穏やかな風が流れている。雲ひとつない晴天は、太陽の自己主張を引き立てる。乾いた空気のなか、ほこりの匂  
いが混じる。  
 かような自然の息吹を感じながら、白銀の髪を流しつつ、リザはサーリアの町の中を闊歩していた。今日も今日  
とて、薬屋に以来はなく、家計は火の車である。真夜中の散歩で、イリスに話を聞かせてから二日後、何故か未だ  
に眠気が残っているような気がして、慣れない。  
 あくびを噛み殺しつつ、町内を歩く。劇の依頼もなければ、金も何もない。必然、散歩をするという選択に限ら  
れる結果となる。普通ならば必死こいて別の仕事を見つけるだろうが、どうにもこうにもそういう気が起きない。  
 
「今日も平和ですね、やたらと」  
 
 陽光のまぶしさに目を細めながら、リザはそう思う。まとう衣服は、いつものエプロンドレス。さしてえげつな  
い装飾があるでもなし、エプロンのすみにスープの染みがついていても、違和感のないいでたちだ。  
 何も考えずに足を動かしていれば、自然、噴水広場へたどり着く。子供たちの笑い声と、大人たちの談笑風景。  
何のことはない、日常を彩るページのひとつ。  
 リザは、最近になってやっと、このだらだらとした日常に馴染みつつあった。  
 
「リザ」  
 
 と、そこで横から声をかけられる。視線を移せば、そこには見知った顔。黒いシャツをまとった優男、アストが  
そこにいた。  
 
「珍しいですね。朝から私に声をかけるなんて」  
「自分でもそう思う。それより、ほら」  
 
 リザが小首をかしげている隙をついて、いきなり手のひらの上に温かいものが乗せられる。見れば、それは紙に  
包まれた焼き菓子だった。ほこほこと湯気を立て、甘い匂いを振りまくそれは、あたかも食ってみやがれと挑発し  
ているかのよう。  
 リザは一瞬、反射的にかぶりつきそうになるも、どうにか自重。それを手渡しでくれた男の顔を見やる。  
 
「これは?」  
「パンケーキみたいなもんだな。おすそ分けしている最中だったんだ」  
「ご近所の皆に配っているんですか?」  
「いんや、適当に持って歩いていれば、子供たちがどうせ群がるだろう、と考えて」  
 
 つまり私はガキと同じ扱いか、などと考えつつも、しっかりと菓子をむさぼるリザ。この世は弱肉強食、早いも  
の勝ちなのである。食べてしまえば取り返せまい。他者の吐瀉物をすする趣味がなければ。  
 などと幼稚なことを考えつつ、あっという間に食べ終えたリザは、けふ、と吐息ひとつ。  
 
「ごちそうさまでした。……んー、なんか、またお菓子が欲しくなってきましたね」  
「だったら、王都の方でも行けばどうだ? なんか今、小さな祭りがあるらしいし」  
「行ってきます。砂糖と脂肪が私を呼んでいるのです」  
 
 言うや否や、リザはわき目もふらずに、町の外へと駆け出した。砂煙を上げそうな勢いで全力疾走。いつの時代  
も、女子は甘いものに弱い。皆が皆、そうというわけではなかろうが。食に関しては変な執着のあるリザは、すぐ  
さま己の欲望にしたがって、誰もいない場所へと駆けていった。  
 そんな彼女の後ろ姿を見て、アストは盛大な溜息をつく。  
 
「あの馬鹿女……。また魔法で自分を吹き飛ばす気では……」  
 
 
 青年が自分自身に問うかのように放ったその言葉の返答は、空気を揺るがす重い音だった。  
   
 
 めごしゃっ、と鈍い音がこだまする。  
 
 鬱蒼と生い茂る森の中、折れた巨木を背後に、リザはその場に倒れ伏していた。毛細血管が切れ、その白磁の肌  
の一部には裂傷も見受けられる。出血はほとんどしていないが、背骨と肩甲骨は粉々だ。  
 普通ならば、痛みのあまりに七転八倒するかもしれないが、あいにくと悪魔には痛覚を抑える技術がある。とは  
言っても、単にアドレナリンを増やし、ちょっとした処理を全身にほどこす程度なのだが。  
 己の骨が再生するのを待つ間、倒れ伏した状態では、何もすることがなく。仕方ない、とばかりに視線をゆるゆ  
ると持ち上げてみれば、木の根の近くに、赤い色をしたキノコが生えていることに気付く。  
 
 リザが目にしたのは、毒キノコだった。食べれば、発熱、嘔吐、下痢などの症状を引き起こす、典型的なもので  
ある。つばとつぼがあるのが特徴であるそれは、死に至る類のものではないが、少々厄介なものでもある。  
 が、それを用いて、薬なども作ることが出来る。薬の知識があるリザにとっては、毒キノコさえ、調合用の材料  
となる。  
 
 ゆっくりと手を伸ばして、キノコを千切る。幸い、袋はいつも服の内側に用意している。そこにキノコを入れた  
瞬間、またも遠くに見える、何らかのキノコ。  
 傷が治ったことも忘れて、リザはキノコにばかり注目した。菓子のことなどは、もはや意識の埒外まで追いやら  
れた。彼女の頭の中は、キノコ一色となった。  
 
「これは……研究のしがいが……」  
 
 リザは立ち上がり、森の中を捜索する。そもそも、菓子を食べよう、などという思いつき自体、突発的なもので  
ある。別種の突発的な発見で上塗りされるのは、仕方のない話と言えた。女子は甘味が好みだが、リザは研究材料  
の方が興味をそそられる、ただそれだけの話だった。  
 王都からやや離れた場所にあるこの森は、たまにキノコがたくさん生えている。リザは、王都自体行くことが少  
なかったので、キノコうんぬんの情報は知らなかった。が、知ってしまえばこの通り。初志を貫徹できずに、奇妙  
な形状の菌類に翻弄されるという結果。  
 
 しばし、キノコを狩る。正体が分かりにくいものは放っておき、分かりやすいものだけを取る。結果、ほとんど  
が毒キノコになったが、それはそれで仕方がない。誰にとがめられるでもない狩りの時間は、リザをして、時間を  
忘れさせるほどの幸福であった。  
 キノコを千切る悪魔なんて、おとぎの世界にもないだろうに、などと考えつつ、リザは苦笑する。自分が悪魔と  
いうことを忌まわしく思っているかたわらで、自分が悪魔ということに関しての優越感をも抱いている。それは、  
ただの思いあがりであろう。  
 
 自重自重、などと思いつつ、作業に集中する。  
 
 と、そこで、小さな違和感。  
 
「……よどみ?」  
 
 森の中で見つけた、どこかちぐはぐな空気。悪魔特有の嗅覚が、それを嗅ぎつける。血のような、それでいて、  
どこか甘美な。耳たぶをちりちりと焼くような、掻痒感にも似た違和のかたまりは、リザの心にひとつの危機感を  
発現せしめる。  
 駆ける。違和感のもとへと行く。何か良くないことが起きそうな気がする。何かが始まるような気がしてしまう。  
天秤の、受け皿の、その端に、指先ひとつかけているような気分。言葉にしきれぬ、強烈きわまりない掻痒感。そ  
れはぞくぞくと、リザの背を、全身を、血潮を、這い回る。  
 
 ほどなくして、リザがたどり着いた場所は、ひとつのひらけた空間だった。いや、強制的に、ひらけた空間にさ  
せられた場所、と言うべきだろうか。  
 大地に小さなクレーターじみた穴が空き、そこを中心として焼けただれたような跡が広がっている。茂みは荒く  
刈り取られ、そのそばにある木々は焼け焦げたあとがいくつも。明らかに、誰かの手によって出来た、生々しい傷  
跡であった。  
 
   
「ぅあ……」  
 
 
 
 リザは、震えた。それは恐怖か、はたまた歓喜か、果ては別の何かか。その焼け跡の正体が分かってしまったが  
ゆえ、彼女は身を震わせた。ぶるぶると、まるで寒空の下に全裸で放り出されたかのように。歯をかちかちと鳴ら  
し、己の身を抱きすくめて、へたり込む。  
 リザは、分かった。分かってしまった。  
 
 
 ――『同族』の感覚である。  
 
 
 普通の悪魔ならば、恐らく、気付けないであろうが。人間社会に紛れて、人間らしくしようと日々奮闘している  
リザは、そのよどんだ空気の流れを感じ取ってしまった。有害物質を焼却したかのような、とてもとても臭い、そ  
んな悪魔のにおいを感じ取ってしまった。  
 焼け跡の中心部から感じられるのはわずかだ。気配察知、などという高尚なものではなく、感覚的に分かる、う  
ずきとよどみ。よもや自分が、このような能力を得られたとは、などと驚愕する暇もあらばこそ、さらなる情報を  
取り入れたリザは、無表情のままに顔を青ざめさせる。  
 
 気配が、伸びている。王都から離れた森の中を開始地点として、ゆっくりと伸びる、リザの感覚のみで分かる、  
ひとすじの道。それが向かうは、サーリアの町方面。  
 
「もしかして、もしかして……!?」  
 
 杞憂であってくれ、と願いながら、リザはキノコを放り捨て、気配をたどる。伸びる伸びる、不可視の道。細い  
糸のようなそれは、寸分たがわず、サーリアの町方面へと伸びていく。それを追って走れば、いつの間にやら森は  
遠くの背後に。  
 杞憂であればいい。余計な心配であればいい。だが、念をおしておかなければ、もしかして、もしかして。そう  
考えたリザは、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。  
 
 強力な魔法を使うためには、色々と手続きが必要だ。そのひとつとして、呪文、というものがある。言うなれば、  
力を溜め込む行為だ。それを一気に爆発させるのである。  
 もしも同族が、町にいるのならば、余力を残さねばなるまい。そう考えつつ、リザは言葉を紡いで。  
 
 自分の体を、吹き飛ばした。  
   
 
 町の近くにある森の中に、イリスはいた。赤茶けた髪を後ろでひとつにしばり、厚手のズボンとシャツ、という  
いでたちで、木々の間を歩み行く。虫の声と鳥の声が聞こえるそこは、青い匂いに満ち満ちており、歩くだけでも  
草木がそばにあるような感覚すら抱く。  
 背に負う、不恰好なザックの感触が今は心地良い。それは軽度の疲労のため、というのもあったが、あの無表情  
な人形じみた女性からもらった、という点が大きいだろう。  
 
 イリスには、家出癖がある。とはいっても、親子の仲違いから、という深刻な状況のそれではなく、好奇心に任  
せて色々な場所へ、親の制止も振り切って行く癖があるということだ。深夜にリザと邂逅した時のように。どの家  
の親であれ、夜中に幼子を町中にひとりで出すことを好しとはしないであろう。  
 
「うーん」  
 
 あんまり親を心配させちゃいけませんよ、というリザの言葉を思い返し、イリスは胸に軽い痛みを覚える。そう  
いえば、彼女は26だったか、もう結婚して子を作ってもおかしくはない年齢だ。本人は結婚するような意思はない  
と言っていたが、案外、母性が強いのかもしれない。  
 
 数年前、ひょっこりと町に来たリザのことを、イリスは思い出す。  
 
 最初に出会った時は、人形のような水晶のような少女だ、と感じた。冷たい相貌に、翡翠の瞳を持つ少女。だが、  
その姿とは裏腹に、年齢は既に成人を過ぎていた。意外に冗談も通用するし、何より、行動や仕草や言動が、基本  
的に泥臭い。見かけだけならば、どこぞの姫のようなのにもかかわらず、所作は庶民そのものといえる。  
 そのような、見かけと中身の差に興味をもってしまったのか、気付けば、イリスはリザと友人になっていた。年  
齢こそ離れていたものの、つきあいそのものは対等であった気がする。時には、イリスが口でリザをあしらってし  
まうほど。  
 
 子供みたいなところばかり目立つリザだが、正直、イリスは彼女のことを慕っている。一年ほど前であったろう  
か、両親と共に、少し遠くの町までおもむいた際、平原に凶暴な獣が現れた。後で知ったことだが、その獣は密猟  
者に、子供を盗まれ、怒り心頭で森から出てきたらしい。  
 とはいえども、関係のない人間にとって、向こうの事情は知ったことではなかろう。同時に、獣にとっても、人  
間の事情は知ったことではなかった。平原を歩いていた旅人らしき男が、目を白黒させている間、獣はすぐに距離  
をつめていた。  
 殺される! と遠くで見ていたイリスが目をつぶろうとした瞬間、そこに見えたのは、地面を盛大に転がり、悲  
鳴を漏らす獣の姿と、五体満足な旅人の姿。そこで状況を理解し、周囲を確認し、イリスは驚愕した。  
 
 リザが、獣の頭部を蹴り飛ばしていたのである。あの、小柄な、子供のような容姿の彼女が、地を蹴り体をひね  
り、浴びせるようにして獣の頭部を蹴り飛ばした。危なげなく地面に着地し、相変わらず鉄面皮のままに獣をねめ  
つける彼女の姿は、イリスの目には絵本の中にいる騎士のように見えた。  
   
 獣はその一撃を受けてなお、殺意を消さず、今度はリザと対峙した。だが、はたから見ても、獣は怯えの色に瞳  
を染めていた。しかしリザは追撃するようなまねはせず、ただゆっくりと。  
 
 
「子供を盗んだ人間は、つかまりました。今、騎士たちが、あなたの子供を輸送している最中ですので、もう少し  
だけ待ってください。……暴力を振るった私が言えた義理ではありませんけど。お願いします」  
 
 
 どこか疲れを含ませた声で、そう言った。その言葉が獣に届いたのかどうかは知らないが、獣は、リザを襲うよ  
うなまねはせず、ただ平原に立っていた。しかし、警戒の色は消していない。対するリザも、警戒したまま。  
 息の詰まるようなにらみ合いが終わったのは、獣の子供が戻ってからだった。  
 
 
 そんな事件があってから、イリスは、リザに羨望の視線をよこした。それは、絵本の勇者に憧れる、子供特有の  
感情に近しいものだ。およそ綺麗とは言いがたい尊敬の念である。  
 
 事件の後、どうしてあのような場所にいたかリザに問えば「仕事最中に、子供盗難とかうるさくて。人づてに聞  
いて、なんとか出来るかもしれない、と考えまして」などと、こともなげに言い切った。だが、言葉の端には、ど  
こか羞恥の色が見え隠れしていた。  
 何故、羞恥の色なのか、イリスには分からなかったけれども。友人の意外な姿を見ることが出来たのは、収穫で  
あったから、すぐ忘れてしまっていた。  
 
 
 
 
 
「……変なところで、微妙に格好良いんだよね」  
 
 回想から現実に意識を戻しつつ、イリスはあきれ混じりの吐息と同時に、ひとりごと。家出最中だからだろうか、  
ひとりでいることの寂しさを紛らわしたかったのかもしれない。  
 
 イリスは、森の中を歩く。時折、使えそうな野草があれば、それをひょいひょいと失敬してザックの中に入れて  
いく。この家出は、散歩も兼ねていたし、野草採取も兼ねていた。サーリアの町の近くにある森だからか、所有権  
だの何だのは、もうないも同然である。  
 あと少し、薬草かそこらを失敬して帰ろうか、とイリスがそう思った瞬間。  
 
 
「ふふ、お嬢ちゃん、おひとりかしら?」  
 
 
 ざわり、と。  
 
   
 声が聞こえた方向、すなわち背後を振り返ってみれば、イリスの眼前にはひとりの女性がいた。  
 歳は、成人寸前、といったところであろうか。淑女めいた姿の中に、どこか青さを感じさせる。成人男性よりや  
や低めの背は、どちらかといえば長身の部類に属するだろう。髪の色は金、肌は雪のごときそれ。顔立ちは整いに  
整い、どこか人形めいている。  
 ふわり、とその場にたたずむ所作は、貴族だと称しても疑われぬであろう。ひとつの挙措がとかく優雅で、落ち  
着いている。この、虫と鳥の声が聞こえる森のなかにおいては、似つかわしくないほどに。  
 
 女性のまとう衣服は、ドレスめいた黒い布である。引き締まった腰と、豊かな乳房は、子供であるイリスの目を  
してさえ、美しく、それでいて妖艶だと感じられた。  
 
「あなた、は?」  
 
 イリスの声は、凍っていた。  
 緊張と恐怖のために、固まっていた。  
 
 その人形めいた美貌を見、どこかリザに似ているかもしれない、とイリスは思えたが、即座にその思いを否定す  
る。リザは、違う。いつも間抜けで、いつも何かドジを踏んでいて、こんな淑女そのものといった美は決してあら  
わにすることは出来ないだろう。  
 こんな、『作りものめいた美しさ』は、リザとは違う。イリスはそう思い、左の肩を右手でひっつかみ、深呼吸  
をくり返す。  
 
 あからさまに挙動不審といった姿を見ても、女性は動じない。あくまで、優しい優しい、美しい笑みでイリスの  
顔を見たまま、行動によどみすらもたらさない。  
 
「私は……、そうね、フィロ、とでも呼んで頂戴」  
「それで、その、フィロ……さんが何の用で」  
 
 何故だろう、自分が遠い、とイリスは感じる。背が寒い、足はがくがくと震える、唇は氷のようで、歯は先程か  
らがちがちと大合唱を続けている。  
 恐怖、だろう。これは間違いなく恐怖である。だが、イリスはその感情の正体を知ることが出来ない。怖い思い  
をしたことぐらいは何度もある彼女だったが、今回ばかりは、その感情の波が大きすぎて知覚すら出来ない。だか  
ら、どうして良いか分からない。寒気に全身を支配され、ただ震えることしか出来ない。  
 
 そんなイリスの姿を見、金色のロングヘアーを流しつつ、女性はいたずらめいた微笑を浮かべる。それは、恐ろ  
しいほどに綺麗なかんばせであったが、同時に、どこか人形めいてもいた。  
 
「んー? 少し、滑稽よねえ……と思って」  
「何が、ですか?」  
 
 
 震えるイリスの声を聞いた瞬間、フィロは、今までの淑女ぶりをかなぐり捨てて、げらげらと笑う。顔を天へ向  
け、腹を抱えて。  
 
 
「今から食べちゃう子に、自己紹介なんて、ねえ?」  
 
   
 言葉を聞く、理解する、きびすを返す、走り去る。  
 
 
 イリスは、相手から言葉をぶつけられると同時、弾かれたように逃げ出していた。彼女の精神は、もうまともな  
言葉を発することはない。ただ、肉体が、四肢が、骨髄でさえも、殺される、という思いに従って動いているだけ  
である。  
 殺される。このまま立っていると、自分はあの金髪の美女に殺される。そう現状把握できたのは、しばらく走っ  
てからだった。誰か助けて、と声を出そうにも、のどと舌は凍りついたかのように動かない。恐怖という縛りが、  
イリスから逃走以外の選択肢をなくしている。  
 
「粗相は罪よ、お嬢ちゃん」  
 
 瞬間、イリスは転んだ。何のことはない、ただ彼女は、いつの間にか横から飛び出てきた足払いの一撃を受けて、  
無様に体勢を崩してすっこけただけのこと。  
 だが、その事実が、イリスの心の中にある恐怖の感情を増幅させたことは言うまでもなく。  
 
 気付けば、イリスは首をひっつかまれ、木に背を叩きつけられていた。  
 
「ぁぐぅっ……!?」  
「あら、豚みたいな声を上げると思ったのに、なかなか根性あるじゃないの?」  
 
 ぎりぎりと首を絞められながら、違う違う、と言わんばかりにイリスは首を横に振る。声を上げないのではなく、  
上げられないのだ。恐怖と、首の圧迫感のために。  
 
「でも、そういうおしゃまなところ、だぁいきらぁい」  
 
 ぶんと、フィロが腕を振るう。それだけでイリスの体はゴミのように吹き飛び、地面に叩きつけられ、二転三転。  
バウンドし、転がり、木の根にあばらを打ちつけ、悶絶する。  
 口からよだれが流れそうになるも、イリスはどうにか飲み込む。逃げなきゃ、逃げなきゃ、という思いだけが空  
回りし、全く四肢は動かない。いきなり現れた女性、いきなり振るわれる理不尽な暴力。頭がどうにかなりそうで、  
イリスは唇を噛みしめる。  
 
「……ぅ。どう、して?」  
 
 地面に倒れ伏したままにイリスが問えば、フィロは金髪を揺らしながらゲタゲタと笑う。  
 
「弱い子が嫌いなのよ。あなたみたいな脆弱なの、楽しそうに生きているだけで、吐き気がするの」  
「……ぅう」  
 
 泣いては駄目だ、そう考えるも、イリスの眼球の堤防は決壊寸前だった。それを必死に抑える、抑える。そうし  
ないと、駄目な気がしたからだ。  
 そんな彼女の殊勝とさえ言える努力すら、金髪の女性は興味がないとばかりに嘲笑で切り捨てる。  
 
「揃いも揃って、人間、人間……。ひとりじゃ悪魔に勝てないくせに、ひとりだとなぁんにも出来ないくせに。そ  
うやって徒党を組んで、馴れ合いっこしているのが癪に障るのよ。特にあなたみたいな、おしゃまなクソガキは」  
「あく、ま……?」  
「ええそうよ。私は悪魔よ。過去に人間たちを蹂躙した、悪魔よ?」  
 
 嘘を言うな、などと現実逃避できるほどのすべを、イリスは持っていなかった。むしろ、彼女は、与太話にも興  
味を示す体質であり、このように自己宣言されて否定する気はさらさら起きなかった。  
 そこでようやく得心が行き、イリスはまたも背を震わせる。ああそうか、私は悪魔に襲撃されたんだ、と。その  
冷たい事実が、彼女の体から熱と正気をどんどんと奪う。  
   
 イリスがここで発狂しなかったのは、咄嗟にリザのことを考えたからだろう。いくら彼女でも、悪魔の前では、  
すぐになぶり殺しにされるのが関の山だ。そう考えたイリスは、人を心配するという行為によって、正気を手放す  
ことを破棄した。  
 思いの力、などという高尚なものではない。現実逃避を一時的に先延ばしにしただけの話だ。海の上で漂流した  
際、わらを引っつかむようなものである。  
 
 金の髪を流す悪魔を見ながら、イリスは内心で唾棄する。この女、外見こそ美しいが、実際は悪魔であるという  
高台に乗り、人間を見下しているだけだ。そう評価したイリスは、この悪魔とあの友人は似ているのではないか、  
などという思いを一瞬でも抱えたことを恥じた。  
 
 金色の悪魔は、右手の人さし指と親指で、つい、とイリスのあごを持ち上げる。姿だけ見れば、接吻をかます寸  
前のそれに見えたろうが、イリスにとっては吐き気をもよおしそうな体勢であった。  
 
「反抗的な目ね。……弱い癖に、本当、無様。いいわ、ちょっと遊んであげる」  
 
 悪魔はイリスから離れ、何かぶつぶつと呪文を紡ぐ。一言ごとに、悪魔の周囲から漏れ出る空気は重さを増し、  
物理的な圧力にすらなって、イリスの背筋を震わせる。  
 やがて、悪魔が言葉を紡ぎ終えれば、イリスの体の下からどどめ色の瘴気が湧いて出てきた。それはまさしく、  
毒霧のよう。まがまがしさに満ち満ちた霧は、イリスの小さな体の下で、ぐずぐずとうごめき、大地を鳴かせる。  
 
 何かまずいことが起きる、とイリスは身をよじろうとするが、それは出来なかった。いつの間にやら、彼女の右  
手と左手は、タコのような触手で拘束されていたのである。もしかして、とイリスが地面に視線を向けるも、時は  
すでにおそかった。  
 どどめ色の触手、四つ。それは寸分違わずイリスの四肢へと巻きつき、絶妙な具合でしめつける。ぬるりとした  
感触は、触手の吸盤の中心部にある穴から、とめどなく流れる透明な粘液のせいか。  
 生理的な嫌悪感にイリスが眉をしかめるが、悪魔はそんな彼女の姿を見て、笑っている。  
 
「冥界生物召喚術。これ、悪魔にしか出来ないのよ? 光栄に思いなさい」  
 
 そう語る金髪の悪魔のそばには、全身を黒い筋肉で覆った、成人男性ほどの背丈を持つ人間がふたり。髪はなく、  
瞳の色もどこか虚ろで、衣服もまとっていない。その股間にあるのは、怒張した生殖器。  
 
 ようやくここに至り、イリスは自分が何をされるのか知る。  
 
「い……や……」  
「あら、私が何をしようとするのか、分かるの? おませねえ、あなた」  
 
 きゃらきゃらと、童女のような笑みを浮かべた悪魔は、絶望に身をよじるイリスの姿を見て、瞳の色を愉悦のそ  
れに染め上げる。次いで、隣町に買い物に行くかのように、何気ない口調で、  
 
 
「犯しなさい」  
 
 
 処刑宣言をした。  
 
   
 その光景を、人が見たらどう思うのだろうか。  
 
 
 静かな森の奥深く、金髪の美女が手頃な大きさの岩に腰かけ、愉悦の表情で体を揺らす。その美女の視線の先に  
あるのは、見るもおぞましい光景。地面から湧くようにして発生しているどどめ色の霧、そこから伸びる巨大な触  
手が、幼い少女の四肢を拘束している。  
 少女は粘液と脂汗でその身を濡らし、歯を食いしばりながら、四肢をばたつかせてもがく、もがく。だが拘束は  
外れることがない。そんな無力な少女を嘲弄するように、全裸の男が二体、ゆっくりと少女に足を進めていく。  
 
 さながらそれは、悪魔の宴といったところか。実際、金の髪を流すその悪魔にとっては、宴以外の何物でもない。  
少女がもがくたび、涙を流すたび、口から小さな悲鳴を出すたび、くすくすと笑い、のどを鳴らす。  
 
「……っく、あははっ! 大体、ほどかれること前提で拘束なんてするわけがないのに! そんなに暴れちゃって!  
これだから脆弱な人間は困るのよ」  
 
 とうとう悪魔は腹を抱えて笑い出す。少女は、体中を粘液まみれにされながらも、もがき続ける。  
 
「このっ……くっ……!」  
「あら、あらあら、頑張りますわねぇ。そぉんなにもがいている暇、あるのかしら?」  
「何を……ひっ!?」  
   
 もがき続けた少女につきつけられたのは、無慈悲な現実。黒の体躯を持つ男ふたりが、少女の体をがっしとつか  
む。思いがけぬほどの握力と、思いもつかぬ威圧感に、とうとう少女の、イリスの心が悲鳴を上げた。  
 男の裸体は、黒光りしていた。それだけでイリスは、吐き気を覚えた。今から、自分は、身も知らぬ相手に犯さ  
れるのだと。冷静な思考の一方で、誰か助けてくれることを懇願していた。だが、この朝時、森の奥深くに入るよ  
うな酔狂な人間など、イリスはリザ以外に知らない。  
 
 リザ。その単語を頭の中で思い浮かべ、心を屈さぬように決意した少女が顔を上げる。だが。  
 
 
「イラマチオをしなさい」  
 
 
 悪魔の命令は、幼子の意思をも蹂躙せしめる。  
 
 少女の口に、男根がぶち込まれる。小さな体躯が、びくんびくんと震え出す。剛直と称しても良いほどに太いピ  
ナスは、容赦なく少女の可憐な口を蹂躙する。前戯も何もあったものではなく、ただ入れる場所があるから入れた、  
とでも言いたげな、無機質で、無造作で、無粋で、暴力的な口腔挿入。  
 それは少女の喉を直撃し、一瞬だけ、少女の時間を止める。  
   
「ん゛むぅっ!?」  
 
 少女は目を見開く。次いで、強烈な嫌悪の色をそのかんばせに浮かばせる。だが、それは前後する性器の前に、  
無駄な抵抗と化した。  
 赤茶けた髪がゆらゆらと揺れ、吐瀉物でも垂れ流すかのようなあえぎ声が、木々の隙間を抜けていく。無表情の  
ままにピナスを少女の口につきたてた男は、何もしゃべらず、何も感情の色を見せず。ただ、唾液と胃液と粘液が、  
ぬちゃぬちゃとこだまする音ばかり。  
 
「ぐむぅぅぅっ!? ん、ん、ん゛んんんんんっ!?」  
「あっはは! カエルみたい! かわいい顔がだぁいなし! どう? どう? 臭い? 冥界の住人様のピナスは、  
さぞかし美味でしょう? カエルさん、どんな気持ち? 今どんな気持ちぃ?」  
 
 楽しそうに、心底楽しそうに手を叩き、悪魔はゲタゲタと笑い続ける。同時、少女にとっては地獄のイラマチオ  
が終わりを告げる。どくり、と男の精が、少女の喉に向かって吐き出されたためだ。  
 
「ん、うぐぇぇぇぇっ!? ……ぅぶ、ぅあ、ぁぁ……」  
「あら、早漏だったのね、あの男。……それとも、あなたの口が良かったから、なのかしら?」  
「げほっ! かはぁぁっ……! や、めてぇ……」  
 
 イリスの心はへし折れる寸前だった。無理もなかろう。大人の男性に迫られるだけでも恐ろしいのに、あろうこ  
とか、その性器を口腔にぶち込まれ、おまけに精液を喉に流されたのである。信じられないほどに生臭いそれは、  
少女の意識と喉を同時に焼いていた。  
 わずかな吐瀉物と精液の混じったものを、少女は吐く。げぼり、と漏れ出る薄茶色の液体は、血液すら混じって、  
少女の衣服を汚していく。触手から精製される粘液の上に、少女自身の体液が流れていく。  
 
「え? もう駄目なの? つまらないわねぇ、あなた……。いいわ、さっさとやってしまいなさい」  
「え? ……ぅぁぁっ!?」  
 
 ぬべり、と生理的嫌悪感をもよおすような音を出し、触手がもう一本生える。それは少女の股の付近。  
 それに追随するかのように、男ふたりは少女の衣服を力任せに引き破る。一瞬だけ抵抗があったものの、すぐさ  
ま散りゆく、布の生地。宙を舞う断片が、はかなく散り、そこらの茂みに引っかかる。  
 
 触手が、動く。あらわとなった少女の股間の前で、上下運動をくり返す。その触手を性器と見立てるのならば、  
素股に近しい。少女の両足は広げられているので厳密には違うだろうが、しかし、その触手の粘りが、ぴちりと閉  
じた少女の性器をなぶっていく。  
 桃色の内部すら見せない、筋そのものといった様相の性器が、どんどんと透明な液に蹂躙される。  
 
「ゃ、ゃああっ!? なにこれ、なにこれぇぇっ!?」  
「さーっすが、淫欲の触手。名に恥じぬ仕事ね。一応、説明しておいてあげるけれど。そのねばねばした液体は、  
媚薬の効果もあるわ。……って、聞こえてないわね」  
「やだぁぁぁぁぁっ!? こんなの、こんなのぉぉ……!」  
 
 少女の頬は、どんどん、どんどんと赤らんでいく。未知の快楽は、少女の理性を一気に削り取る。性器から流れ  
る快楽は、いかに我慢しようとも、冷徹にその役目をともなう。少女の理性が、溶けていく。  
 触手からにじみ出る粘液は、少女の肌を通り越し、とうとう血液に乗って流れ始める。性器をうずかせ、欲情さ  
せるその効果が、少女の身を内側から焦がす。  
 
「ふぁっ!? ゃあっ……!? ん、ぁぁっ、だめ、こんなのやぁぁっ!」  
「いやらしいわねぇ、はしたないわねぇ……。カエルの癖に、一丁前に欲情しちゃって」  
 
 
 悪魔は立ち上がり、つかつかと少女のもとまで歩いていく。  
 
「ほぅら、ほら」  
「やめてぇぇぇぇっ! こんなの、んぁぁぁぁぁっ!?」  
 
 金髪を揺らし、悪魔は少女の胸を踏む。しかし力加減は絶妙に、快楽が走る程度に抑えて。こりこり、と音がし  
そうな具合にひねり、少女の身発達な乳房を攻める、攻め続ける。  
 荒い息。うるんだ頬。制止を呼びかける懇願の声。少女が見せた苦悶の表情は、悪魔の心に嗜虐の心をわき立た  
せるには充分に過ぎた。  
 
「踏まれて悦んでいるの? ガキのくせに、踏まれて気持ちよくなっちゃってるの?」  
「だめぇぇぇぇぇっ!? ふまないで、ふまないれぇぇぇっ!!」  
「呂律も回ってないじゃない。ほら、ほら、ほらほらぁ!」  
「んああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」  
 
 薄桃色のニプルを、重点的に攻めるように悪魔が踏めば、少女はびくんびくんと反応する。陸に打ち上げられた  
魚のように、跳ねる、跳ねる。口元からはしとどに流れる唾液、目は涙がにじみににじみ、頬は今や林檎のように  
赤く。はたから見ても、少女は欲情し、快楽に身をもだえさせていた。  
 ねちゃり、ねちゃり、と淫猥きわまりない粘着質な音が、悪魔のはくブーツの裏側から響く。少女の小さな白い  
肌は、無骨なブーツによってなぶられ、同時に粘液がぱちゃぱちゃと飛沫になって飛び散る。  
 
 やがて、悪魔の足は、少女の性器へと伸びていく。未発達な淫核へと。荒い息をついて肩を上下させる少女は、  
金髪の悪魔の足の動きすら視認できず。そうして。  
 
 
「イきなさい」  
 
 
 こり、と。悪魔の足が、性器で最も敏感な場所を刺激した。  
 
「あぁっ!? やあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」  
 
 少女は絶頂に身を震わせ、性器から透明な液体を大量に垂れ流す。痙攣、と称しても差し支えないほどに全身を  
跳ねさせ、びくびくと快楽の海嘯に身をさらわれる。  
 少女は、生まれて初めてのオルガスムスに、理性をへし折られた。  
 
 脱力。少女は、もはや抵抗すら出来ず、ただその場所であおむけに倒れ伏すのみ。もれ出る荒い息の中に、屈辱  
の色は残存していたが、先よりもそれは薄まってしまっていた。  
 何も考えられず、何も出来ず。少女は、自分が人形のようになってしまった錯覚さえ抱いた。見えるのは、空に  
向かって伸びる木々の数々と、生い茂る緑のみ。どうしてこんなことになったのか、などと考えても、その思いは  
すぐに、焚き火にくべられた雪のように消え去ってしまい。  
 
 
「さて。ではそろそろ本番ね。ふたりとも、彼女の膣に、その棒を突き入れなさい」  
 
 
 
 またも絶望が、少女の心を支配した。  
 
   
 
 どこか冷たくなった心で、イリスは考える。  
 
 
 強烈な痛みは、一瞬だった。あとは断続的に、鋭い痛みが襲ってきた。いっそのこと殺せ、と思い、舌を噛み切  
ろうとすれば、触手がそこに入れられた。あの、無造作に入れられたピナスと同じ味、同じ臭い。  
 下腹部を襲う痛みは、もう熱さを通りこして、苦痛そのものの一部になりつつある。男ふたりが、かわるがわる、  
棒を性器に突き入れてくる。それに大して快楽を覚えている自分が、どうしようもなく、みじめで、無様で、汚く  
て、悲しかった。  
 
 
「あっははは! 血がどばどば出て、雨みたい! 失禁までしているわ! はしたない、はしたなぁぁいっ!」  
 
 
 どうしてこんなことになったのだろう、と虚ろな意識で物思う。家出癖があったからいけないのか、それとも、  
今日に限って森に入り、奥まで進んだのが悪いのか。  
 だが、それは考えるだけ詮無いことだろう、とイリスは思う。ことが起こったあとで、原因となる行動を否定し  
たとしても、どうにもならない。人間は後悔する生き物だが、いちいち、あの時にああすれば良かった、などと考  
えては、未来も過去も否定することになってしまう。  
 自分は、そう、自分は襲われただけなのだ。だが、それが犬畜生の類ではなく、とてもとても凶悪な存在である  
こと。これが最大の不幸であり、最大の致命傷であったのだろう。それだけの、話なのだろう。  
 
 
「ん? 壊れちゃったのかしら? 二本挿しをしようと思ったんだけれどねえ……」  
 
 
 こんな凶悪な存在がいるなんて、イリスは今まで知らなかった。それと同時に、理解する。こんな時に勇者様が  
助けに来てくれるなんて嘘っぱちだ、と。いまさらになって、あの白銀の髪を流す友人の感情を、それとなく理解  
できるのもどうかと思うが。  
 そう思うかたわらで、心の中だけでイリスは苦笑する。どうしてこんなに危ない状況におちいっても、私は、人  
のことを考えているのだろう、と。自分に問えば、何故かすぐに答えは帰ってくる。  
 そう、寂しいのだろう。人はひとりでは生きられないと言うが、産まれる時と死ぬ時は、必ずひとりだ。だから、  
心の中だけでも、となりにいてくれる人を求めてしまう。ひとりは寂しい、ひとりは悲しい、ひとりは怖い。だか  
らこそ、心の救済を求めてしまうのかもしれない。  
 こうして、突然の理由で、人はひとりになってしまうのだろう。そう考えると物悲しくもある。  
 
 
「しょうがない。もっと遊びたかったんだけれど。ああ、あなたたちはもう還っていいわよ」  
 
 
 もう駄目だろうな、とイリスは思う。死ぬことは怖いが、両親や友人を泣かせてしまう悲しみの方が大きい。こ  
んな状況にいたってもそう考えられる自分は、結構間抜けだと思う。  
 願わくは、もう一回でいいから、リザの腹話術を見て、一緒にお茶をして、おしゃべりをしたかった、ただそう  
思う。どんな小さな場所でもいいから、どんな舞台でもいいから。リザと一緒に、くだらない話をして、笑い合う。  
あの憎たらしいワニに触らせてもらうよう懇願するのもいいのかもしれない。  
 そう思い、イリスは微笑を浮かべて。  
 
 
「さよ、なら……。リザ、おねぇ、ちゃ……」  
「死になさい、カエル。ゴミのようにね」  
 
 
 末期の言葉を、悪魔の宣告に重ねた。  
 
 
 
 
 
 急いでサーリアの町に戻ったリザは、町そのものを取り囲む雰囲気が暗いことに気付いた。  
 どうしたものか、と急いで噴水広場に行ってみれば、遠くに人の山が見える。  
 
「みんな、どうして……」  
 
 それを確認すると同時、あの、悪魔特有のいけすかない感覚が、皆のいる方向へと伸びていることに気付いた。  
リザは急いで人ごみの方へと駆け込み、半円を描くようにした人たちの群れに、身を入れる。  
 人と人との間をかきわけかきわけ、円の中心部へと急ぐ。小さな体躯を精一杯動かし、半円を突き抜けるように  
して進む。  
 
 人のかたまりを、抜ける。  
 その先にあるものは。  
 
 
「え?」  
 
 
 ――腹に大穴が空いた、  
 
 
「……あれ?」  
 
 
 ――見知った顔の、  
 
 
「う、そ」  
 
 
 ――少女の、骸が。  
 
 
 
 
 イリスの亡骸が、担架の上で、静かに横たわっていた。  
 
 

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