リザは、悪魔である。
勇者でもなければ、お姫様でもない。きらびやかな場所とは無縁だし、泥臭く這いつくばり、ひいこら言う役が
最も似合っている。勇者たちのような華美なるきらめきをまとうことなど、未来永劫ないであろう。
絶対に得られないものを求めようとするほどに、リザの心は純粋ではなかったし、綺麗でもなかった。
リザは、勇者の戦い方が出来ない。戦っている最中にしゃべることは出来ず、目的を見つければそれのために手
段は問わない。一般人を守りながら、などというやり方は、彼我の実力差が天と地ほどあって、やっとのことこな
せるかどうか、という程度である。
彼女は孤独を嫌うが、戦う場においては孤独を好む。それは、彼女がどうしようもない弱虫で、どうしようもな
い非才の身だからだ。
集団を統治するカリスマ性もなければ、友人ひとりの死すら容易に受け入れられない。
所詮、悪魔の強靭な肉体をもっていても、中身は脆弱なのである。突剣で甲殻の隙間を突かれ、なかをくちゅく
ちゅとかき回されれば、それだけでリザは終わる。
人間らしい感性をもっているからこそ、その弱みはあるのかもしれない。しかし、彼女はそれを不幸だとは思わ
ない。むしろ弱くなって良かったとすら考えている。
強くても弱くても、暴れ続ければ、いつか鉄槌が下るだろう、と考えているから。その可能性は、殺害数が多け
れば多いほどに跳ね上がる。
世界を滅ぼせるほどの力があれば、思うがままに暴れられるのだろうが。所詮、それは夢物語に過ぎない。リザ
は弱い、とにかく弱い。人間に囲まれて袋叩きにされるだけで、すぐ死ぬ。それは絶対不変の事実である。
だが、弱いからこそ、成せることもあろう。
弱者の相手は、弱者が相応しいのだから。
*
金の髪の先端部を土で汚した悪魔は、リザの方を見て、歯ぎしりを続ける。それこそ、歯が粉々に砕けて、空気
の中に溶けてしまうのではないか、と言わんばかりに。
普通ならここで挑発のひとつも入れるのであろうが、リザは出来ない。戦いの最中にしゃべることが出来ない。
隙が出来るのが怖いからである。臆病者の本領発揮だ。
が、激昂しやすい相手ならば、挑発は絶対に必要である。右手を相手の方へと伸ばし、手のひらを天に向け、人
さし指をくいくい、と二回ほど曲げる。さすがにいくら頭が悪くても、この程度の挑発には、
「この……メスガキィィィィィッ!!」
ひっかかった。
その事実に驚嘆する暇もあらばこそ、リザはすぐさま横っ飛び。肩から地面にぶつかるようにして逃げ、ころり
と転がり、先程まで自分がいた場所を見やる。そこは、まるで小規模な落雷があったかのような惨状。地面は焼け
焦げ、その余波で、いくつかの木々の表皮も黒ずんでいる。
恐怖はない。さすがに、いくら鈍いリザでも、猿叫じみた声と同時に右手を向けられれば、その直線上から外れ
ようと考えるのは当然である。
放たれた攻撃は、恐らく、雷撃かそこらの魔法であろう。一般人はなかなか使えぬ類のものではあるし、町中で
放てば即刻逮捕、すぐさまブタ箱に入れられて、尻穴をほじられ続ける素敵な一生か、首ちょんぱで人生終了か、
そのどちらかだ。
アナルファックには興味がない、とリザは思いつつ、木と木の間に身を隠しつつ、退避。あまり魔法を使われる
と、この森が火事になってしまいそうだが、知ったことではない。自分の身を守るので精一杯なのに、森なんぞ気
にかけていられようか。
背後でいくつか轟音がこだまするが、大抵は見当違いの方向だ。どうやらフィロとやらはこちらの姿を見失った
らしい、とリザは判断し、強張りつつある全身の筋肉を弛緩させる。
「ほらほら! どうしたのよ、クソガキ! 逃げるだけかしらぁ?」
リザは、頭を抱えたくなった。勿論、体はちゃんと迎撃準備をしているが、それでも抱えたくなった。なんだっ
て、こんな、夜の森という場所で、わざわざ自分の場所をさらすかのように大声を出すのだろうか、と。隠密性、
という文字を真剣に考えたくなってきた。
もしかすると罠なのかもしれないが、あれだけ魔法をどんどん放ち続けては、罠も何もあったものではない。危
険性は極めて薄い、とリザは判断を下す。
とはいえども、そろそろ攻めなくてはいけない。盾を構え続けても相手の首は切り落とせない。とりあえずは、
子供騙しではあるが、けん制の意味も兼ねた得意技で。
力を抜いて、左手に意識を流す。
瞬間、ばりっ、と肉が裂けるような音と同時、少量の血が飛沫となって、大地を汚した。
*
轟音が断続的に響き渡る。それは、黒いドレス姿の美女、フィロの手のひらから発せられる、雷撃の魔法のせい
であろう。視認すら困難なほどに高速で飛来する、細い雷の一条は、人に当たれば容易くその命を奪うことが出来
る。彼女が手のひらを向ければ、次の瞬間にはその先が焼け焦げているのだ。
それは、圧倒的な暴力の体言であった。細身の美女が歩く先には、焼け跡ばかりが残る。
「かくれんぼしていないで、出てきなさいよぉ! 偉そうなのは、口だけなのぉ?」
フィロが大声を出す。彼女は挑発をしているつもりだろうが、それは自分の位置を教えてしまうだけの結果にし
かならない。そういった行為の代償は、どんどんと溜まっていき、いつか目に見えるかたちで借金として払わされ
る破目になる。
それを、フィロは知らなかった。だからこそ、やにわに走る、左腕の感触にすぐ気付くことが出来なかった。
「……え?」
それは、手だった。リザの細い五指が見える、小さな手。それがフィロの左腕をつかんでおり、ぐい、と力が込
められると同時。
先の雷撃とはまた別種の轟音が鳴り響き、フィロは、そばにある巨木に顔面を叩きつけられていた。
「あ゛がぁぁっ!?」
鼻血を噴出し、悶絶する。悪魔は痛覚をある程度遮断できるが、予測不可能な攻撃に対しては、咄嗟にそうする
ことが出来ない。つまり、少しの間、痛みをそのまま享受するしかない。
白い肌に美しいかんばせの悪魔は、鼻を押さえてくぐもった悲鳴を漏らす。その頭の中は、混乱、の一言で埋め
尽くされていた。
フィロは、リザに腕をつかまれ、そのまま頭陀袋のように体を振り回されていた。だが、リザの気配はどこにも
ない。フィロは全く気付くことが出来ない。予想外からの攻撃と痛みに、彼女の心に、初めて焦りの色が見える。
同時に、わずかな、理解できない感情をも。
空気を刈る音のみを目印とし、みっともなく無様に、フィロが転がれば、先までいた場所をえぐり取るようにし
て飛来するリザの腕らしき影。
かわせた、という思いにフィロがとらわれたその瞬間、彼女の前髪をひっつかむ、もうひとつの手。
その感触に、彼女は戦慄する。が、全ては遅すぎた。リザの右手が、勢いよく下に向かい、髪をつかまれたまま
のフィロは大地と熱烈な接吻をかますに至った。
「ぎっ!?」
腕はふたつある。誰だって知っていることだ。子供とて分かりきっていることだ。だが、フィロは気付かない、
否、気付けない。混乱と、焦燥と、彼女自身も分からない感情にとらわれたその身では、気付けるはずもない。
そもそもにして、覚悟から違うのである。自分の引き起こした出来事における連鎖関係を、片や考え、片や考え
ることすらせず。先の見通しすら出来ぬ者に、戦闘の流れを掌握する計画を練ることなど、どだい不可能な話なの
である。
この時点で、フィロは、詰んでいたと言っても過言ではなかろう。しかしリザの方に、決定的な動きはない。相
手をじわりじわじわと追い詰めるその手法は、まさしく狩人のそれだった。その事実を薄々感じ取ったフィロは、
さらに焦燥に身を震わせる。まさしくそれは、悪循環だった。
「……なによ。なによなによなによぉっ! あのクソガキ、もう許さない!」
しかし、そこで折れることのない傲岸不遜ぶりを発揮するのが、フィロという悪魔である。怒りによって一時的
とはいえども、全ての感情を凍結させ、野生的な本能のみを用いて、リザを探すべく、足を動かす。
リザの手は、不規則なリズムで飛んでくる。どこに本体がいるのか分からない、疾風のような身の隠し方。フィ
ロが右を向けば左側から髪をひっつかむ手が伸び、上を向けば背後から掌底が襲ってくる。いつ、どこに飛んでく
るか分からない攻撃を、フィロは野性的な感覚で避け続ける。
とはいえども、何度か喰らってしまうのは仕方のない話である。しばし時間が経過すれば、彼女の衣服には血の
染みがいくつも出来、その白い肌は土にまみれてぐしゃぐしゃ。屈辱、の二文字を体言したその様相に、フィロは
さらに怒りをわき立たせる。
森が、わずかに生き返る。風の流れが戻り、木々はざわめきを取り戻し。その、葉の擦れる小さな音が、フィロ
を嘲笑っているかのようで、彼女の怒りはさらに増す。
「そぉこかあぁぁぁぁぁっ!!」
ほどなくして、フィロはリザの居場所を感知する。伸びる右手、響く雷鳴。切り株のそばにある、ひとつの大木
が黒ずむと同時、リザがそこから転がりながら出現、体勢を立て直す。
リザは、土と血と小枝だらけのフィロと違って、完全な健康体だった。転がった際に少し泥が服にひっついた程
度で、全くの無傷。それがフィロの心を、身を、全てを、赤い炎で燃やし尽くす。それは憎悪ではなく、明確なる
殺意のあらわれだった。
「あははっ! 見つけた、みぃつけた、見つけたぁ! さんざんコケにしてくれて、本当、遊ぼうなんて気はなく
しちゃったわ! とっととブチ殺してあげるからねぇぇ!」
叫び、哄笑するフィロの姿は、もう淑女めいた所作の残滓すらなく。落ち着き、という言葉とは無縁であり。そ
の姿は、奇しくもリザと対極を成すありようで。
淡い光に照らされた森の中で、ひとつの美が砕け散った。容姿の総合的な美しさで言えば、リザよりもフィロの
方に軍配が上がったではあろうが、今は違う。血走った目で、よだれを流し、汚れた姿で叫ぶフィロの姿は、もう
醜悪としか言いようがなかった。
鉄の仮面の下で、リザがこっそり嘆息してしまうほど、今のフィロの姿は醜く、それでいてみじめだった。
フィロが、右手を前方に向ける。
同時、リザは左手を横へと向ける。
轟音が、響き渡った。
肩を上下させ、荒い息をつき、フィロは土煙の中、笑う。
彼女の眼前にたたずむ数々の木は、半ばから上がほとんど消滅し、残る枝が重力に従って自由落下を始めている
状態。大地には巨大な爪跡が刻み込まれ、さながら局所的な台風が起こったかのごとく。
雷撃に颶風を組み合わせたそれは、余波を受けただけでも全身打撲はまぬがれぬであろうし、直撃を受けてしま
えば遺骸は原型すら留めない。暴力そのもの、といったその魔法行使は、フィロの身にも浅からぬ負担をかけてい
たが、それもこの威力の代償ゆえ、である。
直撃はせずとも、痛手ぐらいは与えただろう、とフィロがわずかに気を抜かし、全身の筋肉をゆるめさせる。が、
その瞬間、無慈悲な現実は彼女に鉄槌を下す。
瞬間、背中から、先の攻撃とは比べものにならぬほどの衝撃を受け、フィロは吹き飛んだ。それこそ、ゴミのよ
うに、地面を一回、二回、三回、転がりながらバウンドし、最終的に木の根へとあばらを打ち付けるかたちで静止
する。
あまりの衝撃とあまりの痛みに、声も出せず、かひゅうかひゅう、と無様な吐息を漏らすことしか出来ず。ばた
つき、のたうち、顔を上げれば、そこに見えるは上空を舞う、銀色の髪。
「な……!?」
飛翔していた。
フィロの敵手たる存在、リザは、飛翔していた。翼を生やすでもなく、道具を使うでもなく、宙に浮き、フィロ
の相貌をただねめつけていた。
瞠目するフィロははっきりと見た。リザは、左腕を、十数メートルほど遠くまで、文字通り『伸ばして』いた、
その光景を。淡い桃色の光の帯が、リザの左腕から伸び、わずかな血液をまといながら、遠くへ遠くへ伸びている。
肉体を伸ばすリザの姿は、フィロの意識をおぼろにさせるには充分に過ぎた。
彼我の距離差はかなりある。手を前にかざせば、敵手の姿を覆い隠せるほどに。にもかかわらず、フィロは、相
手の眼光をしっかととらえてしまう。
よどんだ光を放つ、翡翠の相貌を見た瞬間、フィロの身は今度こそ強烈な寒気に支配された。
リザは、弾丸のような勢いで飛来する。空中で体を丸め、くるくると、まるで風車のように回りながら、倒れ伏
すフィロに向かって飛来する。その距離は縮まり、縮まり、縮まり、やがてゼロになろうかというその瞬間、腰に
ひねりが加わり、回し蹴りが放たれる。
受け側は、どうしようもなかった。痛みと衝撃で動けなかったのだから、その蹴りを甘んじて受けるしかなかっ
た。だが、加速のついた蹴りは、いかな幼子の体躯で放たれた蹴足とはいえど、その威力を飛躍的に上昇させる。
それはリザも例外ではなく。
一瞬だった。その一瞬で、フィロの美しい顔は、頬の肉と、歯と、歯ぐきと、舌の先端部を、一気に、こそぎ取
られるかたちとなった。
さらに、追い討ちをかけるように、残るリザの足はフィロの鼻骨を踏み台にする。ごりゅごりゅと醜い効果音を
付け加え、衝撃と全体重を受けた彼女の鼻は、肉が爆ぜるように砕け散る。衝撃が走り、木にぶつかり、血飛沫を
撒き散らしながら吹き飛ぶフィロ。
痛みは、すでに熱へと転化していた。
確かにリザは、フィロに熱をくれていた。斬られたり殴られたりすると痛いが、蹴られても痛いのだということ
を、この時、フィロは学習した。
*
ゴム製の球体のごとく吹き飛ぶ敵手を見ながら、リザは蹴足の反動で浮かんだ体を、地面に降り立たせる。それ
と同時、伸びた左腕を完全に戻すべく、血振るいするかのように大きく一振り。肉と鉄の入り混じった擦過音がこ
だまし、リザの腕は元通りになった。
がしゃん、と機械めいた音を立てると同時、肩をひねり、接着を確かめる。
児戯だ、とリザは思った。
フィロを追い詰め、何度も打撃を加えた、この両腕ではあるが。やりようそのものは、子供でも考えつかないほ
どに稚拙なものである。だからこそ、こんな馬鹿なやり方を考える者もいないだろう、という狙いもあるのだが。
予想の外を突くのにはなかなかいい、ただそれだけの技である。
蛇腹剣、という武器がある。刃そのものをいくつか分断させ、芯鉄(しんがね)の部分にワイヤーを仕込み、鞭
のようにしならせて、連結点を切り離し、広い範囲を攻撃することを目的とした武器だ。無論、構造上の欠陥から、
実際は使えるはずのない道具ではあるが。
リザは、これに着想を得て、腕で応用することにした。応用、とは言っても、それはすでに別物である。手首、
肘、肩、そこらの関節部を切り離し、断面と断面を、魔法によって形成した光のワイヤーで繋いだだけだ。輪切り
の野菜と野菜とを、針金で連結させる図を想像すれば分かりやすかろう。
無論、この方法は人間には使えない。いちいち攻撃のたびに腕を輪切りにする馬鹿はいないだろう。悪魔の回復
力があるからこそ、この馬鹿らしい技を初めて行使することが出来るのである。
このワイヤーをしならせ、腕そのものを飛ばすのが、基本的な使用方法。とにかく、手の射程が飛躍的に伸びる
ことが最大の利点である。遠くのものをひっつかむことも可能、遠くの敵を殴り倒すことも可能。あまり細かい動
きは出来ないが、髪をひっつかんで地面にキスさせるくらいのことは出来る。
もうひとつは、遠心力を利用した移動方法である。これは、森のように、柱となるべき障害物がいくつかないと
使えない。腕を前方に伸ばして、手頃な木や柱をつかみ、腕を縮ませる。腕は縮もうとするも、五指はしっかりと
柱をひっつかんでいるから動けない。結果として、リザが引っぱられるかたちとなる。連結作用は、何もリザを基
点とするわけではないがゆえだ。
その、腕が縮む過程で、リザは高速のままに空中を飛ぶことになる。その際、もう一本の腕を伸ばし、横にある
柱をひっつかむ。同時、最初に握った方の手から力を抜く。かくあれば何が起きるか。
慣性の法則に従って飛来するリザが、急激に基点を変える。すると、重心が変化し、運動エネルギーのベクトル
は円運動となり、その外側へと流れ出す。
柱を基点として、ぐるりと円を描くようにリザは飛ぶこととなる。だが、基点となる柱とリザの間に形成される
ワイヤーが障害物に当たった場合、円周は急激に狭まることとなる。
身もふたもない言い方をすれば、ロープを使った三流サーカスの演技のようなものだ。その飛翔の終着点に敵の
姿があれば、腕を戻しつつ踊りかかり、蹴りのひとつも加えるのは造作もない話である。
一度蹴りを入れてしまえば、反動で浮かび上がり、木を踏み台にして追撃すら可能なのは言うまでもない。
蛇腹剣ではなく、蛇腹腕、とでもいおうか。この、稚拙で無様で下劣な技を、リザは好んで使っていた。
遠くで倒れ伏すフィロの姿を視認し、そろそろか、とリザは大詰めにかかる。
リザは、イリスを殺した悪魔がどんな存在か知りたかった。だから出会った時に、色々と話を聞く気になった。
もしも殺すだけならば、会話なんぞせずに、とっくに襲いかかっている。
だが、イリスに強姦の痕跡が見受けられた結果、犯人は相当の下衆と判断、リザはそこでひとつ思い立った。た
だ殺すだけでは駄目だ、と。拷問趣味はないが、リザは、イリスの死体を見、犯人の話を聞いた時に決断したので
ある。この悪魔を殺しはしない、と。
リザは無力化を狙った。それは、相手を殺すことより難しい。
だが、それでもリザは無力化を狙いながら戦った。相手を殺す気など、はなからなかったのだ。
それでも、リザは当初の目的に従って動いた。それすなわち、相手の驕慢を根本からへし折り、叩き潰し、焼却
処分したのちに、その傷口に塩を練りこみ、蹴足をかまし、ぐりぐりとえぐることを第一としたのだ。はっきり言
えば陰湿な目的であろうし、はっきり言わなくとも陰湿な目的である。
殺す気だったのならば、ぶっ殺すだの何だの、いちいち御託を並べ立てはしない。邂逅する前に、喉を横一文字
に裂き、心臓をえぐり出し、脳味噌を焼いてしまえばいいのだから。
体に巻きついている紐やリボンを、一気に切り裂き、リザはとうとう切り札を取り出す。50センチメートルほど
の長さをほこる、白木の杭。
がっしとそれを左手の五指で握り締め、自由な右手の感覚を確かめて、眼前の光景をねめつける。
「ぶっ殺してやる!! このクソガキィィィィィィッ!!」
怒号。いや、それは咆哮と言うべきか。まるで猛獣のごとく、天に向けて雄叫びを上げ、憎悪と憤怒にまみれた
表情でリザの姿を見やるは、傷を再生させたフィロ。その顔には、もう正気の二文字は残っていない。ただ、そこ
にあるのは、ゆがめられた、前衛芸術じみた様相のかんばせのみ。
怒っているのだろう、だから語彙力も貧相なんだ、という言葉を飲み込み、リザは杭の感触を確かめる。
手に握られた切り札。振り上げられたこぶし。
白木の杭は、敵にとって脅威となり得るだろう。だが、同時に、リザにとっても脅威となり得る。相手は悪魔、
リザも悪魔。それだけは絶対に変えられない事実である。
同族だの何だの語る気はない。今はただ、決められた目的を完遂するだけの話。
覚悟は、決まった。
身を倒す。間一髪のところで、飛来する雷撃を回避する。
背後でぷすぷすと木が煙を上げる。同時、リザは敵の危険性を再認識、打倒するための手段を考える。
またも飛ぶ、雷撃。地面を無様に、泥臭く転がって回避する。雷撃が飛来する。飛来する。どんどん、どんどん
と、際限なく飛ぶ。それはまるで、豪雨のよう。決して止まらぬ、激しい雨。切れ目など見つからない、見つかる
はずもない。
リザは木の背から木の背へ、逃げて逃げて逃げ続ける。さすがに、雷撃を受けて無事で済むとは思わない。
木に身を隠しながら、右手の平を空へと向ける。同時、集中する。風が集う。
魔法を使う準備である。あの、蛇腹腕のような簡易型のそれとは違う。明確に、ただ相手を打倒するためだけに
生み出された手法を用いる。生活のために使う魔法ではなく、敵手を殺すための魔法。
雷撃が、丁度、止む。その瞬間、リザは木から飛び出し、腕を振りかざした。
腕を回す。目の前で円を描く。その動きに追随するようにして、流れる風。巻いた渦はエメラルドグリーンの帯
となりて、リザの指の奇跡を追う。吹き荒れる力の奔流が、枝葉を揺らめかし、茂みをざわめかせる。
巻き起こる、翡翠色をした風の円。その中心部へ向けて、リザは、拳打一閃。
「っぁ!」
風を操り、螺旋を形成し、拳打を放つ。荒れ狂う颶風の力が込められた渦は、拳打の破壊力を飛躍的に増幅せし
め、暴風のような衝撃波となって、遠く離れた対象の身を打ち砕く。さなきだに、尋常ならざる膂力をもつリザの
拳打なれば、その攻めの勢いは強烈を通りこして凄烈ですらあったろう。
だが、実はこの方法には構造上の欠陥がいくつも見受けられる。だからこそ、ある意味では、賭け気味のけん制
であったろう。攻撃の際には必ず隙が生まれる。それはもう、どうしようもないことだ。
リザは、この攻撃方法に名前を付けることなどしなかった。
技と呼ぶにはあまりにも無様な手法である。予備動作が長い、動きが直線的、隙が大きすぎる、何よりも右手か
らしか放てないのが一番痛い。こんな駄技の直撃を受ける者など、三流を通りこして七流である。よほどのことが
ない限り、当たりはすまい。
リザはそう考えていたから。放つと同時に響いた風切音に遅れて、肉のひしゃげるような音と、くぐもった声が
聞こえたのは、全くの予想外であった。
木々の隙間を抜けて、茂みを蹴り飛ばし、前方へと身を躍らせる。ひらけた視界の先で見えたものは、鮮血を左
腕部と腰部からしたたらせ、煙を上げながらその傷を再生している最中の、敵の姿。
リザの接近が、向こうの状況にとっては悪いものだったのか、即座にしかめられる、フィロのかんばせ。
「ぐぅ……!?」
苦し紛れなのか、雷撃をいくつか放たれるも、全くの見当違いの方向なので回避するまでもなく。リザは、地を
這うようにして駆け、手のひらを土で汚すと同時、相手の足を払う。
バランスが崩れる。が、今度は相手の顔面と地面をキスさせるようなまねはさせない。足を払うと同時、弾かれ
たようにひざを上げる。めごしゃっ、というあまり聞きたくない音が木々の間をさざめかすと同時、生温かい感触。
フィロの顔面と、リザの膝が、熱烈な接吻をかます結果となった。
「ぶふぅ゛ぅっ!?」
鼻骨をへし折らんばかりの膝蹴りを受け、敵手は吹き飛び、巨木に背を打ち付ける。恐らく、肉体的損傷は軽微
だろう。プライドはどれだけへし折れたか知れないが。
そろそろ頃合いだろう、と考える。こうまで一方的にやられれば、いかなる間抜けでも戦力の差ぐらいは容易に
想像できるというものだ。リザは三流だが、相手は七流以下である。それだけの話だった。
正直な話、もうちょっと、いや、もっと苦戦するとリザは考えていた。相手の技量を推し量れぬわけではない。
が、こと戦闘においては、わずかなきっかけで状況など劇的に変化するものだ。今回のように、相手を殺害するの
が目的ではない場合、その可能性は一気に跳ね上がる。なぶる、という行為は、自分の身にも危険が迫る。追い詰
められた者が、戦況をくつがえす例など、いくらでもある。
ゆえに、圧倒的優位に立ちながら、リザはまだ油断しない。百を行くのならば、九十を半ばとするのだ。終わり
辺りが最も気のゆるむ瞬間である。そう、こんなことを考えてしまう程度に、リザの気はゆるんでいる。それを、
自己叱咤によって引きしめる。
勝利を確信してはいるが、勝利を妄信してはいない。確信した者が反撃を受けて殺される例など、星の数ほどあ
るのだから。それを頭の中に浮かべる時点で、もう戦闘開始時の緊張を持つことはないであろう。だから、せめて
もの自己暗示で、とりあえずの妥当な線まで緊張感をもっていく。弛緩した気を、張り詰めさせる。
左手の感触を確かめる。杭が、リザの五指を温める。
リザは、フィロの顔をねめつける。
フィロは、リザの顔をねめつける。
片や覚悟で。
片や恐怖で。
リザが左手を大きく振りかぶる。
フィロが右手を前方に向ける。
「っぁあ!!」
「来るなああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
互いにどんな思いを抱えようとも、決着は一瞬だった。その一瞬は、あまりにあっけなかった。
あっけなく、リザはフィロの雷撃を回避し。
あっけなく、フィロは無防備になり。
あっけなく、リザの左手が叩きつけられ。
服の端を焦がしながら、右足を大きく前に出し、左足を後ろに、リザは刺突の体勢のままに固まっていた。そん
な彼女の左手の先は、無残にえぐられた大地。破壊の道程と、その終着点として金髪の悪魔の姿。
金の悪魔の腹部には、白木の杭が刺さり、その身は背にある巨木へと縫い付けられていた。それは、奇しくも、
リザとフィロが初めて邂逅をした際、リザが隠れていた巨木と、全く同じものだった。フィロは、白木の杭に貫
かれ、丁度、はりつけとなるようなかたちで、その身を巨木にあずけていた。
「あ……ぐ……がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
絶叫。腹部に重い傷を負った悪魔は、恥も外聞もなく泣き叫ぶ。涙も、鼻水も、よだれも、思い切り流しながら、
それでもなお、信じられない、という言葉を翡翠の双眸に乗せて。
瞬間、リザは全身の筋肉を強張らせ、弛緩させ、直立不動の体勢となる。その、ぴちりとした姿を崩さぬまま、
つかつかとフィロのもとへ歩んでいき、
「……ふう、ようやくしゃべることが出来ます。本当なら、あらぬ限りの汚い言葉をぶつけるつもりだったんです
けれど。油断が一番怖い。こんなこと言う時点で、今も微妙に油断しているんでしょうが。そろそろしゃべらない
と、私、憤怒でドタマがどうにかなっちゃいそうで」
軽口を叩いた。腹部からどくどくと血を流す女性を見て、なお、顔を全く変えずに。
そんなリザの姿に恐怖を覚えたのか、お前は誰だ、と言わんばかりに光る、フィロの眼球。それを受けて、リザ
は、居住まいを正し、憎々しいほどに綺麗な礼をして、言う。
「私の名前は、リザ」
「しがない薬屋、兼、腹話術師、兼」
「――悪魔です」