★ヴァリオキュレの森 二話「激情を掬い取るもの」 (手満・口淫・和姦・リョナ)  
 
「――せやっっ!」  
 ザンッ!!  
 意気にあふれた女声とともに、標的となった大イノシシは瞬く間にくずれ落ちていた。  
 単に長剣を軽く振りおろしただけに見えるが、対象物はなんと縦に真っ二つになっていたのである。  
 人間業かと疑問をぶつけたくなるような場面だったが、この‘雌銀狼’ラケルにとっては茶飯事でしかない。  
「ふぅ……」  
 さも当然といわんばかりに、長剣を背におさめつつ吐いたため息もきわめて控えめなものである。  
 彼女の格好はいたって簡素なもので、上半身には浅緑色の半そで胴衣いちまいに、同色の短脚衣。それに長鉄靴と、軽装を絵に描いたようなものだった。  
 時は東雲――ようやく東の空に雲がたなびいてきた明け方。  
 そんな頃合いだというのに、彼女はすでに養女のリベカと朝食をすませたばかり。  
 リベカが「子産の母」のところへ出向したあとは、最寄の狩場に足をはこんだ。  
 ところが、狩場に到着するまえに、本来いないはずの大イノシシが姿をあらわした。  
 今さっき軽く斬り捨てたものの、これには異変を察しざるをえない。  
 ――何かが起ころうとしている。  
「…………まさか、ね」  
 精悍な面差しを虚空にかたむけながら、ラケルは逡巡げにつぶやく。  
 実際に朝から……いや、昨夜あたりから悪いきざしはあった。  
 その感覚をさとる度に‘あの戦乱’を想起してしまうから、自らに気のせいだと言いきかせていた。  
 しかし……わかっていながら、そんな自分に対しての嫌悪感をぬぐい切れない。  
 ほんの数年前なら、現実に向かいあわず逃避するなどありえないことだったのに……  
「……らしくないな」  
 素手で顔をおおいながら独語する。  
 平和に慣れて自分を律しきれないのはある程度しかたないのかもしれないが、それにしたって腑抜けすぎではないか……――  
 突然に。  
 女の切れ長の瞳孔がおおきく見開かれた。  
「………………」  
 そのまま数十秒の沈黙。  
 ビュオォッ!  
 突如大量に剣気放出したかと思うと、東の方角へと走り出した。  
 尋常ならざる脚力だ。  
 彼女の体は女性の中でもはっきりと大柄なのに、疾駆速度はそれを身上としている者にひけをとらない……いや、それ以上に迅い。  
 白光をまといながら、長狼髪の女性は無表情で駆けつづけた。  
 目標にたどり着くまで、そう時間はかからなかった。  
 それは、大きなきりかぶに寄り添うようにして眠っていた。  
 ――美しい少年だった。  
 スゥ……剣気を静め、注意深く周囲をみまわしながら幼き‘魔物’にちかよる。  
 
 顔つきから見るに十代半ばの、見様によっては少女と違えてもおかしくないほど、流麗な面容の少年だ。  
 足首までをも覆うあわい赤外套に、立派な蒼き外衣と同色の脚衣、それに茶色の短靴と、わりかしひかえめな色合いの装備である。  
 首にかかる黒曜石が妖しげに煌いているが、これは魔気のみなもとなのだろう。  
 波打つみじかめの紫髪は十分に梳かれており、その陶磁のようにきめ細やかな白皙の肌をひきたてている。  
 外界にいる女たちの大半を泣かせたに違いない……じゃなくて。  
 さて、どうしたものだろうか?  
 というのも、何か重大な見落としをしているような気がしたのだ。  
 少なくともこの少年からは危険を感じない。  
 いまさら悪い予兆が思いすごしだったなどと自己暗示したくはないので、何が原因なのか確かめる必要がありそうだ――  
「……………………うっ……」  
「っ!」  
 ぴくり、と少年の体がふるえた。  
 目を覚ますらしいな……ラケルは背の長剣に左手をおくり、注視する。  
 まもなく、彼は意識をとりもどした。  
 まぶたをゆっくりと開き、最初に映されたのは、ひきしまった肢体の大柄な女剣士である。  
 少年はさして驚いていない様子で、口を開いた。  
「…………あなた、は……?」  
「あんたね……よくそんな平気でいられるもんだ。ここが何処だか知ってるのかい?」  
 あきれ果てたうえにおどすようにして、少年を見据える。  
 相手に敵意はなさそうだが、万一がある。油断はならない。  
 ところが、彼のほうはといえばラケルには殆ど警戒していない様子で、むしろ他の何かに意識を強く向けている。  
「……申し訳ない。詳しい事は後で………………やはりか」  
 ラケルと話すのを片手間に、少年は‘何か’を感ずるためか、双眸を閉ざしている。  
 なにやらただ事ではなさそうだがどんな事態か不明瞭なので、周囲に目を配りつつ少年に意識をむけた。  
「…………兄さんだ。僕を追ってきたのか……」  
「なんだって? この森にもう一人男が入ってきたのかい?」  
 彼が判り、自分は判らなかった――かなり遠くに「兄さん」がいるということか。そして、この少年は自分以上の……  
「って、もしかしてそれは北東の方角に二十程度の地点か?!」  
「仰るとおりです。その様子だと、僕一人の問題じゃあなさそうですね……――急ぎましょうか」  
 初対面してわずかな会話をかさねただけの女性と少年は、同じ目標に向かって走りはじめた。  
 
 ―――  
 
「はぁ……はぁ……はぁ…………」  
「くくく……どうした嬢ちゃん? ずいぶん色っぽい息遣いだなあ」  
 ぐしょ濡れの女陰に舌を挿れながら、男は少女をなじる。  
 羽織ははだけ、脚衣はおろされ、両腕を後ろで固定されているあられのない格好で、リベカは眼下の‘魔物’をねめつけていた。  
 
「せっかくよがらせてやってんのに、その態度はどうなんだぁ? 俺がマジんなったら、切り刻みながらブッこんでおわりだっつーのによ」  
 恨めしいが、確かにこの男の言うとおりだ。  
 恥辱を受けている自分が生かされている以上、下手に扇情するべきじゃない。  
 ほどよく犯されつつ刻を稼ぎ、そして…………――  
「……は………うっ…………」  
 ちゅぷ、ちゅぷ、と‘魔物’の舌が淫核に吸いついてくる。  
 わきあがって来る快感はごまかし様がなく、嬌声となって口から出そうになるのを必死にこらえる。  
 さらには二本もの指が膣内を這いまわり、奥深くをえぐるように動くたびに、認めたくない気持ちよさが少女の肢体を震わせる。  
「くふっ……ん、あっ…………ひゃぁ……」  
 つい先刻達したばかりなのに、また絶頂にとどいてしまいそうだ。  
 もう表情をつくろうことが出来なくなっていた。  
 両の目をふさぎ、対照的に開けた口からは初々しい喘ぎ声があふれでてしまっている。  
「――っ!! ひぁっ! あんっ! あぁぁん…………っ!」  
 おもいのまま稚けない艶声を発し、秘処からいきおいよく愛液を吹き出す。  
 リベカは黒い馬尾髪を揺らしながら、激しすぎる心地よさにひたすら顔を歪めた。  
 ――なさけない。  
 快楽につつまれながら、少女は歯噛みして悔恨にとらわれた。  
 この男に遭うまで、彼女は自慰行為にふけったのはわずかに二回。  
 つよい疲弊と劣情感が体力的にも精神的にもわるいので、本当は一度たりともしたくはないのだが……  
 十三歳になってすぐ一回目にした時は、もう絶対にしないとちかった。だが、一年半後についやってしまう。  
 あまりの自己嫌悪からラケルに隠れて独り泣きじゃくったほど、リベカには強固な目的意識があるのだ。  
 あの日から半年経ったいま……わたしは何をしているんだろう?  
 いともたやすく愉悦に身をゆだね、本能にあらがうことなく声をあげて……  
「顔も声も最高だったぜぇ。なんだ、やりゃあ出来るじゃねぇか」  
 屈辱だ。  
 それでも、泣くのだけは必死に堪えきった。  
 もの凄く自尊心の強いリベカとあって、これはいき過ぎなほどの辱めだった。  
 少女がいまかかえる情念はひとつだ。  
 ――殺す。  
 この外道は必ず殺す。  
「でも、忘れちゃ困るぜ。本番はこれからってな……」  
 ‘魔物’の手が、‘魔物’自身を包む紫装束を剥ぎはじめた。  
 リベカは瞳を閉じて、それから先を正視するのを拒んだ。  
 金縛りはいつまで続くのだろう。それが少しづつ薄れてきているのにこいつは気付いているだろうか。ラケルが助けにこないかな……  
 最後の考えだけは否定したくなった。  
 もうしばらく殺すつもりはないらしいから、金縛りが解けたら隙をうかがって殺すことができる。  
 とにかく、どんな形でもいい。  
 
 この屑を消さなければやりきれない。  
「安心しろよ。痛くなくしてやっからよ」  
 聞きたくない――  
 少女は両肩に力がはたらくのを察すると、唇におとずれた感触に身震いした。  
 接吻されながらあお向けに横たわらせられて、口に当てられていた気持ち悪いものはすぐに離れた。  
 次いで、中途半端におろされていた脚衣が完全に脱がされ、両ひざを掴まれると、だんだんと股が開いていくのが分かった。  
 恥部を完全に晒していることも、おそらく奪われるであろう処女も、いまさらどうでもいい。  
 この‘魔物’に対し何の抵抗もできず殺されるのを、リベカは最も懼れていた。  
「……ほんと、ガキの癖にいい体してやがるぜ」  
「………………」  
 ‘魔物’の腕が、完全に脚を拡げた少女のふとももをつかんだ。  
 と同時に、リベカはふと薄気味わるい感覚が迫ってきて、背すじがぞくっと冷たくなった。  
 胸に手を当てているわけでもないのに、動悸がはっきりと聞きとれるのだ。  
 もはや自分に嘘をつくことはできなかった。  
 この高揚感の正体は……  
「――うあ゛っ!!!」  
 それの襲来は、あまりにも唐突だった。  
 何かが破られるのに加わって、なんともいえない激痛がリベカをふるわせる。  
 なかに侵入してきた男に対し、少女の身は勝手に強張っていた。  
「うおぉ……しっ、しまるな…………」  
 もはや、これの一声に耳をむけられるほどの余裕はない。  
 …………痛い!!  
 想像以上の痛覚に、さすがのリベカも悲鳴をあげたくなるほどだった。  
 というよりも、痛みなどそこまでのものじゃないと決めつけていた。  
 では何を考えていたか……。  
 思い起こしたくない――  
「……っ……く……か……はっ!!」  
 男が腰をふりはじめると、少女の口から押し殺したような呻きが発される。  
 苦痛と恥辱のまじった意中で、リベカは希望が霞んでいくような感覚にとらわれていた。  
 金縛りが解ける気配がまったく無いのだ。  
 ついさっきまで徐々に弱まってきていたのに、そこから状態がまったく進展しない。  
 このままでは事後、この‘魔物’に殺られてしまう……  
「死んだ魚……みてえ、な……目ぇして、なに考えてやがる。……今ごろ、感付いたか。え? おい」  
「……は?」  
 心に留めておくべき疑念がついもれ出てしまった。  
 いや、そんなことも、これと一つに交わっていることも、瑣末な問題だ。  
 わたしが感づいた? なにに?  
 
 疑念の面持ちを‘魔物’に向けたが、彼は嗤っただけだった。  
「へっ、まあいい。今更、どうにも……ならねえ、し……ぐ!!」  
「っ……う! ……うぅっ!!」  
 突如、男の顔がさらなる険をおびると、腰を振るうごきも異様に速くなっている。  
 ‘魔物’もいままで無理に動かしていたのだろう。  
 大して長く合わさってはいないのに、もう果てる寸前らしい。  
 無理に出し入れされていたリベカも、未開発とあってやはりきつく、相当な痛みを伴っていた。  
「くっ、く…………膣内に、だす……ぜぇ!!」  
「くっ! …………――っ!!!」  
 ドク、ドク、と熱くドロドロした男の精が、リベカのなかにぶちまけられた。  
 顔色を殆ど変えず、ただぼうっとそれを受け入れる少女。  
 やはりというべきか、依然として彼女の身体の自由が解放されることはなかった。  
 捨て鉢になったわけではないが、リベカは半ばあきらめていた。  
 このまま抵抗できずに殺されるのはしかたない。それもわたしの運命ならば、いさぎよくぶつかってやろう。  
 だから……最後まで怖れずに、この‘魔物’の前では堂々としていてやる……!  
「ふー…………ちっ。おい、もうちょっと反応したらどうだよ? 指だと鳴くくせに、こっちだと人形みてえになりやがって」  
「………………」  
「おい……おいっ! 無視すんなコラ! 聞いてんのか!!」  
「………………」  
「てめえ……このっ!!」  
「ぐぅっ!!」  
 むき出しの腹を踏みつけられ、うめくリベカ。  
 秘処からは白濁液がたれ流されており、ほぼ全裸に近い格好とあって、傍目には目を覆いたくなるほどの惨状かもしれなかった。  
「調子づきやがってよ……おらぁっ!!」  
「っ、がはっ!!」  
 思いっきり蹴り上げられ、リベカの肢体が宙を舞った。  
 一緒に吐きだした血液が弧をえがいてとび、受け身も満足にとれずに地面にたたきつけられる。  
「ぐ、がは! ゴホッ、ゴホッ……」  
「ケッ、しらけたぜ。まぁいい。てめぇは持ち帰ってたっぷり調教してやっから、覚悟しとけ! くそガキが!!」  
 愚弄の物言いと唾を吐きかけつつ、男は少女のそばにしゃがみこんだ。  
 …………助かるらしい。  
 ただ、非常にけわしい道程になると見て間違いないだろう。  
 魔法を前にすれば、どんな修行を積んだところで女は無力なのか。  
 そんなわけない。必ず何か、対抗手段があるはずだ。  
 それを‘魔物’のもとで、奴隷のような扱いをうけながらさぐっていかなければならない――  
 ズジャアァァ!!  
「なんだっ!!?」  
 突如ひびいた撃音。  
 少女の傍らにいた男は眼を剥きながらも反応していた。  
 
「うをぉっ!!」  
 ‘それ’を、男は間一髪で避けた。  
 少し前までかれがいた大地に、強烈な亀裂が生じている。  
 ほんのすこし反応が遅れていれば、ただでは済まなかっただろう。  
「だ……誰だっ!!」  
 ‘それ’がおそってきた方向からは、すでにふたつの影がせまってきていた。  
「この距離からじゃあ、さすがに無理だったか」  
 と、ふたつの影の大きな方――長い銀狼髪の女性がちょっと口惜しげにいった。  
 もうひとつの影――綺麗な紫髪の少年も、黙したまま二人の眼前におりたつ。  
 命のともし火を吹きかけられた男は、驚愕をあらわに口を開いた。  
「きさま、まさか‘雌銀狼’か!?」  
「答える義務はないね。――さっさとその子を置いてとんずらしな。そうすりゃ、命だけは助けてやるよ」  
「……アベル!! お前、この女に何吹き込みやがった!?」  
 アベル――というのが、この美しい少年の名のようだ。  
 アベルは、秀麗な顔だちに似合う複雑な表情――自覚していそうなほどさまになっている――を金髪碧眼の男にむけた。  
「兄さん……悪いけど、僕はもどるつもりはない」  
「な……お前、ここで暮らせると思ってんのか! 許すわけねぇだろ、ここの連中が!!」  
 さっきから怒ってばかりで、傍目にはいきなり卒倒するのではと憂慮してしまうほど、顔が真っ赤な男である。  
 話をすりかえられたことにすら気づいていない。  
「父上に伝えてください。『勘当していただき、深謝しております』と」  
「てめ…………っ、くそ!」  
「わかってるじゃないか。さっさと退きな」  
 この二人を前にしてはさすがに勝機はないと悟ったのだろう。  
 彼は森の東へ足をむけ、駆け去りながらこう吐き捨てていった。  
「レヴィアタン家の手は一生ついてまわるぞ! 腹ぁ括っとけ、アベル!!」  
「こっちのセリフです」  
 その切り返しは兄の耳に入らなかった。  
 ラケルは、あっという間に退散した男の姿を見送ると、すぐ傍に横たわる少女を銀眼にうつした。  
「…………かわいそうに」  
 見るも無惨な状態で、少女は気絶していた。  
 身体のあちこちが腫れ上がっているものの、命に関わる傷はない。  
 だが……彼女が心にうけた傷は深そうだ。  
 自分をこんな目に遭わせた‘魔物’を逃してしまったとあれば、リベカがどんな反応をするかは容易に察せるというものだ。  
「申し訳ありません。僕が来たばかりに、あの子が……」  
 兄のせいにしない辺り彼の性格があらわれているな、と感心したラケルである。  
 しかも、あられのない格好のリベカを平気で正視できているところも、何げなくすごいことだ。  
 だが……  
 
「……あんた、この子とは顔を合わせないほうが良いよ。冗談抜きで殺されるかもしれないからね」  
「いえ、それはいけません」  
 らんらんと輝くすみれ色の瞳が、女の端整な面を見すえた。  
「ここで僕が姿を消してしまったら、彼女が感情をぶつける対象がなくなる。僕にはそれを受ける責があります」  
「ほお……」  
 ゆるぎない決意のこもった口上を聞き届けると、なんとはなしに感嘆していたラケルである。  
 けど……久しぶりに大変なことになりそうだね――  
 銀色の狼髪をかきあげつつ、紫髪の妖美な少年へ視線をおくる。  
「とりあえず、あたしの住処に移ろうか。詳しい話はそれからだ」  
 アベルは仏頂面のまま、静かに首肯した。  
 
 ―――  
 
 ヴァリオキュレの森全体に春陽が射す、昼寝したくなりそうな青天白日の折。  
 女二人が住むにしては大きな丸太小屋。その一室の窓に天日の光が侵入し、リベカの凛々しい寝顔に直照りを浴びせた。  
「……………………っ!!!」  
 少女は眼を覚ますなり、もの凄い勢いで上体をおこした。  
 あたたかな寝床で絹の毛布をかけられて眠っていたリベカの肢体には、下着と包帯のみが着けられている。  
 額あても付けておらず、いつもは後頭部で一つにまとめて垂らす髪も、きちんと梳かれておろされていた。  
 痛みはさほど大きくない。  
 毎日の修練の中であじわう苦痛のおかげだが、それ以上に心の中にうずまく炎の熱さに、少女は煮え立ちそうになっていた。  
「眼を覚ましたかい」  
 扉のないリベカの部屋に、大柄な女性がはいってきた。  
 と、もう一人見慣れぬ小さな影が…………  
「――ラケル!! その‘魔物’、なんで……?!!」  
「落ち着きなリベカ。少なくとも彼に敵意はないよ」  
「けど……!」  
 魔物呼ばわりされたアベルは、至って平然としていた。  
 相当に豪胆な魂をもってるね、と感じたラケルだった。  
 顔つきはあどけなく美しいが、心はその容色に似つかわしくない、極めて剛の深い少年のようだ。  
 先刻まできいていた彼の凄惨な過去話は、どうやら全て真実らしい……  
 ――と、その彼がいきなり歩き出し、リベカの眼前まで足をはこんだ。  
 女ふたりが僅かにほうけたのに構わず、こう切り出した。  
「リベカといったね? ……すまない。僕のわがままのせいでこんな目に遭わせてしまった。その事の償いはしよう」  
 ……面妖な光景であるといえた。  
 リベカは頭を垂れる少年を睨みつけてはいるものの、かなり大人しく話を聞いている。  
 能面のようだが、さっきまでの憤怒や焦燥に駆られた感はいっさい無い。  
 
「なんでもする……と誓いたいところだけど、その前に一つ済ませたいことがある。…………カインを――兄を殺させてくれ」  
「「え……?」」  
 ほぼ一緒に疑念を発したラケルとリベカである。  
「きみが望むならば、カインに引導をわたすのはゆずってもいい。僕にとって彼は…………いや」  
 彫像のように彫りの深い面立ちは、動きのひとつひとつもいちいち美しい。  
 双眸を閉じてことのはを途切らせたアベルの顔を、少女がまじまじと見入っている。  
 真剣な顔だし、リベカのことだからまさか惚れたわけじゃないだろう。というか、これは……  
 かたわらで様子を見守るラケルは彼女の感情をおもんばかると、空気のようにその場からいなくなっていた。  
「……とにかく、そうしなければ気が済まないんだ。きみの為にもね。許可してく……?」  
「………………」  
 少女は、うつむいたまま押しだまっていた。  
 黒い前髪がまゆのうえにかかっており、口も瞳も、何ゆえか固く閉ざされている。  
 少年はなんとなくリベカの心情に感づいたが、言う事をかえるつもりはなかった。  
「大丈夫。ふたりで力を合わせればやれるよ。僕に期待して――」  
「してない」  
 アベルの口上を遮断したリベカの一語は、すでにかすれていた。  
「ひとに、期待なんかしてない!!」  
 激情に満たされた怒声だった。  
 まぶたをおろした両眼から涙がつたいおち、歯を食いしばって体をぶるぶるとわななかせている。  
白い肌の多くが露出しているのだが、少年のほうはといえば些細にも動じていない――表向きには。  
「わたしは、自分にしか、期待してない! ひとに、期待したって……意味、なん……か…………」  
「期待値が高すぎるんじゃないかな?」  
「っ!!?」  
 少女はその言葉を生理的に拒否したくなったが、アベルは考えさせるいとまを与えなかった。  
「きみは強くなるため、十分努力しているのだと思う。兄さんに敵わなかったのは仕方ないことさ」  
「……そ…………そ、そ、そう……かなぁ……?」  
 腕で涙をぬぐいながら、ふるえ声でやっと喋ることができた。  
 それは奇妙なことだったかもしれない。  
 本来ならばもっと感情をぶつけたかったはずだ。  
 なんなのか判らないが、この少年の放つ異彩な雰囲気がそれをさせないのだ。  
「そうさ。どんなに蛙ががんばっても、蛇には勝てないじゃないか。違う?」  
 もっとがんばれば、勝てるかもしれない――なんて、屁理屈をこねてみたくなる。  
 もちろん、自尊心の強い彼女にそんな下らないことはいえない。  
「ちがわない。……けど……け、ど………………うっ……ぐす……」  
 しゃくりあげながら両肩を震わせ、顔中が涙と鼻水でくしゃくしゃになっている。  
 よほど悔しかったんだな……少年にも自然と推しはかれる泣きっぷりだった。  
「……ほら、拭きなよ」  
「………………っ」  
 
 少女はさしだされた木綿の手拭いを無造作にうけとり、押しつけるようにして泣きっ面を隠した。  
 リべカにとっては下着姿よりも、頬を濡らしてしまったことの方が恥ずかしいのかもしれなかった。  
 くしゃくしゃだった顔をきれいにすると、ふたたび話しだす。  
「けど…………やっぱり、妥協は……だめ。期待したい…………自分に……本当に……」  
「これからは、僕にも期待していいんだよ」  
「………………え?」  
 その表白の意味するところが知れず、泣きはらした黒瞳をしばたたかせた。  
 我ながら、おちつくのが早いなぁ……他人事のようにそうかんじた少女だった。  
 しかしなんと返せばよいのか計りかねていると、アベルは決意をみなぎらせて堂々宣言したのである。  
「――いっしょに行こう、リベカ。ふたりなら怖いものなんてないさ」  
「……………………ありが……とう……」  
 ……やりとりの一部始終をひそかに傾聴していた長身の女は、腕をくみながら意味ありげな微苦笑をたたえていた。  
 
 ―――  
 
 ナルシルの丘は、ラケルとリベカが住まう小屋の南東三十二ていどのところにある。   
 崖っぷちに面しているそこは森面積が少なく、でこぼこした荒野が多い。  
 昼下がりだから足元は見えるとはいえ……その崖っぷちには、締まった体躯の男が平然と起立していた。  
 胸元のあいた上下一体の紫装束を着込み、背に大剣をしょっている彼は、金髪碧眼をいただいたおもてを崖下にむけている。  
「……来たか。弟くんよ」  
 カインは嘲弄した。  
 勝ち目など到底望めない戦いに身を投じるアベルにむけてのものだ。  
 背には二つの‘気’を感じた。  
 アベルの魔気と……リベカの剣気。  
「あのガキも一緒か……付属の品物は中古です、ってか? ぎゃはははは!!」  
 一人で言って、一人で大笑いした。  
 が、刹那のうちに険のふかい様相へと変貌している。  
「俺をなめんのも大概にしとけよ、アベル……」  
 ――言下に、崖を背に後方へふり向いた。  
 黒く鋭利なまなざしと、紫の粛然たるまなざしとが、カインをつらぬいていた。  
 少女のほうも邂逅した時と同様、赤い羽織に腰帯をまいた格好にもどっている。  
「まさかすぐに来るとはな。覚悟はできてんだろうな? 死ぬ間際に失禁しちまうと格好わりぃから、しっかり用は足しとけよ」  
 完全に見下す口調で、殺気あふれる二人を挑発する。  
「ごたくはいい。はやく始めようじゃないか、兄さん」  
言い切ったアベルの台詞には、淀みの一切が失せていた。  
 ヒュァン!  
 彼はすぐに黒き光――魔気を放出すると、人差し指を天につきたてた拳を顔前にかざし、ゆらゆらと動かしての詠唱にうつっている。  
「させるか馬鹿が!」  
 ビュォッ!  
 男も白き光――剣気を放出しながら大剣を抜きはなった。  
「死んどけっ!!」  
 
 野性味あふれる剛声とともに迅速すぎるほどのなぎ払いをはなつと、極うすだが横軸に広い衝撃波が発生した。  
 アベルの前に立ちはだかっていたリベカは、舌打ちをもらしそうになるのを堪えた。  
 少女にはこれを相殺するすべを持っておらず、かといって躱せば後ろにいる少年に直撃してしまう。  
 ならば自分にできることは…………  
 ビュオォッ!!  
 少女の周囲に、ものすごい勢いの剣気が発生した。  
 そして、切っ先を大地にむけるよう細身剣を縦に構えて待ちうける。  
 白光の衝撃波がだんだんと近づいてくる。だけれど、リベカの精神はずいぶんと安定していた。  
「……本物の馬鹿だったか、ガキ!」  
 必殺の衝撃波をはなったあともカインはふたりへの接近を試みていたが、リベカのこの行動には呆れるのを通り越していた。  
 この技の正体を知らないか、知っていたとしたら、やはりこのガキは馬鹿にすぎねぇな……  
 ほどなくして……胸の高さにせまってきた衝撃波が、リベカの細身剣にぶつかった。  
 剣気の白刃は、リべカの左胸部を守るようにたてていた細身剣にふれた部分だけが、音もなく欠けた。  
 ガシュッ!!  
「ぐぼぁっっ!!!」  
 痛烈な呻き声に、吐血。  
 薄いやいばは少女の胸部に命中ったが、断ち切ることはできなかった。  
 のこった部分がアベルを素通りして後方へと抜けていく。  
 リベカをまとう赤い羽織が斬れ、中のさらしがあらわになる――ある一部分をのぞいて、胸は血まみれになっていた。  
「受けて、打ち消しやがった……」  
 カインが驚愕の呟きをもらす。そして……  
「――《魔気同調》!!」  
 ヒュンッッ!  
 アベルが中空に描いた印が、乾いた音をたてて消えうせた。  
 同時に少年をおおっていた黒光をも失せたが――  
「がっ!!!」  
 険相の男の碧眼がみひらかれ、大きな体躯を硬直させる。  
 浅はかなのは、無抵抗でアベルの魔法をうけてしまったカイン自身だった。  
 はぎしりする口元から涎が垂れ、血走るまなこが魔気を放っている弟を捕らえた。  
「ぐ…………くそったれが!!」  
 大剣をふりかざしながら悪罵する。  
 その様子を動揺のかけらもなくながめるアベルの双眸は、見る者すべてを戦慄させるような冷たさに満たされていた。  
「リベカ、大丈夫?」  
 慄然とした血相に反して、少女にかける声色はやさしいものである。  
「大丈夫」  
 棒読みのような一言のあと、リベカは胸部を裂かれた赤い羽織をぬぎ放った。  
 これで上半身は、齢のわりに豊かな胸を覆う布ざらしのみになったが、衝撃波を受けた部分からは血があふれ出している。  
 とはいえ普通なら身体を切断されるはずの技なのに、彼女は剣気を最大限に放出することにより、それこそ無理矢理消失させたのだ。  
 とても十五の少女がやってのける所業ではない。  
 
「ていうか……いたい方が、やりやすいし…………」  
 とんでもない事をいうリベカだった。  
 だが少年はそんな発言に対しても、妖しげな微笑をうかべるだけである……  
「――兄さん。これで堂々と勝負できるじゃないか。僕はもう何もできないのだから」  
「………………」  
 カインは眉間をゆがませながらも黙っている。  
 どういうことかといえば、アベルの行使した魔法により、両者共に魔法を行使不可になったのだ。  
 相手の魔気に同調したうえ自らの魔気を完全に失することで、相手の魔気をも消すことが可能というわけである。  
「借りはかえす…………覚悟……」  
 少女のつめたい声が、紫装束の男を射抜くようにひびく。  
「地母神サメク、わたしに力を貸して――」  
 ビュォオッ!!  
「うぉっ…………!」  
 強大な魔気がリベカの身体を躍るように発生すると、カインはおもわず少しうろたえた。  
 が、すぐに平静を装い大剣をかまえるあたりは、さすがに百戦錬磨のつわものといえた。  
「上等だ、アベル…………」  
 険の深さをいつにも増して、あたりによく通る男声をこだまさせる。  
「俺の剣がこの雌ガキを料理するのを、眼ぇひん剥いてながめてろや!!」  
 ビュォオッ!!  
 彼もまた、大剣を正眼にもっての剣気放出をしてみせる。  
 意地と意地のぶつかり合いが、激しく火花をちらしながら始まろうとしていた…… 二話・おわり  
 
 
 
 

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