どこかでひぐらしが鳴いている。  
もうすぐ夏が終わるのだろう。  
彼女は今日も元気でいるだろうか。  
元気でいてくれないと困るのだが。  
 
そんなことを思いながら、俺は果実の手入れをしていた。  
手入れといっても、水をまいて虫がついていないか簡単にチェックするだけだが。  
 
「ん。もうすぐだな」  
ひとりごちる。  
スターフルーツは9月の上旬には実が熟す。  
実が熟せば熟すほど黄色に変わる。  
 
長かったと言えば長かった。  
インターネットで調べてみたり。  
専門雑誌を漁ってみたり。  
得意なやつにアドバイスをもらったり。  
 
小さな苗からはじめて、  
もうすぐ食べられるまでに成長した。  
彼女は喜んでくれるだろうか。  
 
「・・・・・・と。時間か」  
感慨に浸っていたら時間になってしまった。  
「絵の具、画用紙、パレット、キャンバス……よし、準備完了」  
必要なものを確認して、かばんに詰め込む。  
俺のじゃない、彼女の物だ。  
「さて、行くか」  
かばんを背負い、自転車にまたがって。  
山の上にある病院を目指して走り出した。  
 
 
 
 
 
 
 
「はぁ、はぁ……」  
 
何の悪意があって山の上になど病院を建てたのか。  
お年寄りが大変だろうに。  
自転車から降りて走り出す。  
 
「あと……もうすこし……」  
病院は見えている。  
目が悪いから彼女は見えないけど。  
彼女の病室も確認できる。  
……窓だけど。  
もうすぐ終わるはずの夏も。最後のあがきなのか。  
普段より気温が高い。  
セミの鳴き声がうるさい。  
 
『スターフルーツ?』  
『ん』  
『なにそれ?』  
『果物』  
『ふーん……食べたいのか?』  
『願い事』  
『願い事?スターフルーツに?』  
『お星様』  
『おま』  
『……だめ?』  
『……手術』  
『?』  
『手術はいつ?』  
『わかんない』  
『それを食べるのは?』  
『わかんない』  
『……わかった。その代わり時間かかるぞ』  
『?』  
『作ってして持ってきてやる。取れたてしんせん。誰も願ってないやつ』  
『ん』  
『そのかわり―――』  
『ん』  
 
 
 
ガキの頃に結んだ小さな約束。  
自分でも律儀だなと思う。  
そんな約束、すぐに忘れてしまえるのに。  
たぶん、お願いをした本人も忘れているだろう。  
それでも俺は、あの約束を守ろうとしている。  
頑固なのか、臆病なのか。  
……あの日からずいぶんと経った今も、  
俺はまだ答えを得ていない。  
 
そんな感傷に浸りながら、俺は病院にたどり着いた。  
医療施設特有の、消毒液の香りが鼻につく。  
 
503号室。  
それが彼女の部屋。  
 
コンコン。とノックをして  
 
「はろー」  
部屋のドアを開けた。  
 
「……遅い」  
彫りの深いはっきりとした顔立ち。  
寝ていれば確実に『眠りの森の美女』と名付けられるだろう容姿。  
十中八九美人と言われるだろう彼女―――柘榴は不機嫌だった。  
俺の遅刻が原因だけどさ。  
「悪いな。坂に負けた」  
疑り深い目で見られている。  
ホントだよ。あの坂がなければ2.3分は余裕だった。  
「……絵の具」  
「はいはい」  
絵の具一式の入ったかばんを見せる。  
専用ケースのため、多少荒く使っても中身は崩れない。  
 
「彗」  
「どうした?」  
「……屋上」  
「屋上?」  
「ん」  
「マジ?」  
「マジ」  
「……冗談がきつい」  
またあの地獄に戻るのか。  
「だって暑いだろ」  
「雲」  
「雲?なんかいいのあるのか?」  
柘榴の視線から見えるよう顔を寄せる。  
ガキの頃からやってきた動作だ。いまさら何言われようと……な。  
「クジラ」  
腕を伸ばし大きい入道雲を指した。  
「クジラか。確かにここからじゃ見ずらいな……」  
「見ずらい」  
「……日傘あるか?」  
「ある」  
「あいよ。車椅子借りてくるから待ってろ」  
「ん」  
 
柘榴の返事を聞きながら病室を出て、近くの看護師さんに車椅子を貸してもらった。  
 
どうしてここまで出来るかって?  
数学より簡単だ。  
おれ―――星夜彗は樹柘榴のことが好きだからさ。  
 
***  
 
「ガーネー」  
「んー?」  
「まーだーかー?」  
「まーだぁ」  
 
残暑?猛暑の間違いだ。  
 
車椅子にキャンバスを載せて絵を描く柘榴。  
言い忘れたけどガーネットの和名が柘榴石なのな。  
幼い頃に教えてもらった小さな秘密。  
それ以来おれは柘榴をガーネと呼んでいる。  
 
「すーいー」  
「んー?」  
「暑いー」  
「ん、わり」  
 
そんなことを考えている間に、日傘がズレたらしい。  
あわてて角度修正。  
 
「ガーネー」  
「んー?」  
「のど渇いた」  
「んー……」  
「はらへったー」  
「んー……」  
「飯の時間だー、帰るぞー」  
 
屋上で過ごすこと約三時間。  
階段を上る途中に発見したパイプ椅子を失敬した。  
椅子に座りながら傘を差し続けているが、いい加減腕がつらい。  
それに、これ以上居続けると看護師さんに怒られる。  
 
「ダメ」  
「おいおい……」  
「クジラ……」  
 
入道雲を眺めてみる。  
クジラと判別しにくくなっている。  
 
「形変わってるだろ……」  
「ギリギリ」  
「……あと5分だけな」  
「んー」  
 
普段表情を見せないガーネが少しだけ嬉しそうな顔をしていた。  
 
(俺も安いな……)  
 
心の中でため息をつきながら、空を見上げる。  
入道雲以外は何にもない青い空。  
吸い込まれそうな……とは誰が言ったのだろう。  
今なら共感できると思った。  
 
「すーいー」  
「ん?」  
「終わったー」  
「あいよ。病室戻るか」  
「ん」  
 
ようやく終わったらしい。  
パレットと筆を受け取り日傘を渡す。  
 
「後でやるのか?」  
「やるー」  
「ん」  
 
ならしまう必要はないな。  
絵の具一式は階段の近くにおいておけばいいか。  
 
「ちょっと待ってろなー」  
「ん」  
 
いつもと変わらない会話。  
いつまでも変わらない会話。  
彼女はこの日常をどう思うのだろうか。  
 
半身不随。  
彼女の足はもう動かない。  
小学校の頃、車にはねられて病院に運ばれた。  
脳出血とわかり、緊急手術が行われた。  
必ず快復する。  
そんな思いは簡単に裏切られた。  
「残念ですが……快復の見込みはありません」  
ドアが少し開いていた診察室から聞こえた嗚咽。  
彼女の母親が泣いていた。  
柘榴の病室を知らなかった俺は、母親から聞こうと思っていた。  
看護師さんから診察室にいると聞いた。  
 
 
そこから先の記憶はない。  
ショックだったのだろう。  
気がついたら彼女の隣のベッドで寝ていた。  
 
彼女はまだ目覚めていなかった。  
ベッドから飛び降り、そっと彼女の近くによる。  
 
彼女の右手を両手でそっと包んだ。  
温かいけど冷たかった。  
涙があふれてきた。  
 
病室にいるのはおれと彼女だけだった。  
声を殺して泣いた。  
 
 
それから俺が泣いた記憶はない。  
いや、泣く資格などないのだ。  
 
だって彼女が事故にあったのは―――  
 
「彗?」  
「……ん?ああ、わり。ぼーっとしてた」  
「…今日の彗、なんか変」  
 
表情には出さないが、俺を心配しているのだろう。  
 
「いつもどおりだ」  
「……ん」  
「おいおい。否定してくれよ」  
 
苦笑交じりに言った。  
 
「いつもどおりだ」  
「…鸚鵡返しか」  
「ん。おなかすいた」  
「あいよ。戻るか」  
 
階段の近くまで車椅子を押して。  
 
「ほら、乗っかれ」  
「ん」  
 
こっから先はおんぶだ。  
 
「ん。よいしょ」  
「……じじくさ」  
「…よぉばぁさんや。飯はまだかね」  
「……」  
「いて!こら。殴るな! 」  
「知らない」  
 
自分から振ったくせに、機嫌を損ねたらしい。  
面倒な性格だ。  
 
 
「彗」  
「…ん?」  
「……ごめんね」  
「…気にするな。いつもどおりだ」  
「……ん」  
 
きっと、なんでぼーっとしたのか分かったのだろう。  
 
「急ぐぞ、お前の飯がなくなる」  
「ん」  
 
後悔の念を振り払うように、階段をおりた。  
 
「ご馳走様でした」  
「ご馳走様でした」  
 
俺はコンビニで買ったおにぎり。  
彼女は病院食。  
 
休みの日は二人一緒に病室で食べるのが通例になっている。  
かといって、食事中に喋ることはない。  
どちらもよく喋るほうではないし、彼女のほうは基本やることが決まっている。  
俺の学校生活はソロであることが多い。  
昼飯は屋上で静かに、休み時間と授業中は睡眠。  
前者はともかく後者は病気のためだ。  
 
ナルコレプシーを知っているだろうか?  
睡眠障害の一種で『居眠り病』『過眠症』などと言われている病気の一種だ。  
この病気は時間場所問わず眠気の発作に襲われる。  
 
ナルコレプシーにかかったのは、たぶん事故があったあの日以降から。  
精神または神経の異状による病気。  
 
精神系の病にやられるのは道理と言うか必然と言うか。  
 
…いや。  
きっと、俺が弱い。  
ただそれだけの話なのだろう。  
 
「彗」  
「ん?」  
「あれ」  
 
彼女は窓から見える空を指差す。  
入道雲しかなかった空が、だんだんと暗くなっていた。  
 
「雨か」  
「雨だ」  
「絵の具そのまんまにしなくてよかった」  
「よかった」  
 
絵の具じゃなくて紙だが。  
 
「とりあえず持ってくる」  
「ん」  
「ついでだからなんか買ってくる。なんか欲しい物あるか?」  
「……ジャンプ」  
「りょーかい」  
 
おにぎりの包みを袋に入れて。病室を出る。  
まずは屋上へ絵の具一式を回収しに。  
 
病室を出たとたん。  
 
「ふぁ〜・・・」  
 
あくびが出た。  
発作だ。過眠症の。  
 
動いている間はどうにでもなる。  
ガキの頃から培ってきた結論。  
椅子に座るなり止まるなりしたとたんに眠気に勝てなくなる。  
 
「はやく終わらして寝るかな」  
 
食後に薬を飲んだが、遅効性だ。  
眠ってしまえば意味を為さない。  
 
 
階段を上り、屋上を目指す。  
絵の具一式を丁寧にしまい、次は購買へ。  
 
歩いていても眠気は治まらない。  
寝ないだけだ。眠くなくなるわけじゃない。  
 
ジャンプを買って病室へ向かう。  
外は見なかった。ぶっちゃけ気付かなかった。  
雨はもう降り出していた。  
 
「ただいま」  
「おかえり。遅い」  
「絵の具片付けてたんだって」  
「……ん」  
「ほら、機嫌悪くするなって。ジャンプ買ってきたから」  
「……ん」  
 
ジャンプが入っている袋を渡し、ベッドに腰掛ける。  
長くて細くて癖のない髪。くしゃくしゃになるように頭をなでた後、  
手櫛で綺麗に整えるのが好きでさ。  
 
「……」  
 
彼女も嫌がらない。  
まぁ、向こうがやってくれって言ったんだし。  
 
「ガーネ」  
「んー?」  
「少し寝る。雨が止むか5時になったら起こしてくれ」  
「りょーかい。彗」  
「ん?」  
「こっち」  
 
 
腕を使って体をずらし、ベッドを半分ほど空ける柘榴。  
 
「いや、いいって」  
「ダメ。風邪引く」  
 
ガキの頃はよくやってたけど、今はちょっと……  
 
「あれこれ考えない」  
「……すまね」  
「気にしたら負け……膝枕する?」  
「流石に……それは」  
「……ん」  
 
靴を脱いでベッドに入る。  
彼女のぬくもりが落ち着かなくなると思っていたけど。  
逆にすごく安心する。  
 
 
眠くなったらすぐに家に帰る。  
それが基本だった。  
天気予報は毎朝確認してるから、傘が必要な日もわかってるつもりだった。  
今回は外れたらしい。  
 
外れてもそんなに酷い雨じゃないから自転車を走らせて帰ってしまう。  
だが、いまさら気付いた。  
 
嵐だ。  
 
 
いっそ清々しいくらいの豪雨だなー。  
明日は晴れるといいな〜  
……じゃなくて。  
 
「あーあー……帰れるかな」  
「お泊り?」  
「それは無い……たぶん」  
 
まぁ、眠け限界。  
 
「んじゃ、よろしく」  
「ん。おやすみ」  
「おやすみ」  
 
 
限界だったらしい。  
彼女に返事をした後、俺はすぐに意識の闇に落ちた。  
 
***  
 
「ザク……ガーネー。まーだー?」  
「もうちょっと待ってー!」  
「早くー」  
 
 
今日はみんなと近くのこうえんであそぶんだ。  
でも、ザクロ…じゃなくてガーネのじゅんびがおそい。  
 
「早くしないとザクちゃんって呼ぶぞー」  
「やだぁ!」  
「早くー」  
 
ガーネはほんみょうなのにザクロってよぶのがキライなんだ。  
ほんにんは、  
「だってザクロは苦いんだよ?果物なのに。苦いんだよ?」  
って言ってた。  
 
「おまたせ!」  
「おーそー……」  
「?」  
 
ビックリした。  
いつもはズボンとか男の子っぽいものしかきないガーネが。  
ワンピース着てる。  
ものすごくおひめさまみたいで……  
 
「すいちゃん?」  
「うわ!」  
「どうしたの?」  
「な、なんでもない!」  
「……変なの」  
 
お顔があつい。  
でも、しかたないよね。  
 
今のガーネ。  
ものすごくかわいいんだもん。  
 
「は、早く行こう!みんなが怒っちゃう!」  
「うん!」  
 
ガーネと手をつなぎ、公園に向かって走り出した。  
 
 
こうえんまでもう少しのところに、アクのダイマオウがある。  
こいつは、もうすぐのところで行く手をふさぐ悪いやつだ。  
その名はアカシンゴウ。俺のテンテキだ。  
この前ガーネに言ったら笑われた。  
 
「むぅ、マオウめ」  
「仕方ないよ。それに魔王って言うのやめない?」  
 
 
ガーネの言葉をムシして、いつまでたっても青にならない信号をにらむ。  
こうなったら!  
 
「だーっしゅ!」  
「あ!」  
 
車は通ってなかったし一気にわたっちゃおう。  
いつもやってることだし今日も大丈夫。  
 
 
「ほら、ガーネも早く!」  
「えぇ!?でもお母さんが赤の時はわたっちゃいけないって」  
「早くしないとおいて行っちゃうぞー?」  
「でもー……」  
「大丈夫だって、車通ってないから。」  
「……よーし!」  
 
深呼吸するガーネ。  
そこまで気合入れなくてもいいのに。  
 
「えーい!」  
 
ガーネが走ってこっちにきた。  
 
 
 
 
 
信号の先にはカーブがあって、昼間は車どおりが少ない。  
丁度この先もカーブが続き、規制がなかった頃は、走り屋のスポットだった。  
走り屋が悪いのか、俺達が悪いのか。  
どっちも悪かったのだろう。  
スポーツカーがカーブを走ってきて……  
 
 
彼女を撥ねた。  
 
目を開けると、視界が歪んでいた。  
泣いていたんだと、気付くのに時間はかからなかった。  
俺に泣く資格など無いのに……  
 
子供の頃は毎日のように見ていた夢。  
毎夜の如く襲いかかってきた悪夢。  
いつのまにか、もう飛び起きたりしなくなっていた。  
慣れたのか。擦れてしまったのか。  
きっと、どっちもなのだろう。  
 
 
体を起こそうと思ったが起きられなかった。  
いつの間にか、俺は彼女に抱きしめられていたから。  
 
「夢を見たの?」  
「……ああ」  
「あの日の?」  
「……ああ」  
 
あふれる涙は止まらなかった。  
 
「俺があの時お前を急かさなかったら……」  
「そうだねー」  
「俺があの時ちゃんと信号を待っていたら……」  
「そうだねー」  
「……ガーネ」  
「んー?」  
「お前は、俺を恨んでいるか?」  
「んーん」  
 
彼女を見る。  
彼女も泣いていた。  
 
「何故?」  
「だって……」  
 
彼女は泣いていながらも、向日葵のような笑顔で言った。  
 
「すいは、いつも一緒にいてくれた」  
「……」  
「自分の用事があっても、私を優先してくれた」  
「……」  
「私が行きたい場所は、無理してでも連れて行ってくれた」  
「……  
「いつだって私を一番に考えてくれた」  
「……」  
「すい」  
 
彼女の腕に、力がこもる。  
 
「私はね、すいが好き」  
「!……」  
「あの事故の前から好きだった」  
「……」  
「そして、私は今もすいが好き」  
「……」  
「だから、私の足で心を痛めないで」  
「……ガーネ」  
「……んー?」  
「俺は……お前のことが好きでいていいのか?」  
「違うよ」  
 
顔が真っ赤に、涙を流しながら、それでも向日葵のような笑顔を絶やさず。  
彼女はこう言った。  
 
 
「ずーっと、私のことを好きでいてほしい」  
 
俺もきっと、顔が真っ赤のはずだ。  
顔が熱い。きっと顔は茹でダコになっている。  
 
「……ガーネ」  
「んー?」  
「キス……していいか?」  
「ダメ」  
「……」  
「ちゃんと告白してくれなきゃダメ」  
「…ガーネ」  
「んー?」  
「お前のことを……愛している」  
「ん」  
 
そっと、自分の唇を彼女の唇に乗せた。  
そっと、彼女を抱きしめた。  
 
「ファーストキスだ」  
「俺もだ」  
「……すい」  
「ん?」  
「セックス……してくれる?」  
「……やだ」  
「……」  
「……こうゆうのは、男から言わせろよ。俺の立つ瀬がないだろ」  
「…そっか」  
 
二人で小さく笑う。  
 
「ガーネ」  
「んー?」  
「……お前とセックスしたい」  
「ん……来て」  
 
 
俺は、彼女の中に埋もれていった。  
 
 
 
 
 
 
事がすんだ後、顔を合わせるのが恥ずかしかった。  
でもそれは俺だけだったらしくて。  
彼女はいつもどおり振舞っていた。  
さらにいうと彼女は大胆になった。  
 
「はよー」  
「んー」  
「今日も屋上か?」  
「ん。でもその前に」  
 
彼女は目をつぶる。  
俺は彼女に近寄り、唇を重ねた。  
 
「……なんか慣れないな」  
「新婚気分?」  
「まだ結婚して無いだろ。それにどちらかといえばバカップル状態だ」  
「だねー」  
「だな」  
「ん。すいー」  
「んー?」  
「結婚してくれる?」  
 
派手にこけた。  
今このタイミングで言われるとは思わなかった。  
 
「……あーもう!」  
「?」  
「俺の立つ瀬が……」  
「最初から」  
「……」  
 
ため息を一つついて、  
ポケットから小さな箱をとりだし、彼女に渡す。  
 
「ほれ」  
「?」  
「あけてみろって」  
 
俺って赤面症かな。  
すぐ赤くなる。  
でもしょうがないと踏んでみる。  
 
「彗……」  
 
中から出たのは、婚約指輪。  
何の飾りも無い、シルバーリング。  
 
「樹柘榴さん」  
「……はい」  
「一生……傍にいていただけませんか?」  
「……星夜彗さん」  
「……はい」  
「貴方となら……どこまでも」  
 
 
彼女に渡した小箱の中から指輪をとって、  
差し出された彼女の薬指にはめた。  
 
「……泣くなよ」  
「だって……」  
「あーもう」  
 
ベッドに座っていた彼女を抱きしめて、唇をふさいだ。  
 
「ガーネ」  
「んー?」  
 
後ろ手に持っていた紙袋から、お星様を取り出す。  
 
「スターフルーツ?」  
「そそ。結構がんばったんだぞ」  
「……覚えていて、くれたんだ」  
「あたりまえだ。好きなやつの約束は忘れないぞ」  
「……うそだぁ」  
「いやいや」  
「……だって、忘れてる」  
「…なにを?」  
「絵」  
「絵?」  
「絵」  
 
……あ  
確かに忘れてた。  
 
『……わかった。その代わり時間かかるぞ』  
『?』  
『作ってして持ってきてやる。取れたてしんせん。誰も願ってないやつ』  
『ん』  
『そのかわり、絵を描いてくれ』  
『絵?』  
『絵。お前の描いた絵、好きなんだよ』  
『ん』  
 
忘れてたのは俺だけか。  
 
「……ガーネ」  
「んー?」  
「樹海行ってくる」  
「ダメ」  
「情けないな、俺」  
「そうだねー」  
「否定してくれたって」  
「……するところが無い」  
 
ちょっと視界が歪んだ。  
 
きっと、これからもずっとこんな調子で日常は流れていくのだろう。  
途中で挫折を経験したりもするだろう。  
喧嘩だって多々あるはずだ。  
 
 
 
それでも。  
 
 
 
彼女と一緒なら、どんな事だって乗り越えていける。  
そんな気がする。  
 
 
さて、まずはだ。  
 
 
「とりあえず、絵の具一式と果物もって、屋上に行くか」  
「ん」  
 
 
ガキの頃に結んだ小さな約束を、  
叶えに行くとしましょうか。  
 
 
〜fin〜  
 

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