「わたしがやっていいかな?」  
 そう言うと直美は懸垂の要領ですいすいと上って戻ってきた。  
 「あなたは別だけど、最近の子って怖がりだし鈍いんだよね。」  
 余裕で言う直美が電灯を点けた。  
 直美はもう50に手が届く歳のはずだが、若々しい。肌荒れも無いわ  
けではないし皺もある。あるのだが、美しい。そして人を朗らかにする  
不思議な力があった。アルバイトとしてこの職場に入ってまだ短いのだ  
が、その快活で誠実な仕事振りは正社員で無い事で上司達を惜しませて  
いた。  
 「どうしたの」  
 先ほどの直美の流れる様な身のこなしに銀二は見とれていた。  
 「いや何でも。少し考え事を」  
 「銀二君は時間を無駄にしないんだねえ。いい心がけだこと」  
 そう言って直美は微笑した。  
 (やっぱり見透かされてるのかな)  
 直美に次いで銀二も歩き出した。  
 (それにしても)  
 直美は後姿も美しかった。その体は数々の肉体労働で鍛錬され、モ  
デル並みの体型になっていた。そして力もあった。  
 「じゃあちゃんと持った?いくよ」  
 銀二と直美は机を抱えて立ち上がった。元々ここへは机を取りに来た  
のだった。この机は軽くない。大人の男二人でちょうど安全に運べる程  
度の机だった。  
 「お疲れ様」  
 「ありがとうございました」  
 「それより、正社員の給料分は頑張ってね」  
 直美はいたずらする様に軽く笑った。  
 
 「こうした方が速いんじゃないかな」  
 直美が新入社員の数え方に注文をつけていた。  
 「そうそう。速くなったでしょ。しかめっ面して無駄に時間使っても  
意味無いからね」  
 直美が新入社員に笑いかけた。新入社員はにやけて答えている。当然だ  
ろう。世間知らずな彼に直美は刺激が強すぎる。  
 「銀二君も手を抜かない方がいいよ」  
 銀二もまた、にやけて答えた。  
 
 机の上に置かれたメモを確認して帰ろうとした時気がついた。直美のメ  
モには裏にも何か書かれてあった。裏返して、銀二はつばを飲んだ。  
 直美が場所を指定して会いたがっている。  
 銀二は気取られぬ様に退勤した。  
 
 「用って何でしょう」  
 直美が待っていたのは最寄り駅から離れた目立たないタクシー乗り場だった。  
 (なにか、お説教かな)  
 「ここじゃ話し辛いから、一緒に乗って」  
 
 二人はタクシーを降りて何分か歩いた。銀二が普段訪れた事が無い方面  
だった。何があるかわからない方面だった。全くどこに行くのか想像がつ  
かない。  
 「銀二君、悪いけど、目をつぶっていてくれるかな」  
 「はい」  
 直美に手を引かれてたどり着いたのは、ホテルだった。それもラブホテル。  
 
 「ちょっと待って下さい。あの…」  
 「銀二君、好きな人いる?」  
 「いますけど…」  
 直美は暗くなった。あの顔に陰りが出る所など悪夢にも思わなかった。  
 「わたし、子供も家を出て旦那も死んで、寂しいの。もう、誰も寂しさを  
忘れさせてくれるような人がいないの。銀二君…」  
 直美の目はまっすぐに銀二をみつめていた。  
 「ごめんなさいね。こんな、わたしどうかしてました」  
 「直美さん…、あなたなら…」  
 「ダメ!!やっぱりダメよ!!」  
 直美がそう言ってから沈黙が束の間流れた。それを直美が口を開いて破った。  
 「でも少しくらいなら、いいかも」  
 
 直美は裸体もまた美しかった。まさに絵に描いたような理想の肉体だった。  
 「は、恥ずかしいな。そんなじろじろ見られちゃうと」  
 直美はゆっくりと銀二に近づいた。  
 「触っちゃっていいんですよね」  
 「うん。あ、いや触っていいよ」  
 銀二がやや小ぶりな胸を包むように揉む。甘美な息が口から湧き  
上がった。  
 「ああ…銀二君…」  
 「直美さん、凄い」  
 直美の体は見た目だけではなかった。その引き締まった腰も脚も、  
完璧な美しさを湛えていた。接していて飽きそうになかった。  
 「ああ…」  
 体中を這い回る銀二の手に直美は酔っていた。  
 「大変…クセになりそう…」  
 「直美さん僕も」  
 銀二もまた酔っていた。深くなりそうな酔いだった。二人は深い口  
付けをした。お互いの手が硬く二人を抱きしめた。  
 「赤ちゃんができちゃうのだけは、無しね」  
 「はい」  
 二人は唇を貪りながら乱れた。直美の美しい老いた体が蛍光灯に照ら  
されて光を放っていた。その体を玉の汗が滑った。  
 
 「大丈夫ですか?」  
 新入社員が後ろから声を掛けていた。全て夢幻だった。考えてみればそうだ。  
直美の旦那さんは元気そのものだった。子供も成人したとはいえまだ家に  
いる。直美も旦那さんも、相手が不倫などしたら刑務所に入るつもりだと  
言うほどの熱々の夫婦だ。  
 銀二は予定の5分遅れで退勤した。直美のメモは裏面に何も書いてなかった。  
 (終わり)  
 

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