薄暗い灯火のなか、ふたりの男女が顔を見合わせながら席に座っている。片方は小柄な銀髪の女性、もう片方は  
線の細い男性。木製のテーブルを挟んで向かい合う両者のそばには、いくつもの皿がある。  
 真っ白な液体のなかに、ぷかりと浮かぶ赤や黄のかたまり。狐色に焼けた断片のそばに、緑色の棒状のもの。そ  
のそばに添うようにして、茶色いかたまりがある。それらはいずれもかぐわしい香りを発しており、両者の鼻腔を  
つつき続ける。  
 
「では、馳走になります。いただきます」  
「んむ、苦しゅうない。いただきます」  
 
 などと言えば聞こえは良いのかもしれないが、何のことはない、リザがアストと共に、夕食をとろうとしている  
だけの話である。テーブルの上には、煮込まれたクリームシチュー、マスのポワレ、アスパラガスの塩茹でが乗っ  
ている、ただそれだけの話。  
 だが、リザの眼光は鋭い。炯々、という言葉が似合いそうなほどに。  
 
「私の好物ばかりですね。おお、素敵素敵」  
「まあ、たまたまだあね。俺とお前さんって、食べ物の好き嫌いが似ているから」  
「実においしそうです。料理できない私にとっては羨ましいですよ、本当に」  
「むしろ、手先がやたら器用なお前さんが何故に料理できないのかが俺には分からん」  
 
 食い入るようにテーブルの上の食器類、の上にある料理類を見つめて、リザは嘆息する。その仕草だけ見れば、  
淑女やら何やらという言葉とは無縁、意地汚いやらはしたないやら、そういう言葉が相応だ。  
 
 とはいえども、リザのその態度も仕方のない話なのかもしれない。とろり、と音が聞こえそうなほどになめらか  
な表面を描くシチューは、光沢を放ちながら、野菜の島を浮かべており、今にも一帯を占領したくなるほど。その  
横には、表面を、これでもかと言わんばかりにかりかりに焼かれたマスがあり、とろみのあるバターソースは、そ  
の匂いを鼻に入れるだけで唾液が止まりそうにない。そっと横に添えられたアスパラは、ぷくぷくと肥え太り、噛  
み切ればじゅわりと青い旋律が広がるであろうことは想像に難くない。皿の横に置かれた黒パンは、かぴかぴとし  
た光沢が、逆に食欲をそそる。  
 
 たまらん、実にたまらん。リザは心の底からそう思った。  
 
「うはぁ、うめぇです。相変わらずさすがですね」  
「……そうやって食べてもらえると嬉しいことは嬉しいんだが、お前さん、自分の姿、鏡で見たことあるか?」  
「ありますよ? いつもいつでもガキ体型。世は理不尽。ああ、本当においしい」  
「あー……。名画に黒インクぶっかけるって、想像以上に、精神に来るもんだなあ」  
 
 フォークとナイフとスプーンとを、気持ち悪いほど奇妙に使いこなし、がっつくリザ。そんな彼女を見て、料理  
の作り手たる青年は盛大な溜息をつく。  
 リザの食べ方は下品ではない。が、上品でもない。健啖家そのもの、といったその食べ具合は、間違っても人形  
めいた容貌に似合わない。彼女らしいと言えばらしいのだが、その行為は、まさしく名画に黒インクぶっかけ。い  
くら素材が良くてもどうにもならない。所詮、そういうものである。  
 
 
「たまりまへん、うまいですね」  
「……なんだろう、この、嬉しいのにやるせない気持ちは。見慣れたはずなんだが」  
   
 微妙な空気が一部流れた食事が終わり、食後の紅茶の時間が来る。空気もそれなりに弛緩し、リザにも落ち着き  
が来る。それを待っていたかのように、彼女に向かって、アストが口を開いた。  
 
「そういや、聞きたかったんだが。防具の話」  
「ああ、私が間抜けにも騙されてしまった、あの話ですか」  
 
 悪意まんまんに語ってカップをかたむけるリザだが、その顔に憎悪やその類の感情はない。彼女の表情にあるの  
は、満腹感、ただそれだけである。  
 
「どうして防具なんて持ってたんだ? リザには不要だったんじゃないのか?」  
「ええ、不要です。ちょっと前にですね、とある偶然が重なって、色々とごたごたがあって……まあ、あれは鉱石  
と引き換えにゆずり受けたんですよ。でも、私は防具とか装備しませんよ、なんてその場の雰囲気では言い切れず。  
結局、倉庫にぶち込んで終わり、という話に」  
「鉱石と引き換えか……。で、どういう品だったんだ?」  
「ええと、スタールビーとやらと引き換えに、なんかやたら冷たいチェインメイルと、やたらびりびりくるヘルム  
でしたね。私、貴金属類を肌に着けるのは苦手なので……って、アスト、どうしました?」  
 
 テーブルの上に突っ伏して、カエルを潰したような声を上げるアストを見、リザは小首をかしげた。  
 
「お、お前さん、騙されすぎ……。いや、もう、いいや。なんかつっこみを入れる気もなくしてきた」  
「私、昔から騙されていたんですか。おお、失態失態」  
「これを機に、色々な道具の価値とか学んでみるのもいいんじゃないか?」  
「ん、それもいいですね。……勉強は嫌いなんですが」  
 
 そういう問題じゃねぇよ、というアストの視線をさらりと受け流し、リザはテーブルの上で湯気を立てるカップ  
を取る。宝石は確かに美しいだろうし、鎧や兜はまとえば命を守れるだろうが、リザにとっては無用の長物である。  
今の彼女は、この熱い熱いダージリンティーの方が、よっぽど価値があるというものだ。  
 のどに液体を流し込み、はふぅ、と溜息。  
 
「そういや、どこで売ったんだ? 武器防具を扱う店なんて……」  
「王都ぐらいしかないですよね。ええ、行きました。魔法を使って、ばびゅーん、と」  
「魔法か……。そりゃまた、お前さんが使うなんて珍しい」  
「今回ばかりは特別です。借金、とっとと返さないと信用問題に関わりますので」  
 
 右手を上げて、頭のそばでくるくると人さし指を回すリザ。同時に、その動きに合わせて、ゆらゆらと白銀の髪  
が揺れ、彼女特有の甘い匂いが流れる。変なところで色気のある女だった。  
   
 
 魔法、というものは実際にある。とはいえども、それはおとぎの世界にあるような、便利なものではなく、どち  
らかといえば危険なもの。練習すれば誰でも使えるし、やり方も至極単純である。が、反面、その威力と危険性が  
高すぎる。その特性を利して、魔法を使って犯罪行為に手を染める奴原も、年々、増加の一途をたどっているとい  
う話だ。  
 
 無論、それに対する抑止力はある。戦争以外は危険な魔法行使を禁ずるだとか、魔法を用いて人を傷付けた際に  
かぶる罪は大きいだとか。ただ、それで死刑制度賛成派の意見が色濃く出てしまい、モラルの低下が見受けられる  
のも現状だった。牢獄の需要がなくなっていくのも問題である。  
 そのため、どこの場所でも、徹底的な魔法の制限が求められる。罪の段階も細かく設定し、様々な取り決めも作  
られた。そんな面倒なものをつくるぐらいならば廃止してしまえば良いのでは、という意見を出す者もいるだろう  
が、そうは問屋がおろさない。  
 魔法はすでに、人々の生活に深く関わっている。高度な魔法を使って生活を支えるような職もいくつかあるのだ。  
この期に及んで魔法廃止、などと言えば、失業者たちがあふれることとなるし、魔法を日常的に使用していた者た  
ちからのストライキが来ることは必然である。  
   
 幸いなのは、あまりに強い力を使うと、反動として本人の肉体が傷付く、という点だろうか。人をぶっ殺してや  
るぜ、と考えて強力な魔法を使えば、全身疲労に裂傷ですぐばれるのが関の山、というように。世の中はとかく、  
ままならないものである。  
 
 
 などといった背景があり、今でも魔法は『便利だが、使いすぎるといい顔をされない』というもので落ち着いて  
いる。魔法ばかりに頼って運動せずに、肝硬変で死んだ男の事例があってから、その傾向はより顕著になった。な  
んとも間抜けな話なのかもしれないが、そういうくだらない風聞が、民衆の関心を引くのは言うまでもなく。  
 
 結果として、魔法とは微妙な立場に腰を下ろす破目となった。  
 
 
 
 無論、リザも魔法が使える。食べ物を冷やして保存する魔法をきっかけとし、火を用いて湯を沸かす魔法、水を  
用いて体を洗う魔法、などなど。  
 彼女が王都まで行った際に用いた魔法は、突風を起こして自分の体を吹っ飛ばすものである。勿論、着地のこと  
など考えていないのだから、王都からやや離れた場所にある平原に、背中から激突、背骨が粉砕骨折となったこと  
は言うまでもない。悪魔の身を持たなければ、一生ものに近しい大怪我である。荷物袋と、その中身の鎧や兜が壊  
れなかったことは、僥倖以外の何物でもない。  
 
 この魔法の使用例は、間抜けというほかにないが、リザはそれを楽しんでやっている。馬鹿に耽溺したい気分に  
なることとてあるのだ。たまに後悔はするが。  
   
 
 閑話休題。  
   
   
「……よくそんな強力な魔法を使って、反動こなかったな」  
「来ましたよ? 毛細血管ズタズタ、全身微妙に疲労、血もちょっと吐きました。まあ、この悪魔ボディあっての  
やり方ですから、もうハチャメチャというほかなく。再生能力でどうにかしましたが」  
 
 さらりと語るリザ。全く表情を変えずに、声だけでゲタゲタと笑う姿は、ひいき目に見ても見ずとも気持ちが悪  
い。そんな彼女の姿を見て、青年は、また盛大な溜息をついた。  
 
「よくご先祖様は、悪魔とか倒せたなあ」  
「いや、存外簡単ですよ? せっかくの機会ですから、悪魔殺しの方法とか教えましょうか?」  
 
 紅茶をすすりながら言うリザに、アストはしばし訝りの視線を向けるも、やがて観念したかのようにうなずいた。  
 
「ありがたいけど。自分の殺し方を教えていいのか?」  
「いいんですよ、別に。ちょっと考えればすぐ分かることでしょうし、それに……まあ、話を聞いていれば理解で  
きると思います」  
 
 くるくると、自分の髪を指でもてあそびながらリザは言う。  
 
「まず、数ですね。いくら悪魔が人間より強靭だからって、数の暴力の前には勝てません。とりあえず十数人がか  
りで捕縛の魔法を打ち込むか、氷魔法の杭で四肢を大地に縫い付けて固定しちまいます。  
 動けないところで、さっさとのどを潰してやりましょう。声帯を再生させなければ魔法はろくなもん使えません。  
あとは循環をつかさどる臓腑を……この場合は心臓ですね、引っこ抜きます。悪魔の体は放っておくとすぐ再生し  
ますが、心臓を取ればそれを抑制することが可能です。あとは脳味噌を破壊して、焼けば終わり。簡単ですね」  
 
 ぺらぺらと得意げに、自分の殺し方を語るリザに対し、アストはどこまでも渋面だ。食後、という時間が災いし  
たのもあるのかもしれない。とはいえ、さすがにえせ探偵をやっている青年は、すぐに顔色を平静の色に取り戻す。  
 
「一対一の場合は?」  
「逃げた方がいい……のでしょうが、逃げるのは困難です。まあ、基本的に悪魔ってアホなんで、油断したところ  
を目くらましして、さっさととんずらする方がいいかと。あとは罠にはめるのとかも有効。結構、知略に弱いんで  
すよ。自分の種族ながら、このアホっぷりはどうかと」  
 
 そこまで語り、ただ、とリザは指を立てながら話の流れを一度切る。  
 
「やっぱり、力が強いのは困りますね。こぶしを一発受けただけで、人間の骨、ぐしゃぐしゃになるでしょう。そ  
れと、腕とかもぎ取っても、すぐポコポコ再生してしまう。脳味噌以外なら、焼いても再生するんですよ。本当、  
やっかいきわまりない相手です。……そこで」  
「そこで?」  
「とある道具を相手の体に打ち込めば、あらゆる能力をほぼ抑制することが可能です。まあ、今度、暇があれば見  
せます。結構高価でかさばるものなので」  
「なんでそんなものを、悪魔本人であるリザが持っているんだ?」  
 
 青年の疑問の声を聞き、リザはすぐさまふところからぬいぐるみを取り出す。あの不細工なワニの形状をしたそ  
れを、すぽりと右手にはめ込み、ぱくぱくとアゴを上下運動。ランプの淡い光に照らされ、薄闇の中に緑が見える。  
 
 
 
「それはモチロン、リザっちが暴走した際、殺し方を知らないと困るダろ? 悪魔なんて、未だにその正体が薄闇  
に包まれているンだ! 保険はいくらあっても足りネーよ!」  
 
 
 
 青年は、その言葉を聞いて、眉をしかめることしか出来なかった。  
 
 がたり、と音を立ててリザが席を立つ。表情は、相変わらずの鉄面皮。仕草も挙措も何ら変わりない。いつの間  
にやら、あのワニのぬいぐるみ、フェルナンデスはふところにしまわれている。  
 
「ちょっと、夜の散歩に行ってきます」  
「大丈夫か……、という言葉はいらないよな、お前さんには」  
 
 砕けた調子でアストが言うが、その言葉はいつもよりよどみがかかっている。それも仕方のない話なのかもしれ  
ない。先の発言は、リザの殺し方を説いたも同然の流れであり、彼女の抱えている不安をあらわにするような内容  
でもあったからである。  
 だから、リザはあまり多くを語らず、アストの家から出ていく。空気を悪くしたのは自分だから自分が悪い、と  
いう思いを抱えながら。  
 
 
「ふぅ」  
 
 
 背後で扉の閉まる音を聞きながら、白銀の髪を揺らし、エプロンドレスを揺らし、悪魔はひとりで溜息ひとつ。  
 
 空を見上げる。小さなきらめきがひとつ、ふたつ、みっつ、たくさん。技術が発達し、家屋には灯火の数が増え、  
闇夜の色は薄くなりつつあるこの時代でも、星のきらめきは残っている。光量はいくばくか弱々しくなったものの、  
黒のなかに見えるきらめきの美しさは、心に何かを介入させる。  
 それがどういった気持ちなのかは分からない。ただ、リザは、こういう風に夜空を見上げられる時が、ずっと続  
けばいいな、などと考えてしまう。稚拙で、つまらない、あまりにメルヘンチックなそれ。だが、幼稚な意見だか  
らこそ、リザはそういう類の思いは嫌いではなかった。  
 
 静かに町の中を歩く。レンガ造りとはいえども、多少の声は外に出る。家族たちの奏でる談笑の音色は、夜闇に  
流れる鳥の声と混じり、奇妙な二重奏を演出する。  
 
 ブーツと石畳がぶつかり、硬質な音が鳴る。かつかつ、と夜空に吸われて消えていく。足は自然と、噴水広場へ  
と向いていた。  
 
 薄茶色とクリーム色のオブジェが、ひっきりなしに水を排出し、くみ上げている。そこから放射状に伸びるよう  
にして、石の床とベンチの数々。昼間のにぎわいはそこになく、今はただ、むなしく水の音が風の流れに混じり、  
乗って、消えていくだけだ。  
 遠くに薄ぼんやりと見える上弦の月は、不恰好ながらも珍奇な妖しさを演出している。淡い輝きが、住居から伸  
びる小さな輝きと合わさり、弱々しい光を噴水広場にもたらす。はかなげな、その微光は、水のきらめきを反射し  
て、妖艶ですらあった。  
 
 広場に設置されているベンチのひとつに腰かける。そのまま、空を見やる。黒い空は、遠い場所にあるが、何故  
だろう、さびしげに見えた。それはずっとひとりだからだろうか。誰かと一緒になることが出来ないからだろうか。  
自分と、同じ性質の者と、手を繋ぐことが出来ないからだろうか。  
 
 リザにそこの辺りはよく分からない。ただ、空を見て、寂しげだな、という所感をなんとなく抱く。ただそれだ  
けの話。  
 
 
「お姉ちゃん?」  
 
 やにわに背後から声をかけられて、リザは首を戻しつつ、振り向いた。赤茶けた髪を流し、白いワンピース姿で、  
どこかいたずらめいた笑みを浮かべたままにたたずむ子供がそこにいた。  
 
「イリス?」  
「お姉ちゃんも、夜の散歩でしょ?」  
 
 訝り、小首をかしげるリザ。そんな彼女を一瞥し、イリスはぽすん、とリザのとなりへと座る。  
 
「危ないですよ。夜は危険が一杯です。怖い悪魔が食べちゃうぞ、です」  
「悪魔って……、狼とか言った方が、まだ信憑性があるよ」  
「そりゃそうですね。それより、親御さんが心配しますよ。早く帰らないと」  
「やぁだ。私、夜の景色、好きなんだもの」  
 
 いやいや、と首を横に振るイリスの姿を見、リザは溜息をつく。この、おしゃまな友人が頑固なのは、リザが昔  
から分かっていたことだ。大方、親の目を盗んで出てきたのだろう。彼女は放浪癖、というよりかは、脱走癖があ  
るのだから。  
 季節的に、夜はまだ寒い。やや薄手のワンピース姿は、脂肪分の少ない体の彼女には寒かろう。現に、イリスの  
指先は白くなり、微妙に震えている。  
 
 仕方ない、とばかりにふところをまさぐり、何故かあったマフラーを取り出す。恐らく、リザが暇な時に寝ぼけ  
眼で突っ込んだものだろう。寒い、用意しよう、眠いからそのままでいいや、といった具合に。なんとも不精な女  
であった。  
 とはいえ、こういった局面では頼りになる。深紅の色をしたマフラーを、ふわりとイリスの首にかけるリザ。  
 
「……あ」  
「べ、べつにあなたのためじゃないんだからねっ」  
 
 超、という言葉が付くほどに棒読みで言ってみれば、一拍遅れて、イリスはげらげらと笑い出す。  
 
「あはは! なにそれ、なぁにそれ! 全然似合わないよ、お姉ちゃん!」  
「おかしいですね。世間では、こういう『素直じゃないあの子がいいのよ』みたいな人が好かれると」  
「それ、男の子と女の子の間での話だって!」  
「あ、そういやそうですね。おお、失敗失敗」  
 
 イリスに頭をべしべしと叩かれながら、リザは無表情のままに己の失態を確認する。とはいえども、これも所詮、  
じゃれ合いの範疇のようなものだ。  
 ひとしきりイリスが笑い終えたのちに、沈黙が戻る。夜の静けさが、またやってくる。  
 
 
「……お姉ちゃんは、笑えないの?」  
 
 そこで、唐突に放たれる一言。  
   
「どういうことですか?」  
 
 小首をかしげるリザ。確かに自分は鉄面皮だろう。だが、表情を変えずに、ゲタゲタと笑うことは何度もあった  
はずである。やはり、イリスはそこの辺りの機敏が分からないのだろうか? そう考えた瞬間。  
 
「なぁんか分からないんだけれど。大口あけて笑わないの、ちょっと、と思って」  
「それは、表情的な意味で、ですか?」  
「んー、よく分からない。でも、なんか無理しているような。いや、ごめんね、変なこと言って」  
 
 ぱたぱたと手を振り、イリスはごまかすように言う。だが、リザはごまかされはしなかった。イリスの指摘は、  
ある意味で、正鵠を射ていたから。  
 所詮、悪魔である。リザは人間の真似事しか出来ない。悪魔は人間よりも力が強い。だからこそ、日常会話をし  
ているだけでも、いわゆる『上から目線』が根付いてしまう。それを自重しよう、自重しよう、そう躍起になって、  
気付けばリザは、表情が凍っていた。  
 
 肉体的なアドバンテージは、死生観の面においても影響される。ある程度のことならばどうにかなってしまうで  
あろう、そういう楽観視は、別の面からとらえれば、軽侮のそれに近しいのかもしれない。嫌だ嫌だと思いつつも、  
結局、一度根付いた優越感を完全に根絶せしめることはかなわない。  
 だからリザは自重する。いつか、人を、完全に見下してしまう時が来るのかもしれないから。今も見下している  
のだろうが、これ以上自分が駄目駄目になるのは願い下げだった。これは、人のためではなく、自分自身が堕する  
ことを屈辱と思う、矜持のせいである。  
 
 結局、リザは自分のためにしか動いていない。だからこそ、甘言を発することはない。  
 単に不器用なだけなのかもしれないが。  
 
「……そうですね。無理はしています。ですが、まあ、なんといいますか」  
「なに?」  
 
 戸惑い、つっかかりながら、空を見上げてリザは言う。  
 
「無理することそのものが、生きることと言いますか。……うえ、格好つけてますね、私。気持ち悪っ」  
 
 空の色は黒い。星は明るい。それを確認して、リザは嘆息する。  
 ふと横を見てみれば、幾分か大人びた表情のイリスがいる。赤茶けた髪を揺らして、闇夜に躍らせるその姿は、  
ひいき目に見なくとも美麗だと感じられる。  
 
「なーんか、似合わないけれど、お姉ちゃんらしい気がする」  
「おお、感謝感謝。まあ、私は基本的に裏方で雑用するのが好きなので。無理するのが基本でいいんですよ」  
「あ、そういう考えはぜんぜん似合わない気がする」  
「なにを言いますか、全く……っと、そろそろ帰らないと、本当に親御さんが心配しますよ?」  
 
 席を立ちながらリザが言えば、すぐに不満げな表情を見せるイリス。彼女が、一度決めればてこでも動かない性  
格というのは知っているが、こういう局面においては存外に困る要素と成り果てる。  
 さてどうしたものか、とリザが首をひねり、むりやり引きずってやろうかと考えた瞬間、イリスが動く。  
 
 
「腹話術、して。見たら帰るから」  
   
 その言葉に、リザは反射的にうなずいてみせた。本当ならば、商売関係うんぬん、という理由であまり人には見  
せたくないものだが。こういう、ちょっと寂しい月夜の晩に、友人とふたりでの空気の中ならば、それも許される  
のではないかと。何故か、強くそう思った。  
 だから、リザはふところからぬいぐるみを出す。  
 
「……ただの漫才、は聞き飽きましたでしょうから」  
「から?」  
「ちょっとした、おとぎばなしをします。私が語り部、フェルナンデスは相方で。語調も変えてみます」  
「ぱちぱちぱち」  
 
 拍手をするイリス。  
 歳相応の姿を見せる彼女を前に、唇がゆるみそうになる暇もあらばこそ。  
 
 イリスは、不細工なワニと対話するようにして、語る。  
 
 
『昔々、あるところに、とっても強い勇者様がいました』  
『で? 勇者様がいるということは?』  
『無論、魔王もいました。魔王はとてもとても悪い奴で、みんなを困らせていました』  
『ふんふん』  
 
   
 それは、どこにでもあるような話だった。  
 勇者がいて、魔王がいて、お姫様がいる。  
 勇者がお姫様に恋をする。お姫様は魔王にさらわれる。  
 
 だが、話の途中で、悪魔という存在が出る。  
 悪魔はとても醜い姿だが、優しい心をもっている。  
 最初こそ悪魔を嫌悪する勇者たちだったが、次第に悪魔と仲良くなり、うちとけていく。  
 
 
『悪魔は、涙を流しました。自分を理解してくれる人がいたからです』  
『やっぱり、友達がいるってのはいいもんだよな』  
『悪魔は勇者と一緒に、お姫様を取り戻そうとしました。けれども』  
『けれども?』  
『実は、悪魔も、お姫様に恋をしていたのです』  
『ほうほう!』  
 
 
 思いが交叉している。勇者は、それを偶然知ってしまう。  
 そして、勇者は悪魔にひどいことを言ってしまう。  
 お前のような醜い奴が、姫の心を射止められるものか! と。  
 悪魔は放心し、裏切りにも近しい言葉を受け、失意のままに、逃げるように去ってしまう。  
 
 孤独となった勇者は、後悔しながらも魔王の居城へと向かい、ついに魔王と対峙する。  
 しかし、魔王はとても強く、勇者でも敵いそうにない。  
 万事休すか、と思われたその時、悪魔が勇者の前に降り立ち、魔王討伐の手助けをしてくれる。  
 
 勇者は、自らの汚い心を恥じ、悪魔と一緒に戦い、魔王を倒した。  
 だが、悲劇はここからだった。  
 
 
『やっぱり悪魔は、勇者様たちにとって悪いやつだったのです』  
『どうしてだ? 友情が戻って、姫も助かって、幸せなんじゃないのか?』  
『ふたりは、お姫様を救出できました。そして、勇者が言葉を紡ぎ出す前に言ったのです』  
『愛の言葉を、か?』  
 
 
 悪魔は、言った。姫様、私はあなたのことを愛しております。  
 私はあなたとひとつになりたいほど、深く深く、あなたのことを愛しております、と。  
 
 
『そうして……。悪魔は、お姫様の体を食べました』  
『おいおい!』  
『勇者にとってそれは、ひとごろし、でしたが……悪魔にとっては、愛の合体、だったんです』  
『価値観の相違ってやつだな……』  
 
 そうして、悪魔は、お姫様の顔を得た。醜い体に、姫の顔。それはまさしく合体だった。  
 しかし勇者はそうもいかない。怒りで、我を忘れて、背後から悪魔の体を剣で貫いた。  
 悪魔は最後に、どうしてですか、とお姫様の声で言い、事切れる。  
 その言葉が、勇者から正気を失わせた。  
 
『結局、悪魔ががっついて姫様に告白するのを後回しにすればよかったのか』  
『冒険ばかりに着目していた勇者が、価値観の違いを認識すればそれで済んだのか』  
『今となっては分かりません。ですが、勇者の心ない一言が、悪魔の心から余裕を奪っていったとも』  
『きっかけは魔王かもしれない、だが、魔王が全て悪いわけでもない』  
『責任の行方は、どこにあるのか分からずじまい』  
 
 
 そして、あとに残るは、戦いの傷跡である、荒廃した大地だけだった。  
 
   
 話を終えて、リザはぬいぐるみをふところにしまった。同時、小さな拍手を耳に入れる。  
 
「結構楽しかったよ、ありがとう」  
「んー……、物語としては、五流なんですがね。オチが弱いうえ、つっこみどころありありですし」  
 
 頭をひねりながら言うリザに対し、イリスは満面の笑顔で首をゆるゆると横に振る。同時に、彼女の髪と、赤い  
マフラーの切れ端が揺れた。  
 
「さ、帰りましょう。おくって行きますから」  
「ありがと、お姉ちゃん。紳士だね」  
「淑女ですよ、私は」  
「知ってる」  
 
 ふたりは顔を見合わせて、笑い合った。とは言っても、リザは唇の端を曲げるだけだが。それでも、ふたりの間  
に流れる空気は、あたたかで、ゆるやかなものだった。  
 夜の風は冷たく、身は切られるように寒いけれども。何故か、変に心は温かい。救いようのない物語を聞いても  
そんな気分になれるのは、月明かりの中で、ふたりだけの講演会を開いたがゆえか。奇妙な連帯感じみたその感情  
は、昂揚感すらもたらした。  
 
 ふたりして、歩を進める。  
 そこで唐突に、イリスがリザに問いかけた。  
 
 
「お姉ちゃんはさ」  
「はい」  
 
「勇者の立場だったら、悪魔を許せる?」  
「無理でしょうね」  
 
 立ち止まるイリス。  
 そんな彼女の前方を歩くかたちとなったリザは、振り返って言う。  
 
 
 
「私だって、多分、大切な人を蹂躙されたら、怒りに身を支配されるでしょうから」  
 
 

楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル