・少女剣士の手難 ep6 後編
ある夜の森の中。
赤々と燃える焚き火を囲み、なにやら不穏な談合を行おうとしている男たちがいた。
各人とも見目映えており、有能そうな若者たちである。
魔術士の男の名はラバン。
足首付近まである派手な赤外套を対比になる青の布帯でしめ、脚衣と胴衣をこれまた鮮やかな紫にきこなした男は、自然魔法を生業としている割にしなやかで強靭な体躯を有していた。
翡翠(ジェード)を思わせる緑色のながい鉄靴と黒の皮手袋で手足をおおっているため、露出している部分は顔のみである。
それゆえ、彼と床をともにする女以外は、全身の至るところに刻まれている自然魔術の紋様を瞥見する機会はない。
短くとげとげしい銀髪と険のふかい紫の双眼を飾った顔だちはくっきりと精悍に見えるが、頬がややこけているためか、二十二という実年齢より七、八は上に感じられる。
耳に何げなく紅玉随の耳輪(カーネリアン・ピアス)を付けているのは、常に昂揚した気分を保ちたいかららしい。
彼は他の二人を軽く一瞥すると、用意していた口上を淡々と述べ始めた。
「いいか?
館には地下牢があって、そこにリディアが幽閉されてる。
通常なら館正面から入ってしか地下牢へ行けないはずだが……‘調べた’結果地下牢に直接通じる道があることがわかった。
恐らく地下牢にたどり着くこと自体は容易だろうが、監獄はけっこう広いらしい。
リディアはどこにいるか分からないし、看守もいれば、あのジジイもいるかもしれない。
リディアを連れ出す方法としては、看守の一人を捕らえて、騒がないように‘ちょっと’痛い目に遭ってもらうしかないな」
一息に言い終えた魔術士である。
「…………意外だな、ラバン。おまえの話術を持ってしても確たるものが得られないとは」
これに嘆息しながら応えたのは美貌の青年だった。
弓使いの彼の名はロシーニ。
かれは、都会を歩む女性すべてが振り返ってしまうのではと勘ぐりたくなるくらい、人間離れした妖麗さの顔貌をもっていた。
首の付け根あたりまで流れる黒髪は質良く梳かれており、紅玉(ルビー)のようにきらめく赤の双瞳は鋭利な刃のようにするどい。
そして、精巧にほられた彫像以上に整っているような面立ちだが、体つきの方は若干頼りない印象をうける。
ほぼ全身を漆黒の狩猟着が包んでいるからか、細い肢体が必要以上に華奢に見えるのかもしれない。
首には、小さめの青玉の首飾り(サファイア・ネックレス)をかけており、ラバンとは反対に落ち着きたいから身に付けているらしい。
しょっている弓が非常に独創的な雰囲気を漂わせているが……?
「口封じには相当気を配ってるみたいだからな、あの糞ジジイ。というか情報量としては十分だろ。これでも」
「私もそう思います」
魔術士に賛意をしめしたのは、女と見紛うほどに美しい顔だちの僧侶である。
少女……いや、僧侶の少年の名はキフレセル。
こちらも弓使いの青年に劣らぬ容姿をもち、タイプは違えど女人を悩ませることだけは間違いないだろう。
純金を溶かし込んだかのような黄金の髪が腰でゆれ、澄みわたった碧空を思わせる瞳は純粋な光を湛えている。
そして、彼の容姿は誰がどう見ても――それこそ百人中百人が言うだろう――女のものなのだが、創造神の気紛れか、付いているモノはしっかり付いている。
とはいえ、いま着ている空色(白にちかい水色)の法衣を脱ぎ去れば、彼も立派に少年の身体を有していることが理解るはずだ。
なお彼は聖魔法と治癒魔法を同時に扱うため、その媒体である聖典と杖を肌身離さず持ち歩いている。
「もう準備は過ぎるくらいにしました。それに、これ以上リディアさんを待たせる訳にはいきません」
声色はあくまで静かだが、そこには有無を言わさぬ迫力があった。
おそらく三人の中ではこの少年が最も彼女のことを案じたのではないだろうか。
彼は、リディアに並々ならぬ想いを抱いていた。
その事実は当人と弓使いには知られていないが、魔術士には知られている。
少女剣士がさらわれてからもう十日も経つ。
その間かれらはリディアを救出するために様々な準備に奔走してきた。
多くの兵とともに、不意打ちをかけるように襲ってきた老人は、邪術の使い手だった。
幻を見せたり、人の精神に入り込んだり、時間や重力を操ったり……そういったものを操るのが邪術だ。
精神を大きく疲弊するため、闇に取り込まれない強い心の持ち主、或いは無神経きわまる人間くらいしかまともに行使できない。
ラバンも一応心得はあるのだが、彼の生業はあくまで自然魔法。邪術は片手間にしか学んでいない。
三人は、奇襲をかけてきた集団がゲベダという老人とその配下だと特定するのに五日もかかった。
それは彼らが襲われた場所がゲベダの館から2レビス(徒歩で二日の距離)も離れていたのと、そもそもゲベダの館からして最寄の町メルキオルから5レビスも離れていたからだ。
ゆえに、彼らはできうる限り走って行動に移った。
メルキオルの町に着くと手分けして情報を収集し、特に体力と話術に優れたラバンがすさまじい早さで重要な事柄を割っていった。
ゲベダの人物像や過去の行い、館の内部構造にいたるまで可能な範囲で頭に叩きこんだ。
一領主にすぎないはずのゲベダが、巷では「闇の変態爺」と呼ばれてる通りロクでもない奴だということ。
いつのころからか邪術に手を染め、それに伴って妖しい研究に没頭しはじめたらしいこと。
妻を亡くしてからというもの、ゲベダの館周辺では若い娘が‘消えて’そのまま帰ってこない事件が相次いでいること。
けれど、王国の調査が入っても奴の館からは何も出てこないこと……
そして今、かれらがいるのはゲベダの館からおよそ半ガナ(徒歩で三十分の距離)ほど離れた森の中だ。
各々が異なる疲労の色を顔に塗っていたが、特に酷いのは弓使いロシーニである。
半開きの眼はときどき塞がるし、完全に眠り落ちそうになるのを起こす瞬間、打たれたかのようにビクンと頭をはねあげる。
魔術士と僧侶は、それぞれ違う意味で否定的な視線を送っていた。
「おいロッシ。さっさと強壮薬をのめ」
「……………………」
妖艶ささえ感じる眠そうな顔をもたげた青年は、黙ったままふところに手を忍ばせ、もぞもぞと時間をかけて毒々しい色の錠剤を取り出した。
すこしの間その薬をまじまじと見つめ、覚悟を決めたようにいきおいよく口に放った。
一瞬その不味さに顔を歪めたが、かれは再び眠そうな顔に戻った。
一分もすれば効果は出るだろう。
だるそうな青年の様子を険しい表情で見据えながら、魔術士の男が口を開いた。
「ロッシ。…………この十日間、何回ヤった」
これを訊かれても未だ反応がにぶい青年である。
彼がさっきから腰に掌をやってさすっているのを、男は見逃していなかった。
「十日間なら、せめて四、五回に留めとけ。それでもやり過ぎだが……自分でやるなら毎日でもいいけどよ」
「……おい」
ロシーニは低い声でラバンの言葉を制した。
不機嫌そうな声色には、先刻とことなり疲労した感じが全くなくなっていた。
「何故、お前がそこまで関与してくる。……お前には関係ないだろう」
「あるから言ってんだよ」
こちらも少し棘を含んだ声色になった。
僧侶キフレセルはかれらを、感情を押し殺した無表情で見守っている。
「女にしても薬にしても金が掛かんだろうが。それだけじゃない。ヤれば疲れるし、それを薬で補おうとすれば……」
あえて一旦言葉をきって、冷酷な様相を作ってから口をひらいた。
「――ツケがあとから回ってくる。薬に頼りすぎて、薬無しじゃ動けなくなったらどうすんだお前は?」
「僕は復讐に生きる身だ」
美青年は淡々と言い返した。
「それを成し遂げた後は、サラを娶って緩やかに過ごす。二つを叶えるのに多くの時間を必要としない」
「……………………」
話を聞いている二人はかれに怒りをぶつけたくなったが、おくびにも出さなかった。
ロシーニの方も、自分の発言が非常に我儘であり、利己的なものであるということは理解っていた。
そして、本当にこのままで良いとは全く思っていなかった。
ねじ曲がった自尊心の持ち主である彼は、仲間から自分の欠点や怠慢さを言いつのられ、認めるのが大嫌いなのである。
僧侶は横目で、焚き火でほのかに照らし出された弓使いの顔色をうかがっている。
少年はこの青年を嫌悪していた。
復讐に生きるといいながら薄弱な意志力、色情に対しての節操のなさ、腕が良いからといって修練の手を抜く懈怠(けたい)さ……
それに何より、その彼をリディアが好いているらしいのが一番納得いかなかった。
許婚(かどうかは定かではない)がいるくせに平気で娼婦と寝るのだから、少年が苦々しく思うのも当然といえば当然だった。
確かに彼は抜群の弓技の持ち主だし、凄まじい美形だし、博学多才だし、クールだし…………
そう考えると、気のせいか自分が勝てる要素が無いんじゃないかと思えてきたキフレセルである。
自分は体力ないし、女の子とか弟みたいだとか言われるし、女性経験ないし、修道院で学んだこと以外は浅識だし…………
やっぱり鬱屈としてしまったキフレセルである。
「とにかくだ」
魔術士は大きく息をつきながら言った。
「今夜に作戦を決行する。二人とも、覚悟はいいな?」
双方とも真剣にうなずいた。
いかに仲間を嫌おうと、使命と私情を交えるような真似はしないのがキフレセルという少年だった。
短い銀髪の男は二人を交互に見てからうんうんとうなずき、立ちあがって強く言い放った。
「じゃあ行こうか。囚われのお姫様を助けによ!」
リディアが監禁されて十日目の夜。
少女は身体も心もこの上ないほど痛めつけられ、寝そべって薄開いた眼は虚ろだったが、希望は捨てていなかった。
いつか仲間が助けに来てくれる。
このまま朽ち果てるのがあたしの運命であるわけがない……
信じるというよりは、逃避にちかいものがあった。
彼女はけして「あの豚」の前では絶望の表情を見せなかった。
自分の嫌悪する種の人間には感情をおさえる癖があった少女は、かつての師ヴィクトールの前でも常時落ち着き払っていた。
だが、この状況においてそれは余計に少女を苦しめるものでしかない。
まったく抵抗できないうえ、まともな食べ物を与えられず、毎日のように犯され、気に喰わなければ理不尽に暴力を振るわれ……
普通ここまでされれば屈して大人しくなったり、または発狂してもおかしくない。
今までこの館に連れて来られた年頃の娘は、どんなに長くとも一週間以内にはなんらかの形で精神に大きな変貌を遂げさせられていた。
ある者は淫楽に堕ち、ある者は幼児退行を起こし、またある者は自害し……
これから人生を謳歌しようかという少女が、いきなり絶望のどん底に突き落とされるのだ。
正気を保っていられる方がおかしいのかもしれない。
だが、リディアの自尊心の強さは並のものではなく、また仲間が救いだしてくれるという一抹の望みもある。
その二つだけが、少女の精神の均衡を保たせていたのだ。
そんな少女に届けられた訃報は、心を揺さぶるには十分過ぎるほどの力があった。
「リディアちゃん」
老人に話しかけられ、少女は寝返りをうって丸顔を見た。
以前なら無視したり睨みつけたりしていたところだが、それはできなくなっていた。
この豚の気性がどうにも理解できないからである。
最初はそういった態度がむしろ嬉しいとばかりに嗤っていたくせに、最近は逆に急に怒り出したりする(それも気紛れにだ)。
気が違っているのではないか――少女に対する辱めからしてあれだが――と本気で思ったこともある。
だが、どんなに理不尽な行動に出られても、基本的に反抗的な態度を崩さなかった。
完全に屈従したら、それは自分の精神の終わりを告げるものだと思っていた。
だから、犯されている最中でも睨めつけるか無表情を装ったりするよう努めたし、出来なければ心の中で反逆の言葉を繰り返し唱えていた。
だが、それも今夜以降は出来なくなるかもしれない…………
「実は……悪い知らせを届けにきたんじゃよ」
老人は声色、顔色ともにいつになく暗い。
それが演技かどうなのかは、考えるだけ無駄というものだ。
少女は反応を起こす余裕がなく、黙したまま続きを促した。
「実はのう、リディアちゃんの仲間が入ってきたんじゃ。捕まえたんじゃが、あいにく野郎には興味がなくてのう……殺してもうた。すまんのう」
――少女の反応はなかった。
情報を受け入れるまで時間がかかったのもあるが……受け入れても彼女にはにわかに信じられなかったからだ。
どうせ自分を絶望させるために虚言を吐いたんだろう……淡々とそう思うのみだった。
老人はため息をついた。
「やれやれ、信じられんか…………――彼らの死体をこれへ」
「……………………――っ!!?」
反応はだいぶ遅かった。
それでも、今度こそ少女は動いた。
動かざるを得なかった。
ガラガラガラガラガラ………………
ガクガク震えながら起き上がり、ゆっくり、ゆっくり、鉄格子の方へ顔を向ける。
――一瞬、少女の脳に昏倒しそうなくらいの衝撃がおそった。
よろめきながらもそれを耐えると、緑眼に再び現実が映し出されそうになって……すぐに霞んでしまった。
込みあがってきた涙が、視界をさえぎったのだ。
少女は涙を拭くことができない。
だが、拭かなくともある程度は見えてしまう。
今度は顔を逸らそうかと思った。
しかし叶わなかった。
その気力すら失せてしまったからだ。
「なんともまあ、きれいなご面相の若衆じゃのう、うん? 面食いだったんかリディアちゃんは。じゃがあいにくわしはイケメンが…………」
言葉を途切らせると、かれは微笑みを湛えたまま――――事切れている‘誰か’の顔に拳を叩き込んだ。
それも、何度と無く。
リディアの不明瞭な視界にも映されていた――ロシーニの顔がだんだん見れたものではなくなってゆくのが。
「やめて…………」
なんとはなしに呟いていた。
「やめてぇぇっ!!!」
硬い寝床を飛び出し、鉄格子を両手に握って懇願する。
すると、少女の願いが届いたのか、老人は笑ったまま手を止めた。
老人の手も、横たわった青年の顔も、血だらけだった。
「ごめんねぇリディアちゃん。わし嫌いなんじゃよ、こういう美男子は……でも、もうきれいじゃなくなっちゃったのう」
少女の双眼には、思いっきり破顔した老人の姿は全く映されていない。
引き台に乗せられたボロボロの仲間たち……しなやかな体躯の男や、美しい面立ちの少年。
それに、漆黒の髪が乱れた美貌の青年……かれらを順に映しては首を振る。
きわめて醜悪な笑みが、肥えた老人の顔を埋めつくした。
「あー、ゼラッド。リディアちゃんの相手をしてあげなさい」
「あ゛ーーーーーーーーーー」
間抜けた声も、次いで響いた錠前の音も、リディアの耳には入らなかった。
全てを投げ出したくなった。
もう救いの手が差し伸べられることはない。
なのに、このまま恥辱に生きるだけになんの意味があるのだろう…………
考えている間に、ゼラッドの触手が行為へとうながしていった。
少女はあお向けに寝かせられ、両脚を無造作に開かされた。
全くの無抵抗で未だに涙を溢れさせ、犯されることすらどうでもいいような様相。
瞳の焦点は、黒い天井のただ一点だけを捉えていた。
触手が秘部に入ってくると、違和感をおぼえた。
――声が出ない。
呼吸は可能だが、何か発音しようとしても、何かがつっかえて出てこない。
これは感情の問題ではなく、細工された触手の所為なのだが、今の彼女には分からなかった。
それに、異常なまでに気持ち良い。
無理矢理というわけでもなく、身体をかけめぐる確かな性的快楽は、リディアを自然と仰け反らせ、腰を振らせた。
泣きながらも愉悦の表情で舌を出し、声を出せないながらも口を開けて快感を求めようとした。
普段ならそのようにはならなかっただろうが、完全に心を折られた少女には淫楽に抗する力が残されていなかった。
――――だが。
老人の姿が、リディアの眼に飛び込んできた。
哀れむような蔑むような、邪悪に満たされた醜い冷笑で、彼は少女を眺めまわしていた。
そんな彼の顔色が愉快さを掻き消し、一瞬ぽかんとした。
少女は老人に凄絶なものを見せていた。
快感に抗い、声に出さずとも解るような殺気を噴き出し、全てに刃向かうような鬼気迫った表情が、太った老人の顔をつらぬいた。
彼はクスッと嘲笑した。
心のそこから卑下するような、それでいて満足げな笑みを湛えていた。
そしてふところから何やら棒状のものを取り出し、触手人間に向けた。
「ぽちっとな」
「ひぁんっ!! やっ、あっ、あん、やあぁぁん!!」
いとも容易く嬌声が出てきた。
くちゅ、くちゅ、くちゅ……緩やかに出入りを繰り返している触手の音が聞こえてくる。
攻めは抑え気味なくらいなのに異様に心地良いのを、リディアはごまかす事ができなかった。
「あっはぁっ!! あっあっんっふぅ、んあっ、やぁ、ひゃぁぁあん!! あぅっ、はっ、イ……く…………――」
声が出てからものの数秒で絶頂をむかえた。
触手が出入りするたびに透きとおった水が噴き、触手が突くたびに肢体がぶるっとわなないた。
あどけなくつややかな喘ぎ声が、少女の意志をはなれて次々と洩れ出てくる。
屈辱と絶望、そして快楽が総身に沁みわたり、リディアは両手で顔をおさえて涙を流した。
勝手に感じてしまう身と、勝手に出てくる淫らな鳴き声をにくみ、心の中で呪詛を吐いた。
胸中とは異なり、少女の腰は享楽を求めてうごめき続けていた…………
事後。
少女は白濁の液と自らの愛液にまみれ、奇異な姿勢のうつ伏せになって、虚ろな眼差しを格子の向こうへ送っていた。
老人はゼラッドを下がらせてから、残酷な宣言をした。
「今度からは言う事聞かなかったら、そのつどぶつからね」
少女の反応は無かった。
老人は笑顔のまま錠前を開け、独房の中に入ってきた。
「ぶつって言ってるじゃないか」
かれは満面の笑みを浮かべながらリディアの腹を蹴り上げた。
「う゛あっ…………」
ドフッ、と鈍い音に呻き声がひびく。
老人は嗤ったままだった。
「わかったかな? これからはちゃんと言う事を聞くんだよ」
少女は声もなく大粒の涙を流していた。
老人の言葉に応える気力などありはしなかった。
肥えた老人の顔に、更に醜悪な冷笑が湛えられた。
「おい、言う事を聞くんだよ雌豚」
「ぐあぅっ…………」
悲痛な呻きとともに血を吐き、少女は大きく仰け反った。
太った老人は容赦なく全力で蹴り上げているらしかった。
「おい、聞こえてんのか寝ブタ」
「が、はぁ…………」
意識が飛びそうな激痛。
過酷な修行で痛みやそれに伴う恐怖に慣れている少女だが、どちらかというと受けている屈辱による痛みの方が大きいのかもしれない。
「おい、なんとか言え淫売」
「お゛っっ…………」
泣きながら全身をのたくる少女の姿が、彼にとっては面白おかしくて仕方なかった。
反応が薄いのもあいまってか、痛めつけがいがあるとも感じていた。
そして気付いていた。
彼女は痛みにはそうそう屈しない者であるということは。
かれは依然として薄笑いながら、懐から棒状のなにかを取り出した。
黙ったままそれを振るうと、どす黒い触手があお向けになった少女へとはしった。
当然のように、その太い――男根のような触手は、ぐしょ濡れの秘部に到達した。
「っ…………!!」
リディアが僅かに顔色を変えたのを見逃さず、老人は大げさに失笑した。
かれは心のそこから愉しそうに、「ぽちっとな」とボタンを押した。
「――ひうっ!! う……あっ! くあっ! あん!! あン!! やっ、はっ、ひやぁあぁん!!!」
ずぷっ、ずぷっ、と出入りを繰り返す黒い陰茎と、もはや制御不可能な少女の喘ぎ声。
腰を振って悦楽を求めはじめた少女の面を見て、老人は侮蔑と嘲笑が混じった顔をむけた。
「いくら否定しても説得力がないのぅ……剣士だったかなんだか知らぬが、嫌と言いながら自らよがる娘御だったとは。失望したわい」
――いますぐ舌を噛み切って死にたい。
救かる希望もなく、誇りも名誉も踏み躙られるだけなのに、なぜ生きているのか……
その答えは単純なものだった。
(もっと気持ちよくなりたい)
心のどこかではそれを否定していたのかもしれない。
あるいは、未だどこかで、自分は高名な剣士の娘であり、剣の使い手なのだという意識があったのかもしれない。
またあるいは、どこぞの誰かが――ヴィクトールの顔がよぎったがすぐにかき消した――自分を助けてくれるというあらぬ妄想をいだいたのかもしれない。
だが普通に考えれば、このままここで過ごせば不衛生な環境と食事と生活によってだんだんと衰弱していき、死ぬまでにそう時間はかからない。
辱めを受ける期間が長いか短いかの違いしかない。
それなら…………いっそ享楽に身を委ねたほうがいいのではないか……?
少なくとも、性的快楽に浸っている間は全てを忘れられる。
至高の心地よさと恍惚感を味わうことができる。
激しい修練で剣を磨くよりも、魔物と対峙し続ける修行の旅をするよりも……毎日必ず快い感覚と気分を身に浸すことができる方が、何倍も楽なのではないか……?
そう思うと、自分が剣に打ち込んできたことが馬鹿らしく思えてきた。
必死にあがき苦しみ、父の仇討ちを達したことさえも否定したくなった……
なのに。
少女は消せなかった。
いくら淫辱をうけようと、嬲られようと、もう自分本来の生を全う出来なくなっても。
心の底から老人に屈服することも、誇り高い剣士であった自分を忘れることも出来なかった。
醜男は満足げだった。
半ば意識がない少女は舌をだらしなく突き出し、目玉は上半分がまぶたに隠れていた。
彼女は快感を覚えながら、力の無い嬌声を搾るように放ち続けていた。
「うっ――――!!」
獄舎の抜け道付近の見張りを担当していた看守は、気持ちよくまどろんでいたところに水をさされた。
ふいに口を塞がれたうえ、眼前にひらめいた短刀を見て震え上がる。
おかげで眼が覚めたがちっとも嬉しくないどころか、突如命の危機にさらされて恐慌しそうだった。
「騒いだら殺す。指示通り動かなければ殺す。逃げようとしたら殺す。わかったか?」
必死に首を縦に振る。
彼は殺意のこもった低い声に完全に気圧されていた。
「よし……おまえ、リディアという娘のことは知っているか」
彼は正直に、首を横に振った。
チッという舌打ちに次いで、再び質問が飛んでくる。
「……では、この獄舎に若い娘が監禁されているだろう」
一瞬の間のあと、彼はゆっくり傾首した。
その間、ようやく賊が一人ではないことに気付いた。
意味を成すかどうかは定かではなかったが。
「そこに案内しろ。そうすれば危害は加えない」
泣きそうになるのを堪え、とりあえずはこの賊どもの言う事に従うことにした。
小娘を逃す手引きをしたことがあのジジイにばれたら、おれは殺される…………
なんとかならぬものか、大人しくしながらも必死に思考をめぐらせた看守であった。
獄舎はそこまで広くはないようだった。
ところどころに燭台がかけられ、横幅は四人分の通路がのびて、いくつもの空独房が連なっていた。
二分ほどゆるやかに歩んだら、通路が左右に別れていた。
「それぞれ、先がどうなっているか教えろ」
「…………左が館へ通ずる道で、右が独房への道です。一番奥に娘がいるはず――」
「嘘だな」
「っ!?」
断言された看守は声にならない悲鳴を上げた。
確かに虚言だ。
だが、どのようにして分かり得たのか? 声色で?
馬鹿な。ありえない…………
「今からでも訂正すれば無かったことにしてやる。真をいえ」
看守の濁った双眸に映された銀色の刃がきらりと光った。
屈辱に耐え歯を食いしばったが、やはり命は惜しい。
仕方なくもすぐ事実を述べることにした。
「…………逆です。左が独房、右が館でした……」
「白々しいやつだ」
一行は左へと進路をとった。
いくつもの独房があるにしては、収容されている者は一人としていなかった。
‘彼’はそれを知っていた。
ここははるか昔、この王国で極刑か終身刑を課せられるほどの大罪を犯した罪人を収容していたところだ。
国が平定してからは使われなくなり、この館の主――ゲベダが眼をつけてこの上に館を建てた。
ゲベダの手に落ちた数多の娘の魂が、絶望のさなかで朽ち果てたことで成仏できず怨望の共鳴を響かせている。
それは‘彼’だけに聞こえていた。
仲間の少女がさらわれていなくとも、‘彼’のゲベダに対する憎しみは骨髄に達していたに違いない。
動悸の激しさを、‘彼’は必死に抑えようとしていた。
少女がいったいどのような眼に遭ったか。今どのような精神状態なのか。
考えるたびに胸がちくちくと痛んだ。
やがて、視界の最奥に壁が見えてきた。
看守は最後の独房に少女がいるといった。
「おい、鍵はどこにある」
「………………右胸です……」
もったいぶって言った看守のふところから鍵を抜き取ったのは、ひときわ大きな人影だった
そして、三人はとうとう少女がいるであろう独房にたどり着いたのである。
中は薄闇に覆われていて不明瞭だった。
ここ周辺だけ燭台の光が行き届かないからだ。
「……………………」
鍵を持った背高の男が扉へ進み出て……カシャン、と錠前の開く音がなった。
鉄格子の扉が、ギィィィィと耳障りな音を響かせて道をあける。
三人はお互い見つめ合ってうなずき、看守を拘束している男以外のふたりが独房内へと足を踏み入れていった。
そこには異臭がたちこめていた。
乱交現場――いや、そんな一言では喩えられないような異常な悪臭が、部屋の奥の方から放たれている。
まもなく、二人のうち小さい人影の右手から聖魔法に拠るあわい光が発された。
「………………――」
ふたりはともに似たような顔色になった。
感情の噴出を必死に堪えるような険しすぎるほどの無表情を、その少女に向けた。
その臭さはうつ伏せに眠っていたリディアのものだとわかった。
彼女の裸身には小虫がたかっている。
何日も水を浴びなかったことによる体臭と、おそらくろくな食物を与えられなかったことによる口臭。
そして…………度重なる辱めを受けたことによる淫臭。
臭いだけではない。
栗色の髪はめちゃくちゃに乱れているし、身体のあちこちには打撲の跡、特に腹部などは異様に赤く腫れ上がっている。
「……………………こんな…………」
小さい方の人影――キフレセルは、うなるような喘鳴を洩らした。
一体彼女が何をしたというのだろう? 何を思い、ゲベダとかいう男は彼女を陵辱したのだろう?
うつむき、ぶるぶるとふるえ、小さな左拳を握りしめる僧侶。
こんな仕打ちを受けた少女の屈辱を晴らさなければ、憤りは収まりそうになかった。
だが、大きい方の人影――ラバンは冷たい無表情のまま、ボロボロになったリディアに近付き、虫が飛んでいるやせ細った身体を無言で担ぎ上げた。
僧侶は魔術士の落ち着きはらった動きを見て、幾分か怒りをぶつけたくなった。
「その想い、忘れんなよ」
キフレセルははっとして、大きな男を見上げた。
気のせいだとは思うが、刹那、野生的な顔に凄絶な憤怒がよぎったように見えた。
生きていただけでも――ラバンは、一瞬でもそんな考えをよぎらせた自分にも業腹を立てた。
世の中には死ぬより辛いこともあるのだ。
「今の俺らだけじゃ奴に手を下せない。……キフレセル、時節は必ず来る。その時まで待て」
よく通る朗々とした声が、悲しげに少女を見つめる僧侶の耳にはいった。
魔術士のいう通りだ。
激情に任せてうごけば、ただ己が身を滅ぼすだけだ。
この聡い少年にかような事柄が理解できないわけがない。
「…………分かりました。急いでここを脱出しましょう」
不承不承ではあったものの、キフレセルはそれをなるべく出さないようにして首肯した。
そんな彼に、裸の少女をかかえた銀髪の男は不敵な微笑をよこした。
「良い子だ」
「………………」
子ども扱いはあまり好まないキフレセルだが(年齢的には十分子供だが)、この男に言われても不思議と腹が立たない。
どころか、むしろ照れくさいような嬉しさを感じてしまう。
そして気付くのだ。
彼と少し話しただけで、気持ちがだいぶ落ち着いていることを。
けれど、その気持ちは再び昂揚に駆られることとなる――
「おーーーい、交代の時間じゃぁ。何しとるぅーーー?!」
「ぞ、賊じゃぁ! 助勢を喚べろ゛――」
「な………………て、敵しゅげ――」
声主はそれぞれ奇異に言葉をとぎらせた。
「キフレセル、ラバン、追っ手が来る前に退くぞ!」
何故こうなってしまったのか、説明する暇も聞く暇もない。
二人はあわただしく独房を出て――血を流して倒れている看守をちらと見てから――先を走るロシーニに追随した。
まもなく曲がり角に来て、違和感をおぼえた。
けっこう大きな声が反響したはずだが、館から刺客が来る気配はない。
三人はそれぞれ異なる思考を重ねながらも、抜け道にむかって足を奔らせた。
抜け道にたどり着いても、追っ手はやはり来ないらしかった。
それでも彼らは進行の速度をゆるめず、狭く薄くらい通路を《灯り》で照らして出口へと走る。
ロシーニは嫌な予感がした。
このまますんなり帰してくれるはずがないと思った。
キフレセルはやや安堵した。
この調子なら追っ手が来てもどうにかなりそうだと思った。
――ラバンは覚悟を決めた。
「…………二人とも、落ち着いて聞いてくれ」
数分後。
抜け道を脱した四人は、真夜中の森で、松明をもった多数の刺客どもにかこまれていた。
そして、奇奇怪怪なダミ声がとどろき始めた。
「ふひゅひゅひゅひゅ……きゅあーっはっはっはっはっは!!」
愉快でしょうがないといった笑声である。
彼――ゲベダは一団の中央で、異様に長い樫杖の中腹をもって四人に目をそばだてていた。
肥えた肉体にまとった、だぼだぼ且つよれよれの黒ローブを地面にひきずりながら、さも満足げに宣言する。
「ましゃかここから逃れられると思ったのではあるまいな、諸君!
その娘はわしのオモチャじゃぞ。もうお前達なぞ死んだことになっとるから、連れ帰って目が覚めたら気が違っておるわい」
まあここで死ぬんじゃがな、と付け加えて再び大笑した。
とここで、今日はいつもの派手な赤外套ではなく、目立たぬ黒外套を羽織った男が前にすすみでた。
「おいジジイ。あんたのそばで‘もさもさ’してるソレはなんだ」
――触手人間。
暗灰色の全身から触手がうごめき、周囲の刺客はみなおぞましそうに引いている。
だが老人は嬉々として言った。
「触手人間――ゼラッドじゃ。知らんのか」
「それでこの娘に何をした」
「な………………何?」
老人はことさら訝しそうに疑念を発する。
自明の理じゃろうがと言いたげに首をもたげた。
「犯したにきまっとるじゃろうに! 良かったぞぅ……
最初は泣きながらも強気に反抗しとったくせに、最後は自ら舌を出して腰振っとるんじゃからな! お前達に連れ去られなければ幸せじゃったろうにのお」
僧侶の美しい顔が、みるみるうちに嫌悪と噴怨にゆがんでいく。
胸に当てた手に力がこもり、空色の法衣に無数の皺をつくった。
――背を向けたままの魔術士が僧侶の眼前に手のひらをかざさなければ、激昂に任せて取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
「それは罪だ、ゲベダ伯。もし国に割れたらどうなるか、ご存知か?」
ラバンはあえて丁寧な口調で言の葉をつづった。
しかし、老人はこのやりとりに飽いたような手振りを見せて失笑した。
「割れることはない。何故なら、お前達三人はここで死ぬんじゃからな」
瞬く間に冷酷な表情にきりかえたゲベダは、右手を高々とつきあげた。
「娘御を残して、この野郎どもを殺せぃ!!」
「待った!!」
太った醜男と、彼に命を受けたばかりの刺客は、一様に女声が放たれたと思われる後方を振りかえった。
男女二つの人影が、周囲がやや開けたところに根を張っている、ひときわ目立つ大木の枝に立っている。
ぽかんとする老邪術士に、露出のおおい格好の女性は嬌笑を送ってみせた。
「ゲベダ伯、今のやりとりすべて‘盗らせて’もらったわ。これが国に割れたらあなたがどうなるか、わからないほど愚かじゃあないでしょう?」
「くふふふふふ…………」
ゲベダはふいに、顔を下に向けて不気味な笑いを響かせた。
周囲の兵は突如の急展開に未だうごくことができないでいる。
そんな彼らを、老人は容赦なく叱責した。
「なにしとるんじゃボンクラ共! さっさとあの二人とそっちの野郎どもを殺さんかい! 相手はたった五人じゃぞ!」
指令変更ならそう言えよ――とは誰も言えず、ゲベダ配下の兵は半分にわかれて少数の敵を襲い始めた。
老人も何かを握りしめての詠唱に移っている。
「あらあら……たった五十人程度でアタシ達の相手をしようなんて、やっぱり愚鈍なのね、フェル?」
「油断するな、レベッカ……来るぞ」
正体不明の男女ふたりは、それぞれの獲物を手にとって戦闘態勢をとった。
そして、リディアを伴った男三人は、こうなることを分かっていた様子だった。
「『三流星の弓』が渇望している……」ロシーニは見目鮮やかな緑の弓をかまえた。
「よくもリディアさんを……!」キフレセルは聖典をひらいて瞑目しながら諳んじはじめた。
「助勢感謝だぜ姉貴……」少女を抜け道の内部に横たわらせたラバンは懐から銀環を出し、自らの額に身に付けた――
五人と五十一人の闘いが幕を開けた。
人数的には相当不利な状況に変わりなかったが、それでも半数の兵を引き受けてくれる謎の男女の存在は頼もしかった。
露出の多い女性の方は魔術士らしく、短刀をもちながらも呪文を詠みあげている。
しかも二、三秒ほどで術が完成し、小規模の自然魔法が容赦なく刺客に浴びせられていった。
「くそ! あのアマ……ッ!」
そして、詠唱を妨害しようとすれば剣士風の男が刺客を待ち受けていた。
彼は先の湾曲した大剣の遣い手で、怪奇なる変幻自在の剣技の持ち主だった。
女性がしとめ損ねた敵のみを、受け身の戦法で斬りすててゆく。
一方、三人の男達も同様の戦法を取っていた。
キフレセルとロシーニが仕留め損ねた敵を、魔術士であるはずのラバンが格闘術でのしてゆく。
かれの体躯がいつも以上に頼もしく見えるのは気のせいではない。
額に装飾した『嗜狂力の銀環』が、彼の闘争心と身体能力を大きく高めてくれる所為である。
ロシーニが弓をつがえ放つと、一本の矢から一度に三本の矢が放たれ、複数の標的を射て悶えさせる。
キフレセルの聖魔法は詠唱に時間がかかるものの、ひとたび放たれればまばゆい稲妻が敵を討ち、戦意を挫かせた。
だが。
五十人の刺客はしょせん囮に過ぎなかった。
その場にいるほぼ全員が異変に気付いた。
老人はいなかった――ついでに触手人間も。
霧のように消えうせてしまったのである。
数少なくなった刺客の戦意が目に見えて喪失した。
「……手を引け」
剣士風の男が渋い声で忠告した。
「無益な殺傷は好まぬ」
三人の若者も説得に回っている。
だが、主人がいなくなったにも関わらず、かれらは武器を収めようとはしなかった。
ガチガチ震えながらも、悲鳴じみた喚声を上げて飛びかかってきたのだ。
その顔には狂気が塗られている。
「あのジジイの邪術か……!」
ラバンは、振り下ろされる剣の腹を殴りつけ吹っ飛ばすという離れ業をやってのけながら、忌々しげにつぶやいた。
多勢に無勢だったはずの闘いは、いつの間にか五分の人数になっていた。
そして間もなく、ゲベダ配下の刺客は全てが地に伏した。
謎の助っ人ふたりが、裸身の少女をともなった三人の若雄にあゆみよってくる。
魔術士は、弓使いと僧侶に手短な承認を得て、知り合いらしいかれらのもとへむかった。
男前の剣士と妖美な女魔術士は、ラバンと軽い抱擁をかわした後、私的な話しあいに興じはじめた。
その双眸には、普段と異なる純な光がきらめいていた。
「相変わらずだな、姉貴。それにフェルも」
「………………(コクッ)」
「アンタこそ変わりないみたいね、その‘チャラ男’ヅラは」
「……今回は借りを作ったからなんも言えねえ。いつか返すぜ」
「当たり前でしょ」
「ところで…………」
「あの子なら大丈夫よ――もちろん、‘魔術矯正’が必要ない、という意味合いでね。アンタ達がしっかり介抱したげなさい。……精神的にね」
「もちろんだ。ただ、あの糞ジジイを逃しちまったな」
「ラバン、時節は必ず来るものよ。もうゲベダは……ってなんで笑ってんのよ?」
「いや、すまん。俺も同じことを仲間に言ったのさ。姉弟ってのは似るもんなんだな」
「くすっ……――で、依然として戻る気はないのね」
「ああ。『風の隼』にいても何も見えてこねえ。やりたい事をやりたいんだ。だから……」
「それは身に染みて分かってるわよ。あれだけ暴れられたら、アタシも団長も否定しようとは思わないわ」
「すまん。…………ありがとよ、姉貴。それにフェルも」
「………………(コクッ)」
「どういたしまして。けど、アンタが最年長なんだろうから、あの三人をしっかり支えてあげなさい。――いくわよ、フェル」
「………………ああ……」
妖艶な姉とかつての戦友を見送った後、彼の瞳にはふたたび軽薄そうな光が宿ったのだった。
- Epilogue -
それから五日後。
冴え渡る青空のもとを、一行はかろやかな足取りで進行している。
リディアはすっかり心身ともに健常な少女にもどっていた。
彼女は初めて目を覚ました時、三人を見てもの凄い絶叫をあげた。
かれらが死んだものと思っていたからだが…………その事を考えると目覚しい回復ぶりといえる。
三人の、特にキフレセルの必死の励ましや介抱のおかげで、少女は鬱を早く取り去ることができたのだ――表面上は。
いま僧侶の眼前には、ロシーニと談笑しながらあゆむリディアの姿が映されていた。
少年の美しい顔は、まるでリディアの心労を移されたかのごとく暗い。
「……そんなに落ち込むなよ、フレセちゃん」
魔術士がいつもの調子で話しかけてきた。
僧侶をいたわるような微笑を湛えている。
「乙女心はうつろい易いもんなんだぜ」
「ベッドで付き添っている時はあれだけ私を求めてくれましたのに……」
誤解を与えかねない僧侶の発言に、魔術士は苦笑しつつも口を開いた。
「フレセちゃんにしか喋りたくないことがあるように、ロッシにしか喋りたくないこともある。
それに、リアはこの中でいっちゃん歳下の、しかも女だ。ああ見えて俺らには相当気を遣ってるはずさ。酷い仕打ちを受けたあとなのにな……」
「そう……ですよね。軽口でした」
僧侶は、思ってもいないのに平然とそんなセリフを口にする自分が嫌になった。
文字通りの軽口を吐いているのは自分ではないか。
少女が不安定な五日間、ずっとメルキオルの町に滞在していたのに、ロシーニはほとんど姿を見せなかった。
何をしていたか? 考えたくもない。
……実際どのように過ごしていたかはどうあれ、いま何食わぬ顔でリディアと会話を重ねている。
それが不快だった。気にくわなかった。
そして、そんな感情を持て余す自分がもっと嫌だった……
そんな心境を知ってか知らずか、今度は魔術士が軽口を叩く番だった。
「いいのさ。おまえさんが言いたいことは可能なかぎり受け止めてやっからよ。……そうだな、フレセちゃんもじきに俺を求める時が…………っておい」
台詞の途中で去ってしまうキフレセルに、届かない突っ込みを入れるラバン。
しかし僧侶のつれない態度を見ても、魔術士は気分が悪くならなかった。
彼に利用されているのではなく、頼りにされているということが、総身に沁みわたるくらいに認識できていたからである――
END