それは一瞬の出来事だった。  
彼女の警告を無視して不用意に接近した弟が、首だけになったヴァンプに  
左手を噛まれた。  
「――ひ、ヒィィイィ!?」  
ヴァンプに噛まれる。その意味をイヤというほど熟知している弟が、哀れ  
げな悲鳴をあげた。  
恐慌をきたして、噛み付いたヴァンプをなんとか振り払おうとする。  
「――神よ!」  
その腕めがけて、アイディーリアは咄嗟に法術を迸らせた。  
「――ゴアアアアアッ!?」  
窮鼠となって最後の抵抗をみせたヴァンプが、聖なる光に灼き尽くされて  
塵となって消える。  
その瞬間、彼女は最も信じたくないものをみてしまった。  
弟の腕もまた、彼女の光によって灰になったのだ。  
魔だけを滅ぼす光によって。  
慌てて駈け寄り、気絶した弟に向かって首に下げた十字架を当てる。  
ジュウ、と肉の焼ける音とともに、弟の肌に十字の火傷跡がついた。  
「そ、そんな……ッ、しっかりして、バード!」  
――聖十字反応陽性。  
その事実が告げる冷酷な現実を受け止めきれず、アイディーリアは最愛の  
弟の肩を揺すり続けた。  
だが、弟は目を覚まさない。すでに魔法の眠りに入ってしまっているのだ。  
このまま夜を迎えれば、弟は永劫の夜を生きるあの忌むべき生き物。その  
眷属へと変わり果ててしまう。  
アイディーリアの細身の身体に冷たい恐怖が忍び寄る。  
まだ、身体は温かいのに。  
幼いころからずっとふたりで生きてきた、彼女にとってのかけがえのない  
存在なのに。  
それが――滅ぼすべき魔へと変わってしまう。  
その事実を、アイディーリアはどうしても受け入れることができなかった。  
 
――文献では、成功率は0.1%を切ると書かれていた。  
それでも、もう、これしか方法は残っていない。  
ディスペル・マジック。  
ヴァンプによる不死化は、呪法学的には強力な呪いの一種とされている。  
つまり、理論上、法術による解呪が不可能ではないのだ。  
たとえ2000年を超える人の世の歴史のなかで、それに成功した者が片  
指の数にも満たないとしても。  
アイディーリアは残された方法に縋り、躊躇いなく呪法を唱えた。  
『魔を払う者たち<クルセイダーズ>』のなかにあって、20年に一人の  
才能と謳われる天才少女クルセイダーの渾身の解呪が最愛の弟に向けられる。  
だが、結果は  
――失敗。  
「――ッくぅ」  
弾かれた時の手ごたえから、この呪いは、現代最高峰の神術の使い手であ  
る彼女の手にすら楽に余る代物であるということがはっきりとわかった。  
そうでなければ、ヴァンプがこれほど人から恐れられるわけがない。  
一度噛まれたら助からない。噛まれた者は瞬時に神の輪廻の輪から外され、  
魂の消滅とともに、永劫の闇をさすらう不死の怪物と化す。  
――弟をそんな目に合わせるなど、できるはずがなかった。  
「ぜったい助けてみせるんだから……ッ!」  
アイディーリアは渾身の力を振り絞って二回目の解呪を唱えるべく、精神  
を研ぎ澄ませた。  
まだ、朝の日は昇り始めたばかりだ。  
タイムリミットは日没。それまでに一度でも成功させればいい。  
奇跡が必要なら、起こせばいいのだ。  
たとえそれがどれほど無謀な賭けであろうとも、彼女にそれ以外の選択肢  
はなかった。  
 
つづく  
 

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