「私を……抱いて下さい」  
 彼女はそう言うと抱きついてきた。  
 ちょっと待ってくれ。一体どうしたらそうなるんだ? 君と俺とは接点がないはずだ。  
「十年前……貴方は下半身不随の私が虐められてた時、真っ先に助けてくれました。その、お礼です……」  
 それ何てエロゲ? ってか何倍返しになるんだよソレ。お礼だったら……あれだ、昼飯奢ってくれればいいからさ。  
「――やっぱり、嫌ですよね……こんな不自由を持った人は……」  
 おいおいおいおい何でそうなる……。嫌な訳ないだろ? 君は俺が今まで出会った中では間違い無くトップクラスの華麗さだ。  
 美少女という単語も君にこそ当てはまるべきだと私は本気で思うよ。  
「じゃあ……何でですか? 貴方は彼女いないんですよね?  
 私、今ここで襲われても何も文句はありません。寧ろ、嬉しいです。  
 中出しだって構いません。私、赤ちゃん好きですから。  
 強姦まがいだって」  
 はい、止めようね。そんな事言うの。女の子がそんな事言っちゃいけません。  
 ……はっきり言うけど俺は、まだ進路も確定してないようなニートで、だらしない男学内ナンバーワンだよ? 俺なんかよりいい男はいるんだからさ、そんな昔の事引きずってちゃ駄目だ。  
「……分かりました。じゃあ最後に後ろ、向いてくれてますか? 渡したい物があるんです」  
 ? 何だろう。まさか『私をプレゼント』みたいなパターぁああ!?  
   
バタン!  
   
「――貴方が、いけないんです……私は貴方が好きなのに……私には貴方だけしか居ないのに……大好きなのに……愛してるのに……!」  
   
――バチッ! バチッ!  
   
「でも……もう逃げられませんよ……ニート? 私就職決まっていますから、大丈夫ですよ……もっといい男? そんな男いませんよ……さぁ、これからずっと一緒……誰にも渡しません……。  
 誰にも渡さない誰にも渡さない誰にも渡さない誰にも渡さないっ! 彼は……私のモノ……! 私だけのモノ……! ふふふ……あはははははははははははははははははははははははははは!」  
   
 
●ヤンデレ一歩手前(精神不安定)ルート  
 う……俺どうしたんだっけか……?  
 気づいたら簡素な(最低限家具はある)部屋にいた。さっきまであの子と喋っていた筈だが、ここは……?  
「あ、気が付きましたか?」  
 問答しているとあの子が入ってきた。車椅子で来たということはこの部屋は一階だろう。  
 手にはトレイに乗せた急須があった。  
 ……渋いな。ここはティーカップだと思っていたのだが。  
「だって貴方はお茶の方が好きでしょ?」  
 何で知っているんだろうと考えながら手を伸ばす。が、手が動かない。  
 驚いて自分を見た。縄で縛られている。解こうと動くが、体に力が入らない。  
「あんまり騒がないで下さいね? 吃驚してお茶をこぼすの嫌ですから。まぁ、力が入らないでしょうからその点は心配いりませんが」  
 淡々と告げる彼女の声を聞いて思い出した。俺は彼女と話していて急に痛みが来たと思ったら意識が遠のいて……。  
「思い出しましたか? では再度聞きます。私を抱いて下さい」  
 起伏の無い喋り方に冷や汗が出る。今俺は『何と』話しているのか誰かに問いたくなった。  
「私は聞いているんですよ? 喋れない、なんて事は無いですよね?」  
 ……抱いてとかふざけた願いなら却下だ。俺は――ドン!  
 俺の言葉を遮ったのは信じられぬ事に銃声だった。硝煙の臭いと床に銃痕であろう穴がある。……本物だ。  
「どうして? ねぇ、どうして? どうして私を見てくれないの? 綺麗って言ってくれたよね? 可愛いって言ってくれたよね? 貴方が言うからきっと本当の事だよね? じゃあどうして?  
 ……あぁ、そっかあの売女だね? あの雌犬だね? 優しい貴方を惑わしているのは。害虫は駆除しなくちゃね? ふふふ……」  
 笑う彼女は綺麗だったが、俺の知っている彼女の笑みでは無かった。  
「待っててね。今駆除してくるから。夕御飯迄には戻ります」  
 まるで買い出しに行くかのように言う彼女に恐れさえ覚えたが、ここで止めなくてはダメだと俺は心の中、自分を叱咤する。  
「止めてくれ……。頼む! 人殺しなんて、止めてくれ!」  
「……何、で?」  
 そう言う彼女の目は怒り狂った獣のソレのようだった。  
「あんなゴミに……! あんなゴミに! あんなゴミに! あんなゴミにぃ! 貴方は何で優しさをあげるの!? 何でっ!?」  
 ――俺は何と言うべきか分からなかった。しかし、言わなくてはならない。彼女をとめるために……。  
 
 俺は怒り叫ぶ彼女へ何て声をかけたらいいか必死で考えた。  
 何処かこの答えを間違えたら終わりだと俺の直感が警鐘を鳴らしていたからだ。  
 考えろ……考えるんだ! クールになれ俺!  
 だが、都合よく浮かぶはずもない。あの子の言うとおり抱いてやれば良かったのか……? いや、そんな事良いわけがない! しかし……このままでは……。  
 待てよ……。  
あの時、彼女は何て言った?  
『「――やっぱり、嫌ですよね……こんな不自由を持った人は……」  
』  
『』  
 そうか……君は……。  
 ある確信に至った俺は彼女の名を呼ぶ。すると、彼女は叫ぶのを止めこっちを見た。  
 これは賭だ。掛け金は俺。報酬は無し。確率はゼロに近い。こんな馬鹿みたいな賭、やりたくないがやるしかない!  
「どうしても、殺すのか」  
「うん、だって貴方を惑わすんだもん」  
 先程までの清楚さはどこへやら、彼女はまるで子供のような口調で返す。それともこれが本当の彼女なのか。  
「どんなに頼んでもか」  
「うん。でも、私を抱いてくれたら考えてあげる」  
「何度も言うが抱く事は却下だ」  
 ピクリと彼女の銃を持つ右手が動いた。  
 冷や汗が出るが怖じ気づいたらこの賭は負けだ。  
「どうしてもお前が人殺しを働くというなら俺は舌を噛みきってでも死ぬ」  
 そう言って舌を噛むのを見せる。そうすると彼女の顔は蒼白になった。  
 よかった……。まだ彼女は狂ってない。予想通りとはいえ、安心する。  
「だが俺だって死にたくない。お前は人殺しをしないと気が済まない。だから、条件を出そう」  
 自分で言うのも何だが無茶苦茶な理論だ。だが今の彼女ならあるいは……。  
「今から言う条件を呑んでくれたら俺はもうお前を止めたりはしない。自殺もしない。お前の言う通りにしてやる」  
「! 本当!?」  
 彼女はあからさまに喜んでいる。本当に子供のようだった。  
「ね? 条件って何? 私、何でもするよ!?」  
 さぁ、ここが山場だ。勝てば解放。負ければ一生奴隷ってか。  
「条件は」  
 ゆっくりと焦らず、宣告するように喋る。  
「俺を、俺の足を――」  
 ――頼む……正気に戻ってくれ!  
「――その銃で撃て」  
 彼女は何も言わなかった。否、何もいえなかったのだろう。何を言うべきか分からないのか、口をパクパクさせている。  
 
 暫くして彼女は体を震わせながら口を開く。  
「――撃てば、撃てば、いいんだ……撃てば彼は、彼は、私に……撃てば、いい、んだ……撃て、ば……」  
 それは俺にではなく自分に告げているのだろう。ブツブツと呟きながら何度も繰り返す。  
 ――お前は本当は優しいんだよな? 本当に俺を想っているだよな? だからお前は迷っているんだ。俺を撃つことに。俺の『足』を撃つことに。  
 気付いたんだ。お前は俺と結ばれたいから抱いて欲しいって言ったんじゃない。  
 お前は俺を――優しくしてくれる人を独占したいんだろう?  
 だから自分を捨てることさえ、誰かを殺すことさえ厭わないんだろう?  
 確かに世の中にはいるよ。誰かに依存しすぎる余り、人殺しをするのも厭わない奴は。  
 でもな、お前は一つソイツ等とは違うんだ。  
 お前にはまだ理性がある。それが唯一の突破口だ。  
 お前に俺は殺せない。当然だよな? 俺を殺したら誰が自分(てめえ)に優しさをくれるんだって事になる。  
 彼女は未だに体を震わせながら呟ていた。目は虚ろぎ、焦点がまるであっていない。  
 今、彼女は何を想っているのか。俺に知る術はない。ただ、正気に戻ることを祈るのみ。  
 しかし、そもそもこの賭は俺が間違って死んじまえば、彼女は発狂してしまう可能性があるし、死ななくても開き直る可能性だってある。  
 ではどうすればいいか? 脅すようにしても彼女が俺を傷付けず、尚且つ間違って傷付けても発狂しない箇所。  
 
 『足』だ。  
 
 彼女は足の不自由の大変さを誰よりも知っている。誰よりも分かる。  
 だから足を撃つよう条件とすれば彼女はきっと思いとどまってくれる。  
 だが、これは予想外だ。彼女は俺が思っている以上に足を失う事(はたまた俺を撃つ事か、その両方か分からないが)に対しての反応が大きい。  
 もしかしたらこれは失敗かもしれない。彼女を苦しめ彼女を追い込んでしまったのか。  
 俺は結局彼女を奈落の底へ突き落としてしまったのか……。  
 畜生……畜生……俺は女の子一人助けられないのかよ! 畜生!  
   
   
   
「――ごめんな、さい……」  
 ふと、透き通るような声が聞こえた。顔を上げて彼女を見れば一筋の涙が流れていた。  
 彼女の手から銃が滑り落ちる。鈍い金属音をたて床に落ちるも暴発はしなかったのは幸いだった。  
 再び彼女を見ると彼女は静かに泣いていた。  
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  
   
 撃たくなちゃ……撃てば彼は私のものになるんだ……撃てばいいんだ……足を……彼の足を……撃ったら……  
 動かなくなっちゃうの……? 歩けなくなっちゃうの……? 私みたいに……私の足みたいに……。  
 こんな足じゃ無かったら彼は私を見てくれたのかもしれない……私を選んでくれたのかもしれない……。  
 その足をこの世の何よりも恨み、呪ったこの足と、この世の何よりも想い、愛しい彼を……彼の足を同じにする?  
 あの苦しみから助けてくれた彼を苦しめるの?  
 あの寂しさから助けてくれた彼を苦しめるの?  
 か れ を く る し め る ?  
 嫌、だ……嫌だ……! 彼を傷つけるなんて……! 彼を苦しめるなんて……! 嫌だ、嫌、いやああぁああああああ!   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
――うてばかれをたすけられる  
――うてばかれをくるしめる  
――わたしは……わたしは……かれを……どうしたいの……?  
 ねぇ……だれか……おしえて……どうしたらいいの……こわいよ……くるしいよ……たすけて……。  
 もう……くるしいのはいやだよ……たすけて……たすけてよ……。  
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 しきりに何かを呟く彼女は明らかに異常だった。  
 俺は彼女に近付くためにまずこの鬱陶しい縄を解く。  
 時間が経った為か力が入るようになった俺は体に力を込め、やっとのことで縄から抜ける。  
 彼女に近付く。ピクリとも動かない。  
 呼びかける。反応が無い。  
 体に触れる。小さな呟きが聞こえる。  
「……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」  
 ごめんなさいと仕切りに謝る彼女はとても悲しかった。  
 誰に謝っているのか。誰か――答えは一つ。俺しかない。俺が彼女をこうしてしまった。俺が彼女を追い詰めたせいでこうなってしまった。  
 俺のせいだ……。  
 罪滅ぼしのためか俺は彼女を抱き締める。  
「ごめんなさ「――すまない……本当にすまない……お前を苦しめるつもりは無かったんだ……許してくれ……もう謝らないでくれ……悪いのは俺なんだ……頼む……戻ってくれ……」  
 こんな事で彼女が助かる筈も無いのは分かるが俺はずっとこうしていた。  
「……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」  
「……戻ってくれ……謝らないでくれ……許してくれ……笑ってくれ……! ――りん……!」  
 
「――りゅう……さん……?」  
 初めて口にした彼女の名前。たまたま覚えていた彼女の名前。それが奇跡を起こしたのか。  
彼女が俺の名前を呼んだ。彼女が、戻ってくれた。  
「りん……! りん! すまない! りんを俺は……! 俺は……!」  
「りゅう、さん……なまえ……私の、名前……もっと、呼んで……」  
 あぁ呼んでやる……! それでお前が笑ってくれるなら何度だって呼んでやる!  
「りん……! りん! 凜!」  
「柳さん……ありが、とう……ありがとう……」  
 俺は何度も彼女を呼んだ。彼女――凜は俺の背中に腕を回して抱きついて来た。ソレを感じた俺は抱き締める腕を強くする。  
「柳さん……私、貴方に酷いことをしてしまって……本当にごめ「謝るな! 謝らないでくれ! 俺がお前を追い込んでしまったのが悪いんだ!  
 だから……頼む……謝らないでくれ……! もう、凜の悲しい声は聞きたくないんだ……」  
 もしかすると俺は泣いていたのかもしれない。凜はそんな俺の頭を撫でてくれた。撫でる手はとても暖かった。  
「……私は貴方に酷いことをしてしまいした。だからもう二度と貴方の近くに寄りません。ですが、どうか……どうか私の最後のお願いを聞いてください」  
 凜はやや悲しげな顔をしながら俺を見据える。  
「……柳さん、私貴方が好きです。大好きなんです。烏滸(おこ)がましいのは分かっていますが、許されないのは分かっていますが言わせて下さい。  
 私は貴方を愛しています。この世の誰よりも愛しています。だから……ごめんなさい。愛しているのに傷付けてしまって、本当に……ごめんなさい……」  
 謝りながら彼女は泣いていた。そして、彼女は背中へ回した手を離す。  
 今まで包んでいた温もりが外気によって奪われていった。  
「貴方を傷付けてしまって、貴方の恩を仇で返してしまって、本当にごめんなさい。許してくれとは言いません。ですがせめて貴方に本当の恩返しをさせてください。  
 何でも言って下さい。何でもしますから。どんな事でもしますから。お願いです。私は貴方に……柳さんに助けられてばっかりなのに、何も恩返しできないまま、私は貴方と別れたくはありません」  
   
 俺の今この気持ちは誰もが分かってくれるだろう。  
 そう、この可愛らしい凜を俺はとてつもなく愛しく感じた。その想いを伝えるべく俺も彼女を見据える。  
「傷付けた? お前の苦しみに比べたら何でもない。  
 恩を仇で返した? んな仇、俺は知らん。  
 俺が望むのは唯一つ。お前が、凜が欲しい。俺は凜を好きになった。愛しくなった。これからずっと一緒にいて欲しい。離れないで俺の傍にいて欲しい。こんなぐうたらだが絶対お前を幸せにしてみせる。  
 ……だから俺と付き合って下さい」  
 そう告げると凜は顔を真っ赤に染めた。  
「で、でも! 私、足が「俺が介護する。家事だって俺も出来る。不自由にはさせん」  
「他に可愛い子は一杯いるし……」  
「最初に何つった? お前はトップクラスに可愛い。特に今は最高級に可愛い」  
「……また、また貴方を傷つけちゃうかもしれないよ!? 嫌でしょ!? そんなの!」  
「そん時は俺が全力でお前を助けてやる。例えどんなに傷付いても、俺はお前を愛してやる」  
 我ながら調子の良いことを言ったもんだと思ったがこれは俺の本心だ。嘘、偽りのない、な。  
「……りゅうぅ……ひっく……う……うわぁああぁああああぁぁああん!」  
 急に彼女はしがみつき、泣き出した。  
「……ひっく……一緒にいて……ひっく……いいんだよね? 傍にいて、いいんだよね? ずっと……ずっと一緒だよね?」  
「あぁ……勿論だ……!」  
 今度は俺が凜の頭を撫でる。凜の髪をすくと何だか癖になりそうな感じがした。  
「ふふふ……りゅーう……大好きぃ……」  
「俺も……大好きだ……凜」  
 俺達は抱き合ったまま二人でベットに向かい、そのまま(何もせず)横になる。  
 これから前途多難かもしれない。何たって俺はだらしない男学内ナンバーワン。怪我の一つや二つは覚悟しとこう。  
 だがま、今はこの温もりをしっかりと味わうことにしようか。  
 

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