秋も近くなると零時を過ぎるころにはめっぽう涼しくなる。  
 仕事が煮詰まっていかんともしがたいとき、わたしは頭を冷やしに街をぶらぶらと散策することにしている。  
 その夜も期限が間近にせまった原稿に追われ、思考がまとまらなくなったわたしは外へ出ることにした。  
 
 晩夏のほんのりとあたたかい夜風が商店街を吹き抜けていく。  
 シャッターの降りた店が連なる一本道。  
 日中の活気が消え失せ、かわりに土の下で開かれた同窓会のようにささやかな賑わいがあった。  
 
 ラジカセから流れるアップテンポの曲にあわせてダンスを練習するスキンヘッドの若者がいる。  
 彼のとなりで携帯電話をいじりながら退屈そうにあくびをしている少女がいる。  
 その向かいで四十は過ぎているだろうか、中年の男性が上半身を裸にして威勢よく腕立て伏せをしている。  
 わたしは彼らに咎められないよう気をつけながら、好奇心を満たしつつ商店街を歩いていく。  
 
 
 夜の街は閑静だった。  
 石のタイルを踏む音がひとつひとつ聞き取れるかのように錯覚してしまう。  
 抜け切らないわずかな熱気が少しずつ空へ帰り、首の付け根からじょじょに落ち着きがよみがえっていくのを感じる。  
 
 ちょうど十字路になっているところにかすかな人だかりができていた。  
 夜更けに客寄せをしている店ではないだろうから、それはアマチュアのパフォーマーに違いなかった。  
 果たして、半円の中心には二人の少女が楽器を弾いていた。  
 わたしは音楽に疎いのでそれがギターなのか、ベースと呼ばれるものなのか、見当もつかなかった。  
 
 彼女たちはマイクスタンドもない深夜の路上で、おそらく自作のものだろう、恋愛や青春を題材にしたと思われる曲を歌っていた。  
 いずれもありきたりな歌詞だった。  
 失恋した少女の物語を歌い、無理解な親や教師への反発を叫び。  
 彼女たちの知りうる狭苦しい世界の、とても限られた悲哀や不満について歌っていた。  
 わたしを含め、社会人としての身分にある者が聴けばひどく陳腐に感じられるようなものであった。  
 
 成長するにつれて閉ざされていく可能性に、大人たちの誰しもが嘆いてきた事実を彼女たちは知らないだろう。  
 なぜ夜になると月が現れ、星々がきらきらと瞬くのか。  
 その理由を知ることで大人になってきた先達がどれほどいることか、彼女たちはまだ知らないだろう。  
 
 彼女たちもそう遠くないうちに大人になる。  
 子どもと大人の境い目もよくわからないうちに働きはじめ、いつしか責任を背負わされ。  
 気づいたときには捨てられないものを山ほど抱え、そのまま老いて死んでゆくことを理解するともなく理解するようになるだろう。  
 
 そのとき、彼女たちは路上で歌っていたことを憶えているだろうか。  
 見えない何かを恐れ、必死に声を張り上げていたことを憶えているだろうか。  
 面識もない彼女たちに願うのは、ほんのわずかばかり長く生きている大人の驕りであろう。  
 
 肩が震えて帰宅する頃合だと悟った。  
 背後から聞こえてくる歌声のひとつひとつが不思議と耳に残る。  
 わたしには意味のわからない歌詞が頭の中で結びついていき、彼女たちの思いを描いていく。  
 
 
――ピカソの孫が高らかに笑った  
――交差点のドビュッシー  冥王星から高見の見物  
――シューベルトはサボり魔で  
――ゴッホは風邪で寝込んでる  
――アインシュタインの指先で  世界は無理やり動いてる  
 
――ダヴィンチの父は涙を知らない  
――コーラ好きなアルキメデス  地上説のせいにしておけ  
――ニュートンは猫を毛嫌いし  
――モネの彼女はカブトムシ  
――アントワネットの一声で  ご飯はお菓子に早変わり  
 
 
 空を仰げば無数の星が輝いている。  
 きれいな満月の夜だった。  
 
 
 
 おしまい  
 

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