右上から振りおろして、返す刀で左上から斜めの線を降ろ  
す。  
人という字ができる。  
でも、これを人と人が支えあっていると読む人は、もう誰もいない。  
 
これは、地に手を付いた人から、  
尻尾が生えているのだ。  
 
その朝、目が覚めたとき、あたしは真っ先に自分の手を布団から出してみた。  
開いた手で、恐る恐る握ったり開いたりを繰り返す。  
ほっとため息を付いて、あたしは目を潤ませた。  
良かった。あたしの指は5本あるんだ。  
2本指の蹄にならずにすんだんだ。  
指先に生えた太い太い爪を見つめて、  
豚の鼻をならしながら、  
あたしは少しだけすすり泣いた。  
 
嬉し泣きだった。  
 
あたしの机の引き出しの中に、お気に入りの手袋がしまってある。  
去年、お母さんに買ってもらって、  
可愛いからってもったいぶって使わないでいるうちに、冬は過ぎた。  
 
春になって、私が受験生になったときに、  
あの事件が起こった。  
 
「あの病気」の、大規模感染事件だ。  
 
学校に誰が持ち込んだかは分からないけど、気が付いたときにはあたしの家族は全員感染していた。  
それも、ばらばらの経路で。  
 
ある日の夕方のことだった。  
くるんと巻いた尻尾が生えたあたしがお母さんにどう打ち明けようか悩んでいた。  
弟は半べそをかきながら帰ってきて、深く被っていた黄色い帽子をとった。  
その中には毛むくじゃらの三角耳が立っていた。  
出張から帰ってきた父親が困りきった顔で金色の瞳をあたしたちに向けた。  
あらどうしようかしらと首を振る母親のうなじに、見る見る茶色の剛毛が生えていった。  
 
私は豚。  
弟は狼。  
父は虎。  
母は猪。  
なんとなく、運命の不公平を感じた。  
 
でも、まだあたしの指は5本だ。  
この形で獣化が安定すれば、もう2本指の蹄になることは殆どないらしい。  
数ヶ月前、家族そろって保健所へ行ったとき、兵隊さんのようなガスマスクをつけたお医者さんに、あたしはそう言われた。  
 
今までの数ヶ月、あたしはびくびくしながら過ごしてきた。  
毎日鏡を見る度に着実に人の形を崩していく自分の容姿の中で、あたしはその5本の指だけが心の支えだった。  
それだけで、自分はまだ人間なのだと言える気がしていた。  
まだあの手袋がつけられるのだ。  
 
色の薄い産毛がびっしりと生えたピンク色の皮膚の上を、透明な涙が後を付けて滑り落ちていった。  
 
やがて泣きやむと、涙を拭った私は、恐る恐る布団を剥いだ。  
 
濡れた感触と共に、ぐっしょりと濡れた陰部が露わになった。幾重にもタオルを敷いてあるおかげで、布団にまで私の愛液は染みていなかった。  
全く、何て体になってしまったんだろう。  
あたしは自分の体を見下ろす。  
そしてため息をつき、  
尻尾からぞくぞくと背筋を上ってくる肉欲の疼きに身をふるわせた。  
この衝動に心を委ねてあるがままに振る舞えたら、どれほど楽だっただろう。  
 
「この病気については、まだ多くのことがわかっていません」  
「しかし、精神的な要素が強く関わっている可能性が強いというのが、今の私たちの共通の見解です」  
「もしあなたが本能に身を任せたくなったときに、どれだけ我慢ができるか」  
「貴方が姿を変えないでいるための、一番の対応策だと言われています」  
 
お医者さんは、ガスマスクの奥で、心から気の毒そうな、疲れた目であたしを見ていた。  
全身の肉にとろけそうな熱い快感を感じて見悶えする患者を、もう見飽きてしまったのだろう。  
私もーーー私の家族のたちも、同じだった。  
父と母は私よりそれが大分強いようで、ズボンやスカートの中で射精や潮を吹き続ける音が、隣の部屋で診察を受ける私の耳にも響いていた。  
 
歩くこともままならないまま、獣化患者専用の救急護送車で家まで送り届けてもらう間、車内で私たちは、  
お互いを、今まで見たことがない目で見ていた。  
その日から、私たち家族の絆は深まっていった。  
 
 
性的な意味で。  
 
 
かろうじて残った理性を絞り出し布団を畳むと、あたしは引き戸を開き、廊下の正面のトビラを蹄でコツコツと叩いた。  
返事を待たずに洋室のノブをひねった。鍵はかかっているはずもない。今までそんなことは一度もなかった。  
開けっ放しの時も珍しくない。  
 
ベッドの上で二匹の動物が交尾していた。  
お父さんと、お母さんだった。  
 

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