私は妻を介護しながら生活を送っている齢92の老人だ。妻は齢82の老女である。  
 妻は72歳の時に癌を患い入院し治療を受けた後、退院後それ以来、寝たきりに、なり介護が  
必要になった。  
 妻は最近、物忘れが目立ち、書けた漢字も書けなくなり読めた漢字も読めなく、なっていたが、  
ひらがな、カタカナは、まだ書けるが時々、書き方を一瞬、忘れることが多くなってきた。   
 妻はその事に気てかけいて元気も無く話す話題も物忘れのこと、ばかりだった。  
 食事中にも妻は、おかずを箸でつつき、ながら、その話を夫に話してきた。もはや生活の  
一部になっていた。  
 「ねぇ、あなた私ね女学生の時のことが思い出せなくなって」  
 「おい、お前その話かい、もっと景気の、いい話は出来ないのかい」  
 夫はその話題が出てきて、うんざりして、おり妻の切ない顔を見て軽く鼻でため息した。  
 夫は、もう何回目だろうか一時はその会話をした回数を数えようかと、考えたが空しくなる、  
だけなので、止めた。  
 夫の頭の中で妻のことで、よぎった。妻は確実に痴呆の傾向が見えてきた。   
 妻は、そのことに、ついて自覚し塞ぎがちになり、どうにか、しようと出来るだけ昔の  
事を思い出そうと、昔の話をよく会話で出して来る。別に昔の話が出てくる、  
ことは構わない。  
 ただ昔の、ことが思い出せない忘れた、などの言葉が出て来た時は気が重くなる。  
 妻は遠い目をして語り始めた。   
 「だって昔の同級生の顔と名前が出て来ないんですよ。それに日記の文字が、よく  
読めないですし。」  
 妻は日記をよくつけていた。字を覚え始めた6歳の時から始め81歳まで日記を  
几帳面につけていたが82歳の時、日記をつけ忘れが目立つようになり自然と日記を  
つけなくなっていた。  
 「そんなに昔を思い出したいならガキに戻れば良いんだよ」    
 「あなた安直ですよ。第一それは思い出すと言うより思い出を作ってしまいますよ」  
 夫は自分の意見に矛盾を感じつつ茶碗に残ったご飯をかき込んだ。食事を済ませた後、夫は、  
妻を布団に移し食べ終えた食器を片付けた。  
 
夫は、家事を一通り終えて煙草に火をつけ一服してた、その時40年も使い続けている  
黒電話が家に鳴り響いた。   
 「はいはい今出るぜ」   
 黒電話に声をかけた後、電話の側に置いてある灰皿に煙草の灰を落とし受話器を取った。  
 「はい、もしもし伊藤です」  
 自分の姓を名乗り受話器から老人の男性の声が聞こえた。   
 「ああ先輩お久しぶりです。私ですよ、T病院の樋口<ひぐち>です。」  
 「おう君か樋口君か元気そうじゃねぇか教授。」  
 夫は、煙草を吹かし懐かしい気分になった。  
 「いえいえ相変わらず論文を書いてる日々ですよ」  
 樋口は、気さくに返事を返したが、夫は地をはう、ような声で返事をした。  
 「なんか俺に何かようでもあるのか、俺が権威あるOBとしての頼みごとか。」  
 「確かに元院長で権威が有るのは認めますが別に大した用事じゃ有りませんよ。」  
 夫は期待していた予想が外れ不貞腐れた。煙草を一吹かしをし灰を灰皿に  
落とし、いい加減に話した。  
 「じゃぁ何だよ選挙の票集めなら断るぞ」   
 「先輩そんながっかりした声を出さないで下さいよ。私はある新薬を試してもらおうと  
思って電話をかけて来たんですよ。」  
 
 樋口は夫を慰めにならない慰めと同時、電話をかけて来た目的を語り始めた。  
 樋口が進める新薬は、(アルツハイマー<痴呆症>)の治療薬であった。脳の機能を減退させる  
分泌物を押さえる効果があり、また減退した脳の機能を確実に回復させる作用が高いため、リハビリに  
よる患者の負担は従来の9割9分にまで軽減された。この高い回復能力が注目され他の脳の治療が  
期待されている。   
 その新薬は副作用も見られず最近になって厚生労働省からの認可が降りた代物であった。  
 その新薬を痴呆気味の妻に打たせて貰おうと言う話であった  
 夫は短くなった煙草を吹かし灰皿で押し消した。   
 「その新薬だったら、いつも読んでるサイエンス雑誌で俺も知ってるよ。しかし認可が降りたって  
のは初めて知ったね。」  
 「ええ今日、降りたんですよ。うちの病院も、その新薬の配備を進めています。」  
 夫は樋口が喋った言葉の中に今日と言う言葉に反応した。  
 「まぁ、そりゃ良しとしてだ。今日だよ、今日、降りた、ばかりの新薬ってのも気になるな。」   
 認可の降りた新薬は確かにある程度の安全性は、国を通って証明されたもので、あるが、  
それは、あくまでも平均から見た安全である。  
 国で行われる新薬の試験は、一定数の人間で行われ新薬を使用した一定数の人間から  
平均値を割り出し安全が確認されてから初めて認可が降りる。  
 しかし問題は認可が降りた後である。認可が降りた新薬は市場を回り全国の病院で使用される。  
 使用する人間は、国で行われた新薬の試験で調べた人間を大幅に上回る物とされる。  
 無論、使用する人間が多ければ、結果も異なってくる。結果も異なれば新たな発見も出てくる、  
ことも新薬の特徴であり珍しい事でわない。  
 その新薬の新たな発見が曲者であり今まで確認されなかった思わぬ効果や副作用が発見され、  
その効果が吉と出るか凶と出るか全く予測できない物である。  
 それ故に人によっては新薬の認可が降りてもその後の経過を見るため使用を見送る  
人は少なくない。  
 また妻もその部類に入る人間だが夫は逆に試したくなる性質<たち>であった。  
 
「確かに新薬を使いたいんだけどよ家内の意思ってのも、あっからよ一様、相談してから  
で良いか」  
 新薬の使用は、あくまでも他人に通してからの使用と夫は考えた。  
 「構いませんよ、気が向いたら電話を下さい何時でも用意出来ます。」  
 夫の意思を尊重した樋口に感謝した。  
 「すまないな色々と、やってくれる、みたいで、何かお礼に家にある酒を一つ空けてやるからよ」  
 夫は、大事にしていたコレクションの酒を飲ませる約束をした。それを聞いた樋口は、  
ある酒を思い浮かべた。十何年も前に夫の家に遊びに来たことがあり夫の部屋に置いてある  
酒を見つけて以来、気になっていた物があった。   
 「お言葉に甘えて先輩の家に有るスコッチを飲ませてくれませんか」  
 「ああ別に構わんが何が良いんだ」   
 夫はスコッチと聞き、なにくわぬ声で尋ね樋口は答えた。  
 「ザ・グレンリベット 21年を飲ませてくれませんか」  
 震える声で夫は怒鳴った。  
 「あ、ちくしょう」   
 「先輩は良い人だ自分の言ったことは全て守ってきた偉人です。」  
 夫は自分が一番大事にしていたスコッチを空にする、はめになってしまった。そのためか、  
なさけない声で怒鳴りながら返事をした。  
 「うるさい馬鹿野郎、何時でも来い。飲ましてやる、有り難く思え」  
 
夫は受話器を叩きつけるように電話を切った。樋口は突然切れた電話に驚いたが、飲みたかった  
スコッチが飲めると頭によぎり、心を踊らせた。あの電話から数日後、樋口が家にやってきた。  
 七月の下旬の夕方、樋口は自分の先輩の家の前に立ち止まり、伊藤と彫られた表札を見つめたあと  
家を見た。  
 家は一階建て木造建築の平屋、一戸建ての古い家があった。樋口は、インターホンのボタンを  
押し、寝たきりの老いた妻を介護して生活を送る齢九十の老男性の夫が出迎い、自分の後輩である  
樋口を家に入れた。  
 家はそう広くなく四人家族が暮せる程度の広さ、夫は、ちゃぶ台が置いてある部屋に樋口を座布団  
に座らせた。  
 ちゃぶ台には夫が作ったつまみやスコッチ、スコッチが注がれたグラスが二つ置かれていた。   
 樋口と夫の二人はロックで割った酒を飲み、気分を良くして昔の話に花を咲かせた。  
 時計は、九時を指していた妻は一時間前に寝た。スコッチが入っていた瓶は、二分の一にまで減った  
瓶を見た樋口は、ろれつが回らない用に語った。  
 「そろそろ、お開きにしませんか、残った酒は、また今度と言うことで」  
 「玄関まで送るぞ気をつけろ」  
 真っ赤な顔になりながらも夫は、樋口を気ずかい玄関まで送った。   
 「それでは、先輩また今度お会いしましょう」   
 「また遊びに来い、何時でもいいから」  
 樋口はお辞儀をした後、千鳥足で闇に溶けていった。   
 あれから一年近くの月日が流れた。七月の中旬、妻の痴呆は重くなっていた。  
 
 痴呆の進行は予想外に早かった、昔の想いでは、完全に思い出せなくなり、食事の時は食べ物を良く  
こぼした。妻は、自分の名前すら思い出せ無くなり、夫は妻を名前で呼ぶようになった。  
 夫は去年の樋口の言葉を思い出し、電話をかけ、妻の痴呆が悪化したと伝え、詳しい話はT病院で話  
す形になった。  
 その後妻を病院へ連れ、樋口に今までの経過と今の現状を話し、詳しい検査をした。  
 検査が終わるまで三日が過ぎた。診断の結果、妻の痴呆は、珍しい物で通常の数倍の速さで、進行す  
る物だった。だがこの病状で大半は完治したケースは幾つもあるので安心しても良いと言う話しにな  
り去年、認可された新薬を使っての治療で決まった。  
 だが妻は嫌がった、痴呆のためか精神年齢が退行ぎみのためか、注射器の注射針を怖がった。  
 「いや、わたし、針嫌い、痛いのいや」   
夫は、妻の子供じみた言動に悩み少し叱る用に語った。  
 「節子、お前は、頭がどんどん悪くなる病気に罹って(かかって)いるんだ、だから注射を打てば、  
頭が良くなるんだよ、だからちょっとの間だから我慢しなって」  
 妻は夫の言葉に悩む顔をした。それを見た夫は、悩み考え、妻に告げた。  
 「節子、俺も注射をして貰うからな、痛いのは節子だけじゃないからな」  
 夫の思わぬ言葉にやや困惑したものの妻は、頷いた。  
 その後注射による薬物投与を夫妻に施し、一ヶ月間、経過を見てまた病院へ来るように言われた後、  
二人は病院を後にし帰宅した。  
 
その夜、夫婦二人は、食事を済ませ夫は食器を片付け台所へむかい、妻は、テレビを見つめていた。  
 夫は額に汗を流し異常な暑さの中で食器を洗いながら疑問に思い愚痴をこぼした。  
 「偉く暑いなこの野郎。畜生、馬鹿野郎」  
 クーラを効かせている筈だが、冷気が感じられない。   
 食事中に見たテレビの天気予報では、今夜は熱帯夜だと聞き、クーラーの設定温度をかなり下げており、  
一部の部屋を除き、家の玄関まで冷気は行き渡っていたはずだった。  
 夫は食器を洗っていた手を止め、濡れた手をタオルで拭った後、妻の様子を見に台所を後にしようとした  
その時だった。  
 急に心臓の鼓動が早まり、全身の筋肉が死んで逝くように抜け、夫は膝を床についた。言葉では云い表  
せない不安感に襲われた。  
  夫は、自分の額の汗を右手で拭ったが、汗を拭った右手に違和感を覚えた。  
 手を見た時、体が酷く震えているのが分かった。 自分の右手の指の間に大量の白髪が絡まっていた。  
 改めて自分の髪を左手で梳かすと更に多くの白髪が右手よりも指に絡まっていた。    
 急にモウロウ、してきた意識を必死に保とうと努力をするものの、視界は黒く支配された。    
 意識を失ってから、あれからどれ位、経っただろうか、外は朝日の日差しが差し込んでいた。    
 夫は意識を取り戻し目を閉じていたが顔に日差しが差し込んでいるのが分かった。  
 昨夜のクーラーが未だに効いているのか体を縮み込ませ,呟いた声が妙に高かった。  
 「うっく、さ、寒い」  
 夫は自分の喉が酷く渇いていたので、それが原因だろと思い、目を開け多くの髪を指に絡ませた  
両手を見つめ手を裏返し手の甲を見た。  
 驚くことに自分の手の甲のしわが無く、肌が肌理細かい綺麗な手に違和感を覚えた。腕を見ても  
同じことだった。     
 肌の状態は少なくとも十代前の物であると夫は判断した。  
 更に不思議なことに体を起こし周りを見渡すといつも見慣れていた視点が低く、家具や電化製品が  
威圧しているように感じた。  
 夫は自分の体が小さくなっていたのを理解した。昨日まで着ていたランニングシャツとブラウンの色をした、綿パンが服が  
が、ぶかぶかになっていた。  
 自分の体に合わない服は着ていて不愉快だと感じ、さらに昨夜は大量の汗を掻いたのか服は重く冷たくなって  
おり、喉も不愉快な渇きが一層、夫の機嫌を損ねた。  
 「飲んでやる、ドブ水でも飲んでやる」  
 水を飲みたい執念で立ち上がる気分は最悪な物である、体が重い、体が小さくなったのに重い、だが気を失った  
場所が台所であったことを感謝した。  
 夫は昨夜、洗った後に片付けて、いなかったガラスのコップを手に取り蛇口から水を滝のように出しコップ水を  
入れた。  
生活用水で満ちたコップの水をいっきに喉へ流し込み急速に体に水分をが戻るのを感じた。  
 水を飲む行為を三、四回も繰り返し水で腹がいっぱいになり床にへたり込む。  
 体力が少し戻り考える余裕が出てきた。  
 

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