメージは、今ここで壊される。  
 
「朝ですね、フェルナンデス」  
「いちイち分かりきったことを聞くんじゃねェよ、この幼女! テメェ、幼女だからってなんでも許されると思う  
なヨ! ああ、オイ、分かってんノか?」  
 
 鈴の音色にかぶさるように、不可思議な旋律のデスボイスが、朝もやに覆われた空気を染め上げる。  
 無論、発生源は言うまでもない。女性の、そばからだった。  
 
「分かっています。ええ、意味のないことをしゃべりたい気分なんです」  
「要は落ち込んでイる、ってことだな、テメェ。仕方ねェじゃねぇか。ミスぐらいすんだろ、仕事は」  
「いえ、アストに借りを作ったことが屈辱なんです」  
「うわァ、プライド高いな、この幼女。つーカ、ひとりで対話して空しくなンねぇか?」  
 
 そのワニ、フェルナンデスの言葉をきっかけに、妖精の印象を見事に壊した女性は溜息をついた。  
 
「……練習、おわり」  
 
 
 
 女性――リザは、目を伏せる。妙なむなしさに全身を支配されながら。  
   
   
 サーリアの町の朝は、さほど早くはない。皆がのんびり、のんびりと行動しているせいだろうか、町そのものの  
雰囲気すら、のんびりとしている。朝、ちょっと人通りの少ない場所を選べば、容易にひとりになることが出来る。  
多くの人々が、ひっきりなしに道を行き交う、などという例があまりないからだろう。  
 過疎化ではあるのだが、それはリザにとっては好都合であった。副業の練習場所を見つけ出すことが、容易であ  
るからだ。屋内ばかりでやると、声がどれだけ響くのか、たまに不安になる。声量調整として、リザは、朝に誰も  
いない通り道で、こっそりと腹話術の練習をすることがしばしばある。  
 
 本当は、町の裏にある森でも練習してみたかったのだが、リザは自重している。というのも、過去、森の中で練  
習していた際、不快なデスボイスを聞きつけたのだろう、イノシシめいた姿の猛獣から強烈な洗礼を受けることと  
なった。  
 狩ろうと思えば狩れたのかもしれないが、薬屋であり腹話術師でもあるリザが、猟師の真似事をするのはさすが  
にはばかられる。結局のところ、ほうほうのていで逃げ出し、どうにかことなきを得た。無論、この事件が、リザ  
の心に自重の二文字を刻みつけたことは否定しきれない。  
 悪魔の癖に、血生臭いことに積極的に関わろうとはしない。リザとはそういう女性であった。言うなれば、単な  
るヘタレである。  
 
 
 練習を終えたヘタレ女は、ぬいぐるみをしまって道を歩く。ぴょこぴょことゆっくり歩を進めながら、周囲の景  
色を目に焼き付ける。  
 朝の空気は、冷たいが爽やかだ。肺に入れて出せば、青い流れが体の中に満ちるようで、気分も良くなる。遠く  
から聞こえる鳥の鳴き声も、爽やかな朝を演出するひとつの要素だろう。耳をすませば、人々の話し声も聞こえて  
くる。  
 
「さて」  
 
 誰に言うでもなく、ひとりつぶやいて、リザは大通りに足を向けた。  
 瞬間、目に入るのは巨大な噴水と、それを取り囲むようにして設置してあるベンチの数々。多くの子供たちと、  
多くの大人たちがそこにおり、思い思いに動いている。  
 
 噴水広場、である。町の中心部に位置するそこは、広場としては最も大きい。露店もいくつか見受けられ、待ち  
合わせの場所にもよく指定される。塔のような形状のオブジェである噴水は目立ちやすく、また、そのデザインセ  
ンスの悪さから、妙な親しみを持つ者も多い。  
 
 多くの人間がいるその場所に、リザは降り立った。ナイトブルーのエプロンドレスをまとう、容色美麗な彼女が  
その場に立つ姿は、どこか滑稽ですらあった。周囲にいる者たちと比べて、色々と違う点が見受けられるから、と  
いうのもあるのかもしれない。  
 リザは、この噴水広場においては、異端だった。サーリアの町で、リザを悪魔と知っている人間は、アストしか  
いない。だが、やはり、というべきか。立ち振る舞いやその雰囲気が、普通とは少し違うのである。無論、そこの  
辺りの微妙な差異も、リザは知っている。だから微妙な劣等感が、彼女の胸の中にある。  
 
「どーん!」  
「げぶらばぁっ」  
 
 もやもやとした気分が心を支配しそうになった瞬間、リザは背後から衝撃を受けて吹き飛んだ。腰に強い痛みが  
走り、石畳の床にその身を打ち付けそうになるも、どうにか諸手を地に当てて体勢回復。汚れた手のひらを払い、  
視線を背後に向けてみれば、やはりと言うべきか見知った顔。  
 
「朝から根暗だね、お姉ちゃん」  
「……イリス。素敵なタックル、ありがとうございます」  
 
 リザの眼前にたたずむは、思わず蹴り飛ばしたくなるほどに綺麗な笑みを向けてくる、子供だった。幼女めいた  
体躯をもつリザよりも、なお小柄。質素なバーントアンバーのワンピースをまとい、栗色の髪をまとめてひとつに  
したその姿は、素朴という言葉がしっくり来るであろう。  
 顔立ちは幼く、とかく幼く、赤らんだ頬が可愛らしい。イリス、という名をもつその子供は、リザの友人であり、  
リザのからかい役でもあり、リザのからかわれ役でもあった。  
 
「……ちっ、今日こそはお姉ちゃんに一太刀入れられると思ったんだけれど」  
「毎日こちらのタマを狙わないでください。殺伐人生は嫌なんです」  
「いいじゃない。お姉ちゃん、無駄に身体能力が高いし」  
「だからといって、こちとら万能生物じゃないんです。不意打ちされれば、普通にやられます」  
 
 先よりもいくばくかぶすっとした様子でリザが言えば、眼前にたたずむ少女はきゃらきゃらと笑い出す。リザよ  
りも幼いイリスではあるが、その言動や態度は、どちらかといえば『おしゃま』なそれである。  
 
「けっ、この不良薬屋め。大体、営業はどうしたの?」  
「気まぐれ経営です。……それに、副業の方が収入がいいんですよ」  
「で、やる気が下降気味?」  
「というより、この町には病気や怪我する人があまりいない、というのもありまして」  
 
 薬屋がもうからないのは、ある意味では平和ではないのか、とリザは思う。無論、生活は大変になるだろうが、  
それはそれ。稼ごうと思えば、なんとか別の道があるのかもしれない。あくせくと働いて躍起になって、目的も手  
段も見失う、という事態だけは避けたかった。  
 だから、リザは慌てない。本業が化石化寸前であろうとも。しかし、さすがに隣人に迷惑をかけ続けるわけには  
いかないので、死なない程度には頑張らなければいけないが。  
 
 と、気付けばイリスからの視線を感じ、リザは小首をかしげる。  
 
「どうしました?」  
「……んー、いや、ちょっとね。お姉ちゃん、やっぱり綺麗だよね、美形だよね、殴りたい」  
「最後だけ、前後の文脈が繋がっていませんが。それと、過大評価はやめて欲しいです」  
「あ、自覚のない人間を殴り倒したくなる人の気持ちがちょっと分かった」  
 
 そう言われると同時、リザはイリスに足をげしげしと蹴り続けられた。手加減はしてくれているのだろうが、そ  
の蹴りは地味に痛い。じゃれつきの範疇とはいえど、塵のような痛みも重なればそれなりにはなる。リザは心の中  
だけで痛みに顔をしかめつつ、イリスの頭を引っつかみ、その五指にぎりぎりと力を込めた。  
 
「やあぁっ……! 痛い、だめぇぇっ! お姉ちゃん、らめええぇぇぇっ!」  
「人様に誤解されるような声を上げないでください、このマセガキ」  
「とか憎まれ口を叩きながら、ちゃんと手加減してくれてるね、お姉ちゃん」  
「暴力は嫌いですから、私」  
 
 いけしゃあしゃあと語りつつ、リザはイリスを解放した。この間抜けなやりとりも、ふたりなりのじゃれ合いで  
ある。現に、噴水広場にいる人々は、ふたりの微妙にバイオレンスなやりとりを、生温かい目で見ているという始  
末。ある意味では駄目駄目なのかもしれないが。  
   
「お姉ちゃんはさ」  
「ん?」  
 
 場の空気もいい具合にゆるやかになってきた時、弛緩した糸をひっぱるかのように、ぽつりとイリスが言う。そ  
の、子供らしからぬ響きの言葉に反応したリザは、またも小首をかしげた。  
 
「どうして、今の職業に就いたの?」  
「あなたもそれですか? ……別に、一番やりたいことをしているだけですよ」  
「兵隊さんとかは……?」  
「それはさすがに勘弁を。私、痛いのとか怖いの、すごく苦手なので」  
 
 両手を振って、いやいやと首をも横に振るリザ。そんな彼女の姿を見ながら、イリスは何やら不満げな表情で、  
ぶつぶつと文句を垂れ流している。  
 
「この前、あのでっかいの、蹴り飛ばしてたじゃん」  
「あれは、まぐれですよ。もう一度同じことをしろ、と言われたら、小便もらして腰ぬかします」  
「……んー、でも、お姉ちゃんが兵士さんになると、平和が近付くと思うんだけどねえ……。正義の騎士、みたい  
な感じでさ。みんな助けてくれそうっていうか」  
 
 
 瞬間、リザの表情が、凍りついた。  
 
 
 それは、本当に本当に小さな時間。目視することが出来るのかどうか、というほどに短い時間。肉眼で視認する  
こと自体が困難かと思わせるほどの時間。たったそれだけの間ではあるが、その際、彼女の人形めいた美貌は、揺  
れたのだ。氷の上に、氷柱が突き刺さって、いびつながらも、彩りを見せたのだ。  
 だが、それを周囲の者が悟る前に、リザは鉄面皮へと表情を戻す。氷柱の上に、鉄板をむりやり打ち付ける。  
 
「……いやいや、実は私、結構びびり屋でして。本番に弱いんですよ」  
「そっかあ。あれだけ凄かったのに、勿体ないな」  
 
 そう言って、リザの眼前で、イリスは遠くに視線をやる。大方、この前の『事件』のことでも思い出しているの  
だろう。リザにとってはあまり思い返したくないことであったが、それでも誰かの考えをとがめられる権利などは  
どこにもない。  
 心中、苦虫から出た汁をちゅうちゅうすすり、リザはひたいを押さえて溜息をひとつ。顔を上に向ければ、憎た  
らしいほどに透き通った空の色。流れる冷たい風が、リザの思いを冷やしていく。  
 
「……まあ、それはともかくとして。誰か薬を必要としている人、いませんか?」  
「いないよ、貧乏不良薬屋の、お姉ちゃん」  
「ぐぬぬ……、そりゃ困りましたね。しょうがない、雇われ給仕でもしますか」  
「本当に貧乏なんだね、お姉ちゃん……」  
 
 
 自分の半分も生きてはいないであろう幼子に、あろうことか同情の視線を向けられるリザ。  
 
 本当に、世の中はままならない。彼女は強くそう思った。  
   
 
 イリスと別れを済ませ、リザは町中を闊歩する。レンガ造りの家屋の隙間を歩いていき、様々な商店をその目に  
焼き付ける。さほど活気はないものの、陰鬱な空気は皆無。だからこそ、こうして目的も何もなく、ただぶらぶら  
と散歩するのが心地良いのかもしれない、リザはそう思う。  
 今頃は、どこぞの国と国で戦争でもしていて、たくさんの死傷者が生まれているだろう。戦乱の世、ではないが、  
ここ最近はやたらと争いが絶えない。現に、数日前もどこぞの地域で、小規模ながら戦いがあったようだ。  
 
 きっかけは、領空侵犯だったらしい。俺の巣に土足で踏み込むなボケ、という話から始まり、それからぐだぐだ  
と戦いが続いて、気付けば目的がすりかわっていた。お前の庭をよこせ、という話になっていた。  
 
 よこせ、ふざけるな、なんだと、殺すぞボケ、じゃあ俺がお前を先に殺しちゃうもんね。この一連の流れが、最  
近の戦争の理由だったりする。歴史の教科書によくよくあるパターンだ。過ちはくり返すまい、と思っても、くり  
返してしまうのが人間なのである。  
 もしかすると、人間は闘争本能を根絶せしめることが出来ないのかもしれない。この大地に増えすぎた生物は、  
本能で、間引きをしているのかもしれない。しかしその反面、最近になって出生率が跳ね上がったのだというから、  
本当によく分からない。  
 
 リザは、人間の道徳観があまり分からない。  
 
 悪魔だから、というのもあるのかもしれないが、生来の気質も災いしたのだろう。  
 基本的に彼女は、冷めた目で物事を見やる。知らない人が死んでも悲しまないし、この世で最も大切なのは自分  
の命だ。知り合いや友人が殺されれば、それは悲しいと感じるだろうが、恐らくはすぐ忘れる。命の危機にさらさ  
れれば、恐らくは泣いてみじめに命乞いをするに違いない。  
 
 人助けは嫌いだし、ボランティアなぞも嫌いである。恩義は返すが、無上の信頼などというものは持てない。基  
本、持ちつ持たれつの関係を旨とする彼女にとって、情というものは最もよく分からない行動基準のひとつである。  
 
 
 
 だから、どこで誰が殺し合いをしても、全く関係ないと考える。彼女の行動理由は、全てが自己満足のために、  
である。崇高な理由なんぞはゴミ箱に捨てて、犬の餌にでもしてしまえば良い、本心からそう考えている。  
 
 人殺しをしまーす、と宣言して人を殺すのと、人殺しは嫌よ、と宣言して人を殺す。信念や考えの違いはあるだ  
ろうが、結局、物的事象に微塵の変化もない。いいわけは責任転嫁のあらわれであるし、恥知らずに徹することが  
出来るほどに、リザは盲目的でもなく。  
 
 その帰結として、町のすみの家屋に住まう、万年貧乏薬屋が出来上がる。  
 
 貧乏薬屋は良い。戦争があっても、見向きすらされない。貧乏人は帰れ帰れ、である。余計な争いごとに巻き込  
まれる心配もない。それ以前に、サーリアの町自体が見向きすらされないのだが。  
 
 
 そんな利己主義一直線の彼女は、小さな幸せに包まれながら、散歩を続けた。家計簿の件を、無意識内に脳味噌  
の範疇外へと追いやって。  
   
 
 橙色のなかに、黒が混じりつつある空の色。そんな時間帯になれば、人々の姿はまばらになっていく。夜は、闇  
と暗殺者と変質者の時間である。自ら危険に首を突っ込もうとしない人々は、思い思いに足を進め、それぞれの拠  
点へと帰っていく。  
 赤らんだ顔の大男や、疲労の色を強くにじませる中年女性。そんな種々様々な姿の町人たちのなかに混じり、白  
銀の髪を揺らしながら、リザも足を進ませていく。  
 
 噴水広場を抜けて、いつも通りの道をいく。ひと仕事終えたせいだろうか、体の節々が泣いている。それは主に、  
精神的な疲労の面が大きい。悪魔の体は、無駄に、とにかく無駄に、無駄に頑丈なのである。それこそ、腕一本を  
切り落とされても、切断面同士をぐりぐりとねじりこんでやれば、くっつく程度に。落石を脳天に受けても、とり  
あえずは死なない、という程度に。  
 とはいえど、いくら頑丈な体をもっていても、痛覚はある。子供に足を蹴られて、痛いと感じる程度には。  
 
 自身の変な体を訝る暇もあらばこそ、リザは目的地にたどり着く。赤茶色のレンガで形成された、それなりに大  
な家屋。庭こそないが、屋根も煙突も窓もあり、きちんと家の様相を成している。玄関口には木製の扉がたたずみ、  
そのそばには柵らしきものも見える。  
 
 リザは扉まで近付き、手の甲でそこを軽く叩く。何度か叩けば、がたり、という音と同時に出てくる人影。黒い  
髪に、柔らかい表情。隣人のアストだった。  
 
「どちらさま……って、お前さんか、リザ」  
「はい。借金、返済します」  
 
 そう言って、ふところから布の袋を取り出し、リザは直接手で渡す。無論、放り投げるようなまねはしない。  
 
「ひい、ふう、み……。うん、ちゃんとぴったりあるが。相当、無理したんじゃないか?」  
「いえ。自宅の倉庫をあさってみたら、なんか変な兜と鎧を見かけたので。売ったらこういう始末に」  
「いい加減、ちゃんと片付けようよ……」  
「自分の部屋とか、掃除するの嫌いなんですよ。公共の場だとあまり抵抗を覚えないのですが」  
 
 袋の中にある金貨を確認したアストは、リザの平然とした物言いに対し、盛大な溜息で返す。リザは全く動じる  
ことはない。所詮、いつものやり取りだからだ。  
 
「しかし、よくここまでの額を……。その兜と鎧、結構な品だったんじゃないか?」  
「店の主人が言うには、そうらしいですね。なんか、雷と氷の魔法の力がこもってうんぬん、生半可な剣では太刀  
打ち出来ないとか。あと、なんか、魔力射出とかなんとか。売った後で話を聞きました」  
 
 リザがそう言った瞬間、アストがむせた。ぶふぉ、と下品に。  
 
「それ、多分、捨て値で売っても、この程度の金額では済まないんだが……」  
「そうですか。まあ、騙される私が悪いんでしょう。おお、失態失態」  
「無欲だなあ、相変わらず。でも、ご愁傷様」  
「いやいや、変にお金あると、なんか怖い人から狙われそうで嫌なので。逆に僥倖でした」  
 
 ぶんぶんと手を振りながら、リザはここ最近にあった王都での出来事を思い出す。とある富豪が、強盗殺人事件  
でその命を散らしたのだ。ちなみに犯人はすぐに捕まった。犯人いわく「金が欲しかった。見つかったから殺した。  
今は反省している」らしい。  
 ヘタレ一直線なリザは、その事件を覚えており、金は欲しいがそこそこでいい、と常に考えている。この女、金  
銭面でもヘタレであった。  
   
 微妙な空気が流れる。リザはぽりぽりと頬をかいた。アストもアストで、リザからもらった金貨入りの布袋を、  
どこか気まずそうな表情でながめている。  
 とりあえず、打ち消すべきだろう。そう考えてリザは口を開く。  
 
「というわけで、傷心の私を泊めてください」  
「いやいやいや、前後の文脈が繋がっていないから。別に泊めるのはいいけどさ」  
「無論、宿泊代は払います。あなたが嫌なら無理強いはしませんが」  
「別にいいけどね……、もう慣れたし。まあ、俺も嫌じゃないし、泊まっていいよ」  
 
 どこか諦念の混じった声で、アストはがくりとうなだれ、溜息ひとつ。対するリザは小首をかしげる。今の会話  
の中、もしかして粗相をしたろうか、と思ったが、アストの表情に嫌悪や憤怒の色はない。  
 リザは、とにかく空気が読めない。いい具合に誤解してばかりいる。おかしな方向に走らないのが、救いといえ  
ば救いなのであろうが。  
 そんな彼女の気質を理解しているのだろう、きびすを返したアストの背には、妙な哀愁が漂っていた。  
 
「まあ、入ってよ。防具を売却した件も聞きたいし」  
「はい、ありがとうございます。嬉しさのあまり、はしたない汁が出そうです。おお、風情風情」  
「……つっこまない、俺はつっこまないぞ」  
「突っ込むのはピナスだけで充分でしょうね。しかし、13で非童貞とは、あなたもなかなかやりますね」  
「な、なんで知ってんの!?」  
「パン屋のマリィさんに教えてもらいました。ご近所通信網」  
 
 アストをからかいながら、リザは彼の家の中に入っていく。そこに色めいた雰囲気は微塵もなく、あるのはただ、  
変な兄妹がぐだぐだとからかい混じりのじゃれ合いをする、なんともいえぬ空気のみ。  
 夕闇の色が、ふたりを染め上げる。弛緩した空気が漂う。それにこそ、リザは満ち足りたものを感じて。  
 
 
「まあ、別に面白い過去なのでいいんですけど。避妊はしっかりやってくださいよ?」  
「あの頃は、若かったんだ……」  
「今も若いでしょうが。私なんて、26で処女ですから、売れ残り臭ぷんぷんで」  
「本当か? なんか、意外と言えば意外だし、納得できるといえばそうなんだが……」  
「まあ、膜はブチ切れていると思います。結構激しい運動した経験、いっぱいありますから」  
「わーい、青少年の浪漫が崩れていくなー」  
「身勝手な願望を抱くのは勝手ですけど。押し付けちゃうのは駄目駄目です」  
「それについては同意するよ、26歳処女」  
「……やっぱり、微妙に嫌ですね、そう言われると」  
 
 
 
 シモの話を続けた。  
 
 この女、とかく空気が読めないのである。合掌。  
 
 

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