「勇人くん、あの……好きです。私と……付き合って下さい」
「ゴメン。俺、誰とも付き合う気ないから」
返事には一秒かからなかったと思う。
時は放課後、場所は校舎裏、僕は女の子から告白されていた。
目の前の女の子は篠原紗江という隣のクラスの女子だ。即答された篠原は信じられないという顔で悲痛な声を出した。
「そ、そんな……ちょっとくらい、考えてくれても……」
「返事が決まってるんだから無意味だろ」
どうも何か勘違いしてるらしい。僕にとってこの手の話題は選択肢が一択しかないから、考えるという行為自体が存在しない。
じゃあな、と僕はその場を離れようとした。こうしている間にも不安な思いに心を磨り減らしている千佳が心配だ。
ところが篠原はなおも見当違いな方向で食い下がってきた。
「あの子の……せいなの……?」
「は?」
「そうなんでしょ!?勇人くん、いつもあの子の面倒見てて、恋愛も自由に出来ないんだよね!?」
「お、おい……」
「ずるいよ、あの子!あんな悲劇ぶってなんでも勇人くんにやらせて!勇人くんかわいそう。そうだよ!あんな子いなくなっちゃえば……」
最後まで言わせなかった。僕は篠原の顔のすぐ横を打ち抜くように殴りつけた。ゴスッという鈍い音と共に拳が校舎の壁に叩きつけられる。
一瞬呆気にとられていた篠原はすぐに状況を理解したようで、ひっと小さく悲鳴を漏らす。
「…………ひ、あ」
「次にちぃの事言ったら……この程度じゃ済まさん」
そう言い放つと篠原はへなへなと腰を抜かし、その場にへたり込んだ。女の子相手なので一応警告ありだ。
それきり僕は振り返る事もなくそこから立ち去った。途中、手に痛みが走ったので見てみると、壁を殴った拳の皮が破れ血が吹き出ている。少し強く殴り過ぎたか。一瞬治療の為に保健室に寄ろうかと考えたが、すぐに改めた。
「ちぃ、待ってるだろうしな」
つまらない用事で時間を喰ってしまったし、これ以上僕の怪我程度で千佳を待たせる訳にはいかない。僕は千佳の待つ教室へと急ぎ戻る事にした。
僕と千佳の関係は相変わらずだった。僕は尽くす事が日常で千佳は尽くされる事が日常の歪な依存。本人同士は納得しているのだから例え外側からどう見えようと極めて平和な毎日を送っていた。
ところが、篠原との一件から一週間程たった頃、そろそろ彼女の存在を忘れかけていた僕は、ふとある事に気付いた。
周囲の千佳に対する態度がおかしい。遠巻きに何かを噂するように話している奴がいる。それも同じクラスの奴ではなく、よそのクラスや違う学年の奴だ。いや、僕の気のせいと言われればそれまでなのだが。
そんな折、僕はクラスの担任の教師に呼び出され、思いもかけない事を聞かされた。
曰く千佳に援交の疑いがかかっている、との事だ。聞いた瞬間に座っていた椅子を蹴倒して立ち上がっていた。教師に掴みかからなかったのは、普段この担任には千佳との事で世話になっているのと、一片の自制心だと思いたい。
担任教師は僕を宥めながらも重ねて問うてきた。
「まだそういう噂があるってだけだ。だからこそ彼女の一番近くにいるお前に聞いているんだ。それで……どうなんだ?」
「そんな事……ある訳ないですよ。ちぃはいつも俺と一緒にいるんだ。やるやらない以前に出来る訳がない……」
絞り出すようにそう言うのが精一杯だった。同時に気がつく。千佳への周囲の反応が変だったのはこの噂のせいなのだと。
職員室を出ると千佳が拓也と希美と共に待っていた。千佳も呼び出されたらしく、拓也逹に連れられてここまで来たらしい。
千佳への事情聴取に僕も相席すると言い張ったが千佳1人から話を聞く必要があると認められなかった。なるべく刺激しない事を約束させ、僕は不本意ながら扉の外で待つ事にした。
僕の様子を見かねたのか、拓也と希美が気遣うように声をかけてくる。
「その……勇人、大丈夫だって。単なる噂だよ。千佳ちゃんがそんなする訳ないって俺らはわかってる」
「お前らは……知ってたのか?」
「雰囲気は感じてた、かな。普段も千佳の事を好き勝手言う人はいるけど、最近それが増えてきた感じだったから」
知らなかったのは僕だけか。ぎりぎりと爪が食い込む程に拳を握る。怒りは間抜けな自分自身へのものだ。これでよく千佳の面倒を見ているなんて言えたものだ。
「ユウくん、終わったよ……」
職員室から声がかかったので僕は中から千佳を連れ出し、教師と拓也逹に礼を言い帰路につく事にした。
千佳をのせた車椅子を押しながら、僕は千佳におずおずと話を切り出した。
「ちぃ……えと、大丈夫、か……?」
「え?あ、うん……だいじょぶ、だよ。わたしはそんな事、してないもん……ただの……噂、だから」
嘘だ、と一目でわかった。肩は小刻みに震えているし、目許は力なく揺れて、喋る言葉はつっかえつっかえ。明らかに無理をしている顔だ。しかし僕は千佳が強がりを言っている、という事自体に驚き、何も言えなかった。
ガラスのような脆いメンタルの千佳が僕に心配をかけまいと必死になって取り繕おうとしている。それがどれだけ大変な事か、少なくとも僕はわかってやらねばならない。
そもそもここ数日の周囲の反応に千佳が気付いていないはずがないのだ。それでも僕に気取られないように平静を努めていた千佳の気持ちを思い、僕はただ「無理するなよ」という一言をかけるしかなかった。
千佳が倒れたのは翌日の事だった。
僕が学校内でほぼ唯一、千佳と離れる女子トイレの中での事だった。知らせを聞いた僕は、即座に教室から走り出し千佳のところへ飛んでいった。
現場にいた人だかりを掻き分け、女子トイレである事も気にせずに中に飛び込むと、車椅子ごと床に倒れている千佳が見えた。
急いで千佳を抱き起こした僕は、女子トイレの壁に何か書かれているのを発見し、思わずそれをじっと睨み付けていた。
「これは……」
そこには千佳の名前と彼女を中傷する言葉が書き連ねてあった。「ビッチ」「淫乱」「似非障碍者」エトセトラエトセトラ。真っ赤なスプレーで乱雑に書き殴ってある。
「千佳……これ見て、倒れちゃったの……」
いつの間にか近くにいた希美が済まなそうな顔で教えてくれた。僕の代わりに千佳をトイレに連れていってくれたのは彼女だ。
千佳は壁の落書きを見た途端、息切れを起こしパニック状態に陥ってしまったという。恐らく「あの日」の事がフラッシュバックしたのだろう。内心で歯噛みをする。
「ごめん、勇人君。私が……ついて、いな……が……ら……」
「気にするな。お前のせいじゃないさ」
口ではそう答えたものの、とても気にするなとは言えない顔をしてるのだろう。希美の声がだんだん強ばっていくのがわかった。やっぱり僕は間抜けだ。もっと気を付けていればこんな落書き見落とさなかったかも知れないのに……!
内心の激情を隠し、行動を起こした。とりあえず僕は意識のない千佳を車椅子にのせると職員室へ向かい、担任に2人で早退する旨を告げた。
帰宅すると僕はすぐに千佳をベッドまで運ぶ事にした。いつにもまして軽く感じる千佳の身体を抱きかかえ、彼女の部屋へと歩いていく。
帰路の途中、千佳は既に意識を取り戻していた。しかし目を開けても口を開く事はせず、一言も喋ろうとはしない。
だが部屋にたどり着き千佳をベッドに下ろそうとした時、彼女は不意に身体をことんと倒してきた。僕の胸に頭を埋める体勢を取った千佳はやがて啜り泣くような声を出し始めた。
「ひっ、ひっく……うぅ、ひぐっ……うああぁ……」
「ちぃ……?」
千佳が泣く、というのは実は珍しい事だ。「あの日」の事を思い出して恐怖に涙する事はあっても、こんな風に感情を抑え切れずに泣くなんて普段はまずない。
最もそれは僕も同じなのだが。
「ひぐっ、ごめんなさい……ユウくん。私、大丈夫って言ったのに……これくらい平気だって、ぐす……ユウくんに胸を張って言えるようになろうと思ったのに……ごめんなさい、ひぐっ、ごめ……なさ……」
涙混じりの声で何度も謝罪を繰り返す千佳。いつもならそれを諫める僕だが、今日はただ黙って彼女の髪を撫でるばかりだった。
やがて泣き疲れたのか、多少落ち着いた千佳に僕は優しく語りかける。
「ちぃ、大丈夫だよ。お前が謝る必要なんてない。お前は僕に心配かけないように頑張ってくれたんだろ?それで十分だ」
「ユウくん……」
僕の言葉に千佳の顔が少しだけ明るくなる。僕は胸の中にある千佳の頭をぎゅっと抱きしめた。
「それにさ、お前が1人でも平気になっちゃったら、お前の世話もいらなくなっちゃうよ」
お役御免は勘弁してくれよ、と冗談めかして言うと腕の中の千佳が小さくふふっと笑った。
「だから大丈夫だ、ちぃ。お前がどんなに傷ついて泣きわめいても、僕はお前の傍にいるから。いくらでも頼ってくれよ」
「…………うん」
目尻に微かに涙の跡を残しながらも安心しきった笑顔で千佳が頷く。僕は優しく微笑みかけると不意打ち気味に千佳の唇を奪った。ぴくりと硬直し、動かなくなった様子がなんだかおかしかった。
十数秒ほどして顔を離すと、千佳はぽーっとした顔で僕を見つめている。
「落ち着いた、だろ?」
「…………ううん、もっと……して?」
浮わついた口調で少しいたずらっぽく千佳が笑う。僕は再び唇を重ね、舌先を口腔内に潜らせた。
「んっ、ちゅ……はぁ……んむ、はぅ……んちゅ」
別の生き物のように絡みあっていた舌が解け、淫靡なディープキスを終える。舌先同士が一瞬つぅ、と糸を引き、すぐに途切れた。
「はぁ、ユウく…………んあぁ!?」
頬を染めてキスの余韻に浸る千佳がびくっと身を振るわせた。僕が下着の上から女陰をそっと撫で上げたからだ。
「なんだ、もうびっしょりじゃん」
「そ、それは……ユウくんに……してもらったのが嬉しくて……それに、さっき……学校で、思い出しちゃって……」
「いいんだ、感じてくれたなら」
学校で「あの日」の事がフラッシュバックした事を言っているのだろう。千佳の思考が危うい方向に行く前に、僕は話を遮り愛撫を続けた。
制服のスカートに手を突っ込みショーツを脱がすと、千佳は恥ずかしそうに顔を背けた。愛液で濡れそぼったショーツを足から引き抜いてしまうと、僕は千佳の背中に手を回し彼女の身体を抱え上げた。
「は……んぁ!?は、挿入ってくる……あ、やぁ!」
立ったまま正面から抱きしめ合うような形で千佳を抱えるとそのまま秘所に挿入した。千佳は僕の首に手を回す事で身体を支えている。動かす事の出来ない両足は代わりに僕がしっかりと持ち上げ、M字に開かせていた。
いわゆる駅弁の体位だ。千佳自身の体重で、僕の物が彼女の身体に深く沈んで行く。
「やぁ、あぁん……ふ、深いぃ!んああぁ!はぁ、いい!気持ちいいのぉ!」
手は首にかけたまま、背筋をピンと反らして千佳が快感によがる。口は「あ」の字に開き、目はとろんと蕩けていた。僕の腰の突き上げに千佳も自分から腰を振る。その度に膣圧が増し、限界が近い事がわかる。
一際大きく腰を突き出すと千佳の身体はびくんと跳ね、絶頂の声を上げた。
「ふあぁ!ユ、ユウくん!私、も、もうイク!イキます!あっあああぁぁぁぁ!」
行為の後、シャワーを浴びさせ改めて布団に入れると千佳は疲れたのか、すやすやと寝入ってしまった。その傍らで彼女の髪を撫でながら寝顔を見ていた僕は、同時にじっと考え事をしていた。
今回の件は明らかに僕のせいだ。周囲の千佳への反応も、千佳がそれに耐えていたのも気付けなかった。だがそれ以上に、事の発端が僕の行動にある。
「だから、それを……排除しなくちゃな」
聞く者がいない部屋の中、僕はそう呟いた。
一週間後、僕はひとり校舎裏で人を待っていた。壁についた拳の跡を見て二週間前は逆に僕が呼び出されてたな、と考えているとほどなく待ち人が姿を現した。
「勇人くん……」
「よぉ、篠原」
篠原紗江。二週間前に僕に告白した女子。僕の目の前に現れたその娘はあまり元気がなさそうだ。
「転校……明日なんだってな」
「うん……」
「そっか……残念だな、寂しくなるよ……」
「え……?それって……」
僕の別れを惜しむ言葉に篠原が戸惑ったように頬を赤く染める。シチュエーションだけ見ればまるで青春ドラマの別れのワンシーンのようだ。
「俺さ……餞別って訳じゃないけど、篠原に渡したい物があるんだ」
「え、そんな……何だろ、嬉しい」
別れを目前にしながら、好きな人から最後のプレゼント。篠原は寂しさと期待の入り混じった恋する乙女の表情になる。
僕は無言で背中に隠し持っていた物を差し出した。途端、篠原の笑顔が凍りつく。
それは真っ赤な塗料のスプレー缶。
「………え、……ぁ、そ、それは……」
「一週間前、女子トイレの壁に赤い塗料で落書きがされていた。犯人はお前だろ、篠原?」
「…………ち、ちが……わた、わたし……」
問い詰める僕に対し掠れた声で言い訳をする篠原。さっきの乙女の表情はどこへやら、腰が抜けてその場にへたり込んでしまうほど怯えていた。二週間前に校舎の壁についた拳の跡を見れば無理もない話だが。
「そんなに怯えなくていいよ。もうお前には何もしないから」
「…………え?」
意外そうな、それでいてほっとした表情で聞き返してくる。そう、もう何もしない。何故なら事は既に終わっているからだ。
「突然の転校、残念だったな。何が原因だっけ?」
「……………………………………ま、まさか!?」
篠原紗江。今の彼女は学校中から疎まれている。一週間前から彼女には妙に信憑性の高い悪い噂が流れていた。喫煙、飲酒、援交、薬物、他多数。それが学校側に耳に入り、他校への転校という処分になったのだ。
「私の噂を流したのは……!」
「お前がちぃにやったのと同じ事だ。忘れたとは言わせない。それに障碍者への名誉毀損は本当の事だろう」
嘘をつく時は真実を混ぜろというが、女子トイレの落書きの証拠を掴んでいるおかげで他の噂の信憑性も一気に増した。後は教師連中を誘導をすれば簡単だった。
「という訳だ。んじゃ最初に言った通りこいつは返すよ」
「…………」
僕は赤のスプレー缶を篠原の目の前に置いた。篠原は魂が抜けたようにへたり込んだまま動かない。
「それじゃな、篠原。転校先でも元気でやれよ」
何も反応しない篠原に構わず、それだけ言うと僕は踵を返してその場から立ち去った。後の事は最早僕には関係ない。
その日の夜、僕は千佳に今回の顛末の一部を話す事にした。前のように全て秘密にするのは千佳を不安にさせるからだ。
「ちぃ、俺、篠原紗江に告白された」
「…………え?」
「心配すんな。すぐ断った。俺はちぃの傍にいるって言ったろ?」
「あ……うん、ありがとうユウくん。…………でも篠原さん、転校しちゃうのは寂しいね」
「……そーだな」
彼女を転校という名の追放にしたのは僕なのだがそんな事は言う必要はない。僕は千佳を守る為なら平気で嘘をつける。「あの日」の真実を千佳に黙っているように。
篠原の転校を惜しむ千佳の髪を撫でながら僕も少しだけ篠原に悪い事したかなと思った。でも僕はただ千佳とのこの関係を壊そうとする奴を許さないだけなのだ。
(篠原、君が僕に告白した時点で君は僕の敵でしかなかったんだ……)
こんな壊れた男を好きにならなければ良かったのにな……。もう会う事もないだろう女の子に僕は心の中で哀れみを送った。
了