お医者さんが言うことが正しければ、僕は《白痴の賢者》という病気なのだそうだ。
「普通、天才と馬鹿は紙一重と言います。ですが彼は紙一重の狭間に挟まった、正にイディオットサーヴァント。サヴァン症候群です」
これは僕が4歳になったとき、すぐにこけつまろびつして怪我する僕に検査を受けさせた両親が聞いた診断だ。
お医者さんの診断はまだ続く。
「精査の結果、彼はモーツァルト症候群であるとわかりました。音感や音源を記憶する力が異常なほどに優れているのです。それには理由がありまして……目が悪いのです」
「目の見えないサヴァン患者は音感が鋭くなるのです。既に左目は失明しています。負担が倍かかる事になった右目も、いずれ光を失うでしょう」
後は両親の泣き声で満たされて、お医者さんの声は聞こえない。
一度聞いた音は全て覚えているから、両親の泣き声も覚えている。
「神様!なぜ私達がこんなめに!」
今にして思えば、あのころから両親は自分達中心に生きていた。
なぜこの子が、ではなく、なぜ私達が、だった。
高校生まで僕は普通学級に居た。
まだ目も見えていたし、
「近ごろは特別学級というものを創ることは差別にあたり、障害者の人権を損害する事になるのです」
と、僕の両親から相談を受けた先生は言っていた。
「キモい」
「死ね」
「キチガイ」
「生きてても親に迷惑かけるだけだろ」
「よるな、俺までイカれる」
普通学級は、普通の人のクラスであって、僕のクラスではなかった。
加えて、僕は普通の人より覚えるのが上手かった。
始め戸惑ったものの、言葉に音階を与えて曲にして覚えると、もう二度と忘れなかった。
皆より馬鹿なのに覚えるのが上手かったから、すごくいじめられた。
音が好きだから、僕は思った音を自在に奏でる音楽室のピアノが大好きだった。
そうして、小学校と中学校と高校の間は音楽室で多くの時間を過ごした。
家では大人しくしていないと両親に迷惑をかけるし、クラスではぶたれるけど、音楽室があるから学校は大好きだった。
「君は音楽の道に進むべきだわ」
高校の選択授業で音楽担当のもじゃもじゃ頭のパパイヤ先生は僕を褒めてくれた。
もっと学校に通いたかったけど、転校することになった。
箒で殴られて右目も見えなくなってしまったから、養護学校と言うところに移るらしい。
ピアノはあるとの事なので僕は別に嫌がらなかった。
普通は普通に、異常は異常に、灰は灰に、屑は屑に。
全寮制の隔離施設みたいな養護学校に着いて、説明を受けるために先生に付いて行く両親を尻目に僕は真っ先にピアノのあるところへ向かった。
施設には手摺があり点字のガイドまで付いているから、一人で歩くのに苦労は無かった。
音楽室。
点字でそう記された部屋に入る。スライド式のドアだった。
手摺を放し、一歩一歩あるく。
数歩あるくと足音が強く反響する場があった。
目が見えないから、僕は足音の反響で障害物を察知する。
爪先で触れると、
コツン
硬い音。
恐る恐る触れるとヒンヤリした感触が手に伝わって来る。
グランドピアノだ。
椅子を手繰り寄せ、鍵盤の前に座る。
サッと鍵盤をなぞり、
tone…
ひとつ鳴らしてみて驚いた。
引く人が少ないからだろうか、学校のホンキートンクで鉛筆の挟まったプリペアドピアノとは比べるべくもない、完璧な調律のピアノだった。
僕は感動して、一心に曲を弾いた。
優しく弾くべき曲を歓喜のままに叩き付けるように弾いた。
「上手いね」
突然響いた声に驚いて、僕は椅子ごと転びそうに……
ガターンッ!
いや、転んだ。
彼女との付き合いは、その瞬間から始まった。