「いきなり何よ、濡れちゃったじゃないの、もうっ」  
ここまで来る最中に突然のにわか雨に襲われ、部屋のドアを開けるなり可憐は口を尖らせて文句を言った。  
「まぁまぁ、季節も季節だし仕方がないよ。」  
となだめるように返すは部屋の住人、秋五。  
「それに濡れたと言ってもほんのちょっとみたいだしよかったじゃない。」  
「…気象庁のフォローばかりしてないでタオル貸して頂戴。」  
可憐はむぅとした顔で言い、  
「はいはい。」  
秋五からタオルを受け取る。  
「可憐、体冷えてる?」  
「ちょっとね、時間も時間だし。」  
「じゃ温かいコーヒー淹れるね。」  
「ん、ありがと。」  
夕刻というには少しばかり遅い午後七時。そんな時刻に秋五の部屋に訪れる可憐、ふたりの関係は付き合い始めて2年程の恋人だった。  
 
ガラガラガラガラ………  
 
キッチンから音が聞こえる。秋五はコーヒーを淹れるとき、手軽なインスタントではなく、いつもわざわざ豆を挽くところから始めるのだ。  
 
「最近どうなの?」  
豆を挽く音に混じって秋五の声が来る。  
「どうって…何が?」  
「いや、可憐最近、近所の何とか進学指導センターって塾でアルバイトし始めたって聞いたからさ、どうなのかな〜って…」  
「…何であなたそんな事知ってるの、始めたの一昨日からなのに。」  
「昨日、朝子から聞いたんだ。心配してたよ、『あんな慌てんぼうのおっちょこちょいが先生なんか出来るのかしらね』…て。」  
「……何よ、その慌てんぼうのおっちょこちょいって。」  
秋五にじとっとした目線と声で返す。  
「いやいや、朝子がそう言ったんだからね、僕じゃなくて。」  
「ふ〜ん、なら秋五はわたしの事そんなふうに思ってないって訳ね?」  
「………うん。」  
「今の間は何よ?」  
「大丈夫だよ、そういうことにしといて。」  
「…絶対嘘ね。」  
「………………。」  
秋五の言葉が返ってこなかった。  
 
暫くしてコーヒーを手に秋五がやって来た。  
「…いい香りね。」  
淹れたてのコーヒーがテーブルに置かれ、香りが広がる。  
「新しく買った豆だからおいしいかどうかまだ分からないんだけどね。」  
やや自信なさげな声。  
「ふ〜ん、珍しいわね、いつも同じの買ってるのに…じゃ、貰うわね。」  
そんな秋五に微笑みながらカップを口に運ぶ。  
「………どう、かな?」  
秋五が味を訊いてきた。  
「…うん、美味しい。」  
「それならよかった。」  
可憐の言葉にほっとした様子の秋五。  
「でも…」  
可憐はまたコーヒーを口にして少し首を傾げて言った。  
「…でも?」  
「なんか変わった味がするわね、これ。」  
「そ、そうかな?」  
「うん、ちょっとだけどね。なんかコーヒーっぽくない味が混ざってると言うのかな?」  
「珍しい豆だからね、多分そのせいじゃないかな、うん。」  
「ふ〜ん、そうなんだ。」  
何となくそういう物なんだと納得して、またコーヒーを口にする。  
 
(……やっぱり何か変な味がする。)  
カップの中も残り僅かになってから可憐はまた思った。しょっぱいとか辛いといったはっきりした味ではなくて、言葉で表しにくいが…どこか変なのだ。変なのはコーヒーだけではない。  
秋五の様子もどこかそわそわして、会話しながら可憐の手にあるカップにちらちらと目をやっている。  
「ねぇ、秋五。」  
「ん、なんだい?」  
「何か私に隠し事してない?」  
「え、何の事?」  
すっと秋五の目が逸れ、ぱちぱちと素早く瞬きした。  
「しらばっくれないで頂戴。秋五、自分で気づいてないかもしれないけど、あなた嘘つくと瞬きが増える癖があるのよ?」  
「………。」  
「もう一回聞くわよ。秋五、あなた何隠してるの?」  
可憐は秋五の視線がまた手元のカップに向かっている事に気づき、  
「……これに何か混ぜたのね?」  
カップを指さしながら可憐はまた訊いたが、  
「………。」  
秋五はまだ黙り込んでいる。  
「ちょっと。毒でも入れたんじゃないでしょうね?」  
「………。」  
…秋五のだんまりが長いので不安になってきた。本当に何を入れたんだろう…。  
「聞いてるの、秋五?!」  
「…別に体に害のある物じゃないよ、可憐。」  
ようやく秋五が顔を上げて答えた。  
「じゃ何を入れたの?」  
「媚薬。」  
ぼそりと呟いた。  
「……は?」  
「媚薬だよ、媚薬。」  
「媚薬って…あの惚れ薬の?」  
また秋五は下を向いた。  
「はぁ………。」  
可憐は毒が入っていない安堵と、何をバカのことをしているのだろうという情けなさからくるため息をついた。  
(…でも悪い気はしないわね。)  
何しろふたりは恋人の仲であるにも関わらず惚れ薬を飲ませてきたのだ。悪い気はしないでもないに決まっている。  
(ホントかわいい所もあるんだから…。)  
可憐の頬がぼっと染まる。自分でもそれがわかった。  
「可憐、顔が少し赤いよ?」  
秋五の声で現実に戻る。  
「え?き、気のせいよ、気のせい。」  
「そうかな?」  
「そうに決まってるでしょっ」  
気恥ずかしくなって顔を背ける。  
「それじゃ困るんだけどなぁ…」  
「……え?」  
「だって気のせいという事だと薬の効果が無いって事じゃないか。それじゃせっかく媚薬をのませた意味がないよ。」  
「大丈夫よ、惚れ薬なんか無くてもずっと秋五の事は大好きなんだから。」  
「……可憐。」  
「なに、秋五?」  
「僕が可憐に飲ませた媚薬はね…惚れ薬じゃないんだ。」  
「……え?」  
「…確かに媚薬には『トリスタンとイゾルデ』みたいに、惚れ薬という意味もあるけどね。今回コーヒーに混ぜたのは催淫薬なんだよ。」  
「催淫…薬?それって……」  
可憐にはその先の言葉を出すのが躊躇われた。  
「そう、その催淫薬。大学からちょっと失敬した強力なやつでね、本当は1/19倍と希釈する筈なんだけど、可憐は妙に勘が鋭いから原液をそのまま入れたんだ。」  
「…嘘でしょ、秋五?」  
「ホントだよ。だから顔が赤いって言ったんだ。そろそろ体も火照ってきたんじゃない?」  
(そう言えば…さっきから暑いような…)  
「どう、可憐?まだ薬は効かない?」  
秋五はテーブルの向こうからのぞき込みように顔を出して聞いてきたが、  
「…知らないっ」  
可憐はぷいと顔をそらした。  
 
トントン、トントン……  
 
可憐が包丁で野菜を切る音が響いてくる。ただし、キッチンから聞こえるのはそれだけではなかった。  
 
「ふぅ…………………」  
 
野菜を切る音の合間に可憐の悩ましげな吐息も聞こえてくる。  
「可憐、無理しなくていいんだよ?」  
「む、無理なんかしてないっ。」  
「そう?でも、もう飲んでから30分以上たったよ?」  
「別にへ、平気よっ。媚薬なんか、効いてないんだからっ。本当に入ってたかだって、あ、怪しいものねっ。」  
可憐は先ほどからずっとこんな感じで意地をはっている。しかし、可憐の出す声は途切れがち、時々皿をテーブルに並べる際に可憐の足が震えているのを秋五は見逃さなかった。  
そしてまたエプロン姿の可憐が秋五の座るテーブルにやって来て皿を置く。  
「でもさ〜可憐?」  
「何――っひゃん!」  
いきなり秋五は手を伸ばしてきて可憐のスカートの中をまさぐり、くにくにとショーツ越しに可憐の秘所を指で刺激してきた。  
「な、なな何するのよっ!」  
驚いた可憐は叫んで秋五の手から急いで逃れる。  
「いや、濡れてるんじゃないかなって…」  
「だ、だからって、いきなりやらないでよっ!」  
「予め断ってたらいいのかい?」  
「いいわけないでしょっ!」  
そう言って可憐は顔を真っ赤にしてキッチンの方へと引っ込んでいった。  
 
暫くして夕飯を作り終え、エプロンを外しながらキッチンから可憐が出てきた。  
「可憐?」  
「何よっ」  
「なんか歩き方がふらふらしてるよ?」  
「しゅ、秋五があんなことするからでしょっ!」  
「あんな事って…媚薬の事かい?それとも君のあそこを触ったことかい?」  
「ど、どっちもよっ!」  
赤みがおさまりかけていた顔がまた真っ赤になる。  
「そうなんだ…それじゃ責任とらないとね?」  
秋五がそんな可憐にすっと近づいてくる。  
「何する―――っ!」  
ボフッという音がして秋五にやわらかいベッドの上に押し倒され、  
「ちょっと…っひぅ!」  
耳を舐められる。  
「…相変わらずここ弱いね?」  
「ご、ご飯…早く、食べないと、ふぁっ…冷めちゃうでしょ…!」  
何とか秋五の下から逃れようとするも、  
「あったかいご飯も食べたいけど…」  
「ひゃぅっ!やめっ…」  
「…それよりも君の方が食べたいな。」  
ぺろっとまた耳をやられながらそう囁かれ、そんな気力と力など消え失せてしまった。  
 
「…すごい、完全にとろけちゃってるよ?」  
秋五はスカートと下着を外した状態の可憐の秘所を見つめて言った。  
「…そんな…見ないでよ…」  
顔をそらして可憐は消え入るような声で抗議するが、  
「無理だね。」  
ぐにぐにと秘所を弄くられ、  
「ひゃぅっや、やだ……ぁん…」  
艶めかしい声が漏れ、頬は上気して朱に染まりきり、その目は完全にトロンとした。  
「さてと、ちょっと待ってくれるかい?」  
いきなり秋五は立ち上がっ部屋のて押入へと向かう。  
「…?」  
可憐はベッドで横になりながら、秋五が部屋の押入から旅行鞄を持ち出してくる様子を眺め、  
「…何よ、それ……」  
鞄の中を見て呟いた。  
「何って…実際に見たことは無くとも何かぐらいは知ってるでしょ?」  
秋五はしれっと返す。  
「そうじゃなくて!なんでそんなものたくさん持ってるのよっ」  
鞄の中は色とりどり、様々な種類の…『玩具』が入っていた。  
「なんでと言われても…君に使うためとしか言いようがないな。」  
秋五は薄く笑いながら返す。  
「これ、自分で使ったことあるかい?」  
たくさんの『玩具』の中から一つ、緑色をしたローターを取り出しながら秋五に訊き、  
「あるわけないでしょっ!」  
ぷいっと壁の方を向いて可憐は答え、  
「ならちょうどいいね、これから使おうか。」  
と言って彼はそれを彼女の秘所に押しつけて、  
「ちょっと!待って!」  
「もう遅いよ。」  
スイッチを入れた。  
「ぁんっひゃ…はああぁん…」  
それと同時に、ヴィィィィィンというローターの無機質な音と可憐のあえぎ声が響く。  
「あはは、すごいね。そんな体をくねらせちゃってさ。」  
コーヒーに入っていた媚薬のせいなのか、すっかり出来上がってる可憐はあっという間に快楽の波にさらわれた。  
「だって…あぁん…気持ちいいのぉ……あそこ…いじられて……ビリビリして…」  
「よっと。」  
「ひゃぅっ!そこダメっ!いやぁっ!」  
秋五がローターの振動部を可憐のぷっくりと膨れ上がったクリトリスに当て、  
「い…イっちゃう…イっちゃう…イっちゃうのぉっ!」  
「いいよ、僕の前でイってみてよっ」  
「くぅぅっ――――――――!」  
20秒もしないうちに可憐は絶頂へと達し、体を震わせた。  
 
 
「はぁっ…はぁっ…はぁっ……」  
「やっぱりこっちの方が気持ちいいんだね…いつもはイくのに5分はかかるのにさ。」  
珍しく拗ねたような声を上げる秋五に可憐は上がった息をしながら微笑み、  
「そんな事無いよ、秋五。」  
そう言ってテントを張った彼の股間に手をやった。  
「やっぱり…こっちの方がいいな。」  
「……。」  
ところが秋五は彼を優しくなでる可憐の手を取った。  
「どうしたの?」  
「まだ、早いよ可憐。」  
「え…?」  
「せっかくこんなにあるんだよ?使わないともったいないじゃない。」  
「…まだ何かやるのね…」  
ふぅ、とため息をついて可憐は言う。  
「そういう事。」  
秋五はそう言って彼の鞄から今度は何か大きいものを手にしようとした。  
「…マッサージ機?」  
「あれ、知ってるの?」  
秋五はやや驚いた。  
「知ってるも何も家にあるし…」  
「…使ったことは?」  
「私、ほとんど肩凝らないから…使ったことはあまり無いかな?」  
「肩凝りに、ね…」  
「…それそういうものじゃないの?確か説明書にもそう書いて…」  
「ま、確かに本来の使用用途はそうなんだけどね。」  
「?」  
秋五はマッサージ機のスイッチをカチッと入れると、  
 
ヴヴヴヴヴヴヴ……  
 
とそれが振動する音が低く響いた。  
 
「可憐、ショーツを穿いてくれるかい?」  
「え、どうして?」  
「…多分初めての場合はその方が良いと思うんだ。」  
「……?」  
可憐は秋五の言っている意味がよくわからなかったが言われたとおりにした。  
「なんでこうするの?」  
やはり再度秋五に訊いてみる。肩もみ機になぜショーツが関係するのかさっぱりわからない。  
「使ったことがあるとわかるだろうけど、これかなり振動が強いんだ。」  
秋五は手にしたマッサージ機を、  
「だから下着越しじゃないと痛いかもしれないの。」  
可憐の秘所に押し当てた。  
「っ―――――――!」  
刹那、可憐の視界が真っ白になり、  
「ひっぁぁぁぁぁあああああああああああああああああっ!!」  
数秒で絶頂へと突き上げられた。一度達しても秋五の手にしたマッサージ機は相変わらず強い快感を彼女に送り続け、  
「いやっ!やめっ!イっちゃ…ぅぅうううっあああああああああ!!!」  
再び可憐は目がくらむような絶頂に達する。  
一瞬の間に二度もイき、ビクビクと大きく体を痙攣させる様子をみて、秋五はマッサージ機のスイッチをあわてて切った。  
「大丈夫?可憐?」  
「はぁっはぁっはぁっはぁっはぁっ…」  
可憐は荒い息をついて秋五の声に答えられなかった。  
「そんなに凄かったのかい?」  
「うぅぅ…」  
「可憐?」  
「……ど、どうなっちゃうかと思ったじゃないのっ!」  
未だ肩を大きく上下させながら可憐は叫ぶように言った。  
「…何回イったの?」  
「に…二回…くらい…」  
「あんな短い間に?」  
「そうよっなんでこんなの使うのよっ!おかしくなっちゃうかと思ったわよっ!」  
可憐の目に涙が浮かぶ。  
そんな可憐を見て秋五の口元がつり上がる。  
「それならよかったよかった。高いお金を出して買った甲斐があったよ。」  
そう言ってまたスイッチを入れる秋五。  
秋五の意図に気づいて後ずさる可憐。  
「ちょっともうやめてよっひゃうっ!いやああぁあぁぁぁあ―――――――!!!」  
制止もむなしく、秋五にマッサージ機を再び秘所に当てられ、  
「イくっまたイっちゃうぅぅぅ〜〜〜〜〜〜っ!!」  
ビクビクっと体を大きく震わせ達す。先ほどのローターの振動などこれに比べれば無きに等しかった。  
「もうっらめぇぇぇっ!止めっ止めてえぇぇっ!」  
可憐は必死に秋五に懇願するが、  
「大丈夫だよ。電池が古いから…あと15分くらいでほっといても止まるって。」  
聞き入れられることはなく、  
「ぁっあぁぁあぁぁああああああああああああっ!!!」  
再度、意識が真っ白な世界に飲み込まれた。  
 
その後、可憐はマッサージ機によって生まれて初めて味わう強烈な絶頂を、数え切れないほど迎え、さらに秋五の様々な『玩具』を試される事となり、  
その晩は可憐にとって長い夜となった。  
 
翌朝、秋五と可憐は一緒に遅い朝御飯を作ることとなった。結局、食べ損ねた晩御飯は翌日の昼の弁当へと変わった。  
 
「ねぇ、秋五。」  
「なんだい、可憐?」  
「昨日の媚薬、大学から持ってきたみたいなこと言ってたけど…大丈夫なの?」  
「…何が?」  
「何って…昨日『失敬してきた』って言ったじゃない。勝手に持って帰ってよかったの?」  
「…可憐。」  
秋五は薄笑いを浮かべていた。  
「…何?」  
そんな彼の様子に可憐は怪訝な顔をする。  
「実は使い物になるような催淫薬はまだ発明されてない事、知ってる?」  
「……え?」  
「ま、感度が多少増したり、興奮剤程度のものはあるんだけどね、性欲を著しく増すなんてものはまだ無いんだよ。」  
「何言ってるの?昨日確かにあなたコーヒーに混ぜたって…」  
「ごめん、あれ嘘。」  
「…は?」  
「いや、確かに混ぜるには混ぜたんだけど…あれお酒なんだ。」  
これね、と言いながら秋五はブランデーか何かを取り出して見せた。昨日のコーヒーが妙な味をしていたのはこのせいだったようだ。  
「ちょっと待ってよ、だって昨日確かに効果あったじゃないの!」  
「う〜ん、それなんだけどね…ほら可憐、君ってお酒全然飲めなかったでしょ?そのせいで微量のアルコールでも体温が上がったんじゃないかな。」  
「体が火照っただけじゃないわよ……」  
それ以上昨日の痴態を口にするのは気恥ずかしくなって可憐の声は萎んでいった。  
「それ以外は君の思いこみだろうね。」  
そんな彼女の様子などどこ吹く風、秋五は涼しげな顔で返す。  
「思いこみ?」  
「そう。可憐、君はプラセボ効果というものを知っているかい?」  
可憐は首を横に振る。彼女には聞いたこともない言葉だ。  
「日本語に直すと偽薬効果。簡単に説明するとね、本当はまったく効果がない偽物の薬を被験体には本物だと嘘の説明をして投与する。それで説明を信じた被験体に―あたかも本物の薬を投与したかのように―効果がでる事があるんだ。」  
秋五は澄まし顔で説明し、  
「…本当なの、それ?」  
可憐は疑いの声をかけるが、  
「嘘も何も昨日は現にそうだったんじゃないのかい?」  
逆に秋五に聞き返され、  
「………っ。」  
可憐は赤面した。  
そんな彼女を気にすることなく秋五は口を回す。  
「それにしても君のおかげで助かったよ。」  
「助かったって…何がよ?」  
「いや、今週中にプラセボ効果に関しての論文を提出しなくちゃならなくってね、昨日の経験が役に立ちそうだよ。」  
「…そんなものに昨日の事を書いたりするつもりなら殺すわよ?」  
可憐は恐ろしげな声を出して包丁を手に取るが、  
「え〜、プラセボに関してのいい実例に挙げられるんだけどなぁ…。」  
残念そうな顔で秋五は返す。  
「そうだ、そんな事より良いことを教えてあげるよ。」  
今度は何かを思い出したかとように声をかけ、  
「なによ?」  
可憐は包丁をまな板に置いて聞き返す。  
「昨日のお酒入りコーヒーね、あれアレンジ・コーヒーって言うんだ。」  
「…そう。」  
「また飲みたくなったら言ってよ、いつでも淹れてあげるから。」  
秋五は取り出した酒瓶を棚に戻しながらそう言った。  
「…ねぇ秋五、私もいいこと教えてあげる。」  
今度は可憐の甘い声が秋五にささやかれる。  
「何だい?」  
…秋五が振り返るが早いか、可憐の神速の拳が彼のみぞおちに決まり、彼の意識は暗闇へと落ちていき………最後に見たのは彼が未だかつて見たことがないような―できれば二度と目にしたくない―可憐の笑顔だった。  
 
(完)  
 

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