猫は古来より、呪いや信仰、妖怪というような、抽象的な観念を持っている。  
 例えば猫又。長く生きた猫が妖怪と化し、人を害するといった通説は誰もが聞いたことがある。同じ妖怪として  
は、火車。死人を連れて行く、地獄の業火に包まれた車とされている。これを引くものも猫だという説がある。  
 また、古代エジプトで猫が神聖視され、バステトという女神となっていた。他には、猫のミイラが発見されたこと。  
ペルシア軍が猫を盾に括りつけ、エジプト人が城門を開いて降服したことなどが有名だ。  
 呪いにおいては、「猫が枕元をまたぐ呪い」、通称猫またぎというものや、中国の打小人(ダーシュヤン)という  
日本の藁人形に似た呪いもある。黒猫が目の前を過ぎると不吉だ、というのも呪いの一種と言えよう。  
 さて、これほどまでに霊験あらたかな動物とされる猫。神秘性と怪奇性を持ち合わせた、実にミステリアスな生き  
物。彼ら、あるいは彼女らは、我々の知らないところで何をやっているのか。  
 皆さん、ご存知だろうか?  
 
 朝起きて、まずすること。眠気を堪えながら、メガネを手探りで探すこと。  
 ──僕は、生まれつきの弱視だ。この世に生を受けて、実に十八年。その人生はメガネなくして語れぬ。  
 小学校時代のドッジボールで壊れ、中学校時代のサッカーで壊れ、高校ではスポーツを遠ざけた。  
 一重に「メガネを使う人は運動が苦手」というステレオタイプな偏見のせいでもあるが、典型的とも言いうるガリ  
ベン少年になっていった。そして、大学は地元の国立大学に進学。なんとなーく浮いた存在でありながらも、自  
分の学力に絶対の自信を持っていた。それが自分の価値だと思っていた。  
 だから、やっぱりメガネなくして人生は語れない。  
 でもさ。そんな僕だって、メガネを探しても掛けられないんじゃ、どうしようもないわけで。霞む視界には、真っ黒  
な被毛に包まれた、疑いようのない「僕の」手があるわけで。紛れも無く、それは猫の体で。  
 幸か不幸か、視界は明瞭。人間だったときよりも、輪郭がすっきりと見える。そんな僕の目の前に、愛猫たる黒  
猫が立っているのだ。クロよ。相も変わらず、その女性的なラインは美しく、そして凛々しい。しかしながら申し訳  
ない、今は構ってられぬ。僕は我が身の変化に追いつけぬ。  
 冷静に観察しているように見えたなら、それは文字の情報伝達性故だ。僕はもう、酷く取り乱している。  
 がりがりと頭を抱えて、夢なら醒めろ、勘違いなら理解しようと試行錯誤している。  
 そんな僕に、頭上から情け容赦ない声が降り注ぐのだ。  
 「ご主人様、恩返しで御座います。どうぞ猫として生きられませ」  
 うっわ話したよ。会話してるよ。クロ、芸達者だなぁハハハ。  
 とかそんな余裕があると思うてか。僕の焦点はずれた。クロの背後にずれた。これは逃避。現実逃避。その後ろ  
には、見慣れた僕の快適な部屋。本と服に埋もれた、雑然とした一人暮らしの部屋。  
 そして枕元の本。毎晩の快眠の友。その帯には『レ・ミゼラブル』と記載されている。和訳すれば、『ああ無常』。  
 いやしかし、レ・ミゼラブル……こなれたネットスラング風に訳せば。  
 ……どうしてこうなった!  
 

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