・少女剣士の手難 ep4  
 
 
 
 レークの森には、中央の開けたところに大きな湖がある。  
 周囲に凶暴な魔物はおらず、澄んだ水は清潔なので、旅人が気軽に立ち寄って湯浴みをするのに使われていた。  
 今は陽が昇り始めたばかりで、いつもなら誰もいない時間帯。  
 それを見計らってか。  
 少女がひとり、大胆にも全くの裸身になって、浅い湖であどけなくも艶やかな肢体を清めていた。  
 湖のほとりの旭日が射している草地には、彼女のものと思われる深緑色の民族服と純白の下衣が、古木の物干し竿に吊るされている。  
 その下には小さめの麻袋と、一振りの長剣が置かれていた。  
 
「ふぅ……。気持ちよかった……」  
 
 体を清め終えた少女は湖から出て、天日の当たる草の地面に横たわって身を乾かすことにした。  
 彼女は、剣士らしからぬ傷一つない身体の持ち主だ。  
 普通ならば地べたに直接横たわれば肌に悪く、かぶれたり虫につかれて痒くなったり良い事なしなのだが、少女にはそういったことは殆ど無縁だ。  
 生まれつき極めて恵まれた健康体を有しており、大きな怪我や疫病などで悩んだこともない。  
 さらに容姿端麗とあっては男が放っておくわけがないのだが、あいにく十六年の生涯で色恋とは未知の存在でしかなかった。  
 偉大な剣士の娘だった少女は、物心ついた時から剣を握っていた。  
 十の時に父を亡くしてからも、彼の遺書に記された遺志に従い、彼の弟子の下での修行を絶やすことはなかった。  
 だが少女は、父の弟子である四十がらみの男・ヴィクトールの事を心底嫌っていた。  
 腕は確かなのだが、常に自分の力量を誇示しなければ気が済まない傲慢な性格と、禁欲的という言葉とは正反対の行動は目を覆いたくなるほどだった。  
 酒と女に目が無く、買出しと偽って街に繰りだし、一週間以上帰ってこないことも珍しくはなかった。  
 そんなヴィクトールが三日前、少女が十六を迎えた日にこう切り出してきた。  
 
「お前の剣の冴えも相当なものになってきたことだし、武者修行してこい」  
 
 少女はその一言に動揺を禁じ得なかった。  
 とはいえ、四年前に父の仇を討ってから剣の道を往くのに微かな疑念を抱くようになっていたのも事実だ。  
 迷いを断ち切るかの如く苦行に明け暮れていた少女は、しかし切り替え早くヴィクトールに従った。  
 それから三日を経たいま、彼女の心はあるひとつの事柄に捉われてしまっていた……  
 
「ん…………そろそろかしら」  
 
 草地に寝転んで三十分ほどで全身が程よくかわくと、少女と同様かわいた衣服に着替えはじめた。  
 胸と股間をおおう純白の下衣。  
 やや胸元が開いた長袖の羽織と、深い切れ込みが入った脚衣は、共に自然を感じさせる深緑色だ。   
 腰のあたりには茶色の腰帯を巻き、同色の短靴を履いて着替えおわる。  
 
「ふ……わぁぁぁ………………」  
 
 大きく伸びをして草地に座り込んだ少女のおもては、どこか陶然としているように見える。  
 ――と、少女は何か思い立ったかのごとく、ふいに傍らの麻袋に手をのばした。  
 紐をといて中身を探り、取り出したのは厚めの本。  
 表紙からして色濃い内容だとうかがえるが、実際に中身は過激な春画を数多く載せた、いわゆる猥本である。  
 この書物が少女に与えた衝撃は深かった。  
 立ち寄った宿の一室でこの本を見たとき、興奮のあまり悲鳴を上げそうになったほどだ。  
 数分後には、生涯初の自慰行為に及んでいた。  
 うまくいかなかったものの、初めてあじわう快さにすっかり心奪われていた。  
 
「…………………………はぁ」  
 
 寝転んで左手で項をめくる少女の顔には紅葉が散っている。  
 右手は……すでに股間に伸びていた。  
 特に彼女が気に入っているのは、自身とあまり変わらぬ齢の少女が自涜に及んでいる春画である。  
 隣には解説文がついていて、その通りに指を動かしたりして……  
 
「……………………んん…………」  
 
 などと声を出してみるのがなんとも愉しい。  
 自覚は全くないが、少女の指使いは非常に巧みであった。  
 さらに濡れやすい体質も合わさって、絶頂まで導くのは比較的容易であるといえた。  
 ――それが仇になるとは露とも知らずに。  
 
「ん…………んぁっ………………は……」  
 
 脚衣の切れ込みの中に手を忍ばせ、白い下衣の上から敏感な部分を擦りあげる。  
 手首に捻りを効かせて中指を送り動かすさまは、すでに熟練味をにおわせている。  
 端から見たら、とてもじゃないが自慰を覚えてから三日とは信じられないだろう。  
 
「あ……あふ、んっ…………くふっ………………うぅん!」  
 
 だんだんと呼吸が荒くなり手つきも激しくなってきたところで、少女はせっかく履いた下衣を脱いでしまった。  
 白布からやや糸を引きながら、少女の幼い果実が外気に晒される。  
 その実りきらない果物を、自らの指先でつつく。  
 
「ンはぁっ……!」  
 
 なまめかしくあえぐ表情は、愉悦に染まっていた。  
 もう蜜が流れ出している花を、少女は右手の指をふんだんに使って弄くり回す。  
 ぬるぬると中を行き来し、時に花芯を擦り、無我夢中になって快感を求める。  
 
「ん……は……んあ! ……っ……あふっ、くぅ…………あぁん!」  
 
 自分で快楽を得ようとする時は、指先に神経を集中しなければならないので声を上げる余裕はあまりない。  
 それでも彼女は、どちらかといえばかなり声を出すほうである。  
 ――どちらにせよ、自慰に耽っている彼女が‘それら’の接近に勘付くことはなかっただろうが。  
 
「ンっ! ぅうんっ! …………アはぁ、気持ち良いよぉ……」  
 
 くちゅくちゅと水音が聞こえるようになってきて、少女の気分もかなり昂ぶってきていた。  
 その時だった。  
 幸いにも異変を察したのは。  
 恍惚としながらも、少女はハッと双眸を見開いて起き上がり、周囲を見渡した――  
 
「――っ!!!」  
 
 気付けば少女は下衣を履きなおし、猥本を麻袋に押し込んで傍らにある長剣を手にとっていた。  
 茂み、岩陰、木々の間、そこらじゅうから無数の魔物の視線を感じ、それが間もなく殺意を帯びた瞬間……。  
 それらは不気味な鳴き声を轟かせ、雪崩のように少女へ襲来した!  
 
「くっ!!」  
 
 立ち上がって周囲を見回したものの、逃げ場は無い。  
 後ろ半分は湖、前半分は平らな草原とあっては、選択肢は限られてくる。  
 小さな魔物の軍勢の正体、それは触手カエルであった。  
 人間の雄の頭部ほどの身体をもつかれらは、人間の雌の愛液を好物としている。  
 危害こそ加えてこないものの、抵抗しなければ恥部に舌を伸ばし、それこそ干上がるまでイかせ続けて愛液をむさぼる。  
 それが眼前に数十匹…………  
 
「…………」  
 
 ザンッ! と、無表情の少女が一番乗りを決めようとした触手カエルを一匹断ち切った。  
 触手カエルの軍勢は、仲間が殺されようが怯むことなどない。  
 少女は覚悟を決めた。  
 
「――やぁぁああああああっ!!」  
 
 長剣をかかげ、自ら触手カエルの大群の只中に突っ込んだ!  
 卑猥な眼つきの魔物たちは、気味の悪い鳴き声を一層強めて口元から赤い触手を伸ばした!  
 ――のわりに、実際少女に向かう触手は十程度だった。  
 これが少女の狙いだった。  
 本能のままに果実をいただこうとするから――仲間同士で触手をぶつけ合い、絡まり合い、目的のものにたどり着けないのだ。  
 少女は冷静に、向かい来る触手だけに剣を揮った。  
 とはいえ、それでもやはり数は多い。  
 多少取り逃して股間への到着を許してしまうこともあるが、致命傷(?)に遭う前になんとか断ち切っていた。  
 
「…………ふぅっ!!」  
 
 秘処の疼きを感じながらも、少女は懸命に触手カエルどもを斬り捨ててゆく。  
 触手を断ち切るのは一時的に危険を回避するだけで、本体を殺さなければ埒があかない。  
 だがそこで、少女は絶望的な思いに捉われてしまった。  
 斬っても斬っても、小さな魔物どもは減る気配がないどころか、どんどん増殖しているようにすら思える。  
 疲弊と、焦燥と、劣情とが、一気に少女にのしかかってきた。  
 
「くぁあああっっ!!!」  
 
 それでも、奇態な雄たけびを上げて走り、長剣を振り回す。  
 諦めることはしない。  
 視界が触手で埋まろうが剣を薙ぎ、秘処に何かを感じても耐え忍び、必死で退路を拓こうと試みる。  
 目指すは、レークの森の脱出だ。  
 外は彼ら(触手カエル)にとって環境の悪い荒野になっている。  
 そこまで行けば追ってはこれないはず……  
 
「せっ、やっ!! はぁっ!! ふっ……え!?」  
 
 少女は疑念を発しながらひざを曲げた。  
 次いで、上体がガクッと崩れ落ちた。  
 剣の動きも停止し、草場にへたり込む。  
 それは一瞬だった。  
 少女自身はすぐに立ち上がろうとしたのだが――そこに魔物どもの触手が殺到した。  
 
「――――っ!!!」  
 
 少女の整った面差しが嫌悪にひずみ、緑の双眸がくわっとひん剥かれる。  
 非常に都合の悪いことに、魔物達は須らく頭が弱いわけではなかったらしい。  
 片膝つきながら振りあげた両腕は拘束され、もはや下半身は触手まみれで分からないが両足首もしっかり巻きつけられている。  
 どういうことかと思った。  
 触手カエルの如き下位中の下位の魔物に、そんな頭脳が利せる筈がないじゃない――  
 
「…………でぇぇえやっ!!」  
 
 気炎を吐いて拘束されたままの両腕を振り下ろし、両足を縛っている触手を断ち切った!  
 触手の束縛があっさり解けると自分の陰部を襲っている触手を滅多切りにした!  
 再び触手カエルの軍勢に向けて駆けだし、本体を撃破しながらの特攻を続ける。  
 疾走するあいだも後ろから服をぬがされ、尻穴に触手が侵入している。  
 前も同様、下衣をずらされて膣内への侵入を許してしまっている。  
 ――関係ない。このまま無抵抗でやられてなるものか!  
 そんな鉄火ともいえる思いが、今の彼女を支えていた。  
 
「はっ! ……くっ! あンっ……せえっ! ――えぅっ? ひゃあぁん!!!」  
 
 ふいに覚えた凄まじい恍惚感に、少女は先刻と同様ひざを曲げ――そうになってどうにか堪えた。  
 絶頂に導かれてしまった。  
 足を激しく動かしていたというのに、触手ときたら起用に秘処を探って攻めたててくるのだ。  
 強烈な快感におもわず視界を曇らせ、剣を握る手も緩んでしまう。  
 気力をふりしぼってなんとか立っていたものの、新たな快感がわきあがって来ると、少女は舌を出して嬌声を洩らしてしまう……  
 
「あはぁ! あぅ、は、んっ…………いやぁンっ……!」  
 
 ――何やってんのよ、あんたは?!  
 心の中でそんな声が反響するが、意志とは裏腹に少女は抵抗に移れない。  
 いつの間にかまた四肢を縛られていたからだ。  
 
「きゃぁああああああっ!!」  
 
 喘ぎなのか絶叫なのか判別しにくい声をあげ、愉悦にそまった表情のまま長剣を振り下ろした。  
 だが、彼女の抗戦も最早ここまでのようだった。  
 剣をもった両腕を下方に突き出し、上半身をわずかに屈めた状態のまま少女は動かなくなってしまったのだ。  
 殺意を失くした少女は、触手カエルにとって格好の獲物と化した。  
 稚けない、しかし食べごろの果実に大量の触手が向かってきて、愛撫を加えるごとに出てくる果汁を我こそはと奪い合う。  
 何しろ三週間ぶりの餌なのだ。かれらが躍起になるのも当然だった。  
 
「あはぁ……♪ あっ、あっ、あんっ……すごぃ……やぁあん♪ …………気持ちいいよぉっ」  
 
 心の奥底ではまだ、微抗しなきゃという意思が微かに残っていた。  
 だが、例によって(?)触手に塗布された催淫液が、その意思を曲げさせるのだ。  
 剣を杖代わりに突き立て、前屈みになってひたすら悦楽に身を任せる……  
 少女は、踏み入れてはいけない領域を侵してしまったのを自覚したうえで、痴態を演じた。  
 ――なんと自ら身体をくずおれさせ、剣を手放して脚を開いたのだ。  
 心地よさを感じやすくするためだった。  
 
「あんっ!! はん!! ひやあん!! いいっ、きもちいよぉ!! もっと欲しいよぉっ!!!」  
 
 ちゅくちゅく、ちゅくちゅく、と響くまとまりがない淫音は留まる所を知らず、少女の悦びの嬌声も大きくなってゆく。  
 ほど良く膨らんだ双丘を自ら揉みしだき、途切れることのない過激な愉楽を飽いることなく求め……  
 
「――あっ、イくっ!! イっちゃう!! あっ、あぁんっ!! はぁぁああああんッ!!!」  
 
 口元に指をあてがって視界を闇に染め、心身を至高の快楽にゆだねてひたすら甘い、可愛いあえぎ声を洩らし続ける。  
 解放された秘境から噴き出す潮は、またたく間に触手が吸い取ってしまう。  
 もう何度昇りつめたのか、自分でも覚えていない。  
 それは麻薬と一緒だった。  
 際限の無い快楽に浸ることができるなら、自分が今まで築き上げてきたものすら投げ出してしまう。  
 拷問にかけられて吐かない人間がごく一握りなように、多くの欲望を容易く叶えられると聞いて拒める人間も稀有な存在なのだ。  
 年頃の少女が何度となく絶頂に案内されれば、それを全力で拒否しろと言うのは酷だとしかいえなかった。  
 ――少女が完全に堕落する寸前。見計らったように‘それ’は介入した。  
 
 
 
 最初は明瞭な変化ではなかった。  
 だが‘それ’は、次第に少女にも察せるくらいに変容を帯びていた。  
 ――触手の数が減っている。  
 やがて‘それ’は、気持ち良さそうな少女の瞳にもはっきりと映し出された。  
 ――文字通り、矢が雨の様に降り注いでいる。  
 どこからともなく放たれた矢が、触手カエルを射抜いて絶命させている。  
 しかも可笑しなことに、この魔物どもは殺されゆく同胞に見向きもせず、射手を探そうともしない。  
 少女が迷い、触手カエルが未だ攻め続ける間にも、どんどん魔物の数は減ってゆく。  
 触手攻めが緩んだがゆえに催淫効果が弱まった所為で、ふと気付いた。  
 ――四肢が動かせるじゃない。  
 思い立ったときには、彼女の本能の働きがすぐに傍らにある長剣を右手に握らせた。  
 逆手に持った剣をなぎ払うと、超至近距離で陰部を舐めていた十匹ほどの触手カエルの銅が斬り離される。  
 と同時に器用にも片手で正手に持ちかえ、まとわりつく触手を全て断ち切った。  
 少女は一瞬立ち尽くしそうになったが、迷いを振り切って魔物どもに剣を揮い始めた。  
 もう、殆ど片がついていた。  
 目に入る触手カエルの数は、残り二十程度だ。  
 そう視認した瞬間、矢の雨は止んだ。  
 少女は心内で射手に礼を述べ、未だに触手をのばしてくる愚かな魔物どもの掃討に向かった。  
 
 
 
 
 
 - Epilogue -  
 
 
 
 
 全ての触手カエルを殲滅し終えた後、射手は少女の眼の前に現れた。  
 周囲はすでに林中。  
 麻袋を置きっぱなしの湖からは大分離れてしまったが、今は後回しだ。  
 彼は、全身黒ずくめの狩人といった出で立ちをしていた。  
 いや、それよりもなによりも……少女は、真っ先にその美貌に目を奪われていた。  
 年の頃は二十前後で、妖しくも美しい面立ちはこの上なく整っていて、全く無駄がない。  
 彼に潜む闇を思わせる漆黒の髪……憂いと闘志を共存させた紅き双眸……  
 礼を言うのも忘れて青年の顔貌に魅入られていると、  
 
「……大丈夫か?」  
 
 きわめてさり気なく気遣いの言葉がかけられた。  
 少女はどぎまぎしそうになったが抑えて、深々と頭を下げる。  
 
「大丈夫です」  
 
 台詞を綴った後に気づいた。  
 衣服が――――  
 
「っきゃああ!!」  
「何をいまさら……」  
 
 射手の呟きは幸いにも、背を向けてあせる少女の耳に入らなかった。  
 
「…………僕は後ろを向くから……早く直せ」  
 
 返答する余裕もなく、少女は青年の言うとおりに衣服の乱れを正した。  
 まる出しの胸と、脱いで太ももに降ろされてた下衣を見られた……最悪。  
 恥ずかしさでうつむく少女だが、そういえば先刻のものすごい痴態まで見られてたのかと思うと、それどころじゃなくなった。  
 顔から火を噴きそうになった。  
 
「…………あの……」  
「…………なんだ?」  
「…………見てました?」  
「…………何をだ?」  
「…………えと………………――」  
「矢を射る間は見ていた」  
 
 少女は顔を真っ赤にしてしどろもどろになった。  
 
「……見ずに射れというのかお前は。……それとも通り過ぎた方が良かったのか」  
「そんなこと……言葉に出来ないくらい感謝しています」  
「感謝……か…………」  
 
 独語する射手の顔に、判るか判らないかくらいの曇りがよぎったように見えた少女だった。  
 
「気にするな。……僕は助けたかったから助けただけで、別にお前のためにやったわけじゃない」  
「でも、助けてもらったのは事実ですから。何か恩返ししないと気が済みません」  
「いらんと言っている」  
「ぜひ、一緒に行かせてください!」  
「だから……なにっ?!」  
 
 頓狂な声が上がった。  
 口をあんぐりと開けて少女を凝視するさまは、この妖麗な青年にはあまり似合わない。  
 少女はちょっとした変顔を一瞥して、様々な意味合いでがっかりしてしまった。  
 
「……そこまで驚くことないじゃないですか」  
 
 少女が言うと、かれはいきなり表情を正し、真に迫るような雰囲気で口を開きはじめた。  
 
「……お前の旅の目的はなんだ?」  
「修行です」「本当か?」  
 
 少女は即答したが、その即答以上に速く青年は再び訊いてきた。  
 何となく癪に障ったので、真面目くさった様相をつくろってこう言ってやった。  
 
「じゃあ、修行です」  
「………………じゃあ??」  
「いやその、どうすれば信じてもらえるかなぁ、と」  
「あのな…………」  
 
 痩身の青年はうつむいて額を押さえた。  
 
「ふざけるのはやめろ」  
「だって、何を言っても信じてもらえなさそうなんですもの」  
「当然だ」  
 
 あきれた表情から一転、けろりとして悪びれることなく言った青年である。  
 
「……それとも、お前は信じるか? 今の僕が復讐に駆られ、復讐に生かされている奴隷だと言って……お前は信じるのか?」  
「信じますよ」  
 
 少女は両頬にかかる栗色の髪を揺らしながら、真剣にうなずいてみせた。  
 わずかに目を見張った青年を尻目に、少女は更にしゃべり続けた。  
 
「あたしも復讐の念に追い立てられている時期がありましたから。父の無念に報いたのはだいぶ前ですが、後悔はありません」  
「……………………」  
「でも、もしも父が存命であったとしても、あたしはあなたの仰る事を信じたと思いますけどね」  
「……………………」  
「まだ信じられませんか?」  
 
 かれはふうとため息をついた。  
 
「全く信じないとは言わん。……だが娘よ、そう容易く人を信じていてはいつか痛い目に遭うぞ」  
「あたしは自分の判断で信じる人を決めているんですよ。あたしから見たあなたは、どうみても悪い人には見えませんけど?」  
 
 可愛い少女の言葉に、青年は目を閉じてくすっと笑った。  
 すこし呆気にとられた少女だったが、次の瞬間には彼女もつられて微笑んでいた。  
 
「そうだな。僕も自らの酌量で判断したところ、お前は悪人ではないと見た。……ということにしておこう」  
 
 少女はあからさまに不満げな顔を向けたが、黒髪の青年はまたも嗤って言った。  
 
「お前も共に来れば分かるさ…………名は?」  
 
 何げなく同伴を承諾された少女は、目を輝かせて青年に迫った。  
 
「いいんですか?!」  
「ああ……但し、使えないと判断したら置いていくぞ。それに、僕がいつ何をしても驚かない自信はあるか?  
 ――無いならやめておけ。何かの間違いでお前の腹を大きくしてしまっても、僕に責任は取れん」  
 
 少女はあどけないおもてを紅潮させたが、さして堪えてはいないようだった。  
 
「あなたはそんな人じゃないでしょう?」  
「おまえは解ってないな……まあいい。僕の名はロシーニだ」  
「……あたしはリディアっていいます」  
「リディア…………」  
 
 双方とも、何やら思案げに首を傾げていた。  
 どうやらお互いに聞き覚えのある名前らしい。  
 しかし、青年は思惟を中断して少女に話しかけた。  
 
「……互いの情報は道すがらの閑談に取っておこう。時間が勿体ない」  
「そうですね…………その……」  
「……なんだ?」  
「これからもよろしくお願い致します」  
 
 少女の畏まった態度を鋭利な眼差しで見つめていた青年だったが、やがて淡々と話しはじめた。  
 
「その堅苦しい喋りはやめろ。仲間なんだから、そんな恭しく接する必要はないだろう」  
「でも…………」  
「出来ないなら置いてくぞ」  
 
 断言した青年に、少女は大仰なため息をついた。  
 
「……わかったわ。これでいいんでしょ?」  
 
 あまりに切り替えが速いので、青年は吹き出してしまった。  
 
「あんたが言った癖に、何笑ってんのよ」  
「……お前、案外肝が据わっているな」  
「まあね。それにあたしだって、礼節とか作法とかあんまり得意じゃないのよ。こっちの方が性にあってるわ」  
「そうか……いや、似合っているぞ」  
 
 青年はまだ笑みがおさまらないようだ。  
 微かに立腹していた少女だったが、同時に彼の美しさに目を惹かれてしまう自分に悔しくもなった。  
 
「……時間が勿体ないわ。早く行きましょ」  
「そうだな…………」  
 
 自分を置いてずかずか先に行ってしまう少女の後ろ姿を、青年は憂いを帯びた微笑を湛えながらながめた。  
 その完膚なき面差しには、複雑で哀しい感情が見え隠れしているかのようだった。  
 
 
 
 END  
 

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