-LAB- 
 
朝の日差しで目が覚めた。  
どうしてこう、冬の布団は快適なんだろう。  
むしろ強敵。倒せません。  
と、ドアの向こうからドタドタと誰かが階段を上がってくる音。  
「またかよ・・・むにゃ」  
再びまどろみに落ちかけた俺の眠気を、荒々しく開かれたドアがかき消した。  
「ちょっと!早く起きなさいよ!」  
身体を揺さ振られる。無視無視、と・・・。  
「もう時間なのよ!?遅刻しちゃうじゃないの!」  
「それならお一人で行かれてください・・・俺は母がキトクで・・・」  
寝言のように呟く。  
「 起きてるじゃない!ほら、布団から出てよー!」  
「ぼくなにもしらない・・・むにゃ」  
プツン、という音がした。  
とたんに布団が剥がされる。  
「何言ってるのよ!いいかげんに・・・!!」  
言葉が途中で詰まったらしい。顔を見てみると、目を見開いたまま赤くなっている。  
数秒の沈黙の後、耳をつんざく絶叫がこだました。  
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」  
鼓膜がビリビリ。死ぬ。  
 
「あ、あ、あんた、なにやってんのよぉ!」  
指差す先には、俺と同じように、朝の日差しに誘われて起きたマイサン。  
その黒くて硬くて太いビッグマグナムが、巨大な野営地を下半身に築いていた。  
「フッ・・・俺も若いな」  
「馬鹿言ってないでなんとかしなさいよ!」  
高校生だから当たり前なんだが・・・  
仕方ない、マイサンの怒りを鎮めるにはあれしか・・・  
「な、何するつもり?」  
「決まってるだろ、地鎮祭だ」  
用意する物は、リリンの生み出した文化の極みであるティッシュと、ほんの少しの煩悩と  
そして・・・己の身体でもっとも信頼できる部位である、共に死線を乗り越えた戦友(とも)・・・  
そう、右手だ。  
「ま、まさかぁ・・・」  
「OK、作業開始だ」  
「イヤアアアアアアアアアア!!変態!スケベ!トンチンカン!甲斐性無し!」  
罵声を食らいながら同時に鉄拳も食らう。  
そういえば・・・どこぞの地上最強の生物は、ただおもいっきりブン殴るのが最強といってたなあ・・・  
こいつの背にも鬼の顔が現れているのか?  
遠くなる意識。もちろん、眠いからじゃない。いや、別の意味で眠りそうだ。  
「とっとと着替えなさいよね!バカ!」  
これだけやっておいて着替えろというのも鬼だ。まさに鬼。いやエルクゥじゃなくて。  
 
「あんたがバカやってたおかげで遅刻しちゃいそうじゃないの!」  
通学路を最速で駆け抜けながらまたも罵詈雑言を食らう。  
「恨むなら俺の若さと我が自慢の息子を恨んでくれ」  
大人の余裕で流しつつ、裏道を通っていく。  
やれやれ・・・今日もドタバタした朝だなあ。  
「なんでいつもそうなの?ほんとにもう・・・」  
おおっと、紹介が遅れたぜ。  
こいつは俺の幼なじみで朽木 天音(あまね)と言う輩だ。  
昔からずぅーっと一緒。いわゆる腐れ縁?  
ちなみに、俺のオヤジとお袋と、天音の両親がそろって旅行中である。あからさまだ。  
俺は新宮 涼。まあ、男の名前なんぞどうでもいいだろうが。  
俺らは地元の高校に通う二年生だ。さらに、天音とは小学校からずっとクラスが一緒である。  
まあ、設定はそのくらいにしておいて。  
学校の正門が見えてきた。  
ケータイの時刻を見てみる。よし、まだギリギリ間に合う。  
「急ぐぞ」  
「え?う、うん」  
スピードを上げて正門に駆け込む。  
俺達は間一髪、滑り込みセーフで遅刻にはならなかった。  
 
   ざわ・・・・  
      ざわ・・・・  
 
時間は一気に飛んで昼。  
黒服の男が現れて別室へ連れて行かれそうな効果音のする教室。  
それ以外には何の変哲もない昼の風景だ。  
ああ、あいつの弁当美味そう・・・  
・・・俺は、弁当を忘れていた。いや、いつも作っていない。  
大概、コンビニで買うか我慢するか、もしくは・・・  
「何やってんの?まさかまた忘れたの?」  
来た。食料が向こうからやってきたぜ、グヘヘヘ・・・  
別の意味で邪な思いを抱きつつ振り返ると、期待の星・・・他でもない天音が立っていた。  
ま、ここまでくれば大方の予想はつくだろう?  
「仕方ないなあ。はい、お弁当」  
女の子らしい布を一気に剥ぎ取り、貪る。貪る。貪る。  
何が自分の口に含まれているのか分からないほど高速で食らう。  
そして飲む。喉を鳴らして飲み干す。炭酸の抜けたコーラを。  
いや、エネルギー効率がいいのよ。まずいけど。  
「ねえ、もっと味わって食べたら?」  
全て食らい尽くしてから言われてもねえ・・・  
とりあえず、食った食った。これで生きていける。  
「もう・・・せっかく作ったのに・・・」  
「いや、美味いよ、美味かったよ」  
過去形が混ざる時点でおかしいが、このさい気にしない。  
「じゃあ、中に何入ってたか言ってみて」  
「・・・・・・・・・・」  
「・・・・・・・・」  
「・・・・・・・・・・」  
「・・・・・・・・」  
「・・・・・・・・・・・まぐろの刺し身」  
「なわけないでしょ!!」  
拳が飛んできた。チョキには勝てるけどパーには負けちゃいますよ。  
普通ならここでの擬音は「スパーン」だが、ここではあえて「ガオン」にしておこう。  
俺でなければ即死だ。俺のようにこいつの攻撃を受けなれていなければ・・・  
「馬鹿・・・」  
天音がしゅんとした顔になった。  
「いや、美味いのはマジだって。うん」  
食っていたのがなんなのかまでは知覚できながったが、とにかく美味い。  
天音は、家庭的な面ではとても秀でている。  
「きっと、良いお嫁さんになれるさ」  
よく分からないフォローをした瞬間。  
「な・・・何いってんのよ!人の気持ちも知らないでー!!」  
スパァーン!!と小気味いい音が響いたァッッ  
反動で空中きりもみ三回転を起こしつつ、俺は文字どおり吹き飛ばされた。  
「はぁ・・・いつもこんな感じなのよねえ・・・」  
疲れたように、ある意味あきらめも含めたため息だ。  
俺はかろうじて生きているらしい。泣いたままの膝を起こして、向き直る。  
「まあでも、嬉しかったぜ。作ってきてくれて」  
セリフは決まった。見た目は決まらない。  
天音はかあっと顔を赤くして、黙ってしまった。  
そんなこんなで、学校での一日は過ぎていく。  
 
結局、下校の時間になるまで天音はムスッとしたままだったようだ。  
一応「何怒ってんだよ」とメールは送ってみたけど・・・返信はない。  
ま、家に帰れば話せるだろうし、いいんだけどさー。  
「それでは、下校してください」  
担任の言葉を最後に、S・H・Rが終わった。  
かばんを持ってとっとと帰るヤツ、友達とくっちゃべってるヤツ、部活に向かうヤツ・・・  
色々いるが、俺はとっとと帰ることにした。  
すれ違う友人と適当に言葉を交わしながら、正門へ向かう。・・・・と。  
ティロリー ティロリローリー ティロリー ティロリティローリー ティロリー♪(某潜入ゲームのテーマ)  
天音からメールの時はこれが流れる。  
ケータイを開くと、新着の文字。  
内容は・・・「なんでもないわよ」だそうだ。  
「あ、そう。ならいいけど」と返しておく。  
詳しいお話は家に帰ってから聞きますか・・・  
さすがに気になるので、俺は少し飛ばして帰っていった。  
 
というわけで何事もなく帰還。  
玄関で靴を脱ぎ捨て、さっさと階段を昇っていく。  
自室の扉を開けて荷物を放り出す。  
俺はおもむろに窓を開けた。そうすると、手が届きそうな距離にもう一つ窓がある。  
そう、天音の家は、俺の家の隣。  
さらに、自室もうまい具合に向かい合っていて、窓を開ければ話せるってわけだ。  
・・・そして、人はそれをお約束と呼ぶ。  
まぁそんなことはどうでもいい。閉められたままの窓をコンコンと叩く。  
明かりはついてるのでいるだろう。  
・・・と思ったが、返事はない。  
「いないのかー?」  
もう一度叩く。やっぱり返事はない。  
「おーい」  
少し強めに叩いても反応無し。なんかあったのか?  
それとも単に無視されてるだけか・・・うーん、あいつはそんなことはしないしなぁ。  
と考え込んでいた時。  
「な、何なのよ・・・これ・・・」  
窓の向こうから天音の声がした。  
「なんだよ、いるんじゃねえか」  
「涼・・・?」  
初めて気づいたらしい。何をしていたのやら。  
「とりあえずさ、窓開けろよ。聞きたい事が・・・」  
「駄目!!」  
俺の言葉を強く遮る天音の声。  
「み、見ちゃ駄目・・・」  
段々と声が弱くなっている。  
一部、鳴咽のような物も聞き取れた。  
 
「・・・開けるぞ」  
「駄目・・・」  
さっきから「駄目」の一辺倒だ。  
その言葉を無視しつつ、俺はぎりぎり手の届く窓を開けようとした。  
何かただならぬ事が起きているのだけ、俺には分かった。  
鍵はかかってないようで、少しだけ開く。  
悟られない様に中を覗くと、帽子を被って部屋の隅にうずくまる天音が見える。  
顔が暗くて見えない・・・が、身体が小刻みに震えているのは分かった。  
俺は居ても立ってもいられなくなり、そのまま窓を大きく開く。  
その音に気づいた天音がこっちを見た瞬間、思いがけない物が目に飛び込んだ。  
天音が・・・あの天音が、涙ぐんでいる。  
「お邪魔します!」  
とりあえず緊急時でも礼儀正しく。  
自室の窓のへりを飛び越え、天音の部屋に入った。  
「とうっ!・・・ふっ、決まったな」  
華麗に着地して、決めのポーズを取る。  
と同時に、後頭部から鈍い衝撃。  
「人の部屋に入ってこないでよ!馬鹿!」  
帽子を片手で押さえながら、拳を握る天音が俺を見下ろしている。  
・・・実は、少しは場を和ませようとやっただけなんだがね。  
「入ると宣言・・・してないなそういえば」  
もうイッパァァツッッ  
「ITEッ!」  
隕石のような衝撃を食らいつつ、俺は天音に視線を移す。  
「ほんとにもう・・・」とか言いながら立っている天音・・・違う所は帽子を被っているのと、 
微妙に涙ぐんでいるのと腰の辺りに見えるしっぽ。  
・・・・・・・・・・・・  
・・・・・・・・・  
・・・・・・  
「・・・・・しっぽ!?」  
 
 
たしかに見えるしっぽ。  
作り物には見えない。  
ふさふさした毛で覆われていて、よくある柴犬のような感じだ。  
色もこげ茶色ってのが近くて、なんというか・・・可愛らしい。  
って、そんなことを言ってる状況じゃねえ!!  
「え、あ、だ、駄目っ!」  
俺の驚きの声にしっぽが見られている事に気づいた天音は、慌ててそれを隠した。  
当然両手で押さえられてた帽子は落ちるわけだが・・・。  
 
ぴょこ。  
 
・・・・・・・・・  
・・・・・・  
・・・  
「耳!?」  
犬耳というやつである。  
それが、頭の上から生えているのだ!  
「あっ、やっ、だから、その・・・見ないでー!!」  
さらにそれにも気づき、あたふたとしっぽと耳の間を往復する両手。  
やはり作り物には見えない。そういう質感がある。  
「ど、どうしたんだよそれ・・・」  
俺は事態が飲み込めなかった。  
天音が、瞳を潤ませたまま俺をキッ、と睨む。  
「知らないわよ!あたしだってわかんないんだからぁ!!」  
なぜか殴られる。しかもアッパーカットで。  
空中で縦に二、三回回転した後、そのままバタンと倒れる。  
「あ・・・だ、大丈夫!?」  
殴ってから心配されても・・・・ん?  
そういえば、天音が殴ってから俺の心配をするのって初めて・・・?  
遠くなる意識では判断できない。天音が何か言ってるが、それも分からない。  
そして・・・俺の意識は完全に途切れた。  
 
 
「ん・・・ここは・・・?」  
目が覚めた場所は、どこかの草原。  
なんでこんな場所に?  
「目覚めたアルね」  
誰!?  
慌てて声のした方へ視線を向けると、いかにもな中国人風のオヤジが立っていた。  
「オー、オー、ワタシアヤシイモノじゃないアルね」  
怪しい。うさんくさすぎる。  
「・・・ここ、どこだよ」  
俺はたしか、天音にアッパーカットを食らって気絶したはずだ。  
それがなんでこんなアヤシイおっさんと二人で草原なんかにいるんだ?  
なんか川みたいなのも流れてるし・・・。  
「まあまあ、そんなことより、恋人の異変の原因・・・知りたくないアルか?」  
オッサンが眼鏡を怪しく光らせつつ言った。  
恋人・・・?  
「あ、天音のことかよっ!?」  
ガラにもなく顔を赤くしてしまう。  
ていうかなんでこのオッサンが知ってるんだ。  
「そう、その子の事アルよ。なんで急にあんなものが生えたのか・・・知りたくないアルか?」  
またも眼鏡が光る。だからあんた誰なんだよ・・・。  
もしかして、これは夢なんだろうか。境界線が分からない・・・。  
「どうでもいいことで悩んでるんじゃないアル。知りたいのかどうか、答えるアル」  
「し・・・知りたい、けど?」  
オッサンがニンマリとした。  
まあ、あいつの異変の原因が探れるなら・・・頼ってみるか。  
「・・・で?あんたなんか知ってんのかよ?」  
オッサンがまたニンマリとした。  
なんか気持ちわりぃ・・・。  
「当たり前アルよ。だからこそここに呼んだアルよ」  
呼んだ・・・?どういう意味だ?  
とりあえずそれは置いといて、原因の方をさっさと説明してもらう事にした。  
 
「おそらく、原因は先祖返りアルね」  
「先祖返り・・・なんだそれ?」  
聞いた事ない言葉だ。  
俺が聞くと、オッサンは顔を少しムッとさせた。  
「そんなもの、自分で調べるアルね。・・・ともかく、その変化は霊的な物アルね。  
病院に行ってどうこう、出来るものじゃないアルよ」  
俺の考えは読まれていたらしい。  
とりあえず病院、これが常識的な考えなんだが・・・。  
「治す方法は?」  
「それも自分で調べる。ま、ほっときゃなんとかなるアルよ」  
・・・ほんとかよ?  
これは出すとまずそうなので、飲み込んでおく。  
ていうかこのオッサン何者?ここどこ?  
俺がまたそれを疑問に思った瞬間、オッサンが歩み寄って来た。  
「さ・・・眼を閉じるアルよ。ここに長居していてはいけないアル」  
疑問の声を上げる間もなく、手で眼を覆い隠される。  
なんか、身体が浮いているような・・・。  
「あの子は精神的に不安な状態にあるヨ。助けられるのは・・・涼、お前だけアル」  
あれ・・・?どっかで聞いた事ある声・・・?  
「天音を、頼んだよ・・・」  
・・・!  
「天音のじいさ・・・っ!!」  
俺の声は掻き消された。  
いや、声を出そうとしたら、また意識が飛んでいたんだ。  
その中で確かに分かった事・・・。  
それは、さっきの中国人風のオッサン・・・ありゃ中国人なんかじゃない。  
聞いた事がある。  
天音の親父さんの家系は、代々由緒ある霊能力者の家系とかで・・・。  
おじいさんは、すっげえ力を持ってたけど変わった人で・・・。  
俺達はずっと子供の頃に、じいさんと遊んでもらった・・・。  
遠くなる意識の中で見えたまばゆい光の中で、あのオッサンが微笑んだような気がした・・・。  
 
 
「・・・う!・・ょう!・・りょう!涼!」  
「・・・ここ、は?」  
今度は・・・戻ったみたいだ。どうやら天音の部屋のようだ。  
俺の身体を揺らすのは誰だ・・・?  
「天・・・音?」  
間違いない、天音だ。  
それも・・・泣いてる?  
「あ・・・」  
俺が起きたのに気づいた。  
驚いたような表情をしたあと、天音がぽろぽろ涙をこぼした。  
嘘だろ・・・あの天音が・・・。  
「気づいたんだ・・・よかったぁ・・・」  
そう言って安堵の表情を浮かべる。  
「よかったって・・・原因お前だろうが」  
俺の皮肉にも、しゅんとして「ごめん・・・」というだけの天音。  
おかしい、あきらかにおかしい。  
いつもなら、顔にいいのを二、三発ブチ込んでくるはずだ・・・。  
そういや、俺があいつの攻撃で気を失うのは初めてかもしれない。だからなのか・・・?  
・・・そうだ、そうだった!!  
「天音!」  
そう、天音の頭の犬耳と下半身のしっぽ。これが原因なんだ!  
俺が叫ぶようにして天音の両手を握ると、天音が驚いたように眼を見開いた。  
「な、なに・・・?」  
「こいつの原因、分かったぞ」  
オッサン・・・いや、じいさんの言う通りなら・・・。その、「センゾガエリ」という奴なんだろう。  
不思議と、あの言葉が信じられた。  
「え・・・?こいつって・・・この・・・?」  
犬耳を指差す。俺はうなずく。  
「とりあえず、人体に害があるとかそういうわけじゃないから、安心していい。  
詳しい事は省くけど、「センゾガエリ」って現象で・・・ともかく、危険はないんだ」  
俺も良く分からないけど、天音に心配をかけさせたくはない。  
だから、「安心」って言葉を強調して説明した。  
 
しばらくして。  
天音がどうにか事態を飲み込んでくれて、さっきよりはずっと普通に戻った。  
気弱になってるのは変わってないみたいなんだが・・・。  
なにせ、俺の手を離そうとしない。  
なんていうか、気味が悪いというか・・・。  
でも、こんな弱気な天音を見るのは初めてだ。それを考えると、離れるってわけにもいかなかった。  
「ねえ・・・」  
俺の手を握って顔を伏せたまま、天音がそっと呟いた。  
「・・・なんだよ」  
「今日は・・・一緒に、いてくれない?」  
「へぇっ?」  
喉が裏返って変な声が出た。  
い、一緒にって・・・もう夜ですよ?ま、まさか・・・。  
「明日の、朝まででいいから・・・」  
ヒクッ。  
喉仏から変な音がした。  
朝までって・・・。そりゃアンタ、アンタそりゃまずいですよ。  
「そ、それは・・・」  
天音が俺の手を握る力を強めた。  
いや、痛いってわけじゃない。間違っても握撃じゃない。  
ただ、すっごく離れたくない、って気持ちが伝わってくる握り方だった。  
こりゃ・・・断るわけに行かないよな。俺も男だし。  
「・・・分かったよ」  
「・・・ありがと」  
何も言わずに、俺は天音を抱きしめてやった。  
泣いてるのが、分かったからさ。  
手を握ってやりながら、強く、もっと強く、抱きしめた。  
天音の鳴咽も、どんどん大きくなるようで・・・また、強く・・・。  
「・・・涼・・・ぐすっ・・・」  
「俺はここにいるよ」  
不思議な気持ちがする、夜だった。  
 
 
朝。  
都合よく、今日から三連休。原因を詳しく探れればいいんだけど・・・。  
天音も寝たらスッキリしたのか、元の天音に戻っている。  
いや、犬のしっぽと耳はそのままだよ?ただ、明るくなってるってこと。  
「考えてみると、このしっぽと耳もなかなかいいかもねー」とかなんとか言いながら  
ルンルン気分で笑っている始末。ずいぶんとコロコロ変わるのな・・・。  
というより・・・・・・  
 
 
昨夜の話。  
「・・・涼?」  
「なんだよ」  
天音がこっちを向いている。すごく寂しそうな眼で。  
何を言い出すつもりなんだ・・・?すっごく衝撃的な事言いそう。  
「あの・・・さ・・・」  
「・・・なんだよ」  
俺の手が、さらに強く握られた。  
「そろそろ・・・寝る、時間だよね」  
時計に目をやる。たしかに、もうそろそろ寝た方がいい。  
ちなみに、こんな時間になるまでずっと手を握ってやってるままだ。  
「そうだな」  
「寝る・・・でしょ?」  
「まあ、な」  
なんか歯切れが悪いなあ。  
奥歯に物が引っかかったような言い方されても困る。とっととはっきり言って欲しい。  
天音がこんな回りくどい言い方する事なんてないってのに。  
「だから・・・その・・・ね?」  
「ね?じゃなくてさ」  
何を言いたいのかがつかめない。  
そしてこの後、天音の口から衝撃的な言葉が飛び出す!  
次回、乞うご期待!  
 
・・・すいません、冗談が過ぎました。  
まあともかく、とんでもない事を言い出した。  
そのとんでもない事ってのは・・・・。  
数秒の間のあと、天音がすうっ、と息を大きく吸いこむ。  
そして、意を決したように口を開いた。  
「一緒に・・・寝てくれない?」  
「・・・・・は?」  
時が止まった。絶対に止まった。としか思えないほどの、数瞬の間があく。  
                数秒後。  
そして時は動き出す・・・・とばかりに、天音の言葉が脳に伝達される。  
「・・・はあああああああ!?」  
寝るって事は、やっぱり同じベッドで寝るって事・・・だよな?  
それはまずい。まずすぎる。仮にも同年代の婦女子と同じベッドで寝るなど・・・。  
いや、そりゃ俺だって男さ。そんな機会があるなら是非とも食らいつきたいですよ?  
でも、でもさ・・・天音をそういう対象として見た事なんて、ないし・・・第一、こんな時に・・・。  
「・・・駄目?」  
天音が、瞳を潤ませながら上目遣いに聞いてくる。  
こんなこと言うの何度目か分からないけど、やっぱりこいつのこんな姿なんて見たことない。  
それに・・・そんな天音、見たくもない。  
「駄目だったら駄目で・・・いいから」  
「・・・駄目なんて言えるかよ」  
「でも・・・」  
それでも口を開こうとした天音の肩に手を回して、強く引き寄せた。  
いきなりのことに戸惑ったのか、目を丸くしている。  
「・・・いいから」  
ったく、さっきまでお願いしてたのに・・・今度は引けた態度取るなんてわけわかんねえ。  
してほしいのかしてほしくないのか、はっきりしてくれってんだよ。  
ま・・・今のこいつじゃ仕方ないか。  
天音は案の定肩に手を回されても顔を赤くしてうつむいてるだけだ。  
俺が恐る恐る表情を伺おうとしていたのに気づき、チラリと視線を向けてくる。  
 
とくん。  
 
・・・あれ?  
なんか・・・すっごく女っぽくないか?  
ていうか、可愛い・・・。  
異質な物にしか見えなかった犬の耳としっぽが、可愛さを逆に増幅しているのには気づかなかった。  
心臓が鼓動を早く刻み始めた。  
このままじゃなんだか大変な事になりそうな気がして、俺は頭を振ってそんな考えを払う。  
「・・・どうしたの?」  
「なんでもねえ、早く寝ようぜ」  
そうだ。さっさと寝て、明日考えよう。  
「うん・・・」  
俺は平静を装っていたが、心臓がバクバクいったままだった。  
なんでまた、こんな時にこんな事を突然考えたんだろうか・・・。  
と同時に、俺の中で不思議な気持ちが頭をもたげた。  
それが何なのかは分からなかったが、嫌な予感がして、それを、もう一度頭から振り払う。  
天音はまだ申し訳なさそうな顔のままだ。  
そんな天音の髪を、くしゃくしゃとするように撫でてやる。  
「もう、そんな顔すんなよ。言い出したのお前だろ?」  
少しでも気を紛らわせればと思い、多少無理に笑顔を作る。  
「うん・・・」  
「ほら、笑え笑え」  
こいつのこんな顔、やっぱり見たくないしな。  
 
天音がまずベッドに入り、俺が次に入る。  
・・一瞬躊躇したが、ここまで来たらどうしようもない。意を決して潜り込む。  
心臓の鼓動がさっきよりも早くなり始めた。  
ドクンドクンドクン、と耳鳴りのように聞こえてくる。この調子だと、天音にも気づかれてそうだ。  
落ち着かせようと思い布団を被ると、その布団から甘い匂いがしてきた。  
これが女の子の匂いってやつなんだろうか。嗅いだ事ないようないい匂いがする。  
逆に落ち着かなかった。顔が真っ赤になって、また鼓動が早まる。  
・・・その時だった。  
「ん・・・」  
今まで俺に背を向けて眠っていた天音が、寝返りをうって俺と向き合う形になったのだ。  
無法備な寝顔が・・・か、かかか・・・・  
「・・・可愛い」  
思わずそう呟いていた。  
無垢な寝顔ってやつである。とにかく可愛い。  
俺は、自分の心の中になにか、とてつもなく邪な感情が生まれている事を悟った。  
訳の分からない危機感に押されて理性がそれを止めようとするが、きかない。  
俺の手は、ゆっくりと、しかし確実に天音を蹂躪しようとしていた。  
・・・・だが。  
「・・・涼・・・・」  
寝言・・・?  
現実に意識が戻って来たような感覚を憶えながら、俺は天音の顔を驚いた眼で見ていた。  
まだ少しだけ、腫れぼったくなっている瞳の周り。  
それは、さっきまでずっと天音が涙を流していた証。  
ズキン、と胸が痛んだ。  
俺はそんな状況の天音に手を出そうとしたんだ。  
苛立つ。そんな俺に腹が立つ。  
天音を蹂躪しようと差し出した手で、俺は天音の手を握った。  
今度は、俺の方から強く握る。  
天音の表情がどこか安心したような風になって、俺の手をそっと握り返してくれた。  
いつのまにか心臓の鼓動は安らかになり、俺も眠りに誘われた・・・・・  
 
 
で、また朝に。  
天音は相変わらずのルンルン気分で、飯を作っている。  
「どうせお父さんもお母さんもいないし、ご飯ぐらい食べていってよ」と言ったのはあっちの方だ。  
対する俺は、これからどうしていくべきなのかを思案している。  
あのままで外に出てもまずいし、かといって放置もよくない。  
やっぱり、原因である「センゾガエリ」を調べてみるべきか・・・「・・・−ぃ?  
それにオヤジさんたちが帰ってくんのはたしかに先だけど、それまでになんとか・・・「おーい」  
だけどなー、やっぱりしばらく隠していく事になるんだろうn「おーい!!」  
後頭部に鈍い衝撃。  
「もう、どうしたの?」  
「・・・なんでいちいち殴るかね」  
「だって気づいてなかったんだもん」  
だからってグーで殴るか?グーで。  
「ほら、ご飯できたから食べてよ」  
まあいい、とりあえず頂いておこう。  
食っている間も、俺はさっきのような考えを頭の中で巡らせていた。  
・・・って、なんで俺がそんなことをいちいち考えてるんだ?  
当人の天音はまったく気にしてないような素振りしてるし・・・意味ないじゃん。  
「どしたの?また考え事?」  
頬杖を突きながら俺をみていた天音が、顔をそっと覗きこんでくる。  
犬耳がひょこりと揺れている。  
「な、なんでもねーよ!それにしても美味いなー、あははー」  
飯をドカドカと腹の中に流す。  
なぜか、天音の顔を正面から見ると気恥ずかしさが襲って来たからだ。  
「そう?ま、いいけど」  
と無関心な言い方をしながら、犬耳はぴょこりと立っていた。  
美味いといわれたのが嬉しいのだろうか。  
「なあ天音、ちょっといいか?」  
「・・・何?」  
 
ふと、俺の頭に一つの考えが浮かんだ。不言実行、早速それを試してみることにする。  
「お前って綺麗だよな」  
「お世辞いっても何もでないわよ」  
無関心そうな声。  
だが、犬耳は嬉しそうにぴょこりと立ってた。尻尾も左右に揺れている。  
「お前って美的センスねーよなー」  
「何よいきなり」  
今度はしゅんとしてたれている。  
「でも、料理は美味いよな」  
「・・・さっきから何?」  
立った。  
「見た目は悪いけど」  
「うるさいわね」  
たれた。  
と、このように、俺は犬耳と尻尾の反応が気になった。  
どうやら、この犬耳と尻尾は、天音の思いをダイレクトに表現しているらしい。  
垂れたり立ったりだらんとしたり嬉しそうに横に振れたり、忙しい耳としっぽである。  
俺がそうやって耳を眺めていると、その視線に天音が気づいた。  
「・・・何?」  
「いやー、そいつの反応でお前が何考えてんのか一発で分かるからさー」  
「へっ!?」  
天音が顔を赤くして、慌てて耳を手で押さえた。しっぽはそのまんまだけど。  
いつものこいつだ。どうやら、俺の心配は無用の物だったようだ。  
 
「ところでさ・・・これって、どう?」  
犬耳を指差しながら俺に聞いてきた。  
「どうって・・・?」  
「だから、その・・・可愛いとか、似合ってるとか・・・何か感じない?」  
突然だなあ。しかも、たとえが全部ポジティブだし。  
「まあ、可愛い・・・かな」  
 
「ホ、ホント!?」  
眼を輝かせながら俺に顔を近づけてくる。  
なんでこいつこんなに嬉しそうなんだ・・・?しっぽなんかすげえ振れてるし。耳もぴんと立っている。  
「そ、それでさ・・・何か、もっと別なものも感じない?」  
「べ、別って・・・?」  
微妙に頬を赤くさせながら、天音がさらに顔を近づけてくる。限界寸前だ。  
どこかの少女漫画のようにキラキラお星様が輝いていた眼が、今度は期待の色でいっぱいになっている。  
「だから、ほら・・・ほろ苦い気持ちとか」  
ほろ苦い?  
「えーっと・・・胸が締め付けられるような気持ちとか」  
感じた事ないなあ。  
「うーん・・・スッゥイートな気持ちとか」  
・・・意味が分からないんですが。ボケとツッコミ逆転してない?  
ていうか、こいつ何が言いたいの?俺はさっぱり理解できなかった。  
「・・・湧かない?」  
「ぜーんぜん」  
昨夜の欲情は伏せておく。  
「・・・そっか」  
しゅん、として天音は顔を離した。  
おもちゃを買ってもらえなかった子供のように残念そうな表情でもあるし、愛する人に振り向いてもら 
えない女性の表情にも見える。  
・・・まさか、まさかぁ。アハハハ、ワタシハナニヲ考エテマスカ。  
「せっかく、いいチャンスだと思ったのになー・・・」  
唇を尖らせながら、天音が呟いた。なんか、ガキッぽいな。  
「何のチャンスだって?」  
片眉を釣り上げながら聞いた。さっきからさっぱり話が見えてこないのは俺だけだろうか。  
「涼に、振り向いてもらうチャンス」  
・・・え?  
「あ・・・え、えっと・・・な、何でもないよ!?」  
「振り・・・向く?」  
俺の予想・・・当たっちまったのかよ。頭の中が、昨日とは別の意味でこんがらがり始めた。  
 
「え、えっと、だからね!?」  
まさに、しどろもどろな状態の天音。  
対する俺は、いまだに考えの整理がつかず、呆然としたままツッコミすらまともに出来てない状況だ。  
これが冗談なら、笑えねえな…。  
「だから…その……あぅ…」  
ついに言葉が思い浮かばなかったのか、「あぅ…」という言葉を最後に口篭もってしまう。  
「あー…つまりだ」  
頭をグシャグシャ掻きながら、俺が口を開く。  
「あ!だ、駄目!」  
すると、天音は突然俺の言葉を途中で制した。  
「…何が駄目なんだよ」  
「え?え、えっと、その…」  
「さっきから「えっと」と「その」ばっかじゃねえか」  
俺だって頭の中は混乱しっぱなしだ。天音がまともに言葉を思い付けるはずが無い。  
はずがないのだが…。  
 
 
「仕方ないじゃない!!」  
 
天音が声を大きくして言った。いや、むしろ叫んだ。  
その言葉が堰を切ったのか、さっきまでどもるばかりだった天音の口はエンジン全開となる。  
 
「アタシだって困ってるのよ!いきなりこんな物が生えてたりして!  
それだけじゃないわよ、涼は相変わらずの鈍感だし!なんで気づかないの?アタシやり方間違ってるの?」  
間に言葉を挟む事ができないほどにまくしたててくる。  
「ねえ、どうして?どうして気づいてくれないの?アタシ、こんなに頑張ってるのに!  
もしやり方が悪いなら言ってよ!だから、お願いだから…」  
一旦言葉が途切れる。そして発せられる、最後の一言。  
「お願いだから……アタシの気持ちに…気づいて……もう、嫌だよ…」  
言葉が進む度に、天音の瞳からは、昨夜のように、ぽろぽろと涙が溢れていた。  
緊張の糸がついに切れたのか、涙と、それとともに出る声は止まらない。  
俺はどうする事も出来ず、その場でまた呆然としていた。  
…段々と頭の中が落ち着いてくるにつれ、天音の言葉が理解できつつあった。  
天音は、いつも俺の側にいてくれた。  
家が隣だからといって、頼まれたわけでもないのに、朝にはいつも起こしてくれて。  
残り物で適当に作ってみたといいながら、しっかり丹精込められた弁当を渡してくれて。  
窓越しに話す時には、どんな時であっても、互いの悩みや思った事を笑いながら話して。  
…そうだ。そうだったんだ。  
俺は、自分のあまりの愚かさを悔やんだ。呪った。憎んだ。憤りすら感じる。  
何故…何故俺は、あいつの気持ちに気づいてやれなかったんだろう。  
「幼なじみだから」。  
そう思い、それらを当たり前と感じていたんだ。  
それらが、天音の、俺に対する想いの具現とも知らずに。  
天音の気の強さが、己の弱いところを見せたくないという、やせ我慢とも気づかずに。  
すべては嫌われたくないから…その一心の思いからであることも、気づかずに。  
「天音…」  
なんと言うつもりだ?「ごめん」か?「許してくれ」か?  
言葉なんていくらでも出せる。謝る事なら、後でも先でもいつでも出来る。  
違うだろう、新宮涼。そう、俺よ。  
俺がすべきことはそんなことじゃない。俺が言うべき言葉はそんな物じゃない。  
俺に出来る事…否、俺がすべき事。  
それは―――――。  
 
「ぐすっ…りょ、う…?」  
頭の中には、いくつもの言葉が浮かんだ。  
だが、俺はそれを口に出す事を拒んだ。  
そして……天音の身体を、自分の事を想い続けていてくれていた人の身体を、抱きしめていた。  
両手で、強く、強く。  
身体が密着しても気にしない。天音がその潤んだ瞳で俺を見つめていても、気にしない。  
千万の言葉よりも、俺の想いを表現するにふさわしい方法。  
 
いつのまにか天音の涙は止まっていた。・・・とはいえ、俺に向けられる瞳は潤んでいる。  
伏せていた眼を開いて、その視線に答える。  
とても澄んだ、黒い瞳に、俺の顔だけが映っている。  
天音は、俺だけを、じっと見つめている。…おそらく、今までと同じように。  
また安っぽい謝罪の言葉が出そうになるが、それを飲み込む。  
「……天音」  
「なぁに……?」  
まだ鼻にかかったような声で、俺を見つめてくれたまま答えた。  
「……その気持ち、なんだけどさ」  
「…うん」  
「まだ、間に合うか……?」  
俺の言葉を最後に、しばらく、互いの間に静寂が流れる。  
そして、天音は一言「馬鹿……」と呟きながら、俺の胸に顔を埋めた。  
その頭に生えている犬耳は―――――嬉しそうに、揺れていた。  
 
「……馬鹿だよな、俺」  
「そうだよ。どうしようもないくらいの、馬鹿」  
顔を上げて、また瞳を見つめ合いながら天音が言った。  
赤くなった瞳と対照的に、口元には微笑みが浮かんでいる。  
「でも、ほんとに馬鹿なのは……そんな涼を好きになった、アタシかな」  
目の端から涙を流しながら、そう言った。  
それ以上の言葉は俺達にはなく、今までより一層の力で抱きしめあって、そして……唇が、触れ合った。  
 

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