頭がガンガン痛む。体中から汗が噴き出す。ふわふわと足もとが浮かんでいる。
時たま、ガクンと揺らされて、顎が固いものにぶつかって痛む。お腹に固いものが当たって苦しい。
吐きたい。くらくらする。
目の前がぼやけてガクガクと揺れる。
――私、どうしたんだっけ。
ぼんやりと浮かんでは、思考が像を結ばず、泡のように消えていく。
薄れていく意識の中で、懐かしい匂いと気配が、傍にいる……ような気がした。
*********************************************
秀くんのいない秋が過ぎて、秀くんのいない冬が来た。
朝起きて学校に行って部活に行って塾に行く。秀くんのいない生活が過ぎていく。
たまに友達と遊びに行ったりすることもあるけど、基本的には家か塾で勉強する普通の毎日。
私は、一部の人のように、何かの科目が趣味的に好きだとかいうタイプではない。
もちろん、勉強が大好きで、寝ずにでも没頭したいという研究者タイプでもない。
ただ、朝起きて顔を洗ってご飯を食べるのと同じく、生活のリズムに組み込まれているだけなのだ。
歯を磨かず寝ると気持ち悪いのと同じで、勉強しないとなんとなく落ち着かないだけである。
勉強というのはとてもいい。どんなにつらいことがあっても、はじめると全てを忘れられる。
悩みを忘れるため岩を砕くように問題を解き続け、思いを振り払って参考書の海を泳ぐ。
そう……勉強がなかったら、どうなっていたかわからない。
私はひたすら、空っぽの心を勉強で埋めた。
秀くんのいない年が明けた。
数ヶ月のうちに、江藤先輩は智恵先輩になり、宇野くんは賢くんになった。
一月一日、智恵先輩と賢くんと一緒に初詣に行く。
秀くんと一緒に行っていた神社とは違って、京都の有名神社だ。二人は毎年そこらしい。
智恵先輩は今年受験だから、賢くんと二人でお守りと絵馬を買った。
しかし、賢くんは友達と約束があって初詣のはしごをするらしく、すぐに帰ってしまった。
……その友達は数人だと言っていたが……多分……。
「優ちゃん、聞いてる?」
自分の世界に入ってしまっていたらしい。慌てて返事をする。
「せっかくここまで来たんだし、一杯やってく?」
もちろん、酒ではなく、お茶とケーキである。私は笑って頷いた。
甘いものは女の子のジャスティスなのだ。
「そういえばね、賢が言ってたのよ。最近、秀くんのお弁当がすごいんだって」
時折り、先輩は思い出したように秀くんの情報をくれる。
最初のうちは、秀くんの名前を聞くだけで泣きそうだったが、最近は笑って話せるようになった。
ちなみに、賢くん情報のはずなのに、何故か賢くんが教えてくれることはない。
気を使ってくれているのだろうか?それとも智恵先輩に情報の取捨選択を任せているのだろうか?よくわからない。
「最初は日の丸……っていうか、真っ黒弁当だったんだけど、そのうちみるみる進化を遂げたらしいの。
それで、クラスの子が冗談半分でキャラ弁を作って来い!と言ったらしいんだけど……そしたらなんと、
ピカチュウのキャラ弁を作ってきたらしいのよ。それも、ものすごくデキがよかったらしいの!」
先輩は笑いをかみ殺しながら言うと、携帯を見せた。
たまごと海苔と梅でかたどられたピカチュウは少し歪んでいるけど、愛らしい瞳で微笑んでいた。
背景のピンクと茶色のデンブが可愛らしい。
私も思わず噴き出した。秀くんったら、どんな顔でこんな可愛い弁当を作ったんだろう。
「この画像、もらえますか?」
「もちろんよ」
私は先輩からその画像を貰い、待ち受け画面に設定した。
そういえば昔は、秀くんとおばさんと一緒にポケモンを毎年見に行っていたことがあったっけ。
秀くんはヒトカゲが好きで、私はピカチュウが好きだった。
さすがに橙色のヒトカゲはお弁当にしにくかったのだろう。それにピカチュウは一番有名なポケモンだ。
でも、なんだか昔の逆で、お弁当を秀くんに作ってもらったような気分になった。絶対違うのはわかってるけど。
――その日、私は小学校の遠足の夢を見た。
私と秀くんは同じ班で、並んでお弁当を食べていて。
何故か秀くんのお弁当は私の作ったお弁当で、私のお弁当は秀くんのピカチュウのお弁当だった。
秀くんのいない新学期が始まって、私は高校三年生になった。
学校も塾も、受験の色を強く帯び始めた。
元々秀くんとは塾が違う。本当は同じところに行きたかったのだけど、秀くんは友達が多いからと別の塾にしたのだ。
入ってすぐに別の塾に変わることは親の手前できず、そうならば一念発起して塾代免除の成績をとって変わる理由に
しようと考えたこともあるけど……実行に移す前に私たちは離れてしまった。
でも学校から受ける模試は同じ予備校のもので、模試のたびに秀くんの名前を見ることができるのが、嬉しかった。
「進路に迷ってる?」
この春、百万遍大学総人学部に入学した智恵先輩と大阪のケーキ屋で久しぶりに会うことになった私は、
そろそろ結論を出さなければならない事柄について相談してみた。
「はい……」
以前、智恵先輩に「自分の人生を見つけなさい」と言われたのに、未だに見つけられない自分が不甲斐ない。
私はついつい俯いてしまった。また、ちょっとキツいことを言われるかもしれないと思ったからだ。
しかし、思ったのとは違い、智恵先輩は軽い口調で言った。
「まあこの時期、皆迷うわよね」
「……そうなんですか?」
智恵先輩はジュースをちゅうっと吸い込んでから、人差し指をぴこぴこ振った。
「そうよ。私なんて決められずに結局、総人なんてどっちつかずの学部にしちゃってさ。
まあ、そうねえ……大は小を兼ねるっていうし、理系は文系を兼ねるっていうし、理Vは全てに転じられるから
理Vにしたらどう?」
あはははーと先輩は笑う。
私は頭を殴られたような衝撃を受けた。確かに先輩の言うとおりだ。私は何度も頷いた。
「なるほど……そうですね、そうします!」
しかし、何故か先輩は驚いた顔をして慌てだした。
「……え?理Vよ?……その、冗……談のつもりだったんだけど……」
「そうだったんですか?でも、先輩の言うことは非常に理に叶ってます。
それに、私、多分頑張れば理V入れます」
にっこり笑って言うと、先輩はぽかんとした顔をした後、「そうね、そういえば前回全国10番以内だっけ……」と呟いた。
正確には8番ですよ。えへん。
――秀くんには絶対に負けないと誓った。
昔と違って、褒めて欲しいからじゃない。逆に、悔しがって欲しかったのだ。
そしたら秀くんはきっと、私を、絶対に、忘れない。
夏が過ぎて、秋が来た。
新聞に、秀くんの名前が載った。
国際数学オリンピックで日本代表として参加した秀くんは、銀メダルをもらったらしい。
惜しくも金ではなかったけど、地方新聞に写真入りで載った記事を、私は切り抜いて定期入れの中にしまった。
おめでとう、とメールを送りたいと何度も思ったけど、やめた。
駅で見かけたときに、おめでとう、と声をかけようと思ったけど、それもやめた。
もう、ずいぶん秀くんと話していない。今更、どんな顔で話しかければいいのかわからなかったから。
拒絶されるのが、怖かったから。
……生身の秀くんが私の人生からいなくなって、随分経つ。
――私はもしかしたらもう、慣れてしまったのかもしれない。
秀くんのいない人生に。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
受験の季節になった。
仕上がりは完璧。模試はA判定。入試直前期は皆が本腰入れてくるので成績上位者が崩れることもありがちだが
私に関してはそんなこともなく、行けば受かるとまで言われた。
規則正しい生活。無理をすることは慎み、体力を温存。風邪などひかぬよう……気をつけたというのに……。
入試二日前。
私はインフルエンザで熱を出した。
ワクチンをうったというのに。睡眠も栄養もたっぷりとって健康だったのに。神様は私にひどい意地悪をした。
40度になったら今年の受験は諦めろと父親に言われたが、なんとかそこまでは上がらず、動くことも出来た。
実家は関西。受験会場は東京。私とすれ違う人はごめんなさい。……本当にごめんなさい。
でも、人生がかかっているの。行かなければならないの。
だって私には、私の人生には、もうこれしか……受験勉強しかないから。だから絶対に受験したかった。
入試前日、ぼんやりとした頭と鉛のように重い体を引きずって新幹線に乗り、私はなんとかホテルについた。
夕食を半分だけ食べて、ポカリスエットを沢山飲んで、泥のように眠った。
行けば受かる……行けば受かる。ただそれだけを念じながら。
その夜、私はホテルの屋上から落ちる夢を見た。
ホテルは学校から集団で予約しているため、同じ学校の子たちがたくさんいる。
友人に助けられ、私は受験会場に行った。
はずだ。
――ならば今、私は一体どうなっているのだろう。
意識が浮上する。夢なのか現実なのかわからないあやふやな感覚の中で、ぼやけた視界ががくがくと揺れる。
頭が揺れているのだ。
温かくて固い何かに体がぶつかって、どうにも座りが悪い。
でも、それは切ないほど懐かしい匂いがする。そう、この匂いは……。
「しゅ……くん……」
「気がついたか、優子」
夢の続きだろうか。秀くんの声がする。
「喋るな、しんどいなら寝といていいぞ。
もう少しでホームに着く。あと4時間我慢したら家に帰れるぞ」
ホーム?
ここは……どこなの?
「品川駅だ。……って、おい!いきなり動くな!落ちても知らんぞ!」
急に意識がはっきりする。私は、誰かにおんぶされていて、その誰かは……秀くんだった。
「秀くん……どうして……」
秀くんはぴたりと立ち止まった。
「答える前に、お前、立てるか?自分で歩いてくれると助かるんだが……」
私は慌てて秀くんの背中から降りた。足元がふらついた瞬間、腰をしっかりと抱きかかえられる。
熱で熱いのか、それとも他の熱さか……体の奥から熱の塊が溢れて、指先まで震えた。
頭の位置が記憶と違う。記憶よりも高い。私の知っている秀くんと少し違う。
でもそれは、確かに秀くんだった。
「秀くん、どうしてここにいるの?」
秀くんはぴくり、と眉を跳ね上げると、大きくため息をついて首を振った。
何か……怒ってる?
「お前、試験直後に倒れて救護室に運ばれたんだよ。
そこで何故か俺に連絡がきたんだ……お前が連絡しろって言ったらしいぞ。覚えてないのか?」
私は頷いた。そもそも救護室に運ばれたということすら覚えていない。
……というか、よりにもよって秀くんに連絡?!何を考えてたんだろう、そのときの私……。
「入院した方がいいんじゃないかと思ったんだが、お前がどうしても家に帰ると言い張ったんだ。
倒れたのは気が抜けたからだろうと医者も言ったんで、荷物を友達に任せてお前に肩を貸して電車に乗ったんだぞ。
それなのに渋谷出てすぐ寝やがって……俺だって疲れてるってのにおんぶしてやったんだよ!
なのに覚えてないのか?!何も覚えてないのか?!」
私は恥ずかしさに耐えかねて、目をぎゅっと瞑って頭をぶんぶんと縦に振った。
本当に何やったのよ、私……!!
秀くんは、はあーっ、と長い長いため息をついた。
「荷物は貴重品以外は他のやつに持っていってもらってる。
財布と定期いれと携帯は抜いたけど、貴重品はそれだけでよかったよな?
……いや、やっぱり答えなくていいや。違ってももうどうしようもないし」
「それでいいよ」
普段几帳面なくせに、相変わらず変なところが大雑把だ。私は少しおかしくなった。
すると、秀くんは左手を私に差し出した。意味がわからずに戸惑っていると、焦れたように私の右手を掴む。
「とにかく行くぞ。新幹線が発車するまで後4分だ。次のでもいいが早く帰った方がいいだろ。
改札まで行くぞ。ほら」
そのまま、秀くんに手を引かれて歩く。
……幼稚園の頃を思い出した。
近所の子にいじめられた時。犬に吠えられたとき。お母さんと喧嘩して家を飛び出して帰りそびれたとき。
いつも、べそべそ泣く私の手を秀くんがひいて、家まで帰った。
なんだか目の奥がツンとする。
「お前、指定とってたみたいだけど、自由席にするぞ。指定だと隣に座れないからな」
そのまま、真っ白で広い駅の中を歩き出す。改札を過ぎて、エスカレーターに乗った。
私を前に立たせて、背中に軽く右手を添える。後ろにひっくり返らないように、だろう。
「自由席に座れない場合には指定に座るが、隣の人に代わってもらえないか頼んでみよう。
まあ……難しい気がするが、なんとかする。今のお前から目を離すのはよくないからな」
新幹線はありがたいことに空いていて、私たちは自由席で並んで座ることができた。
席についた時、エスカレーターから降りたときにまたしっかりと握ってくれた手を、秀くんが離そうとした。
それが寂しくて、秀くんの手を絶対離すまいと強く握る。
朦朧とした病人が寂しがっていると思ったのだろうか。
小さくふっと笑った秀くんは、空いている手で私の手をぽんぽん、と優しく叩いて、手を繋いだままでいてくれた。
また、体の芯から湧き出すだるさが、私の意識を薄れさせていく。
次に目を覚ましたとき、車窓は名古屋近くの地名をうつしていた。
「秀くん」
「……まだ名古屋手前だから、もう少し寝てていいぞ」
秀くんは通路側だ。空いている手で本を読んでいたらしい。私の顔を見ずに言う。
「秀くん、ごめん」
「全くだ。受験時に体調崩すなんて気合が足りんぞ。昔、濱望塾でも言われ……」
「そうじゃなくて……ずっと前に、秀くんを怒らせたの、ごめん」
怒涛の展開に、なんだか当たり前のように昔みたいに話をしてしまっていたが、私たちはずっと疎遠だったのだ。
朝一緒に行くこともなく、メールも電話もしない。駅であっても目を合わせない、そんな仲だった。
「それから、私と……一緒にいるのイヤなのに、突然倒れて呼びつけて迷惑かけて……」
「ちょっと待てよ」
ばさり、と本を膝の上に置いて、体ごと秀くんが私の方を向いた。
驚いた顔で、なんだか慌てている。
「怒ってたのはお前だろ?いつも駅で目が合ったら、声をかける前に目をそらして逃げるじゃないか。
実際キツいこと言ったのは俺だし、てっきり……愛想つかされたんだと……」
黙ったまま、お互いに見つめあう。
えっと……つまりそれって……。
「お互いに……誤解してた……ってことか?」
「ご、誤解じゃないよっ!」
私は大声をあげ、思わず咳き込んだ。周りのビジネスマンがびくっとするのが視界に映る。
秀くんは慌てて恐縮したように周りの人たちに頭を下げ、私を睨んだ。
「……だって秀くん、迎えに来なくていいって言って、お弁当もいらないって言ったじゃない。
私と一緒の学部イヤだって言って、もう構うなって……それって私のこといらないってことじゃない!」
「だから、大きな声は出すな……!
……確かにキツいことは言ったが……お前がいらないなんて言ってないぞ。
お前が俺に構いすぎだから、必要以上に構うなって言っただけだ」
「『必要以上に』なんて言ってない!ひとっことも言ってないよ!
「文脈から読み取れよ!何年一緒にいるんだ?!」
「駅でも目を合わせてくれなかったじゃない!」
「あのなあ……言っとくけど、わかってないかもしれんが先に目をそらしてたのは絶対お前だぞ」
「じゃあメールくらいしてくれてもいいじゃない!」
「なんて書けばいいかわかんなかったんだよ!俺の筆不精は知ってるだろうが!
お前こそあんなに毎日メールしてきてたくせに、あれ以来誕生日にも連絡なしだったじゃないか!
いくらなんでも数学オリンピックに出たら連絡くれるかと思ったのに、全く音沙汰なしだし!」
「『元気か?』でいいじゃない!秀くんって、ほんっと昔から想像力と応用力に欠けるよね。
そんなんだから昔っから読書感想文はズレてて滅茶苦茶だし小論文はテンプレ通りで面白みに欠けるし、
国語の点数だって一定しないのよ!」
「いやいやいやいや、国語の点数は関係ないだろ?国語はテクニックだって濱望塾の先生も言ってただろーが!」
「そのテクニックの応用がなってないって意味よ!」
「ごほん!」
特大の咳払いと共に、周囲の冷たい視線が突き刺さる。いくばくか好奇の視線も感じるが、それはさておいておく。
私たちは慌てて口を閉じた。
「……秀くんの馬鹿」
「その言い分には納得できない。俺が馬鹿ならお前も馬鹿であるはずだ」
それでも、1年×2人分の鬱憤である。そこで話をやめられるわけがない。
私たちは顔を寄せ、お互いの耳にやっと流しこめるようなひそひそ声で言葉を続けた。
「……やっぱり秀くんは私のことなんていらないんだよ。だってこのまま疎遠になっても良かったんじゃない。
連絡くれないんじゃない。秀くんは私のことなんて嫌いなんだ」
「そっくりそのままお前に返してやる」
「大体、秀くんはいっつも怒りっぽいんだよ。小学校のときから自分が一番じゃなかったらすぐ拗ねるんだから」
「悪かったな。男にはプライドってのがあるんだよ」
「そういうプライドやめてよね。数学以外で私に勝てるわけないじゃない」
秀くんは絶句してぷるぷると怒りに震えた。……可愛い。
「……お前、お前ってやつは……っ!ほんっと、昔っからそういう可愛くないことばっか言いやがって……っ!
大体、昔っからああいう喧嘩なんて珍しくなかったじゃないか。
お前だってよく『秀くんの顔なんて見たくないっ!』って言ってたし」
「そんな喧嘩、小学生のときまでだよ。それに、最初の質問に答えてないよ。
連絡くれないってことは、私と疎遠になっても良かったんでしょ」
秀くんは、真剣な顔で私の顔をじっと見た。ふい、と目をそらす。
「少し……思ってた」
ズキンと心が痛んだ。
「でも、すぐに後悔した。それで、連絡するきっかけを探したんだが、思いつかなくて。
ほんとはな、10月にお前の誕生日に電話したんだ。……そしたら繋がらなくって」
秀くんからのナンバーは携帯に残ってなかった。ちょうど圏外か何かだったのだろうか?
なんてタイミングが悪い……。
「……かけなおせばいいじゃない。留守録だってあるよ」
「なけなしの勇気がどっかいっちゃったんだよ!
そうこうするうちに、なんだか時間が経てば経つほど連絡しにくくなって……。
それで次には数学オリンピックに出られたら連絡しようと思ったんだが……なんか自慢してるみたいでどうかと」
負けると拗ねるくせに、勝ったら自慢みたいでイヤとか言われたら、どうしたらいいのかこっちの方がわからない。
秀くんってば、相変わらずメンドクサイ性格してる。
そして秀くんは絶対に、誰かに連絡するという場面の選択方法を根本から間違えている。と思う。
「でもな、大学に受かったら、今度は絶対に連絡しようと思ってた。何をしてでも許してもらおうって」
秀くんは、まっすぐ私を見て、真剣な顔で言った。
「お前にあんなことを言った自分を、何度も後悔したよ。
自分の弱さがイヤだった。だから、変わろうと思って俺なりに努力したんだぞ。いろいろ。
誰の前でも……お前の前でも、自信が持てる自分になるために」
秀くんは、ぎゅっと、痛いほどに私の手を握り締めて、焦点が合わないくらい近くに顔を近づけた。
キスできそうな距離に、心臓が早鐘をうつ。
「同じ学科は今でもイヤだ。そこを撤回する気はないぞ。
……でも俺は、優子と同じ大学に行きたかった。
今の俺の一番の志望動機は、それだ」
思わず涙が零れ出た。
……嬉し涙ではない。
「秀くん、私」
「……迷惑か?」
「違うの。私……英語のリスニングを受けた記憶がない」
「は?」
秀くんが不思議そうな声を出した。
「今日の記憶が、そこからぷっつり切れてるの。試験をちゃんと最後まで受けたかどうかすら、覚えてないのよ
多分私、今年はダメよ。一緒の大学に……行けない」
秀くんは一瞬息を飲んだ後、微笑んだ。
「救護室の人が、最後まで試験を受けてたって言ってたぞ」
「でも、書けてたかどうかわからない。書いてても、合ってるかどうか……わからない……」
涙が後から後から頬を伝う。
せっかく秀くんと仲直りできたのに。せっかく、あのプライドの高い秀くんがあそこまで言ってくれたのに。
私たちはきっと、すぐに離れ離れだ。
「お前、何馬鹿なこと言ってんだよ」
何故か、呆れたように秀くんは言った。
「あのな、お前自分が誰だと思ってんだよ。全国模試20位以内常連の阿川優子だろ。
いいか、お前みたいなのをな『目をつむってても受かる』って言うんだよ!わかったか!」
秀くんは私の手を離し、私の頭を巻くように引き寄せて目を手のひらで覆った。
昔と同じで、その手のひらはひんやりとしていて気持ちよかった。
「病人は弱気になるからな。お前もう寝ろ。新大阪で起こしてやる」
「秀くん……」
「喋らず寝ろ。言いたいことがあるんなら明日以降にしろ。いつでも聞いてやるから」
それは、明日も明後日も明々後日も、また一緒にいるという約束。
その一言で、息が止まりそうなほど……全てを忘れられるくらいに嬉しかった。
「……うん、お休み」
秀くんのぬくもりと心地よい冷たさに包まれて。
私は再び眠りに落ちた。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::